2017-10-04 16:57

読解力を考える<続編

 読解力について色々書いてきたのだが、9月24日の【読売新聞の「読解力不足記事」】にkazkさんからいただいたコメントにこんな記事があった。
「AI研究者が問う ロボットは文章を読めない では子どもたちは「読めて」いるのか?」

結構面白い記事なのだが、これもコメント欄でかんぱちさんが指摘しているように記事の著者はこんな奴。
湯浅誠  | 社会活動家・法政大学教授

この湯浅誠なる左巻は自身のHPを見ると、京大原子力Gの小出裕章と繋がっているらしい。小出裕章は原子力の研究者ながら反原発論者である。そして京大原子力と言えば、北朝鮮の核兵器開発に協力した奴がいることで知られている。
「 国立大学研究者が北朝鮮核開発に協力」  西岡力 / 2016.04.04 (月)
https://jinf.jp/weekly/archives/18303

要するに小出ナンタラもそんな仲間なのだと思う。そんな奴と付き合っているのが湯浅誠、なるほど類は友を呼ぶか・・。それで肩書が活動家になるわけだ。
この湯浅誠のFBを見ると、新井紀子教授と知り合ったのは一昨年、2015年7月にこの問題でインタビューをした時が最初と書いてある。左巻きの湯浅誠は新井教授の研究に貧困が読解力低下と結びつくとの日本貶めの匂いを嗅ぎつけたらしい。
(注:貧困と子供の成績に一定の関係があるのは昔から教育者の間では広く知られていること。と同時にトンビが鷹を生む、こんなことも有るので先入観は禁物、これも同様である)


何はともあれ、この研究は大変面白い。特に前回も書いたのだが、記事をじっくり読んでみると、私が海外で特に苦労してきたことが色々指摘されている。
そして、日本語に関する話ではあるが、こんな事を人前で話す必要がある人、海外で外国人と仕事をする人、こんな立場の人には自分の話す言葉、書き言葉を見直すいい教材だと思う。そんな見方でこの研究記事を読んでみた。

この関係の記事で読んでみたのは以下3本。

① 「AI研究者が問う ロボットは文章を読めない では子どもたちは「読めて」いるのか?」
URLは上掲

② 「「東ロボくん」が偏差値57で東大受験を諦めた理由」
http://diamond.jp/articles/-/108460

③ 「リーディングスキルテストで測る読解力とは」
http://www.nii.ac.jp/userimg/press_20160726-1.pdf

<以下③より抜粋引用>
・・・前略・・・
文章(テキスト)と図表から成る初見のドキュメントを、人がどのように読解するかについては、いまだ解明されていない部分が多く残されていますが、少なくとも次のようなプロセスが含まれると考えられています。
1. 文節に正しく区切る。(例:私は学校に行く。→私は/学校に/行く。)
2. 係り受けの構造を正しく認識する。(例:美しい水車小屋の乙女。→美しいのは「乙女」である)
3. 述語項構造や接続詞を正しく解析する。(「誰が」「何を」「どうした」のような構造を正しく認識する)
4. 照応関係を正しく認識する。(例:私はハンカチを落とした。それを彼は拾った。→「それ」は「ハンカチ」である)
5. 日常生活での経験や伝聞から得られる常識と、小学校における学び等から得た知識と、簡単な論理推論によって、未知の用語の意味を実世界に関する知識の中に位置づける。(語レベルのマッピング)
6. 日常生活での経験や伝聞から得られる常識と、小学校における学び等から得た知識と、簡単な論理推論によって、未知の関係や概念の意味を実世界に関する知識の中に位置づける。(文構造レベルのマッピング)
7. 既存の知識と新たに得られた知識に対して、論理推論を働かすことにより、実世界に関するさらなる知識を獲得する。
8. 得られた多くの情報間の重要度を適切に付与する。特に、与えられた観点において、また問題解決の上で必要な情報を適切に取捨選択する。
9. 同様のことを、図やグラフ等、ほかの論理的表象手段についても実行できる。
10. テキストと図やグラフで表していることの同一性を実世界の意味を介してチェックすることができる。
11. 以上の各処理において誤りがないかをメタな視点からモニタリングして修正する。

1~4 は、一般には、記号列としてのテキストを処理するプロセスと考えられています。ただし、実世
界に関する知識が何もないと、1~4 についても、正しく処理できるとは限らないことが近年の自然言語処理等の研究から明らかになりつつあります(例:「私は岡田と広島に行った」と「私は岡山と広島に行った」では、述語項構造が異なるが、それを正しく認識するには、岡山と広島が隣接する県であることや、岡田というのは〈岡山より比較的多い〉苗字のひとつだという知識が必要)。リーディングスキルテストは、日常生活での経験や伝聞、小学校における学びから得られると考えられる範囲の知識および常識を前提とした上で、作問されています。

<引用終り>


ここで「1. 文節に正しく区切る。(例:私は学校に行く。→私は/学校に/行く。)」を見てみたい。
簡単なことのようだが、外国語にはこんな事も苦手な言葉が沢山ある。
例えば「タイ語」では文字は表音文字だけ、書くときは分かち書きもしていないので、タイ語の本はこんな風。

2017-2-11おしん本文の一部
この本はタイのテレビでこの頃放映されていた「おしん」の話の本
2017-2-11おしん表紙

こんな本をタイ人に読ませると、こんな風にして読む。指でなぞり読みだ。

2017-2-11指でなぞって読む所の写真縮小

上掲例文の「私は学校に行く」は「私は/学校に/行く」と文節を切って理解することもできる。
しかし「私〇学校〇行〇」と読んでもほぼ理解できる。
実は日本語の漢字かな交じり文は外国人には極めて理解しにくい所だが、話す・聞くは比較的簡単らしい。また読み書きは中国人・台湾人には漢字の拾い読みで相当意味が分かるようだ。

詳細は以下参照ください
「読解力について考えること」
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1353.html


次に「2. 係り受けの構造を正しく認識する。(例:美しい水車小屋の乙女。→美しいのは「乙女」である)

詩としては「美しい水車小屋の乙女」で良いのだろうが、「水車小屋の美しい乙女」のほうが誤解されない。上掲のタイ語の例のように、左から右へ順に読むだけの言語では複雑な「係り・受け」を理解するには相当の訓練がいる。
(日本人の話す日本語が、日本語の読み書きできるタイ人通訳に理解されにくい理由の一つ)

尚、この言葉は原語を見ると、こんな誤解の起きる要素はない。
ドイツ語でこの言葉は「Die schöne Müllerin」ですが、「Müllerin」はMüller(粉屋:現代風に言えば製粉業、動力が水車なので水車小屋が仕事場)に女性接尾語-inをつけたもの。だから製粉所の娘さんといった意味(ロマンチックではないですね)

・・・ちょっと休憩・・・
美しき水車小屋の娘(Die schöne Müllerin)

私の大好きな歌曲の一つです。いいですねえ、フィッシャー・ディスカウ。


さてもう一つ、こんな事例。
私は岡田と広島に行った」と「私は岡山と広島に行った」では、述語項構造が異なるが、それを正しく認識するには、岡山と広島が隣接する県であることや、岡田というのは〈岡山より比較的多い〉苗字のひとつだという知識が必要。

この事例を見た時、私はタイでいろいろやっていた事を一つづつ思い出していた。岡山県と広島県が隣同士で、新幹線が繋がっているという事を知らないとすると、この説明は極めて難しい。
私が今の若い人は本を読まないなあ、そう痛感したのはこんな場面だった。

こんなものをじっくり読んでみて、結局考えたのは読解力にしてもプレゼン力にしても、基本的な人間力だという全く当たり前の結論。がしかし、これが言うは易く、行うは・・・。私なんざぁ、いまだ鳥羽口をうろうろ。日暮れてなお道遠し・・・ですね。
  1. 社会一般
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コメント

 小生がこの文章を見て、この御仁が国語の素人であろうと考えたのはこのプロセスとやらの順番と内容にあります。

まず一番最初の文節わけ、これは学校でもやるのですが内容が本末転倒しほとんど意味がない物になっってます。ただこの文節わけをやる理由は明白です。これで国語を英文法と比較できる平面に持ち込むことなんです。まあこれは従来の国文法でも同じなんですが…(ただ本当はそううまくいかないんですがね)

2番めにに係り受けが先にくる、こんな事ありません。3番目に述語項構造と言ってますが要は主語述語の対応関係です(この主語という言葉も本来は大問題なんですがここでは触れません)。こちらが先に来なければ国語は本来わからないはずなんです。実は大方の子供がこれが分かりません。これを理解できるのはどんな場合でも主語述語が存在する英文法をやり、その反射で理解できる奴らが居るから破綻しないだけです。

実はこんな文章の主語述語関係が理解できません。

  私だって今日は魚が食べたい。

この文章に主義述語を述べろと言ってまともに出来る小6がいたら貴重です。よほどまともな文法教育を受けているという証拠だからです。実はこれは小4でやったことになってます。その応用なんですがこれが壊滅的に駄目です。首都圏で最も能力があるという小6の5月にこれをやらせてみたことがありますが全く駄目でしたね。だって教えられてないんだもん出来る訳有りません。こいつらの半分くらいは翌年御三家中とやらに入りました。そんなものです、文法の力なんて。

主語述語と言えばもう一ついやな話をします。

  象は鼻が長い。

この文章の主語述語関係をきちんと理解できるまともな学者はどれだけ居るでしょう。これは国文法というものの暗黒面です。学者が理解できてません。

そして、これが出来て初めて係り受けなんです。それも本来は文節単位ではなくもっと大まかな句読点ごとの絡まりで考える必要があります。ここで文章構造を明らかにしなければなりません。単文重文複文というようなものなんですが、これも一応やることになってるのですがこれが文章理解の一つの手段だと気が付いてるガキはほとんどいません。ただ文法の問題だと思ってるだけです。

これがきちんとわからぬからこの間のオーストラリアに広がってる宗教は、という問題で壊滅的になるのです。この手の問題がわかるようになるのはやはり受験英文法や暗号読解のような英文解釈のおかげなんです。

そしてこの理解の中で最大の問題は漢字や言葉の理解が含まれていないことです。

この間あったアレクサンドラの愛称とかの問題は、文法構造を持って解くのではない、愛称という言葉の意味から行くのが本筋です。つまり愛称という言葉の意味がわからないことが問題なんです。トフルなんてこれが主体でしょう。

この手の問題は国語はどう克服するか、これは単純明快に漢字の書き取りなんです。これをやらすことで無意識のうちに言葉の内容を叩き込んでいくんです。ところがこれを重視する人というのは驚くほど少ない。実は国語教育なんてこれが半分以上だと思ってるくらいなんですがね。尊敬する藤原正彦先生と同意見です。

そこから先はほとんどどうでもよろしい内容です。

最後の問題点は読解力は単文を理解できるだけではないという事実を忘れてます。

本来は5000字以上の文章を読ませて300字以内でまとめろというような問題、これが国語の究極なんです。これを教えるのはえらく大変です。出来る教師も時間も能力もないというのが実態でしょう。

ところが世の中には利口なやつがいます。東大の英語では今はどうか知りませんが、英語の長文を読ませて日本語で要約させるという問題がありました。これは実は8割がた国語の問題です。

そして嫌な言い方ですが英語や国語の能力を判定してるのではない、こういう教育がほとんどされてない状況では利口かバカかを判定してるのだ、ということに気がつく人は例外なんでしょう。

小生はっきり言います。世の中の国語教育の6割以上、そしておそらく教師の8割は不要だと思ってます。

こんなことはおそらく明治の日本人たちには説明が一切不要だったのだろうと思います。6歳位から論語や孟子と言った漢籍を頭に叩き込むという理不尽をやっていたということがとんでもない読解力を身に着けさせていたんです。おそらくこういう構造は教育学者とやらは見たくもない構造なんだと思ってます。

AIがどうたら言うならば、このあたりの構造まできちんと解析できるシステムを組み立ててみろというのは皮肉でも何でも無いでしょう。



  1. 2017-10-04 22:46
  2. URL
  3. kazk #cPv2SIBE
  4. 編集

それはリテラシーです

短足さんのブログを読んで、最近どうしてリテラシー(literacy)という単語が、色々な場面で使われてきているのかが分かったような気がします。
当初、リテラシーという言葉は、一体何を言っているのかまったく解りませんでした。ネットで調べても、さっぱり解りません。このリテラシーという言葉を使っている連中は、本当にこの言葉の意味を知っているのだろうかとさえ思いました。
そんな時、日下公人先生の著書を読んでいて、「リテラシー」とは「下地」という意味だよとさらりと言ってのけてました。
まさに目から鱗で、謎が氷解しました。
この言葉は、大変便利な言葉で、この単語を使えば、短い言葉で表現できにくい概念を表現できます。
日本語を理解するためには、「日本語リテラシー」が要ります。自分のコメントを理解して貰うには、大変に神経を使う場合があります。すなわち、読み手に理解できなければ、下手なコメントになってしまいます。
ところが、教科書を理解するための読解力となると、読解できない方が悪いとなってしまいます。つまり教科書の場合は、リテラシーのない方が悪いと決め付けられますが、ブログへの投稿の場合は、リテラシーを考慮しない方が悪いとなります。
リテラシーという言葉が、盛んに使われるようになるということは、日本人の海外進出はすでに本格化しているということなのだろうと思います。
  1. 2017-10-05 12:37
  2. URL
  3. 縄文人 #wM6nolEE
  4. 編集

外国語は難しい

タイにいた頃のはなし、外国人相手の店の店員は一応英語を話します。それがタイ語・中国語の単語を英単語で置き換えただけもの。「~はありますか? Do you have~?」の答えは、あれば Have、なければ No have」、「Have, No have?」は中国語の「有没有~?」ですから、十分意味が通じるので英語がどんどん下手になる。タイ語も中国語も時制がないので、「明日チェンマイに行きます」が「I go Chiang Mai tomorrow」。タイでもマレーシアに近いハジャイでは「OK ラー?」とシングリッシュ。高等教育が英語のフィリピンとは一般レベルの英語力が段違いに低い。夜のおねえさんの英語も同様、ショートタイムに対して、泊まりはタイではロングタイム、フィリピンではオーバーナイト。それでもフィリピンのように英語が話せても海外への出稼ぎくらいしか仕事がないよりよほどまともだと思いました。

日本語でも関西弁は「てにをは」に代表される助詞の省略が多く中国人や多くのアジア系の人にとって日常会話レベルでは学びやすいときいたことがあります。
 日本語では省略することが当たり前の人称代名詞、英語では一々補わないと意味が通じない。本当に厄介です。テレビ番組でみたポーランドの大学の日本語学科の学生たち、日本語会話では人称代名詞がまったく出てこない自然な日本語(明日はどこに行きますか? 買い物に行きます etc)には驚きました。
 川端康成の「雪国」でもトンネルを抜けるシーンは日本人なら汽車の中の自分が視点の中心なのに、英訳されるとトンネルを抜け出てくる汽車を見下ろす視点になってしまうのだとか。日本語の文法はまだまだ確立されていないようです。





  1. 2017-10-05 19:40
  2. URL
  3. gai-yaang #-
  4. 編集

To:kazk さん

>  小生がこの文章を見て、この御仁が国語の素人であろうと考えたのはこのプロセスとやらの順番と内容にあります。
>
> まず一番最初の文節わけ、これは学校でもやるのですが内容が本末転倒しほとんど意味がない物になっってます。ただこの文節わけをやる理由は明白です。これで国語を英文法と比較できる平面に持ち込むことなんです。まあこれは従来の国文法でも同じなんですが…(ただ本当はそううまくいかないんですがね)
>
> 2番めにに係り受けが先にくる、こんな事ありません。3番目に述語項構造と言ってますが要は主語述語の対応関係です(この主語という言葉も本来は大問題なんですがここでは触れません)。こちらが先に来なければ国語は本来わからないはずなんです。実は大方の子供がこれが分かりません。これを理解できるのはどんな場合でも主語述語が存在する英文法をやり、その反射で理解できる奴らが居るから破綻しないだけです。
>
> 実はこんな文章の主語述語関係が理解できません。
>
>   私だって今日は魚が食べたい。
>
> この文章に主義述語を述べろと言ってまともに出来る小6がいたら貴重です。よほどまともな文法教育を受けているという証拠だからです。実はこれは小4でやったことになってます。その応用なんですがこれが壊滅的に駄目です。首都圏で最も能力があるという小6の5月にこれをやらせてみたことがありますが全く駄目でしたね。だって教えられてないんだもん出来る訳有りません。こいつらの半分くらいは翌年御三家中とやらに入りました。そんなものです、文法の力なんて。
>
> 主語述語と言えばもう一ついやな話をします。
>
>   象は鼻が長い。
>
> この文章の主語述語関係をきちんと理解できるまともな学者はどれだけ居るでしょう。これは国文法というものの暗黒面です。学者が理解できてません。
>
> そして、これが出来て初めて係り受けなんです。それも本来は文節単位ではなくもっと大まかな句読点ごとの絡まりで考える必要があります。ここで文章構造を明らかにしなければなりません。単文重文複文というようなものなんですが、これも一応やることになってるのですがこれが文章理解の一つの手段だと気が付いてるガキはほとんどいません。ただ文法の問題だと思ってるだけです。
>
> これがきちんとわからぬからこの間のオーストラリアに広がってる宗教は、という問題で壊滅的になるのです。この手の問題がわかるようになるのはやはり受験英文法や暗号読解のような英文解釈のおかげなんです。
>
> そしてこの理解の中で最大の問題は漢字や言葉の理解が含まれていないことです。
>
> この間あったアレクサンドラの愛称とかの問題は、文法構造を持って解くのではない、愛称という言葉の意味から行くのが本筋です。つまり愛称という言葉の意味がわからないことが問題なんです。トフルなんてこれが主体でしょう。
>
> この手の問題は国語はどう克服するか、これは単純明快に漢字の書き取りなんです。これをやらすことで無意識のうちに言葉の内容を叩き込んでいくんです。ところがこれを重視する人というのは驚くほど少ない。実は国語教育なんてこれが半分以上だと思ってるくらいなんですがね。尊敬する藤原正彦先生と同意見です。
>
> そこから先はほとんどどうでもよろしい内容です。
>
> 最後の問題点は読解力は単文を理解できるだけではないという事実を忘れてます。
>
> 本来は5000字以上の文章を読ませて300字以内でまとめろというような問題、これが国語の究極なんです。これを教えるのはえらく大変です。出来る教師も時間も能力もないというのが実態でしょう。
>
> ところが世の中には利口なやつがいます。東大の英語では今はどうか知りませんが、英語の長文を読ませて日本語で要約させるという問題がありました。これは実は8割がた国語の問題です。
>
> そして嫌な言い方ですが英語や国語の能力を判定してるのではない、こういう教育がほとんどされてない状況では利口かバカかを判定してるのだ、ということに気がつく人は例外なんでしょう。
>
> 小生はっきり言います。世の中の国語教育の6割以上、そしておそらく教師の8割は不要だと思ってます。
>
> こんなことはおそらく明治の日本人たちには説明が一切不要だったのだろうと思います。6歳位から論語や孟子と言った漢籍を頭に叩き込むという理不尽をやっていたということがとんでもない読解力を身に着けさせていたんです。おそらくこういう構造は教育学者とやらは見たくもない構造なんだと思ってます。
>
> AIがどうたら言うならば、このあたりの構造まできちんと解析できるシステムを組み立ててみろというのは皮肉でも何でも無いでしょう。



色々面白い話、有難う御座います。
実はこのコメントを読んで、私が長年苦労してきたことを纏めるチャンスだなあと思っています。
特に海外で仕事をしていると、言葉とはその国の文化、いや文明そのものという事が良く分かります。私は日本人の話す日本語を外国人に説明せねばいけないことが何度もあり、つくづく通訳の難しさを感じています。
そしてこの問題は国語論ではありません。日本文明論なのです。

例えば
>   私だって今日は魚が食べたい。
これを正確に説明しようとすると大変です。難物が「私だって」と「今日は」ですね。
日本語は和歌の発達とともに発達した面があり、そんな事がこんな言葉に出ています。そんな所まで外国人に理解させるのは不可能でしょう。
東ロボクンが和歌は手も足も出ないそうですが、確かにそうなのでしょう。

この話は長くなりすぎるので、別エントリーにしたいと思います。このコメントも引用させていただきますので宜しくお願いします。
  1. 2017-10-06 07:59
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

Re: それはリテラシーです

> 短足さんのブログを読んで、最近どうしてリテラシー(literacy)という単語が、色々な場面で使われてきているのかが分かったような気がします。
> 当初、リテラシーという言葉は、一体何を言っているのかまったく解りませんでした。ネットで調べても、さっぱり解りません。このリテラシーという言葉を使っている連中は、本当にこの言葉の意味を知っているのだろうかとさえ思いました。
> そんな時、日下公人先生の著書を読んでいて、「リテラシー」とは「下地」という意味だよとさらりと言ってのけてました。
> まさに目から鱗で、謎が氷解しました。
> この言葉は、大変便利な言葉で、この単語を使えば、短い言葉で表現できにくい概念を表現できます。
> 日本語を理解するためには、「日本語リテラシー」が要ります。自分のコメントを理解して貰うには、大変に神経を使う場合があります。すなわち、読み手に理解できなければ、下手なコメントになってしまいます。
> ところが、教科書を理解するための読解力となると、読解できない方が悪いとなってしまいます。つまり教科書の場合は、リテラシーのない方が悪いと決め付けられますが、ブログへの投稿の場合は、リテラシーを考慮しない方が悪いとなります。
> リテラシーという言葉が、盛んに使われるようになるということは、日本人の海外進出はすでに本格化しているということなのだろうと思います。



なる程、【「リテラシー」とは「下地」】ですか、いやあ私も目から鱗が落ちました(笑)。確かにそのとおりでしょうね。
そしてテレビに出てくる「歌うたい」や腐臭いっぱいの「電波芸者」(例えば鳥肥俊太郎等)、にはこの下地が無いのでしょう。
良い話を聞いたので、どこかで使いたくなりますね。
  1. 2017-10-06 08:18
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

Re: 外国語は難しい

> タイにいた頃のはなし、外国人相手の店の店員は一応英語を話します。それがタイ語・中国語の単語を英単語で置き換えただけもの。「~はありますか? Do you have~?」の答えは、あれば Have、なければ No have」、「Have, No have?」は中国語の「有没有~?」ですから、十分意味が通じるので英語がどんどん下手になる。タイ語も中国語も時制がないので、「明日チェンマイに行きます」が「I go Chiang Mai tomorrow」。タイでもマレーシアに近いハジャイでは「OK ラー?」とシングリッシュ。高等教育が英語のフィリピンとは一般レベルの英語力が段違いに低い。夜のおねえさんの英語も同様、ショートタイムに対して、泊まりはタイではロングタイム、フィリピンではオーバーナイト。それでもフィリピンのように英語が話せても海外への出稼ぎくらいしか仕事がないよりよほどまともだと思いました。
>
> 日本語でも関西弁は「てにをは」に代表される助詞の省略が多く中国人や多くのアジア系の人にとって日常会話レベルでは学びやすいときいたことがあります。
>  日本語では省略することが当たり前の人称代名詞、英語では一々補わないと意味が通じない。本当に厄介です。テレビ番組でみたポーランドの大学の日本語学科の学生たち、日本語会話では人称代名詞がまったく出てこない自然な日本語(明日はどこに行きますか? 買い物に行きます etc)には驚きました。
>  川端康成の「雪国」でもトンネルを抜けるシーンは日本人なら汽車の中の自分が視点の中心なのに、英訳されるとトンネルを抜け出てくる汽車を見下ろす視点になってしまうのだとか。日本語の文法はまだまだ確立されていないようです。




面白い話ですね。タイ人が話す英語はキチンと高等教育で英語を学んだ人はまともですが、独学で学ぶと文法はタイ語で単語だけ英語、そんなものになるのでしょう。面白い体験をされたと思います。
但しそんな言葉を覚えた人たちは実は仕事では使いにくかったですね。中国語やタイ語では現代の難しい技術や管理の話がしにくい。誰かが言っていましたが、韓国人で日本語と朝鮮語の話せる人は難しい話になると日本語で考える、こんな事を言っていました。それと同じことがタイでも経験しましたので、同じことだと思います。
  1. 2017-10-06 09:11
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

今年のノーベル文学賞は、日系イギリス人のカズオ・イシグロ氏が受賞しましたね。イギリスBBCのインタビューに答えている動画がありました。

イシグロ氏、ノーベル文学賞「間違いかと思った」 - BBCニュース(動画)
http://www.bbc.com/japanese/video-41521060
>英国で教育を受け、英国を愛しているが、日本人の視点で世の中を見ていた。

「まさか自分が受賞できるとは思っていなかった」と、謙遜しながら控えめに答えるところは、日本人の感性ですね。見ていて嬉しくなりました。

ところで、私も中国でgai-yaangさんと全く同じ体験をしたことがあります。みやげ物屋の店員が、呼び込みで「Have」を連呼していたんですね。すぐに「中国語の『有』を、機械的に英語の『Have』に置き換えたんだな。」と気が付きましたが。

私は国語の教員免許と日本語教師の資格を持っているんですが、「国語文法」と「日本語文法」では、考え方が違います。「日本語文法」では、日本語が母語ではない人の視点から文法を考えます。
日本人が「日本語文法」について考えるようになったのは、バブル景気で国内に外国人が急増した1980年代からでしょう。それ以前は「どうせ日本語を使うのは日本人だけだから」「日本人なら説明しなくても分かるはず」という感じで、日本語のテキストや教材もありませんでした。

また、欧米の言語の文法を基にして日本語を考えていたので、説明のつかない日本語表現がたくさんありました。kazkさんが例に挙げた2つの文は「主語と述語の対応」を考えるのに最適ですね。これらについて、次のコメントで述べていきたいと思います。
  1. 2017-10-06 21:18
  2. URL
  3. かんぱち #vF6NeGQU
  4. 編集

国語文法と日本語文法

和食レストランで「僕はうなぎだ。」と言えば、うなぎを注文するつもりなんだと分かりますが、それはなぜなのか考察した有名な本があります。

「ボクハウナギダ」の文法―ダとノ 単行本 – 1978/3/15 奥津 敬一郎 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4874240852/

「ボクハウナギダ」の文法: ダとノ - 奥津敬一郎 - Google ブックス
https://books.google.co.jp/books?id=ZyEqAQAAIAAJ

しかし、この本が書かれた頃は、まだ日本語文法の研究が全然進んでいなくて、この本の内容も間違いだらけです。「主語と述語が対応していないのは、なにかが省略されているからだろう。」と考えて、考察を進めていくんですが、それが間違いなんですね。

【1】主語(Subject)と主題(Topic)の違い 「私だって今日は魚が食べたい。」

学校で習う「国語文法」では、「『~は』『~が』は主語」と習うので、「今日は」「魚が」主語と考えてしまいがちですが、違います。「食べたい」と思っているのは誰か?「私」ですね。この文の主語は「私」です。
英語文では、主語になれるのは述語動詞の動作主だけなので、こういうややこしい事は起きません。
「Today, I want to eat fish too. 」となります。

この日本語文がややこしいのは、格助詞「は」「が」の使い方のせいです。以下で説明します。

・格助詞「が」について

「私だって今日は魚が食べたい。」という 文の中で、「魚が」は、述語動詞「食べたい」の目的語ですね。日本語では、目的語は「~を」で表すのが普通ですが、「欲しい」「~たい」という述語動詞のときは、目的語には「~を」ではなくて「~が」を使います。

(例)時計が欲しい ←「時計」は目的語。主語は省略されているが「私」。
            英語なら「I want a clock.」

しかし、最近は「魚が食べたい」ではなくて「魚を食べたい」のように、この文法規則を守らない文も多いですね。わかりやすさを考えれば、それでもよいと思います。

・格助詞「は」について

「私だって今日は魚が食べたい」という文の中で、「今日は」が表しているのは「主語(Subject)」ではなくて、この文の「主題(Topic)」です。「主題(Topic)」とは、その文の中で、話し手が特に強調したい事柄です。この文では「いつもはそうでもないが、今日だけは魚が食べたい。」という話し手の「気持ち」を表しています。
普通、文の中で「~は」の部分は、その文の「主題(Topic)」を表し、「主語(Subject)」を表すとは限りません。以下のような文を比較すれば分かりやすいでしょう。

私、昨日、自転車で学校へ行かなかった。

私は昨日、自転車で学校へ行かなかった。 ←ほかの人は自転車で学校へ行った

私、昨日は自転車で学校へ行かなかった。 ←いつもは自転車で学校へ行っている

私、昨日、自転車では学校へ行かなかった。←自転車以外の手段で学校へ行った

私、昨日、自転車で学校へは行かなかった。←学校以外の場所へ行った

冒頭の「僕は鰻だ」の話に戻ると、この文で主語と述語が対応していないのは、主語と述語の間に何かが省略されているからではなくて、「僕は」の部分は、単にこの文の「主題(Topic)」を提示しているだけだからです。

「うなぎ文」「こんにゃく文」に見る日本語の特異な面白さ - NAVERまとめ
https://matome.naver.jp/odai/2144975037956141501

有名な「枕草子」の出だし「春はあけぼの。」もそうですね。「春はあけぼの(が良い)。」「春はあけぼの(が好きだ)。」のように、補って読むのは読み手の自由ですが、この文自体が省略文というわけではありません。現代なら「冬は温泉だよね~。」みたいな感じでしょう。

【2】二重主語文 「象は鼻が長い。」

国語文法では「~は」の部分があれば、それが主語だと考えるので、この文では「象は長い」が主語と述語という事になりますが、それでは意味が通じません。そこで国語文法では「『象は鼻が』で主部となって、『長い』という述部に対応している。」または「『鼻が長い』で述部となって、『象は』という主部に対応している。」という説明をします。主語と述語が対応しないための苦しい説明ですね。

英語では、主語は必ず述語動詞と対応しなければならないので、二重主語文というものはありません。上の日本語文を英訳すると以下のようになります。

Elephants have long trunks.(象たちは長い鼻を持っている)←「象」を主語にした場合

Trunks of the elephants are long.(象たちの鼻は長い)← 「鼻」を主語にした場合

The elephant, its trunk is long.(象、その鼻は長い)←「鼻」を主語にして「象」を強調した場合

受験英語の英作文・和文英訳の問題が難しいのは、英文法が難しいからではなくて、受験生が日本語文法について分かっていないからです。
  1. 2017-10-06 21:23
  2. URL
  3. かんぱち #vF6NeGQU
  4. 編集

toかんぱちさん

凄いですねえ。国語教師と日本語教師の資格がある、塾の教師12年やっただけの小生とは違うなあ。
もうほとんど解かれてますねえ。

この問題、実はもう1960年代に三上章が解き切っています。

日本語は述語のみ、主語なんざ存在しないということです。我々が主語と言ってならうものは欧米語で言うところの補語であり、主格補語というべきものがあるにすぎないのです。そしてこの場合の私はの「は」は主題と言われましたがまさにそれで小生は主題提示の「は」と呼んでいます。小生は別の学者でも何でもありませんの完全に自分用の用語です。

こいつは日本語ではとんでもないスーパーな力を持つのです。係り受けの勉強とかなんとか嫌になるくらいの力です。
一例を上げましょう。

吾輩は 猫である。
    名前はまだ無い。
    どこで生れたかとんと見当がつかぬ。
    何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。

吾輩は、という語句は文を超え、有るときは主題提示ある時は主格補語に化けるという活躍です。この文章で「吾輩は」の射程が4つ目の文までだということにおそらく異論はないでしょう。これを見ると主語がどうたらなんて議論は本当に不毛だとしか言えないのです。(主格は何かというのは大変な問題なんですがね)

このあたりはご存知かどうか知りませんが金谷武洋氏の受け売りです。国文法がまともではないということが今日の国語教育の問題の一つの原因だということはまあ納得できるところだと思います。
  1. 2017-10-06 22:40
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  3. kazk #cPv2SIBE
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To:かんぱち さん

> 今年のノーベル文学賞は、日系イギリス人のカズオ・イシグロ氏が受賞しましたね。イギリスBBCのインタビューに答えている動画がありました。
>
> イシグロ氏、ノーベル文学賞「間違いかと思った」 - BBCニュース(動画)
> http://www.bbc.com/japanese/video-41521060
> >英国で教育を受け、英国を愛しているが、日本人の視点で世の中を見ていた。
>
> 「まさか自分が受賞できるとは思っていなかった」と、謙遜しながら控えめに答えるところは、日本人の感性ですね。見ていて嬉しくなりました。
>
> ところで、私も中国でgai-yaangさんと全く同じ体験をしたことがあります。みやげ物屋の店員が、呼び込みで「Have」を連呼していたんですね。すぐに「中国語の『有』を、機械的に英語の『Have』に置き換えたんだな。」と気が付きましたが。
>
> 私は国語の教員免許と日本語教師の資格を持っているんですが、「国語文法」と「日本語文法」では、考え方が違います。「日本語文法」では、日本語が母語ではない人の視点から文法を考えます。
> 日本人が「日本語文法」について考えるようになったのは、バブル景気で国内に外国人が急増した1980年代からでしょう。それ以前は「どうせ日本語を使うのは日本人だけだから」「日本人なら説明しなくても分かるはず」という感じで、日本語のテキストや教材もありませんでした。
>
> また、欧米の言語の文法を基にして日本語を考えていたので、説明のつかない日本語表現がたくさんありました。kazkさんが例に挙げた2つの文は「主語と述語の対応」を考えるのに最適ですね。これらについて、次のコメントで述べていきたいと思います。




私も石黒一雄さんについては全く知りませんでした。でも動画などを見るといかにも古き良き日本人ですね。
もののあはれが芯にある、そんな事を仰っていますが、なるほどと思います。

所で「国語の教員免許と日本語教師の資格を持っている」、凄いですね。道理で日本語の話を世界の視点で見ることができる、素晴らしいことだと思います。
そんな貴重なご体験を、「では次世代の子どもや先生方はどうすべきか」、こんな話がこれからも色々書いていただけると有り難い。私にはそんな能力はありませんが、それでも次世代に何が言い残せるか、そんな事をいつも考えています。
  1. 2017-10-07 18:10
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  3. 短足おじさん二世 #-
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Re: 国語文法と日本語文法

> 和食レストランで「僕はうなぎだ。」と言えば、うなぎを注文するつもりなんだと分かりますが、それはなぜなのか考察した有名な本があります。
>
> 「ボクハウナギダ」の文法―ダとノ 単行本 – 1978/3/15 奥津 敬一郎 (著)
> https://www.amazon.co.jp/dp/4874240852/
>
> 「ボクハウナギダ」の文法: ダとノ - 奥津敬一郎 - Google ブックス
> https://books.google.co.jp/books?id=ZyEqAQAAIAAJ
>
> しかし、この本が書かれた頃は、まだ日本語文法の研究が全然進んでいなくて、この本の内容も間違いだらけです。「主語と述語が対応していないのは、なにかが省略されているからだろう。」と考えて、考察を進めていくんですが、それが間違いなんですね。
>
> 【1】主語(Subject)と主題(Topic)の違い 「私だって今日は魚が食べたい。」
>
> 学校で習う「国語文法」では、「『~は』『~が』は主語」と習うので、「今日は」「魚が」主語と考えてしまいがちですが、違います。「食べたい」と思っているのは誰か?「私」ですね。この文の主語は「私」です。
> 英語文では、主語になれるのは述語動詞の動作主だけなので、こういうややこしい事は起きません。
> 「Today, I want to eat fish too. 」となります。
>
> この日本語文がややこしいのは、格助詞「は」「が」の使い方のせいです。以下で説明します。
>
> ・格助詞「が」について
>
> 「私だって今日は魚が食べたい。」という 文の中で、「魚が」は、述語動詞「食べたい」の目的語ですね。日本語では、目的語は「~を」で表すのが普通ですが、「欲しい」「~たい」という述語動詞のときは、目的語には「~を」ではなくて「~が」を使います。
>
> (例)時計が欲しい ←「時計」は目的語。主語は省略されているが「私」。
>             英語なら「I want a clock.」
>
> しかし、最近は「魚が食べたい」ではなくて「魚を食べたい」のように、この文法規則を守らない文も多いですね。わかりやすさを考えれば、それでもよいと思います。
>
> ・格助詞「は」について
>
> 「私だって今日は魚が食べたい」という文の中で、「今日は」が表しているのは「主語(Subject)」ではなくて、この文の「主題(Topic)」です。「主題(Topic)」とは、その文の中で、話し手が特に強調したい事柄です。この文では「いつもはそうでもないが、今日だけは魚が食べたい。」という話し手の「気持ち」を表しています。
> 普通、文の中で「~は」の部分は、その文の「主題(Topic)」を表し、「主語(Subject)」を表すとは限りません。以下のような文を比較すれば分かりやすいでしょう。
>
> 私、昨日、自転車で学校へ行かなかった。
>
> 私は昨日、自転車で学校へ行かなかった。 ←ほかの人は自転車で学校へ行った
>
> 私、昨日は自転車で学校へ行かなかった。 ←いつもは自転車で学校へ行っている
>
> 私、昨日、自転車では学校へ行かなかった。←自転車以外の手段で学校へ行った
>
> 私、昨日、自転車で学校へは行かなかった。←学校以外の場所へ行った
>
> 冒頭の「僕は鰻だ」の話に戻ると、この文で主語と述語が対応していないのは、主語と述語の間に何かが省略されているからではなくて、「僕は」の部分は、単にこの文の「主題(Topic)」を提示しているだけだからです。
>
> 「うなぎ文」「こんにゃく文」に見る日本語の特異な面白さ - NAVERまとめ
> https://matome.naver.jp/odai/2144975037956141501
>
> 有名な「枕草子」の出だし「春はあけぼの。」もそうですね。「春はあけぼの(が良い)。」「春はあけぼの(が好きだ)。」のように、補って読むのは読み手の自由ですが、この文自体が省略文というわけではありません。現代なら「冬は温泉だよね~。」みたいな感じでしょう。
>
> 【2】二重主語文 「象は鼻が長い。」
>
> 国語文法では「~は」の部分があれば、それが主語だと考えるので、この文では「象は長い」が主語と述語という事になりますが、それでは意味が通じません。そこで国語文法では「『象は鼻が』で主部となって、『長い』という述部に対応している。」または「『鼻が長い』で述部となって、『象は』という主部に対応している。」という説明をします。主語と述語が対応しないための苦しい説明ですね。
>
> 英語では、主語は必ず述語動詞と対応しなければならないので、二重主語文というものはありません。上の日本語文を英訳すると以下のようになります。
>
> Elephants have long trunks.(象たちは長い鼻を持っている)←「象」を主語にした場合
>
> Trunks of the elephants are long.(象たちの鼻は長い)← 「鼻」を主語にした場合
>
> The elephant, its trunk is long.(象、その鼻は長い)←「鼻」を主語にして「象」を強調した場合
>
> 受験英語の英作文・和文英訳の問題が難しいのは、英文法が難しいからではなくて、受験生が日本語文法について分かっていないからです。



大変面白い話、有難う御座います。
いやあ、しかしこの問題は深刻な問題提起ですね。
> 英文法が難しいからではなくて、受験生が日本語文法について分かっていないから。
これでしょうね。
そしてこの問題は受験生だけの問題では無く、海外で仕事をする人すべての問題だと思います。ぜひとも良い方向性を見つけたいですね。

この問題はコメント欄では書ききれませんので、別エントリーにします。その折このコメントも引用させていただきます(ほかにkazkさんのコメントも引用する予定)ので、宜しくお願いします。
  1. 2017-10-07 21:49
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  3. 短足おじさん二世 #-
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