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2019-06-13 15:20

フィリピンで仕事をすることの難しさ


 フィリピンについて「人件費が安いからフィリピンに行くという選択  2019-06-02 17:02」をエントリーしたのだが、皆さんからいろいろ有意義なコメントをいただいた。しかしコメントの回答が十分ではないので、改めてkazkさん、PB生-千葉さんのコメントを紹介し、これを問題提起として私なりの考えを纏めてみました。メクラが象に触るような話ですが、私なりの見方です。

最初にkazkさん、PB生-千葉さんのコメントを紹介します。

これはkazkさんのコメント

 フィリピンのことについてはよくわかりませんが、おそらく有史以来、国というものをまともに持ったことがない地域なんだろうと思います。おそらくは多くの島嶼に部族単位で居住し国家の統一、というよりフィリピンという地域での民族意識の様なものも持たなかったんじゃないでしょうか。

こういう苦労をしない民族はまともな国が持てるわけがないだあろうと思ってます。ある程度喰えてしまうと進歩というものはないのだろうと思います。4大文明なんてもう嘘であるということは明らかですが、現在まで続く文明というものは北半球の特定の地域でしか生み出しえなかったものでしょう。いやな話ですがそういう国は最初から決まってるんだと本当に思います。

研究によると江戸末期のGDPはすでにして世界の一桁は確実であったらしいといいます。

とにかく近代でのスタートからして全く違う。とにかくこの国がおかしいと思った方が正解でしょう。
世界のほかの国々が日本人と同じことをできると思う方がおかしい、そう割り切ることが必要でしょう。

民度とか宗教とかいろいろ原因はあるのでしょうが、民族としてどれだけ国づくりに苦労してきたかその蓄積の差がすべてだという気がしてなりません。
2019-06-09 01:38  kazk 



次にこれはPB生-千葉さんのコメント

フィリピン文化とはなんなのでしょう
 日本が戦争で占領した東南アジア。インドネシアでは戦後もインドネシア独立のために多くの日本兵が参加し、インドネシアの歌は戦後の日本で流行歌にもなりました。新宿のインドネシアラヤというレストランは戦後50年以上も本場の味を提供してきたのに、いつの間にか閉店。日比谷にあったタイ料理の店チェンマイが閉店したときもショックでしたが歴史ある店がなくなるのは悲しいですね。

 フィリピンには何度も行きましたが、フィリピン独自のものはなにがあるのだろうという疑問。タイ・ミャンマー・ベトナム・インドネシアなど、どの国にでもある伝統衣装や伝統工芸・伝統舞踊などがフィリピンにはない。
 もしかするとあるのかもしれませんが、あったとしてもフィリピン人が価値を認めていないことになります。料理もしかり。日本にはフィリピン人が多く暮らしますがフィリピンレストランはない。タイ料理店やインド・ネパール料理店がどこにでもあることを思うとフィリピン人が根無し草なのだと実感します。日本で働くフィリピン人が帰国する際は日清のカップヌードル(シーフード)をお土産に箱買いしていく。明治のチョコレートも好きですね。

 フィリピン料理といえば豚の丸焼きは中国だし、一番人気のジョリビーはアメリカのハンバーガーにライスをつけるというローカライズしたもの。一般のフィリピン料理は中華の亜流でやたら甘い味付け。
 テレビでは英語のドラマやアニメが字幕なしで放送され、映画館でも字幕なしのアメリカ映画で大笑いしているほど英語に堪能。とはいっても高等教育がすべて英語で行われるため、否応なしに英語が話せるようになるだけ。低学歴では英語もろくに話せずまともな仕事もない。

 アメリカ大使館前にはビザを求める人々が行列を作り、書類の代書屋が繁盛する。どうみてもアメリカの植民地そのもの。国内にろくな産業がなく高学歴の人材は米国他の国へ流れてしまう。人件費の安さに進出した企業もフィリピン人の権利意識ばかり高く外国企業を目の敵にするような政策もあってASEANの他国へ移転してしまいました。

 フィリピン人の明るい性格は好きですが、仕事中に歌いだしたり踊りだしたりするのは困り物。10月くらいからクリスマスのことでそわそわしだし、11月にはクリスマスの飾り付けが始まってしまう。

 国外で働く同胞からの仕送りで消費は盛ん、巨大なショッピングモールがいたるところにある。最新のモノは溢れていても基礎的な技術力がないため維持管理ができないのはマニラのMRTの事例で明らか。
 三菱重工の銘板が貼られた車両はレールブレーキ付きの珍しい形式でした。保守管理が韓国企業に変わり故障が多発、まともな運行ができず結局は日本企業の保守に戻りました。タイやインドネシアでも同様ですが定期点検の概念がなく故障したら整備するというやり方では稼働率はどんどん低下してしまいます。
 JR東日本はジャカルタやバンコクの都市鉄道の運営にも参画していますが、定年退職した日本人が第二の人生で現地の人々を実地で教育していくのも基礎づくりとして大事なことですね。

2019-06-09 10:09  PB生、千葉 

<引用終り>


kazkさん、PB生-千葉さん、お二方の意見は要約すれば同じ一点を指しています。フィリピンは元々まともな国だったのか、まともな文化が有ったのか、こうだと思います。
そんな事で時計の針を500年ほど戻して、16世紀頃の東南アジアを見てみたいと思います。

最初に民族の問題。
フィリピン、マレーシア、インドネシアに住んでいる人をオーストロネシア人と言うのですが、この人たちが何処から来てこの広い地域に拡散していったのか、これがほぼ分かっています。

オーストロネシア系民族の拡散
2019-6-11おーすとろネシア人の拡散

約5千年前に台湾にやってきたこの民族は、それからフィリピン、マレーシア、インドネシアからポリネシア、ミクロネシアなど太平洋に拡散。遠くはマダガスカル、イースター島にも至っています。

余談ですが、この時台湾に残ったのが台湾の先住少数民族のパイワン族。現在人口7万ほどの少数民族ですが、台湾総統蔡英文氏もこのパイワン族の血を引く一人(祖母がパイワン族)

先に進みます。

東南アジアの言語グループ
2019-6-10交易の時代の東南アジア-01
出所:アンソニー・リード著 SOUTHEAST ASIA IN THE AGE OF COMMERCE より
邦訳:大航海時代の東南アジア 1997年9月30日 法政大学出版会 刊
(注:この邦訳、題名が甚だ不適切で折角の好著が台無し、だから英文の題名を記載。将来改題を希望)

この地図で見て欲しいのは、現在のフィリピン、マレーシア、インドネシアがオーストロネシア語の範囲と云う事。だからたくさんの言語が有るように見えますが、オーストロネシア語の方言と解釈できる。つまりこの範囲の人たちはある程度言葉が通じる。この事は大航海時代にスペイン人がこの地にやってきたとき、すでに気が付いていた。


そしてもう一つが1600年当時の国境
2019-6-10交易の時代の東南アジア-02
出所:アンソニー・リード著 SOUTHEAST ASIA IN THE AGE OF COMMERCE より

この図で言いたい事。マレー半島南部の現マレーシア領からボルネオ島のマレーシア領、ボルネオ島のインドネシア領、そしてフィリピンにかけて、「主要な国の中心地(■印)」は有るが、国境を表す点線が無い。つまり国境と言う概念のない未成熟な部族国家しか無いことを表している。


こんな事なので、フィリピンではないが、隣のボルネオ島マレーシアには、時代は下るが白人を国王とするサラワク王国(1841 - 1946)」ができ、こんな王国が100年続いたなどと言う摩訶不思議な事が起こる。
つまりこの一帯は「まともな国家のない状態」でした。そこをスペイン、イギリス、オランダに付け込まれ、植民地とされた訳です。

その後のフィリピン、マレーシア、インドネシアは旧宗主国の違いで大きく姿が変わることになります。

さてフィリピンです。
スペインによる植民地支配の前にもう一つ重要な事が有ります。ヨーロッパ人が大航海に乗り出した15世紀半ばより前、13世紀に南宋が亡びましたが、このモンゴル-南宋戦争(1235-1279)で多数の中国人が海に逃げ、それがベトナム、タイ、マレーシア、フィリピンなどに定着したと思われることです。但しこの中国人は丁度平家の落人みたいな感じで出自を隠して暮らしていたようで、殆ど記録が有りません。そんな移民グループの存在は墓などの発掘でわかるだけのようです。特に凄いのはタイとミャンマー国境の山岳地帯がそんな連中の居住地の一つになっていたようですが、組織的な調査が進んでいないですね。
だれかこんな所、調査研究してくれませんかねえ。
現在のアセアンのルーツに繋がる華人集団の存在が分かるんですが・・・。

この華人集団は各国の支配階級に入り込んでいきます。
そして植民地時代になると、スペイン、イギリス、オランダなどの植民地支配の実働部隊として現地人の搾取と宗主国への上納を担当して富を蓄えていきます。

更にフィリピンだけの事情として、アメリカがスペインに戦争を仕掛け(米西戦争)、スペインの植民地だったフィリピンを分捕って支配したという問題が有ります。その結果米比戦争(1899-1902、明治32年~35年です)が起こる訳ですが、この戦争で少なくとも20万人以上(アメリカ議会への報告)とも150万人とも言われる民間人の犠牲者がでます。この事がフィリピンが親米国のはずなのに一部に猛烈な反米感情がある理由です。

もう一つの問題として海外への出稼ぎ問題があるが、話が長くなるので今回は省略します。

結論です。
フィリピンはその成り立ちから、まともな国家のない、部族国家の集合体と言った地域でした。
こんな所なので当然社会のエリート層も育たず、独自の文化と言うモノも育ちませんでした。これが今日まで尾を引いています。
更にこれに追い打ちをかけたのがスペインの植民地支配。スペインの植民地支配は中南米の植民地支配と同じです。結果は一部の特権階級と大多数の貧民だけの国になってしまいました。

そして現在のフィリピンの状況ですが、国の発展を支えるべき技術者や医師などの高度な人材の海外流出が一層激しくなっています。
例えば医師の場合
海外在住フィリピン人委員会(Commission on Filipinos Overseas)調査のデータによると、 海外移住した医師数が2005年には297名であったのに対し、 2015年には3,082名に増加した」、こんな情報が有ります。僅か10年で海外に流出した医師の数が10倍。これではまともな病院など出来ません。
これがフィリピンの現状なんですね。

6月2日のエントリー「人件費が安いからフィリピンに行くという選択」でこんな事を書きました。

フィリピンに工場進出する場合に考えねばいけない事として、
一つは、あの民度の国でモノ作りをすることの大変さは多分ベトナムの比では無い。
もう一つが、企業の社会的責任、渋沢栄一の言の通り、これを忘れた企業は失敗する。

こんな風に考えています。
これは私がタイに行く前に進出先を検討する中でフィリピンを外した理由でして、その後フィリピンに進出した企業とも付き合って、一層この思いを強くしたことでもあります。

  1. 海外
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コメント

 国境の確定している現在から見るとフィリピンとマレーシアは全くの外国に見えます。しかし1960年代のボルネオ島のサバ・サラワクの帰属問題ではフィリピンも領有権を主張していました。

 プラント建設大手「日揮」のサイトだったと思うのですが、ボルネオ島の現地駐在員、ボルネオ島北部とフィリピン南部は言語もほぼ共通という指摘。まさに目からウロコ。海洋民族に国境の概念などなかったのでしょう。

 日本で働くフィリピン人、男は工事現場で、女は食品工場と夜の店の掛け持ちといった具合でよく働きます。そして母国へ送金。その金を目当てに親族がたかりまくる。知り合いのフィリピン女性、国に三軒アパートを建てたから親族はその収入で十分生活できるはず、だからもうフィリピンには帰らないという。

 中国が改革開放政策の頃、海外の華僑を呼び寄せようとしましたが、故郷へ錦を飾るはずが、見たこともない親族がたかりまくる。ふるさとは遠きにありて思ふもの、華僑の帰国熱はあっという間に冷めました。

 日本では「西国立志編」のころから自助努力があたりまえ。金持ちの親族を頼ろうとするような心根を断たない限りフィリピンの未来はありませんね。
  1. 2019-06-16 10:53
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  3. PB生、千葉 #-
  4. 編集

To:PB生、千葉 さん

>  国境の確定している現在から見るとフィリピンとマレーシアは全くの外国に見えます。しかし1960年代のボルネオ島のサバ・サラワクの帰属問題ではフィリピンも領有権を主張していました。
>
>  プラント建設大手「日揮」のサイトだったと思うのですが、ボルネオ島の現地駐在員、ボルネオ島北部とフィリピン南部は言語もほぼ共通という指摘。まさに目からウロコ。海洋民族に国境の概念などなかったのでしょう。
>
>  日本で働くフィリピン人、男は工事現場で、女は食品工場と夜の店の掛け持ちといった具合でよく働きます。そして母国へ送金。その金を目当てに親族がたかりまくる。知り合いのフィリピン女性、国に三軒アパートを建てたから親族はその収入で十分生活できるはず、だからもうフィリピンには帰らないという。
>
>  中国が改革開放政策の頃、海外の華僑を呼び寄せようとしましたが、故郷へ錦を飾るはずが、見たこともない親族がたかりまくる。ふるさとは遠きにありて思ふもの、華僑の帰国熱はあっという間に冷めました。
>
>  日本では「西国立志編」のころから自助努力があたりまえ。金持ちの親族を頼ろうとするような心根を断たない限りフィリピンの未来はありませんね。



>ボルネオ島の現地駐在員、
こんな方の貴重な話、有難う御座います。この件は情報が少なく、私は自分の経験から割り出したのですが、こんな事は矢張り現地で苦労された方の話は貴重ですね。

日本で働くフィリピンの方の話。良く分かります。
大体フィリピンでは海外から帰ってくると、親戚と称する人が20人位はやって来るそうで、まあ大変なのは良く分かります。

タイでの経験ですが、タイ語ではイトコと孫はラーンという同じ言葉です。だからイトコと孫は区別がつきません。
考えてみると、ジジババから見ると孫、その孫から他の孫を見るとイトコですが大家族だったら区別がつかない。多分こんな事が起こっているのではないかと思います。
  1. 2019-06-16 21:53
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  3. 短足おじさん二世 #-
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