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2019-01-22 15:15

フランスの衰退


 最近のフランスの変質は凄いものが有るようだ。日産のゴーン逮捕事件に関して色々見ていくと、どうもフランスの衰退が酷いことになっていることに気が付く。
そんな見方で見てみると、全く別の所から同じような記事が見つかった。

フランスは今どうなっているのか、そんな記事を2件紹介したい。

最初は田中英道氏の新著「日本が世界で輝く時代」2019年1月8日刊のまえがきから。
まえがきの日付けは2018年11月30日になっている。

もう1件は 筑波大学システム情報系准教授の掛谷 英紀 (かけやひでき)氏のツィートである。




では最初に田中英道氏の新著のまえがきから。

<「日本が世界で輝く時代」 田中英道著 2019年1月8日 育鵬社刊 より抜粋引用>
2019-1-22日本が世界に輝く時代 

まえがき
 昨目、パリから帰ってきたところです。のっけからこういうと、自慢話か、と思われるでしょう。目本人には、”よきパリ”という固定観念があるからです。セーヌ河を歌うシャンソンのイメージです。
 しかし今回は、全くそういう気分ではないのです。つまりパリの変わりように驚いたのです。
 五十年前の若い頃、私はフランスに留学し、その文化を吸収すべく懸命になっていました。
・・・中略・・・
 今回、私がパリを訪れた理由は、日仏修好百六十周年を記念する「ジャポニスム2018」という企画の一つに招かれたからです。私の講演は、セーヌ河畔の日本文化会館の講堂で、「北斎とセザンヌ」という題でした。その講演会場は幸い皆熱心な観客でいっぱいでした。しかし外では、シャンゼリゼ通りを中心に、マクロン政治反対の大デモが行われているところでした。
・・・中略・・・
 その荒廃は、その翌日、パリの中のデモでも見ることができました。
 パリの中心では、地下鉄駅を封鎖するほどの激しいデモがシャンゼリゼ通りでありました今回は交通関係の労働者が燃料税の値上げに抗議したデモでしたが、しかしその騒乱はこれまでと違うものがありました。それは、移民問題のテロなどとは違って、フランス人自身が、フランス自身に大きな転換を迫っていたのです。自動車にも火がつけられ、店舗の破壊や略奪行為もありました。

 左翼連合による支援で当選したマクロン大統領は、右翼のルペン候補に対抗する切り札的存在で、ヨーロッパ連合(EU)の代表的存在でもありました。
 しかしその考え方自体、もう受け付けられない、と人々は考えているのです。戦後営々として積み上げてきたEUは、その中心地でさえ揺らいでいるのです
・・・中略・・・
この変わり様は、彼らに染み込んだ「フランス中心主義」をよく知っている者にとっては驚くべきことです。
 パリでいつも夏休みを過ごすという、リトアニアの美学者が私に言いました。「今や、世界の文化の中心は、フランスではなくて、日本だ」と。私はその言葉で意を強くしました。
・・・以下略・・・
平成三十年十一月三十日
田中英道  ゛
<引用ここまで>
(尚このまえがき全文は長いので、本文末尾に掲載しました。)


最初に少々脱線するが、田中氏が講演した「ジャポニズム2018」について
「ジャポニズム2018:響きあう魂」  2018年5月~2019年3月
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%9D%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%A02018

内容は展覧会だけでも19件開催されるなど実に盛り沢山…
その一例
2019-1-22ジャポニズム2018の一例

岡本太郎が「縄文は爆発だ!」と言った火焔型土器、これも出品されている。
それより驚いたのが昨年8月に亡くなった津川雅彦氏の最後の仕事がこれだったらしい。
津川雅彦さん、惜しい方を亡くしたものです。 合掌。 

しかしこんな凄いイベントが如何して日本では殆ど報道されないのだろうか。
日本の新聞テレビは日本を貶すことしか報道しないのだろうか・・。


本題に戻ります。

次は
筑波大学システム情報系准教授の掛谷 英紀 (かけやひでき)氏のツィート

2019-1-22掛谷英紀 
https://twitter.com/hkakeya/status/1086611981111517185

Hideki Kakeya
今週の国際学会での話。参加者20人ぐらいで食事に行った。同じテーブルの一人がモントリオールの人で、フランス語圏の話になる。彼はフランスに行ったとき、自分の故郷だとは感じなかったという。むしろ、その後行ったイギリスを故郷に感じたそうだ。人がちゃんと整列して並んでいたからだとか。
 2019年1月19日

(引用者注:モントリオールはカナダ・ケベック州最大の都市。ケベック州は公用語はフランス語のみ、州の面積は日本の約4倍、モントリオールの人口はフランス語圏ではパリ・キンシャサ(コンゴ)につぎ3番目)

<引用ここまで>

フランスがここまで落ちぶれたのかと思うと愕然とするものが有る。
がしかしこれが現実なのであろう。

フランクフルト学派が仕掛けた文化マルクス主義がここまで来たかという事例かと思います。




最後に田中英道氏の「日本が世界で輝く時代 まえがき」全文を参考までに掲載します。

日本が世界で輝く時代」 田中英道著 2019年1月8日 育鵬社刊

まえがき
 昨目、パリから帰ってきたところです。のっけからこういうと、自慢話か、と思われるでしょう。目本人には、”よきパリ”という固定観念があるからです。セーヌ河を歌うシャンソンのイメージです。
 しかし今回は、全くそういう気分ではないのです。つまりパリの変わりように驚いたのです。
 五十年前の若い頃、私はフランスに留学し、その文化を吸収すべく懸命になっていました。いわゆる「五月革命」のあった一九六八年より前のことでしたから、そこにサルトル、ボーヴォワール、カミュなど、綺羅星のごとき作家たち、思想家たちが議論しているように見えました。ソルボンヌの近くのカフェで話をし、小説を書き、映画を楽しみ、政治論議に熱を上げるようなパリがあると思ったのです。
 もっと遡れば、「近代」と言われる時代の、世界の文化の中心としてのパリです。無論アメリカのように若く、力の政治、金銭、物質一辺倒の国ではなく、欧州文化の粋(すい)としてのフランスでした。セーヌ河も、カルチェラタンも、ヴェルサイユ宮建築様式を市民化したパリの街並みも、フランス文化の、いや世界の「近代文化」の発祥の地のように考えられたのです。

 十八、十九世紀では、ロシアに行っても、ドイツを訪れても、豪華な宮殿はみなフランスの  。ヴェルサイユ宮殿の模倣であり、そこに貴族のサロンがつくられて、王妃であれ、公妃であれ、文化や歴史の話が話題になっていました。啓蒙主義の時代です。イタリアで始まった貴族文化は、フランスという洗練された文化の中に花開いたのです。名高いフランス料理も、貴族の舌に合うように競い合ったおかげでできました。
 しかし二十一世紀の今、その理想のパリのイメージはもはやないのです。留学以後、学会や展覧会がある都度、訪れ、そのたびに悪くなっていくと感じていましたが、漸次的だったので、今回ほどの強い印象はありませんでした。

 今回、私がパリを訪れた理由は、日仏修好百六十周年を記念する「ジャポニスム2018」という企画の一つに招かれたからです。私の講演は、セーヌ河畔の日本文化会館の講堂で、「北斎とセザンヌ」という題でした。その講演会場は幸い皆熱心な観客でいっぱいでした。しかし外では、シャンゼリゼ通りを中心に、マクロン政治反対の大デモが行われているところでした。
 ジャポニスムは、決してエキゾチスム(異国趣味)ではありません。今から約百五十年前、日本の浮世絵がどっとパリに入ったおかげで、フランスの画家たちが今まで見たことのない美術に熱狂したことから始まっています。これまでのヨーロッパ絵画の歴史的主題、キリスト教、ギリシャ神話などとは、全く違う、日本の風景、生活ぶりが、色彩版画の形で、見事に描かれていたからです。新しい東洋の世界が彼らの前に現れたのです。
 その現世を肯定する「浮世」の「絵」は、まさに「近代」の「絵」として、彼らの目には映ったのです。まるで自分の新たな姿を見る思いだったのでしょう。彼らの思想もそれに衝撃を受けたのです。
 しかし、私に言わせれば、それはフランス画家の浮世絵に対する誤解の上に成り立っていたのです。
 実を言うと、北斎の浮世絵はすべて、日本の伝統的な主題をもっています。特に彼らに最も影響を与えた『富嶽三十六景』は、富士信仰という、神道における自然信仰を主題に描かれていたのです。フランスの画家たちが発見した純粋な形、色の世界ではなかったのです。彼らは、浮世絵に添えられた小さな詞書を無視したために、それが単純な、版画の色面で組み合わされた、純粋な形の世界だと思ったのです。私は講演で、セザンヌは北斎の富士山の絵を、富士信仰抜きで、形の世界として「変貌」させたのだ、と述べました。 それ以後、この日本の浮世絵を基礎に「印象派」が誕生し、これまでの西洋絵画を一変させました。そしてマネ、モネ、セザンヌ、ゴッホなどによって、北斎は、世界最高の画家の一人として認知されました。
 二十世紀の二次元的なピカソの落書きのような絵、マルセル・デュシャンのレディ・メイドの作品(代表作の『泉』は実は小便器を置いただけのもの)など、美術の破壊そのものが、作品となったのも、浮世絵に意味や信仰がない、という誤解の上に成り立ったものなのです。一見、日本の絵画には、宗教性がないように見えますが、そこには敬虔な自然信仰、御霊信仰が  。。隠されているのです。
 今回の「ジャポニスム2018」では「アール・ブリュット」という、一般には聞きなれないアートの展覧会がモンマルトルで開かれていました。はっきり言ってそれは絵画の終焉の、さらにその後の祭りのようなもので、まともなアーティストの作品ではなく、主として知的障害者、精神障害者の「生のままの芸術(アール・ブリュット)」展でした。これを批判すると、差別だとか、偏見だと言われますが、正直に言えば、見るに値する作品はほとんどありませんでした。これをかつでの芸術家の溜まり場、パリのモンマルトルで行ったこと自体が、フランスの、また現代の恐ろしい「荒廃」を表しているのです。
 その荒廃は、その翌日、パリの中のデモでも見ることができました。
 パリの中心では、地下鉄駅を封鎖するほどの激しいデモがシャンゼリゼ通りでありました今回は交通関係の労働者が燃料税の値上げに抗議したデモでしたが、しかしその騒乱はこれまでと違うものがありました。それは、移民問題のテロなどとは違って、フランス人自身が、フランス自身に大きな転換を迫っていたのです。自動車にも火がつけられ、店舗の破壊や略奪行為もありました。

 左翼連合による支援で当選したマクロン大統領は、右翼のルペン候補に対抗する切り札的存在で、ヨーロッパ連合(EU)の代表的存在でもありました。
 しかしその考え方自体、もう受け付けられない、と人々は考えているのです。戦後営々として積み上げてきたEUは、その中心地でさえ揺らいでいるのです。

 そんな中で私は、「ジャポニスム2018」の五つの会場を見て回りましたが、そのどこでも、多くの熱心な観客がいました。フランス人に、日本文化を愛好する人が多いことは知られています。柔道熱も盛んで、オリンピックでも活躍しています。柔道の他にも空手や合気道も盛んです。日本人以上に、日本を愛している人が多いのです。もともと美に敏感な人も多く、ここ数年の日本熱は異国趣味をはるかに超えるようになっています。この変わり様は、彼らに染み込んだ「フランス中心主義」をよく知っている者にとっては驚くべきことです。

 パリでいつも夏休みを過ごすという、リトアニアの美学者が私に言いました。「今や、世界の文化の中心は、フランスではなくて、日本だ」と。私はその言葉で意を強くしました。
 この書には、現在の日本の宗教、日本の伝統、日本人のあり方が、語られています。そしてすぐれた思想、豊かな歴史と伝統が強く残っている日本を、世界に伝えていくべきだ、ということを述べています。いわばこの書は、日本が世界に発信すべき内容は何かを述べたもの、と言ってよいでしょう。混迷を深める世界は今、日本に注目しているのです。

平成三十年十一月三十日
田中英道  ゛

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コメント

>彼はフランスに行ったとき、自分の故郷だとは感じなかった

 遠藤周作の小説を思い出しました。

 彼の小説で主人公の日本人フランス文学者が、フランスに留学してフランスに適応できず苦しみながらも、しかし日本の友人には「精神的故郷に来たと感じる」と書き送るのです。

 あれは昭和30年代ぐらいの話だったと思いますが、当時のフランスはまだ世界一の文化国家の地位を確保していました。

 あの頃の感覚を思えば、フランス人が移民受け入れに何の違和感も持たなかった理由もわかります。
 
 世界中人々はフランス文化に憧れているのだから、フランスに来ればひたすらフランス文化に適用しようと努力するはず。
 
 と考えていたのでしょう。
 実際このころまでフランスに来た外国人は、そうだったのです。

 エコール・ド・パリなんか典型だけれど、フランスが呼びもしないのに、世界中から天才画家がパリに集まり「世界の芸術家よ、パリに集まれ。 パリこそは芸術の中心地だ。」と言ったのですから。

 これだと移民を受け入れる事による文化摩擦なんて心配するはずもないのです。

 しかしそういう時代は70年代で終わった事にフランス人は長く気づかなかった、と言うよりそもそも外国人がフランスの文化に適用するのは当然と考えていた事さへ自覚していなかったのでしょう。

 それが現代の移民問題の始まりでしょう。

 
 
 
  1. 2019-01-23 11:11
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  3. よもぎねこ #-
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To:よもぎねこ さん

> >彼はフランスに行ったとき、自分の故郷だとは感じなかった
>
>  遠藤周作の小説を思い出しました。
>
>  彼の小説で主人公の日本人フランス文学者が、フランスに留学してフランスに適応できず苦しみながらも、しかし日本の友人には「精神的故郷に来たと感じる」と書き送るのです。
>
>  あれは昭和30年代ぐらいの話だったと思いますが、当時のフランスはまだ世界一の文化国家の地位を確保していました。
>
>  あの頃の感覚を思えば、フランス人が移民受け入れに何の違和感も持たなかった理由もわかります。
>  
>  世界中人々はフランス文化に憧れているのだから、フランスに来ればひたすらフランス文化に適用しようと努力するはず。
>  
>  と考えていたのでしょう。
>  実際このころまでフランスに来た外国人は、そうだったのです。
>
>  エコール・ド・パリなんか典型だけれど、フランスが呼びもしないのに、世界中から天才画家がパリに集まり「世界の芸術家よ、パリに集まれ。 パリこそは芸術の中心地だ。」と言ったのですから。
>
>  これだと移民を受け入れる事による文化摩擦なんて心配するはずもないのです。
>
>  しかしそういう時代は70年代で終わった事にフランス人は長く気づかなかった、と言うよりそもそも外国人がフランスの文化に適用するのは当然と考えていた事さへ自覚していなかったのでしょう。
>
>  それが現代の移民問題の始まりでしょう。



素晴らしい、まさにその通りです。
そして、この問題はフランスの植民地だった国とイギリスの植民地だった国の違いになって現れてきます。
私はタイに居るとき、どうしてベトナムやカンボジア、ラオスが発展が遅れているのか、ずっと考えてきました。
その結論が植民地支配の統治の差という事に行きつきました。

イギリス流は間接支配です。
フランス流は同化政策です。
ですから同化政策のフランスにいろんな国から移民がやってきてもフランスは平気だったんですね。
その代表がサルコジでしょう。ユダヤ人を母に持つハンガリー移民2世ですが、生粋のフランス人と言ってもいい保守主義者。

しかしこのフランスの同化政策と「自由、平等、友愛」という国家のスローガンが今問題になりつつあります。
これからフランスは長い衰退の道をたどるでしょう。

フランクフルト学派の共産主義者がこんな事を言っていました。「まず文化を変えよ、そうすれば熟した果実のように権力は自然に手の中に落ちてくる」と。
フランスは自らこの道を選んだとしか思えません。
  1. 2019-01-24 10:29
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
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