2013-06-07 14:18

泰麺鉄道の話

  先日泰麺鉄道の話をアップしたのだが、その後他の人と話をしていて皆さん泰麺鉄道について誤解していると感じた。

私も同じだった。

つまり映画「戦場にかける橋」のイメージが強すぎるのだ。

 

死の鉄道と言われ、日本軍が虐殺したと疑われているが事実はどうだったのか。

そんな事を纏めてみたい。

 

 

最初に泰麺鉄道がどんな所を通っていたか。

 

 

こんな所を通っていた。

ビルマに進攻した日本軍の補給路として計画されたもの。

そしてタイ側のほぼ全域がカンチャナブリ県に属している。

 

路線は全長415キロ、このうち300キロがタイ側、残りがビルマ(ミャンマー)側である。

タイ側、ビルマ川とも最初の50キロ位は人家のある開けた土地、しかし残りの約300キロはジャングルの中で、特にタイ側には岩山や大河(クウェー・ヤイ川)が有った。

 

さて死の鉄道と言われる原因はその死者数。前回の紹介したがこんなモノ

 

泰麺鉄道建設による死者の数

 

戦争捕虜者数  62,000人  ⇒ 死亡者数 13,000人 (21%)

徴用労務者数 200,000人  ⇒ 死亡者数 42,000人 (21%) 

(タイ・ベトナムなどの徴用労務者)

日本人従事者  10,000人  ⇒ 死亡者数  1,000人 (10%)

合 計      272,000人  ⇒ 死亡者数 56,000人 (21%)

 

 

 

では泰麺鉄道の三大難工事がどんな所かを紹介。

おっとその前に、

最大の難工事は超短期間という事。現地を調査した鉄道隊はどんなに急いでも5年かかると工期を見積もった。それを1942年7月~1943年12月の1年半でやろうとした。更にそれを4か月短縮しようとした。

それに輪をかけたのが現地の天候。工事の最盛期が丁度雨季。

しかも運悪く1943年は例年より1ヶ月も早く雨季が始まった。

連日のスコールで現場は泥んこ、兵站路の川は増水で船が使えず、食料などの補給もままならなかった。この事を前提として・・・

 

 

さて能書きはともかく最初の難工事、これが戦場にかける橋、クウェー・ヤイ川鉄橋。

 

こんな橋だが今は鉄道橋ではあるものの住民の生活道路になっているし、休日にはこんなモノも。

 

 

私も乗ってみた。結構楽しいトロッコ。

タイ人は嬉々として鉄橋の上を楽しんでいる。

 

しかしこの鉄橋は日本軍にしてみればビルマ戦線への貴重な補給路、その為連合軍の攻撃目標になっていた。

 

爆撃によりこの鉄橋は使用不能だったが奥の木造橋(工事用の仮橋)は使用可能(簡単に修理できた)。

この鉄橋、上の現在の写真で分かるように手前が曲弦トラスでこれがオリジナルのモノ、奥が平行弦トラスだがこれは戦後(昭和25年)に戦後賠償の一環で復旧されたもの。

 

 

 

次の有名な難工事、アルヒルの桟道橋はクウェー川鉄橋から50キロほど進んだところ。畑とまばらな林の間を進むとこんな所へ。

 

そしていきなりこんな所。断崖絶壁を切り取ってそこに線路を敷いた。

 

 

橋脚の構造はこんなモノ

(もちろんオリジナルそのものではない。耐久性を考え補強されている)

 

 

そしてこの断崖絶壁を通る鉄道の絶景動画をお楽しみください 

 

 

 

 

 

そして最後の難工事の現場、ヘルファイアーパスである。

日本軍の工事では「ヒントクの大切通し」と言われていた。この3キロほど手前の「タンピー付近の曲線大木橋」と合わせ現在では「ヘルファイアーパス(地獄の火の峠」と呼ばれている。

1942年7月に始まり、1943年10月に完成した泰麺鉄道の建設工事で最後まで残った最大の難関だった。

 

 

この切り通しにはこのように記念に線路が一部残してある。

 

そしてこの岩山の上に行くと

 

 

ジャングルの中に工事の時に使った土砂運搬用のトロッコが・・・

今なら重機でこんな切り通し簡単に掘削できるが、何せ1943年である。

ツルハシとスコップ、そしてダイナマイトしか使えるモノの無い、それでいて超突貫工事だった。

(やっと削岩機が手に入ったのが1943年5月末の事らしい)

 

 

ビルマ方面の戦局は厳しさを増してくる。海上補給はますます困難になってきた。

1943年2月、大本営は工期を4ヶ月短縮し8月完成を指令する。

不可能と上申した現地鉄道司令部の幕僚長は左遷召喚された。

しかし何も妙案が有るわけではない。結局規格を落とすことと兵力・人員の大量投入しかなかった。

この為連合軍捕虜もさらに追加されたが、そんな人員には病人も多数いたようである。結果として現地の負担を増やし、犠牲者を増やすことになったようだ。

 

・・・おお! 何とこの所、2011年3月に全く同じことをやっていたではないか・・・

・・・正論を言ったら即クビ、その時の責任者は「空き缶」だったが・・・

 

 

 

そしてこのヘルファイアーパス、こんな記念館が出来ている。

ヘルファイアーパス・メモリアル

 

このヘルファイアーパス・メモリアル、実はオーストラリア政府が援助して建設し、現在もオーストラリア政府が運営している。

この記念館のある土地はタイ軍の敷地内、そんな事になっている。

 

泰麺鉄道建設で白人捕虜に多数の死者が出た、その怨念を感じさせる設備である。

私が行った時も中に入った時の異様な雰囲気、忘れられない。

 

 

さてその工事の悲惨な状況、それをしっかり調べた方がいる。

吉田修氏と言うその方がタイ国日本人会の会報「クルンテープ」に投稿したもの、以下にその全文を見ることが出来る。

http://www8.plala.or.jp/taimen/note.htm

 

尚この泰麺鉄道に関する調査、大変良く調べてある。私も読んでみて大いに感心した次第。ご興味のある方は是非どうぞご一読を。

 

 

その中でも最も悲惨な状況を一部紹介したい。(全文は長すぎるので・・)

 

<以下引用>

 

第3期  最大の危機  43年2月~7月中旬

 

最も困難な時期であった。豪雨による補給途絶、疫病の発生などの悪条件に加えて工期短縮命令が下り、進退窮まる中で必死の工事が続き多くの犠牲者が出た。

  

「工期の短縮」

 

ビルマ方面の戦局は激化する一方、海上補給は、ますます困難になってくる。2月上旬、大本営は工期を4ヵ月短縮し8月完成とせよと指令する。不可能と上申した現地鉄道司令部の幕僚長は左遷召還された。しかし中央においても妙案があるわけもない。結局のところ、路線や平行道路の規格を落とすとともに、工事兵力・労働力などを大量に投入し、現場の尻をたたいて急がせるしかなかった。 

  

「作業力の強化」

 

 こうして建設・兵姑・医療を強化すべく2個工兵連隊、特設鉄道隊、野戦病院、兵站地区隊などが急いで追加配備され、待ちに待った削岩機も5月末にやっと到着した。また3月からはビルマ労務者、ついで4月からマーフヤ、タイ (華僑)労務者などの投入も始まった。捕虜も大量に追送されることになったが、病人が多数含まれていいたため受入側の負担は重くなり不幸な犠牲者の数をを増す結果となる。

  

「早かった雨季入り」

 

 折あしく雨季がビルマ側で4月中旬、タイ側で同下旬と約1ヵ月早く到来した。ビルマ側、タイ側のいずれの道路も工事未了のまま泥の海となった。補給輸送のトラックは板バネや車軸を折り、泥に埋まった。またケオノイ河も洪水期の始めには流木や水位激変のため舟運が困難となった。このため交通が途絶し、各所の食料はじめ補給が途絶え始める。そこに追加配置された捕虜、労務者が泥道を歩かされ疲労困憊して到着。さらに負担がますはめになった。奥地の作業所では、米主体の給食も定量の2分の1から3分の1に滅少し、カロリー・蛋白・ビタミン類の不足で栄養不良が一般化した。それまで捕虜・労務者キャンプの周辺に群がっていた食品・煙草などの物売りも姿を消した

 

 一方、ビルマ増援の第31師団は、鉄道完成を持てず線路沿いに泥濘と化した工軍用道路を徒歩でビルマヘと急いだ。将兵は雨の中を、捕虜さえも哀れむような強行軍を行い、この間建設作業を少なからず阻害した。

  

「疫病の蔓延」

 

 悪運はさらに続いた。ビルマ側からか労務者の持ち込んだコレラが蔓延し、マラリアや赤痢、熱帯性潰瘍なども日常茶飯事の状況下にあった。天然痘患者もクンビザヤで見つかり、種痘を大量に行って辛うじて防いだ。医療要員、施設、資機材のすべてが不足しており、全工事を通じてこの時期に最も多くの死者を出したが、特に組織が弱く、専用の要員・施設をもたず衛生知識も乏しい労務者に死者が多く出た模様である。

  

「工事の強行」

 

 工事への出面率も大幅に低下し、ひどいところでは配置人員の2割しか働けないところもでてくる。このような状況下にあっても工事の遅滞は許されなかった。日本の工事部隊にとっては工事現場は戦場であったのである。「連隊ハ全滅スルトモ(難所を)強行突破セョ」と鉄9連隊長は訓示した。昼夜交替で長時間にわたって、わずかな日本兵が率先し、捕虜も労務者も、皆が栄養不良と疲労でフラフラになりつつも工事は続行された。そしてチュンカイの切通し、アルヒルの桟道橋、メクロン鉄橋、ビルマ側の六木橋、タンピーの曲線大木橋と次々に難工事部分が完成していった。

 

<引用終り>

 

 

しかしこんな難工事だったが、捕虜に対する虐待もあった。

そんな事の分かる記述が上掲「吉田修氏のまとめ」に記述されている。

 

<以下引用>

 

「泰緬鉄道関係裁判の結果」

 

 

 

 


 46~47年にシンガポール軍事法廷で行われた泰緬鉄道関係裁判の結果、捕虜虐待により起訴120人、有罪111人、内死刑32人の判決が下された。部隊別では捕虜収容所が過半を占め、が階級別では直接捕虜に接した朝鮮人軍属と現場での指揮官であった尉官群を抜いて多い。またこれら戦犯容疑者については、シンガポールに収監中、食事等におけるかなりの虐待(餓死)をくわえられた模様である。

 

また南方におけるBC級裁判では、判決書朗読や判決理由説示の形式さえとらないで断罪(処刑)されたケースもあったとされるが泰緬鉄道関係については不明である。

 

<引用終り>

 

 

何とこんな所に朝鮮人軍属が顔を出している。

この泰麺鉄道の工事、無茶苦茶な指令の元での工事なのは知っていた。それにしても捕虜虐待が酷かったと言われるのがどうにも腑に落ちなかったが、これを見て納得である。

 

日本の鉄道建設部隊は殆ど最前線で建設工事に従事していた。

捕虜の虐待がどうして起こったのか興味のある所である。

 

 

最後に長年世界を支配していた白人が此処では日本人と言う有色人種に支配される、白人にとっては大変な屈辱であったと思われる。

そして今日の慰安婦騒動の様に根も葉も無い話でも「日本人を貶し辱めるためには何でも飛びつく」、そんな欧米のマスゴミや政治家の風潮を作ってしまったようだ。

 

先の長い話である。

 

  1. タイiza
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コメント

No title

泰緬鉄道については何度もエントリーされてますが、この鉄道自体はビルマ解放後の英軍の反攻に備えるという意味では存在意義はあったでありましょう。

ただ時期的にも遅いし問題だらけでしょう。本当は日本が1942年に国力の過半をかけビルマとインド解放をしなければならなかったのです。1942年にインド洋の制海権を握ればビルマとインドへの侵攻は海上からが可能になります。補給にしても海路ならば陸上より問題は少ないですし容易なものとなります。

現実にビルマ解放は陸路からの行軍となりましたが本来は補給にものすごく苦しむはずでしたが、ビルマ人の反英感情のお陰で現地補給に破綻を来さずすみました。泰緬鉄道はその反省なのでしょうがこれならばクラ地峡から迂回線を作ったほうがよほど良かったのではないかという気がします。現実にかつてエントリされた第二泰緬鉄道のような遺構もあるのですから…

1942年のインド洋こそがあの戦争で日本が引分講話を狙えるような唯一の手段であったものと思ってます。そのためにはできるだけ早期に、インド本土にチャンドラ・ボースを上陸させる必要があったのです。
  1. 2013-06-08 13:01
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  3. kazk #79D/WHSg
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No title

To kazkさん
>泰緬鉄道については何度もエントリーされてますが、この鉄道自体はビルマ解放後の英軍の反攻に備えるという意味では存在意義はあったでありましょう。
・・・返事が長くなるので以下省略・・・

この話の回答には私がタイに行った経緯から・・
バブル崩壊後、最早日本国内ではこれ以上の成長は望めない事がハッキリしてきました。そこで海外に打って出る事にし、紆余曲折は有ったもののタイとインドネシアに出ることにしました。
やっと操業にこぎつけた1997年、通貨危機が襲います。
そこで私がタイに行くことになり、苦心惨憺何とか軌道に乗せてきました。
その過程で一番気にしていたこと、それは「タイには人を腑抜けにする風土が有る。気をつけろ。」という事でした。
この事と「日本に頼らず自立した企業」を目指し欧米系の会社とも結構付き合ってみた、その中で矢張り戦場にかける橋の話がチラッと出てくる、そんな事に気が付きました。

何か三題話みたいですが、こんな事で泰麺鉄道についていろいろ見に行こうと思い立ったわけです。

泰麺鉄道の意義、役割等はご指摘の通りです。
しかし私の疑問はなかなか解けませんでした。その疑問、どうしてあのような死者が出てしまったかです。
そんな中でタイと言う土地は昔から「瘴癘(しょうれい)の地」と言われていた、その理由も大体わかってきました。

どうも話が変な方に行きそうです。全部いっぺんには書ききれませんが折に触れて書いていこうと思います。
最後に、調べてみると泰麺鉄道で体験したことは現在の日本に通じるものが有る、そんな思いが有ります。
日本は今、明治維新・戦後に次ぐ第三の危機、その解決には矢張り歴史を知ることが必要ではないか、今そんな思いを強くしています。
  1. 2013-06-08 21:39
  2. URL
  3. 短足おじさん #79D/WHSg
  4. 編集

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