2012-12-30 22:13

泰麺鉄道再生<日本軍の残虐行為との嘘・汚名を晴らすチャンス

 ミャンマー(ビルマ)の政権が民主化路線に転換したと思ったら何と第2次大戦中の泰麺鉄道を再生させる方針だと言う。

 

 

泰麺鉄道・・・ 映画「戦場にかける橋」で有名なこの鉄道。日本の敗戦とともにイギリス軍などにより廃線にさせられてしまったが、矢張り物流インフラの重要性が理解されてきたようである。

 

 

先ずはそれを紹介する読売新聞の記事。

 

 

私がこの話を聞いてとてもうれしく思う事。

この泰麺鉄道、その建設工事には当時のイギリス・オーストラリア軍の捕虜が動員され、死の鉄道と言われて多数の死者を出した。

これが日本軍の残虐行為の象徴として南京大虐殺と並んで未だに日本糾弾の一事例となっている、その汚名を晴らすチャンスだからである。

 

 

最初にこの泰麺鉄道、どこにある鉄道かと言うと

 

この図の赤線のようにタイとミャンマー(ビルマ)を結ぶ最短コースなのである。

 

そしてこれが戦場にかける橋、(クウェー川鉄橋)

 

 

残虐な日本軍が建設させた橋との汚名を着せられているが、実は地元ではこの下の川を渡る橋はこの辺りでは此処だけ、大切な生活道路なのである。

(良く見れば橋の枕木の上に板が渡してあり、安全に歩けるようになっている)

 

エッ、汽車が来たら危ないですか。

今は客車が1日3往復走ってます。だから汽車の来ない時はこんな安全な橋は無い。

勿論汽車が来た時のために橋の各スパンごとに待避所が有る。上の写真の二人の女性の左後ろにその一部が写っている。

待避所は勿論左右両側にある。写真の白シャツの兄ちゃんの少し先にも当然待避所が有る。

 

 

次は今の橋から50キロほど先の「アルヒルの桟道橋」

 

 

右は断崖絶壁、左は川、列車はここを時速5キロで最徐行で進む。

 

下の川はクウェー・ノーイ川、 映画戦場にかける橋で「クワイ川マーチ」とうたわれた川だが、正しくはクウェー川と言う。

 

何故こんな所に橋をかけたのか? 

通常5年かかるところを突貫工事で1年3ヶ月で完成させた、その為トンネルは掘らない、川の本流は渡らない、長大橋は作らないと言う方針で建設した為こんな事になった。

 

次はさらに先、「ヘルファイヤーパス(地獄の火の峠)」

 

 

恐ろしい名前である。こんな所をツルハシとダイナマイトだけで造ったのである。

今も当時の鉄路の一部が残っている。

 

尚この泰麺鉄道については下記参照ください。

http://tansoku159.iza.ne.jp/blog/entry/2113187/

 

 

そして泰麺鉄道再生にあたって過去の問題を改めて取り上げねばならないだろう。

例えば、この鉄道建設工事の死者は戦争捕虜6万2千人中1万3千人死亡。

日本人建設部隊1万人中1千人死亡している。

実はよく調べると完成直前の4ヶ月ほどで多数の人が死亡しているようだ。

食料も医薬品も満足にない状態でマラリヤなどの風土病が大流行し、現地の病気に免疫のない外国人(つまり日本人と連合国捕虜)が犠牲になったと言うのが真実の様である。

 

そしてこの泰麺鉄道建設の理由はインパール作戦遂行の為と言われ、事実その通りなのだがさらに奥が有る。

アメリカ蒋介石軍を援助するための援蒋ルート、その出発点がインドだったのでインパールを目指した、そう言う事である。

 

援蒋ルートについては以下参照ください。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8F%B4%E8%92%8B%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%88

 

 

この泰麺鉄道の問題はアメリカの反日とその裏に潜むコミュニズムの陰謀をも含めて考えないと解決しない、それだけに一つずつ事実を積み上げることが何より重要だ。

東京裁判史観見直しの一環としてこの話を捉える必要があると思う。

 

 

 

そして貧しいミャンマーの少数民族の為に、この泰麺鉄道再生の話、是非とも日本が参加し実現したいものだ。

 

 

 

最後にこんな写真

 

 

これはつい2年前、ミャンマー政府軍と少数民族との内戦を逃れて隣国タイに避難する人々。

こんな人たちに泰麺鉄道再生が役に立つのなら非常にいいのだが・・・

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コメント

No title

泰緬鉄道ですか…
靖国神社遊就館に保管されてるC56は泰緬鉄道の一番列車を引いた機関車ですよね。

ミャンマーはどうやら支那を完全に見限り、西側につくことを選択したようですね。ASEANの一員としていきたほうが得だという割り切りでしょう。

本来、インド侵攻作戦はアラカン山脈の南側、アキャブからチッタゴンを目指すのが正解だったという気がします。レド公路の遮断などというケチなものではなく、インド解放を唱い42年中にやるべきだったのです。これは大日本帝国の命運をかけてもやるべきだったと思います。

小生実は1942年に日本は戦争資源のすべてをインド洋に注ぐべきであったと信じてるものです。これで英国の力の源泉を叩き切らなければ勝利はないからです。

泰緬鉄道というものはそういう意味では中途半端に終わったのだなあという気もするものです。
  1. 2012-12-31 01:34
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  3. kazk #79D/WHSg
  4. 編集

No title

To kazkさん
>泰緬鉄道ですか…
>靖国神社遊就館に保管されてるC56は泰緬鉄道の一番列車を引いた機関車ですよね。
>
>ミャンマーはどうやら支那を完全に見限り、西側につくことを選択したようですね。ASEANの一員としていきたほうが得だという割り切りでしょう。
>
>本来、インド侵攻作戦はアラカン山脈の南側、アキャブからチッタゴンを目指すのが正解だったという気がします。レド公路の遮断などというケチなものではなく、インド解放を唱い42年中にやるべきだったのです。これは大日本帝国の命運をかけてもやるべきだったと思います。
>
>小生実は1942年に日本は戦争資源のすべてをインド洋に注ぐべきであったと信じてるものです。これで英国の力の源泉を叩き切らなければ勝利はないからです。
>
>泰緬鉄道というものはそういう意味では中途半端に終わったのだなあという気もするものです。


ナルホド、そういう考えもありますね。
日本は2正面作戦を展開した、だから中国を放っておいて太平洋方面に展開すべきだった、そう言う事ですね。

所で泰麺鉄道には第二泰麺鉄道と言うのが有ります。
今年最後のエントリーをその第二泰麺鉄道の紹介にしたいと思います。
  1. 2012-12-31 17:50
  2. URL
  3. 短足おじさん #79D/WHSg
  4. 編集

No title

あけましておめでとうございます(*^▽^)/。

カンチャナブリ変わってませんね!。
初めてここを訪れたとき、戦場にかける橋の中の荒涼とした風景の中の木製橋とは似ても似つかない綺麗な緑の中の鉄橋だったので驚きました。

近くのレストランに入ったら英語通じず日本語通じずで、しかたなく唯一知っていたタイ料理トムヤムクンを頼んだら辛くて喉通りませんで、お店のご主人がご飯をただでサービスしてくれて混ぜて食べても3分の2残してしまいましたf^_^;。

このプロジェクトは是非成功させたいですね。
  1. 2013-01-04 00:43
  2. URL
  3. ガンダム #79D/WHSg
  4. 編集

No title

To ガンダムさん
>あけましておめでとうございます(*^▽^)/。
>
>カンチャナブリ変わってませんね!。
>初めてここを訪れたとき、戦場にかける橋の中の荒涼とした風景の中の木製橋とは似ても似つかない綺麗な緑の中の鉄橋だったので驚きました。
>
>近くのレストランに入ったら英語通じず日本語通じずで、しかたなく唯一知っていたタイ料理トムヤムクンを頼んだら辛くて喉通りませんで、お店のご主人がご飯をただでサービスしてくれて混ぜて食べても3分の2残してしまいましたf^_^;。
>
>このプロジェクトは是非成功させたいですね。


あけましておめでとうございます。

そうですか、カンチャナブリに行かれたことが有ったんですか。
実はあのクェー川鉄橋は最初に出来た木造の橋は工事資材運搬用の仮橋でして鉄橋も次の年には完成しています。
本文にある鉄橋の写真、良く見ると橋桁の形が手前は曲線、二人の女性の奥が直線のトラスです。
曲線の方が最初に作られたもの。
直線のトラスは連合軍の爆撃で破壊されたものを戦後日本が復旧したものです。

爆撃で鉄橋は破壊されましたし、木造橋も破壊されましたが木造だけあってすぐ修理でき、結局連合軍はこの橋は完全に物流を止めるほど破壊することはできませんでした。

機会が有りましたらまた是非どうぞ。
  1. 2013-01-04 20:33
  2. URL
  3. 短足おじさん #79D/WHSg
  4. 編集

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