2014-05-16 22:57

鄭和の宝船の大きさ

 13日のエントリー皇帝の夢」で中国明朝時代の鄭和の大航海の話を取り上げた。
その艦隊の旗艦を宝船(ほうせん)と名づけていたのだが、現代の常識で見ても信じられない大きさである。

その大きさと言うのはこんなモノ。

2014-5-13鄭和の宝船大きさ比較

実に巨大な船であるが本当だろうか、こんな疑問をよもぎねこさんから頂いた。
実は私も以前から本当なんだろうかと思っていたのだが、何年か前その造船所跡が見つかった、その写真も見た記憶が有るのでエントリーに書いたのだが・・・ 改めて探してみるとその証拠が見つからなかった。
しかし今日それを見つけたので取りあえず紹介したいと思います。

見つかった宝船造船所遺跡

2014-5-16鄭和の宝船の造船所跡

ソース
http://www.shipwreckasia.org/wp-content/uploads/Chapter3.pdf 英文です。

上掲ソースの元は
http://www.shipwreckasia.org/wp-content/uploads/FU-South-East-Asia-Archaeology-Brochure.pdf

私はこのキムラ ジュン氏については知識が無い。ただトヨタ財団の援助での研究なので信頼して良いと思っている。

そしてこの造船所遺跡なのだが・・・
まあこのバカデカい造船遺跡を見ればそれ以上説明扶養と思います。
この遺跡、長さは421m、幅41mなのだという。
伝えられる宝船の長さは137mなので、長さは十分。しかし幅は56mと伝えられているので幅が不足だが、造船上は問題ないらしい。


こんな話の傍証なのだが、各地に昔の沈没船が有る。
有名なのが韓国西南部の新安沖沈没船。1323年6月に中国寧波から博多に向けて公開していた船で全長30m、幅9m、約200トンの船で60人が乗り組んでいた。
他にも泉州沖で見つかった宋時代の沈没船は約400トンくらいらしい。

そしてこんなデータが有る。

2014-5-16交易船記録中国から朝鮮

これは高麗史から交易船の記録を抜き出してみたもの。
(中国の海商と海賊 松浦章著より引用)
こんなモノを見ても一度に100人以上来ているケースが有り、最も多いモノは147名が入国している。
恐らくこれは一隻の船ではないかと思われるので、相当大きな船ではないか。
(200トンで60人が乗り組みなら、147人は少なくとも400トン以上になるのだが・・・)

この時代、この程度の船はごく当たり前だったという事の様だ。
そんな所から鄭和の大艦隊の船が非常に大きかったと言われても納得できるところである。

よもぎねこさんへの回答になるかどうか分かりませんが、これが鄭和の宝船が本当にあんなに大きかったのか、それについての今の所の回答です。
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コメント

出雲大社の例がありますしね

こんにちは。

私もこの様な話は否定しない方なんですよ。出雲大社の例がありますからね。

ただ、今現在のシナ共と朝鮮半島のヘンチクリン達が、歴史を勝手過ぎる解釈、政治利用をするから困るんですよね。
  1. 2014-05-17 06:13
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  3. 裏の桜 #-
  4. 編集

Re: 出雲大社の例がありますしね

> こんにちは。
>
> 私もこの様な話は否定しない方なんですよ。出雲大社の例がありますからね。
>
> ただ、今現在のシナ共と朝鮮半島のヘンチクリン達が、歴史を勝手過ぎる解釈、政治利用をするから困るんですよね。


出雲大社の例、そうですね。私はあの巨大な柱が出土したと言う報道、当時タイに居たのですがあの新聞記事は今でもよく覚えています。
正に想像を絶するものが見つかった。
おまけにその発見の11年前に大林組のチームが古代出雲大社の研究をして柱はこうだった筈、そうズバリ予言していました。その現物が見つかったんですからね。
本当に大した研究をしたものです。

それからご指摘のシナチク人、キムチ人の捏造、歪曲、目に余ります。
しかし今回のフェリー事故、南シナ海の体当たり事件、いずれもこのへんちくりん人間の本性を世界に喧伝してくれました。
矢張り事実の拡散が一番ですね。
  1. 2014-05-17 17:08
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  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

 海王丸や日本丸がほぼ90mです。 
 一方ジャンクは最大2000トン程度の物が使われていたそうです。

 だから2000トン程度までは十分理解できます。

 問題はマストと帆です。 船体が大きくなると相応の推力がないと、操船不能になります。 それで5000トンサイズになると、それだけの推力が必要なのですが、ジャンク型だと一枚の帆が物凄く巨大なります。

 その帆を張るだけのマストと、またその帆を吊り下げる為の強度を持つロープが必要です。

 この図だとマストは最低20mです。 これって五重塔の芯柱並みの大木が必要です。
 
 2000トンジャンクでも乗員は200人程だったそうですから、それから想定すれば宝船も2000トンクラスでは?

 船は大きけれよいと言うわけではありません。 大きいと入港できる港も限られてくるし、座礁の危険も増えます。

 ましてこの時代では5000トンの船の入港できる港などないでしょう?

 また大きいから転覆や沈没の危険が少ないと言うわけでもないのです。

 未知の世界への航海だと不必要に巨大な船はメリットがないのです。

 普通に航海の安全を期すなら、当時の一番一般的に使われていて、安全性に実績のある船を選ぶでしょう。

 中国ですから2000トンを5000トンにするぐらいは当然では?

 

 
  1. 2014-05-17 19:29
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

To:よもぎねこさん

>  海王丸や日本丸がほぼ90mです。 
>  一方ジャンクは最大2000トン程度の物が使われていたそうです。
>
>  だから2000トン程度までは十分理解できます。
>
>  問題はマストと帆です。 船体が大きくなると相応の推力がないと、操船不能になります。 それで5000トンサイズになると、それだけの推力が必要なのですが、ジャンク型だと一枚の帆が物凄く巨大なります。
>
>  その帆を張るだけのマストと、またその帆を吊り下げる為の強度を持つロープが必要です。
>
>  この図だとマストは最低20mです。 これって五重塔の芯柱並みの大木が必要です。
>  
>  2000トンジャンクでも乗員は200人程だったそうですから、それから想定すれば宝船も2000トンクラスでは?
>
>  船は大きけれよいと言うわけではありません。 大きいと入港できる港も限られてくるし、座礁の危険も増えます。
>
>  ましてこの時代では5000トンの船の入港できる港などないでしょう?
>
>  また大きいから転覆や沈没の危険が少ないと言うわけでもないのです。
>
>  未知の世界への航海だと不必要に巨大な船はメリットがないのです。
>
>  普通に航海の安全を期すなら、当時の一番一般的に使われていて、安全性に実績のある船を選ぶでしょう。
>
>  中国ですから2000トンを5000トンにするぐらいは当然では?


よもぎねこさんは船にも詳しいですね。
まあ正直な所2千㌧クラスか5千㌧クラスか、これは証拠や文献が残っていない以上難しいですね。
だから私も正確な大きさは分からない、そんな所なのですが・・・
先ず疑問点のマストですが、一本の大木ではなく繋いであると思います。
マストは甲板を貫通して竜骨まで達していますので本文の図なら20メートルどころではない筈です。
また帆も布ではないかもしれません。
私はタイのチャンタブリと言う所でその頃のジャンクの沈没したものを見てきています。
直ぐ近くの町はずれにこのジャンクの復元模型展示の為の博物館が出来ていまして、大変興味深いモノでした。多分300トンくらいのジャンクだと思いますが、帆は布ではなく網代のようなものでした。

それから未知の土地への航海と言う話しですが、当時の中国にはアラビア辺りから多数の商人が来ていましたので、相当の事は知っていたと思います。
一例を上げればアラビアの旅行家イブン・バットゥータ(1304-1368)は中国に到着し、当時は元でしたが、元の首都大都(北京)に来ています。

そして鄭和の航海の目的が各地の王様に朝貢に来るよう促すためだったと言われているので、その為にもアッと驚く巨大船の意味が有ると思います。
また多数の軍隊もつれて行っているので大艦隊になった、そうだと思います。

また中国から東南アジア、そしてインド、アラビアへの道の一番の問題の所は当時も今もマラッカ海峡です。
帆船の時代、マラッカ海峡500キロを超えるのに50日くらいかかったそうです。風が全くない所なので1日10キロ、そんな風でした。
仕方がないので小舟を出して本船にロープをかけ、エッチラオッチラ櫓でこいだそうです。

この辺りの事情は後日別エントリーで説明するつもりです。
  1. 2014-05-17 21:58
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

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