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2018-04-16 16:20

江戸は眠っていなかった<痛覚とは何だったのか


  泰平の 眠りを覚ます 上喜撰(蒸気船) たった四杯で 夜も眠れず

上喜撰と言えばこんなお茶だが・・・
2018-4-9上喜撰 

余りにも有名なこの狂歌、日本にペリー提督率いる黒船艦隊(蒸気船2隻と帆船2隻の4隻)がやってきたときの驚愕ぶりが良く分かる。


4月8日のエントリー「外圧の痛覚」で幕末から明治維新の頃の日本を取り巻く外圧について、小川榮太郎さんの論稿を取り上げたのだが、では日本はその頃本当に居眠りしていたのか、そんな事を考えてみたい。

結論から先に言えば、日本は居眠りなんかしていなかった
しかし江戸時代、天下泰平200年のハンディキャップは余りにも大きく、西欧・アメリカとの軍事・産業技術面で大きな格差がついていた。
(鎖国は段階的で、日本船の海外渡航禁止が1635年、長崎の出島完成が1641年でこの頃鎖国完成。だから幕末まで実質鎖国期間は約200年)
(しかしその頃の西欧、特にイギリスは1770年頃より産業革命期


 江戸幕府はアヘン戦争の結果に驚愕し、国防を真剣に取り組もうとした。また幕府の意向を受けた各藩もそれなりに手を打とうとしたが・・・、いかんせん西欧との200年の軍事技術面の格差はあまりにも大きかった。

そんな事を大砲を事例に考えてみたい。

結論として幕末における外圧の痛覚とは、自分らなりに西欧の技術・軍事レベルに追いつこうと必死に頑張った結果、外国の文物を取り入れざるを得ないという結論になったこんな事実が痛覚となったという事だと思う。


最初に黒船来航当時のことをおさらいしてみたい。

これは黒船来航の図
2017-2-22黒船来航図 

これがペリー艦隊の旗艦「サスケハナ」号
2018-4-10サスケハナ写真 

ペリー艦隊の4隻の軍艦のスペック
2018-4-11ペリー艦隊の構成 出所:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E8%88%B9%E6%9D%A5%E8%88%AA


この当時の日本の船はというと千石船なのでその大きさ比較
2018-4-10千石船と旗艦サスケハナの大きさ比較 

ペリー艦隊の旗艦サスケハナは満載排水量3824トン、、全長78メートル、
比較する千石船(弁才船)は積載量150トン(1000石)、排水量約200トン、全長約30メートル、
黒船は排水量で19倍ですから当時の日本人が驚く巨大さだったのでしょう。
しかも蒸気船なので狭い浦賀水道を自在に航行できる、まさに驚異的な出来事だった。
(ペリーの狙いが蒸気船でその威力と武力を見せつけて開国させるというものだった)

ペリー艦隊はたった四杯の黒船と言われているが、黒船四杯で乗組員は千人を超える。その一端が上掲の黒船来航図でも分かると思う。
(注:上掲黒船来航図は翌年の2回目の来航時のもの。この時の艦隊は全部で9隻、乗組員は約2千人だった)


しかしこの時江戸徳川幕府は本当に何も知らず、不意を突かれて動顛していたのだろうか。
「太平の眠りを・・・」の狂歌が有名すぎて、誰でもその当時の日本の外交は実にだらしない、そんなイメージを持っていると思う。
しかし実は当時の日本は諸外国の動きを実によく見ていた。


世界はその時欧米の植民地主義の真っ只中、日本にやってきた外国船はこんな風。

・1778年 ロシア船、蝦夷地に来て通商を求める
・1792年 ロシア使ラスクマン、根室に来たり通商を請う
・1797年 イギリス船 蝦夷地(室蘭)に来航
・1808年 フェートン号事件・・イギリス軍艦フェートン号がオランダ国旗(偽旗)を掲げて長崎港に侵入、オランダ人2名を人質に水や食料を要求した事件(侵入目的はオランダ船拿捕)
長崎奉行松平泰英、国威を辱めたとして引責切腹、警備を怠ったとして鍋島藩家老ら数人も切腹。
フェートン号事件

フェートン(帆走フリゲート)
フェートン号の概要
全長:43.0m、全幅:11.9m、乗員:280名、兵装:大砲38門+短距離用カロネード砲10門

・1808年 江戸湾沿岸に砲台を起工
・1809~17 オランダ船、長崎に入港無し(フランスに併合の為)
・1813年 イギリス船来航 オランダ商館奪取計画(シャーロット号事件)
・1816年 イギリス船 琉球に来たり通商要求
・1817年 イギリス船 浦賀に来る
・1818年 イギリス人ゴルドン浦賀来航
・1825年 異国船打払令
・1837年 アメリカ船モリソン号漂民を伴い浦賀来航、打払令により撃退
・1840年 アヘン戦争勃発
・1842年 異国船打払令を改め、薪水給与令を復活
     (アヘン戦争で清国敗北の結果を見て、日本も柔軟策に転じたもの)
     (モリソン号事件のようなことを再発させてはならない)
・1846年 アメリカ使ビッドル浦賀に来航、通商を求む
・1853年 米使ペリー浦賀来航

ここで注意すべきは
1) ペリー来航の45年前、イギリス軍艦が長崎港に侵入した事件があり、たった1隻とはいえ巨大な軍艦と大砲、そして兵力により日本の主権が侵害されたこと。
この事が国防意識と兵器・産業の近代化の大きな動機付けになった。

幕府は長崎にいるオランダ語の通訳に「英語・ロシア語」習得を命じている

こんな前段階が有ったので後にペリー来航の折、旗艦「サスケハナ」に横付けした浦賀奉行所のオランダ語通訳・堀達之助が、「I can speak Dutch」(私はオランダ語を話すことができる)と英語でいう事が出来たわけです。
(ソース:<鎖国日本とペリー来航> 第2回 幕府は事前に知っていた 2016年08月24日  読売新聞 http://www.yomiuri.co.jp/culture/history/20160822-OYT8T50104.html

また藩の重鎮が切腹、藩主が閉門という屈辱を味わった佐賀藩(鍋島藩)、これが藩政改革と近代化の引き金になった。

2) シナでアヘン戦争が起こるとその状況が日本に報告されていた。
また幕府もその詳細情報収集に努めていた。その結果、外国船を単に打払うでは無く、薪水給与令で燃料と水を与え、穏便に引き取らせる政策に変更。

海防の為、各地に砲台建設と大砲製造を指示。この頃より各藩で大砲製造加速。

参考エントリー
「江戸は眠っていたか」2017-02-23 


3) ペリーの狙い

ペリーは漂流民保護云々を最初に言い出したがこれは言いがかりみたいなもの。
目的は二つ
・1 捕鯨をするために寄港地が必要
アメリカは日本沿岸など世界各地で捕鯨を行っており、1年以上の長い航海を行うことが普通だった。また、捕鯨船は船上で鯨油の抽出も行うため、大量の薪や水が必要であり、こういった物資の補給地点として、日本という場所が最適だった。
(注:この理由はこの直後、クジラの乱獲による減少と鯨油から石油への転換で不要になった)
(捕鯨船の数はペリー来航前の1846年~735隻、30年後の1876年~39隻である)

・2 中国大陸に進出するために寄港地が必要
産業革命により多くの工業製品を生産できるようになったアメリカは、それらの製品を輸出するために、インドだけではなく、中国へも市場拡大を急いでいた。
当時の人口は、アメリカが1833年に約1416万人、清が約4億人、日本が1834年に約2760万人であった。

この理由こそ幕末から今日まで続く日米中の関係の厄介なところ
参考までに中国・上海からアメリカ・サンフランシスコまでの最短コースがどうなっているかを大圏図で見てみたい。
これは若狭湾を中心とする大圏図
2018-4-13大圏図 
上海から対馬海峡を通って日本海へ、そこから津軽海峡・函館沖を通って太平洋を千島列島に沿って進み、サンフランシスコに出る。これが大圏コースで最短距離である。
だから中国が北海道に食指を伸ばすわけだ
或いは日本東岸を通っても同じことである。

尚この図は見慣れない地図だが、「心射方位図法」と言って地球の中心から表面に接する面に投射した地図。大圏航路が直線になるので大圏航路を見るのにはわかりやすい。


アメリカにとって中国という巨大な市場は魅力的である。それは黒船当時も今も変わることは無い。
だからこんな話がある。

1945年8月の日本が降伏した日に、ニューヨーク・タイムズは「太平洋の覇権を我が手に」と題するこんな記事を載せた。
「我々は初めてペルリ(ペリー)以来の願望を達した。もはや太平洋に邪魔者はいない。これで中国大陸のマーケットは我々のものになるのだ」


さてでは日本は眠っていたのだろうか。
例えばこんなものが有る。これは福井県にある丸岡藩砲台跡

2018-4-13福井丸岡藩砲台跡 

素晴らしい景色ですね。これは福井県の名勝東尋坊近くにある丸岡藩の砲台跡。
ペリー来航の前年1852年に完成している。
このように太平洋側だけでなく日本海側にも砲台を整備し、外敵に備えようとしていた、
ではそこに据え付ける大砲はどうだったのか。


これは日本で最初に鉄製の大砲製造に成功した佐賀藩の反射炉による大砲鋳造の図

2018-4-15大砲鋳造の図 

こんな反射炉のよる鉄の溶解についてはオランダからのこんな書物がベース。
オランダ語のユ・ヒュゲニン著 「ロイク王立鉄大砲鋳造所における大砲鋳造法」1836年刊
この書物が10年後の1846年頃入手できた。この本は現在国会図書館に4冊か5冊所蔵されているが、3冊は図版が切り取られているらしい。
恐らく日本からの何らかの要求で日本にもたらされたものだろう。しかしそこにある反射炉の図はこんなもの。
2018-4-15反射炉の原書図面

こんな小さな図を見て反射炉を作ってみたが、そう簡単に大砲が出来るわけではない。
最初に鋳造できた大砲は砲腔を鋳造段階で開けて作ってみた。しかし試射すると砲身が破裂。結局改めて上掲蘭書にあった切削機械を作っている。

これが大砲の砲身をくりぬく機械、錐台という。現代の機械用語なら一種の旋盤と言った所か。
現物は残っていないが、佐賀城本丸歴史館に模型が展示してある。

2018-4-15錐台模型 
原書ではこの機械の動力は蒸気機関だが日本には無かった。そこで水車を利用している。
鋳造された大砲をグルグル回るように台に乗せて固定、左側の水車の回転を歯車を介して大砲を回す。右側のハンドルの部分を回して真ん中に見える銀色の部分(ドリル)を軸方向に押してゆき、ぐるぐる回る大砲に穴を開けて行く。
穴を開ける工具は刀鍛冶が何とか製造したらしい。

原理的には木工用のロクロ旋盤(木のお椀などを作るもの)と同じなのだが、何せ削るのがデッカイ鉄大砲。こんな機械を作るのも大変だったのでしょう。

更にこの反射炉での鋳造でさらなる問題が浮かび上がります。原料の鉄が何でもいい訳では無く、現代風に言えば炭素含有量の少ないものはダメで高炉からの銑鉄でないと駄目だという事が分かってきたのです。


オランダ書の情報をもとにあちこちで反射炉を作り、大砲鋳造を目指します。


これはその一つ、唯一現存する韮山反射炉
2018-4-12韮山反射炉 

これは国内各地の反射炉のリスト
2018-4-15反射炉リスト 

この水戸の那珂湊に建設された反射炉用の銑鉄を供給する為に南部藩が釜石に建設したのが日本最初の高炉、橋野高炉、これは橋野鉄鉱山として世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産に指定されている。

橋野高炉跡

しかし結局この大砲製造は上手く行きませんでした。莫大な金と人材を投入したが失敗でした。
理由は鉄を作る、そんな基礎技術から不足していたことです。


対外政策の話です。
こんな事で防備を固めたつもりだったが、黒船来航の10年後、長州藩・薩摩藩は西欧と戦う事になる。結果は大敗と言って良いレベル。(薩英戦争は何とか引き分けと言っているが実質大敗)

長州藩の下関戦争(馬関戦争):1863年・1864年

薩摩藩の薩英戦争:1863年


こんな結果が冒頭書いたように、自分らなりに西欧の技術・軍事レベルに追いつこうと必死に頑張った結果、外国の文物を取り入れざるを得ないという結論になったこんな事実が痛覚となったという事だと思う。


今この幕末から学ぶべきこと。先ず第一は行動を起こすべきだという事。自分たちの言っていることが正しいのかどうかは行動でのみ証明される。そんな事ではないだろうか。

長いエントリーになってしまいました。
お付き合いいただき有難う御座います。
  1. 歴史
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コメント

江戸時代を暗黒の封建時代としたかったのは、マルクス主義者、マルクス史観のせいですね。明治維新以後の日本の近代化をマルクス主義への移行期間とするには、前近代を自由を抑圧された社会に描く必要があった。しかしながら、日本の大名は西洋的な絶対君主からは程遠い。日本の武士には徴税権はあったが、土地の所有権はなかった。土地はあくまで農民の所有だった。保科正之、徳川吉宗などの日本人全体の福利を第一とする政治家が生まれた。マルクス主義者はそんな違いを全く無視した。高学歴かもしれないが、根本的に頭が悪い。今のパヨクもまったく同じ。理念に合わせて現実を見ようとするから、現実的な力をまったくもたない。マルクス主義者、パヨク、朝鮮人、すべて精神構造は同じ。馬鹿ばかり。
  1. 2018-04-16 21:29
  2. URL
  3. 朝日、毎日、(在日)朝鮮人は日本の敵 #-
  4. 編集

日本は新興国ではなかった

江戸時代って、すごい時代ですよね。大坂には世界初の公設先物取引所があったし、江戸湾に流れ込んでいた利根川を太平洋に付け替える土木工事が行われたのも江戸時代。日本式の数学である「和算」は、当時の世界最高レベルでした。

鎖国といっても蘭学によって医学も発達していたし、蒸気機関以外は、あらゆる分野で世界最高レベルの知識の集積があったと言っても過言ではありません。
日本以外の国が、欧米列強の植民地になることなく、西洋の科学技術を取り入れる事ができたかと言ったら、絶対に無理でしょう。産業革命なしに、これほど文化が発展したことに驚きです。

世界初の先物取引 堂島米会所跡 | 身近な史跡を巡るCHEVY_WALKERのブログ
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大坂堂島米会所物語 | むつさとしのブログ
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江戸の数学
http://www.ndl.go.jp/math/

和算 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%e5%92%8c%e7%ae%97
  1. 2018-04-16 23:14
  2. URL
  3. かんぱち #vF6NeGQU
  4. 編集

佐世保の弓張岳にも砲台跡が有りますが、佐世保が軍港となったのは明治時代です。
http://hasamiooen.fc2web.com/2011-report-39-1.html
日清戦争、日露戦争という日本の浮沈がかかる戦争へ対応する為にも必要だったのでしょう。
近隣の大国への恐れ、危機感、それを明治の先人達が必死の力、必死の心で乗り越えていったという事でしょう。日清戦争後の所謂「三国干渉」に日本のプライドを傷つけられて、激しい「痛み」が生じたでしょう。
弓張岳の展望台から針尾の無線塔が見えます。
http://portal.nifty.com/kiji/120817156971_1.htm
第二次大戦中に有名な暗号「ニイタカヤマノボレ」が中継されたそうです。
  1. 2018-04-16 23:43
  2. URL
  3. taigen #-
  4. 編集

かなり驚いています

ブログ初心者としてはブログかく有るべしと見せつけられたような気分です・・・幕末の動乱やその前後については日米両方から考察した事は有りますが(キッカケは久生十蘭の小説からですが)、ここまで纏められるとゴメンナサイしたくなります。義務教育の教科書に採用して頂きたいくらいです・・・。

私のか細い知識では蒸気機関は大村益次郎(当時は村田蔵六)が宇和島藩にて試作し、薩摩藩や鍋島藩も試作(もしくは模型の制作)には成功したとの事でしたが、佐賀鍋島藩では田中久重が携わり、加賀藩でも大野弁吉が携わったと記憶しています。少なくとも当時存在していた蘭書を頼りに模型を製作できる技術力と知識が有った事には為ると思います。そして後年の村田銃等の制作に繋がったような気がします。

ちなみに田中久重は芝浦製作所の創業者であり「東洋のエジソン」と呼ばれていました。大野弁吉はからくり人形、写真機、望遠鏡、発火器など数々の作品を製造したと伝えられ、私にとっては日本の「シャルル・クロス」です。

朝鮮人は日本の敵さんの仰ることにも同意です。日本の教育は日本人の手に取り戻さなくてはなりません。マルクス史観に被れた「パヨク」の手に委ねていたら日本人は真実を知らずに過ごしてしまいます。

そしてかんぱちさんのご指摘の通りだとも思います。江戸の隆盛が有ってこそ今の日本文化も支えられています。欧州や米国の人々が日本と日本人に敬意を払ってくれるのはこの江戸から脈々と続く積み重ねが有ってこそです。イザベラ・バード氏が驚き感動した文化が既に出来上がっていたのです。

taigenさん有難う御座います。弓張岳の展望台には子供の頃一度訪れた事があります。ですが砲台の事は知りませんでした。長崎で奉行でもあった鍋島閑叟公が佐賀にて反射炉を築き、長崎に砲台を築き、近代化を図った事は知っていましたが、平戸藩のような小藩(平にご容赦願います)もまたボヤボヤしていた訳では無いのですね・・・

ブログ主殿、今回の私の僭越な振る舞いをお許し願いたく思います。ついつい言葉を継ぎたくなってしまいました。加えて度々のご訪問有難う御座います。
  1. 2018-04-17 02:32
  2. URL
  3. エピもしくは燻製にしん #-
  4. 編集

To:朝日、毎日、(在日)朝鮮人は日本の敵 さん

> 江戸時代を暗黒の封建時代としたかったのは、マルクス主義者、マルクス史観のせいですね。明治維新以後の日本の近代化をマルクス主義への移行期間とするには、前近代を自由を抑圧された社会に描く必要があった。しかしながら、日本の大名は西洋的な絶対君主からは程遠い。日本の武士には徴税権はあったが、土地の所有権はなかった。土地はあくまで農民の所有だった。保科正之、徳川吉宗などの日本人全体の福利を第一とする政治家が生まれた。マルクス主義者はそんな違いを全く無視した。高学歴かもしれないが、根本的に頭が悪い。今のパヨクもまったく同じ。理念に合わせて現実を見ようとするから、現実的な力をまったくもたない。マルクス主義者、パヨク、朝鮮人、すべて精神構造は同じ。馬鹿ばかり。



 江戸時代は暗黒の時代では無かった、まったく同感です。
最近本屋に行くと江戸時代はこんな素敵な時代だったという事をカラー図番などで紹介する書籍をよく見かけます。
これは21世紀に入ってからの傾向でして、それまではこんな書物はありませんでした。
矢張り出版社は時流を見ていて、こんな事をもっと書けば儲かる、そう気が付いたんでしょう。

こんな事が若い人にドンドン知られてくるので、自虐史観で骨の髄まで赤く染まった団塊の世代とのギャップが酷くなるのですね。一人でも多くの人にこんな事実を知ってもらいたいと思っています。


  1. 2018-04-17 11:29
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

後進国との経済交流は儲けが少ない

>アメリカにとって中国という巨大な市場は魅力的である。それは黒船当時も今も変わることは無い。

三橋氏が面白いことを言っています。日米通商修好条約によってアメリカは莫大な利益を得て、それが南北戦争時の北軍の資金になったのだということです。
事の真相は知りませんが、しかし、これは、世界の「深層海流」を考える上で大きなヒントになるのではないでしょうか。
現在トランプ率いる米国と中国の対立が表面化して来ています。直接的には軍事的対立の表面化ですが、しかし、深層海流を考えると、「中国との経済交流は思ったほど儲からなかった」ということに尽きます。日本との経済交流を拡大する方が付加価値が大きいということです。
その小さくなった付加価値の損失分をアメリカは自国の中間層に負担させたのです。これが、「アメリカの衰退」を招いた原因と思います。
先進国同士の経済交流が一番付加価値が大きく、先進国と後進国では、先進国側の付加価値が小さくなるのです。
では、なぜ明治期以来の日米通商修好条約でアメリカが大きな付加価値を得たのかですが、不平等条約であったこともありますが、それより日本がアメリの思っていた以上に工業化されていたことが大きいと思います。
イギリスのメイ首相が、ブレグジットするや否や日本にTPP参加の意思表示をしたのは、ドイツに替わる先進国との経済交流が必要であったからです。
アヘン戦争でのイギリスの失敗は、後進国との経済交流は付加価値が小さいということを知らなかったからだとなります。
「13億の人口」にアメリカは目が眩んだのでしょうが、結果は、やはり付加価値は小さかったのだと思います。
そのように考えると、トランプのアメリカでの地位は、数年後にはさらに固まったものになるだろうと予想します。
  1. 2018-04-17 12:37
  2. URL
  3. 縄文人 #wM6nolEE
  4. 編集

Re: 日本は新興国ではなかった

> 江戸時代って、すごい時代ですよね。大坂には世界初の公設先物取引所があったし、江戸湾に流れ込んでいた利根川を太平洋に付け替える土木工事が行われたのも江戸時代。日本式の数学である「和算」は、当時の世界最高レベルでした。
>
> 鎖国といっても蘭学によって医学も発達していたし、蒸気機関以外は、あらゆる分野で世界最高レベルの知識の集積があったと言っても過言ではありません。
> 日本以外の国が、欧米列強の植民地になることなく、西洋の科学技術を取り入れる事ができたかと言ったら、絶対に無理でしょう。産業革命なしに、これほど文化が発展したことに驚きです。
>
> 世界初の先物取引 堂島米会所跡 | 身近な史跡を巡るCHEVY_WALKERのブログ
> https://ameblo.jp/chari-de-diet/entry-12143674452.html
>
> 大坂堂島米会所物語 | むつさとしのブログ
> http://mutsu-satoshi.com/2007/12/19/%e5%a4%a7%e5%9d%82%e5%a0%82%e5%b3%b6%e7%b1%b3%e4%bc%9a%e6%89%80%e7%89%a9%e8%aa%9e/
>
> 堂島米市場(どうじまこめいちば)とは - コトバンク
> https://kotobank.jp/word/%e5%a0%82%e5%b3%b6%e7%b1%b3%e5%b8%82%e5%a0%b4-103668
>
> 堂島米会所 - Wikipedia
> https://ja.wikipedia.org/wiki/%e5%a0%82%e5%b3%b6%e7%b1%b3%e4%bc%9a%e6%89%80
>
> 利根川の東遷 | 利根川上流河川事務所 | 国土交通省 関東地方整備局
> http://www.ktr.mlit.go.jp/tonejo/tonejo00185.html
>
> 利根川東遷事業 - Wikipedia
> https://ja.wikipedia.org/wiki/%e5%88%a9%e6%a0%b9%e5%b7%9d%e6%9d%b1%e9%81%b7%e4%ba%8b%e6%a5%ad
>
> 江戸の数学
> http://www.ndl.go.jp/math/
>
> 和算 - Wikipedia
> https://ja.wikipedia.org/wiki/%e5%92%8c%e7%ae%97



確かにおっしゃる通り、日本は後進国ではありませんでした。
戦国時代が終わった頃、日本は全世界の鉄砲の約半分を保有する軍事大国でしたし、日本の火縄銃の命中精度は西欧のものより数段優れていたと言われています。

それから大坂堂島米会所の話、これは世界初なのですが、ここのコメ相場をいち早く知らせるための通信網が出来ていました。
その速さは堂島から広島まで最速40分、桑名まで最速10分でした。江戸時代の光通信網です。旗振り通信と言います。
旗振り通信
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%97%E6%8C%AF%E3%82%8A%E9%80%9A%E4%BF%A1

凄いのは幕末の1865年、英仏蘭の軍艦が兵庫沖に来襲した際、六甲の旗振り通信所がいち早くこれを発見。異変を京都の所司代に通報したことです。これだけで一つのドキュメンタリーが出来るくらいの話では無いでしょうか。
英仏蘭の軍艦はあまりの対応の速さに驚いたと思います。

江戸時代の天下泰平の頃、西欧は戦争ばかりしていました。その結果が特に軍事力の差になったという事だと思います。
  1. 2018-04-17 19:48
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

To:taigen さん

> 佐世保の弓張岳にも砲台跡が有りますが、佐世保が軍港となったのは明治時代です。
> http://hasamiooen.fc2web.com/2011-report-39-1.html
> 日清戦争、日露戦争という日本の浮沈がかかる戦争へ対応する為にも必要だったのでしょう。
> 近隣の大国への恐れ、危機感、それを明治の先人達が必死の力、必死の心で乗り越えていったという事でしょう。日清戦争後の所謂「三国干渉」に日本のプライドを傷つけられて、激しい「痛み」が生じたでしょう。
> 弓張岳の展望台から針尾の無線塔が見えます。
> http://portal.nifty.com/kiji/120817156971_1.htm
> 第二次大戦中に有名な暗号「ニイタカヤマノボレ」が中継されたそうです。



面白い情報ありがとう御座います。
明治時代は本当にみんな必死でした。そんな事が一つ一つの遺跡に表れています。

今は後世の人からは明治維新、大東亜戦争に続く第三の国難の時代と言われると思いますが、そのいずれもが相手の国はアメリカ、ロシア(ソ連)、イギリス、そしてシナなど。おまけにいずれも国内に獅子身中の虫がいる。
全く変わっていませんね。

  1. 2018-04-17 20:01
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

Re: かなり驚いています

> ブログ初心者としてはブログかく有るべしと見せつけられたような気分です・・・幕末の動乱やその前後については日米両方から考察した事は有りますが(キッカケは久生十蘭の小説からですが)、ここまで纏められるとゴメンナサイしたくなります。義務教育の教科書に採用して頂きたいくらいです・・・。
>
> 私のか細い知識では蒸気機関は大村益次郎(当時は村田蔵六)が宇和島藩にて試作し、薩摩藩や鍋島藩も試作(もしくは模型の制作)には成功したとの事でしたが、佐賀鍋島藩では田中久重が携わり、加賀藩でも大野弁吉が携わったと記憶しています。少なくとも当時存在していた蘭書を頼りに模型を製作できる技術力と知識が有った事には為ると思います。そして後年の村田銃等の制作に繋がったような気がします。
>
> ちなみに田中久重は芝浦製作所の創業者であり「東洋のエジソン」と呼ばれていました。大野弁吉はからくり人形、写真機、望遠鏡、発火器など数々の作品を製造したと伝えられ、私にとっては日本の「シャルル・クロス」です。
>
> 朝鮮人は日本の敵さんの仰ることにも同意です。日本の教育は日本人の手に取り戻さなくてはなりません。マルクス史観に被れた「パヨク」の手に委ねていたら日本人は真実を知らずに過ごしてしまいます。
>
> そしてかんぱちさんのご指摘の通りだとも思います。江戸の隆盛が有ってこそ今の日本文化も支えられています。欧州や米国の人々が日本と日本人に敬意を払ってくれるのはこの江戸から脈々と続く積み重ねが有ってこそです。イザベラ・バード氏が驚き感動した文化が既に出来上がっていたのです。
>
> taigenさん有難う御座います。弓張岳の展望台には子供の頃一度訪れた事があります。ですが砲台の事は知りませんでした。長崎で奉行でもあった鍋島閑叟公が佐賀にて反射炉を築き、長崎に砲台を築き、近代化を図った事は知っていましたが、平戸藩のような小藩(平にご容赦願います)もまたボヤボヤしていた訳では無いのですね・・・
>
> ブログ主殿、今回の私の僭越な振る舞いをお許し願いたく思います。ついつい言葉を継ぎたくなってしまいました。加えて度々のご訪問有難う御座います。




色々詳しい話、有難う御座います。
ブログの面白い所はコメント欄、いろんな知識のある人がその知識を持ち寄って議論する。結局想像もつかないような面白い話になる、こんな所です。まさに知の楽しみですね。

幕末の問題は色んな面から掘り下げることが今こそ重要だと思っています。
理由は明治維新直前、大東亜戦争直前、そして今現在。この三つがあまりにも似ているためです。
しかも明治維新から大東亜戦争ま七十数年、大東亜戦争から今日まで七十数年、余りにも似ています。
しかも相手はアメリカ・ユダヤ財閥・共産主義者・・・、さて今回はどうでしょうか。
  1. 2018-04-17 22:06
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  3. 短足おじさん二世 #-
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Re: 後進国との経済交流は儲けが少ない

> >アメリカにとって中国という巨大な市場は魅力的である。それは黒船当時も今も変わることは無い。
>
> 三橋氏が面白いことを言っています。日米通商修好条約によってアメリカは莫大な利益を得て、それが南北戦争時の北軍の資金になったのだということです。
> 事の真相は知りませんが、しかし、これは、世界の「深層海流」を考える上で大きなヒントになるのではないでしょうか。
> 現在トランプ率いる米国と中国の対立が表面化して来ています。直接的には軍事的対立の表面化ですが、しかし、深層海流を考えると、「中国との経済交流は思ったほど儲からなかった」ということに尽きます。日本との経済交流を拡大する方が付加価値が大きいということです。
> その小さくなった付加価値の損失分をアメリカは自国の中間層に負担させたのです。これが、「アメリカの衰退」を招いた原因と思います。
> 先進国同士の経済交流が一番付加価値が大きく、先進国と後進国では、先進国側の付加価値が小さくなるのです。
> では、なぜ明治期以来の日米通商修好条約でアメリカが大きな付加価値を得たのかですが、不平等条約であったこともありますが、それより日本がアメリの思っていた以上に工業化されていたことが大きいと思います。
> イギリスのメイ首相が、ブレグジットするや否や日本にTPP参加の意思表示をしたのは、ドイツに替わる先進国との経済交流が必要であったからです。
> アヘン戦争でのイギリスの失敗は、後進国との経済交流は付加価値が小さいということを知らなかったからだとなります。
> 「13億の人口」にアメリカは目が眩んだのでしょうが、結果は、やはり付加価値は小さかったのだと思います。
> そのように考えると、トランプのアメリカでの地位は、数年後にはさらに固まったものになるだろうと予想します。



後進国との取引の付加価値というのがどんな意味か良く分かりませんが、私の考える所、後進国との取引は基本的には収奪だと思います。後進国なので一次産品を先進国に渡し、最終製品を先進国から輸入する。この構造だとするとアメリカは後進国の一面を持っていることになります。
したがってアメリカは自国の土地、労働力を収奪している。これは事実でしょう。
そう考えると、先進国はこれから低成長時代に入るわけで、日本が苦労したことをアメリカはこれからやっていかねばいけないと思います。
  1. 2018-04-17 22:22
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  3. 短足おじさん二世 #-
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>>江戸時代を暗黒の封建時代としたかったのは、マルクス主義者、マルクス史観のせいですね。

マルクスは労働者階級をバカにしてたとききます。ロスチャイルド家の依頼を受けて、当時世の中に広まっていた共産主義思想を理論化する「資本論」を書きました。ロンドンのハイゲートセメトリーのマルクスの墓石もロスチャイルドが発注したんでしょうか。

>>江戸時代って、すごい時代ですよね。大坂には世界初の公設先物取引所があったし、江戸湾に流れ込んでいた利根川を太平洋に付け替える土木工事が行われたのも江戸時代。

和算で、関孝和の微積分まで発展やったんですが、それは実用ではなかった。巨大船舶を作るには微積分が必須だそうですが、日本では微積分はあってもそれを実用に移すことができなかった。幕府が巨大船建造を禁じたから。
一方、国内的には平和社会を達成したが、一国のなかに縮小した。一定の食料で最大の人口を抱えようとすれば、体格の悪い人間が多く増えることになる。そういうテレパシー的な魚群のなかの雰囲気(ケミカル、空気)が日本人の平均体格を悪くしたのではないか。
但し、フィリピンのパターン行進では、日本人なら歩ける距離を西洋人は歩けず死んでいった。外見的な体格は悪いが、稲作に適した持久力は世界一だったんですねえ。

>>江戸時代の天下泰平の頃、西欧は戦争ばかりしていました。その結果が特に軍事力の差になったという事だと思います。

逆に、戦国の織田信長の兵力(火砲の数)は当時の西欧のどの国よりも上だったとされています。

私としては、微積分で大型船を製造し、西洋人が来る前に豪州に大量移民を送り込めば良かったのにと思います。その代わり、現在の日本文化は消滅していたでしょう。戦国の延長的なものになったはずです。
  1. 2018-04-18 16:32
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  3. NINJA300 #/xzFVZWc
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To:NINJA300 さん

> >>江戸時代を暗黒の封建時代としたかったのは、マルクス主義者、マルクス史観のせいですね。
>
> マルクスは労働者階級をバカにしてたとききます。ロスチャイルド家の依頼を受けて、当時世の中に広まっていた共産主義思想を理論化する「資本論」を書きました。ロンドンのハイゲートセメトリーのマルクスの墓石もロスチャイルドが発注したんでしょうか。
>
> >>江戸時代って、すごい時代ですよね。大坂には世界初の公設先物取引所があったし、江戸湾に流れ込んでいた利根川を太平洋に付け替える土木工事が行われたのも江戸時代。
>
> 和算で、関孝和の微積分まで発展やったんですが、それは実用ではなかった。巨大船舶を作るには微積分が必須だそうですが、日本では微積分はあってもそれを実用に移すことができなかった。幕府が巨大船建造を禁じたから。
> 一方、国内的には平和社会を達成したが、一国のなかに縮小した。一定の食料で最大の人口を抱えようとすれば、体格の悪い人間が多く増えることになる。そういうテレパシー的な魚群のなかの雰囲気(ケミカル、空気)が日本人の平均体格を悪くしたのではないか。
> 但し、フィリピンのパターン行進では、日本人なら歩ける距離を西洋人は歩けず死んでいった。外見的な体格は悪いが、稲作に適した持久力は世界一だったんですねえ。
>
> >>江戸時代の天下泰平の頃、西欧は戦争ばかりしていました。その結果が特に軍事力の差になったという事だと思います。
>
> 逆に、戦国の織田信長の兵力(火砲の数)は当時の西欧のどの国よりも上だったとされています。
>
> 私としては、微積分で大型船を製造し、西洋人が来る前に豪州に大量移民を送り込めば良かったのにと思います。その代わり、現在の日本文化は消滅していたでしょう。戦国の延長的なものになったはずです。




 マルクスが労働者を馬鹿にしたという話はウィーン在住の長谷川良さんが典拠をあげて書いていますね。
私もいつかマルクスとその悪しき後継者フランクフルト学派について書くつもりですが、何せ詐欺師みたいな悪人相手の話なので纏めにくく困っています(笑)

それから和算の話ですが、日本は江戸時代は世界有数の数学大国でした。数学があらゆる分野に必要なのは当然ですが、日本では江戸時代に土木工事が盛んにおこなわれ、コメント欄でかんぱちさんが言及している利根川の東遷など凄い大事業ですね。
こんな大事業には精密な測量と流量計算が必要で、数学の知識が無いと計算できないでしょう。
私は群馬県の前橋市にある天狗岩用水と五千石堰用水に興味が有るのですが、利根川より数メートル高い所に利根川の水を引くため、はるか上流に取水口を設け、そこから延々と水を引くのが天狗岩用水。その天狗岩用水から水を受け、並行して流れ、途中でその天狗岩用水を立体交差で乗り越えて配水するのが五千石堰用水。いずれも極めて綿密な測量と計算なしでは成り立ちません。
和算はこんな所にも生きていると思います。

歴史にレバ・タラは禁物ですが、若し信長が生きていたら・・・。間違いなく日本の歴史は全く変わっていたでしょうね。

そんな意味では今の日本の混乱は「出鱈目マスゴミ・腐敗政治家・左翼パヨクの言論人・在日外国人勢力」、こんな連中を炙り出すのにはちょうどいい機会です。
膿を出すためには痛みもありますが、先ずは身近なところから腐った連中を駆除したいものです。
  1. 2018-04-19 09:52
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  3. 短足おじさん二世 #-
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リンクのお願い

「江戸は眠っていなかった<痛覚とは何だったのか」を弊ブログ「燻製にしんの世迷言」のエントリにてリンクさて頂きたいと思い、許可願います。中国が何故野心をむき出しにして「対外主義」に走りつつあるのか?アヘン戦争の悲劇の後に半植民地化した中国とその後の日本を比較した論考を書きつつあるのですが、実は日本は当時すでに近代国家直前の状態に迫っていたと考えています。

それらの参考資料して本記事をぜひリンクさせて頂きたいと考えて、許可申請のお願いのコメントです。手前勝手なお願いですがご一考願います。

エピキュリアン、こと燻製にしん
  1. 2018-06-02 14:28
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  3. エピ、もしくは燻製にしん #-
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Re: リンクのお願い

> 「江戸は眠っていなかった<痛覚とは何だったのか」を弊ブログ「燻製にしんの世迷言」のエントリにてリンクさて頂きたいと思い、許可願います。中国が何故野心をむき出しにして「対外主義」に走りつつあるのか?アヘン戦争の悲劇の後に半植民地化した中国とその後の日本を比較した論考を書きつつあるのですが、実は日本は当時すでに近代国家直前の状態に迫っていたと考えています。
>
> それらの参考資料して本記事をぜひリンクさせて頂きたいと考えて、許可申請のお願いのコメントです。手前勝手なお願いですがご一考願います。
>
> エピキュリアン、こと燻製にしん



了解しました。ご自由にお使いください。
大変興味深いテーマに取り組んでいるとの事。記事を楽しみに待っています。
  1. 2018-06-02 17:37
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  3. 短足おじさん二世 #-
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