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2019-11-03 10:15

橋の話<ミャンマーの橋への疑問


 前回のエントリーでこんな図を紹介した。

2019-11-1第二タイミャンマー友好橋からミャンマー側ルート
https://www.jica.go.jp/investor/bond/ku57pq00000r13n2-att/20160810_03.pdf
注:JICAの資料からですが2016年頃のもの。

 この地図でミャンマー側のルートはタイの国境の町メソートから港町モールメイン(モーラミャイン)まで直線距離なら100キロほど、大きく迂回するルートでも170キロ程度。それなのに何をモタモタしているのだろう。おまけに既存の橋の架け替え?、ミャンマーにそんな架け替えせねばいけない古い橋など有るのか?。そもそもミャンマーには首都周辺以外は昔は橋など無かったのではないか?。
こんな疑問がわいてきた。

この疑問を調べてみたら、JICAの広報誌に分かりやすい記事が有ったので紹介したい。

<以下JICA広報誌より引用>
https://www.jica.go.jp/publication/mundi/1811/ku57pq00002e9t2e-att/03.pdf
又は https://www.jica.go.jp/publication/mundi/1811/201811_03.html

ミャンマー各地で進む橋梁整備

落橋事故に一番に駆けつける

2018年4月1日未明、ヤンゴンから約140キロ西に架かるミャウンミャ橋で、積み荷を含む重量18トンのトラックが走行中に落橋する大事故が起こり、乗っていた2人が亡くなった。その日の朝、JICA専門家の妹尾(せのお)佳さん(西日本高速道路)はミャンマー建設省から電話を受けた。

「川の中に橋が落ちた。船が通れなくなっているのでどうやって回収すればいいか教えてほしい」との依頼だった。妹尾さんは、他の日本人技術者と現場へ急いだ。

「電話を受けたときは、ありえないことが起こったと思いました。現場はさらに悲惨な状況でした。原因はメインケーブルの腐食による破断でしたが、それが原因での橋梁全体の落橋は世界的に見てもおそらく初めての事故です」

この事故はミャンマー国内でも大ニュースとなり、2018年4月10日には国家最高顧問のアウン・サン・スー・チー氏が現場を視察。その場で関係者と緊急会議を開き、早期の復旧と、建設時期が近い類似の橋梁の点検を指示した。その会議にミャンマー人以外でただひとり入室を許されたのが妹尾さんだった。席上、スー・チー氏は「事故当日に最初に来てくれたのが日本で、橋の撤去についてアドバイスしてくれた。感謝している」と発言した。それを聞いた妹尾さんは「その言葉がうれしかったし、やりがいを感じた」と、胸に熱いものがこみ上げた。

空白期間を埋める技術者養成プロジェクト
落橋事故の背景には、ミャンマーの橋梁技術発展の歴史における約30年にわたる空白期間がある。

1979年にはビルマ(当時)に橋梁技術訓練センター(BETC)が設立され、日本人技術者からミャンマー人技術者に橋梁の設計施工技術が伝えられた。そこで学んだ技術をもとにツワナ橋(1985年完成)、ナウアン橋(1991年完成)と二つの近代的な橋が造られた。これらは当時の東南アジアで最先端の技術を誇る橋だった。

しかし1988年の政変により、日本をはじめとする諸外国からのODAがストップそれ以降は、脆弱な設計と工事による橋が少なからず造られていった。落橋したミャウンミャ橋も1996年の完成で、そのような橋のひとつだ。BETCでは日本が伝えた技術が更新されず、ミャンマー人技術者のレベルも上がらない状態が続いていた。

転機となったのは、2011年のミャンマーの民政移管だ。ふたたび諸外国からのODAを受け入れられるようになると、ミャンマー政府は日本に橋梁技術改善の支援を依頼し、2015年6月に「道路橋梁技術能力強化プロジェクト」がスタートした。JICA専門家として日本の高速道路会社から三石 晃さん(東日本高速道路)と先述の妹尾さんが派遣された。ミャンマー建設省には40年前にBETCで学んだ技術者がまだ多く残っており、ふたりを温かく歓迎した。ミャンマー建設省のチョウ・リン副大臣は、「君たちの名前はわれわれには呼びにくい」と、三石さんにアウン・シェイン、妹尾さんにはアウン・サン・ウーとミャンマー風の名前をつけてくれた。アウン・サン・ウーはスー・チー氏の弟と同じ名前だが、「セノオ(Senoo)とサン・ウー(San Oo)の文字のつづりが似ているからこの名前になりました。ミャンマーの人たちはこの名前でしか私を呼びませんよ」と妹尾さんは微笑む。

ふたりは日本の高速道路会社やコンサルタントから派遣された10人の専門家とともに、ミャンマー建設省の約30人の技術者に技術指導を始めたが、最初は苦労も多かった。ミャンマーでは「技術は目で盗むもの」という習慣があり、上司や先輩から若い世代への教育が十分にされていなかったのだ。

「コンクリートを練るときは、セメントと水、そこに混ぜる石と砂の割合は決まっています。しかし、この国ではその割合が人によってばらばらで、現場で混ぜながら、まだ固そうだから水を入れようかといった具合でした」と三石さんはふり返る。そこで現在、技術ノウハウを統一するマニュアル作りが進められている。近い将来に三石さん、妹尾さんらのもとで学んだミャンマー人の技術者が指導者となり、新たな技術者を養成できるようにするのがねらいだ。
・・・以下略、詳細は上掲リンク先参照ください・・・
<引用終り>


なるほどねえ、30年の空白か。それではいろんな問題が出るだろうねえ。
でもミャンマーは川に橋が無くて困っていた筈だったが・・・。
これはタイのバンコクから西へ、国境を越えてミャンマー側に行くルートでの写真。

2015-11-8ダウエーからティキ(タイとの国境)まで

2015-11-8ダウエーからメイへ
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1183.html

此処までは私の常識。しかしどうも事態は大きく変化していたことが分かった。


そして、この話を読んでまず驚いたこと。
1、ミャンマーで今現在、日本のODAによる橋の建設が目白押し状態。でもこんな話など聞いたこと有りませんねえ。

2、長さ265mの長大橋が落橋しただって?、そんな凄い事故なら当然日本でも大騒ぎになるだろう。どうなっているんだ?。
こんな事故なら、日本にも参考になる問題が色々あるだろう。どうしてそんな事を言わないんだろう。オマケにその橋は中国企業が設計したそうじゃないか。だから知らん顔か?

3、ミャンマーでは大統領の上に君臨するスーチー、この人物はどうにも信用できない、それは日本の外務省も熟知している筈なのに騙されてないか?。
(スーチーの邸宅の隣が日本大使の公邸)

なにか疑問が一杯噴き出してきましたが、それは次回とします。
次回は「2」の長大橋の落橋事故について

<続く>
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