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2019-04-13 15:56

ドイツに咲く桜


 4月9日のエントリー「春と言えば、やはり桜です」で、コメント欄に縄文人さんからドイツの桜について情報をいただいた。またよもぎねこさんからも情報をいただいた。
実は私もドイツの桜は初耳。ちょっと調べてみたらドイツは各地に桜があるようだ。

そこでその桜の由来の分かるものについて紹介したい。
都市はハンブルク、ハノーファー、ベルリンです。
他にもありますが、それはベルリンの記事の引用元参照ください。


最初はこれ。ハンブルクの桜。多分この桜がドイツでは最も古いのではないか。
引用元:http://www.newsdigest.de/newsde/regions/reporter/hamburg/8425-1046/

2019-4-13ドイツの桜1ハンブルク 
ハンブルク アルトナ区役所前公園の桜

日独友好の象徴、桜の木 市民に愛される花火大会
17 März 2017 Nr.1046 文・写真 井野 葉由美
 
もうすぐ桜の季節がやって来ます。日本人の心の中で、桜の花は特別な位置を占めています。ドイツで目にする桜は、鞠(まり)のように房になってたっぷりと花をつける、濃いピンクの八重桜が多いようです。これもまた綺麗なのですが、日本人の郷愁を誘う桜は、花のいのちが短く、散り際の美しい、ほんのりピンクではかなげな、ソメイヨシノだと感じるのは、きっと私だけではないでしょう。

ハンブルクは、ドイツのほかの都市と比べても、桜の木を見かけることが多いような気がしますので、その理由を調べてみました。外務省が発行している機関誌「経済と外交」(1971年2月号)に、当時の経済局国際機関第1課の川上俊之氏が「在外勤務思い出の記」コーナーで「ハンブルクの桜まつり」と題して、桜の木の寄贈に関する記事を書いています。

川上氏は1968年当時の谷盛規在ハンブルク総領事が「ハンブルクで一番人目につくアルスター公園に日本の花のシンボルである桜を植えたら、日本人だけでなくハンブルクの人びとにも喜ばれ、しかも日独友好の象徴として生き続けるであろうと思いたたれた」と振り返り「ハンブルクに住む1200人に近い日本人たちが、とかく海外日本人社会が現地社会から孤立しがちなのをおそれて、その生活と企業活動の基盤をおいている町に、感謝の意をこめて3年前に贈った」とあります。時を同じくして「桜まつり」が開催され、アルスター湖上で花火が打ち上げられました。

その後も日独友好関係を増進する目的から、ハンブルクの市内各地に桜の木が次々と植樹されました。一例を挙げると、エルベ川河畔や外アルスター湖と内アルスター湖の間、シュタットパーク内、ハーゲンベック動物園内、アルトナ区役所前公園などです。
・・・以下略
<引用終り>




次はハノーファー(ハノーバー)、広島祈念の杜の桜
(引用者注:別に突っ込む訳では無いが、原爆の死者数位は正確に書いて欲しいものだ・・・)

2019-4-13ドイツの桜2ハノーファー 

ドイツ/ハノーファー特派員ブログ 旧特派員 田口 理穂
2012年4月30日
(引用者注:7年前のブログです。そのつもりで見てください)
桜祭り
29日の日曜日午後、市の南西にある「広島記念の杜」で桜祭りが開かれました。春の恒例行事で、今年で12回目。ハノーファー市は広島市と姉妹提携しており、この杜には、広島の原爆投下の犠牲者11万人(引用者注:1945年末までの死者数は約14万人)を追悼し、広島市から贈られた110本の桜の木が植えられています。

祭りでは弓道や習字、折り紙、茶道など伝統文化が披露され、おにぎりや饅頭など日本の味が楽しめました。満開となった桜は、ちらちらと花びらを落とし始めたところ。明るい曇り空とあって約500人が訪れ、大賑わいでした。多くの人が木の下でござを広げ、くつろいでいました。子どもコーラスも盛況でした。ハノーファー漫画クラブでは、ドイツの若者たちがアニメのキャラクターの衣装で登場。漫画講座も開かれました。

この杜には花崗岩で作られた碑が立っています。1992年に広島市よりハノーファーに贈られたもので、観音様の優しい顔が掘り込まれています。この碑は原爆投下地より200メートル離れた線路の石でした。戦争を二度と起こさないという誓い、そして平和を求める気持ちがこの碑に込められています。この碑が広島市から来たというと、いまだにドイツ人の中には「放射能が出ているから危ない」という人がいます。まったく近づこうとしない人も。現在でも広島市は焼け野原で、草木一本生えていないと思っているのです。桜祭りなど日独交流を通して、このような誤解が少しでもなくなってくれればと願っています。
<引用終り>

引用者注:広島とハノーファーの関係
ドイツ北部の主要都市ハノーファーは、1940年から1945年の間に88回の爆撃にさらされ、市の2/3が破壊され、死者は約6,800人。
広島とハノーファーの関係は、1968年に広島市の中学教師が当時の文部省と厚生省による日独青少年交流プログラムを利用し、ドイツ・ハノーファーに生徒を連れて行ったことにはじまる。その後も、交流は継続して続けられ、1983年にはハノーファー市と広島市は姉妹都市関係を結ぶ。一教師が始めた運動が姉妹都市関係締結にまで至った稀有な例。




ベルリン

ベルリン在住ライター 河内秀子さん推薦:家庭画報4月号(世界文化社)にて
「ベルリンに咲く平和のSAKURA」コーディネート、インタビューを担当。
日独桜エピソード
ベルリンの壁跡地に桜が咲く理由

2019-4-13ドイツの桜3ベルリン 
グリーニッケ橋と桜東と西のスパイが交換された場所だった、グリーニッケ橋と桜。1990年11月10日、ここに桜植樹キャンペーンの最初の2本が植えられた
  
ベルリンの壁崩壊後まもなく、日本で「ベルリン市民の心の安らぎと平和を願って、壁跡地に桜の植樹をしよう」と、呼びかけたテレビ朝日の「桜植樹キャンペーン」が始まり、視聴者約2万人から当時の額で約1億4000万円の募金が集まりました。

当時、テレビ朝日社員としてベルリン支局に駐在していた寺崎哲夫さんは、植樹のため、ベルリン市とポツダム市の緑地課との交渉を任されましたが、「壁跡地に桜を植えると言われ、途方に暮れました」と振り返ります。当時の壁跡地には、桜の植樹を拒むいくつかの問題がありました。「まず、壁跡地の所有権利が誰にあるのかはっきりしない。冬になると野生のウサギに桜の苗木の樹皮をかじられる。さらに分断当時、東から西への逃亡者を見逃さないよう、見通しを良くするため、草一本生やさないようにまかれた除草剤で、“死の帯”と呼ばれた壁跡地の土壌はひどく汚染されていたのです」

緑地課の担当者と何度も話し合い、1990年11月10日、ポツダム市とベルリン市の境にかかるグリーニッケ橋のたもとに、最初の2本の桜が植樹されました。その後、両市の緑地課の協力を得て、壁跡地、市民公園、幼稚園、学校、墓地など、様々な公共地に、桜キャンペーン募金による植樹は続きました。「ありがたかったことは、日本の募金者の気持ちに感動した市の担当者が、桜を市(区)のものとして受け取り、桜の管理世話維持費を負担し、責任のある育成管理を継続してもらえたことです。」

2010年11月9日、ベルリンの壁が最初に開いたボーンホルマー通りでの植樹を最後にキャンペーンは終了。寺崎さんはベルリンを永住の地と決め、今も桜を通してドイツと日本をつなぐボランティアとして活動しています。「東日本大震災の後、桜の植樹場所に立つ記念碑には献花と共に被災者を悼む手紙が添えられていました。それを見たとき、桜がつないだ日独国民の思いやりに涙がこぼれました。」

ベルリンでは、今も春になると約8000本の桜が可憐な花を咲かせています。

<引用終り>


以上です。ベルリンだけで約8000本もの桜がある。こんな事は知りませんでした。
尚この記事はいやにテレ朝をよいしょしていますがまあ良いでしょう。
8000本の桜、これは半端ではありません。
桜の名所上野公園が約800本、動物園を入れて1200本だそうです。ちなみに日本で本数が一番の桜は
吉野山で3万本、2位が埼玉県の狭山湖で2万本、こんな所を見ると8000本の桜は凄いと思います。

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コメント

 ドイツの桜は日本産なのですね。

 しかし不思議です。
 桜自体は実は大変分布範囲の広い植物で、ユーラシア大陸一円で繁殖しています。

 木全体がピンク色になて咲く一重の桜も、野生の物だけでも、大島桜やエゾヤマザクラなど何種もあります。
 
 またサクランボの桜だって、花の季節には木が全部真っ白になって凄く綺麗なのです。

 チェホフの「桜の園」は広大なサクランボの果樹園の樹が、真っ白に満開になっているを背景にある地主の一家が、没落する様を描いているのですが、当に散りゆく桜その物の世界なのです。

 でもやっぱりこれは例外で、こうして見ると西洋人には桜をめでる文化はなかったのでしょうね。

 花の好みは国家や民族の文化その物なのかも?
  1. 2019-04-14 09:22
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

To:よもぎねこ さん

>  ドイツの桜は日本産なのですね。
>
>  しかし不思議です。
>  桜自体は実は大変分布範囲の広い植物で、ユーラシア大陸一円で繁殖しています。
>
>  木全体がピンク色になて咲く一重の桜も、野生の物だけでも、大島桜やエゾヤマザクラなど何種もあります。
>  
>  またサクランボの桜だって、花の季節には木が全部真っ白になって凄く綺麗なのです。
>
>  チェホフの「桜の園」は広大なサクランボの果樹園の樹が、真っ白に満開になっているを背景にある地主の一家が、没落する様を描いているのですが、当に散りゆく桜その物の世界なのです。
>
>  でもやっぱりこれは例外で、こうして見ると西洋人には桜をめでる文化はなかったのでしょうね。
>
>  花の好みは国家や民族の文化その物なのかも?



文化の違いとしか言いようがないと思っています。
サクランボのように実のなるものは西洋にもあるのですが、普通の桜は実がなっても美味しくない。
そんな事情だと思います。

話は違うかもしれませんが、縄文遺跡で漆を使った工芸品が色々出土します。しかし漆は大変手間がかかるものなのに実用的な価値はそれほどでもない。主に装飾目的です。
実用性より装飾目的。これは桜の花と同じですね。
日本人は縄文の昔からこんな美意識を持っていたということでしょう。
道理で漆器のことを英語で「JAJAN」という訳かも。
  1. 2019-04-14 15:38
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

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