2014-02-24 14:55

アンコールワットが祇園精舎?

 水戸徳川家に昔から伝わる「祇園精舎図」と言うものが有る。
昨日のアンコールワットの写真の話で、無才さんから昔もアンコールワットを参拝した日本人がいるとの話が有った。その祇園精舎図を紹介しよう。

これが祇園精舎図
2014-2-24水戸徳川家蔵アンコールワット図


そしてこれがアンコールワット平面図
2014-2-24アンコールワット平面図

確かにこれはアンコールワットである。
当時はプノンペンに日本人街が有り、日本人はアンコールワットを祇園精舎と信じていたらしい。
尚当時のカンボジアを日本では南天竺と呼んでおり、そんな所からも勘違いしていたようだ。

上掲「祇園精舎図」は島野兼了の作と書いてあり、長年そう信じられてきた。
しかし最近上智大学の石澤良昭教授(学長)などの研究でこの話が偽名ではないかと問題提起され、現在ではこの図の作者は森本右近太夫一房ではないかと言われている。
この森本右近太夫がアンコールワットに楽書した人物で、その年代は寛永9年(1632年)正月30日となっている。

この直後に日本人が海外に出てゆくことが禁止されたのだが、この当時の日本人は元気だったんだなあ、そう思います。
  1. カンボジア
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コメント

森本右近太夫

森本右近太夫、なんとも興味深い人物ですね。

父親の菩提を弔いに行ったのでしたっけ?。


感覚的に海外といったら一歩引いてしまうようになったのはやはり徳川幕府体制の影響でしょうか?。

考えてみれば和冦は太平洋シナ海を縦横無尽に活躍したわけですし、フランシスコ・ザビエルの逆コースを途中まで行っただけですし。

山田長政や安倍仲麻呂や空海を思えば滞在期間もそれほどではありません。

桃山江戸初の日本人にとって海外はそこまで特別なところというわけではないでしょうね。


しかし見てきただけでなく見事な図面を残したものですね。
現在の保存修理のためにもありがたい資料なのではないでしょうか?。
  1. 2014-02-24 15:23
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  3. ガンダム #iL.3UmOo
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Re: 森本右近太夫

> 森本右近太夫、なんとも興味深い人物ですね。
>
> 父親の菩提を弔いに行ったのでしたっけ?。
>
>
> 感覚的に海外といったら一歩引いてしまうようになったのはやはり徳川幕府体制の影響でしょうか?。
>
> 考えてみれば和冦は太平洋シナ海を縦横無尽に活躍したわけですし、フランシスコ・ザビエルの逆コースを途中まで行っただけですし。
>
> 山田長政や安倍仲麻呂や空海を思えば滞在期間もそれほどではありません。
>
> 桃山江戸初の日本人にとって海外はそこまで特別なところというわけではないでしょうね。
>
>
> しかし見てきただけでなく見事な図面を残したものですね。
> 現在の保存修理のためにもありがたい資料なのではないでしょうか?。


そうなんです。この当時の人の行動力は凄い。
今の様に飛行機でどこへでも行ける時代でも海外と言うと尻込みする人が多い。
そんな中で見ず知らずの人の中で海外に行く、凄いと思います。

私は自分の経験から言っても若い人に是非とも海外を見てほしい。
それも観光の団体旅行ではなく、自分の見たい所をどんどん見に行く、そんな旅行をしてほしいと思っています。
私の子どもは一人は教師をしていますが、海外での経験が随分役に立ったようで、子どもたちにそんな話をしているようです。

ただ森本右近太夫は帰国してみたら日本は鎖国時代に入ってしまった。
その為にどうも名前を隠していたようです。
本文の祇園精舎図に書いてある名前、島野兼了もそんな事での偽名らしい。
実は私の遠い遠いご先祖様もこの時代、自分の名前を系図からも消して息子達に代を譲り隠遁生活したらしい。
こんな事が最近分かりました。
時代の流れの中ではそんな事もあるんですね。
  1. 2014-02-24 21:06
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  3. 短足おじさん二世 #-
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鎖国

ずいぶん微妙な時期に行ってしまった方ですね。支倉常永の苦労などもありましたし、最近の図面偽名説には説得力がありますね。
それでも見て来た祇園精舎を図面に残した右近太夫、やはり男そしてサムライだと思います。

祇園精舎との誤解と言われますが、まだ栄華の余韻を残したアンコールワットを見たならこれぞまさしく祇園精舎と思ってもなんら不思議はないと思います。
  1. 2014-02-24 21:27
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  3. ガンダム #iL.3UmOo
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こんばんは。

当時インドへ行ったとしても、仏教は、遥か昔に衰退していましたから、アンコールワットを祇園精舎と思ったのは、幸せな勘違いであったと思います。
ただ、本当のことを知っていた日本人も居たとは思います。
  1. 2014-02-25 00:07
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  3. 無才 #-
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Re: 鎖国

> ずいぶん微妙な時期に行ってしまった方ですね。支倉常永の苦労などもありましたし、最近の図面偽名説には説得力がありますね。
> それでも見て来た祇園精舎を図面に残した右近太夫、やはり男そしてサムライだと思います。
>
> 祇園精舎との誤解と言われますが、まだ栄華の余韻を残したアンコールワットを見たならこれぞまさしく祇園精舎と思ってもなんら不思議はないと思います。


祇園精舎図の謎もですが徳川幕府の鎖国政策は随分思い切った事をしたもので、その為に苦労した人も多かったんだと思います。
海外で苦労していたら帰国する道をふさがれてしまった人が何千何万と居たんでしょう。

本文では森本右近太夫の詳しい話のソースを書きませんでしたが、上智大学の石澤学長の論文はこれです。
http://angkorvat.jp/doc/ang-ishizawa4.pdf

まあ海外に出るとこの手の話には事欠きません。難しいですね。
  1. 2014-02-25 07:13
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  3. 短足おじさん二世 #-
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Re: こんばんは。

> 当時インドへ行ったとしても、仏教は、遥か昔に衰退していましたから、アンコールワットを祇園精舎と思ったのは、幸せな勘違いであったと思います。
> ただ、本当のことを知っていた日本人も居たとは思います。


仏教の故地めぐりはインドでは当時でも無理だったでしょうね。
だからアンコールワットが祇園精舎と思うのは無理ない事と思います。
しかし1600年代のカンボジアではアンコールワットに色んな文字が書いてあるが読める人はもう居なかった、そんな悲しい歴史が有ります。
文字を失った民の哀しい所、気の毒としか言いようが有りません。
日本人は当時でも何百年前の文書でも読めました。そんな常識でカンボジアを見た時多分理解不能だったんだと思います。
  1. 2014-02-25 07:20
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  3. 短足おじさん二世 #-
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鎖国の原因

カトリックの司祭の方から聞いた話ですが、

当時の政府が鎖国を実施したのは当然である。
鎖国=スペイン、ポルトガルなどの影響力の排除である。
当時のかの国らがインカ、メキシコ、フィリピンなどでやってきたことを知ったらそれに対して警戒するのは自然な主権国家としての態度である。キリスト者としてははなはだ残念ではあるがやむを得ない結果と言うべきだ。

とのことでした。
鎖国に関してメリットデメリットがあったと思いますが、
現在においても悪意しかない中国朝鮮などと交際するべきか?と言われればまさに疑問といったところです。
  1. 2014-02-26 08:06
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  3. ガンダム #iL.3UmOo
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Re: 鎖国の原因

> カトリックの司祭の方から聞いた話ですが、
>
> 当時の政府が鎖国を実施したのは当然である。
> 鎖国=スペイン、ポルトガルなどの影響力の排除である。
> 当時のかの国らがインカ、メキシコ、フィリピンなどでやってきたことを知ったらそれに対して警戒するのは自然な主権国家としての態度である。キリスト者としてははなはだ残念ではあるがやむを得ない結果と言うべきだ。
>
> とのことでした。
> 鎖国に関してメリットデメリットがあったと思いますが、
> 現在においても悪意しかない中国朝鮮などと交際するべきか?と言われればまさに疑問といったところです。


驚きました。鎖国の理由ではなくカトリックの司祭の方がそんな事を言ったという事です。
司祭の方の仰ったことはまさしく事実です。安土桃山時代、いやその前戦国時代終り頃には日本からヨーロッパに行くルートは二つありました。
一つは日本からフィリッピン、インドと渡りアフリカ大陸を超えていくルート(スエズ地峡回りと喜望峰回り)。
もう一つがフィリッピンから太平洋を越えてメキシコに上陸しカリブ海・大西洋を渡っていくルート。
ですから戦国時代終り頃の日本人はそんな国際情勢を良く知っていました。
秀吉が伴天連追放令を出したのですが、その理由は彼らが日本人を奴隷として売り飛ばしたから、その対抗策としてです。
(戦国大名は火薬(硝石)を欲しがり、その対価として人間を売り飛ばした、そんな経緯が有ります)

尚この鎖国、本当は窓口限定の管理貿易体制と言うべきものでした。
窓口は三つ、一つは長崎ですが他に対馬が朝鮮半島・中国の窓口、鹿児島が琉球経由で中国・東南アジアの窓口でした。
ですから江戸時代と言えども外国事情は結構知られていましたね。

尚ヨーロッパ人が侵略できた理由は鉄砲を持っていたからだと言われており、事実なのですが本当の理由がもう一つある。
彼らが持ち込んだ疫病です。ヨーロッパ人は免疫を持っていたから発病しない。
しかし現地人は免疫が無く全く無抵抗だったので発病し人口が大激減した。これが大きいです。

尚欧米人はこの事を知っており、最近でも宇宙ロケットで人間を宇宙に行かせたとき、帰ってきた宇宙飛行士への防疫対策は凄いものが有りますが、その理由はこんな歴史からです。
  1. 2014-02-26 09:57
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  3. 短足おじさん二世 #-
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インカの反乱

おそらくお読みになったかと思いますが、岩波文庫に収録されているインカの反乱という書物があります。
インカ帝国最後の皇帝?を自称したトゥクパクユパンギという人物が帝国最後の拠点を出てスペインの軍門に降り、カトリックに改宗して司祭にインカ最後の歴史と自身の身の安全の嘆願を口述筆記してもらった記録で、時の法王庁からは完全に黙殺され、保管だけされていたものが近代に図書館で発見されインカ研究の貴重な資料になっているものです。

疫病の猛威がインカの軍事力と経済にとどめを刺したのは事実ですが、
よく訓練された正規軍だったとはいえ200人で30万人だかを打ち破ったスペインの戦闘力は強すぎ、またインカ帝国弱すぎです。

末期インカ帝国は権力闘争の時代で正統にあらざる皇帝がテクノロジーで武装したスペイン人を神に祭り上げ、それと結託して自身の正当化にやっきだった時代でした。

しかしスペイン人があまりに横暴なのでついに反乱になるのですが、神に逆らうビビりがインカ軍には常に存在し、そこに生きることをあきらめた覚悟を決めたスペイン軍につけ込まれたとも言えると思います。
  1. 2014-02-27 02:25
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  3. ガンダム #iL.3UmOo
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Re: インカの反乱

> おそらくお読みになったかと思いますが、岩波文庫に収録されているインカの反乱という書物があります。
> インカ帝国最後の皇帝?を自称したトゥクパクユパンギという人物が帝国最後の拠点を出てスペインの軍門に降り、カトリックに改宗して司祭にインカ最後の歴史と自身の身の安全の嘆願を口述筆記してもらった記録で、時の法王庁からは完全に黙殺され、保管だけされていたものが近代に図書館で発見されインカ研究の貴重な資料になっているものです。
>
> 疫病の猛威がインカの軍事力と経済にとどめを刺したのは事実ですが、
> よく訓練された正規軍だったとはいえ200人で30万人だかを打ち破ったスペインの戦闘力は強すぎ、またインカ帝国弱すぎです。
>
> 末期インカ帝国は権力闘争の時代で正統にあらざる皇帝がテクノロジーで武装したスペイン人を神に祭り上げ、それと結託して自身の正当化にやっきだった時代でした。
>
> しかしスペイン人があまりに横暴なのでついに反乱になるのですが、神に逆らうビビりがインカ軍には常に存在し、そこに生きることをあきらめた覚悟を決めたスペイン軍につけ込まれたとも言えると思います。


私はインカ帝国滅亡に関しては殆ど知識が無い、それで詳しい事はなんとも言えません。
しかしどう考えてもたった200人やそこらで万の単位の相手と戦う、これで勝つ方法など有りません。
可能性があるのはインカ側の内紛でしょう。
同様の例はタイやビルマでも見られました。
ポルトガル人がやってきたのだが、数が違いすぎて真っ向勝負では何ともならない。
彼らが選んだ手は傭兵になることでした。
ビルマではその作戦がうまくいきまして、ビルマ王(一地域の王です)になったポルトガル人もいました。
タイではうまく行かなかったです。
いずれにしてもタイとビルマが戦争すると両方にポルトガル傭兵がいる、こんな状況でした。

これは私の水量ですが・・・
インカも滅亡にはこんな内紛が有ったんでしょう。だから付け込まれた。
そこへ疫病の蔓延、こんな所ではないかと思います、

外敵は怖くないが内なる敵が困る、何か今の日本と同じですね。
  1. 2014-02-27 14:40
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  3. 短足おじさん二世 #-
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インカ帝国の滅亡

滅亡の顛末は簡単に申すとこんな感じです。

ピサロに率いられてスペイン軍侵攻し、皇帝位を争っていたアタワルパと会見を設定しその場で逮捕。
これを喜んだライバル側がスペイン側を歓迎し、皇帝の天からきた友人の神様として自由に振る舞わせる。
スペイン人、やりたい放題。
それでも神様なので我慢していたところ、インカの最大の祭りで祭具の宝石をスペイン人が強奪したのでついに民衆がほう起し、皇帝もスペインに宣戦布告しなければならなくなる。
インカの首都に籠もるスペイン人200人を各地の軍団30万人で包囲。

座して死を待つべからず!と覚悟を決めたスペイン人は全員で首都を囲む高地のうちの最高峰の要塞に突撃。
これを陥落させ占領。
各方面からの増援を要塞に籠もって撃退し、インカ軍損害多数。
このタイミングで天然痘が大発生し、
インカ軍は神に逆らったのは誤りであった!と戦意喪失、続々降伏し、支配階級は無抵抗で処刑され、皇帝は民衆の敵とみなされ首都を放棄し、山奥の離宮へ亡命。

というのがインカの反乱に語られています。
  1. 2014-02-27 16:04
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  3. ガンダム #iL.3UmOo
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Re: インカ帝国の滅亡

> 滅亡の顛末は簡単に申すとこんな感じです。
>
> ピサロに率いられてスペイン軍侵攻し、皇帝位を争っていたアタワルパと会見を設定しその場で逮捕。
> これを喜んだライバル側がスペイン側を歓迎し、皇帝の天からきた友人の神様として自由に振る舞わせる。
> スペイン人、やりたい放題。
> それでも神様なので我慢していたところ、インカの最大の祭りで祭具の宝石をスペイン人が強奪したのでついに民衆がほう起し、皇帝もスペインに宣戦布告しなければならなくなる。
> インカの首都に籠もるスペイン人200人を各地の軍団30万人で包囲。
>
> 座して死を待つべからず!と覚悟を決めたスペイン人は全員で首都を囲む高地のうちの最高峰の要塞に突撃。
> これを陥落させ占領。
> 各方面からの増援を要塞に籠もって撃退し、インカ軍損害多数。
> このタイミングで天然痘が大発生し、
> インカ軍は神に逆らったのは誤りであった!と戦意喪失、続々降伏し、支配階級は無抵抗で処刑され、皇帝は民衆の敵とみなされ首都を放棄し、山奥の離宮へ亡命。
>
> というのがインカの反乱に語られています。


なるほどねえ、情報ありがとうございます。
しかしこの大航海時代の白人は本当の姿は凄いですねえ。
北米大陸でネイティブ(インディアン)を2千万人位全滅させたり、何かシナ・チョウセン人に相通じるモノが有る。
矢張り日本が伴天連追放令を出したり、鎖国したりしたのは正解だった。そんな感慨を覚えます。
しかしそんな白人優先主義との軋轢も日露戦争以来もう110年ですか。
日本人の矜持が今こそ問われている訳ですね。
  1. 2014-02-27 17:44
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  3. 短足おじさん二世 #-
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