2010-06-17 11:02

貝塚を見に行く(続編1)

愛知県南知多町内海の、今から8,000年前の先苅(まづかり)貝塚が地下深くから発見された。それを見に行った事を前回エントリーしたが、今回はその続編。

そんな物が如何して残ったか調べてみた。

 

貝塚の話だが、興味を引く点は今問題の気候変動地球温暖化を考える上で参考になると思ったからだ。

 

 

 

最初に現地の航空写真から

 

 

黄丸印が内海地区、矢印が内海駅=先苅貝塚

 

現在の写真を見ても内海地区は三方を山に囲まれた所だと分かる。

 

 

内海駅のホームから見ると

海側を見たところ、約 1キロ先が海

 

 

 

駅のホームより山側を望む   電車の進行方向 

                   (駅を出るとすぐトンネル)

 

 

昔の鳥瞰図では

先刈貝塚 南知多町教育委員会編より

 

こんな物を見ると比較的最近まで袋状の内海(うちうみ)だった事が分かる。

地名の内海(うつみ)は正に地形そのものを表している。

 

 

 

だがそれだけでは未だ良く分からない。

如何して縄文時代早期の、今から8、000年前の遺跡が地下深くになってしまったのか。

 

 

さてこの時代の海面のレベルがどうかというと

詳細はコレを参照ください

 

この海水準データを見ると約1万5,000年くらい前、現在より120メーター位低かった。それが約7,500年前にはほぼ現在なみ。その間、世界の海水準は殆ど一直線に上昇している。

上昇のペースは単純計算では100年で1.6メーターである。

日本ではその後もゆっくり海面は上昇し、約6,000年前にピークとなった。この時は現在より3~5メーター高かった。

これが縄文海進といわれ、元々は東京周辺で内陸深くで貝塚が発見される事から名づけられた。

 

 

縄文海進自体は貝塚の分布図を作れば一目で分かる。しかし永年この海進以前がどうだったのかよく分かっていなかった。

先苅(まづかり)貝塚は、この良く分かっていなかった縄文海進をハッキリさせた点でとても貴重。

そして最近の地球温暖化詐欺との関連でも注目されている。

 

 

 

貝塚の話に戻る。

先刈貝塚の時代(=約8,000年前)は、今より10メーターくらい海面が低かった。だからこれ以前の貝塚などは殆ど海の底に沈んでしまった。

縄文時代草創期・早期中頃までの貝塚は発見されていない。従来の歴史の本を見るとこの頃は縄文人は貝を食べなかったらしいという感じで書かれている。

しかし実際は貝塚が若し有ったとしても海底深く沈んでいるので見つからない。或いは海底に沈む過程で波などで破壊され残っていない。こんなところが事実ではないかと思う。

 

さて海面は約6,000年前まで徐々に上昇した。そのピークは今より3~5メーター高くなった。 

 

 

縄文海進の例として関東地方の縄文時代の海岸線がどうなっているか

(本当は愛知県の図がいいのだが適当な図が見つからないので・・・ この図はお絵かき爺様のブログから拝借、)

 

今度は愛知県の例

これはこのテーマの先苅貝塚から20キロほど北の大草貝塚の事例

 

昔の海岸線は地図の点線で示されている。

右の写真の小高い山に貝塚が有るが、縄文時代は此処は島だった。手前の田んぼは昔の海。

 

余談だがこの地方(愛知県・岐阜県・三重県)では、縄文海進による昔の海と1959年の伊勢湾台風の浸水域はぴったり重なっている。この為防災面からも注目されている。

 <続く>

 

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