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2019-04-03 17:47

浜辺の歌と万葉集 後編


浜辺の歌の続編です。
Ⅰ.最初に1番から3番までの歌詞の中の言葉の解釈について


最初に歌詞を全部掲載します。意味が難解なので、全部漢字表記してみます。


 1番

朝(または旦=あした)浜辺を 彷徨(さまよ)えば
昔のことぞ 偲(しの)ばるる
風の音よ 雲の様(さま)よ
寄する波も 貝の色も

2番
夕(ゆう)べ浜辺を 廻(もとお)れば
昔の人ぞ 偲ばるる
寄する波よ 返す波よ
月の色も 星の影も

3番
疾風(はやち)忽(たちま)ち 波を吹き
赤裳(あかも)の裾(すそ)ぞ 濡(ぬ)れ漬(ひ)じし
病(や)みし我は 既(すで)に癒えて
浜辺の真砂(まさご、orまなご) 愛子(まなご)今は


1.「はやち」と風、雲について


 「風の音よ 雲の様(さま)よ」と有ります。1番と2番だけでは分かりませんが、3番を見ると「はやち」と有ります。はやち(はやて)とは寒冷前線に伴う風のことですが、広辞苑によればこうなっています。

<はやち、はやて(疾風)について広辞苑の記事>


はやち:(「ち」は風の意)⇒はやて


はやて:(「て」は風の古語)急に激しく吹き起る風。寒冷前線に付随することが多く、降雨・降雹などを伴う事がある。


以上のことから1番の「風の音よ 雲の様よ」の風・雲は「はやち・はやて」を伴うような雲、つまり寒冷前線の雲と風の意味と解釈できます。


歌詞の「昔のことぞ 偲ばるる」は、そんな寒冷前線が近づいてくるときに起こった出来事と解釈したいと思います。


また広辞苑には出ていませんが、はやて雲(疾風雲)も有ります。

参考:はやて雲:https://furigana.info/w/%E7%96%BE%E9%A2%A8%E9%9B%B2


参考までに寒冷前線の雲の図


2019-3-20寒冷前線図

松江地方気象台HP天気の部屋より筆者改変

http://www.jma-net.go.jp/matsue/chisiki/column/front/front.html


 寒冷前線の雲写真2019-3-20寒冷前線による雲写真@出雲空港

(写真は宍道湖の湖畔、出雲空港方面を撮ったもの)

典型的な寒冷前線の雲写真 雲の底では雨が降っていることが分かる

ブログ「神名火だより 2012年08月15日」より

https://blog.goo.ne.jp/kannabi-dayori/e/bcbe16e4687f4c810a9cbe10d08baf7c?fm=entry_awp


「雲の様よ」とうたわれている雲はこんな雲と考えています。

「はやて(疾風)」の吹くようなときはこんな雲がわいている。浜辺の歌のメロディーから連想される雲は、多分穏やかな綿雲のようなものかもしれませんが、疾風の吹くときと言うのはこんな雲です。何か最初から歌のイメージを壊すようですが・・・(苦笑)。

 


2.「かひの色も」のかひは「貝寄風(読みはかいよせ)」の貝の可能性。


広辞苑によれば

かいよせ【貝寄】:「貝寄の風」に同じ。古契三娼「かいよせの吹く春の旦(あした)より」。


かいよせのかぜ【貝寄の風】(貝を浜辺に吹き寄せる風の意)。陰暦の2月20日頃に吹く西風。かいよせ。貝寄する風の手品や和歌の浦 芭蕉。


こんな事で江戸時代から「貝寄せ・貝寄せの風」は良く知られており、俳句にも詠まれています。貝の色はこんな風に吹き寄せられた貝の色と考えられる。


これは推測ですが、古契三娼のこの言葉との関連が考えられます。

かいよせの吹く春の旦(あした)」⇒あした浜辺をさまよへば・・・貝の色も

感じが似ています。曲想の参考になった可能性が有ります。


此処で古契三娼と言うのはこんなもの (Wikipediaによる)


『古契三娼』(こけいさんしょう)は、江戸時代中期の文学作品。山東京伝の洒落本の代表的な作品。1冊。発刊は1787年(天明7年)。京伝26歳の作品。 挿絵は山東京伝(北尾政演)自作。版元は鶴屋喜右衛門・蔦屋重三郎。

タイトルは、画題として有名な「虎渓三笑」のもじり。


 「虎渓三笑」について、 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説


虎渓三笑(読み)こけいさんしょう


中国の故事。虎渓は中国江西省九江県の南方の廬山東林寺の前の渓谷。この東林寺に住した晋代の高僧慧遠 (えおん) は白蓮社をつくって修業者の指導をしたが,客を送るときも虎渓の橋を越えることがなかった。ある日,陶淵明,陸修静の2人がきて寺で清談に時を過し,帰るにあたっても話が尽きず,慧遠が虎渓まで送ってきたが,気がついたときはすでに橋を渡っていたので3人が大笑いしたという。この故事は史実として疑問とする説があるが,中国,日本の画題として好まれ,多くの作品がある。

虎渓三笑図

2019-4-3虎渓三笑図 


 こう見てくると推測ではありますが、林古渓のペンネームもこんな所を参考にしていた可能性が有ります。

古渓のペンネームは本人の弁は「幼少時育った古沢村(現厚木市)にちなむ」との事ですが、古契三娼・虎渓三笑・林古渓、これも知っていたと思います。

(但し、古契三娼からとったとは言いにくいかも(笑))


いずれにしても林古渓が「貝寄せ」を知っていたことは間違いないでしょう。




3.「赤裳の裾ぞ 濡れもひじし」、万葉集を参考にしている可能性


万葉集 巻7-1090 「我妹子(わぎもこ)が 赤裳の裾の ひづつらむ 今日の小雨に 我さへ濡れな」


「赤裳」 「裾」 「ひづつ」と出てきます。よく似ています。

原文は 集歌 巻7―1090  吾妹子之 赤裳裙之 将染埿 今日之霡霂尓 吾共所沾者

訓読 吾妹子し赤(あか)裳(も)し裾しひづちなむ今日し霡霂(こさめ)に吾(われ)さへ濡れは

訳 私の愛しい貴女の赤い裳の裾もぬかるみに汚れるでしょう。後朝の送りで今日の小雨に私までも濡れると。


尚この赤裳のはいった歌は万葉集には10首あります。

「赤裳」のはいった歌(9・174211・255017・396917・39736・10017・10907・1274、9・1710、11・2786、 15・3610)以上10首。

この10首のうち、アンダーラインの8首は「裾」が入っている。また7・1090、9・1710の2首には「ひづ」が入っている。


こうしてみると、万葉集には「赤裳」のはいった歌は10首あるが、「赤裳」、「裾」、「ひづ」と三つ揃ったのは巻7-1090だけということになります。


小野和彦氏によれば、林古渓は万葉集の研究者で、「万葉集外来文学考」という著書もある。だから「浜辺の歌」が万葉集を参考にしている可能性は十分ある。

(実は小野和彦氏の論文は、私が林古渓と万葉集の関係を調べていて見つけたました)


以上のことから、この3番前半の歌詞は、実際の愛子(まなご)が浜辺で遊んでいて波に濡れた情景を万葉集の世界に仮託しているとみてよいでしょう。


この事が失われた3番後半を復元するヒントになると思います。





 Ⅱ.失われた3番後半と4番前半の考察


浜辺の歌の失われた3番後半と4番前半の私なりの考察です。

Ⅱ-1復元のための考察・・3番

 失われた3番の後半は

 ・4番後半に「やみし我は ・・」とあるので「やみし(病みし)」が入るのではないか

 ・2番前半に「むかしの人・・」とあるので「人」が入るのではないか

  ⇒病みし人


古典のどこかに「浜」、「真砂」などを含む歌があるのではないか。

  こうしてみると万葉集596の「笠の女郎(いらつめ」」の歌が有りました。


引用元:

https://blogs.yahoo.co.jp/kairouwait08/4967885.html


サ 596; [題詞](笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首)

八百日徃  濱之沙毛  吾戀二  豈不益歟  奥嶋守


八百日行く 浜の真砂も 我が恋に あにまさらじか 沖つ島守 

やほかゆく はまのまなごも あがこひに あにまさらじか おきつしまもり

(訳)

歩き尽くすのに八百日もかかるような長い長い浜 そんな浜の真砂(まさご)を全部合わせたって 私の恋心の果てしなさには敵いますまい。そうでしょう 沖の島の島守さん


この万葉集596の「八百日行く」と「浜の真砂」を歌詞の中に取り込んで作詞したのではないか、これは3番前半が現実に目にしたであろう情景を「赤裳、裾、ひづ」という万葉集の世界に置き換えている、こんな関連で見るべきかと思われる。


そう見ると、「病みし人」が、長い闘病生活を送るのだが、それを万葉の世界で、「やほか行く 浜辺の真砂(まさご)」と表現したのではないか。


3番の歌詞は、現実の苦しい情景を万葉の世界に仮託して描いたものと考えてよいと思います。

しかしこの高等手法が、初出時の理解不足を招いた、この件は後ほど説明します。


以上のことから、失われた3番後半を復元すると

病みし人は やほかゆくも

浜辺の真砂(まさご) 愛子(まなご)今も


病を得たあの人は、八百日もかかるような長い闘病生活に入っている。 浜辺の真砂の数より多くの苦しみがあるだろう。あの子(愛子)は今も


こんな風ではないか、


尚こんな事情が、小野和彦氏の研究で愛子(まなご)が誰かについて、

「 童謡研究家の池田小百合は、安西愛子(大正6年生まれ、東京音楽学校卒業の童謡歌手)から聞いた談話「失われた三・四節には、古渓の恋人が湘南海岸で結核の転地療養をして元気になった様子が書かれていて、古渓の本当の気持ちが織り込まれていたと思われます」を紹介している」。こんな記述があるが、なるほどと思います。




Ⅱ-2復元のための考察・・4番


次に失われた4番冒頭ですが、1番、2番で「あした」「ゆうべ」とセットになっているように3番と4番もセットの言葉があるのではないか。

3番冒頭の「はやちたちまち」に対応する「〇〇ち」と言う風を表す言葉が入る、こう見ると「あおち(煽ち)」が有ります。


「あおち(煽ち)、煽ち風」:広辞苑によれば


あおち:(アオツの連用形から)「あおちかぜ」の略

あおちかぜ【煽風】吹きあおる風。あおち。浄、薩摩歌「蚊帳うち上ぐるあおちかぜ」


下記を始め、風の名称を色々調べましたが、他に「〇〇ち」に該当するものは見つからないので、「あおち」でよいと思います。

参考:風の名称字典:http://accent.main.jp/kaze/na.htm


また4番後半は「病既に癒えて」と有りますので、4番前半の情景もあらしが収まってゆくように詠んでいる。こう見ると「たおやかに」「雲を鎮め」が浮かびます。

また「たおやかに」は3番の「たちまち」と韻を踏んでいると見えます。


また「さやか」ですが、万葉集にこんな歌が見えます。

「4474 大伴家持」  巻二十

武良等里乃 安佐太知伊尓之 伎美我宇倍波 左夜加尓伎吉都 於毛比之其等久 【一云 於毛比之母乃乎】 

群鳥(むらどり)の 朝立ち去(い)にし 君が上は さやかに聞きつ 思ひしごとく 【一云 思ひしものを】



そんな所を踏まえ、4番前半を復元すると、こうなるのではないか。


あおち たおやかに 雲を鎮め

浜辺の波も 今はさやか



Ⅱ-3復元のための考察・・3番・4番の真砂の読み方


真砂:普通の読みは「まさご」、これを同じ意味で「まなご」とも読める。

3番では「真砂(マサゴ)」と読んで、「八百日(やほか)ゆく」と関連づけた。

4番では「真砂(マナゴ)」と読んで、次の愛子と言う意味の「まなご」とかけた。

こんな風に推測する理由は、初出の歌詞を見ると、真砂に「マナゴ」とルビが振ってある。若し3番後半に同じ真砂がでてきて、同じ読みならあえてルビを振る必要はないのではないか。 したがって古渓の原稿では3番と4番で違う読み方をしていた可能性がある。

しかしこんな事は説明されなければ分かりません。


この真砂の読み方の問題は私の推測で、突拍子もない考えのようですが、初出時の事情に関係があるようにみえます。こんな見方もあるということで書きました。




Ⅲ 復元した歌詞 (復元私案)

以上の結果、私の独断と偏見による浜辺の歌の復元版はこうなります。


浜辺の歌 復元版

<1番>

あした浜辺を さまよえば

昔のことぞ しのばるる

風の音よ 雲のさまよ

寄する波も 貝の色も


<2番>

ゆうべ浜辺を もとおれば

昔の人ぞ 偲ばるる

寄する波よ 返す波よ

月の色も 星の影も


<3番>

はやちたちまち 波を吹き

赤裳(あかも)のすそぞ ぬれもひじし (古渓の意向で「も」をいれた)

病みし人は やほかゆくも

浜辺の真砂(まさご) 愛子(まなご)今も


<4番>

あおち たおやかに 雲を鎮め

浜辺の波も 今はさやか

やみし我は すでに癒えて

浜辺の真砂(まなご) まなご今は


尚、ここまで復元してみると、浜辺の歌は1番から4番で起承転結になっています。



Ⅳ 浜邊の歌が初出から原稿と違っていた理由


この問題は原稿が全部ひらがな書きだったことに起因すると推測しています。

そこで初出と同じように全部ひらがなにしてみました。


復元私案

1番

あした はまべを さまよえば、

むかしの ことぞ しのばるる。

かぜの おとよ、 くもの さまよ。

よするなみも かひの いろも。


2番

ゆうべ はまべを もとおれば、

むかしの ひとぞ しのばるる。

よする なみよ、 かえす なみよ。

つきのいろも ほしの かげも。


3番

はやち たちまち なみを ふき、

赤裳(アカモ)の すそぞ ぬれもひじし。

やみし ひとは やほかゆくも

はまべの真砂(マサゴ) まなご いまも


4番

あおち たおやかに くもを しずめ

はまべも なみも いまは さやか

やみし われは すでに いえて。

はまべの真砂(マナゴ) まなご いまは。




こんな風になりますが、特に3番後半から4番前半は読んで意味が分かりにくい。


赤裳と真砂だけがルビ付き


古渓の意図は

赤裳・・・ひらがなで「あかも」は多分意味が分からないので漢字書きした


真砂・・・普通の読みは「まさご」、これを同じ意味で違う読みの「まなご」とも読める。

3番では「真砂(マサゴ)」と読んで、「八百日(やほか)ゆく浜」と関連づけた。

4番では「真砂(マナゴ)」と読んで、次の愛子と言う意味の「まなご」とかけた。

あくまで推測ですが、こんな風にルビを振っていたのではないか、これも一つの考え方と思います。

しかしこんな事は説明されなければ分かりません。



印刷する過程でのやり取り推測 (印刷屋のオヤジと植字工職人が困ってます)


3番

やみし ひとは ・・・ここは分かる

やほかゆくも  ・・・何じゃこれ・・・やほか=八百日とは分からない

はまべの真砂(まさご) まなごいまも・・・マサゴ、まなご、重複してよくわからない

。最初の浜辺の真砂が「笠の女郎の八百日行く 浜の真砂も ・・・」との関連が分からないと理解できない。


4番

あおち たおやかに・・・あおち?何ですか? 煽ち(=煽ち風)とは分からない

くもを しずめ  ・・・どうしてこんな所に雲が? もしかして蜘蛛か? この雲は「はやち(はやて、疾風)」の元になったのがはやて雲(疾風雲)で寒冷前線の雲のこと。この雲の直下では疾風が吹く。1番の「くものさまよ」の雲に対応している。こんな背景も説明なしでは分からない。


こんな風で、ひらがな書きではほぼ意味不明。そんな事で意味不明な3番後半と4番前半を切り捨て、3番前半と4番後半をつなぎ、新しい3番にしたのではないかと思えます。


荒っぽい推論ですが、印刷時の経緯が荒っぽい(スペースの問題ではない)所を見ると、こんな荒っぽい話が意外に真相に近いとも考えられる。


印刷する過程で、こんな事情で初出で4番が無くなってしまったので、初出では4番があった場所が大きく空欄になっています。こんな所も印刷に至る経緯を示しているように推測しています。



最後は口直し、歌の無い浜辺の歌をどうぞ





 

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コメント

成る程

聞いてみるとそうなのか(笑)疾風で思い出すのはこれ。

どこの誰かは 知らないけれど
誰もがみんな 知っている
月光仮面の おじさんは
正義の味方よ よい人よ
疾風(はやて)のように 現れて
疾風のように 去ってゆく
月光仮面は 誰でしょう
月光仮面は 誰でしょう

はやちは疾風のことなのですね。
昔の童謡や唱歌は面白いですも私が最初に疑問に思ったのは月の砂漠でした。
一体王子さまと王女様は供も連れないで何処へ?何故お揃いの白い上着を着ているのか?

大人になってこれは曽根崎心中なんだと解りました。悲しい唄でした(笑)
  1. 2019-04-04 12:49
  2. URL
  3. ゆうこ #-
  4. 編集

Re: 成る程

> 聞いてみるとそうなのか(笑)疾風で思い出すのはこれ。
>
> どこの誰かは 知らないけれど
> 誰もがみんな 知っている
> 月光仮面の おじさんは
> 正義の味方よ よい人よ
> 疾風(はやて)のように 現れて
> 疾風のように 去ってゆく
> 月光仮面は 誰でしょう
> 月光仮面は 誰でしょう
>
> はやちは疾風のことなのですね。
> 昔の童謡や唱歌は面白いですも私が最初に疑問に思ったのは月の砂漠でした。
> 一体王子さまと王女様は供も連れないで何処へ?何故お揃いの白い上着を着ているのか?
>
> 大人になってこれは曽根崎心中なんだと解りました。悲しい唄でした(笑)




月光仮面ですか、懐かしいですね。
昔の童謡や唱歌は現地を見ずに想像だけで作ったものが結構あります。月の砂漠もその一つです。
実際砂漠を知っている人に言わせると、月の砂漠などと言うのはあんなロマンチッキなモノじゃない。そう言いますね。

月の砂漠が曽根崎心中ですか、私も知りませんでした。一つ利口になりました。有難う御座います。
  1. 2019-04-04 18:08
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

これはどうなんでしょうか。

小生思うに1番は「昔のことぞ偲ばるる」ですからおそらくは自分の病気とおそらくは共に病気となった「まなご」のことでありましょう。もしかしたら病気になって知り合ったのかもしれない。そんな趣旨でしょう。
これが3番に来るということでしょう。

そして2番は「昔の人ぞ偲ばるる」嫌な話ですが「昔の人」というのは今は亡き人と考えるのが素直でありましょう。なくなって今はいない人と考えるべきでしょう。つまりともに病気と戦った人はもういないということでしょう。

これが4番に来るのではないでしょうか。

自分は病から癒えたが、ともに病気であった今は亡き人のことが思い出されるのだ。という趣旨でしょうか。

自分は万葉集はほとんど門外漢ですからどういうふうになってたかは全くわかりません。

ただ情報を少ない文字に詰めすぎてるから理解が出来ないのです。
おそらくはもっと長い歌詞だったのかもしれないという気がします。

閑話休題

浜辺の歌の作曲者は成田為三ですが彼は山田耕筰に師事し生涯にかなり多くの作品を書いた本格的な作曲家でしたが終戦直後に死に、多くの作品を戦災で焼いてしまったために今でも正当な評価がされていない人です。

本格的なクラシックの作曲家だったからかどうかは知りませんが、この曲外国人のアーチストに結構人気がありCDなどでは小品として結構レコーディングがあります。

ただ小生が一番秀逸だと思うのはやはり日本人の今井伸子です。you tube にあります。
これのカデンツァは一番だと思ってます。

https://www.youtube.com/watch?v=C7ZtgoJHShw&list=RDC7ZtgoJHShw&start_radio=1&t=451


  1. 2019-04-07 23:50
  2. URL
  3. kazk #cPv2SIBE
  4. 編集

To:kazk さん

> これはどうなんでしょうか。
>
> 小生思うに1番は「昔のことぞ偲ばるる」ですからおそらくは自分の病気とおそらくは共に病気となった「まなご」のことでありましょう。もしかしたら病気になって知り合ったのかもしれない。そんな趣旨でしょう。
> これが3番に来るということでしょう。
>
> そして2番は「昔の人ぞ偲ばるる」嫌な話ですが「昔の人」というのは今は亡き人と考えるのが素直でありましょう。なくなって今はいない人と考えるべきでしょう。つまりともに病気と戦った人はもういないということでしょう。
>
> これが4番に来るのではないでしょうか。
>
> 自分は病から癒えたが、ともに病気であった今は亡き人のことが思い出されるのだ。という趣旨でしょうか。
>
> 自分は万葉集はほとんど門外漢ですからどういうふうになってたかは全くわかりません。
>
> ただ情報を少ない文字に詰めすぎてるから理解が出来ないのです。
> おそらくはもっと長い歌詞だったのかもしれないという気がします。
>
> 閑話休題
>
> 浜辺の歌の作曲者は成田為三ですが彼は山田耕筰に師事し生涯にかなり多くの作品を書いた本格的な作曲家でしたが終戦直後に死に、多くの作品を戦災で焼いてしまったために今でも正当な評価がされていない人です。
>
> 本格的なクラシックの作曲家だったからかどうかは知りませんが、この曲外国人のアーチストに結構人気がありCDなどでは小品として結構レコーディングがあります。
>
> ただ小生が一番秀逸だと思うのはやはり日本人の今井伸子です。you tube にあります。
> これのカデンツァは一番だと思ってます。
>
> https://www.youtube.com/watch?v=C7ZtgoJHShw&list=RDC7ZtgoJHShw&start_radio=1&t=451




素晴らしい動画、紹介有難う御座います。ビオラの音色によく合いますね。

所で、「昔の人」について、小野和彦氏の研究ではこんな事が書いてあります。
『童謡研究家の池田小百合は、安西愛子(大正6年生まれ、東京音楽学校卒業の童謡歌手)から
聞いた談話「失われた三・四節には、古渓の恋人が湘南海岸で結核の転地療養をして元気になっ
た様子が書かれていて、古渓の本当の気持ちが織り込まれていたと思われます」を紹介している。
出典:池田小百合「童謡と唱歌 歌唱の歴史1 春夏のうた」p.128』

この話はこれ以上調べようがないのですが、私は多分これが真相に近いのではないかと思っています。
理由は林古渓が3番の歌詞を嫌っていたこと。3番の歌詞が3番と4番のつぎはぎならば、これを復元すれば良いモノをしていないこと。こんな事でこの歌詞を復元することは、林古渓ならば可能だと思うのですが、それをしていない。多分元の歌詞には古渓の本心が書いてあったので不都合があったのではないかと思います。

まあそんな事を離れても曲として素晴らしい。これで良いんだろうなあと思っています。
  1. 2019-04-08 16:11
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

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