2013-10-25 15:14

五平餅の由来と伝播<広重と五平餅の続編です

 広重と五平餅の話の続編として五平餅の由来と伝播についてまとめました。
最近東海地方ならどこでも手に入る五平餅ですが、その由来などは諸説入り乱れています。

参考までにウィキペディアで五平餅と言う項目が有ります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%B9%B3%E9%A4%85


しかし此処で五平餅の由来はと言うと
「江戸時代中期頃に木曽・伊那地方の山に暮らす人々によって作られていたものが起源というのが濃厚である。米が貴重であった時代、ハレの食べ物として祭りや祝いの場で捧げられ、食べられていた。」 こうなっている。

 私が昭和40年代に五平餅を探して奥三河や東濃・南信を走り回った頃に聞いた話で肝心な部分、それは「ハレの食べ物として祭りや祝いの場で捧げられ、食べられた」、こんな事。
そして伝統的な五平餅は「わらじ型」といってこんな形。
2013-10-25わらじ型五平餅


昔ながらの五平餅は本当にわらじ並みの大きさ、現在は食べやすさの為小さめになっている。


そこで3年前こんなエントリーをした。
五平餅の話
http://tansoku159.iza.ne.jp/blog/entry/1752072/

ここで長野県木曽谷の中山道妻籠(つまご)の宿から伊那谷の飯田に抜ける街道の宿場、大平の宿でこんなモノを見つけた。
五平餅は大平の宿が発祥の地なのだと言う。
2013-10-25大平宿の看板



此処に書いてある文章はこんな風

五平餅の由来
 今を去ること二百数十余年前の大昔、
この大平部落の開祖「山田信七」が開発した
同じ頃、大蔵五平という杣師(そまし:キコリ)が
住んで居たとの事。
 その五平が山仕事に毎日弁当(昼飯)には
必ずにぎり飯を平にし味噌をつけ、それを
火で焼いて食するのが常食だったとの事。
 (当時はわらじの型で五平五合と言って
 1人でこの位い食したとの言い伝え)
 これを見た連れの者達が、五平餅と名付け
春と秋の山の神の祭りのごちそうとして、
又来客の接待など今に伝わっている。
 (五平餅の発祥の地がこの大平部落であり
      今では全国に伝わっている)
                加藤

所でその大平の宿は現在廃村になっているのだが、その村の由来がどうなっているかwikiに依れば
「江戸時代中期(宝暦4年、1754年)、伊那谷と中山道の妻籠宿を結ぶため、飯田藩によって大平街道が建設された。
そして木地師の大蔵五平治と穀商人の山田屋新七が、信濃飯田藩から許可を得て開墾したことに始まる。」

この話は上掲の看板の内容と符合する。つまり大蔵五平とは大蔵五平治の事。
そして街道開通の翌年には藩主が此処を通って上京し、その折五平治の家で休息したことが記録されている。
恐らく五平治はこの村の庄屋だったのだろう。


そして杣(そま、きこり)がどんな風に仕事をしていたか、それが良く分かる資料が有る。
岐阜県の坂下町、現在の岐阜県中津川市坂下の鎌田宮雄氏が昭和59年に出版した「ふるさと坂下」と言う本が有る。現在これはネットで見られるのだがここに戦前の杣の様子が古老などの聞き取りを中心にまとめられている。
ふるさと坂下
杣と日用
http://www.takenet.or.jp/~ryuuji/saka/furusato/110.html

此処を見ると杣の仕事は山に入るのが4月1日(江戸時代は八十八夜の前の晩)、そこで先ず山の神に山の安全を願って祈りをささげてから山に入る。
山に入ったら月一度の休み以外は働きっぱなし。そして休みには山の神を祀って五平餅を食べたり酒を飲んだり、そんな生活が晩秋まで続いたとの事。

山中の杣の小屋での休日。
2013-10-25杣の休日


 こんな仕事をしていた男衆が冬になると山里の家に帰ってくる。
そんな所で山の神を祀る山の講で五平餅を食べた、この経験が山里の習慣になったようである。

つまり五平餅の由来は、最初は大平宿の大蔵五平さん(五平治さん)、
それが山仕事の共同生活で山の男たち(杣、きこり)の習慣になり、それぞれの故郷の山里の習慣になった。

そんな事が言えるようである。

最後に山里の山の講まつりがどんなものか、それが分かる事例を紹介しよう。

これは中津川市加子母の方のブログ。
http://blog.goo.ne.jp/kashimo-michi/e/27850d39d590d282e4e4a8e089d2dde0

山の講まつり

2007年02月07日 | 加子母情報
2013-10-25加子母の五平餅



毎年この時期、加子母では地区ごとに「山の講まつり」があります。
道の駅のベテランスタッフも五平餅づくりにかりだされて、写真のような大きな五平餅を持ち帰ってきました。木の部分は「サワラ」です。
米の部分も美味しかったですが、手作りの五平の味噌ダレが絶品でした。

次回の山の講では、道の駅独自で五平餅イベントをやりたいものです。
山の神(女)に捧げる、この時期限定の五平餅の形に、お客様もきっと驚く(喜ばれる?)ことでしょう。

●●山の講とは●●
山の講は毎年2月7日と12月7日の2回で、木で作った山仕事の道具や男根、小豆飯、いわしの丸干し、それに御神酒を供えます。
神事がすむと火を焚き暖をとりながら飲食。
山の講には山で働く者全員が参加し、もしこの日山で働くとケガをするといういい伝えがあったから。山の神は女神で、女性は参加できない。
男根が供えられるのもそんなところに理由があるようです。


最後に蛇足中の蛇足、山の講は、山は女性は入ってはいけない、この事について。
上掲の山中の小屋に若し女性が入ってきたら・・・
何か月も女っ気なしで暮らしていた山の男衆、何が起こるか分からない。
(早く言えば従軍慰安婦状態・・・)
そんな事で間違いを防ぐため山の神は「女」、だから人間の女は入ってはいけないという事になっているとの説もある。
山の神が何故女かは諸説あるが、その一つという事で。

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