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2019-05-15 13:12

三内丸山遺跡からタイの思い出へ


 三内丸山遺跡で巨大な6本柱の建物を見て思ったこと。それが実は私のタイ時代の経験に繋がるので、三内丸山の話の途中だが、寄り道としてその一端を書いてみます。


三内丸山ではこんな巨木を使った建物を見てきました。柱の材質はクリでした。

2019-5-6青森7

また後ろの大型竪穴住居も柱などはクリ材を使っていたようです。

こんな大木が何処にでもある訳ではないことは誰でも分かる。しかし山に木が有るだけでは良い木材が取れるわけではない。

こんな時、私はタイでこんな経験をした。
タイでは山に緑が一杯なのに材木が貴重品で高価。だから日本では木っ端と言ってもいい材木でも貴重品なのである。そんな事の一例として・・・。

タイに工場を作るにあたって、日本から沢山の機械や装置を送り込んだ。そんな機械や装置は木枠に組んで運ばれてくる。
その木枠の一例。適当な写真が無かったので、これは中国景徳鎮の焼き物業者がタイに出店を作って売っていたところ。焼き物の話ではなく梱包用の木材の話としてみてください。
タイのシラチャと言う田舎町での風景。ショッピングセンター横の空き地に景徳鎮の出店。中にいるのは中国人。

2019-5-14シラチャに来た景徳鎮の陶器や-01
(余談だが中国人の商魂の逞しさは大したもの。日本人も見習わねば・・・)

商品の焼き物はこんな風に梱包されている
2019-5-14シラチャに来た景徳鎮の陶器や-02

そして出店の裏手にはこんな木枠の不用品が
2019-5-14シラチャに来た景徳鎮の陶器や-03

こんな木枠の不用品。日本では当然ゴミでカネを払って引き取ってもらわねばいけない。とそんな日本人の常識だが、タイでは全く逆。工場を作る際にはこんな木枠が大量に出る。大きな機械ならもっと太い木も使われるので、処分が大変だと、これは日本の常識。
しかしタイ人マネージャーはこれは売れるので大事だという。
オマケに売るより従業員が分けてくれと言ってくる。何に使うんだと聞くと家を作るんだという。
こんな木の切れっぱしで家ができるんかいな?、この疑問は尤もだが・・。

これはタイの民家の一例


これは私が奨学金をだして中学校を卒業させた子の一人の家。
奨学金で早速制服を買ってきて撮った記念写真。まさに一張羅です。
背景の家を見てください。タイの田舎の家ならこんなもの。上掲の梱包資材の木っ端でも使えるということです。


前置きが長くなりました。本題に戻って、どうしてタイは木材が無いのか。モノの本では昔山の乱伐が酷く、そのせいだというのだが、それだけだろうか。
そんな目で機会が有るごとに山林などを見渡してみても、タイでは建築用木材にするような長くまっすぐな木があまり見かけ無いことに気が付いた。日本の杉やヒノキみたいな木が無いのです。
植林で細長い木を育てたりしているが、製紙用の細いモノばかり。
そして大木はといえばこんなもの

2019-5-14タイの国道4号線沿いの巨木-01

これはバンコクからマレーシア方向に南下する国道4号線の十数年前の写真。
凄い木でしょう。
片側1車線の国道をすっぽり覆うような巨木。巨木だが、タイの樹木は上には伸びず横に広がる性質が有る。(太陽が真上に有るためで、熱帯地方ならではのモノ)
この為、大木であっても真っすぐ伸びないので建築用木材にはならない。(柱にならないのです)

以上が私のタイでの経験で、タイでは建築用の木材を育てるとか永年手入れするとか云う事をしていないので、建築用の木材が手に入らない。だから住宅がコンクリート製になっている。そう認識していました。


所で本題に戻って、冒頭の写真の三内丸山の巨大な6本柱建物の材料、これはクリでした。
しかし私の知る栗の木はこんなもので、杉やヒノキのように上へ上へと延びるわけではありません。

これが普通の栗の木
2019-5-14栗の木写真

こんな風に横に広がってしまいます。これでは建築用の木材には向きません。
(注:この写真の木は多分途中で上に伸びないように先端が止めてあると思いますが、若しそんな事をしなくても栗の木は横に広がります)

そして老木でもこんな風
2019-5-13青森県むつ市の栗の大木樹齢800年

推定樹齢は約800年。そんな大木ですが、こんな風に枝分かれしていては建築用には不向きですね。

こんな風で、栗を建築材として使うには苗木から育て、剪定して上に伸びるようにし、或る程度伸びても枝打ち・間伐などで長年管理していく。こうして柱に出来るような長くまっすぐな木材を育てていく。こんな事でないと巨大な柱は出来ないと思うのです。
しかもその永年と言うのは、例えばヒノキの場合、100年で40センチ位になるようで、1メーターもの巨木にするには200~300年も管理し続けないといけません。

三内丸山遺跡は今から5900年前から4200年前まで1700年間続いたと考えられています。1700年と言えば、現代でいえば古墳時代から現代までに相当する訳で、とてつもなく長い時間。そのかなりの年月を栗林の植林管理に費やしていた。そう思って良いのではないでしょうか。

結論として、三内丸山遺跡ん縄文人は千数百年と言うとてつもなく長い期間を通じて栗の木を育てていた。その結果があのような巨木の建物が出来た。そう思う訳です。

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コメント

現在は伐採のしすぎでタイからの輸出は禁止されていますが、チーク材は有名ですよね。脂っぽくて虫が巣食わないのだとか。戦艦大和の甲板はチークでした。

わたしはひどい花粉症なのですが、日本では花粉のでる杉林とかが荒れ放題です。ぜひ、タイの業者に伐採してもらって、タイへ持って帰ってもらいたいと思いました。(笑)
それにしても昭和40~50年代に苦労して植林した人はまさかこうなるとは思わなかったでしょうが、もはやほとんどの森林は荒れ放題なので仕方ありません。花粉症で国民生活の水準がどれほど低下していることか・・・

ミャンマーには手が付けられていないチーク林が多く残存していると聞きますが、治安が悪くて、輸出は無理なのでしょう。


  1. 2019-05-15 17:18
  2. URL
  3. NINJA300 #/xzFVZWc
  4. 編集

To:NINJA300 さん

> 現在は伐採のしすぎでタイからの輸出は禁止されていますが、チーク材は有名ですよね。脂っぽくて虫が巣食わないのだとか。戦艦大和の甲板はチークでした。
>
> わたしはひどい花粉症なのですが、日本では花粉のでる杉林とかが荒れ放題です。ぜひ、タイの業者に伐採してもらって、タイへ持って帰ってもらいたいと思いました。(笑)
> それにしても昭和40~50年代に苦労して植林した人はまさかこうなるとは思わなかったでしょうが、もはやほとんどの森林は荒れ放題なので仕方ありません。花粉症で国民生活の水準がどれほど低下していることか・・・
>
> ミャンマーには手が付けられていないチーク林が多く残存していると聞きますが、治安が悪くて、輸出は無理なのでしょう。



チーク材のことは以前よく問題にされました。乱伐で資源枯渇が分かっていても違法伐採は後を絶ちません。政府が取り締まりに手を焼ていると何度か聞いたことが有ります。

タイの林業は基本的に収奪林業で、良い木が有れば切って売り飛ばして終り。こうですね。
日本でもこんな事が何度も繰り返され、結局山の木を切るな政策がいろいろ行われた歴史が有ります。
有名なのは江戸時代の尾張藩による木曽の山の禁伐政策です。何せ「木一本、首一つ」と言われた位罰則を強化しましたから。

次回そんな所を書くつもりです。
  1. 2019-05-16 08:13
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

書きたいことを書かれました。

クリ材って本当に真っ直ぐなものがありません。そもそもが栽培用に作ってるのですから当たり前といえば当たり前ですが、こういう直線のクリ材って間違いなく建材用に育てたものでしょう。ロシア産もおそらくはそうだと思います。そしてクリ材は乾燥をよくしなければすぐに暴れます。クリ材は丈夫さはピカイチなんですがどうにも使えない木材なんです。それを使うだけですごいのです。

南洋材は健材としては一部を除き本当に不適ですよね。タイワンヒノキとかミャンマーヒノキとか一部の針葉樹を除くと大規模建物に使えるものは殆どありません。タイもそう暑いところばかりじゃあないんだから植林すべきだと思うのですがね。南洋材は50年代位からの乱伐でフィリピンあたりは自然林はほぼ壊滅のはずで今は殆ど植林されたもののはずです。と言っても成長の早いラワンだとかバルサだとかの材木ですから殆どないんでしょう。
建材になる大きな物は少ないはずです。

翻って三内丸山が高度の技術を持っていたと言いますが、ここに来るまではおそらく古代でも数千年近い蓄積がなければ不可能なはずです。馬鹿な学者たちが法隆寺などの飛鳥時代の建造物について外国からの先進的な技術の輸入だとか抜かしていましたが日本以外にそういう技術持った国は近隣にはなかったはずなんで、すでに当時からして数千年の歴史の蓄積が間違いなくあったはずです。

前のエントリにもありましたが連中の持っていた数学的能力を加味して考えると、やはり縄文人は文字を持っていたのだと小生は考えたくなります。こういう技術を口承だけで伝えるということは本来できることとは思えません。

「世界言語のなかの日本語」という本がありますが、その中で著者の松本氏は言語学の世界で言語の分化がわかるのはせいぜいが数千年単位だと言ってます。そして日本語は数千年単位で分化したと評価される言葉が存在しない、詰まりは日本語の分化、つまり日本語の発生、誕生は万年単位を遡らなければならないと言います。

日本人は石器時代から列島に住み石器文明から縄文時代への移行を見ることができると言います。おそらくは日本語の起源は旧石器人たちが日本にやってきたときの言葉なのでしょう。

おそらくは人類が出エジプトをしてからスンダランドに到着しそこから海に乗り出して日本列島に住み着いた連中からのものなのだと思います。このあたり資料はいくつもあるのですが考古学の世界はともかく、国語学者たちはこのあたりについて全く考えようともしません。列島の文明が大陸に比べて劣ったものであるというような刷り込みあまりに強いのでしょう。

そして古代言語の復元などということをやろうとする人は殆どいません。

本当に文化系学者は頭のいい馬鹿の集団だと思います。

  1. 2019-05-16 13:04
  2. URL
  3. kazk #cPv2SIBE
  4. 編集

今日の虎ノ門ニュースの虎ノ門サイエンスで武田先生がこの遺跡について?ちょっとだけ触れています。参考まで
  1. 2019-05-17 21:27
  2. URL
  3. NINJA300 #/xzFVZWc
  4. 編集

To:NINJA300 さん

> 今日の虎ノ門ニュースの虎ノ門サイエンスで武田先生がこの遺跡について?ちょっとだけ触れています。参考まで



情報有難う御座います。早速見てみました。さすが武田先生、よく見て見えますね。
確かに武田先生の言う通り、考古学にはウソが多い。

考古学はアカデミズムの塊みたいなものでして、門外漢の言う意見など聞く耳を持ちません。
そんな事が沢山ありまして、最近私が痛感しているのは「縄文時代は狩猟採集民族の時代だった」と言う大嘘がまかり通っていること。そんな事で今回の三内丸山遺跡のことぉ長々と書いている訳です。

そして問題の根は「欧米の学者のいうことなら疑問を抱かず受け入れる事」ですね。
最近のアイヌ問題はそんな日本人の弱みをニダ族に利用されています。
  1. 2019-05-18 07:22
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

To:kazk さん

> 書きたいことを書かれました。
>
> クリ材って本当に真っ直ぐなものがありません。そもそもが栽培用に作ってるのですから当たり前といえば当たり前ですが、こういう直線のクリ材って間違いなく建材用に育てたものでしょう。ロシア産もおそらくはそうだと思います。そしてクリ材は乾燥をよくしなければすぐに暴れます。クリ材は丈夫さはピカイチなんですがどうにも使えない木材なんです。それを使うだけですごいのです。
>
> 南洋材は健材としては一部を除き本当に不適ですよね。タイワンヒノキとかミャンマーヒノキとか一部の針葉樹を除くと大規模建物に使えるものは殆どありません。タイもそう暑いところばかりじゃあないんだから植林すべきだと思うのですがね。南洋材は50年代位からの乱伐でフィリピンあたりは自然林はほぼ壊滅のはずで今は殆ど植林されたもののはずです。と言っても成長の早いラワンだとかバルサだとかの材木ですから殆どないんでしょう。
> 建材になる大きな物は少ないはずです。
>
> 翻って三内丸山が高度の技術を持っていたと言いますが、ここに来るまではおそらく古代でも数千年近い蓄積がなければ不可能なはずです。馬鹿な学者たちが法隆寺などの飛鳥時代の建造物について外国からの先進的な技術の輸入だとか抜かしていましたが日本以外にそういう技術持った国は近隣にはなかったはずなんで、すでに当時からして数千年の歴史の蓄積が間違いなくあったはずです。
>
> 前のエントリにもありましたが連中の持っていた数学的能力を加味して考えると、やはり縄文人は文字を持っていたのだと小生は考えたくなります。こういう技術を口承だけで伝えるということは本来できることとは思えません。
>
> 「世界言語のなかの日本語」という本がありますが、その中で著者の松本氏は言語学の世界で言語の分化がわかるのはせいぜいが数千年単位だと言ってます。そして日本語は数千年単位で分化したと評価される言葉が存在しない、詰まりは日本語の分化、つまり日本語の発生、誕生は万年単位を遡らなければならないと言います。
>
> 日本人は石器時代から列島に住み石器文明から縄文時代への移行を見ることができると言います。おそらくは日本語の起源は旧石器人たちが日本にやってきたときの言葉なのでしょう。
>
> おそらくは人類が出エジプトをしてからスンダランドに到着しそこから海に乗り出して日本列島に住み着いた連中からのものなのだと思います。このあたり資料はいくつもあるのですが考古学の世界はともかく、国語学者たちはこのあたりについて全く考えようともしません。列島の文明が大陸に比べて劣ったものであるというような刷り込みあまりに強いのでしょう。
>
> そして古代言語の復元などということをやろうとする人は殆どいません。
>
> 本当に文化系学者は頭のいい馬鹿の集団だと思います。



クリ材は厄介なものと思います。そして戦前からの乱伐ですっかり資源量が減ってしまい、今日ではまともな木材が無い状態になってます。残念なことです。

三内丸山は日本の考古学、古代史、そして世界史全体に衝撃を与えたと思います。
私は縄文文化は文明と言い換えるべきで、日本文明の原点は縄文から始まると思っていますが、そんな意味でこれからも色んな発見があると思います。

縄文人は凄い数学能力を持っていたことが巨大掘立柱建物の発見で分かりました。私も文字を持っていたことは同じように思っています。
それから巨大な大型竪穴住居ですが、これはこの地区のシティーホールで、定期的にこのホールを使って何かイベントをやっていた。そのイベントは多分満月の日(日にちが特定できるため)にやっていたのではないかと見ています。

今回の青森行きでこんな所の片鱗でも見られないかと思っていましたが、流石に無理でした。

最後に日本人のルーツと言葉についてですが、私も日本語は縄文人が話した言葉が原点と思っています。そしてこれからが重要なのですが、縄文人の話していた原日本語はその後渡来人がやってきて新しい言葉をたくさん持ってきましたが、原日本語の骨格はそのまま残ったと思います。
そんな所を誰か研究してくれないかなあ、そう感じますね。
  1. 2019-05-18 11:51
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

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