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2019-04-19 18:48

北斎はなぜこんなに愛されるのか


 14日のエントリー「新紙幣の顔に思う事 2019-04-14 」でCNNの報道を取り上げた。
CNNが何と「北里柴三郎をノーベル賞受賞者扱い」にした。まあ喜んでもいいんでしょうねえ。

 これは考えてみれば、この当時(1901年)の業績でいえば北里柴三郎の業績は絶対ノーベル賞にすべき業績だった。しかしこの当時は白人以外にはノーベル賞なんか出すもんかと言う人種差別が酷く、結局受賞できなかった。そんな事を知ったうえで、CNNはノーベル賞受賞者扱いにしたのだと思うのだが、もっと不思議な事がある。

それはCNNでは初めに一番大きく「新千円札の裏面」を紹介。次に新千円札の表面(肖像は北里柴三郎)、次に写真を小さくして新5千円札の表面裏面、最後にもっと小さく新1万円札の表面裏面を紹介していることだ。(下記リンク先参照ください)

2019-4-14新千円札裏面byCNNCNNの報道は以下で
日本が新紙幣発表、千円札に北斎の浮世絵
2019.04.10 Wed posted at 15:45 JST


北斎の浮世絵がなぜこのように高い評価を受けるのか。どうも日本での評価とは違った面から見て、西欧では評価しているようだ。

そんな事情が分かるものが有る。
もう1年前だが、シンクタンク「日本政策研究センター」の情報誌「明日への選択」2018年5月号にこんな記事が有った。
北斎はなぜこんなに愛されるのか』 東北大学名誉教授の田中英道氏のインタビュー記事です。

この記事は冒頭
 「世界に最も影響を与えた日本人は誰か。織田信長や黒澤明を挙げる人もあるようだが、米国の雑誌『LIFE』は「この千年に最も重要な功績を残した世界の人物百人」に、江戸時代の絵師、葛飾北斎を日本人として唯一人選出している。」
こんな所から出発しています。

この『LIFE』の記事は今は廃刊になっていますが、以下で読むことができます。
この中で
1、トーマス・エジソン (アメリカ)
2、クリストファー・コロンブス (イタリア)
3、マルティン・ルター (ドイツ)
4、ガリレオ・ガリレイ (イタリア)
5、レオナルド・ダ・ヴィンチ (イタリア)
6、アイザック・ニュートン (イギリス)
7、フェルディナンド・マゼラン (ポルトガル)
8、ルイ・パスツール (フランス)
9、チャールズ・ダーウィン (イギリス)
10、トーマス・ジェファーソン (アメリカ)
こんな風なのですが、画家では三人だけ、78位がピカソ、多分ゲルニカが評価されたんでしょうね。そして86位が葛飾北斎です。もう一人59位に北宋初期の山水画家の范寛 (中国)が入っていますが、この人は良く分かりません。


さて本題に戻って、こんな風で日本人が考えるよりも北斎の評価が高いのは何故なのか。そんな事を考えてみました。

田中先生は『西洋画を一変させたジャポニスムの衝撃』と言っています。その要旨は
 ちょうどその頃、ヨーロッパでは既存の価値観が揺らぎ、「近代」への模索が続いていました。例えば、フランス革命(一七八九)は「自由・平等・友愛」の名のもとに、民衆が立上り、ギリシア・ローマ文明を尊ぶルイ王朝を打倒し、ノートルダム大聖堂はじめ多くのキリスト教会を破壊しました。神も王も全否定したのです。一方、ヨーロッパでは十六世紀のデカルト以来、「理性」ということを言い始めて科学を生み出し、大変な勢いで発達しますが、その科学が本当に人問を救うのかと確信を持てないでいました。
 そこに、日本人の自然のままでいいという概念、また富士山に象徴される自然信仰が浮世絵を通じて入って来たのです。神話や宗教に代わる新しい「近代」の表現を探し求めていた西洋の芸術家たちにとって、それはまさに東方からの福音でした。「これこそが新しい思想だ」という熱狂がアトリエを制し、セザンヌは「サント・ヴィクトワール山」を三十六景以上描き、リヴィエールは「エッフェル塔三十六景」を描きました。北斎の「富嶽三十六景」の影響であることは明らかです。これが「ジャポニスム」です。
 
こんな事で田中先生は「北斎をはじめとする浮世絵を見て、向こうの画家たちは絵をガラリと変えた」と言っています。

そして例えばゴッホについて
 その典型がゴッホです。ゴッホの人生は挫折続きで、ある時期から牧師になろうとしていたのですが、浮世絵に出合い、牧師になるのを完全にやめる。それと同時に、ゴッホの絵は急に変わって行くのです。
 例えば、「ラザロの蘇生」という作品があります。聖書にはキリストが死せるラザロを復活させた話が出てきますが、西洋画のならいでは、そこに必ずキリストが立っていなければならない。ところが、ゴッホはキリストが立つべき位置に太陽を描いたのです。つまり、新しい救い主として太陽を持ってきた。
 日本という言葉は、フランス語で「ル・ソレイユ・ルヴァン (Le Soleil Levant) 」(太陽が昇る国)と言うのですが、「日本が救い主だ」という概念を持つたからこそキリストの代わりに太陽を描いたのです。

そして田中先生はこう言っています。

 もともとゴッホはオランダ生まれで、ロンドンやパリなどで働いていました。パリやロンドンは日が射す日は少ない。だから、絵も暗かった。ところが、浮世絵に衝撃を受けて以来、印象派の画家たちはみんな明るい色でパリやロンドンを描き始めるのです。

こんな事の時代背景をもっと見てみたいと思います。
丁度この頃は産業革命で世の中が激変していました。例えばフランスだけ見ても、フランス革命(1789年)、ナポレオンの登場と没落(1799-1815)、フランス王国(1814-1848)、第二共和制(1848-1852)、第二帝政(1852-1870)、第三共和制(1870-1940)・・・う~ん、訳分かりませんね・・・。しかしこんな政治の混乱の中でもパリ大改造(下水道整備と都市再開発など)などは着々と進んでいました。こんな混沌とした社会の中で、印象派のような新しい絵画が出来、それに日本の浮世絵、就中北斎などが大いに影響を及ぼしてきたわけです。


さて、こんな歴史は兎も角、では現代に今の話がどう生きるか考えてみたいと思います。
今アメリカは中国と経済戦争の真っ只中、さらにアメリカは右と左に分断され、これから先何処へ行くのか分かりません。
こんな時こそ「新しい価値観、新しい思想、文化」が必要で、その思想、文化、価値観の一つの表れを北斎に見ているような気がします。

そんな目で日本が紙幣を新しくする。その紙幣にはあの北斎の絵がある。こんな思いでCNNの記事が書かれたのではないでしょうか。



参考までに田中英道氏のインタビュー記事全文を如何に引用します。

以下このインタビュー記事全文です。スキャンしOCR変換しました。
尚所々どうも妙な表現が有りますが、多分インタビューの文字起こしでのミスだと思います。

<以下引用>
シンクタンク「日本政策研究センター」の情報誌「明日への選択」2018年5月号より

北斎はなぜこんなに愛されるのか
田中英道(たなか ひでみち)
東北大学名誉教授

2019-4-17北斎-01-1 

   世界に最も影響を与えた日本人は誰か。織田信長や黒澤明を挙げる人もあるようだが、米国の雑誌『LIFE』は「この千年に最も重要な功績を残した世界の人物百人」に、江戸時代の絵師、葛飾北斎を日本人として唯一人選出している。
(引用者注:この世界の人物百人を選定した1999年は丁度20世紀の最後に当たります。だからこんな事が色々記事になる。類似のものに「20世紀を代表する最大の事件100」がある。
以下参照ください
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1401.html
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1402.html
尚この当時は、冷戦終了して十年、次の敵は日本だという反日の嵐が吹き荒れていた時期です)

 確かに北斎といえば、その作品が十九世紀ヨーロッパの印象派画家たちに決定的な影響を与えたことで知られる。現代においても、英国のオークションでは北斎に特化した競売が行われ、イタリアの自動車メーカーロシアのデザイナーも北斎をモチーフとした作品を発表している。さらに最近では日本でも、相次いで北斎展が開催され、二、三十万人規模の入場者を集めている。
 いったい、なぜ北斎はこれほど人気なのか。北斎が世界に与えた影響や作品の特徴について、最近『葛飾北斎 本当は何かすごいのか」(育鵬社)を上梓された美術史家の田中英道東北大学名誉教授に話を聞いた。


西洋を凌駕する技術

 ーーー 一方で日本の歴史にも造詣が深い田中先生は、もともとレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロなど西洋美術史研究で大きな業績を上げられました。世界的な視野からご覧になって、北斎はどのように位置付けられるのでしょうか。

 田中 レオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロは、その作品を見れば西洋の思想がおおむね分かるというほどの天才です。そして北斎は、日本の思想を理解する上でも、この二人の位置と同じほどの巨匠だというのが私の見解ですね。
 江戸末期の十九世紀に、北斎や歌川広重をはじめとする日本の浮世絵がオランダを通じてヨーロッパへ行きますが、特に印象派画家たちはそれまでの画風を一変させるほどの影響を受けたのです。セザンヌの「サント・ヴィクトワール山」の連作も、モネの「睡蓮」の連作も、ゴッホの風景も、ゴーギャンのクロワニズムも、すべて浮世絵の影響で生まれたものです。最近も国立西洋美術館で「北斎とジャポニスム」展が開かれましたが、その点の説明では必ずしも十分ではありませんでした。

 --― なぜそれほど影響を与えたのですか

 田中 まず何と言っても、視覚的な表現の秀抜さですね。北斎は西洋人があみだした遠近法を彼ら以上に咀嚼し、彼らを遥かに飛び越える水準の技術を持っていました。
 江戸時代の日本は「鎖国」と言われるけれども精神的な意味ではそうではなく、オランダを通じてヨーロッパの情報も文物もたくさん取り入れていました。日本の絵師たちも、江戸中期から入ってきた蘭画、つまり西洋両を見て西洋の遠近法を取り入れて行くのですが、とくに北斎はよく研究していました。遠近法は通常、近景から中景、中景から遠景というふうにして奥行きを出して行きます。ヨーロッパ・ルネサンスではこの技術が建築や町づくりに適用されていました。
 ところが、北斎は中景を完全に抜いて絵を描いた。これは大変効果的で、奥行きがかえって深く見えるのです。
 例えば、北斎は七十歳になってから、有名な「富嶽三十六景」を描いています。「富嶽三十六景」はわが国の新パスポートにデザインとして採用されることになりましたが、皆さんもご存じの「神奈川沖浪裏」(=右上図)という作品は、大きな波に漁船が翻弄されその向こうに富士山が見えます。また、「東海道程ケ谷」という作品では、街道沿いの細い松の向こうに富士山が見えます。これらは西洋の遠近法を最も自家薬籠中にした図です。まさに「富嶽三十六景」は゛中抜き遠近法」の傑作と言ってもよいでしょう。
 色彩も斬新でした。北斎は「富嶽三十六景」を描くときに、べ口リン藍という新しい色を初めて使います。これはプロシアから輸人された化学顔料(プルシアンブルー)で、植物由来の藍色では出せなかった鮮やかで深みのある青色が出ます。北斎はこのベロリン藍で繊細なグラデーションや奥行きを出して行く。浮世絵にこの色彩を絶妙に配合させた最初の例です。
 西洋の画家たちは、こうした北斎の絵を見て、その技術に目を見張ったのです。それだけではありません。やはり自分たちの知らなかった日本のヴィジョンに目を見張ったのです。
 そもそも西洋の芸術家は皆インテリですから、自分たちが持っているものをちょっと洗練させたとか応用させたとか、そういうものには見向きもしない。そうではなく、思想自体が彼らの思惑を凌駕していたのです。

富嶽三十六景にみる日本人の自然信仰

 田中 その思想で重要なのは、自然が人間を造るものだという自然観、キリスト教的な神というものに縛られない自然信仰、これが向こうの画家たちの心を捉えたことです。とくに北斎の「富嶽三十六景」は、自然は人間と敵対するものだという西洋の概念を強く揺さぶりました。
 「富嶽三十六景」の半分の十八点は江戸から見た富士山の風景です。従って富士の姿が遠景でしかない。それでも描くというのはいかに江戸が富士山と結ばれているかを表したかったからです。
 例えば、「江戸日本橋」(=下図)

2019-4-18富嶽36景江戸日本橋 
葛飾北斎「富嶽三十六景 江戸日本橋」

という作品は、日本橋の上を歩く人、倉庫のようなお蔵、その奥に江戸城があり、その遥か向こうに小さな富士山が見えます。
 この絵はいったい何を表しているのかといいますと、江戸城を守っているのは富士山だという概念なのです。つまり、江戸という都市は富士山で守られているという考え方を北斎は表現しているのです。
 北斎が生きた江戸時代には「富士講」が大流行し、「富士塚」が各地にできるほどでした。富士塚は富士山を模した小さな山ですが、身近なところに小さな富士山を造ったのはやはり自分たちが住む町を富士山が守ってくれているという自然信仰の一つです。
 ちなみに、日本人の富士信仰は縄文時代から始まっています。静岡県富士宮市の千居遺跡は、今から四千~五千年前、縄文中期のものと推定される遺跡で、富士の霊峰を臨む場所からそれを模した富士山型の石とその石を祭壇のように取り囲む配石遺構が発掘されています。
 また、万葉集には「天地の分かれし時ゆ神さびて高く貴き駿河なる布士の高嶺を・・・」で始まる山部赤人の歌をはじめ富士山を詠んだ歌がたくさん収録されています。赤人が「天地の分かれし時ゆ」と歌ったように、私は富士山は「高天原」のイメージに繋がっていると考えていますが、それほど日本人と富士山は密接なのです。

 ーーー北斎は、日本人の富士信仰、自然信仰の上に立って絵を描いた

 田中 その通りです。だから、さっきの「神奈川沖浪裏」(=4頁図)は、迫真の力をもって描かれている場面ですが、よく見ると二艘の和船が描かれています。そして、乗っている人々はみんな船の縁に伏せています。同時に、遠くに見える富士山にも伏しています。この姿は、人間が自然に帰依している様子がよく分かります。
 さらに、北斎は人間そのものを自然の一部として見て、表情の変化、態度の変化、肉体の変化を、様々な自然現象として表現しました。有名な「北斎漫画」はその典型です。
 北斎は十九歳で絵帥になり九十歳で亡くなるまで何度も名前(号)を変えているのですが、北斎号は妙見信仰と関係があると考えられています。妙見菩薩は北極星、北斗七星を神格化した菩薩で、国土を守り、災害を減らし、人の福寿を増す。天の中心に輝く北極星は、天皇のことですから、尊皇の意味も含まれます。
 北斎はこの号を使い始めてから、「師造化」という非常に重要なことを言っています。造化とは、自然の摂理や天地宇宙そのもののことです。つまり、北斎は自然を師として絵を描いていたのです。

西洋画を一変させたジャポニスムの衝撃

 ーーー 北斎の絵に込められた高い技術と自然信仰が、ヨーロッパの画家たちに衝撃を与えたと。

 田中 そういうことです。ちょうどその頃、ヨーロッパでは既存の価値観が揺らぎ、「近代」への模索が続いていました。例えば、フランス革命(一七八九)は「自由・平等・博愛(引用者注:友愛が正しい)」の名のもとに、民衆が立上り、ギリシア・ローマ文明を尊ぶルイ王朝を打倒し、ノートルダム大聖堂はじめ多くのキリスト教会を破壊しました。神も王も全否定したのです。一方、ヨーロッパでは十六世紀のデカルト以来、「理性」ということを言い始めて科学を生み出し、大変な勢いで発達しますが、その科学が本当に人問を救うのかと確信を持てないでいました。
 そこに、日本人の自然のままでいいという概念、また富士山に象徴される自然信仰が浮世絵を通じて入って来たのです。神話や宗教に代わる新しい「近代」の表現を探し求めていた西洋の芸術家たちにとって、それはまさに東方からの福音でした。「これこそが新しい思想だ」という熱狂がアトリエを制し、セザンヌは「サント・ヴィクトワール山」を三十六景以上描き、リヴィエールは「エッフェル塔三十六景」を描きました。北斎の「富嶽三十六景」の影響であることは明らかです。これが「ジャポニスム」です。
 今はジャポニスムというと、単なる異国趣味のように捉えられていて、特に日本の研究者はジャポニスムを「過剰に日本を評価しすぎている」「あんなのは幻想だ」などと矮小化するけれども、よく分かっていない。とにかく、北斎をはじめとする浮世絵を見て、向こうの画家たちは絵をガラリと変えたのですから。
 そのことは、浮世絵が入る以前と以後を比べれば一目瞭然です。
 浮世絵が入ってくる以前の西洋画は、人間が中心でした。風景はそれを説明するための二次的なものだった。また、神話画や宗教画には、それを見て善悪を知らしめるといった意味が必ずあった。ところが、日本の絵を見て、そうした概念から解き放たれて行くのです。
 その過渡期において一番重要な人はマネです。マネは『草上の昼食』という作品で、初めて人間の女性の裸体を描く。これは大スキャンダルになりました。なぜなら、それまで西洋で裸体を描くときは、必ずヴィーナスやダナエ(引用者注:ギリシア神話に登場するアルゴスの王女の名、愛の神の代表的なシンボル)など神話の登場人物でなければならなかった。それをマネは飛び越えてしまったからです。
 どうしてそんな大転換が生まれたのかというと、浮世絵に出てくる女性は何気なくただ立っているだけ。物語の要素はほとんどない。これが「ああ、物語がなくても描けるんだ。裸体をそのまま描いてもいいんじゃないか」という概念を与えたのです。
 それから、セザンヌは日本の風景両を見て、形の美を見出した。
「山ってこんなに美しく見えるんだ」と。そこにはキリスト教的な道徳律も何もない。それ以降、彼はあらゆるものを形として見ることを覚え、あらゆるものの意味を抜いてしまう。だから、サント・ヴィクトワール山は「聖なるヴィクトワール山」という宗教的意味があるはずなのですが、その宗教的意味は一切描かないで、形と色だけで表現した。

日本への憧れ

 田中 そこからさらに進むと、今度は自然というものの価値に目覚めて行きます。
 その典型がゴッホです。ゴッホの人生は挫折続きで、ある時期から牧師になろうとしていたのですが、浮世絵に出合い、牧師になるのを完全にやめる。それと同時に、ゴッホの絵は急に変わって行くのです。
 例えば、「ラザロの蘇生」という作品があります。聖書にはキリストが死せるラザロを復活させた話が出てきますが、西洋画のならいでは、そこに必ずキリストが立っていなければならない。ところが、ゴッホはキリストが立つべき位置に太陽を描いたのです。つまり、新しい救い主として太陽を持ってきた。
 日本という言葉は、フランス語で「ル・ソレイユ・ルヴァン (Le Soleil Levant) 」(太陽が昇る国)と言うのですが、(引用者注:辞書にはこんな言葉も・・「Empire du Soleil Levaut」:旭日帝国=日本(出典:大修館・仏和辞典))「日本が救い主だ」という概念を持つたからこそキリストの代わりに太陽を描いたのです。ゴッホは弟のテオに宛てた手紙にこう書いています。
 「いいかね、彼らみずからが花のように、自然の中に生きていくこんなに素朴な日本人たちがわれわれに教えるものこそ、真の宗教とも言えるのではないだろうか。
 日本の芸術を研究すれば、誰でももっと陽気にもっと幸福にならずにはいられないはずだ。われわれは因習的な世界で教育を受け仕事をしているけれども、もっと自然に帰らなければいけないのだ」
 それでゴッホは太陽の日差しにあふれた南仏のアルルヘ行くんですよ。

 ―--―そこから明るい絵を描き始める

 田中 ええ。もともとゴッホはオランダ生まれで、ロンドンやパリなどで働いていました。パリやロンドンは日が射す日は少ない。だから、絵も暗かった。ところが、浮世絵に衝撃を受けて以来、印象派の画家たちはみんな明るい色でパリやロンドンを描き始めるのです。

 -- 日本の絵は明るい

 田中 そう、日本人は暗いものを描かない。日本にはもともと陰影法がありません。太陽が照っているということを前提に描くから、絵巻物をみても夜の風景はない。描いたとしても、「平治物語絵詞」のように松明(たいまつ)を回しているだけで夜討ちの場面を表現する。日本人にとって暗いということは絵の対象にならないのです。キリスト教徒のような罪の意識がないからでしょう。

 ー- モネはどうですか。

 田中 モネもゴッホと同じですね。浮世絵を見てから、「ああ、自然こそが神の代わりなんだ」という概念をもった。以来、人間も自然の一部として描く。光という自然を描くのです。
 モネは最初は「印象」という小さい港の絵を描きます。これは港かどうかも分からないぐらい太陽が照っている光だけの絵です。光への憧れ、太陽への憧れ、日本への憧れです。モネは家の壁一面に浮世絵を飾っていました。別荘には、水を引き込んで池をつくり、太鼓橋をかけて、日本庭園のような庭を造り出しました。そうした中で「睡蓮」を生み出して行く。日本の自然信仰を「形」として感じ、絵画化したのです。

美は先ず「形」で見よ

 田中 ちなみに、もう一つ強調しておきたいのは、北斎は風景画だけでなく、人物画も世界クラスだということです。これは切手にもなっている「三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛」など役者絵で知られる東洲斎写楽と、北斎とが同一人物であるという私の研究から提出している説です。「写楽=北斎」となれば、北斎の評価は今にもまして高まり、まさにレオナルド・ダ・ヴィンチと並び立つ評価を受けることになるでしょう。

 ーー 写楽の絵も世界クラス。

 田中 ええ、ドイツの美術研究家タルトは、写楽はベラスケス、レンブラントと並ぶ世界三人肖像画家だと高く評価しています。
 写楽は北斎と同時代の絵師で、現在は百四十五点の絵が残っています。しかし、その活動期間はたった十ヶ月で、謎が多く、正体不明とされてきました。詳細は『実証 写楽は北斎である』など私の一連の著書に譲りますが、日本の美術史学界では、能役者であった斉藤十郎兵衛が写楽の正体だという説が有力です。
 しかし、写楽の絵のディティール、線の描き方、筆のさばきはじつに見事なもので、ちょっと絵の上手い役者が描けるようなレベルではない。逆に、北斎が勝川春朗と号していた時代に描いた役者絵と、写楽の役者絵は、非常によく似ています。
 そもそも美術作品は、絵の形象を見て判断するものです。これは西洋の美術研究・鑑定では基本中の基本です。しかし、日本の美術史学界では形象を見るということが主ではない。美術研究にとってあくまで1次的なものに過ぎない文献だけで判断している。これは理解に苦しみます。
 西洋の美術研究だけでなく、日本人は本来、美を「形(フォルム)」で表現してきました。縄文人が富士山型の石を造ってその美しさを称えたのがまさにそれです。美というものを「形」でなく「言葉(ロゴス)」で捉えようとすると、不正確にならざるを得ません。ロゴスには一貫性が求められますが、美は極めて多様だからです。だからこそ、日本人は美を「形」で認識し、表現してきたのです。

日本美術には普遍性がある

 -- 北斎をはじめとする日本の美術とそこに込められた自然観が世界に影響を与えたことがよく分かりました。しかし、それは決して過去の話ではないですね。
 田中 その通りです。ニ年前(2016)に伊勢でG7が開催された時、安倍首相が各国首脳を伊勢神宮に案内しましたね。その時、キリスト教徒の首脳たちはみんな感動しました。何に感勤したかというと、やはり自然なんです。そして全員で植樹をした。つまり自然を育てる、自然と調和するという日本の自然信仰を伊勢神宮で学んだのです。ですから、日本人は自信を持っていい。また、神道の自然信仰は例えば「タオ・ネイチャー」(自然道)というふうに発信の仕方を工夫すれば、世界の人々にも充分に受け容れられると思います。
 問題はむしろ、日本人自身がこうした価値に気付いていないところにあるのではないでしょうか。
 例えば、今は外国人観光客を一生懸命呼び込もうとしていますが、約二千九百万人の訪日客のうち、ほとんどは中国、韓国、台湾からです。欧米人の訪日客は約三百万人で、中国、タイ、香港、マレーシアなどを訪れる欧米人の数と比べてもだいぶ差を付けられています。これは「おもてなし、おもてなし」と言うばかりで、日本人自身が日本文化の価値を発信できていないからです。
 私はやはり神社仏閣の文化財を観光のキラーコンテンツにすべきだと思います。日本には浮世絵以外にも、法隆寺ので百済観音像」、東大寺戒壇院の「四天王寺像(引用者注:四天王像が正しい)」、「平治物語絵詞」などの絵巻物、宗達・光琳に代表される琳派、狩野派の金地障壁画や禅画……等々、世界レベルの傑作が数多くあります。
 美術作品はたとえ言葉がわからなくとも見るだけで感動できる「形」の世界です。たとえ神道や仏教を知らなくても、また外国人であっても、目の前にあるその姿かたちを見るだけで、万人が心を打たれる。それだけの普遍性・普遍的価値が日本美術にあることは、今日お話した通りです。
 その価値を知るには、私たちも旅をすることです。神社仏閣を巡ったり、富士山や京都・奈良や各地の世界遺産を歩きながら形を見て行けば、日本には素晴らしい伝統と文化が残っていることがわかるし、それらと自然・風景とが見事に調和していることがわかる。「日本の価値」が自ずと認識できると思いますね。
     (2018年四月三日取材。文責・編集部)

田中英道
たなか ひでみち
東北大学名誉教授
昭和17年。東京生まれ。東京人学文学部仏文科。同美術史学科卒。ストラスブール人学に留学し。ドクトラ(博士号)取得。文学博士。フランス、
イタリア叉術史研究の第一人者として世界各地の学界で活躍。日本美術史研究においても斬新な論考を発表し、高い評価を得ている。また日本の歴史を文化を中心に見る歴史観を提唱し、中学校歴史教科書『新しい日本の歴史』(育鵬社)の編集にも協力。現在、日本国史学会の代表理事。「レオナルド・ダ・ヴィンチ」『ミケランジェロ』「日本美術全史」(以上、講談社学術文庫)、『光は東方より』(河出書房新社)、「実証写楽は北斎である」(祥伝社)。「葛飾北斎 本当は何がすごいのか」{育鵬社}など著書多数。
<引用終り>


最後に一言。
これは私も知りませんでした。
フランス語で「ル・ソレイユ・ルヴァン (Le Soleil Levant) 」(太陽が昇る国)と言う
そして辞書にはこんな言葉も・・「Empire du Soleil Levaut」:旭日帝国=日本(出典:大修館・仏和辞典))
こんな温かい目で見てくれていることをもっと知ってほしいものです。
  1. 社会一般
  2. TB(0)
  3. CM(4)

コメント

お邪魔します

いつも読むだけですが又々お邪魔します。

北斎館は隣町に有るので季節のイベントのあるごとに、お寺の天井絵や屋台は普通に見ていました。そんな西洋に影響を与えた浮世絵師とは思いもよらず(笑)

先日NHKでやった北斎の話はお札の裏側の波ですね。
あの波頭はどうしてあの形なのか?
シャッタースピードを5000分の一秒位でとるとあの形に波頭は成るそうです。
テレビでは10分の1から段々早くして見せてくれましたが、どうして北斎にはそれが解ったのか?不思議な事です。
デフォルメして居るのではなく事実と言うのもすごい話しです。
  1. 2019-04-20 07:29
  2. URL
  3. ゆうこ #-
  4. 編集

 北斎の絵はこういう使われ方もしています。

 https://www.youtube.com/watch?time_continue=50&v=E7vnFMwC6D8

 ロシアの新都市のビルの壁面ですが、しかし凄い迫力でしょう?

 それにしてもこういうの見ると、やはり北斎は世界の北斎だと思うのです。
  1. 2019-04-20 09:27
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

To:よもぎねこ さん

>  北斎の絵はこういう使われ方もしています。
>
>  https://www.youtube.com/watch?time_continue=50&v=E7vnFMwC6D8
>
>  ロシアの新都市のビルの壁面ですが、しかし凄い迫力でしょう?
>
>  それにしてもこういうの見ると、やはり北斎は世界の北斎だと思うのです。



情報有難う御座います。
全くその通り、世界で愛されています。
そして北斎の「瞬間を記憶し、表現する能力」、これは唯々驚くばかりです。

昔浮世絵の本の中にこんな浮世絵師のモノを見る力の凄さについて書いてあったことを思い出します。
具体的な文言は忘れましたが、これを見るんだという1点に絞って何度も何度も観察をする。その結果を書き留める。これの繰り返しで形を描いてゆく。そんな事を見たことが有ります。
私ら凡人には不可能なことですね。
  1. 2019-04-20 17:51
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

Re: お邪魔します

> いつも読むだけですが又々お邪魔します。
>
> 北斎館は隣町に有るので季節のイベントのあるごとに、お寺の天井絵や屋台は普通に見ていました。そんな西洋に影響を与えた浮世絵師とは思いもよらず(笑)
>
> 先日NHKでやった北斎の話はお札の裏側の波ですね。
> あの波頭はどうしてあの形なのか?
> シャッタースピードを5000分の一秒位でとるとあの形に波頭は成るそうです。
> テレビでは10分の1から段々早くして見せてくれましたが、どうして北斎にはそれが解ったのか?不思議な事です。
> デフォルメして居るのではなく事実と言うのもすごい話しです。





良い所にお住いですね。北斎館がすぐ近くにあるとは。羨ましい限りです。
私は田舎住まいなので、そんな機会がなかなか無いです。

所で北斎の波の話、5,000分の1秒であの形になるのですか。なるほどです。
北斎の「瞬間を記憶し、表現する能力」の凄さ、これはビックリそのものですね。
この北斎の波ですが、今年1月、イギリスのオックスフォード大とエディンバラ大の共同研究チームが、「ドラウプナー波」と呼ばれる発生原因が不明だった大波の再現に成功。
所がその再現された大波が北斎のあの波そっくり。それで大騒ぎになったようです。
以下参照ください。
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1902/01/news034.html
この件は別途アップしようと思います。

それから江戸時代の絵師たちのモノを見る力は凄い。広重の東海道53次の絵などは、ここから書いたとピンポイントで分かるものが多いと聞いています。
実は昔、この話を聞いて、静岡県の鞠子(丸子)の宿の広重の絵にあるとろろ汁の店(丁子屋と言います)に広重の絵を持って行ったことが有ります。現場で見比べてみると確かに此処から見たんだと言うピンポイントが分かりました。
あの時の新鮮な驚き、今でもよく覚えています。
  1. 2019-04-21 06:24
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

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