FC2ブログ

2019-06-17 17:33

矢ノ川(やのこ)峠の思い出


 この所重い話題が続いたので、今日は思いで話でも。

私は峠道を走るのが好きである。峠を越えた途端、ぱっと広がる景色とそこを苦労して歩いた人の思いが感じられるわけで、そんな中でも特に思い出深い峠として、「矢ノ川峠(やのこ・とうげ」」がある。と言っても実は今までたった一度しか行った事が無い。そして多分二度と行けないであろう、そんな峠の思いで話を書いてみたい。

紀伊半島を走っている国道42号線、この道の三重県尾鷲市から熊野市へ抜ける所。現在は矢ノ川トンネルという長大トンネルで簡単に抜けられるが、今から50年ほど前までは海抜807メートルの矢ノ川峠を越える大変な悪路だった。

丁度50年前のこと。「尾鷲・熊野間の矢ノ川峠に新トンネル開通。悲願の陸の孤島解消へ」、こんな報道を目にした。この国道42号線の新トンネル、開通は今回改めて確認してみたが昭和44年(1969年)4月6日だった。

私がぜひ新道開通前に行って見ようと思い、3月末にその矢ノ川峠に行って見た。

最初のどんなところか。当時の地図で見てみると。

アルプス出版社 道路地図 昭和44年3月1日刊
2019-6-15昭和44年の道路地図2

この地図は珍しい地図で、昭和44年4月には矢ノ川峠の新道開通で旧道は廃道(市林道)なのだが、両方書いてある。尚矢ノ川峠部分は見にくいので下に拡大図を載せました。
もう一つ、現在の地図帳には有りえない表示だが、道路が舗装路・砂利道・通行困難と分けて表示してある(一番下の部分)。


これが矢ノ川峠周辺の拡大図

2019-6-16尾鷲熊野周辺地図S44年拡大図最終版


さて矢ノ川峠です
これが、現在の国道42号線と旧道との分岐点。尾鷲側です。

2019-6-16矢ノ川峠旧道入口
(グーグルアース、ストリートビューより)

この右側に見える細い道が旧国道42号線です。この道を昔はバスもトラックも走っていたんですね。今では小型の四駆車なら辛うじて峠までは行けるらしいですが、通り抜けはできません。

正面に高い山が屏風のように立ちはだかっていますが、矢ノ川峠は正面の山のさらに向こうに有ります。峠の標高は807m(地図では808mになっている)。
この辺りで標高は257m。ここから矢ノ川峠まで、直線距離なら1.5キロほどですが、それで標高差550mを上ってゆきます。

此処からは古い写真。実はこの時は私は写真を撮っていなかったので、尾鷲市在住の矢ノ川小僧さんと言う方が書いている「哀愁の矢ノ川峠」と言うブログから拝借します。(借用了承済み)
哀愁の矢ノ川峠
http://yanoko.blog85.fc2.com/

最初はこの写真。尾鷲側から矢ノ川峠を目指して上る中間地点辺り(?)。写真の右上、丁度山の鞍部が見えますが、ここが矢ノ川峠。正面の山の絶壁の上部に左から右上に向かって細い線が見えます。これが矢ノ川峠に向かう当時の国道42号線。
この写真にはバスが写っていますが、昭和34年7月14日でこのバス路線は廃止(国鉄紀勢線全通により)となりましたので、それ以前のものです。
この写真が私の記憶にある矢ノ川峠の印象に近いものの一枚。

2019-6-16矢ノ川峠への道


雪の矢ノ川峠、バスを通すため雪道に滑り止めの石炭ガラを撒いています。
(この写真は大林正巳さんのアルバムから矢ノ川小僧さんが借りたもののまた借り)
2019-6-17雪の矢ノ川峠とバス

私がここを通った昭和44年3月末でも山の北側斜面を通るときには(日陰で雪が解けない為)、路肩に相当雪が残っていました。所々路面全体に雪が残り、走ると車が横にザザッと滑ります。所によっては右の崖側ぎりぎりまで滑って、大いに肝を冷やしました。(スタッドレスタイヤはおろかスノータイヤも無かった時代です)
この写真を見て、そうだったなあ、こんな凄い道だったなあ。そんな記憶が蘇りました。

尚この写真で良く分かりますが、この道路は対向車が来たらすれ違い不可能です。従って対向車が遠くに見えたら、手近な待避所で対向車がやって来るのを待たねばいけません。この写真の石炭ガラを置いてあるところもそんな待避所だったのではないでしょうか。

もし今こんな道が有ったら・・・。マナーの悪い連中が無理やり突っ込んできて、あちこちで喧嘩だらけかもしれません(笑)。

尚バスの話が出たので、これは矢ノ川小僧さんのブログに有るのだが、このバス路線が昭和34年に廃止となるのだが、その閉所式には当時の国鉄十河総裁が出席されています。こんな峠道がいかに重要だったかが良く分かります。
以下参照ください
http://yanoko.blog85.fc2.com/blog-entry-140.html


話を元に戻します。
そしてこれが頂上の峠の茶屋
2019-6-16矢ノ川峠の茶屋S33年10月

実は私がここを通った時、この茶屋があったかどうか定かでない。峠の茶屋は国鉄バスが廃止になって一旦閉店。その後も時々営業していたようだが詳細は不明。私のおぼろげな記憶では何かあったような気がするが、何せ半世紀前です。


そして矢ノ川峠からの絶景
この写真だけ、「奈津子のパトロール」さんより拝借
2019-6-14矢の川峠写真by奈津子さん

私が見た50年前の景色は、多分この写真が一番近いと思います。
唯々息をのむ景色です。
参考までに、正面に見える海は賀田湾。この賀田湾まで直線距離なら6キロほど。そこに標高差800mです。この山がいかに険しいかが分かります。



所で、ではこんな所は今どうなっているか。大きな変貌を遂げています。
これは現在の尾鷲-熊野間の道路事情

紀勢自動車道・熊野尾鷲道路の全線開通から1年
「命・絆・元気の道」そして東紀州を一つに
平成27年3月 東紀州地域高速道路整備効果検討会資料より

2019-6-16熊野尾鷲道路周辺
http://www.cbr.mlit.go.jp/kisei/news/assets/pdf/topics/150225_2.pdf

尾鷲・熊野方面は劇的に便利になりました。特に尾鷲熊野間の国道42号線は雨に弱く、連続雨量300ミリで通行止めになります。上掲資料でも「平成26年度にも延べ8回、84時間の通行止が発生」と書いてありますが、今年に入ってからも5月にも通行止めが発生しています。
そしてこの通行止めは生鮮食料品などの物流にも重大な影響が有ります。特にこの地域は漁業がメインの地域。それだけに尾鷲熊野間が通行止めになると物流にも影響が大きいです。また観光客もスケジュールが組みにくく、この方面の観光が二の足を踏む原因の一つでもあります。
しかし、この熊野尾鷲道路の開通で通行止めでも迂回路が出来、物流の停滞も無くなりました。インフラの整備が地域にどれだけの好影響を与えるか、そんないい事例になりました。

所で。尾鷲はサンマの干物が美味しいんですよねえ。目黒のサンマは脂がのって美味しい。尾鷲のサンマは脂が落ちて身がしまって美味しい。間もなくそんな季節になります。オッとこれは脱線しました・・・。食いしん坊はいかんです。


そしてその新しい道路の完成で地域が様変わりしました。
上掲資料に紀勢自動車道・熊野尾鷲道路の全線開通(平成26年)について、こんなキャッチフレーズを書いています。
~「命・絆・元気の道」そして東紀州を一つに~

中でも何故「」なのか、先ずこれについて説明します。

南海トラフの地震については、その可能性が喧伝されています。しかしでは具体的にどうしたらよいか。特に尾鷲周辺のリアス式海岸地帯は湾の奥で高い津波が予想されています。しかし逃げようにもそれでなくても交通の不便な地域。そんな所に熊野尾鷲道路のような大きな道が完成したのです。万一にも物流も救急にも車が自由に使える。この安心感は大きいと思います。

他にも色々ありますが、思いで話が横道にそれそうなのでこのくらいにします。
紀伊半島は長いこと不便な所でした。それが変わろうとしています。そんな事で古い古い話を思い出したわけです。では古い話はこれにて。

  1. 社会一般
  2. TB(0)
  3. CM(4)

コメント

こんにちは。

 今から40年前仕事で和歌山県新宮市に4年間住んでいましたが、その当時も熊野市から尾鷲市に抜ける峠道、夜半は真っ暗でずいぶん怖い思いをしましたが、それ以前の峠は本当に難所ですね。

 今は熊野市まで高速道路が開通したとのこと、隔世の感があります。

 寝転がって観た鬼ヶ城の花火も懐かしい想い出です。
  1. 2019-06-18 14:15
  2. URL
  3. inkyo  #yNKEkr8c
  4. 編集

Re: こんにちは。

>  今から40年前仕事で和歌山県新宮市に4年間住んでいましたが、その当時も熊野市から尾鷲市に抜ける峠道、夜半は真っ暗でずいぶん怖い思いをしましたが、それ以前の峠は本当に難所ですね。
>
>  今は熊野市まで高速道路が開通したとのこと、隔世の感があります。
>
>  寝転がって観た鬼ヶ城の花火も懐かしい想い出です。



おおっ、ご隠居様は新宮にお住いだったことが有るのですか。良い所ですよねえ。
ただ、尾鷲熊野間は本当に難所でしたから、昔はもっと大変だったんでしょう。

私もそんな頃、車で紀伊半島一周をしましたが、朝7時に家を出て帰ってきたのが翌日の午前3時。
本当に紀伊半島の遠さを実感しました。
  1. 2019-06-18 21:42
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

やのこのこと

矢の川峠の記事アップ ありがとうございます。
実は私は旧矢の川峠を車で走ったのは一度だけしかありません。
当時、夜になってから峠を越えたのですが本当に満天の星空とはこういうものなのだっと感じました。
天の川がまるで霞のように夜空を横切り自分が星空の中にいるようでした。
先日バスが走っていたルートを忠実に歩くイベントをやりました。
尾鷲駅から熊野市駅まで全行程45kmを13時間ほどで歩きとおしました。
バス廃止前、当時女学生3人が最終バスに乗り遅れて熊野まで夜中に歩いた記事が残っています。
今では考えられないですね。
  1. 2019-06-24 12:02
  2. URL
  3. やのこ小僧 #-
  4. 編集

Re: やのこのこと

> 矢の川峠の記事アップ ありがとうございます。
> 実は私は旧矢の川峠を車で走ったのは一度だけしかありません。
> 当時、夜になってから峠を越えたのですが本当に満天の星空とはこういうものなのだっと感じました。
> 天の川がまるで霞のように夜空を横切り自分が星空の中にいるようでした。
> 先日バスが走っていたルートを忠実に歩くイベントをやりました。
> 尾鷲駅から熊野市駅まで全行程45kmを13時間ほどで歩きとおしました。
> バス廃止前、当時女学生3人が最終バスに乗り遅れて熊野まで夜中に歩いた記事が残っています。
> 今では考えられないですね。



コメント有難う御座います。
夜の矢ノ川峠ですか、さぞ素晴らしい星空だったのでしょう。今では想像するばかりです。
あの険しい矢ノ川峠旧道45キロを全部歩いたのですか。凄い健脚ぶり、敬服の至りです。
私は以前タイで仕事をしていた時は1日にゴルフ3ラウンドを何度かしましたが、それでも多分30キロ位。
とても45キロは無理でしょう。いや今なら全く問題外(笑)。

女学生3人の話、昔の女性は強かったんですねえ。ただただビックリです。

これからも宜しくお願いします。
  1. 2019-06-24 16:54
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する