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2018-05-05 17:37

「世界は一つ」から靖国問題の真相へ

 5月3日のエントリー『「理想主義」が諸悪の根源』でジョン・レノンのイマジンを取り上げたのだが、この歌は最後が「And the world will live as one    そしてきっと世界はひとつになるんだ」で終わっている。

この「世界は一つ」という見果てぬ夢をとなえた高名な人が日本にもいる。日本人初のノーベル賞学者湯川秀樹博士である。
その湯川秀樹博士の言葉「世界は一つ」は愛知県の三ヶ根山にある「殉国七士廟」の記念碑にもなっている。

ちょっと話がアチコチするが、この件を調べていて私が誤解していることが分かった。
何を誤解していたのか。
昭和天皇はA級戦犯が靖国神社に合祀されたことで靖国神社に参拝しなくなった、こう報道されており、私も可笑しいと思いながらもそうなのかなあと思っていた。
しかし事実は全く違っていた。昭和天皇はひそかに「殉国七士の墓」に御親拝されていた。こんな事実が分かったので、そのことを書いてみたい。

これが世界は一つの碑
2018-5-3湯川秀樹「世界は一つ」の碑 

殉国七士廟の駐車場には「萬世太平の像」、「世界は一つ」の碑がある。
2018-5-3三ヶ根山殉国七士の碑 

これが殉国七士の墓
2018-5-3殉国七士の墓 

殉国七士は
軍人
・東條英機(首相・陸軍大将)
・土肥原賢二(陸軍大将)
・板垣征四郎(陸軍大将)
・木村兵太郎(陸軍大将)
・松井石根(陸軍大将)
・武藤章(陸軍中将)
文官
・広田弘毅(首相)

殉国七士廟については以下参照ください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AE%89%E5%9B%BD%E4%B8%83%E5%A3%AB%E5%BB%9F

何故殉国か、これは東京裁判そのものが国際法上不当なもので、戦勝国による言いがかり、復讐であったから。
A級戦犯・靖国神社参拝問題の基本的事実
http://www.seisaku-center.net/node/505

公共裁判の問題については、その後マッカーサー自身が間違っていたことを認めている。
参考エントリー
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1201.html
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-763.html

マッカーサーはトルーマン大統領のウェーク島での会談でこう言っている。
「戦争犯罪人などに手を出してはいけない。うまくいくものではない。ニュルンベルク裁判や東京裁判は、戦争の抑止力にはならなかった」
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1941-50/1950_makkasa_uekuto.html

また七士の遺骨はGHQが遺族には渡さず、海に捨てる計画だったが、それをひそかに盗み出して殉国七士として祀ることが出来た経緯は以下参照ください。
https://ameblo.jp/atomu-coco50/entry-11903633046.html


さてこれからが私が驚いたこと。
昭和54年に昭和天皇が全国植樹祭で愛知県に来られた際、わざわざ不便な三ヶ根山山頂にあるホテルに宿泊され、ひそかに殉国七士の墓を御親拝されていた事だった。



昭和天皇 愛知県幡豆郡三ヶ根山 東條英機が眠る墓へお参りされる 昭和54年
https://ameblo.jp/atomu-coco50/entry-11903633046.html


何が驚いたかというと、当日の植樹祭会場と宿舎となったグリーンホテル三ヶ根との位置関係を見て欲しいからである。
2018-5-5グリーンホテル三ヶ根案内図 

天皇陛下がご出席される全国植樹祭会場は名古屋市のほぼ真東約20キロの所。しかし宿舎からは直線距離で40キロ以上だが、多分実走行は60キロ以上。宿舎から東名岡崎インターへ出て、そこから名古屋インターで東名を下り、猿投グリーンロード経由で会場に入られたと思われます。誰が考えても名古屋で泊まれば良い筈だと思う所です。昭和天皇にはグリーンホテル三ヶ根にそれだけ強い思いが有ったのでしょう。

小さい字で・・・余談ですが、天皇皇后両陛下が地方に出たとき、特別な思いのある所へわざわざ立ち寄るというケースが当地方にもあります。・・ちょっと参考までに・・
2010年6月、天皇皇后両陛下が岐阜県に来られました。第30回全国豊かな海づくり大会ご出席のためです。その時当地方にある小さな小さな「新見南吉記念館」に両陛下が来られました。最初は美智子皇后陛下だけが来られるという話だったんですが、結局両陛下お揃いでおいでくださいました。新見南吉は小学校の教科書にある「ごんぎつね」の話の作者ですが、皇后陛下は子供の頃、新見南吉の「でんでんむしの悲しみ」という同和を聞いて感銘を受けたのだが、大人になってからでも苦しい時、悲しい時にいつもその話がふと頭に浮かんできて、自分だけじゃないんだと勇気づけられた。だからその記念館をぜひ見てみたい。こんな話でした。
新見南吉記念館
http://www.nankichi.gr.jp/


話がどんどん飛んでしまいました。
最後にもう一つ、昭和天皇が靖国神社に行かれないのはA級戦犯の合祀が原因だという話があります。わたしもそんな報道があり、へー、そうだったのかと思っていたのですが、これがトンデモナイ嘘、フェイクニュースでした。
若しそんな事をだったら、全国植樹祭で愛知県に行くからと言って、昭和天皇がわざわざあんな辺鄙なところ(失礼!)に宿泊する筈が有りません。

この件は以下参照ください
昭和天皇の靖国ご親拝中止は戦犯合祀が原因でない

時系列的には簡単である。
昭和天皇が最後に靖国神社に御親拝されたのが昭和50年。昭和51年からは御親拝されていません
靖国神社に問題の7名が合祀されたのが昭和53年
ですから靖国に御親拝されなくなったのは、所謂A級戦犯と言われる方の問題ではありません。
そのうえ、昭和54年には殉国七士の墓にひそかに御親拝されています。

靖国問題の原因は上掲記事に有ります。
その要因は、当時の三木武夫首相が昭和五十年に靖国神社を参拝した際、 取材記者に「私的立場で参拝をした」 と発言したことにあります
マスコミは、その発言を取り上げ、政治家の靖国神社参拝は「私的参拝」か「公的参拝」か、と問うようになりました。 
それまでは、 八月十五日に天皇陛下も、 総理大臣も、 靖国神社を参拝してもマスコミが特別に騒ぎ立てることはなかったのです。 

それが、 三木首相の発言で、 眠っている子を起こしてしまったわけです。 
「公的」 と言えば、 憲法の政教分離の原則に反する言い、 侵略戦争だった大東亜戦争を認めるのか、 という論法でマスコミが叩いていくわけです。 その流れは、 今日まで続いています。
こんな事ですね。

最後にどうして愛知県の三ヶ根山が舞台なのか、これについては以下参照ください。
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-820.html

この話は私が若いころ、当時の大先輩から聞いた話がもとになっています。南方で苦労し、多くの戦友を失った人にとっては、三ヶ根山からの景色はあのマニラ湾やレイテ湾の景色によく似ている。だから現在では80基とも言われる慰霊碑が三ヶ根山上にあり、慰霊の地になっているという事です。

三ヶ根山からの眺め
2018-5-5三ヶ根山頂からの景色 
長い話になりました。最後までお付き合いいただき有難うございます。

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