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2019-05-12 13:36

三内丸山遺跡<縄文人の数字認識能力


 三内丸山でどうしても見たいものの一つが縄文人がどれくらい数字を認識する能力が有るかということだった。三内丸山遺跡は今から5900年前から4200年前までの1700年間(注:従来は5500年前から4000年前までの1500年間と言われていた)、途切れることなく営まれた都市又は村の跡でした。今まで縄文人は定住ではなく狩猟採集で各地を転々としていたと言われていたが、実は縄文人が高度の文化(文明と言ってもいい)を持っていた証拠が数字の認識能力。そんな所が見たかったわけです。
(注:三内丸山遺跡の年代、従来は5500年前から4000年前までの1500年間と言われ、三内丸山遺跡発行の資料でもそうなっているが、最新の研究では5900年前から4200年前になった。2019年4月を目途に資料書き換え予定だが現在はまだ変更されていない。以下記事参照
https://www.toonippo.co.jp/articles/-/84991


そんな思いの原点がこれ、大型掘立柱建物という。(抑々この名前からして気に入らない。掘立小屋というと粗末な小さな安普請の小屋というイメージで、未開の縄文人と言わんばかりのイメージだが、縄文人は高度な文化を持っていたし、掘立柱建築はある意味合理的なのだが、この話は置いておきます)

2019-5-11三内丸山24ミリで撮影 
24ミリの広角で撮ったので、柱の上すぼまりが強調されています。それを念頭に見てください。

ちょっと目にはその大きさは分かりませんが、隣にいる人と比べてみてください。柱の太さは約1m。材質は栗です。但し栗はこんな風に真っすぐの巨木は日本には無いため、ロシアのソチから輸入したもの。柱1本の重さは約8トン、長さ17m、太さ約1m。1,996年10月に組み立てられたものです。

さてこの巨大な建物ですが、柱穴は穴の直径は2m、深さは2.2m、そして2°内転び(内側に倒れる事)しており、そこには柱の根元部分が残存していました。柱は石斧で成形され、腐食防止で焦がしてありました。
そしてこれからが重要。柱穴のピッチは全て4.2mでした。この当時1尺35㎝の縄文尺が使われていたと言われ、その縄文尺を使うと12縄文尺になります。

上掲写真の奥、白いドーム状の建物が見えますが、この大型掘立柱建物の柱穴が出土した状態で保存公開されています。

2019-5-6青森6 
内部は乾燥やコケなどを防ぐため空調されています。前代未聞のモノなのできちんと管理しているということです。


この「12」でピンときたものが有ります。
3+4+5=12
この345と言えば

ピタゴラスの定理です。
2019-5-1112尺1  

ピタゴラスの定理で直角三角形が出来ます。
これを使えば、広い所でも紐と釘があれば直角が出来ますね。
2019-5-1112尺2 
こんな風に紐に印をつければ簡単に直角が得られる。

私は縄文人はこのようにして直角が得られることを知っていたと考えています。
(ピタゴラスの定理そのものを知っていたかどうかは今後の研究を俟ちたい)


一寸話は飛びますが・・・。

私は縄文人は12進法を使っていると考えているのですが、先ずはこんなものを見てください。
青森県の隣、秋田県の大湯環状列石遺跡(ストーンサークル)から出土した土版です。
(分かりやすいので参考用に出しました)

2019-5-7土版(大湯環状列石出土・秋田県鹿角市)  

縄文時代後期前葉から中葉(今から4,000年~3,500年前)のものと言われ、三内丸山より少し新しい時代のモノ。表側に1~5、裏側に6.つまり1~6までの数列が確認できる。

さてでは三内丸山遺跡では如何か。

2019-5-4青森5 

これは三内丸山の土偶。よく見ると口を1とし、その下に2,3,6,7などの数字が見える。

これを研究した人の記事では
2019-5-11三内丸山の土偶1~12の数列 
http://www.city.toyama.toyama.jp/etc/maibun/kitadai/j_kouza/kouza-17.htm

こんな風に1から12までの数列が確認できるという。

私も三内丸山遺跡の縄文時遊館でじっくり現物をみてきた。この土偶の数字マークは多分笹の茎のようなものでポンポンと手際よく文様を形作っている。
これは推定だが、こんな事を簡単にできるということは、多分「数え歌」のようなものを口ずさみながらやっていたのだろう。そんな手際よさを感じさせるものだった。
こんな所から、私は縄文人は相当数字を使いこなしていた。それは12進法である可能性が高い。そう見ている。



その12進法の理由、一番大きいのは1年が12か月だということだと思う。そしてその1ヶ月は月の満ち欠けを見れば日にちが分かる。現に今日でも時間・暦は12進法(半分の6進法もある)ですよね。
暦の話は、太陽暦の1年は365.2422日だから、4年に一度はうるう年で・・・とか
太陰暦の1ヵ月は29日か30日で、1年は354日又は355日で、3年に一度くらいは閏月が有るとか、色々あるが、まあザックリした話は1年12か月。

この暦の話は私のタイでの経験から、古代の人もきっと月の満ち欠けで日にちを見ていたと思うからである。
何故か?
タイではいろんな祭りが在るが、その祭りは満月に日にやるのが当たり前になっている。有名なのはローイ・カトン(ローイ・クラトン)という聖霊流しのようなもの。これはタイの陰暦12月の満月の夜に行う。

これはローイ・カトン(ローイ・クラトン)、カトンというバナナの葉で作った船に蝋燭を立てて流す(ローイは漂わせるの意)
2019-5-11ロイカトン 
(注:こんな風にしてカトンを流せば、川や池が流されたカトンで一杯になり汚れると思うのだが、実はカトンは願い事をかける為お賽銭(小銭)も添えておく。暫くすると何処からか「カッパ」が現れてお賽銭目当てでカトンを回収していく。そんな回収システムが有る)

他にも陰暦3月の満月の日にはマカ・ブーチャ(萬佛節・祝日)、陰暦6月の満月の日にはヴィサカ・ブーチャ(佛誕節・祝日)、陰暦8月の満月の日にはアサラハ・ブーチャ(三宝節・祝日)、アサラハ・ブーチャの翌日がカオ・パンサー(入安居・祝日)、陰暦11月の満月の日がオーク・パンサー(出安居)。
(注:タイの陰暦は日本の陰暦とは出発点(元日)が違うので、約3か月ずれている)

どうして満月の日に色んな行事が有るのか、色々聞き込みを行ってみた。その結論は・・・。
タイの田舎では、ほんの数十年前までカレンダーもなく有っても字が読めず月を見て日にちを知るだけだった。満月の日にお寺に行けば何かをやっているし、市が立っていたりする。また男と女の出会いの場でもある。そんな話だった。
縄文時代も事情は昔のタイの田舎と同じであろう。何かの行事は満月の日に行うのが一番わかりやすいのだと思う。

結論です。縄文人は未開の民ではありません。少なくとも12進法の数字を使いこなし、足し算引き算は理解し使えたと思います。

<続く>
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コメント

 狩猟採集の民族は数学に弱いと決まっているのに、これは凄いですね。 
  1. 2019-05-15 09:21
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

勉強になります。
時代は下りますが、アイヌと縄文文化になんらかの関係はあったのでしょうか?

アイヌはサヨクは半島やシナ系のマネーを得て、いまも存在するとしていますが・・・数世代前に滅びたというのが大方の見方。にも拘わらず、アイヌ法が成立しました。

次はうみんちゅ法か、熊本の熊襲法でしょうかねえ。(笑)
  1. 2019-05-15 17:30
  2. URL
  3. NINJA300 #/xzFVZWc
  4. 編集

To:よもぎねこ さん

>  狩猟採集の民族は数学に弱いと決まっているのに、これは凄いですね。



従来の常識が全く間違いだったということだと思います。
また縄文人は狩猟採集民と言われ、現在もそう教えられていますが、少なくとも住むところを転々と変わっていたということは有りません。ある程度の期間(現代人と同じくらい)定住していました。特に三内丸山などは1700年間ですから、古墳時代から現代までに相当するくらいの期間。まったく未開の民ではありません。
また所謂農耕をしていたというより栽培をしていたことも間違いないです。次回エントリーでそのことを書くつもりですが、現代に通じる持続可能な栽培民族だったと言えると思います。 
  1. 2019-05-16 08:02
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

To:NINJA300 さん

> 勉強になります。
> 時代は下りますが、アイヌと縄文文化になんらかの関係はあったのでしょうか?
>
> アイヌはサヨクは半島やシナ系のマネーを得て、いまも存在するとしていますが・・・数世代前に滅びたというのが大方の見方。にも拘わらず、アイヌ法が成立しました。
>
> 次はうみんちゅ法か、熊本の熊襲法でしょうかねえ。(笑)



熊襲法ですか。面白い!。座布団10枚!(笑)。

アイヌですが、DNA研究で縄文人のDNAを一番多く持っているのはアイヌ、次は琉球人。本土日本人はその次のようですが、それでも日本人のDNAの十数%は縄文人由来と分かっています。
それで良く分からないのがアイヌ。北海道の縄文文化は本州が弥生時代に入っても縄文文化が続きました。そこまでは分かっているのですが、それがアイヌになったかと言えばどうもよく分からない。古代のある時期にどこかからアイヌがやってきたと言えるのかもしれない。良く分かりません。

そもそもアイヌは完全に日本人ですから、差別も何もない。シャベチュと叫んでいるのはニダ族ですね。
アイヌ新法については完全に国連による外圧です。その裏に潜んでいるのは中韓(ニダ族とアル族)です。
国連は本当に要りませんね。
  1. 2019-05-16 08:37
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

縄文人を考えるときには嫌でも日本人の源流を考えねばいけません。
考古学は遺伝学や分子生物学の力を借りて禁じ大きく成果を上げていますよね。
日本人の源流が明らかになりつつあります。
最近のものはこちら

https://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/20171214-OYT8T50003/

縄文人の核DNAについて一部ではありますが解読されたそうです。

どうやら日本人は3波に渡り日本。列島にやってきたというようです。
このような3重構造を主張していた人がいます。

ご存知かもしれませんしこの世界では相当に議論を呼んだ御仁ですが、こちら

http://garapagos.hotcom-cafe.com/

結果は日本人の特殊性を強調するものになってしまいました。
小生は日本語の問題からこのような結果を予想してました。

日本が島国であり、類似の言葉が存在しないとなれば極初期に列島に住み着き何万年も独自に存在してきたと考えるのが一番簡単だからです。

今我々が知ることができるのは熊襲も蝦夷もうちなんちゅうもほとんどすべて縄文人の変化系に過ぎないということです.これは人種などと言えるほどの変異もないものでしかありません。

ニダやアルの連中を排除するほうが先の問題でしょうね。
  1. 2019-05-16 17:55
  2. URL
  3. kazk #cPv2SIBE
  4. 編集

To:kazk さん

> 縄文人を考えるときには嫌でも日本人の源流を考えねばいけません。
> 考古学は遺伝学や分子生物学の力を借りて禁じ大きく成果を上げていますよね。
> 日本人の源流が明らかになりつつあります。
> 最近のものはこちら
>
> https://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/20171214-OYT8T50003/
>
> 縄文人の核DNAについて一部ではありますが解読されたそうです。
>
> どうやら日本人は3波に渡り日本。列島にやってきたというようです。
> このような3重構造を主張していた人がいます。
>
> ご存知かもしれませんしこの世界では相当に議論を呼んだ御仁ですが、こちら
>
> http://garapagos.hotcom-cafe.com/
>
> 結果は日本人の特殊性を強調するものになってしまいました。
> 小生は日本語の問題からこのような結果を予想してました。
>
> 日本が島国であり、類似の言葉が存在しないとなれば極初期に列島に住み着き何万年も独自に存在してきたと考えるのが一番簡単だからです。
>
> 今我々が知ることができるのは熊襲も蝦夷もうちなんちゅうもほとんどすべて縄文人の変化系に過ぎないということです.これは人種などと言えるほどの変異もないものでしかありません。
>
> ニダやアルの連中を排除するほうが先の問題でしょうね。



情報有難う御座います。
先のコメントにも書きましたが、私は縄文人が話していた原日本語が今日の日本語に発展してきたと思っています。
残念ながら縄文人が文字を持っていたと想定されているものの全く証拠がない。

でもそんな事の片鱗が、日本語の漢字受け入れと「訓読み」の発明や漢文読み下しの発明などに感じられるのですが、そうでしょうか。
  1. 2019-05-18 12:00
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

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