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2018-03-08 17:15

新聞が日本語を壊す


 今日3月8日の読売新聞地域緬をみて驚いた。
何に驚いたか、まあ、見てください。

2018年(平成30年)3月8日 読売新聞 「愛知(名古屋圏)面」
2018-3-8読売新聞27面1 


被災地のろう者映像に・・・?
この見出しを見てこんな風に見えた人が多いと思いますが、どうでしょう。
被災地呪う者映像に・・・・?
???
おいおい、いい加減にしろよ!
いくらなんでも酷い話じゃないですかねえ。

被災地の聾者映像に
こんな風に読めた人は多分少数派だと思うのは私の目が悪いせいか?


矢張りこんな難しい漢字語はフリガナしかないです。これが昔からの日本の文化ですから。

チョット見出しを改善してみました。
2018-3-8読売新聞27面改1 

このほうが余程理解しやすいですね。

それにしても最近の漢字語のひらがな表記は可笑しい。
蔓延、語彙、熾烈・・・
こんな言葉をひらがな表記したら意味不明じゃないですかねえ。

ほら、子どもに「お水」と書いて、これは「汚水」だから飲んじゃダメ。
こんな事、どうやって教えるんでしょうか。

  1. 社会一般
  2. TB(0)
  3. CM(14)

コメント

おはようございます。

日本語を汚して、半島化させたい勢力の工作でしょう。
言葉(言語)は変化しても劣化させてはならない。
  1. 2018-03-09 09:21
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  3. 無才 #-
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Re: おはようございます。

> 日本語を汚して、半島化させたい勢力の工作でしょう。
> 言葉(言語)は変化しても劣化させてはならない。



全くその通りだと思います。
問題はそんな事の問題点に気が付かない、そんな人が多すぎますね。
こんな事例一つ一つをPRしていかないといけないですね。
  1. 2018-03-09 17:03
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  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

「漢字なんか使っていると近代化できない」と言われた時代

漢字熟語の一部を平仮名で書く「交ぜ書き」は、戦後に新聞が広めた悪しき風潮ですね。新聞各紙は戦後、漢字熟語の中に「当用漢字」や「常用漢字」に含まれない漢字があると、それらを平仮名で書いたり、別の漢字に置き換えるという事をしました。

昔の新聞では「誘拐」を「誘かい」と表記していたのを覚えているでしょうか?「拐」が当用漢字ではなかったからです。そのほかにも、「遵守→順守(じゅんしゅ)」「義捐金→義援金(ぎえんきん)」など、同じ読み方をする当用漢字・常用漢字で置き換えられた漢字熟語も多いです。これらの語は、支那や中華圏では、今でも本来の漢字で書きます。「輿論(よろん)」という語は「世論(よろん)」に置き換えられましたが、「世論」は元々「せろん、せいろん」と読む別の語でした。

「当用漢字」「常用漢字」は、公文書に使うことのできる漢字の基準なので、本来は新聞には全く関係ないのですが、なぜか新聞各社もこの基準を守ってきました。いや、古くからある漢字熟語を、勝手に他の漢字に置き換えたりしていたわけだから、守るどころか逸脱してましたね。

中国文学者の高島俊男氏は、著書の中で「戦前からあった『漢字廃止論』が、戦後は『進歩的文化人』による『漢字使用制限』につながったのではないか。」と述べています。ワープロが登場するまでは、「タイプライターで打つことができない日本語は遅れた言語だ。」というような見方が、進歩的文化人によって大まじめに語られていましたから。
「瀆職(とくしょく)」という語は「汚職(おしょく)」と言い換えられましたが、漢語のつくりを考えると、「汚職」という語は、あり得ないそうです。高島氏によると、「『職を汚す』から『汚職』なのだろうが、漢語では『汚い職』としか読みようがない。」だそうです。

新聞社の中で、漢字の使用制限に最も積極的だったのが朝日新聞で、最も消極的だったのが産経新聞です。朝日新聞では、常用漢字外の漢字は、たとえ人名であっても常用漢字に置き換えるということをやっていて、かつては橋本龍太郎首相の氏名を「橋本竜太郎」と表記していました。私の記憶では、橋本龍太郎氏が首相だった当時、産経新聞以外はテレビも含め、ほとんどのマスコミが「橋本竜太郎」と表記していましたね。

最近ひどいと思うのは、「障害者」を「障がい者」と表記することですね。これも、元々は「障碍者」という表記だったのを、新聞が勝手に「障害者」に置き換えたのですが、それで「障害者」という表記が定着したら、最近になって、こんどは「害」という字のイメージが悪いからと「障がい者」と表記するようになりました。

ちなみに他の漢字文化圏では、北朝鮮は建国直後に漢字全廃。韓国も事実上の漢字廃止。ベトナムも漢字は廃止して、フランスの植民地時代に考案されたアルファベット表記法を用いています。また、中国が「簡体字」を導入したのは、漢字を廃止してアルファベット表記に移行するまでの経過措置のつもりだったとも言われています。
  1. 2018-03-09 20:26
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  3. かんぱち #vF6NeGQU
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Re: 「漢字なんか使っていると近代化できない」と言われた時代

> 漢字熟語の一部を平仮名で書く「交ぜ書き」は、戦後に新聞が広めた悪しき風潮ですね。新聞各紙は戦後、漢字熟語の中に「当用漢字」や「常用漢字」に含まれない漢字があると、それらを平仮名で書いたり、別の漢字に置き換えるという事をしました。
>
> 昔の新聞では「誘拐」を「誘かい」と表記していたのを覚えているでしょうか?「拐」が当用漢字ではなかったからです。そのほかにも、「遵守→順守(じゅんしゅ)」「義捐金→義援金(ぎえんきん)」など、同じ読み方をする当用漢字・常用漢字で置き換えられた漢字熟語も多いです。これらの語は、支那や中華圏では、今でも本来の漢字で書きます。「輿論(よろん)」という語は「世論(よろん)」に置き換えられましたが、「世論」は元々「せろん、せいろん」と読む別の語でした。
>
> 「当用漢字」「常用漢字」は、公文書に使うことのできる漢字の基準なので、本来は新聞には全く関係ないのですが、なぜか新聞各社もこの基準を守ってきました。いや、古くからある漢字熟語を、勝手に他の漢字に置き換えたりしていたわけだから、守るどころか逸脱してましたね。
>
> 中国文学者の高島俊男氏は、著書の中で「戦前からあった『漢字廃止論』が、戦後は『進歩的文化人』による『漢字使用制限』につながったのではないか。」と述べています。ワープロが登場するまでは、「タイプライターで打つことができない日本語は遅れた言語だ。」というような見方が、進歩的文化人によって大まじめに語られていましたから。
> 「瀆職(とくしょく)」という語は「汚職(おしょく)」と言い換えられましたが、漢語のつくりを考えると、「汚職」という語は、あり得ないそうです。高島氏によると、「『職を汚す』から『汚職』なのだろうが、漢語では『汚い職』としか読みようがない。」だそうです。
>
> 新聞社の中で、漢字の使用制限に最も積極的だったのが朝日新聞で、最も消極的だったのが産経新聞です。朝日新聞では、常用漢字外の漢字は、たとえ人名であっても常用漢字に置き換えるということをやっていて、かつては橋本龍太郎首相の氏名を「橋本竜太郎」と表記していました。私の記憶では、橋本龍太郎氏が首相だった当時、産経新聞以外はテレビも含め、ほとんどのマスコミが「橋本竜太郎」と表記していましたね。
>
> 最近ひどいと思うのは、「障害者」を「障がい者」と表記することですね。これも、元々は「障碍者」という表記だったのを、新聞が勝手に「障害者」に置き換えたのですが、それで「障害者」という表記が定着したら、最近になって、こんどは「害」という字のイメージが悪いからと「障がい者」と表記するようになりました。
>
> ちなみに他の漢字文化圏では、北朝鮮は建国直後に漢字全廃。韓国も事実上の漢字廃止。ベトナムも漢字は廃止して、フランスの植民地時代に考案されたアルファベット表記法を用いています。また、中国が「簡体字」を導入したのは、漢字を廃止してアルファベット表記に移行するまでの経過措置のつもりだったとも言われています。



返事が遅れまして恐縮です。
交ぜ書きの問題は実に悪しき習慣としか言いようがないです。
昔は日本語ではタイプライターが打てなかったが、英語なら速記タイプが出来た、そんな格差を見せつけられた左巻き学者が日本語ではダメだなどと言い出したのでしょう。
しかしワープロが出来て初めて日本人もタイプライターが使えるようになった。凄い発明だったと思います。
思い出話ですが、私はまだワープロもない時代に出来たばかりのパソコンでローマ字入力でひらがなを打ち出すソフトをベーシックを使って作った思い出が有り、こんな話は懐かしいです。

そしてこの交ぜ書き問題は単に表記の問題というより日本の文化、文明の問題ではないか。そう思っています。

実は先進国の条件を色々調べていて気が付いたこと。先進国になるためには難しい概念を正確に表現できる言葉が必要。
その言葉はどうも「ラテン語」と「日本語」しか無いのではないか、そんな風に思えるのです。
今英語が世界語になりましたが、英語の由来を見ると、結構原始的な古代英語にラテン語の難しい概念が入り込んで今の英語が出来た、そう思えるのです。

そんな意味ではシナは日本語を大量に取り込んで自分たちの言葉としてきたので最近の発展も可能になった。
中国の今日が有るのは日本語のおかげと言ってもいいでしょう。毛沢東語録だって輸入した日本語無しでは成り立たない。
そして現在だって中国は日本語の新しい言葉を取り込んで使っています。

もう少し考えて、こんな事を書いてみたいと思いますが、何せ難しくて私の足りない頭(髪の毛も)では手に余りそうで時間がかかっています。
  1. 2018-03-12 14:37
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

戦前の新聞にはルビがあり誰でも読むことは出来たということを知ったのは、実は今から40年前予備校の古文の先生からです。そしてこの先生が本当のことを教えてくれました。

ルビの廃止を唱えたのは小説家の山本有三だそうです。1938年にそれを唱え、折から国家総動員を考えていた内務省が中心になり新聞書籍のルビをなくしたといのです。山本有三自身は国語の改革を唱え、ルビがなければ読めないような国語ではなくもっと平易な表現を使い分かり易い文章を書いTEL日をなくそうという趣旨だったようですが、ルビの廃止ばかりが先行したというわけです。

この趣旨は確かに高邁なものかもしれませんが政策が政策です。コストと手間の削減しか考えなくなるのは当然でその影響を考えたとはとても思えないものでした。実は内務省あたりは漢字の制限を考えており、また印刷業界もその業務の問題から漢字制限を考えていたのです。

だから戦後すぐに当用漢字が出来るとすぐに飛びついたというのが真相なんです。ちなみの山本は1936年に眼底出血を起こし視力が低下してルビ付きの字を読むことが出来ない状態だったらしい。それでこういう論を唱えたという裏があります。ふざけた話です。

だから1946年に漢字制限が始まると現象面では確かにGHQの愚民化政策とも取れないことはないのですが淵源はもっと古いのです。新聞屋がこの手の話に乗るというのは分からないでもありませんがその悪影響は全く何も考えなかったというのがこの話の結末です。

だから、小生は新聞あたりで国語力の低下が問題になって読者の意見とやらを募集したときには新聞にルビを復活しろと投稿したものです。
ついぞ採用されませんでしたがね。

地獄への道は善意で舗装されてるといいます。この話も全く同じではないでしょうか。

ちなみに山本は戦後緑風会の参院議員として評判の良かった人ですが彼が日本国憲法の漢字平仮名化を唱えました。このあたりはまだ良いのかもしれませんがこれはヤツの負の一面なのです。

皆結構誤解してますが現行憲法旧仮名遣いです。まあ過渡期のものなんで仕方がないと思ってますがこのあたり皆どう考えてるんでしょうか。

小生旧仮名遣いには懐疑的というより大反対です。これは漢字のルビ振りをどうするんだという点からです。旧仮名を強行するというのは漢字の読みがなも旧仮名になります。そんなことx小学生にやらせられるでしょうか。

ちなみに小生は千葉の行徳に住んでますが旧仮名ではこの行徳をどう振り仮名を付けるんでしょうか。ぎゃうとく、ぎょうとく、げうとく、げふとくの4つが候補です。さうどうされますかね。行も徳も教育漢字です。これ小学生にどうやって教えるんでしょう。
これまる覚えさせるしかないはずなんです。

これは支那語の四声に対応するものらしいのですがそんな区別がない日本語では意味がありません。小生が旧仮名に対する最大の反対理由なんです。

子供の国語力向上のためには漢字の総ルビ、旧漢字の復活、このあたりが肝だと思ってます。かつてこれを言えば大変な反対に会いましたがIT化の時代、この程度は造作もありません。くだらない小学校英語なんかよりやるべきことはこちらだと思ってます。

  1. 2018-03-12 19:19
  2. URL
  3. #-
  4. 編集

先程のコメント小生です。

普段使いと別のブラウザを使って失敗しました。どうもすいません。
  1. 2018-03-12 19:21
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  3. kazk #cPv2SIBE
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日本語だけの特徴

>そんな意味ではシナは日本語を大量に取り込んで自分たちの言葉としてきたので最近の発展も可能になった。中国の今日が有るのは日本語のおかげと言ってもいいでしょう。毛沢東語録だって輸入した日本語無しでは成り立たない。そして現在だって中国は日本語の新しい言葉を取り込んで使っています。

私は「古代中国文明が・・・」という言葉を聞くたびに、心の中で「支那の古代文明を一番よく保存しているのは日本だよ。」と呟いています。

以前にも、ちょっと書きましたが、日本語はとても原始的な特徴を残した言語です。なんといっても、発音の種類がとても少ない。他のアジアの言語のような声調もないし、外国人が習得に苦労するような難しい発音もない。世界中の言語の中でも、日本語の発音・音韻体系は、最も単純な部類だと言われています。

そのため日本語では、単語を音声で区別するのが難しく、どうしても同音異義語が多くなってしまいます。日本語話者が抽象的な概念を母語で考える事ができるのも、日本では日本語だけで高等教育を行う事ができるのも、ひとえに漢字のおかげです。

それでは日本語話者は、頭の中で同音異義語をどのように区別しているのか?上のコメントにも書いた中国文学者の高島俊男氏は、著書「漢字と日本人」の中で、次のように書いています。
「日本語は、話された言葉を一端、頭の中で漢字に読み替えて、意味を理解すると言う世界に類を見ない言語になってしまった。」「とにかく、その語を耳にした刹那、瞬間的に、その正しい一語の文字が脳中に出現して、相手の発言をあやまりなくとらえるのである。 」

これは、とても興味深い指摘です。ヨーロッパで発達した言語学では「言語の本質は音声であり、文字は記録するための記号にすぎない。」と考えられており、この「言語の本質は音声」が、入門書の一番はじめに書いてあるのですが、日本語は、それには当てはまらない言語だということです。

日本人の多くが、外国語を苦手としているのは「日本語だけで生活の全てが事足りる」という事の他に「母語である日本語の発音・音韻体系が単純だから」というのもあると思います。耳で聞いて区別できる発音の種類が、日本語話者は少ないんです。
  1. 2018-03-13 20:17
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  3. かんぱち #vF6NeGQU
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To:kazk さん

> 先程のコメント小生です。
>
> 普段使いと別のブラウザを使って失敗しました。どうもすいません。



了解しました。
  1. 2018-03-14 16:42
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

To:kazk さん

> 戦前の新聞にはルビがあり誰でも読むことは出来たということを知ったのは、実は今から40年前予備校の古文の先生からです。そしてこの先生が本当のことを教えてくれました。
>
> ルビの廃止を唱えたのは小説家の山本有三だそうです。1938年にそれを唱え、折から国家総動員を考えていた内務省が中心になり新聞書籍のルビをなくしたといのです。山本有三自身は国語の改革を唱え、ルビがなければ読めないような国語ではなくもっと平易な表現を使い分かり易い文章を書いTEL日をなくそうという趣旨だったようですが、ルビの廃止ばかりが先行したというわけです。
>
> この趣旨は確かに高邁なものかもしれませんが政策が政策です。コストと手間の削減しか考えなくなるのは当然でその影響を考えたとはとても思えないものでした。実は内務省あたりは漢字の制限を考えており、また印刷業界もその業務の問題から漢字制限を考えていたのです。
>
> だから戦後すぐに当用漢字が出来るとすぐに飛びついたというのが真相なんです。ちなみの山本は1936年に眼底出血を起こし視力が低下してルビ付きの字を読むことが出来ない状態だったらしい。それでこういう論を唱えたという裏があります。ふざけた話です。
>
> だから1946年に漢字制限が始まると現象面では確かにGHQの愚民化政策とも取れないことはないのですが淵源はもっと古いのです。新聞屋がこの手の話に乗るというのは分からないでもありませんがその悪影響は全く何も考えなかったというのがこの話の結末です。
>
> だから、小生は新聞あたりで国語力の低下が問題になって読者の意見とやらを募集したときには新聞にルビを復活しろと投稿したものです。
> ついぞ採用されませんでしたがね。
>
> 地獄への道は善意で舗装されてるといいます。この話も全く同じではないでしょうか。
>
> ちなみに山本は戦後緑風会の参院議員として評判の良かった人ですが彼が日本国憲法の漢字平仮名化を唱えました。このあたりはまだ良いのかもしれませんがこれはヤツの負の一面なのです。
>
> 皆結構誤解してますが現行憲法旧仮名遣いです。まあ過渡期のものなんで仕方がないと思ってますがこのあたり皆どう考えてるんでしょうか。
>
> 小生旧仮名遣いには懐疑的というより大反対です。これは漢字のルビ振りをどうするんだという点からです。旧仮名を強行するというのは漢字の読みがなも旧仮名になります。そんなことx小学生にやらせられるでしょうか。
>
> ちなみに小生は千葉の行徳に住んでますが旧仮名ではこの行徳をどう振り仮名を付けるんでしょうか。ぎゃうとく、ぎょうとく、げうとく、げふとくの4つが候補です。さうどうされますかね。行も徳も教育漢字です。これ小学生にどうやって教えるんでしょう。
> これまる覚えさせるしかないはずなんです。
>
> これは支那語の四声に対応するものらしいのですがそんな区別がない日本語では意味がありません。小生が旧仮名に対する最大の反対理由なんです。
>
> 子供の国語力向上のためには漢字の総ルビ、旧漢字の復活、このあたりが肝だと思ってます。かつてこれを言えば大変な反対に会いましたがIT化の時代、この程度は造作もありません。くだらない小学校英語なんかよりやるべきことはこちらだと思ってます。



ルビの廃止が山本有三が言いだしたことですか。
wikiを見てみたらルビ廃止論者と書いて有りました。主旨は平易な言葉で書けという事なのでしょうが、物によっては平易な言葉の無い言葉はいくらでもあります。特に専門用語はそうですね。
この件は別エントリーで取り上げたいと思います。

それから「行徳」の旧仮名遣いでの読み方書き方ですか、難問ですね。
ちょっと気になったので、手元にある大正5年刊の漢和大字典(厚さが9.5センチ!)を調べてみました。

文字             反切    意味
行   🈩 カウ、ギヤウ   何庚切   ①ゆく ②ゆかす、やる ③ゆくゆく ④たび ⑤みち ⑥漢詩の一體
                     ⑦書体の一 (行書) ⑧おこなふ ⑨おこなはる
行   🉂 カウ、ギヨウ   胡孟切   おこなひ
行   🈪 カウ       胡岡切   ①ならび、つら ②くだり   
行   ㊃ カウ       戸浪切   ①年齢の順序 ②つよいさま ③位と職の間に入れるもの
               下朗切
行   ㈤ アン(宋音)   -     一時設けた仮のモノ、
                     又自由に持ち歩きできるものなどの意味をあらはすために添えられたことば 

こんな風になっていまして、この「行」には大きく分けて五つの使い方が有り、読みは宋音の「アン」を除くと「カウ」とか「ギヤウ」などですが、㊃だけが読み方が二つあるようです。でも私も「反切」については良く知らないので、この反切をどう読んでいいか分かりません。まあ参考までに見ておいてください。推測ですが🈩~㊃までが四声に対応していると思いますが、どうなんでしょうか。 

最後に「漢字の総ルビ、旧漢字の復活」、これは大賛成です。
そして多分中国が崩壊する日が来るんでしょうが、そうなったときルビ復活と旧漢字採用は大きな力になりそうです。日本が東アジアの文化の中心になると思いますね。
  1. 2018-03-14 17:40
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  3. 短足おじさん二世 #-
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Re: 日本語だけの特徴

> >そんな意味ではシナは日本語を大量に取り込んで自分たちの言葉としてきたので最近の発展も可能になった。中国の今日が有るのは日本語のおかげと言ってもいいでしょう。毛沢東語録だって輸入した日本語無しでは成り立たない。そして現在だって中国は日本語の新しい言葉を取り込んで使っています。
>
> 私は「古代中国文明が・・・」という言葉を聞くたびに、心の中で「支那の古代文明を一番よく保存しているのは日本だよ。」と呟いています。
>
> 以前にも、ちょっと書きましたが、日本語はとても原始的な特徴を残した言語です。なんといっても、発音の種類がとても少ない。他のアジアの言語のような声調もないし、外国人が習得に苦労するような難しい発音もない。世界中の言語の中でも、日本語の発音・音韻体系は、最も単純な部類だと言われています。
>
> そのため日本語では、単語を音声で区別するのが難しく、どうしても同音異義語が多くなってしまいます。日本語話者が抽象的な概念を母語で考える事ができるのも、日本では日本語だけで高等教育を行う事ができるのも、ひとえに漢字のおかげです。
>
> それでは日本語話者は、頭の中で同音異義語をどのように区別しているのか?上のコメントにも書いた中国文学者の高島俊男氏は、著書「漢字と日本人」の中で、次のように書いています。
> 「日本語は、話された言葉を一端、頭の中で漢字に読み替えて、意味を理解すると言う世界に類を見ない言語になってしまった。」「とにかく、その語を耳にした刹那、瞬間的に、その正しい一語の文字が脳中に出現して、相手の発言をあやまりなくとらえるのである。 」
>
> これは、とても興味深い指摘です。ヨーロッパで発達した言語学では「言語の本質は音声であり、文字は記録するための記号にすぎない。」と考えられており、この「言語の本質は音声」が、入門書の一番はじめに書いてあるのですが、日本語は、それには当てはまらない言語だということです。
>
> 日本人の多くが、外国語を苦手としているのは「日本語だけで生活の全てが事足りる」という事の他に「母語である日本語の発音・音韻体系が単純だから」というのもあると思います。耳で聞いて区別できる発音の種類が、日本語話者は少ないんです。



大変重要な話、有難う御座います。
この話は何とかまとめようと思っています。でも少々時間がかかりすぎ・・・。
今しばらくお待ちください。

それから中国では唐の時代が中国の一番輝いていた時代と認識されていますが、唐の文化は日本に残っていると言われています。
中国の文化人が京都に来て感激するのは、夢にまで見た唐の都長安が今ここにある、そういう事だそうです。
  1. 2018-03-14 22:39
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  3. 短足おじさん二世 #-
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「行」という漢字と「反切」について

「行」という漢字の、古代から現代までの、支那と周辺の漢字文化圏での読み方(発音)をまとめた表を掲載しているサイトがありました。「行」は、昔から1つの漢字にいろいろな意味と読み方があった漢字で、現在の標準中国語(北京語)でも読み方が2つあります。

行 - ウィクショナリー日本語版
https://ja.wiktionary.org/wiki/行

「反切」とは、アルファベットのような表音文字を思いつくことがなかった古代支那人が、漢字の読み方を記録するために考えた方法です。1つの漢字を「同じ語頭音を持つ漢字」と「語頭音以外が同じ音(発音と声調)の漢字」の2つを使って表します。

例えば「『行』という漢字の『胡孟切』」なら、「『行』という漢字の読み方を『胡』と『孟』を使って説明する」という意味で、具体的には次のようになります。

・語頭音は『胡(グ、ゴ、コ)』の語頭音と同じ『G』または『K』。
・語頭以外の音は『孟(ミャウ、マウ、バウ)』と同じ『ヤウ(Yau)』または『アウ(Au)』。
・よって『行』という漢字は『ギャウ(Gyau)』『カウ(Kau)』などと読む。

胡 - ウィクショナリー日本語版
https://ja.wiktionary.org/wiki/胡
孟 - ウィクショナリー日本語版
https://ja.wiktionary.org/wiki/孟

以上の事から、短足おじさん様の持っている「漢和大字典」には、次のように書いてあるということになります。

① 語頭音は『何』と同じ、それ以外の音は『庚』と同じで、『カウ』『ギャウ』と読む。
② 語頭音は『胡』と同じ、それ以外の音は『孟』と同じで、『カウ』『ギョウ』と読む。
③ 語頭音は『胡』と同じ、それ以外の音は『浪』と同じで、『カウ』『ギャウ』と読む。
④ 語頭音は『戸』と同じ、それ以外の音は『岡』と同じで、『カウ』と読む。
  語頭音は『下』と同じ、それ以外の音は『朗』と同じで、『カウ』と読む。

カナで書くと同じ音になるものが、異なる漢字で表されているということは、実際には異なる発音であったか、発音は同じでも声調が異なっていたということでしょう。

kazkさんが書いていた「漢字をのふりがなを歴史的仮名遣いで書くのはナンセンス」という話ですが、じつはこんな実例があります。20~30年前までは、「10分(十分)」「10本(十本)」という言葉の正しい読み方は、「じゅっぷん」「じゅっぽん」ではなくて、「じっぷん」「じっぽん」でした。そのため、最近までアナウンサーは「じっぷん」「じっぽん」と発音していました。
「10(十)」の読み方は「じゅう」なのに、なぜ「10分(十分)」「10本(十本)」は「じゅっぷん」「じゅっぽん」ではなくて「じっぷん」「じっぽん」だったのか?それは「十」という漢字の読み方が、元々は「ジプ(Jip)」だったからです。それが、日本語では歴史的に「ジプ → ジフ → ジュウ」というふうに変化してきました。なので、歴史的仮名遣いでは「十」を「じふ」と書きます。

どんな言語でも、発音は時代とともに変化していくので、表音文字を使っている言語では、常に「発音と表記のずれ」という問題が起こります。英語の「発音と表記のずれ」は酷いですよね。
歴史的仮名遣いは、私のような言語オタクには、とてもおもしろいのですが、日常生活で使うには不便なのも事実です。

「行」という漢字の話に戻ると、日本語では元々「カウ」「ギャウ」と発音していたものが、時代が下るにつれて「コー」「ギョー」という発音になったのでしょう。こういう発音の変化は、英語やフランス語でも見られます。
  1. 2018-03-14 23:42
  2. URL
  3. かんぱち #vF6NeGQU
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Re: 「行」という漢字と「反切」について

> 「行」という漢字の、古代から現代までの、支那と周辺の漢字文化圏での読み方(発音)をまとめた表を掲載しているサイトがありました。「行」は、昔から1つの漢字にいろいろな意味と読み方があった漢字で、現在の標準中国語(北京語)でも読み方が2つあります。
>
> 行 - ウィクショナリー日本語版
> https://ja.wiktionary.org/wiki/行
>
> 「反切」とは、アルファベットのような表音文字を思いつくことがなかった古代支那人が、漢字の読み方を記録するために考えた方法です。1つの漢字を「同じ語頭音を持つ漢字」と「語頭音以外が同じ音(発音と声調)の漢字」の2つを使って表します。
>
> 例えば「『行』という漢字の『胡孟切』」なら、「『行』という漢字の読み方を『胡』と『孟』を使って説明する」という意味で、具体的には次のようになります。
>
> ・語頭音は『胡(グ、ゴ、コ)』の語頭音と同じ『G』または『K』。
> ・語頭以外の音は『孟(ミャウ、マウ、バウ)』と同じ『ヤウ(Yau)』または『アウ(Au)』。
> ・よって『行』という漢字は『ギャウ(Gyau)』『カウ(Kau)』などと読む。
>
> 胡 - ウィクショナリー日本語版
> https://ja.wiktionary.org/wiki/胡
> 孟 - ウィクショナリー日本語版
> https://ja.wiktionary.org/wiki/孟
>
> 以上の事から、短足おじさん様の持っている「漢和大字典」には、次のように書いてあるということになります。
>
> ① 語頭音は『何』と同じ、それ以外の音は『庚』と同じで、『カウ』『ギャウ』と読む。
> ② 語頭音は『胡』と同じ、それ以外の音は『孟』と同じで、『カウ』『ギョウ』と読む。
> ③ 語頭音は『胡』と同じ、それ以外の音は『浪』と同じで、『カウ』『ギャウ』と読む。
> ④ 語頭音は『戸』と同じ、それ以外の音は『岡』と同じで、『カウ』と読む。
>   語頭音は『下』と同じ、それ以外の音は『朗』と同じで、『カウ』と読む。
>
> カナで書くと同じ音になるものが、異なる漢字で表されているということは、実際には異なる発音であったか、発音は同じでも声調が異なっていたということでしょう。
>
> kazkさんが書いていた「漢字をのふりがなを歴史的仮名遣いで書くのはナンセンス」という話ですが、じつはこんな実例があります。20~30年前までは、「10分(十分)」「10本(十本)」という言葉の正しい読み方は、「じゅっぷん」「じゅっぽん」ではなくて、「じっぷん」「じっぽん」でした。そのため、最近までアナウンサーは「じっぷん」「じっぽん」と発音していました。
> 「10(十)」の読み方は「じゅう」なのに、なぜ「10分(十分)」「10本(十本)」は「じゅっぷん」「じゅっぽん」ではなくて「じっぷん」「じっぽん」だったのか?それは「十」という漢字の読み方が、元々は「ジプ(Jip)」だったからです。それが、日本語では歴史的に「ジプ → ジフ → ジュウ」というふうに変化してきました。なので、歴史的仮名遣いでは「十」を「じふ」と書きます。
>
> どんな言語でも、発音は時代とともに変化していくので、表音文字を使っている言語では、常に「発音と表記のずれ」という問題が起こります。英語の「発音と表記のずれ」は酷いですよね。
> 歴史的仮名遣いは、私のような言語オタクには、とてもおもしろいのですが、日常生活で使うには不便なのも事実です。
>
> 「行」という漢字の話に戻ると、日本語では元々「カウ」「ギャウ」と発音していたものが、時代が下るにつれて「コー」「ギョー」という発音になったのでしょう。こういう発音の変化は、英語やフランス語でも見られます。



反切についての詳細な説明、有難う御座います。
この話は今纏めようとしている話題に取り込んで私の考えを書いてみたいと思います。
  1. 2018-03-16 13:55
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  3. 短足おじさん二世 #-
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一応答えを明かしましょう。

行徳は「ぎょうとく」が正解です。
半切とか何とか色々でていますが基本は「ぎょう」は古い呉音、「こう」は漢音、これが基本です。
漢和大辞典の記載は基本ですが、

呉音の行は基本全て仏教用語です。いみは「おこない」一つです。
勤行、修行、執行など

それに対して「かう」は漢音。そして多義的に使われます。
第一に いく、そこらから旅行、とか道筋とか、行列の行などが出てきます。こいつ厄介なのは漢音でもおこない、おこなうの意味があり「かう」とよみます。
実行、行動、遂行など

話がこれで終わればいいのですが「おこなう」の意味で「ぎょう」を使う場合が出てくる。行政だとか行状だとかの一般語になるわけです。更に嫌なのは漢音でも例外的に「ぎょう」と読むらしい。それの送り仮名が「ぎゃう」になるわけです。

ところが本来は行政は「かうせい」行状は「かうじゃう」だったのが呉音の「ぎょう」にひっぱられて「ぎょう」と発音するようになります。だから「ぎゃうせい」「ぎゃうじゃう」は間違いとは言えぬとなるわけです。(いわゆる慣用読み)

だから行というのを、「ぎゃう」と送るのが多くなります。

これだけでもう嫌ですがここまでを纏めると仏教用語「ぎょう」一般用語「ぎゃう」特別すればいい、とは一応なります。

では行徳はどうか。これ語源は江戸時代の山伏金海法印の号から来てると言います。
一種の仏教用語なんです。「徳を行う」ではなく「徳ある行い」ということらしい。
だから原則に戻って「ぎょうとく」が正解なんです。

こんなことなんの意味があるんでしょうか。
これは戦前から旧仮名遣いの問題点とされていたことなんですがこんな事本当に無意味なんです。

この話にはまだ続きがあり旧行徳村の住民はどう綴っていたか、「ぎゃうとく」が多数であったと言います。村の小学校ではキチンと教えたと言いますが(まあ答えだけですが)他地域出身の人間にお前は間違えてると言われた経験は皆もったそうです。普通の人には行が「ぎゃう」と読む。それ以外を叩き込むのは無理なんです。だから「ぎゃうとく」とかく人が増えたのです。

馬鹿な話ですよね。

小生は仮名遣いや送り仮名というものは区別の実益がある限りは残るし実益が無くなれば消滅させて良いと思ってます。新仮名遣いのは、へ、を、についてはこれが、格助詞であることの標識として今なお有効です。だからこれは残ってるし、子どもたちも区別して使えるわけです。大昔はハ行とワ行、ア行は厳密な発音分けがあったから仮名遣いの区別がありました。その発音の区別ができない以上これを残すのは意味がないことになります。

意味のない事をやらせるなというのが小生の発想なんです。

旧漢字についてはどうか、これは漢字の出来方の意味を考えねばいけません。それを知るには旧漢字のほうが圧倒的に有効です。だからこれを教える必要があるのです。

上に出てくる高島俊男氏は小生も尊敬する御仁ですが、氏の訓読みについての議論だけは反対です。

氏は一種の訓読み反対論者です。たとえば「かく」というのはそもそもが粘土板あたりにひっかくということから始まったのだと言います。だから「かく」書く、描く、欠く、搔く、などを区別するなと言います。これは語源的にはそうなのですがこれを区別することは実益性が大きいのです。だから区別すべきであると思ってます。

小生は友人の間では日頃の言動から完全な復古論者と思われているので、進化な論者だというと意外な顔をされることが多いのです。

ふざけるな!小生は進歩論者です。区別の実益がある物をなくすなと言ってるだけのことです。



  1. 2018-03-17 18:37
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  3. kazk #cPv2SIBE
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To:kazk さん

> 一応答えを明かしましょう。
>
> 行徳は「ぎょうとく」が正解です。
> 半切とか何とか色々でていますが基本は「ぎょう」は古い呉音、「こう」は漢音、これが基本です。
> 漢和大辞典の記載は基本ですが、
>
> 呉音の行は基本全て仏教用語です。いみは「おこない」一つです。
> 勤行、修行、執行など
>
> それに対して「かう」は漢音。そして多義的に使われます。
> 第一に いく、そこらから旅行、とか道筋とか、行列の行などが出てきます。こいつ厄介なのは漢音でもおこない、おこなうの意味があり「かう」とよみます。
> 実行、行動、遂行など
>
> 話がこれで終わればいいのですが「おこなう」の意味で「ぎょう」を使う場合が出てくる。行政だとか行状だとかの一般語になるわけです。更に嫌なのは漢音でも例外的に「ぎょう」と読むらしい。それの送り仮名が「ぎゃう」になるわけです。
>
> ところが本来は行政は「かうせい」行状は「かうじゃう」だったのが呉音の「ぎょう」にひっぱられて「ぎょう」と発音するようになります。だから「ぎゃうせい」「ぎゃうじゃう」は間違いとは言えぬとなるわけです。(いわゆる慣用読み)
>
> だから行というのを、「ぎゃう」と送るのが多くなります。
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> これだけでもう嫌ですがここまでを纏めると仏教用語「ぎょう」一般用語「ぎゃう」特別すればいい、とは一応なります。
>
> では行徳はどうか。これ語源は江戸時代の山伏金海法印の号から来てると言います。
> 一種の仏教用語なんです。「徳を行う」ではなく「徳ある行い」ということらしい。
> だから原則に戻って「ぎょうとく」が正解なんです。
>
> こんなことなんの意味があるんでしょうか。
> これは戦前から旧仮名遣いの問題点とされていたことなんですがこんな事本当に無意味なんです。
>
> この話にはまだ続きがあり旧行徳村の住民はどう綴っていたか、「ぎゃうとく」が多数であったと言います。村の小学校ではキチンと教えたと言いますが(まあ答えだけですが)他地域出身の人間にお前は間違えてると言われた経験は皆もったそうです。普通の人には行が「ぎゃう」と読む。それ以外を叩き込むのは無理なんです。だから「ぎゃうとく」とかく人が増えたのです。
>
> 馬鹿な話ですよね。
>
> 小生は仮名遣いや送り仮名というものは区別の実益がある限りは残るし実益が無くなれば消滅させて良いと思ってます。新仮名遣いのは、へ、を、についてはこれが、格助詞であることの標識として今なお有効です。だからこれは残ってるし、子どもたちも区別して使えるわけです。大昔はハ行とワ行、ア行は厳密な発音分けがあったから仮名遣いの区別がありました。その発音の区別ができない以上これを残すのは意味がないことになります。
>
> 意味のない事をやらせるなというのが小生の発想なんです。
>
> 旧漢字についてはどうか、これは漢字の出来方の意味を考えねばいけません。それを知るには旧漢字のほうが圧倒的に有効です。だからこれを教える必要があるのです。
>
> 上に出てくる高島俊男氏は小生も尊敬する御仁ですが、氏の訓読みについての議論だけは反対です。
>
> 氏は一種の訓読み反対論者です。たとえば「かく」というのはそもそもが粘土板あたりにひっかくということから始まったのだと言います。だから「かく」書く、描く、欠く、搔く、などを区別するなと言います。これは語源的にはそうなのですがこれを区別することは実益性が大きいのです。だから区別すべきであると思ってます。
>
> 小生は友人の間では日頃の言動から完全な復古論者と思われているので、進化な論者だというと意外な顔をされることが多いのです。
>
> ふざけるな!小生は進歩論者です。区別の実益がある物をなくすなと言ってるだけのことです。




興味深い話、有難う御座います。
確かに「行」の字は難しいですね。
所で旧仮名遣いですが私も旧漢字は復活せねばと思いますが、旧仮名遣いは復活すべきでないと思います。
例えば蝶々を「てふてふ」と書いて「ちょうちょ」と読ませる。これは無理だと思います。

この件は別エントリーでもう少し考えてエントリーしたいと思っています。
  1. 2018-03-18 14:24
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