2017-09-04 15:06

世界は日本の核武装のほうが怖い<この岩盤規制に穴を開けるときがきた


 北のかりあげクンが暴走している。とうとう昨日(9月3日)は水爆を爆殺させたようだ。
これは読売の報道。
2017-9-3読売新聞記事かりあげクン 

物騒なニュースである。北朝鮮がまた核実験を実施した、それもICBM用の弾頭なのだという。そこで早速議論が沸騰するのが日本の核武装問題。


 所がこれが日本が北朝鮮に対抗するために核武装する、そんな風には捉えないのがこの問題の厄介なところ、こんな北朝鮮の暴挙を前にしても、日本の核武装反対、平和憲法を守れ、こんな話がゴキブリの如くぞろぞろ出てくるだろう。しかも平和憲法を守れというのが日本国内だけでなく外国から出てくるところが問題を複雑にしている。


所で9月1日にこんなエントリーをした。
「日本の核武装​に道開く北朝鮮の核容認​<wsjの社説です」
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1439.html

ここにかんぱちさんから興味深いコメントをいただいた。私もまったく同意見なのだが、問題の根が深いので、この問題に関する私の考えを書いてみたい。

最初にかんぱちさんのコメント
<以下引用>
世界が恐れているのは北朝鮮ではなくて日本
戦後、国連安保理の常任理事国になった戦勝国5ヵ国の外交方針は「日本とドイツに核武装させない」でした。前にもコメントに書きましたが、IAEA(国際原子力機関)も、日本とドイツが核武装しないように監視するために作られた組織です。世界に2つしかないIAEAの地域事務所のうち、1つは東京にあります。かつては日本の査察が最も多かったからです。 

国際原子力機関 - Wikipedia 
>本部はオーストリアのウィーンにある。またトロントと東京の2ヶ所に地域事務所と、ニューヨークとジュネーヴに連絡室がある。 

IAEA「日本核武装“潔白宣言”」の意味|Foresight(フォーサイト) 2004年8月号 
>国際原子力機関が「日本は核武装を目指していないことを確認した」と発表。 
>「これまでの日本への査察の結果、今後は統合保障措置を日本に適用できるとの結論に達した」 

IAEAの本質を知らない日本人│吉田康彦のホームページ (2007年9月01日) 
>(日本の)全施設をくまなく査察して歩いたらIAEAの全予算を投入しても足りなくなるので、「日本は軍事転用の意思のない国」と認定して「統合保障措置」を適用、全面的に信頼して、いわゆる"手抜き"に応じた。それでも全予算の25%が対日査察に投じられている。 

しかしその一方で、西側諸国の、特に左派やリベラル派は、共産主義国や中東の非民主的な国が核武装することには、とても甘く、現状追認的ですね。それって、第二次世界大戦の戦勝国にとっては、戦前のイギリスがナチスドイツに対して宥和政策を採ったのと、何も変わらないと思うんですが。 
それとも、先進国以外の核兵器は、じつは見せかけだけで、実際は大した威力がなかったりするんでしょうか?核兵器を維持するには、莫大なお金と技術が必要だから、じつは発展途上国が核兵器を維持するのは、無理だったりするんでしょうか? 

北朝鮮に核保有を許す米中|田中宇の国際ニュース解説 (2016年1月11日) 
>オバマと同じ民主党の、90年代のクリントン政権の国防長官だったウィリアム・ペリーが、1月10日に米国の政治分析サイトのポリティコに掲載した「北朝鮮をどのように封じ込めるか」という論文だ。
>北はすでに核兵器を持っており、廃棄させるのは不可能だ。現実的な新たな目標は、北に核を廃棄させるのでなく、北が開発した核を封じ込めることだ。 
>(1)北にこれ以上の核兵器を作らせない (2)これ以上高性能な核兵器を作らせない (3)核技術を他国に輸出させないという『3つのノー』を新たな目標にすべきだ。 

加藤 健さんのツイート 
>トランプ大統領は評判悪いが、北朝鮮問題については彼が大統領で助かった(今のところ)アメリカでトンデモ妥協論が広がっているのだ。北に上限24個の核兵器を容認すべきと呼び掛けるドアホ元国防長官までいる。動向次第で日本は国家存亡の危機! 

アメリカが北に妥協か? 国家存亡の危機!何度ダマされたら分かるんだ、ドアホ!|加藤健の「天を回せ!ロビー活動で挑む」 
>7月にはロバート・ゲーツ元国防長官が実に愚かな発言をしました。ゲーツはウォールストリート・ジャーナルの取材に、北朝鮮核問題の「良い解決策はない」とし、12個から24個(10個から20個という日本報道は厳密には誤訳)の核兵器保有を認め、査察に同意させる案を語っています。ゲーツは共和党・民主党両政権下でCIA国防長官を務めた人物で、アメリカ主流派の意見を代弁していると見られているので、ショックを受けました。 

ドイツは、他の西側諸国と核シェアリングできるようになるまでに、何度も戦前のドイツを全否定させられ、国全体がとても左傾化してしまいました。 
思うんですが、戦勝国のフランスやオランダも、ドイツと実際に戦って勝ったわけではない「なんちゃって戦勝国」なので、ドイツが「普通の国」になることを恐れているんじゃないでしょうか? 
ちょうど「なんちゃって戦勝国気取り」の中国と韓国が、日本が「普通の国」になるのを恐れて、歴史問題で日本を執拗に叩いてきたのと似ているような気がします。ただ欧州各国のほうが、中国や韓国よりは、少しだけ物事を合理的に考えられる人達だったというだけでしょう。 

ロシアが専門の日本人国際政治学者が書いた「日本が核武装するなら、アメリカとの核シェアリングしかない。単独核武装は世界を敵にまわす。」という記事もありました。 

日本が核武装したら「世界の孤児」になる理由 | ロシアから見た「正義」 “反逆者”プーチンの挑戦 | 北野幸伯:国際関係アナリスト | ダイヤモンド・オンライン 
>「NPT(核不拡散条約)は、日本とドイツの核武装を封じる目的でつくられた」のだ。これは、筆者の妄想ではなく、NPT加盟時の村田良平・外務事務次官の言葉である。 
>問題となるのは中国、ロシア、北朝鮮の反応だ。彼らは反発し、相応の対抗措置を取るだろう。中ロはますます反米・反日化し、一体化する。ロシアは、北方4島を軍事要塞化させ、北方領土返還は事実上「不可能」になる可能性がある。
2017-09-01   かんぱち 

<引用終り>




この話、いまの世界の核保有の現状を見ると分かる。世界は国連常任理事国だけが核を持つことを認めるという不平等条約から成り立っている。
つまり核保有国とは、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、チャイナ(支那)である。
しかし核拡散防止条約に入っていない国がある。未加盟国はイスラエル、インド、パキスタン、南スーダンで、このうち南スーダン以外の3ヵ国は核保有国である。
更に脱退国が北朝鮮で核保有している。
これ以外に核拡散防止条約加盟国ながら、イランも核開発しており、アメリカが密かに核保有容認したのではないかと疑われている。
もう一つニュークリアー・シェアリングで核保有している国がある。現在はベルギー、ドイツ、イタリア、オランダの4カ国。しかし過去にはカナダ(1984年まで)、ギリシャ(2001年まで)、トルコ(2005年まで)もこのスキームで核保有していた。
つまり世界の主要国は日本以外は全部核保有国である。このことを肝に銘じなければいけない。特に世界の白人国はスペイン以外主要国全てが核保有国だ。ここにこの問題の複雑さがある。


6月10日のエントリー
「国連の日本叩きは文明の衝突」
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1401.html

ここに高山正之氏のこんなコラムを紹介した
【変見自在】『威信回復は原爆投下で』 (2004年6月24日号) 高山正之

20世紀には「世紀の大事件」が随分あった。
まず思いつくのは、アポロ11号のアームストロング船長が月に降り立った。ライト兄弟が飛行機を飛ばした。フレミングが抗生物質を発見し、人類は病苦の半分から解放された。広島と長崎に原爆が投下された。
共産国家ソ連が誕生し、70年で消滅した。その引き金となったのがベルリンの壁の崩壊だった。
ナチス・ドイツの400万人ユダヤ人虐殺、いわゆるホロコーストがあった。ENIAC、つまりコンピューターが発明された。
・・・中略・・・
さて米国のジャーナリストが20世紀最大の事件に選んだのは月でもソ連でもなく、なんと「原爆投下」で「それによって日本を降伏させた」ことだった
「人類、月に立つ」はさすがに2番目にはきたが、3番目には「日本軍の真珠湾攻撃」がくる。
以下ライト兄弟が4番目でナチのホロコーストは7番目。世界を対立と殺戮に追い込んだソ連の崩壊はやっと13番目だった。
米国のインテリがなぜ20世紀総代に原爆投下を選んだのか。真珠湾攻撃がなぜライト兄弟やホロコーストより重大だったのか。
その答えはちゃんと歴史の中にある
日本は20世紀に入ってすぐロシアをやっつけた。産経新聞の連載「日露開戦から100年」には「ロシアは有色人種国家に負けた初の白人国家の烙印を押され、その恥辱がロシア革命につながった」とある。
日本に負けた屈辱が欧州最強のロシアを滅ぼしてしまったわけだ。
日本は人種には無頓着だが、白人たちは違った。ロシアを他山の石として、日本の封じ込めを図った。最新の軍事情報をもらさないのも当たり前。世界恐慌の際も日本の船を彼らの植民地から締め出したし、航空路もバンコク止まりで日本には乗り入れさせなかった。
しかし日本は耐え、こつこつ腕を磨いた。あのころの日本人はみなプロジェクトXだった。おかげで日米の開戦時に、零戦に勝てる戦闘機は米国にもなかった。
それ以上に白人国家を恐れさせたのが第三世界の不服従だった。明らかに「日本」に刺激されたためで、従順の手本だったタイも好きにやられてきたフランスに宣戦し仏印に攻め込んだ。しかし腐ってもフランス。タイが危なくなって日本が仲裁に入り、タイの顔をたててやった。昭和16年の東京条約のことだ。
そして第二次大戦。英国は最新戦艦2隻をあっという間に失い、シンガポールも簡単に落とされてしまう。
オランダは日本に宣戦布告してきた国だが、いざ日本軍が攻め込むとすぐ降伏して世界一臆病な軍隊の不名誉を背負った。
米国は迂闊(うかつ)にも先制攻撃され、海軍力の大半を一瞬にして失った。白人史上初めてのことだ。フィリピンのコレヒドール要塞も粉砕された。みんなそろってロシアの轍を踏んでしまった。
その日本をなんとかやっつけられたのは米国だった。それも「下等な有色人種」には思いもつかない「太陽のエネルギー」(トルーマン大統領)原爆で降伏させた。
白人の威信を取り戻した原爆こそ20世紀最大の偉業だというわけだ。
・・・以下略・・・

参考ブログ
アメリカのメディア、指導層の歴史観


こんな現状を踏まえ、私の考えを纏めるとこうなります。

日本は戦争で敗れ、二度と立ち上がれないように、憲法を押し付けられ、WGIPで洗脳され、焚書で貴重な書物も廃却させられてきた。その結果が日本だけには絶対核兵器を持たせない、こんな政策だった。

しかしその岩盤規制についに穴が開いた。昨年のオバマ大統領の広島訪問安倍首相の真珠湾訪問である。20世紀最大の事件が原爆投下であり、3番目が真珠湾攻撃。これがアメリカインテリ層の基本的な考え方であった
その岩盤規制に穴をあけた要因の最大のモノが「日本のAIIB不参加でアメリカの孤立を救った」ことではないかと思っている。
勿論その前のアメリカ議会での希望の同盟演説や日本の70年談話もあるだろうが、アメリカとしてみると、日本はアメリカのつっかい棒になっていることは間違いない。
この事はトランプ政権になってからも、変わっていない。特に最近はトランプ大統領と安倍首相は頻繁に電話会談をしている。

戦後72年、ついに日本が普通の国になるチャンスが巡ってきた、そう理解すべきと思う。

こんな見方をすると、かんぱちさんのコメントにあるアメリカの元国防長官ゲーツ氏の意見、つまり北は核を手放さない以上、これを認めざるを得ない。この発言には口に出さない裏が有ると思う。
北が核を持ったら、日本も核武装する以外ないでしょ、当然ですと。
こんな風に読めるのだが、どうだろうか。


こんな見方で、では日本がどうすべきか、そんな事を考えるためにいろんな方向からの意見を見てみたい。

最初は日本を愛するイギリス人ストークス氏の意見。
6月8日のエントリー「ストークス氏の助言」でこんな本を紹介した。
日本が果たした人類史に輝く大革命ー「白人の惑星」から「人種平等の惑星」へ 
2017/4/12
2017-6-4日本が果たした人類史に輝く大革命表紙 


この著書に題名のもとになったストークス氏の意見が掲載されている(p33-p35)。大変参考になるので以下紹介したい。
ストークス氏は日本を愛するイギリス人として、極めて公平な立場で発言しています。
尚この文章はヘンリー・S・ストークス氏と植田剛彦氏の対談になっているので、「ストークス」となっているのが同氏の言っていること、文中「植田さん」と呼び掛けているのは部分は植田氏を日本人代表として呼びかけているので、ここは皆さんの名前が書いてあるものとみてください。

<以下引用>

ストークス 
 先の第ニ次大戦で、日本がアジアに軍事進攻したのは、もちろん、歴史の事実です。
 侵略(進攻)というと、ひとつの国が他国の領土へ武力を使って、強制的に入っていくことを意味します。この定義では、日本は大英帝国の領土である植民地に侵略したと認められます。
 しかし、日本は大英帝国の植民地を侵略しただけではなく、欧米の植民地支配を受けたアジア諸民族が独立するのに当たって、大きな役割を果たしたのです。アジア全土に展開していた欧米の植民地を、日本は一挙に占領した。あっという間に、白人の軍隊を打ち破ったことによって、白人には勝てないと思い込んでいた、アジアと、アフリカの諸民族に、独立への気概と勇気、そして、民族平等というまったく新しい概念をもたらした日本は世界史に、大きな役割を果しました

 植田さん、日本はアジア人の「希望の光」でした。いまの日本から、想像することができませんね。

 このように話をすると、インタビュアーや聴衆から質問がでて、「それでは、これから日本として、どうしたらよいでしょうか?」と、よくたずねられます。
 しかし、植田さん、日本を取り巻く世界情勢が厳しくなるなかで、日本は相手の都合を慮(おもんぱか)ったり、阿諛追従(あゆついしょう)する必要はまったくありません。アメリカはアメリカの立場で、中国は中国の、韓国は韓国の、日本は日本の立場でものを言う。当然それらは食い違う。外交とは非情で冷厳なもので、世界とはそういうものです。日本だけが物わかりのいい顔をしていたら、精神を侵略されてしまい、たちまち付け込まれてしまいます。この質問には、外国人の私ではなく、一人一人の日本人が考えて、答を出すべきです。
 もう一つ、私か言いたいのは、「南京大虐殺」にせよ、「靖国神社参拝問題」にせよ、「慰安婦問題」にせよ、現在懸案になっている問題のほとんどは、日本人の側から、中国や、韓国にけしかけたというのが事実だということです この問題をどうするか、それは日本人目身で考えねばなりません。

<引用ここまで>

ここまで読んで私ははっとしたのが正直なところ。「精神を侵略されてしまい」、これだ!と思いましたね。日本のマスゴミや政治家が物わかりのいい顔をしてニコニコしているうちに、「精神を侵略されてしまい」、ハニートラップに引っかかって国益を損ねている。
流石ストークス氏は良く見ています。

そしてもっと大きな問題。「現在懸案になっている問題のほとんどは、日本人の側から、中国や、韓国にけしかけたというのが事実」、此れこそ問題の根っこにあるものです。



こう見てくると、この問題が日本政府の公式見解としてどうなっているか。これを見てみたい。

安倍首相の戦後70年談話はこのように始まっています。
> 終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。
 百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。
・・・以下略・・・詳細は下記参照ください
http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/discource/20150814danwa.html


もう一つ、植民地支配されていた人たちの言っていることについて貴重な証言がある。上掲ストークス氏の著書についての書評でジャーナリスト 大野敏明氏が書いている。

<以下引用>
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1398.html
ジャーナリスト 大野敏明氏の書評
 20年ほど前、アラブ首長国連邦(UAE)のドバイに出張したとき、ある少人数のレセプションで、私は老アラブ人から「あなたは日本人ですか」と声をかけられた。うなずく私に、彼は微笑みながら、いまはアメリカ国籍をとっているが、本来はレバノン人であると自己紹介しつつ、日本を深く尊敬しているとして、次のように語り始めた。
 「われわれ中東に生まれた者は、日本について3つの尊敬心をもっている。1つ目は日本が日露戦争に勝利したことだ。中東は長い間、フランス、イギリスなどの白人国の植民地にされてきた。われわれ非白人は白人には逆らえないという絶望感があった。それを同じアジア人である日本が白人の国であるロシアを打ち負かして、われわれもやればできるという大きな希望を与えてくれた」。
 うなずく私に彼は続けた。「2つ目は1941年、日本がアメリカ、イギリスと戦争を始めたことだ。日本は負けたが、われわれは日本人の前にイギリスが屈する姿を見た。それが戦後、アジアだけでなく、アフリカまでもが独立する契機となった」。 彼は続ける。「3つ目は原爆まで落とされて焦土になった日本があっという間に世界第2の経済大国となり、われわれに援助をしてくれるまでになったことだ。一体、日本のこのすごさはどこに秘密があるのか、教えてほしい」。 インド、インドネシア、マレーシアなどでは日本が戦争をしてくれたお陰で、われわれは独立できた、という話は聞くが、レバノン人に言われて驚くとともに、彼の質問の答えを考えながら、われわれ日本人は20世紀の世界史に革命的な足跡を、それもアジア、アフリカの人々に希望を与える足跡を残したのだなと感動したものである。
・・・以下略、詳細は上掲リンク先参照ください・・・



 この話を植民地を独立されてしまった側から見るとどう見えるか。
米英蘭にしてみると、「日本が余計なことをしてくれたせいで、植民地からの上りでのんびり食っていた俺たちが貧乏になってしまった。日本の野郎、けしからん!!」
これが欧米の反日の原点で、それが今に尾を引いている。

参考エントリー
欧州の反日国
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1029.html
これはエドゥアルト・ヴァン・ティン・アムステルダム市長(後の内務大臣)の言葉。

<以下引用>
http://blog.livedoor.jp/remmikki/archives/4727103.html
平成三年、日本傷痍軍人会代表団がオランダを訪問した時、市長主催の親善パーティでのエドゥアルト・ヴァン・ティン(Eduard van Thijn)アムステルダム市長(後の内務大臣)の歓迎挨拶を、憲兵少尉のシベリア抑留経験者、溝口平二郎(平成9年3月14日逝去)が録画していたのを、後に、(財)日本国防協会理事の浅井啓之氏が文章に起こし、平成6(1994)年3月24日作成したのが、下記である。

「あなた方の日本国は先の大戦で負けて、私共のオランダは勝ったのに大敗をしました。今日の日本国は世界で一、二位を争う経済大国になりました。私達オランダは、その間、屈辱の連続。即ち、勝った筈なのに、貧乏国になってしまいました。

戦前は「アジア」に大きな植民地(オランダ領東インド(蘭印)=ほぼ現在のインドネシア)が有り、石油等の資源・産物で、本国は栄耀栄華を極めておりました。しかし今では、日本の九州と同じ広さの本国だけになってしまいました。

本当は、私共白色人種が悪いのです。百年も二百年も前から、競って武力で東亜諸民族を征服し、自分の領土として勢力下に置いたのです。

 植民地・属領にされて、永い間奴隷的に酷使されていた東亜諸民族を解放し、共に繁栄しようと、遠大崇高な理想を掲げて、大東亜共栄権樹立という旗印で立ち上がったのが、貴国日本だったはずでしょう。

 本当に悪いのは、侵略して権力を振るっていた西欧人の方です。日本は戦いに敗れましたが、東亜の解放は実現しました。

 即ち、日本軍は戦勝国の全てをアジアから追放して終わったのです。その結果、アジア諸民族は各々独立を達成しました。日本の功績は偉大であり、血を流して戦ったあなた方こそ、最高の功労者です。自分を蔑む事を止めて、堂々と胸を張って、その誇りを取り戻すべきであります。」

ヴァン・ティン氏は「堂々と胸を張って、誇りを取り戻すべき」と言っています。
今こそこの考え方が必要だと思います。


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2017-09-02 17:30

日本の平和主義、北朝鮮ミサイルが転換点になるのか

 8月31日のBBCにこんな記事があった。

2017-9-2bbc記事戦艦ミズーリ上の降伏文書調印式 

日本の平和主義、北朝鮮ミサイルが転換点になるのか
2017年08月31日

日本は平和憲法を持つ国だが、北朝鮮のミサイル発射は日本の平和主義を試すものだ。
BBC「ニューズナイト」より、エミリー・メイトリス記者が日本の平和主義について短く解説する。


内容紹介する前にこの記事、72年前の今日、1945年9月2日の写真を使っている。上掲の写真で写っている人は当時の日本の外務大臣重光葵、書いているのは降伏文書への署名である。
イギリス人らしい、丁度この日にぶつけて書いた記事であろう。

上掲写真ではわかりにくいので降伏文書署名の様子はこんなもの。

2017-9-2戦艦ミズーリ上の降伏文書調印式 

BBCの写真では分かりにくいが、署名の様子はこんなもの。そして重光外務大臣の右に写っている人は加瀬俊一氏だが、この方は9月1日のエントリー「日本の核武装​に道開く北朝鮮の核容認​<wsjの社説です」で引用した「核なしでは体制が守れぬ北朝鮮」と「これで日本を守れるのか」、この二つのコラムを書いた加瀬英明氏の父君である。
恐らくBBCの記者はそんなことを承知の上でこの記事を書いたのであろう。

ではBBCがどんなことを言っているのか、それを書いてみたい。

<以下引用>
日本の平和主義、北朝鮮ミサイルが転換点になるのか
2017/8/31

日本は平和憲法を持つ国だが、北朝鮮のミサイル発射は日本の平和主義を試すものだ。
BBC「ニューズナイト」より、エミリー・メイトリス記者が日本の平和主義について短く解説する。
 
1945年 米国は戦争の歴史を永久に変えた
2発の原爆が広島と長崎に投下され推定15万人が死亡 
(引用者注:死者数は45年末までで広島約14万人、長崎約7万4千人である。)
日本は降伏するしかなく米国の占領統治下に置かれた
(引用者注:日本は降伏せざるを得ないとして交渉するも、アメリカが全て拒否していた)
 
第2次世界大戦における役割へのとして平和憲法が起草され
1952年の主権回復後も日本が軍を持つことを禁じた
 
国外の脅威への認識が高まるにつれ日本の自衛隊は次第に力を増していった
冷戦終結 そしてとくに中国との緊張の高まりによって
日本政府の軍事費は今や世界最大規模だ
 
安倍首相は今年5月目標を掲げた
2020年までに憲法のいわゆる平和条項を修正すると
しかし平和主義から遠ざかることはそうそう簡単に受け入れられていない
 
自衛隊の海外での戦闘参加を第2次大戦以来
初めて可能にする法案を2年前に安倍氏が押し通したとき
国会議事堂の外の道路で大規模な抗議デモが起きた
 
それでもなお日本は核攻撃を経験した唯一の国だ
そのことがこの国の国民感情に深く浸み込んでいる
 
2016年にはバラク・オバマ大統領が現職の大統領として初めて広島を訪問
謝罪しなかったことが物議を醸したが「爆撃の記憶は決して消してはならない」と語った
 
しかし29日現地時間午前6時北朝鮮の首都・平壌付近から
日本の上空へミサイルが発射された
北海道の上空を通過し海上に落下した
 
日本人にとってこれが事態を大きく変えるきっかけになるかもしれない
北朝鮮が前回このようなことをしたのは20年近く前だ
当時はそのせいで北朝鮮との関係改善が阻害された
 
今回は北海道に響き渡るサイレンの音によって
日本のタカ派が勢いづくだろう
 
トランプ氏が「世界の警察官」の役割を拒否するなか
タカ派の声に耳を傾ける以外日本に選択肢はないのかもしれない

<引用終り>

BBCの記者まで言っています。
として平和憲法が起草され」、1952年の主権回復後も日本が軍を持つことを禁じた・・・
だから日本国民を北朝鮮に拉致され、日本固有の領土竹島を不法に占拠され、さらに多数の漁民を殺されても手出しできない、こんな無残な国になってしまっている。
そしてまともな日本人をタカ派と決めつけていますが、これに迎合するのがアカヒ新聞はじめ反日マスゴミ。こんな構図が出来ています。
BBCの記者にははっきり言うべきですね。平和と性善説は大昔から日本人の良い所。
だから平和を守るために必要なのが武力。当たり前でしょ。これから日本は当たり前の国になるのです。

この憲法はアメリカが書いた、これはバイデン副大統領も言っています。
以下エントリー参照ください。
「日本の憲法はアメリカが書いた」とバイデン副大統領が言った
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1289.html


しかし戦後72年、今年の8月は日本にとって大きな変化の年となりました。何せ72年ぶりの空襲警報が出たんですから。
そしてこの事が例えば雑誌の売り上げにも影響が出てきました。
保守系の雑誌HANADA、現在は10月号を8月26日から発売中だが、発売早々売り切れ続出のようだ。その前の9月号も売り切れで増刷しているが、多分10月号もそうなるだろう。
2017-9-2雑誌hanada10月号 

私も昨日本屋に立ち寄ってみたら、これが売り切れになっていた。
大きな変化が起こっているようだ。


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2017-09-01 14:49

日本の核武装​に道開く北朝鮮の核容認​<wsjの社説です

 北朝鮮が日本の上空を通り越して太平洋にミサイルを撃ち込んだ。8月29日早朝このニュースとJアラートに驚かれた方も多いと思う。
だが事態はとても深刻で、遂にアメリカの有力紙WSJが日本の核武装への道を開くものだとの社説を掲載した。WSJはアメリカの政権に対する影響力が大きく、この論調には大いに考えさせられる。

最初にその記事を紹介する前にアメリカの日本の核武装に対する意識について。

アメリカには三つの原罪がある。
原住民インディアンの大虐殺、黒人を奴隷売買、そして日本への原爆2発投下による大虐殺だ。
そしてアメリカは日本が若し核兵器を持てば、日本はアメリカに復讐する権利があると考える筈だと思って恐れている。これがドイツがニュークリアー・シェアリングで核兵器を持っているのに対し、日本が核兵器を持っていない理由になっている。
(注:現在ニュークリア・シェアリングによる核保有国はベルギー、ドイツ、イタリア、オランダ、つまり世界の主要国で本当に核を持っていないのは日本だけ同じ敗戦国でもドイツもイタリアも核武装していることに注意)
さてそんな目で以下の記事を見てください。


<以下WSJより引用>
【社説】日本の核武装​に道開く北朝鮮の核容認​
2017 年 8 月 30 日 15:12 JST

 日本北部の住民は29日、北朝鮮のミサイル発射を知らせるサイレンや携帯電話のアラートにたたき起こされた。この中距離ミサイル発射実験は、北東アジアの安全保障をめぐる政治を一段と混乱させるだろう。そして、日本に​自前の核抑止力を持つことをあらためて促すものだ。

 北朝鮮は1998年と2009年に、衛星打ち上げと称して日本上空を通過する長距離ミサイルの発射実験を行った。1998年の発射で衝撃を受けた日本は、戦域ミサイル防衛で米国と協力することになった。2009年の発射後には、在日朝鮮人社会から北朝鮮への資金の流れを日本政府が抑えた。今回の発射はさらに脅威が増している。米国と同盟各国の情報機関は、北朝鮮が小型核弾頭搭載ミサイルを日本に着弾させる能力を得たとみているのだ

 日本の大半は、米軍が地域で運用するシステムと自国のミサイル防衛システムで守られている。さらに日本は最近、地上配備型迎撃ミサイル「パトリオット3」(PAC3)を西日本に配備した。ただ、今回ミサイルが通過した北海道は​それらの範囲外だった。

 日本の最終的な安保は米国の防衛力と核の傘だ。日本が攻撃を受けた場合は米国が反撃することが、日米安保条約で保障されている。しかし、抑止力の論理は敵が合理的であることを前提とするが、北朝鮮相手に合理性は保障され得ない。米国を射程に収める大陸間弾道ミサイル(ICBM)の開発も、この均衡を変化させている。北朝鮮が東京を攻撃し、これに応じて米国が平壌を攻撃すれば、米国の都市が危険にさらされかねない。

 日本の指導者たちはこれまで、自ら核兵器を保有することに長らく抵抗してきた。しかし、危機に際して米国が頼りにならないとの結論に至れば、この姿勢が変わるかもしれない。あるいは日本として、たとえ信頼できる同盟国の判断であっても、それに自らの生き残りを託す訳にはいかないと判断することも考えられる。既に一部の政治家は、独自の核抑止力について話し始めている。世論は今のところ核兵器に反対だが、恐怖で気が変わる可能性もある。日本​には民生用原子炉​から得た核弾頭1000発分を超えるプルトニウムがあり、数カ月で核弾頭を製造するノウハウもある。

 この展望は中国を警戒させるはずだ。核武装した地域のライバルが突如現れることになるからだ。米国も日本の核保有を思いとどまらせることに強い関心がある。韓国が即座に追随しかねないとあってはなおさらだ。東アジアが中東に続いて核拡散の新時代を迎えれば、世界の秩序に深刻なリスクをもたらす。それもあって、核ミサイルを持つ北朝鮮を黙認することはあまりに危険なのだ。

 だがこの方針を、バラク・オバマ前政権で国家安全保障担当の大統領補佐官を務めたスーザン・ライス氏とジェームズ・クラッパー元国家情報長官は広めようとしている。クラッパー氏は、米国が「(北朝鮮の核保有を)受け入れ、制限ないし制御することに努め」始めなくてはならないと話す。8年にわたって北朝鮮の核は容認できないと話していたはずの両氏が今や、トランプ大統領と安倍晋三首相はそれに慣れた方がいいと言っているのだ。

 しかし、どうやって「制御」するのか。北朝鮮は交渉で核計画を放棄する意向がないことを明確に示してきた。米国は「相互確証破壊(MAD)」で脅すことはできるが、日本上空を通過した今回のミサイル実験は、北朝鮮が米国と同盟国を威圧・分断するために核の脅威をいかに利用するかを示している。北朝鮮の核を容認すれば、はるかに危険な世界を容認することになる
<引用終り>


最初のこの記事の本当に言いたいことは何か、それはこのタイトルに書いてある。
日本の核武装​に道開く北朝鮮の核容認​】である。

「北朝鮮の核容認はケシカラン」ではない。ここがこの社説の言いたいことだ。
日本が核武装するぞ、これはどえりゃあ事になるぞ、こう言っているのだ。
記事の最後は「北朝鮮の核を容認すれば、はるかに危険な世界を容認することになる。」こう結んでいる。このはるかに危険な世界とは日本が核武装した世界のこと、此れしか解釈のしようがない。

さてそのアメリカがいかにこの問題にナィーブになっているか、昨年バイデンはこんなことを言っている。

「日本は一晩で核保有可能」 米バイデン副大統領が習近平国家主席に発言
2016.6.24  産経新聞
http://www.sankei.com/world/news/160624/wor1606240026-n1.html

 【ワシントン=加納宏幸】ジョー・バイデン米副大統領が中国の習近平国家主席に北朝鮮核・ミサイル問題での協力を求めた際、「日本が明日にでも核を保有したらどうするのか。彼らには一晩で実現する能力がある」と発言したことが23日、分かった。
・・・以下略、詳細は上掲リンク先参照ください・・・

これがバイデンの本音である。
しかし北朝鮮の核保有阻止は完全に失敗したと考えるべきだ。そうなれば日本の選択肢は核武装による抑止力以外に考えられない。


所で一寸見方を変えて、最近加瀬英明氏が【北朝鮮を核保有国家として 認めたうえで、北朝鮮と交渉するべきだ】という事を言い出している。余りにも突拍子も無い話で驚いた人が多いようだが、冷静に考える必要がある。
その提言はこんなもの

<以下引用>

核なしでは体制が守れぬ北朝鮮
2017/8/30        加瀬 英明

核なしでは体制が守れぬ北朝鮮 アメリカはどう交渉に入るべきか

私は昨秋からこの欄で、北朝鮮の核開発問題について、アメリカの安全保 障問題を専門とする友人たちに、北朝鮮はどのようなことがあっても、核 保有国となる決意を捨てることがないから、「北朝鮮を核保有国家として 認めたうえで、北朝鮮と交渉するべきだ」と説いてきたことを、取り上げた。

もし、トランプ政権が北朝鮮に外科的(サージカル)な(目標を限定し た)攻撃であっても、攻撃した場合、北朝鮮は体制の威信を賭けて、韓 国、日本に対して反撃を加えよう。韓国の総人口の3分の1以上が、南北 軍事境界線から100キロ以内に住んでおり、北朝鮮の火砲・ロケットの 射 程内にある日本も北のミサイルを迎撃しても、かなりの被害を蒙るこ ととなる。

もっとも、北朝鮮は国家的自殺をはかるつもりはないから、全面戦争は 戦いたくない。国際世論が「即時停戦」を求めて、5、6日後に停戦に持 ち込むことを期待しよう。

私は昨年10月と今年6月に、ワシントンを訪れた時に、北朝鮮と交渉 す べきだと促した。

北朝鮮は核なしで体制を守れないと、確信している。

リビアはアメリカの甘言に騙されて、核開発を放棄した後に、オバマ政 権によって軍事攻撃を加えられて、崩壊した

ソ連解体後にウクライナが独立し、国内にあった核兵器をロシアへ渡すか わりに、ウクライナが侵略を蒙ったら、ロシア、アメリカ、イギリスが共 同して守ることを約束した。
ロシアがクリミア地方を奪った時に、アメリカとイギリスは傍観した。北 朝鮮はこのような例を、肝に銘じていよう。

トランプ政権は北朝鮮を核保有国として認めることを、拒んでいる。中 国に北朝鮮に圧力を加えることを求めているが、中国はよそ見をしている。

といって、トランプ政権は宝刀を抜いて、北朝鮮を斬りつけることはで きまい。戦闘が始まって数十万人が死ぬことになったら、耐えられまい

・・・以下略、詳細は上掲リンク先参照ください・・・
<引用ここまで>


冷静に考えるととんでもない話のようで、じつは話の辻褄はあっている。問題の根は核武装を放棄した国はアメリカに攻撃され、指導者は殺されている。あるいはウクライナのように領土を分捕られても傍観されている。ここが北朝鮮が絶対に核を手放さない理由だ。

そして加瀬英明氏は元来核武装するべきと言っていた人で、それは変わらないと思う。上掲引用文には書いてないが、北朝鮮に核を認めるのなら、当然日本も核武装しますよ。仕方ないでしょ、此れでなくては国は守れませんから。こういう筈だ。


そんな目で加瀬英明氏の上掲記事の1日前の記事はこんな風。

これで日本を守れるのか
2017/8/31   加瀬 英明

・・・前段大幅略、詳細は上掲リンク先参照ください・・・
経済産業省の特定サービス産業統計調査によれば、平成28(2016)年度の パチンコ業界の売り上げは、3兆7269億円だった。

同年度の女性化粧品の売り上げは、2兆円を超えている。同じ年度のサプ リ(健康食品)79社の売り上げが、5457億円(日本流通産業新聞調査) だったが、全国に1000社以上あるサプリ業界全体なら、この3倍以上にな ろう。

平成29(2017)年度の陸上自衛隊の予算が1兆7706億円、海上自衛隊が1 兆1548億、航空自衛隊が1兆1578億円だが、陸自は人件費が大部を占める。

朝鮮半島が一触即発だ。いま、私たちは日本有事と隣り合わせて生きてい る。日本を守る盾は、自衛隊しかない

3自衛隊のいずれの予算をとっても、パチンコ業界、化粧品、サプリ業界 の売り上げよりも少ない。

いつ、日本列島が北朝鮮のミサイルを浴びるか、わからない。

北朝鮮のミサイルを、日本海に浮かぶイージス艦と、陸上のPAC3ミサ イルで迎撃することになるが、数が足りない。イージス艦とPAC3の射 程範囲内に飛んできたミサイルを迎撃しても、半分以上は撃ち洩らそう。

自衛隊はPAC3を17セットしか、持っていない。1セットが防衛省の構 内に据えられているが、局地防衛用のもので、東京都全域を守ることはで きない。千歳から那覇まで配備されているが、たった17セットでは、とう てい日本全国の盾とはなれない。

防衛予算を大胆に増やして、アメリカからすでにグアム島などに配備され ている、PAC3より高性能のイージス・システムを、急いで導入するべ きだ。

いくら女性が厚化粧をしても、ミサイルから身を守ることはできない。地 上配備型イージス・システムのほうが、頻尿症に効くというノコギリヤシ より、夜、安らかに眠れる。パチンコ屋へ行く回数を減らせば、行きつけ の店が被弾しないで済む。

憲法を改正して、憲法に自衛隊を書き込む時間的余裕はない。だったら、 首相から天皇陛下に奏上して、自衛隊をお励まし賜りたい。

自衛隊創設以来、天皇陛下が自衛隊を賜閲されたことも、自衛隊の駐屯 地、基地に御幸されたことも、1度もない。

有事に当たって、生命を犠牲とする青年たちに、国民を代表して、名誉を お与えいただきたい。自衛隊全員が感激して奮い立つだろう

<引用終り>


加瀬英明氏独特の飄々とした書き方だが、言いたいことは良く分かる。カネの配分を思い切って見直して、防衛費を拡充すべき、そして天皇陛下に自衛隊を賜閲いただき、日本の全国民にとって自衛隊が必要不可欠のものであることを世界に公言すべき、こう言っているのだと思う。



もう一つ、青山繁晴さんが8月にハワイに行ってアメリカ軍関係者といろいろ話をしてきた。その内容がDHCテレビで報道されている。
全文は長いので文字起こしを一部紹介したい。
ぼやくくっくりさんの文字起こし
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid2096.html

フェトン米太平洋軍副司令官に会って話した内容
 フェトン副司令官はハリス司令官に次ぐナンバー2。今回ハリスさんとは会わなかった。
・・・中略・・・ 
 中身は言えないが、僕の方は基本的に5月と同じ2つの話をした。
 1つは拉致被害者の救出を、米軍の作戦をする時に必ず考慮して下さい。
 それは米軍に拉致被害者を助けてくれって意味じゃなく、我々は自衛隊も警察も消防官もお医者も看護師さんも保健師さんも拉致被害者救出のために何とかしたいと思ってる、僕は国会議員としても総理に働きかけている、その上で米軍も考慮に入れてくれという話が1つ。
 それから、もしもアメリカが北朝鮮に妥協をして、一部の核兵器、ミサイルだったら認めると、僕はイランに対しては実際そうだったと思ってるから、それと同じことをやったら、日本は核武装しますよと。
・・・以下略・・・
<引用終り>




一寸関連だが、西村眞悟さんがこんな事を言っている
「憲法九条がミサイルと拉致を我が国に呼び込んでいる」
http://www.n-shingo.com/jiji/?page=1357


そして全く同じことをninja300さんも言っている
「戦争の招き猫」が憲法9条
http://ninjafighter.blog.fc2.com/blog-entry-2236.html

今危機は目の前にある。この夏はそんなことを思い知る夏となった。
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2017-08-31 10:07

元気のないニコン

 前回「ニコンの物作りの原点」を書いたのだが、そこへ色々コメントをいただいた。
とにかく今のニコンは元気が無い。そんなコメントを紹介しながら、同じカメラメーカーでも元気のよい富士フィルムの言っていることを見てみた。
変化の激しい時代を生き抜くという事がどういうことなのか、そんなことの参考になればと思います。

一寸自己紹介 私も永年のニコン党でこれは最初に買ったニコンF、もう半世紀も前のもの。
まだちゃんと使えるのですが、もう出番は無くなりました。
2017-8-30ニコンF 


最初に前回のエントリーにいただいたコメントの紹介。
これは丸山光三さんから、丸山光三さんはニコンの企業姿勢・体質を問題にしています。

<以下引用>
ニコンにかぶさる暗雲
いわゆる「フルサイズ」これは英語圏ではFullframeと呼ばれるLeica版35㎜フィルムと同じ面積のイメージセンサーをもつデジタルカメラですが、これの普及版として2012年のPhotokinaで発表されたD600、この欠陥が今のNikonの不振に大きく影響していると思います。ユーザーのとくにニコンユーザーのD600への期待は大きかったのです。また同時期に発表されたキャノンの競合機EOS6Dよりスペック的にはあらゆる面で勝っていたものの、D600はシャッターユニットの不備によるものと思われるセンサーの汚れが酷く、またニコン側は当初これをデジタルカメラには不可避なものとして真面目に対応せず、多くのユーザーの怒りをかいました。そしてニコンユーザーが激減していったのです。欧米人は日本人と違いニコン神話への思い入れはなくドライかつドラステイックに反応しただけでした。そしてニコンへの不信だけが残ったのです。

結局、ニコンはD600の欠陥を認めることなく早急に後継機D610を一年後に発表しました。事実はD600のシャッターユニットを交換しただけだったのですが、ニコンはD600ユーザーに対してD610への無償交換を提供したのですから事実上ニコンの敗北です。この問題ではもっと早くにD600シャッターユニットの欠陥を誠実に認めていれば傷はそれほど深くならなかったことでしょう。面子にこだわり実利を無くしたのでした。

それにしても不可解なのはこの問題について日本国内ではほとんど騒がれることがなかったことです。「価格コム」などでの討論はありましたが、使用開始直後によくあるトラブルでその後解消する、という訳知り顔のコメントが多く、ニコン側でも深刻に受け止めていないようでした。あるいはあれらのコメントはニコン関係者によるものだったのでしょうか?

私自身もD600を購入しようとしていたのですが欧米での欠陥騒動で躊躇してD610導入まで待ちそしてそれを買いました。結果としてはD610は非常によくできた「フルサイズ」一眼で3年ほど使用しましたが、マニュアルでのピント合わせが光学ファインダーで確認できないこと小型軽量がセールポイントであるにも関わらず老体にはやはり絶対的には重いことなどから手放しました。

一眼レフカメラを先鞭を切ったのはペンタクスでしたが、しかしこれをこれまで牽引してきたのはニコンとキャノンでした。そしてこの2社だけで市場の9割を寡占しています。

一方、いわゆるミラーレス一眼の発展は目覚ましく当初は相手にしていなかった欧米のユーザーもどんどんミラーレスへと乗り換えているようです。とくにニコンからフジフィルムへのお引越しが目立つようです。かくいうわたしめもD610を捨ててフジフィルムXシリーズを使用しています。ニコンはこのような潮流を知ってか知らずか、知ってはいても一眼レフを育て発展させてきたメーカーの誇りからか、Nikon 1シリーズによる言い訳がましい、よく言ってもせいぜいお茶を濁した程度の関わりでうかうかと大切な時間を浪費してきたわけです。

またソニーRX100とその各社追随機による一時期市場をにぎわせた1インチセンサー搭載のコンデジですが、これにおいてもニコンは真面目な検討を怠り、遅ればせにDLシリーズを発表しながら発売延期のアナウンスを繰り返し結局はそれを発売に至ることができず開発中止を発表するという情けない始末でした。

何事かは知らずとも企業としてあってはならない深刻な問題がニコンにあることがここ数年の出来事でうかがい知れます。今年創業100周年を迎えたというのに特別なそれを記念する新型機を出すこともなく終わろうとしています。ミラーレスの開発はしている、とのコメントだけではもう間に合わないという自覚もないようです。数年後には一眼レフの市場はもっと縮小し、一眼市場はミラーレスが大勢を占めソニーやフジフィルムが市場の牽引車として大きく浮上してくる予感がします。その時、ニコンはプロ御用達専門の一眼レフメーカーとしてニッチな市場で小さく生き残りをはかるという凋落した姿を見せるのかも知れません。
2017-08-29    丸山光三 
<引用終り>


丸山光三さんはたいそう御怒りですが分かります。最近のニコンの迷走・凋落ぶりは悲しいですね。そしてこの問題はとても根の深い何かが潜んでいると思います。
こんな時、やはり既存の体制を破壊する一種革命的なものが必要、ニコンの発言からはそんな革命的なものは見えてきません。社内に自浄能力が無ければダメですね。

そんな意味で私は本文で紹介したダンカン氏の発言を取り上げたつもりです。このダンカン氏の言っている従軍カメラマンのカメラのメンテの件は、今までいろいろニコン神話についてみてきましたが初めてみた話でした。だからニコンの中の心ある人たちが現状を変えたいがために、ダンカン氏の発言をあえて取り上げたのではないかと感じています。

次のコメント紹介。
これはninja300さんのコメント ninja300さんはデジカメよりスマホのほうが便利と言っています。
<以下引用>

ニコンはデジカメになってから3個目を使っています。 
ところが、3個目はまだ綺麗で作動するのですが、よく指摘されるようにスマホのカメラを使うようになってから使わなくなりました。 
スマホのカメラはWEBに通じていてフェイスブックでもブログでもGoogleDocにでも保存可能なので便利なのです。デジカメだとワンクッション(PCにファイル移動)置いてから、手動でファイル指定しないとフェイスブックやGoogleに移動できないのが不便です。いつもコネクター探しで時間がかかった。コネクターがいっぱいあったんで。 
よく言われるように、ネットへの接続性を改善していただきたいです。 
今後はデジカメのスマホ化がどうしても必須でしょう。「デジカメ部分強化のスマホ」という位置づけで、旅行時に持っていくので頑丈で、GPS機能必須。コンパス機能、湿度計、温度計、高度計もあって頑丈で防水なら売れると思う。スマホの頑丈版でスマホ以外の機能を持った機械、GPS強化版、カメラ高性能版というポジションなら欲しい。 
ニコンにはブログ記事のような伝説があるんだと知ってためになりました。だから、ニコンには現状を打開してほしい。スタートレックに出てくるトリコーダーのようなのがいい。 
https://en.wikipedia.org/wiki/Tricorder 
しかし、アップルも同じことを考えているでしょう。
2017-08-28   NINJA300 
<引用終り>

ニコンは私も永年ニコン一筋、そんな目で見ても今のニコンはダメですね。モノづくりの基本がわかっていない。モノづくりの基本とは「お客さんの喜ぶもの、欲しがるもの、世間のためになるもの」を作ることです。
これが有るから利益がキチンとついてくると思っています。
近江商人の商売のコツは「三方よし」と言って、【買い手よし、売り手よし、世間よし】です。このポリシーを受け継いだのが松下幸之助でした。
この「三方よし」で「世間よし」を忘れた典型的な事例がVW排ガス不正問題でした。ユーザーにはパワフルで燃費の良い素晴らしいエンジン。売り手のメーカーには儲かる良い車でした。そして「世間」つまり大都市の環境は最悪。ロンドンもパリ・ベルリンも排ガスのスモッグだらけ、煤だらけの真っ黒な街にしてしまいました。

いくらお客さんが欲しがっても、喜んでも、儲かっても、麻薬では作って良い訳がありません。そういう事です。
今回ニコンがあえてこんな動画をリリースした狙いもそんなところにあるのかも知れません。ニコンはモノづくりの原点に帰って、一からやり直してほしいですね。技術力はあるのですからやる気になればできる。そう思います。



ここでちょっと話題を変えて、丸山光三さんが富士フィルムのカメラを使っているというその富士フィルムの話題。
富士フィルムは今は元気ですが数年前までは地獄の底を這いまわっていました。何せ企業の主力製品である写真フィルムの需要が無くなってしまったんですから。

これは2年前の富士フィルムの説明資料から
https://www.fujifilmholdings.com/ja/investors/pdf/other/ff_presentation_20150520_001j.pdf

写真フィルムの需要の変化
2017-8-30富士フィルム1 

これだけ急激に売り上げが減少したら、ふつうは企業は潰れます。現に世界最大手のコダックは2012年に倒産しました。(2013年に大幅に規模人員を縮小し再生しましたが)


そして更なる急激な変化がやってきます。
カメラはフィルム⇒デジタル⇒スマホと変化し、さらに写真全体が変わりました。

これはスマホの普及状況と写真を撮る「ショット数の変化」
2017-8-30富士フィルム2 

なんと写真撮影自体は写真フィルム時代の20倍にまで増えている。そんな時代に変わってしまった。

そのスマホでは写真をプリントする人も減ってしまった。
2017-8-30富士フィルム3 


写真はスマホで撮ってクラウドで保存するもの。こんな激動の時代になった。
これは上掲資料に出ていた数字だが、昔は何処にでもあった町の写真屋さん、この国内の軒数はピークで3万4千軒、それが2013年には9千軒になってしまった。三分の一以下ですね。そういえばわが町でも写真屋さんはめっきり少なくなりました。
こんな事は他でも起こっています。本屋さんは99年の2万2千軒が17年には1万2千軒ガソリンスタンドは89年の3万2千軒が16年には1万6千軒と半減、静かな変化なので気が付きにくいですが、今は激動の時代なのです。


さてこんな環境の中で富士フィルムはどうやって生き残ったか。

ここに面白い話がある。GEのイメルトCEO(2017年8月退任)が2015年に来日し講演やらシンポジュームを行った。そのシンポジュームに空前の危機から脱出した富士フィルムのトップも参加している。そして興味深いことを言っている。地獄の釜の蓋をこじ開けて飛び出した富士フィルム、どんなことを言っているか。


<以下GEレポートから>
名経営者たちが語る、製造業の未来とこれからの指針
2015/07/21
https://gereports.jp/inventing-the-next-industrial-era/
GE REPORTS JAPAN今号では、
GEジャパンが7月9日(2015年)に開催したフォーラム「Inventing the Next Industrial Era with Japan」より、
“日本と創造する未来の産業 “と題したパネルディスカッションの模様をお届けします 。
(引用者注:こんな事をする背景には、GE自身が自社のビジネスを物作りと金融の2本立てから金融をカット、物作りだけに切り替えは経験があるから)

製造業に押し寄せる、大変革の波
パネリストとして登壇したのは、IHI代表取締役社長 斎藤保氏、コマツ社長(兼)CEO 大橋徹二氏、富士フイルムホールディングス代表取締役会長・CEO 古森重隆氏の三氏とGE会長兼CEO ジェフ・イメルト。一橋大学の米倉誠一郎教授の進行のもと、さまざまな角度から意見が交わされ 「これからの製造業の指針」ともいうべき下の企業姿勢が、パネリストの支持を集めました。

これからの製造業の指針:パネルディスカッションから】

・ 自らを破壊するほどの覚悟で変革しなくては、生き残ることはできない。

・ ビッグデータは、顧客自身さえ気づいていないニーズを掘り起こし、顧客のビジネスを革新することができる。

・ 顧客起点で考え、ビジネスプロセスを遡って変革することが必要。すべては顧客の利益のためである。

・ 時間をかけて100%を目指すよりも、いち早く上市し修正を重ねる方が、結果的に顧客の利益にかなう

・ 自前主義に陥らずオープン・イノベーションで社外の力を活用し、スピードを追求することが必要。

指針-1:自らを破壊するほどの覚悟で変革しなくては、生き残ることはできない。
 パネリスト全員が頷いた、今まさに製造業の大変革が巻き起こっている事実。しかし、企業の変革は簡単なことではありません。ましてそれが、成功体験を誇るコア事業であればなおのこと。売上の7割を占めていた銀塩フイルム市場がわずか4、5年のうちに消滅してしまう、という荒波を乗り越えた経験を持つ富士フイルムは、そのとき経営資源を徹底して棚卸し、その実力を客観的に見極め、既存市場/隣接市場における可能性を一から検証したといいます。「銀を使うケミカルプロセスと製薬のプロセスは、化学によって機能を再現するという点で、近いところにありました。化粧品もそうです。こうして医薬品と化粧品という新しい事業領域に取り組むことを決めました」(富士フイルム 古森氏)。

 「成功した要因は、市場選択が正しかったこと。それに社員の力、そして技術・財務力・チャレンジする精神など、会社にアセットがあったことです」(同氏)。

<引用ここまで>


こんなのを見ると丸山光三さんがニコンに対する不信・不満として指摘していることの解決策が見えてくると思う。ニコンさん、考えてくださいね!。

そしてこんな事は色んな所で起こっている。しかし日本の腐敗官僚や嘘吐きマスゴミには分からないようだ。
騙されないようにしなければならない・・・。

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2017-08-28 17:33

ニコンの物作りの原点

 カメラのニコンが今年7月に創業100年を祝った。カメラのニコンが世界で認められる切っ掛けは朝鮮戦争で当時のアメリカ写真誌ライフのカメラマンに認められたことが出発点だが、そのカメラマン、デイヴィッド・ダグラス・ダンカン氏が、ニコン(ニッコール)との出会いを語ったインタビュー動画がある。ダンカン氏とニコン(ニッコール)の出会いは日本の光学産業の歴史を変え、日本の“ものづくり”が世界的に認められる大きなきっかけともなったもの。

この話はニコン神話として、まだソニーもホンダも産声を上げたばかりに時代に日本製は素晴らしい、こんな事を世界に知らしめたと言う意味で戦後日本の発展の原点の一つだ。

このニコン神話、まあ神話と言うだけあって色んなバージョンがあるが、概略こんな点。
1.ニコンレンズは大変シャープで、報道写真用の大判4X5カメラと匹敵する写真が撮れる。
2.他のカメラが故障して動かなくなる極寒の環境でも支障なく使える
3.大変堅牢で戦場などでの酷使でも使用可能
この3点が中心だと思う。

このニコン神話については特に2の寒冷地で動作可能と言う面について、2013年1月25日にエントリーしています。
1月25日に起こった事

今回ダンカン氏は主に1について語っています。ではそのダンカン氏のインタビュー。

デイヴィッド・ダグラス・ダンカンとの出会い : インタビュー動画 



そのダンカン氏が撮った写真が掲載されたライフ誌

2017-8-28ライフ1950年9月4日号 

このダンカン氏の詳しい経緯などは2000年に来日した際、詳しく語っているのでそれも本文末尾に掲載しましたが、一寸この当時の写真事情を理解しないと分からないのでそこから。

 この当時の報道写真がどんな事情かと言うと、カメラは主にこんなもの
スピグラ(スピード・グラフィック)4X5版のカメラ
2017-8-27スピグラ 

そしてこれはダンカンと一緒に仕事をしていたカール・マイダンスの朝鮮戦争での写真。
日付けを見ると1950年10月1日、この日は仁川上陸作戦(9月15日)成功後、38度線を越えて北へ反撃するころ(10月1日)のもの。撮影場所は38度線周辺と推測。

2017-8-27カール・マイダンス@朝鮮戦争 

この頃の報道カメラマンの常識はこのような大きなカメラが当たり前でした。
カメラマンが大きな4X5版のカメラ(スピグラ)を持っているのが分かります。この写真で後列右側がダンカンと同じライフのカメラマン、カール・マイダンスです。この写真を撮った約2か月後、北朝鮮北部、鴨緑江辺りまで行くのですが、そこで極寒の中でカメラが次々に故障。マイダンスの持っていたニコンだけだ使用可能でしたが、これはちょっと紹介のみで先を急ぎます。

一寸もう一つ余談ながら、この当時の報道写真用4x5版がどんなものか
上が一般的な35ミリフィルム、フィルムの幅が35ミリ、画面サイズは24ミリX36ミリ
下が報道写真家愛用の4x5版、画面サイズは4インチ(=約100ミリ)X5インチ(約125ミリ)
2017-8-27フィルムのサイズ比較 

これだけサイズが違うのに画質が遜色ない、ライフ社で大騒ぎした訳です。今はデジタル時代ですから、もっと凄いのですが何せ今から67年前のことです。


一寸わき道にそれました。これからが肝心な事。
最初に紹介した動画でダンカン氏が興味深いことを言っている。動画の4分9秒あたりから・・(以下該当部分文字起こし)

プロ写真家へのニコンの対応、以下ダンカン氏談。

そうだ 大事な話が合った

私たち(報道写真家)の多くは、東京の「プレスクラブセンター」に滞在していた。

韓国から東京に戻ってからのことだよ。

2,3日間、シャワーを浴びたり、キチンと食事をとっていたりして、休息を取っていた。

そこへ毎晩、トラックがやって来るんだ。ニコンの工場からね。

どんなカメラでも持って行ってくれる。

ローライフレックスだろうと、ライカだろうと、スピードグラフィックだろうと、

ツァイスだろうと、分け隔てなく。

誰のカメラであろうと、工場に持ち帰り、一晩かけてクリーニングしてくれる。

そして翌朝には、プレスクラブに戻してくれるんだ。無償でね。

まったくもって無償だ。ニコンを宣伝したいとかではなく、純粋な友情だ。
<引用終り>

この話を見て私は納得した。単に日本でたまたま見つけたレンズが素晴らしかったからと言って、そう簡単にアメリカのプレス写真家が一斉にニコンを使い始めるだろうか。そんな疑問を以前から持っていた。しかしこんなメンテナンスサービスをしてくれれば見方は変わる。
そんな事でこの当時の在日アメリカ人カメラマンがニコンを一斉に使い始めたのだと思う。

所でこの話を見て、私はもう一つ大事なことに気づかされた。
これはメンテナンスした日本光学の技術陣から見た場合。
アメリカ人カメラマンの持っていたカメラはローライ、ライカ、スピグラ、ツアイスイコンなど色んなメーカーのモノだった。これをメンテナンスしていくことで、各カメラの良い点、悪い点などがしっかり見えてきたのではないだろうか。
ローライは二眼レフ、スピグラは4x5の大型カメラ、ライカ・ツアイスイコンは35ミリカメラながらレンズマウントはスクリュー(ライカ)とバヨネット(ツアイスイコン)、そしてシャッターも千差万別。次のカメラを考える上でまたとない研究材料になったと思う。

朝鮮戦争が1950年~1953年、そしてこの6年後の1959年には名機ニコンFが発売されている。このニコンF開発には従軍カメラマンのカメラメンテナンスの経験が大きく生きていたとみて間違いないと思う。
そう考えるとニコンFにはクイックリターンミラーとか自動絞りとか、当時の最先端技術が一杯入っている。そんな事を思い出して、一人納得している短足がここにおります(笑)


物作りでは顧客第一と言いながら、実際には技術屋の独りよがりのモノが出来たり、コストと品質のバランスを欠いたものが出来たりする。
過酷な現場で使い倒したモノをメンテナンスすることで、今何が必要なのか、そんな事がニコンの技術陣の中にしっかり刻み込まれたのではないだろうか。

今ニコンは創業100年目にして、大赤字に苦しんでいる。単純に言えば時代の流れと製品開発の方向が合ってなかった。写真はスマホでとるもの、こんな時代に対応できなかったという事である。
物作りの原点に立ち返って考える、そんないい事例がこのダンカン氏の言葉の中にもあるのではないだろうか。



最後に屋上屋を重ねる話だが、ダンカン氏が2000年に来日した際、この時の事情を語っているので、ニコン神話の参考用に引用しておきます。

<以下引用>

ニコン神話についてはいろいろのひとが語っており、いくつかの伝説が入り組み分かりにくいところが多い。「ニコンS3 2000年記念モデル」が復刻された際にダンカン氏が日本を訪れ、神話について真実を語った。当時、ダンカン氏は84歳であったが、ヨーロッパでの仕事の途中で東京に立ち寄ったという。わずかな時間で多くを語った。

ダンカンは初めて日本に来た。1945 年8月28日、ミズリー号に乗り、海兵隊のカメラマンとして初来日した。ミズリー号が到着した横須賀から鉄道で東京駅に着いた。爆撃で列車の窓ガラスも破れ、帝国ホテルも半分は倒壊し、銀座でも瓦礫の下で人々が住んでいる状況であったという。2〜3日、ぶらぶら歩いたが日本人の刺すような視線を感じたらしい。コルト45を腰につけた昨日の敵に向けられる視線は相当なものであったろう。さすがのダンカンもカメラを向けれなかったといっている。

ニコンとの出会いは、1950年、タイム・ライフ社の一階の廊下で三木淳氏が「ハーイ、デヴィットさん」と呼びかけてパシャッとシャッターを切ったらしい。これまでは何のこともない出来事であった。
翌日、三木氏はその写真を六つ切りぐらいに引き延ばして持ってきた。それをみたダンカンの顔色が変わった。「何だ!このシャープな絵は?昨日のカメラか?ニコン?ニッコール?」矢継ぎ早の問いかけであった。もういても立ってもおられず、「おい、淳。すぐに行こう!ニコンへ」。ただちにジープに乗って日本光学へ走った。三木の他に、フォーチュン誌のホーレス ブリストル氏も同行した。それからは、まるで何かに取り付かれたように2週間も毎日通い続けたという。50mm、85mm、135mmのレンズがあったらしい。ニコンのマウントではなく、スクリューマウント(キャノンのカメラ用に供給)のものであろう。
ニコンで3人を出迎えたのは当時の社長の長岡正男氏であった。社長はレンズを磨いている最中で、作業服のままで現れ、腰の手ぬぐいで手を拭き、握手をした。その自然な姿をダンカン氏はいたく気に入ったらしい。

6月24日に友人のハル松方さん(後のライシャワー駐日大使夫人)に誘われ、三崎の別荘に誘われて渡辺という名の漁師が持ち込んだ大きなエビを口に詰め込んだところで、異変が起こった。北朝鮮が韓国を攻撃したとのラジオニュースが入ったのである。ダンカンは直ちに東京に向かった。第一ホテルにはマッカーサーがいる。このままでは済まないであろうとの判断に基づいて。

次の月曜日、空軍の飛行機に乗り、韓国の金浦空港に向かった。そこは既に北朝鮮に占拠されていて着陸できなかった。翌日、再度の出航、金浦空港より南の空港に着陸した。持参したのは、ライカIIIfとIIIgに取り付けたニッコールレンズ 50mm f1.4(f1.5)と135mm f3.5であった。初めて戦争に行ったニコンとはこの二本のニッッコールであった。それから5日間、「ライフ」のための写真が撮影された。ミグやヤーク戦闘機が襲いくる最前線の映像が10本のフィルムに収められた。その間、韓国軍の李将軍が(後の李承晩大統領)ハイパーカブから降り立った。そこは豆畑であったが、続いてDCー4が着陸しマッカーサー司令官が到着した。世紀の瞬間、豆畑中のマッカーサーと李将軍の会議が始まった。この5日間、ニッコール50mm f:1.5がすべてのシーンを切り取った。これが真実のニコン伝説である。

東京に到着したダンカンは、カール マイダンス(有名な写真家)と二人でマッカーサーに掛け合った。このフィルムを一日も早くニューヨークに持ち帰り、届けてほしいと。マッカーサーは専用機に乗って良いので自分で届けよと、答えたという。事実、彼らが羽田空港に着くと、パンアメリカンのダグラスDC-6がマッカーサーの命令で待機していた。そしてニッコールが撮影した映像はニューヨークに届き、ライフやザ ニューヨーク タイムズで騒ぎが起こっていた。当時の報道カメラ スピードグラフィック(4x5)のクオリティに匹敵する画質であった。かくして、ニコンが報道カメラとしてスピードブラフィックに取って代わった。東京オリンピックはニコンの砲列が席巻したのである。

ニッコールに心底惚れ込んだダンカンは、当時の社長永岡正男氏や更田正彦さんと意気投合していたという。二人は、毎日午後になるとプレスクラブに現れ、スピグラ、コンタックスなどのカメラを無償で掃除してくれた。おそらくライカもキャノンもあったかもしれない。ニコンでなくてもカメラが好きだったらしい。これにはダンカンも大感激であったと言っている。これこそニコン精神であったのであろう。「更田さんとは最初の出会いで意気投合した。戦争中何してた?と聞いたら、とても忙しかったと答えた。じゃあ、俺も一緒だ!と大笑いした」とダンカンは話し、不二家でアイスクリームをよく食べていた話を楽しそうに語ったという。ニコン神話には、このようなエピソードが加わった。信頼関係が如何に大切か、信頼関係とは・・・・。こういうことを感じさせる、良き時代の伝説である。
<引用終り>

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