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2014-07-22 23:06

タイ米は美味しい

 もう20年も前の話だが1993年の事。日本は空前の大凶作に見舞われた。
その時のコメの作況指数は全国平均で74、つまり平年の4分の3しか収穫できなかった。
その為タイからコメを緊急輸入したのだが、そのコメたるや実に不味い。とても食べられたもので無かった。
しかしこの時の不味いコメの記憶は強烈で、今なお多くの人がタイ米は不味い、そう思っている。

笑韓流家元ご隠居さんの最近のエントリーでも韓国のコメの話がとり上げられたのだが、そこでもあの不味かったタイ米について多くの方がコメントされている。
以下参照ください。
http://ameblo.jp/nobody0728/entry-11897180179.html

しかし私はタイで仕事をしていて偶々その間の事情を知ることが出来た。
実はタイ米は不味くない。本当はとても美味しいのだ。
しかしあの時のタイ米は確かに不味かった、理由は豚のエサ並のコメで良いからと言って日本が輸入したものだった。
こんな日本人を騙した事情がある。
タイ米の名誉回復の為、その間の事情を書いてみたいと思う。
美味しいタイ米に対する誤解が解けることを切に願っている。

最初にタイ米とは本当はこんなモノ。
2014-7-22タイのおかずのせご飯(カイケーン)
タイのおかずのせご飯(カイ・ケーン)
タイのコメは日本のジャポニカ米と違い、インディカ米という粘りの無いパサパサのコメ。
だからスプーンで食べる。(日本のカレーライスと同じです)
そして食べてみるととても美味しいです。
但し日本人の方でこれを箸で食べようとして上手く食べられないから駄目だと言う方が見えますが、これはスプーンで食べるものと理解してください。
尚こんなコメの食べ方などについては、「タイ米は美味しい」の続編で紹介したいと思います、少々お待ちを。

さてでは1993年のコメの大凶作とコメ騒動・タイ米騒動についてです。

最初にこの大凶作がどんなものだったのか。
平成の大凶作=1993年コメ騒動
http://ja.wikipedia.org/wiki/1993%E5%B9%B4%E7%B1%B3%E9%A8%92%E5%8B%95

1993年(平成5年)、日本は記録的な冷夏となった。
全国平均で作況指数74、つまりいつもの年の四分の三しかコメがとれなかった。
当時の日本全国のコメの必要量は約1100万㌧、最終的に250万㌧のコメを主にタイから輸入した。

しかしそのタイ米たるや極めて不味い、とても食べられたものではなかった。

その大凶作と当時政権交代で首相の座に就いた細川の殿様が何の関係が有るか。ちょっと私のタイでの経験から聞いてください。

大凶作でタイ米はまずい、これは日本人ならだれでも強い印象を持っている。
私はその後タイで仕事をするようになったが、まずいと思ったタイ米は実に美味しい。
田舎のタイ人だけしか行かない辺鄙なところで食べても実に美味しい。
あの不味いタイ米は何だったのだろうか、こんな疑問を持っていた。
タイに行って2年ほどたった99年の終わりころ、タイ国王肝いりの精米プロジェクトと言うものが始まった。
タイの田舎の貧しい農民救済の為、国王肝いりの精米所を作り、中間マージンなしで農民の造ったコメを販売。
農民に少しでも収入を増やせるようにとの事だった。
当然それに協力する事にし、会社の食堂のコメをそれに切り替えた。
その時タイ政府のコメの担当のお役人さんと話をする機会が有った訳です。
仕事の話のあとでこんな質問。

私「数年前日本が大凶作の時タイ米を輸入したが非常にまずかった。しかし今どこで食べてもタイ米は美味しい。どうしてか?」

お役人さん「あの時は突然大量のコメを緊急輸入したいとの話だった。その量は200万㌧(最終的には250万トン輸入した)。しかし当時の全世界でのコメの貿易量は1100万㌧位、幾らタイと言えどもそんな量のコメなど準備出来る訳が無い。しかし古古米でもクズ米でも何でもいいと言うので家畜用にしかならない古古米、古古古米を出荷した。まあ豚のエサなので不味いのは当たり前
こんな話だった。

タイで聞いた話は此処までです。
しかし全世界の流通量の2割を緊急輸入する、実務に明るい人ならそれがどんなムチャクチャか、どんなトンデモナイ相場の上昇を招くのか分かると思います。

例えば日本に人口1億2千万人としてその四分の一に相当する食糧が足りない、つまり3千万人分の食糧が足りないという事は当時のマレーシアの全国民、タイの人口の半分に相当する人の食糧が無い事を意味します。
如何にトンデモナイ事態か分かると思います。

そしてこれからが細川の殿様の罪。
細川の殿様が首相になったのが93年8月のはじめ、そして8月の終わりころこの異常事態がハッキリしました。
不慣れな部分が有ったとは思います。
しかし殿様はこんな豚のエサ並のコメを普通のコメと言って知らん顔をして国民に食べさせようとしました。
またマスゴミもこんな異常事態、気が付く人がいたと思うのですが全くスルー。
結果としてタイ米は沢山捨てられてしまいました。

あの当時はコメがスーパーの売り場から消え、国民はパニックになりました。
売り惜しみや買占め、時には値段が3倍位になった所もあったようです。
家庭の奥さん・お母さんの心配は大変なものでした。
政府は、殿様は陣頭指揮で事実を国民に知らしめるべきだったのです。

そして折角協力してくれたタイなのですが、タイ米はまずい、そんな評判を残し、タイの人の好意を無にしました。
更にタイのクズ米で良いから安いコメが欲しいと言って買っていたアフリカなどの貧しい国、この国は日本が買い占めたので安いコメが買えず苦労しました。


この当時の政権が如何だったのか。今あらためて見てみると愕然とします。

1993年7月18日の総選挙で自民党は単独過半数が取れませんでした。
新党ブームで羽田派の新生党、武村グループの新党さきがけ、細川のバカ殿率いる日本新党、この3党で100議席余りをとりました。
結局紆余曲折の末、非自民の勢力の大連合で細川内閣が誕生しました。(1993年8月9日)
その時の内閣の布陣
内閣総理大臣・・・バカ殿・細川護煕
内閣官房長官・・・あの滋賀県選出・武村正義
官房副長官 ・・・ルーピー・鳩山由紀夫
・・・ここまで書いたら頭がくらくらしてきたので以下省略・・・


そして1993年11月18日、タイからのコメ7千トンを積んだ最初の船が入港した。
このコメは当時の新聞でも「加工用」と明記されている、一般用には向かないモノだった。
ここに当時の新聞記事あり
http://www.mekong.ne.jp/database/society/thairice/19931118.htm

しかし加工用として輸入したはずの豚のエサ並のコメがその後一般のコメとして、しかも国内産米と混ぜて、或いは抱き合わせで無理やり販売されると言う異常事態が発生した。

これが平成のコメ騒動、そこでのタイ米の不評の原因だった。

豚のエサ並のコメをごく当たり前のコメをして国民に食べさせようとした。
その犯人は
・ バカ殿・細川護煕
・ あの滋賀県選出・武村正義官房長官
・ ルーピー・鳩山由紀夫官房副長官
とまあこんな風だったわけです。


最後にこの米騒動を教訓に日本はコメの備蓄を推進しました。
最初は200万トンを回転備蓄、しかしその後これを100万トンに減らしました。
そして民主党政権になって備蓄量は100万トンと言っていますが「棚上げ備蓄」方式に変えました。
毎年備蓄するのは20万㌧目標。今はもっと減っています。
実質食べられるコメの備蓄は20万㌧とか40万㌧だけ。
これをやったのは民主党の事業仕訳です。
まだまだミンスの悪事のツケが尾を引いています。

こんな事情で、美味しいタイ米が日本では大変不味い、そう思われているのはとても悲しい事です。
是非こんな事情を理解していただきたいと思います。


余談ですが実はこの1993年はもう一つトンデモナイ事が有ります。
細川内閣成立(8月9日)直前の8月4日、今も日本を苦しめる河野談話が発表されています。
当時河野洋平は官房長官でしたが、実は談話発表直前の7月30日に自民党総裁になっています。

話が散漫になりました。
次回タイのコメと日本のコメ、どのように食べるのかについて書いてみたいと思います。
  1. タイ
  2. TB(0)
  3. CM(18)

コメント

古い世代の日本人には配給の「外米」の記憶が残っているのです。当時のことだから保存方法がよくなかったんだと思います。虫もついてたし石ころが混じってたし、日本の米と同じ感覚で食べた人にはまずかったんでしょうねえ、当時は調味料もおかずもろくなも十分になかったですから。
前に指摘されておりましたように私も若い頃にチェンマイの田舎に居たことがあります。私に関してはお米の味は問題になりませんで、何を食べても旨かったです。カオパットもおかゆも竹筒飯も大好きだし、もち米のおこわを店先で見つけたときは2皿たいらげてその晩胸やけに苦しんだりしました。四十年ちかく前の記憶です。
タイ人の米の話では小説のなかにバンコクの下宿の大家が東北タイ出身の主人公に粘っこい米なんか食ってるからお前たちは馬鹿なんだっていうのがあって笑っちゃったです。そんなら我々日本人はもっと馬鹿かいなって。
  1. 2014-07-23 02:11
  2. URL
  3. 狐憑き #-
  4. 編集

http://ja.wikipedia.org/wiki/泡盛
酒の蒸留技術は14世紀後半から15世紀頃にシャム国(現在のタイ)から琉球に伝えられた。それとともにタイ米、貯蔵用の甕などがもたらされ、現地の気候と、黒麹菌の導入などの改良により新たな蒸留酒、つまり泡盛が誕生したと考えられている。

加工用の米なら泡盛にしちゃえば良かったのにとのんべえの私は思ってしまいました。捨ててしまうなんて確かにタイの人に失礼ですね。

  1. 2014-07-23 06:00
  2. URL
  3. taigen #-
  4. 編集

タイには何度か長期滞在したことがあります。(20年前)
申し訳ないけど、その当時のタイ米は匂いが強くかけ飯かチャーハン以外食べられなかった。現地在住日本人の説によると、精米後の保存の仕方が悪いので匂いがついてしまうとのことだった。
タイも他の東南アジアと同じくそのころから冷蔵庫が産業用だけでなく家庭用にも急速に普及し始め、新鮮なものを保存することが可能になった。その結果、屋台が減少したらしい。

今のタイ米ではジャスミンライスがいいみたいですね。5年くらい前アメリカのスーパーで見たときには、国宝ローズ(最高級加州米)より高価だった。



  1. 2014-07-23 09:14
  2. URL
  3. Rascal #-
  4. 編集

蛇足

こんにちは。

izaの頃にもコメントしたかと思いますが・・・

あの当時に緊急輸入した「タイ米」は、その翌年の秋から「国内飼料」に化けました。しかも、そのタイ米だけは、カラスやすずめも見向きもしなかった、と言う状態でした。で、不確かな記憶に成りますが、それでも余った「緊急輸入のタイ米」は、北朝鮮への「支援米」としても送られたと・・・記憶しているんですが・・・

で、米の保存は、精米しないで玄米のママ、または脱穀しない、玄米や精米を夏場に長持ちさせるのは、冷蔵庫に入れておくのが良いです。

もう一つ、政府備蓄米、所謂「政府米」ですけど、あの冷害を契機に崩れて行く事となります。ご存知でしょうけど、戦後の食糧難の時代と農家の所得安定の為に、一定量の米を政府が買い上げる事となっていました。それがあの冷害で崩れて行き、限定的とはいえ「米の自由化」「米輸入」が始まります。これが良かったのか悪かったのか、私は良く分かりませんけど、その為に「米価」がドンドン下がり、デフレと相俟って「米がスーパーの特売品」へと成って行きます。この様な経緯を知らない、または事情を知らないか、忘れた、無かった事にしたい方々が、農協改革だ、農業改革だ、と検討外れのことを今また喚いているのです。

  1. 2014-07-23 10:51
  2. URL
  3. 裏の桜 #-
  4. 編集

To:狐憑き さん

> 古い世代の日本人には配給の「外米」の記憶が残っているのです。当時のことだから保存方法がよくなかったんだと思います。虫もついてたし石ころが混じってたし、日本の米と同じ感覚で食べた人にはまずかったんでしょうねえ、当時は調味料もおかずもろくなも十分になかったですから。
> 前に指摘されておりましたように私も若い頃にチェンマイの田舎に居たことがあります。私に関してはお米の味は問題になりませんで、何を食べても旨かったです。カオパットもおかゆも竹筒飯も大好きだし、もち米のおこわを店先で見つけたときは2皿たいらげてその晩胸やけに苦しんだりしました。四十年ちかく前の記憶です。
> タイ人の米の話では小説のなかにバンコクの下宿の大家が東北タイ出身の主人公に粘っこい米なんか食ってるからお前たちは馬鹿なんだっていうのがあって笑っちゃったです。そんなら我々日本人はもっと馬鹿かいなって。


私よりはるかにタイに関しては大先輩でしたか。
タイで暮らした人は皆さんタイは何時まで経っても大好きですね。食べ物がおいしいのがその最大の理由かも。
チェンマイあたりは特に田舎はカオニィオ(モチ米)が主食ですが、これは美味しいです。
でもタイ中部の人は確かにモチ米は良くないと言いますね。私も何度か聞いています。
多分理由はカオニィオはそれだけでおいしいので、おかずなしで食べたりするので良くないと言っているのかなあ、漠然とですがそんな事を考えています。
  1. 2014-07-23 17:49
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
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To:taigenさん

> http://ja.wikipedia.org/wiki/泡盛
> 酒の蒸留技術は14世紀後半から15世紀頃にシャム国(現在のタイ)から琉球に伝えられた。それとともにタイ米、貯蔵用の甕などがもたらされ、現地の気候と、黒麹菌の導入などの改良により新たな蒸留酒、つまり泡盛が誕生したと考えられている。
>
> 加工用の米なら泡盛にしちゃえば良かったのにとのんべえの私は思ってしまいました。捨ててしまうなんて確かにタイの人に失礼ですね。


その当時の琉球は中継貿易で大いに繁栄しましたので、そんな折に泡盛の醸造方法も伝わったんだと思います。
今でもタイの田舎ではその頃と全く同じ作り方で酒を造っているそうですが、残念ながら私は飲んだことが無い。これは酒飲みの私としては大いに心残りではあります。

これは私の推測ですが、日本はこの時物凄い高値でタイのクズ米を買ったんだと見ています。
恐らく買値は普通米以上では無かったか。
そして丁度其の頃政治家を目指して活動を始めたのがタクシンでした。
多分タクシンは「コメは儲かる、特に日本はカモだ」と思ったらしい。
その後にタクシンのコメに関する政策にはそれが露骨に出ています。
東日本大震災当時のタクシンの動きを見て私はそう確信しています。
  1. 2014-07-23 18:05
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
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To:Rascal さん

> タイには何度か長期滞在したことがあります。(20年前)
> 申し訳ないけど、その当時のタイ米は匂いが強くかけ飯かチャーハン以外食べられなかった。現地在住日本人の説によると、精米後の保存の仕方が悪いので匂いがついてしまうとのことだった。
> タイも他の東南アジアと同じくそのころから冷蔵庫が産業用だけでなく家庭用にも急速に普及し始め、新鮮なものを保存することが可能になった。その結果、屋台が減少したらしい。
>
> 今のタイ米ではジャスミンライスがいいみたいですね。5年くらい前アメリカのスーパーで見たときには、国宝ローズ(最高級加州米)より高価だった。


タイの人は匂いには結構敏感なのですが、コメの匂いは余り苦にしません。
多分他のおかずをのせて食べてしまうからなのでしょう。

ご指摘のジャスミンライス(カオ・ホム)は好きな人に畳まらない味なんでしょうね。
私も何度か食べてみましたが美味しいです。
  1. 2014-07-23 18:16
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

Re: 蛇足

> こんにちは。
>
> izaの頃にもコメントしたかと思いますが・・・
>
> あの当時に緊急輸入した「タイ米」は、その翌年の秋から「国内飼料」に化けました。しかも、そのタイ米だけは、カラスやすずめも見向きもしなかった、と言う状態でした。で、不確かな記憶に成りますが、それでも余った「緊急輸入のタイ米」は、北朝鮮への「支援米」としても送られたと・・・記憶しているんですが・・・
>
> で、米の保存は、精米しないで玄米のママ、または脱穀しない、玄米や精米を夏場に長持ちさせるのは、冷蔵庫に入れておくのが良いです。
>
> もう一つ、政府備蓄米、所謂「政府米」ですけど、あの冷害を契機に崩れて行く事となります。ご存知でしょうけど、戦後の食糧難の時代と農家の所得安定の為に、一定量の米を政府が買い上げる事となっていました。それがあの冷害で崩れて行き、限定的とはいえ「米の自由化」「米輸入」が始まります。これが良かったのか悪かったのか、私は良く分かりませんけど、その為に「米価」がドンドン下がり、デフレと相俟って「米がスーパーの特売品」へと成って行きます。この様な経緯を知らない、または事情を知らないか、忘れた、無かった事にしたい方々が、農協改革だ、農業改革だ、と検討外れのことを今また喚いているのです。


貴重な情報ありがとうございます。
スズメやカラスさえ見向きもしなかった、これは知りませんでした。
でもあの品質なら納得できます。
実は私がタイで聞いた話をもとに、何度かコメの話をエントリーしたのですが、あの米騒動は政治の出鱈目対策、それを無理やり官僚に押し付けた結果だったようです。
大震災での原発事故と全く構図は同じ。
実情も何にも知らない政治家が出鱈目な政策を押し通した結果の惨事だった、調べていくとそんな実態が見えてきます。
とは言うもののもう古い話なので、今となってはどうしようもないですね。

今年の稲作は今の所大丈夫そうなので安堵してますが、そろそろ寒冷化が始まるでしょう。
その手始めは異常気象多発なので、コメに関しては目が離せないですね。
  1. 2014-07-23 18:30
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
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あまり不味かった記憶がないのですが。

こんばんわ、いつも楽しく読ませて頂いてます。

甘味が強いんで、お惣菜との相性が違うって感じはありましたが、普通にお箸で頂きましたし、何で世間で不味い不味いと言われるのか少々不思議。
たぶん研ぎ方が違うんではないかと、少し米が割れる位に強く研ぐと、傷からデンプン質が出て粘りが出ます。この辺の加減は、毎回お米と相談ですね。

あの年の平成飢饉は正確には冷夏ではなく、開花時期に長雨が続いたことが原因で、事実お盆過ぎには天候が安定した西日本では、晩生米は例年通り収穫できました。
収穫が早く終わる早稲米に傾倒し、尚且つ同じ早稲なら収穫が早い方が高く売れると、梅雨明け直ぐに開花時期を合わせた為に、開花時期の遅れに対応しきれなかったというのが実情と聞いています。
風媒花ですので午前中に晴れないと受粉できません、逆に少々の低温や日照不足は生育期間が長くなるだけで、あまり影響しません、実際梅雨時の日照量の少ない時期に成長しているのですから。

あの年以降、晩生米が見直されて、近所の作付けは半々程度になりました。
岐阜にはハツシモという美味しい晩生米があるんですが、県外に出荷するほどは栽培されていないのが残念なところです。

その他にお米冷蔵庫が普及していますね、倉庫だけでなく一般の農家にも、2~3畳程度の断熱プレハブ倉庫にエアコンが付いたような感じで、温度は15℃程度と家庭用の冷蔵庫よりやや高め。
これの威力は絶大で、古米でも古古米でも殆ど味は落ちません、乾燥が進むので水の量は要注意ですね。
  1. 2014-07-24 00:39
  2. URL
  3. fcq821 #/lkjinTE
  4. 編集

Re: あまり不味かった記憶がないのですが。

> こんばんわ、いつも楽しく読ませて頂いてます。
>
> 甘味が強いんで、お惣菜との相性が違うって感じはありましたが、普通にお箸で頂きましたし、何で世間で不味い不味いと言われるのか少々不思議。
> たぶん研ぎ方が違うんではないかと、少し米が割れる位に強く研ぐと、傷からデンプン質が出て粘りが出ます。この辺の加減は、毎回お米と相談ですね。
>
> あの年の平成飢饉は正確には冷夏ではなく、開花時期に長雨が続いたことが原因で、事実お盆過ぎには天候が安定した西日本では、晩生米は例年通り収穫できました。
> 収穫が早く終わる早稲米に傾倒し、尚且つ同じ早稲なら収穫が早い方が高く売れると、梅雨明け直ぐに開花時期を合わせた為に、開花時期の遅れに対応しきれなかったというのが実情と聞いています。
> 風媒花ですので午前中に晴れないと受粉できません、逆に少々の低温や日照不足は生育期間が長くなるだけで、あまり影響しません、実際梅雨時の日照量の少ない時期に成長しているのですから。
>
> あの年以降、晩生米が見直されて、近所の作付けは半々程度になりました。
> 岐阜にはハツシモという美味しい晩生米があるんですが、県外に出荷するほどは栽培されていないのが残念なところです。
>
> その他にお米冷蔵庫が普及していますね、倉庫だけでなく一般の農家にも、2~3畳程度の断熱プレハブ倉庫にエアコンが付いたような感じで、温度は15℃程度と家庭用の冷蔵庫よりやや高め。
> これの威力は絶大で、古米でも古古米でも殆ど味は落ちません、乾燥が進むので水の量は要注意ですね。


米について詳しいですね。
最初に93年の大凶作ですが、凶作だったのはコメどころ東北でした。それ以外は地域によっては多少不作程度だった所も有ったのです。
全国平均で作況指数は74、これを県別でみると、
北海道40、青森28、岩手30、宮城37、福島61でした。
しかしコメ所秋田83、新潟98でした。
関東は千葉88、東京94、神奈川98、更に東海は愛知94、岐阜84、静岡98でした。
関西は大阪96、兵庫94、和歌山96、中国は岡山92、広島86、山口80、
四国は徳島87、愛媛92、高知90、九州は福岡74、熊本77、宮崎83、沖縄108でした。
この大凶作とは東北の太平洋側地域が一番ひどかった、こう言う事だったのです。

この大凶作は昔飢饉が何度か発生した地域が最もひどかった、こう理解してください。
この結果からこれからのコメについての考え方を考える必要が有ります。
恐らくあと何年か後には地球は寒冷化が進むはずです。その時真っ先に被害を受けるのが北の方、東北・北海道になるでしょう。
今からその時の対策を考えなければいけないと思っています。

それから93年の米騒動でのタイ米の扱い。
これは政府からトンデモナイ政策が打ち出されたようです。何が何でもこのコメを食べさせろと。
しかし地域によってその対応はまちまちでした。
だから案外不味くなかったと言う方はその対応が上手くいった地域(ごく少数派だったと思います)にお住まいだったのではないでしょうか。

それからあの時から品種を変えたとのお話、大変良い事だと思います。
がしかし最近はコメと言えばコシヒカリ一辺倒。他のコメなど見向きもしない栽培が多いです。
一番危険なやり方。
是非皆さんに単一品種での栽培の危険性を話してほしいです。昔は田植えや稲刈りの労働が集中しないように品種を分けました。
しかし今は機械化で単一品種でも問題なく田植えも収穫もできるようになった、
ご指摘の様に一番危険な事ですね。
  1. 2014-07-24 21:54
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

タイ米は

シナでは「香米」(xiang mi)として喜ばれますね。しかしやはり何事もピンキリであの独特の香りでJasmin Riceと呼ばれもするのに、まったく香りのないものもあります。家では、インド・カレー用にはBasmatiを、和食用にはカリフォルニア米を、パエリア用にはイタリアのMilk Riceを、そしてシナ飯にはタイ米と使い分けています。おもに「phoenix」ブランドが好みです。
しかし日本国内ではほとんどが和食でしょうからこんな選り好みは海外在住の「贅沢」でしょうか、とまあ、美味な国産米を食せない「まんじゅう嫌い」のたぐいの負け惜しみですわい凹
  1. 2014-07-25 06:16
  2. URL
  3. 丸山光三 #-
  4. 編集

Re: タイ米は

> シナでは「香米」(xiang mi)として喜ばれますね。しかしやはり何事もピンキリであの独特の香りでJasmin Riceと呼ばれもするのに、まったく香りのないものもあります。家では、インド・カレー用にはBasmatiを、和食用にはカリフォルニア米を、パエリア用にはイタリアのMilk Riceを、そしてシナ飯にはタイ米と使い分けています。おもに「phoenix」ブランドが好みです。
> しかし日本国内ではほとんどが和食でしょうからこんな選り好みは海外在住の「贅沢」でしょうか、とまあ、美味な国産米を食せない「まんじゅう嫌い」のたぐいの負け惜しみですわい凹


4種類のコメを料理に応じて使い分けですか、それこそ究極の贅沢かもしれません。
全く羨ましい限りです。

日本は今コシヒカリ一辺倒になってしまいました。
確かに美味しいのですが、チャーハンやカレーライスには本当は向きませんね。
でも普通の家庭でコメの使い分けをしている人はいない。
一つには日本の高温多湿も問題なんでしょう。
何せ今日は名古屋辺りは最高気温が38度を超えてしまいまして、本当の暑いです。
この季節はタイの方が涼しいので、タイに避暑に行きたい所です。
  1. 2014-07-25 15:06
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

話に竿をさすつもりでは無かったのですが。

一段落したようですので、続きを書かせて頂きます。
私は離農して4代目の工員ですので、あくまで家庭内や親戚や友人の農家で聞き集めた話なのですが。

めっきりと苗代を見なくなりました、苗代が温室になり、昔に比べれば栽培期間に余裕ができたのですが、なぜ今時に冷害と不思議に思い、当時リアルタイムで流れていた情報を元に、親戚,友人の農家で話を聞いたところ、異口同音に「開花・受粉にしくじった」との返答で納得した次第です。
東北でも穂は出ているが中が空というのは、同じ状況だったと記憶しています。

それから興味を持って、調べたり聞き取ったりしましたが、稲作というのは実に奥が深いです。

植物一般論として、温度(正確には有効温度)と成長速度は比例関係にありますので、もし低温が続いたなら、そのまま開花時期も遅れて、あそこまで被害は大きくならなかったと思われます。つまり昔と同様の冷害ではないということです。

稲は南方の植物なので、寒さに弱いと一般に言われますが、生育温度は最低10℃と、日本の気候からすれば比較的低いです。
これも植物一般論として、気温より根の温度、即ち地温の影響の方が大きいのですが、水田は水という布団を被っているので、少々寒風が吹いても大丈夫です。
最高気温25℃午前中に2時間以上の晴天という開花条件だけは、何ともならないようです。

失敗だと原因が判れば対策の立てようもあります、それを天災という不可抗力だけで説明している記事が多いのは、何か恣意的なものを感じるので、敢えて書かせて頂きました。

コシヒカリという品種ですが、元は短稈で栽培期間が短く、耐寒冷の品種です。
こうした寒冷地向け、短期栽培の品種は古くからあったようですが、一般に味が良くないという常識を破ったものです。

根が弱く土作りが難しいとか、茎が弱く倒伏し易いとか、病気に弱いという欠点だらけの品種で、種籾だけを持ち出しても栽培は難しいと思われます。
こうした欠点を克服すれば、耐寒冷ながら高温にも強いとか、倒伏しても穂発芽し難い、籾の消耗が少ないので保存しても味が落ちないといった利点があります。

ブランド名が知れ渡ったので県外米としては多いということだけでなく、西日本では台風前に刈り取る早稲栽培として、東北では晩稲栽培として、どちらでも栽培できるヒット作になっているようです。

根が弱く発芽し難いといった植物としては劣性の因子が、短稈で味が落ちないという利点と、たぶん表裏一体なのでしょう。
この弱い品種を難なく作る日本のお百姓さんは立派です。
  1. 2014-07-31 02:02
  2. URL
  3. fcq821 #/lkjinTE
  4. 編集

Re: 話に竿をさすつもりでは無かったのですが。

> 一段落したようですので、続きを書かせて頂きます。
> 私は離農して4代目の工員ですので、あくまで家庭内や親戚や友人の農家で聞き集めた話なのですが。
>
> めっきりと苗代を見なくなりました、苗代が温室になり、昔に比べれば栽培期間に余裕ができたのですが、なぜ今時に冷害と不思議に思い、当時リアルタイムで流れていた情報を元に、親戚,友人の農家で話を聞いたところ、異口同音に「開花・受粉にしくじった」との返答で納得した次第です。
> 東北でも穂は出ているが中が空というのは、同じ状況だったと記憶しています。
>
> それから興味を持って、調べたり聞き取ったりしましたが、稲作というのは実に奥が深いです。
>
> 植物一般論として、温度(正確には有効温度)と成長速度は比例関係にありますので、もし低温が続いたなら、そのまま開花時期も遅れて、あそこまで被害は大きくならなかったと思われます。つまり昔と同様の冷害ではないということです。
>
> 稲は南方の植物なので、寒さに弱いと一般に言われますが、生育温度は最低10℃と、日本の気候からすれば比較的低いです。
> これも植物一般論として、気温より根の温度、即ち地温の影響の方が大きいのですが、水田は水という布団を被っているので、少々寒風が吹いても大丈夫です。
> 最高気温25℃午前中に2時間以上の晴天という開花条件だけは、何ともならないようです。
>
> 失敗だと原因が判れば対策の立てようもあります、それを天災という不可抗力だけで説明している記事が多いのは、何か恣意的なものを感じるので、敢えて書かせて頂きました。
>
> コシヒカリという品種ですが、元は短稈で栽培期間が短く、耐寒冷の品種です。
> こうした寒冷地向け、短期栽培の品種は古くからあったようですが、一般に味が良くないという常識を破ったものです。
>
> 根が弱く土作りが難しいとか、茎が弱く倒伏し易いとか、病気に弱いという欠点だらけの品種で、種籾だけを持ち出しても栽培は難しいと思われます。
> こうした欠点を克服すれば、耐寒冷ながら高温にも強いとか、倒伏しても穂発芽し難い、籾の消耗が少ないので保存しても味が落ちないといった利点があります。
>
> ブランド名が知れ渡ったので県外米としては多いということだけでなく、西日本では台風前に刈り取る早稲栽培として、東北では晩稲栽培として、どちらでも栽培できるヒット作になっているようです。
>
> 根が弱く発芽し難いといった植物としては劣性の因子が、短稈で味が落ちないという利点と、たぶん表裏一体なのでしょう。
> この弱い品種を難なく作る日本のお百姓さんは立派です。


確かに「日本のお百姓さんは立派」、全く同感です。
最初に1993年の冷害について、これだけは知っていてほしい。
それは作況指数:北海道40、青森28、岩手30、宮城37、福島61という事です。
私は愛知県ですが、愛知県は作況指数:94でした。だから凶作と言っても大したことは無かったのです。
しかし作況指数が28とか30と言う事は、場所によっては一村全滅なんて所もアチコチであったようです。それでも大問題にならなかったのは農業保険の存在。収穫ゼロで昔なら大飢饉間違いなしの所でも保険で相当の収入が確保できた、だから問題が大きくならなかったのです。
農協は良い仕事をしたのです(誰も言いませんが・・・).

それからイネについてこれだけは考えて欲しい事。
一つ目は稲の原産地は中国の長江中下流域、つまり今の上海周辺です。
この辺りの平均気温を調べていただければわかりますが、上海の平均気温は九州から近畿地方辺りとほとんど同じ。理由は黒潮の影響で緯度の割に暖かいのです。
だから弥生時代に水稲栽培が入ってきたとき、九州から近畿辺りまでは簡単にイネが普及しました。
理由は原産地と気候がほとんど同じだからだと思います。
その為弥生時代後期、魏志倭人伝には倭国が何処にあるか、それは「会稽」の東の海の中だろうと書いてあります。会稽は今の上海の近く、つまりその辺りと気候が同じだったという事です。
これが稲作が東日本に普及するのに長い時間がかかった理由でもあります。気候に合う様な品種が出来るのにそれだけ時間がかかったと言う訳です。

もう一つイネの特徴について。
イネは短日植物です。つまり日照時間が短くなってくると穂をつけ花が咲き結実する。
アセアン地域のコメを持って行った人が最初にぶつかる難関が実はこれなんです。
シンガポール辺りで日本の稲を種をまいたら、田植えをするくらいに伸びるともう花が咲いてしまう。
勿論実はつけません。だから皆さん苦労したのです。
24節気と言うのが有りますよねえ。立春とか夏至とか、その夏至の後に24節気に無い「半夏生」と言うのが有ります。
此れだけ24節気から外れているのは、「半夏生を過ぎて田植えをしても、実りは得られない」という言い伝えが有るためです。半夏生(新暦の7月2日頃)と田植え最盛期の夏至(6月21日頃)とは10日くらいしか違いません。実は半夏生の頃までは日照時間は夏至と殆ど同じ、それを過ぎるどんどん日照時間が短くなるのです。
そんな事で昔からこの時期を大切にしてきた。
ご指摘の様に日本のコメ造りは長い歴史と伝統、そして農家の人のたゆまぬ努力、そんなモノの結晶なんだと思います。
  1. 2014-07-31 21:31
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  3. 短足おじさん二世 #-
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日々の観察。

田園地帯を横切って通勤していますので、色々な田圃があって面白いものです。
緑の絨毯のように丈も揃って綺麗に手入れされた田圃もあるかと思えば、丈もバラバラ所々稗が伸びているような放任主義の田圃もあります、品質さえ気にしなければ収量はあまり変わりないとのことです。

今7月末の状況は、早稲栽培の田圃は既に開花を終えて、早い所では穂を垂れ始めています。その一方ですぐ隣の晩稲栽培の方は、まだ膝丈をすこし越えた位でまだまだこれから丈が伸びます。広く見渡すと田圃ごとに凸凹縞々の感じです。

例年の収穫は、最も早い田圃で8月下旬、これは超早稲かもしれません、そして最も遅い田圃は実に12月の初旬になります。実に栽培時期に幅あるものです。

漠然と早稲・晩稲と書いていますが、梅雨時の開花を避けることと、如何に台風を乗り切るかで決まってくるようです。
梅雨明け直後に開花、台風前の9月に収穫が早稲、期間が短いので短稈品種が用いられます。
目一杯開花を遅らせて、穂が軽い状態で台風を乗り切るのが晩稲、一般に長稈品種が用いられ、稲藁が必要な時はこちらになります。
ですからこの中間は殆ど見かけません、また早稲に傾倒した理由の一つに稲藁を使わなくなったことがあります。
更に入梅前に開花させると超早稲となります、これは上手くすると穭田まで結実します。穭田を収穫しようとした猛者が居まして、結局コンバインが目詰まりして諦めたそうです。言い伝えでは穭田は田の神に返すってことで手を付けないお約束になっているんですが。

北へ行く程こうした自由度が減るのは確かですが、東北の資料を読んだ限りでは、台風のことは考慮していないらしく、早稲・晩稲の端境期が存在しません、それで何故早稲に傾倒するかは分かりませんが、水が冷たい時期に栽培した方が美味しいからではないかと想像されます。
北海道まで行くと、梅雨のことも考慮していないのではないかと思えるのですが、ここはまだ未確認です。

昔は苗が25cm近くあり苗代で2ヶ月程栽培したようですが、最近は10cm程度まで苗が小さくなっています。日の当たらない棚で作るようになり、モヤシのように黄色く弱々しい苗もありますが、これでもちゃんと育つのは大したものです。
それと短日植物ではなく中日植物だっと思いますよ、そうでないと2期作ができませんから。
  1. 2014-08-01 02:22
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  3. fcq821 #/lkjinTE
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Re: 日々の観察。

> 田園地帯を横切って通勤していますので、色々な田圃があって面白いものです。
> 緑の絨毯のように丈も揃って綺麗に手入れされた田圃もあるかと思えば、丈もバラバラ所々稗が伸びているような放任主義の田圃もあります、品質さえ気にしなければ収量はあまり変わりないとのことです。
>
> 今7月末の状況は、早稲栽培の田圃は既に開花を終えて、早い所では穂を垂れ始めています。その一方ですぐ隣の晩稲栽培の方は、まだ膝丈をすこし越えた位でまだまだこれから丈が伸びます。広く見渡すと田圃ごとに凸凹縞々の感じです。
>
> 例年の収穫は、最も早い田圃で8月下旬、これは超早稲かもしれません、そして最も遅い田圃は実に12月の初旬になります。実に栽培時期に幅あるものです。
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> 漠然と早稲・晩稲と書いていますが、梅雨時の開花を避けることと、如何に台風を乗り切るかで決まってくるようです。
> 梅雨明け直後に開花、台風前の9月に収穫が早稲、期間が短いので短稈品種が用いられます。
> 目一杯開花を遅らせて、穂が軽い状態で台風を乗り切るのが晩稲、一般に長稈品種が用いられ、稲藁が必要な時はこちらになります。
> ですからこの中間は殆ど見かけません、また早稲に傾倒した理由の一つに稲藁を使わなくなったことがあります。
> 更に入梅前に開花させると超早稲となります、これは上手くすると穭田まで結実します。穭田を収穫しようとした猛者が居まして、結局コンバインが目詰まりして諦めたそうです。言い伝えでは穭田は田の神に返すってことで手を付けないお約束になっているんですが。
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> 北へ行く程こうした自由度が減るのは確かですが、東北の資料を読んだ限りでは、台風のことは考慮していないらしく、早稲・晩稲の端境期が存在しません、それで何故早稲に傾倒するかは分かりませんが、水が冷たい時期に栽培した方が美味しいからではないかと想像されます。
> 北海道まで行くと、梅雨のことも考慮していないのではないかと思えるのですが、ここはまだ未確認です。
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> 昔は苗が25cm近くあり苗代で2ヶ月程栽培したようですが、最近は10cm程度まで苗が小さくなっています。日の当たらない棚で作るようになり、モヤシのように黄色く弱々しい苗もありますが、これでもちゃんと育つのは大したものです。
> それと短日植物ではなく中日植物だっと思いますよ、そうでないと2期作ができませんから。


素晴らしい所にお住まいですね。通勤に田んぼの中を通って通う、こんな素晴らしい事は有りません。
自分たちが毎日食べるコメの出来具合を見ながら暮らせる、すばらしい事です。
イネに随分興味がおありなので私の知る所を少し。
イネと言うのはとても気難しい作物なのです。
特に問題なのは田植えをする可能時期の平均気温が13度くらいで、最初にこれが難関です。
だから北国ではこれで作付け時期が決まってしまう。
そして開花には短日条件が必要、これはちょっと補足します。
イネは短日植物なのですが、品種によってはコレがあまり強くなく、温度に敏感に反応するものが有ります。感光性と感温性と言うようです。
基本的には感光性なのですが、品種改良で感温性が強くなったものが結構あります。
二期作などはそのいい例です。
二期作は同じ品種を二回作付けする訳ではありません。最初は極早生、これは感光性(短日性)の弱まった北国用の品種です。それを収穫してから、その土地の普通の品種を作付け、これは短日性です。
尚二期作で収穫した籾を直ぐ播いたらまた芽が出るかというとそんな事は決してありません。
イネは一度実った籾は冬を越さない限り芽が出ないのです。これは実って地面に落ちた種がすぐ発芽してしまうと冬になって枯れてしまう、これを避けるため遺伝子がそうなっているのです。

尚外国人の方で日本のコメがおいしいのに気が付いた人が、田んぼを見に行くことが有ります。
明日にでも稲刈りと言う田んぼで良く実った稲穂をひょいとつまんでポケットに入れる、これが頻々と起こっているらしいです。
特にシナ・チョンの方々、アセアンや何とアメリカカリフォルニア米農家の方もこんな事をしているようです。
しかし単純に籾を盗んでそれを播いても簡単にはいきません。気候条件が違うのです。
しかしそれを克服してアメリカは美味しいジャポニカ米を作るようになり、それが今TPP問題の根底に潜んでいる。
いやはや恐れ入った話です。
  1. 2014-08-01 20:45
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  3. 短足おじさん二世 #-
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あのときのお米の謎が解けました。

 コメ不作で、緊急輸入をしていた当時、学生でした。合宿で中国米、タイ米がでて、不味かった記憶があります。
 この間、歩いて生きるところにタイの食材店があり、タイのもち米を買ってみて、食べてみました。もちもちしていて、おいしかったです。では、昔食べたあのコメはなんだったのだろうと不思議に思っていました。その謎が解けました。
 ありがとうございます。
  1. 2014-08-05 20:40
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  3. おこげ #-
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Re: あのときのお米の謎が解けました。

>  コメ不作で、緊急輸入をしていた当時、学生でした。合宿で中国米、タイ米がでて、不味かった記憶があります。
>  この間、歩いて生きるところにタイの食材店があり、タイのもち米を買ってみて、食べてみました。もちもちしていて、おいしかったです。では、昔食べたあのコメはなんだったのだろうと不思議に思っていました。その謎が解けました。
>  ありがとうございます。


いらっしゃいませ、コメント有難うございます。
あの時のコメの不味かったことが、実に20年以上たった今でもタイに対する悪評につながっています。
従軍慰安婦問題と一緒ですね。
オッとコレは話が違いました・・・

是非多くの皆さんにあの時のコメがどういうものだったのか、知っていただきたいと思っています。
タンに誤解を解きたいだけでなく、あのことが実に多くのタイの人の心を傷つけたからです。

それと続編では日本のコメとタイのコメの食べ方の違いも書きました。
若しタイのモチ米が有りましたら一度手づかみで食べてみる事をお勧めします。
日本でもモチは箸でも食べますが手づかみでも食べますから全く同じ。
食の新しい世界が広がるかもしれません。
  1. 2014-08-06 07:07
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  3. 短足おじさん二世 #-
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