2009-09-27 18:32

食べる物がなくなった時民族移動が始まる<タイの事例です その1

日本人のルーツを考える一環として弥生人が何処からどうやって渡来したか、さまざまに議論されている。

今回視点を変えて同じ稲作民であるタイ人がどのようにタイに移動してきたかを考えて見たい。

 

現在未曾有の不況の真っ只中だが、こんなときこそ歴史の中に学ぶものがあるのではないか・・ そんな思いで考えてみた。

 

 

最初に分かり易くする為、タイ国とタイ人について、

 

タイ国 人口約6700万人、内広い意味でのタイ族・・5000万人

     華僑系・・900万人、その他モンクメール系等

 

タイ人 広い意味でのタイ語系の言葉を話すタイ族の人はタイ以外に

     中国雲南省南部・・約100万、ベトナムに約100万

     ミャンマー(ビルマ)に約250万、ラオスに約600万住んでいる

      (ラオス人はタイ族の一部ラオ族だが、タイ東北部もラオ族で言葉も同じ)

 

 タイに住んでいる人=タイ人だが

 タイ語系の言葉を話すタイ族の人=タイ人とも言える、しかし両者は同じではない

 

 

 

さてこのタイ族の人は、昔は中国南西部雲南省あたりに住んでいた。そして或る時民族移動を始め、現在のタイの地に来たと言われている。

その時期は諸説あるものの11世紀頃から南下を始め、13世紀中頃から14世紀中ごろの100年間は「タイ族の沸騰」と呼ばれ、現在のタイ・ラオスにタイ族の王国を建設した。

この時期は日本では鎌倉時代から室町時代のこと、そう歴史が古い話ではない。

 

またこのタイ人のタイの地への南下は、従来の学説は蒙古(元)が攻めてきた為、それに押されての南下と言われていた、然し現在ではこれは否定されている。

(タイ人の民族移動の原因についてはこのエントリーの最終回で考えたい)

 

 

前置きが長くなった、ではその移動の形態はというと

1) 移住先は最初は山間部の盆地で水田稲作の出来るところ

   後に平原の水田稲作の出来るところ

 

2) 移住は血縁関係を中心とした一種の戦闘部隊をつくり三々五々南下したと見られている

   (注:タイ人は侵略民族であったが征服民族ではなかった)

 

3) 入植地ではムアン(グと呼ばれる防御機能を持った集落を作った

   後にはこれが拡大し城壁と堀で囲まれた都市になった

 

 

タイ人が最初に選んだ入植地は山間部の盆地や谷筋の低湿地である。

こんなところが最初の入植地

 

タイ人がここに容易に入植できた理由、それはこの様な水田稲作に適した土地がマラリヤなどが跋扈する、人が住むには不向きな土地だったためだ。

中国人はここを瘴癘(しょうれい:風土病)の地と呼び、恐ろしい土地として恐れた。

稲作には良いが人が住むには危険、だから先住民が少なく比較的容易に入り込めたのだが、入植してみると一村全滅と言ったことも有ったらしい。

 

いかに危険なところであったか、それは映画「戦場に架ける橋」で有名な第二次大戦中の泰麺鉄道建設での死者の多さで分かる。

5年かかるところを1年半で建設した超突貫工事、栄養失調なども多かったが、主な死因はマラリヤなどの風土病、

その死者は

連合軍捕虜 6万2千人中 1万2千6百人死亡

アジア系労働者 約10万人中 3万人死亡

日本人(日本兵と技術者) 1万人中 1千人死亡

この話は日本軍の残虐行為として語られることが多い、しかし死亡率は低いものの日本人も1千人もの犠牲者を出している、つまりそれだけ危険な土地なのだ。

 

 

本題に戻ろう。

しかしタイ人は不思議なことにあまり蚊に刺されない、その理由はこの当時タイ人にはビンロウの実や葉を食べるキンマと言う習慣があり、これがタイ人が蚊に刺されにくい体質を得た原因と言われている。

ところがキンマが過去の習慣となった現在でもタイ人は蚊に刺されにくい、私の体験でも日本人が20~30ヶ所も刺されるのにタイ人は殆ど刺されない。

(余談だが、だから日本人はタイでは蚊に注意が必要、タイ人が平気だからと言って日本人は同じではない、バンコクでは今でもデング熱などが有る)

 

つまり風土病に打ち勝つ何らかの特性を持ったことが、タイ人が今のタイの地に移住できた原因のひとつとなっているようだ。<続く>

 

 

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