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2019-08-16 22:35

福井の一乗谷朝倉氏遺跡に行ってきた


 連日暑いですね。この暑さの中、台風10号がゆっくり日本列島を横切り、今は日本海を北上中。でも台風はこれから北海道に接近との予報。進行方向の方、これからも風雨にご注意を。

所でこの酷暑の中、8月12日(月)に福井市の一乗谷遺跡に行ってきました。
一乗谷遺跡の朝倉氏は、浅井朝倉連合軍で織田信長と対抗し、結局信長に滅ぼされたことは知られているが、詳しいことはほとんど分かっていない。
特に浅井氏は織田信長の妹で戦国時代随一の美女と言われた「お市の方」が嫁いだことで知られていますが、朝倉氏にはそんな有名な話は無く、1573年に信長に滅ぼされ、一乗谷の城下町も焼き払われてしまいました。

その一乗谷の朝倉氏城下町がその後田んぼの下に埋まっていたものが昭和42年から発掘調査が行われ、戦国時代の遺品が其の儘出土しました。その結果、国の特別史跡に指定され、武家屋敷など城下町の復元も行われました。

一乗谷朝倉氏遺跡(福井県観光情報ホームページ)
https://www.fuku-e.com/010_spot/?id=2

2019-8-16一乗谷1





前置きはこのくらいにして、真夏の炎天下での一乗谷朝倉氏遺跡、どんな具合だったのか。
まあ珍道中と言ってもいいくらい、家族で行くにはちょっとばかり過酷だったんですが、そんな顛末を書いてみます。

そもそもスタートから30分遅れで出発。連日最低気温が26°~28°、最高が36°~38°ですから暑いのは仕方ない。でも名古屋を抜けたら一宮辺りで渋滞につかまり、抜けるのに1時間以上。途中はノンストップでやっと着いたのが敦賀市の「杉津(すいず)PA」。


この杉津(すいず)PAは昭和37年(1962年)北陸線の北陸トンネル(総延長13.87㎞、狭軌鉄道用としては現在も日本最長)開通までは北陸線の杉津越えの難所に有った杉津駅のあった所。
北陸線随一の景勝地として知られていた。

現在も景色は素晴らしい。これは下り線(福井金沢方面行き)のPAから見たもの
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下を見下ろすと、上り線(米原方面)のPAが見える。昔の北陸線杉津(すいず)駅の跡地を利用して作ったのがこのPA。

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よく見ると道路は右下から左方向に通っている。一見右側通行のようにも見えるが、普通上下線が並んで作られるのだが、この辺りは山が険しいため、上下線をならべて建設できず、左右が逆になっている。


のんびり景色を見ている訳にもいかず、とにかく前に進むことに。

その先の南条SAで昼飯を食べた。

SA内はとても混んでいた。(当たり前ですね・・・)
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大分待って、やっと入ったレストラン。窓の外の日よけの植え込みが涼し気。
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やっと昼飯にありつけた・・・。
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食べたのは「へしこ茶漬け膳」、「へしこ」とは福井名物のサバの味噌漬け。それを細かく切って飯の上に乗せ、最初はそのまま、次はとろろをかけて、次は茶漬けにして食べる。初めて食べる味でしたがおいしかった。



なには兎も角一乗谷へ。福井インターからは5キロほど。10分もかからずに着きました。

発掘された遺跡が其の儘みられます。
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中にある説明版
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武家屋敷と町屋が復元されていました。
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町家の内部
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柱を見てください。現代では有りえませんが、表面がデコボコです。「ちょうな」で削って(はつって)仕上げてあり、だから凸凹なのですが、これがこの当時の当たり前。復元は当時の工法そのものだったようです。
参考:ちょうな
http://www.shajimatsu.com/old/yomoyama/dougu_no5.html


これは染物屋だったようです。
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これは焼き物屋
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ボランティアの方の話では、発掘で沢山の焼き物の破片が見つかったが、殆どくっつければ完器になる状態。そして完器で1万数千個の焼き物が見つかったと言っていた。
町が繁栄していた証拠でしょうか。
この店に並んでいる焼き物は、掘り出された破片から復元したものと全く同じものを九州の窯元に依頼し、400人分を作ったとの事。


角を曲がるとサムライでも出てきそうな雰囲気。
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こんなガイド版があちこちに
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武家屋敷にはこんな巨木が残っていた。
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武家屋敷の門から見るとこんな感じ、古木が貫禄あります。
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暑い中をもうひと頑張り、これは朝倉市の館跡の唐門
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但しこの唐門だけは朝倉時代のものではない。福井市のHPによれば
 義景館跡の正面、濠に面して建つ唐門は五代義景の菩提を弔うために 建てられた松雲院の寺門。豊臣秀吉が朝倉義景の善提を弔うために寄進したものと伝えられ、幅2.3mの向唐門形式で、質素な中にも堂々たる気品を伝えています。(但し、朝倉時代の遺構ではないので注意)現在のものは何らかの理由で、江戸時代中頃に建て替えられたもので、門内の上部には朝倉家の「三ツ木瓜」の紋と豊臣家の「五三の桐」が刻まれています。

その朝倉氏館跡を反対側から見ると
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もうこの辺りで暑さで帰ることにしました。
そのあと、県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館を見に行くことに(本音は暑さを避けて一息入れたい)。

中は色々面白かったが、特に興味深かったのがこれ、青花磁器(日本式には染付磁器)の器。

2019-8-16福井17

この当時(朝倉氏滅亡が1573年だから、それ以前)の日本にはこのような磁器を焼成する技術は無く、また青い色を出すためのコバルト顔料(呉須という)自体が無かった。当然中国景徳鎮からの輸入品なのだがきわめて高価なものだった筈だ。
また青花磁器はイスラム圏でたいへん珍重されており、中国はコバルト顔料をイスラム圏から輸入し、それを使って青花磁器を作るという関係でもあったはず。そんな事もあり、非常に高価なものだった青花磁器、それがこんな所にあった。当時の朝倉氏の繁栄ぶりが分かります。

とまあ、中途半端ですが暑さでバテバテの一乗谷朝倉氏遺跡訪問記はこれで終わりとします。

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コメント

猛暑の中ご苦労さまです

暑い中ご苦労さまでした。
猛暑の中、お盆直前の連休の高速道路とSAと言えば、まさに炎熱地獄とそこに蠢く地獄の亡者の様相を呈していたのではないかと推測いたします。前期高齢者となりました私の行けるところではありません。
しかし、無事ご帰還されて何よりと存じます。
へしこは茶漬けにするとは知りませんでした。そのまま酒の肴にしておりました。実に美味しそうです。
一乗谷の朝倉家の遺跡がこれほど発掘されているとは知りませんでした。
さらに山側の大野には朝倉義景の墓があると聞きました。朝倉氏滅亡の後は、一乗谷の街もその使命を終えたということでしょうか。
二十歳前後より血族との血で血を洗うような戦いに勝ち抜き、ついに尾張を制圧した織田信長と、田舎でのんびり暮らしていた朝倉義景では所詮勝負になりません。
義景は朝倉家の家訓を守っていなかったようです。意味が分からなかったんでしょうね。そのため無様な負け方をしてしまったのだと思います。もう少し上手に戦えたはずだと思うのですが。
私も一度行ってみたいです。
  1. 2019-08-18 06:06
  2. URL
  3. 縄文人 #wM6nolEE
  4. 編集

Re: 猛暑の中ご苦労さまです

> 暑い中ご苦労さまでした。
> 猛暑の中、お盆直前の連休の高速道路とSAと言えば、まさに炎熱地獄とそこに蠢く地獄の亡者の様相を呈していたのではないかと推測いたします。前期高齢者となりました私の行けるところではありません。
> しかし、無事ご帰還されて何よりと存じます。
> へしこは茶漬けにするとは知りませんでした。そのまま酒の肴にしておりました。実に美味しそうです。
> 一乗谷の朝倉家の遺跡がこれほど発掘されているとは知りませんでした。
> さらに山側の大野には朝倉義景の墓があると聞きました。朝倉氏滅亡の後は、一乗谷の街もその使命を終えたということでしょうか。
> 二十歳前後より血族との血で血を洗うような戦いに勝ち抜き、ついに尾張を制圧した織田信長と、田舎でのんびり暮らしていた朝倉義景では所詮勝負になりません。
> 義景は朝倉家の家訓を守っていなかったようです。意味が分からなかったんでしょうね。そのため無様な負け方をしてしまったのだと思います。もう少し上手に戦えたはずだと思うのですが。
> 私も一度行ってみたいです。



ヤヤっ、縄文人さんは前期高齢者になられたんですか。まだまだ先が有りますね。
私などはもう末期高齢者(一説には後期高齢者とも)、もう先は有りませんから今は開き直りのみ(笑)。

所で朝倉氏ですが、私は現地を見て率直な感じ、一乗谷という要害の地に居を構えたので油断したのではないかという印象を受けました。

福井平野は広大で、その中心地の北ノ庄(現福井市)とか北国街道から一乗谷方向を見ても山が見えるだけ。
一乗谷に入るには先ず足羽川が山の中から流れだす狭い谷間に入り、そこからさらに支流の一乗谷川を少し溯った所が一乗谷でした。福井平野からはまったく何も見えません。
こんな土地だったからこそ、信長に焼き払われても誰も街を再興しようとはしなかったと思います。

いずれにしても一度見る価値があると思います。愛知県からは高速に乗ってしまえばあとは簡単。

それから朝倉家の17ヶ条ですが、これを見てみて私なりの感想。朝倉は油断して奢侈に走ったのではないかと感じましたがどうでしょうか。
  1. 2019-08-18 14:41
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

私も偶然今年の8月5日に家族と一乗谷に行ってました。
大変暑かったですが、陽を遮るものがなんにも無いところでしたね~

広さと遺構の作りをみると、流石は名家の朝倉氏居城跡だとは思いました。

名家だけに、足利義昭が頼って行ったり
その頃に明智光秀が身を寄せていたりと、
歴史的に興味がある場所ではありました。
  1. 2019-08-19 13:20
  2. URL
  3. 2014年9月28日の「C」です #eYj5zAx6
  4. 編集

To:2014年9月28日の「C」です さん

> 私も偶然今年の8月5日に家族と一乗谷に行ってました。
> 大変暑かったですが、陽を遮るものがなんにも無いところでしたね~
>
> 広さと遺構の作りをみると、流石は名家の朝倉氏居城跡だとは思いました。
>
> 名家だけに、足利義昭が頼って行ったり
> その頃に明智光秀が身を寄せていたりと、
> 歴史的に興味がある場所ではありました。



偶然というのはあるモノですねえ。TAさんも一乗谷に行かれていたとは、それも1週間違い。
あそこは素晴らしい所ではあるが、その気になって見に行かないと凄さが分かりません。
歴史の勉強にはとても良い所なんですがね。

確かTAさんは神奈川の方にお住いだったと思いますが、あの炎暑の中、福井までの道は大変だったでしょう。元気ですね。
  1. 2019-08-20 07:48
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

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