2014-05-21 22:34

焼き物談義から産業の衰退の歴史へ

 13日のエントリー「皇帝の夢」などでよもぎねこさんと船の話を色々した。
大変面白い議論なのだが、どうしても私が船に興味が有るのか書いてみたくなった。
実は私がタイに居た頃からこれは多分私のライフワークだろうなあ、そんな思いで色々調べていたことが有る。
焼き物の歴史、そして産業の歴史の話である。
更に細かく言えば産業の繁栄、衰退のカギは物流と情報が握っているらしい。
焼き物と船??、産業の歴史?? 、物流と情報?? 何やら訳の分からない3題話みたいだが・・・

話はタイに居た頃、タイ国日本人会の機関誌にこんな話が載っていた。曰く「スンコロク焼きの古窯跡を訪ねる」。
タイの昔の焼き物で日本の安土桃山時代から江戸時代初期にかけて日本にも輸入され、茶人の間で珍重された焼き物が有る。
現地の人は産地・船積地の名前をとってサンカロークといった、日本ではそれを聞いてスンコロク、漢字で宋胡禄(すんころく)と記録した焼き物。そんなモノの窯跡だという。
私は中学生頃は考古学少年だった。アチコチ貝塚や古窯跡を訪ね歩いたり、各地の発掘調査に参加したりした。
そんな記憶がよみがえってきたので休日にそこを訪ねることにした。

現地はタイの古都スコータイからさらに奥に入ったシーサチャナライと言う所。当時住んでいたところからは片道約650キロほど。まあとにかく行ってみた。

何が何だか分からないので最初にサンカローク焼きと言うモノがどんなものかと言うと。

これは私のコレクション、サンカローク焼きの青磁の皿。
2014-5-19サンカローク焼きの皿
(伝シーサッチャナライのヨム川より出土)

実に美しいものである。日本で言えば鎌倉・室町時代頃のモノ。

そしてこれがシーサッチャナライでみた古い窯跡
2014-5-21コ・ノイキルンの窯跡new

この窯跡の奥にガラクタのように焼き物の破片が重なっているがこれがこの窯の製品。良く見ると実に美しい青い色をしている。
そう青磁の皿などを焼いていた窯跡なのである。
窯業に幾分か知識のある方ならこの窯跡、技術的に相当高度なものであることが分かると思いのだが、そこに深入りすると話が終わらないので割愛します。

何故そんな青い色に驚いているか、この青磁の青い色は窯の中で約1250℃で焼成する時、その炎の状態が還元炎の時に出る色。そして普通に焼成すると酸化炎になって別の色になってしまう。
日本でも安土桃山時代になってもこの色を出そうとしても出せなかった、技術的にきわめて難しい焼成方法なのだ。

これが桃山時代の黄瀬戸と言われる黄色い焼き物。本当は青磁の青い色を出したかったのだが、還元炎焼成が上手くいかず、こんな色になってしまった。
2014-5-21桃山時代の黄瀬戸
此れでも非常な努力をしたのであろう、しかし青い綺麗な色を出すのは実に難しい事の様だ。


そしてその少し前に時代はと言えば、日本の焼き物はこんなモノだった。これは山茶碗と言われるもの。
平安時代末期から鎌倉時代頃にかけて盛んに生産された。
2014-5-20山茶碗

この山茶碗の窯跡は私の住む町の近くには今でも色々ある。昔はこれを探して山の中を歩き回ったものだ。

さて本題に戻って、こと焼き物に関してだけだが、この当時の先進国が中国であることは間違いないが、日本はタイに比べても遥かに遅れている。
この事に気づいた事は私にとって大変大きな衝撃だった。
その後いろいろ調べてみるとこの当時のタイの主要輸出品であり、当時としては一級品扱いだったことが分かった。
さてではその技術は何処からやってきたのか、それをどのように輸出していたのか。謎は深まるばかりである。

と此処まで書いたのだが、この訳の分からない三題話、話が長すぎるのでこの後は続編という事にします。
さて船の話には何時になったらたどり着けるやら・・・


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コメント

三題話

優れた製品を作り・・・・・技術    

需要の有無を見極め・・・・情報

運ぶ手だてを考える・・・・物流

現代の産業と少しも変わりませんね。^^
後編を早く見たくなりました。

黄瀬戸も美しい色ですが、青磁の出来そこないとは思いもよりませんでした。(・。・;)
  1. 2014-05-22 10:04
  2. URL
  3. 無才 #-
  4. 編集

Re: 三題話

> 優れた製品を作り・・・・・技術    
>
> 需要の有無を見極め・・・・情報
>
> 運ぶ手だてを考える・・・・物流
>
> 現代の産業と少しも変わりませんね。^^
> 後編を早く見たくなりました。
>
> 黄瀬戸も美しい色ですが、青磁の出来そこないとは思いもよりませんでした。(・。・;)


技術・情報・物流の三題話、上手く表現していただき有難うございます。
そうなんですねえ。
実はこれを私は技術屋さんにぜひ知っていただきたいと思っています。
技術屋さんは良いモノを作ればそれでいいと思っている。
実は世の中はそんな甘いものではないんです。良いモノが売れない、儲からない。
そんな狭間で苦しむのが現在なので、そこを理解してほしいと思っています。

早く次をアップしたいのですが、またまた妙な方向に行くかもしれません。
平家の落ち武者みたいな話が出てくるかもしれません、無才さんには大変興味の有る話になるのかも・・・
  1. 2014-05-22 21:42
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

陶磁器の母なる都、「景徳鎮」
http://www.le-noble.com/promo/s_ippin/12.html

日本も朝鮮もタイもヴェトナムも古代中国の影響を受けて陶磁器というものを作ってきたのは間違いないでしょう。

しかしながら、現代の中国人に車を作らせるとこうなります。
Chinese Car, Truck Crash Testing
https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=D827IxEJVS4
  1. 2014-05-23 10:15
  2. URL
  3. taigen #-
  4. 編集

こんにちは。日本の製造業がなぜ厳しくなったか、こちらの方がいいこと言っています。
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/e/ea129e37d3684e0ae3485328fd306d76/?cid=c83f77204ee3f88f4a4a9a751bdd5f6c&st=0

ところで、この”プラティープ・ウンソンタム・秦氏”という方はどういう方かご存じですか?
http://sp.mainichi.jp/select/news/20140523k0000e030199000c.html
  1. 2014-05-23 18:50
  2. URL
  3. JJ #HGUbXp8.
  4. 編集

 船の話で言うと国家の技術レベルと船の性能も、またその船をどう使うかも、なかなか面白いです。

 鄭和の宝船の大きさはともかく、鄭和も使ってであろう中国船ジャンクの性能は、明らかヨーロッパ人が大航海時代に使ったガレオン船なんかよりも良かったようです。

 速力も早く、風上に進む「切り上がり」性能も良く、しかも隔壁構造になっているので、浸水にも強かったのです。

 と、言うかガレオン船と言うのは、地中海など内海ではともかく、外洋で使うには随分危険な代物で、だからボコボコ沈んでいるのです。

 そのうえ航海が長期になると壊血病が深刻な問題になりました。 これが解決されたのは18世紀半ば、キャプテン・クックの航海辺りからです。 このころになって西洋ではようやく乗組員の健康管理に取り組み始めて、壊血病防止の為にレモンやオレンジのジュースを飲ませるようになりました。

 でも中国人は豆をもやしにして食べたので、壊血病は出ていません。

 船の性能は良く、そのうえ乗組員の健康管理も良好なら、中国船が喜望峰を回ってヨーロッパに到達することも、また世界一周することも、十分可能だったのです。

 そうやっていたら世界史は変わっていたでしょう。

 でもなぜか中国はそうしませんでした。

 逆に西洋人は壊血病や沈没での死人の山を築いて大航海を続けたのです。

 これは民族に違いでしょうか?
  1. 2014-05-23 20:07
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

To:taigenさん

> 陶磁器の母なる都、「景徳鎮」
> http://www.le-noble.com/promo/s_ippin/12.html
>
> 日本も朝鮮もタイもヴェトナムも古代中国の影響を受けて陶磁器というものを作ってきたのは間違いないでしょう。
>
> しかしながら、現代の中国人に車を作らせるとこうなります。
> Chinese Car, Truck Crash Testing
> https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=D827IxEJVS4


面白い情報、有難うございます。
いやあ凄いですねえ、これでは乗っていたら助からないでしょう。クワバラ、クワバラ。

所で景徳鎮、確かに間違いなく陶磁器の故郷です。
現在のエントリーの続々編位で景徳鎮に関する話題も写真を紹介したいと思っています。

景徳鎮が他の産地を押しのけてトップになったのは実は粘土(磁石)に秘密が有ります。
カオリンという白い磁器の出来る土が景徳鎮で産出する。これが一番のポイントでした。
他の産地の土ではカオリンほどの高温焼成に耐えられない、カオリンならそれに耐えて白く薄い磁器が出来た。こんな所が景徳鎮が優位に立てた大きな理由でした。
景徳鎮付近の山、高嶺(Kaoling)がカオリンの由来です。
  1. 2014-05-24 09:14
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
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To:JJ さん

> こんにちは。日本の製造業がなぜ厳しくなったか、こちらの方がいいこと言っています。
> http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/e/ea129e37d3684e0ae3485328fd306d76/?cid=c83f77204ee3f88f4a4a9a751bdd5f6c&st=0
>
> ところで、この”プラティープ・ウンソンタム・秦氏”という方はどういう方かご存じですか?
> http://sp.mainichi.jp/select/news/20140523k0000e030199000c.html


面白い情報ありがとうございます。
でも日本の製造業の問題は当たっている部分もありますが、問題の本質を見ていない面もある。
まあ、この話は長くなるので色んな切り口で見ていきたいと思っています。
その切り口の一つが今回のエントリーで取り上げる物流と情報。
これから少しずつ書いていきますので宜しくお願いします。

それからプラティープ・ウンソンタム・秦氏の件、マグサイサイ賞の受賞者だという事で色々報道されているのを目にした程度で残念ながら詳しい事は知りません。
それ以上は説明不能なのでご了承ください。
それにしてもアジアのノーベル賞とは大きく出たものです。
この一言を見ただけでこの記事、信用できないぞと思いますね。
まあ侮日新聞ですから致し方ないでしょうか。
  1. 2014-05-24 09:31
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
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To:よもぎねこさん

>  船の話で言うと国家の技術レベルと船の性能も、またその船をどう使うかも、なかなか面白いです。
>
>  鄭和の宝船の大きさはともかく、鄭和も使ってであろう中国船ジャンクの性能は、明らかヨーロッパ人が大航海時代に使ったガレオン船なんかよりも良かったようです。
>
>  速力も早く、風上に進む「切り上がり」性能も良く、しかも隔壁構造になっているので、浸水にも強かったのです。
>
>  と、言うかガレオン船と言うのは、地中海など内海ではともかく、外洋で使うには随分危険な代物で、だからボコボコ沈んでいるのです。
>
>  そのうえ航海が長期になると壊血病が深刻な問題になりました。 これが解決されたのは18世紀半ば、キャプテン・クックの航海辺りからです。 このころになって西洋ではようやく乗組員の健康管理に取り組み始めて、壊血病防止の為にレモンやオレンジのジュースを飲ませるようになりました。
>
>  でも中国人は豆をもやしにして食べたので、壊血病は出ていません。
>
>  船の性能は良く、そのうえ乗組員の健康管理も良好なら、中国船が喜望峰を回ってヨーロッパに到達することも、また世界一周することも、十分可能だったのです。
>
>  そうやっていたら世界史は変わっていたでしょう。
>
>  でもなぜか中国はそうしませんでした。
>
>  逆に西洋人は壊血病や沈没での死人の山を築いて大航海を続けたのです。
>
>  これは民族に違いでしょうか?


難問ですねえ・・・
この件は少々時間を頂かないと答えにくいですが、航海に関してはこのエントリーの続編でも取り上げたいと思います。
少々お待ちください。
  1. 2014-05-24 09:37
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

日本の陶器技術が進歩しなかった原因は

その必要があまりなかったことが大きいのではないか、そんなふうに考えています。陶器の用途は諸外国ならまず食器となるのでしょうが、日本のように木材資源が大きい国でわざわざ面倒な陶器を作るということはまあしないでしょう。

陶器をchinaと言いますが木材を使い漆加工したものはjapanでしょう。煮炊きをすることが前提ならば、基本土師器や須恵器程度で足りていたというのが真相だと思います。景徳鎮にしてもマイセンにしてもその主力は実用品であったはずでこれは必要にかられて作ったのだろうという気がしてなりません。そして時代が下れば鉄器となりますからすぐには出てこないでしょう。

タイ国の話ですがこんなふうな気がします。
南洋材というものは一部を除き木目のつまりがあまりないでしょう。調べたことはないですが器などにはあまり向いてないのではないかという気がします。

日本人が必要なものではないものを作る、というのはかなり大きな臨界量が必要な気がします。実用品から少しテイクアウトしないとどうも本気にならないのではないか、そんな気がするのです。

海がなければそのような情報はタイムラグがなく入りますが、海があるおかげでそのような発展が遅れたんじゃないかそんな気がします。そして一旦臨界に達すると後はガラパゴスまで一直線、というのは。おそらく今も昔も変わらないんでしょう。
  1. 2014-05-24 12:58
  2. URL
  3. kazk #-
  4. 編集

Re: 日本の陶器技術が進歩しなかった原因は

> その必要があまりなかったことが大きいのではないか、そんなふうに考えています。陶器の用途は諸外国ならまず食器となるのでしょうが、日本のように木材資源が大きい国でわざわざ面倒な陶器を作るということはまあしないでしょう。
>
> 陶器をchinaと言いますが木材を使い漆加工したものはjapanでしょう。煮炊きをすることが前提ならば、基本土師器や須恵器程度で足りていたというのが真相だと思います。景徳鎮にしてもマイセンにしてもその主力は実用品であったはずでこれは必要にかられて作ったのだろうという気がしてなりません。そして時代が下れば鉄器となりますからすぐには出てこないでしょう。
>
> タイ国の話ですがこんなふうな気がします。
> 南洋材というものは一部を除き木目のつまりがあまりないでしょう。調べたことはないですが器などにはあまり向いてないのではないかという気がします。
>
> 日本人が必要なものではないものを作る、というのはかなり大きな臨界量が必要な気がします。実用品から少しテイクアウトしないとどうも本気にならないのではないか、そんな気がするのです。
>
> 海がなければそのような情報はタイムラグがなく入りますが、海があるおかげでそのような発展が遅れたんじゃないかそんな気がします。そして一旦臨界に達すると後はガラパゴスまで一直線、というのは。おそらく今も昔も変わらないんでしょう。


そうですね、凄い所に目をつけられましたね。
実は私は本文の写真のある山茶碗についてはモノ・破片を見ただけで年代が有る程度分かります。
まあ昔しっかり調べましたのでね。
面白い事にこの山茶碗、時代の古いモノの方が品質が良い、時代が新しくなるにつれて粗製乱造になるのです。
それで漆器はと言うとコレは縄文時代からの1万年の歴史が有りますが、扱いが難しく高価すぎる。
今ではありませんが昭和20年代頃までは輪島などの漆器職人が町・村を回って漆器のお椀などの修理をしていたものです。その時に必要なものを注文しておくと次に来たときに持ってきてくれる。
と言っても次に来るのが半年とか一年後ですから悠長なものです。

漆器はそんなモノなので一般庶民が使えるモノではない。こんな事で漆器と陶磁器は住み分けしていたんでしょう。
遺跡や古い民家などの調査でも木材加工の道具は沢山ありますが、お椀を作るような「ろくろ」とか、それ用の刃物等は見かけませんね。
調べたら面白いかもしれません。
  1. 2014-05-25 12:16
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
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返答ありがとうございます。
ところで瓦⇒カッワーラ(サンスクリット語)と聞いたことがあります。仏教と一緒に入ってきたのでしょうかね?

あ、それとすみません。
ニフコという会社はご存じですか?何故、自動車部品会社が英字新聞を買収したのかちょっと気になって。ジャパンタイムズというのも結構な侮日新聞で。毎日新聞のwaiwai記事はご存じですか?あの記者は今ここに居るらしいです。
http://sankei.jp.msn.com/smp/affairs/news/140524/crm14052410410008-s.htm
  1. 2014-05-27 22:27
  2. URL
  3. JJ #HGUbXp8.
  4. 編集

To:JJ さん

> 返答ありがとうございます。
> ところで瓦⇒カッワーラ(サンスクリット語)と聞いたことがあります。仏教と一緒に入ってきたのでしょうかね?
>
> あ、それとすみません。
> ニフコという会社はご存じですか?何故、自動車部品会社が英字新聞を買収したのかちょっと気になって。ジャパンタイムズというのも結構な侮日新聞で。毎日新聞のwaiwai記事はご存じですか?あの記者は今ここに居るらしいです。
> http://sankei.jp.msn.com/smp/affairs/news/140524/crm14052410410008-s.htm


瓦の語源がサンスクリット語ですか。知りませんでした。
確かにネットで見ると色んな説の一つで有力な説の一つの様ですね。
私の経験、昔の寺院などに使う瓦を焼いた古い窯跡の発掘調査に何度か参加したことが有ります。
その頃よく言っていたのは「布目瓦」でした。土を練って型に入れて成型する、その時外しやすいように麻布を敷くのですが、その布の模様が付いた瓦です。
東大寺に使う瓦を造った窯跡を調査した人とも話したことが有りますが、サンスクリット語語源説は聞きませんでした。
ですので私は多分「かわらけ」が語源なのかなあ、そう漠然と思っていました。

ニフコの件、昔取引していたことが有ります。
なかなかユニークな会社と言う印象が有ります。
普通の日本の会社と違う雰囲気を持った会社だと思っていました。
しかしwaiwai問題を起こした記者が此処にいるのですか。
アイツは何時かは市中引き回しの上獄門磔曝し首にすべき奴ですね。
  1. 2014-05-28 07:11
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

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