2017-07-16 15:04

 ユダヤ難民の生命を救った東條、樋口両将軍の話<追記あり

 今発売中の雑誌WiLL-2017年8月号に「日本人とユダヤ人の絆」と題するユダヤ教ラビ マービン・トケイヤー氏の寄稿文が載っている。トケイヤー氏は今年2月に旭日双光章を授章されたので、その授章式での話を翻訳しまとめたものらしい。

ここで大変興味深いことをトケイヤー氏が話している。
(東京裁判で処刑された)東条英機首相(将軍)と樋口将軍はユダヤ人2万人の命を救った恩人である。この偉業を是非アメリカで紹介したい、この為のテレビ番組をアメリカのNHKに相当するテレビ局に制作を依頼し、これを放送するための準備をしている。こんな話である。

 東京裁判に関しては、扱い方によってはアメリカの不法な裁判とか、いろいろ問題が噴出する可能性のある話。どんなものになるかは見てみないと分からないが、まだこれから作る話なので、先ずはトケイヤー氏の言っていることを紹介したい。
GHQによる不法な洗脳を解く一つの手がかりになるかも知れないと期待・・・)
尚この寄稿文は話が飛び飛びになっているので、全文は末尾に添付しました、参考にしてください。

* 追記あり
このユダヤ人救出に関して「よもぎねこさん」が日本の対応についてまとめているので該当部分を引用、本文末に追記します(トケイヤー氏の記事全文の前)。



<以下「雑誌WiLL-2017年8月号」より抜粋引用>

日本人とユダヤ人の絆
両民族は世界史の中で孤立してきたが、これほど共通点が多いとは

マービン・トケイヤー ユダヤ教ラビ
訳/高山三平

旭日双光章を授与されて

 今年の二月六日に、私はニューヨークにおいて、日本のニューヨーク総領事の高橋礼一郎大使から、旭日双光章を授与された。・・・以下略・・・

(引用者注:サブタイトルがあるが、中身と合わない(編集ミス?)ので省略)
・・・中略・・・
 私は講話(授章記念式での講話)のなかで、一九三八年にハルビン特務機関長の樋口季一郎少将が、上司の東條英機関東軍参謀長の裁可を得て、ソ満国境まで逃れてきた二万人のユダヤ人難民を、ナチスの魔手から救出した事実に触れた。杉原千畝領事代理がリトアニアで数千人のユダヤ人に、ビザを発給して救った、二年前のことだ。

 戦後の日本人は杉原を知っていても、なぜなのか、軍人を嫌っているために、東條と樋口による偉業について、語られることがない。

・・・

 アメリカ、イギリスをはじめとする諸国はドイツから逃れるユダヤ人を反ユダヤ主義から拒んで、門扉を固く閉じていた。この時に日本だけが、大量のユダヤ人を救ってくれた。
 近衛文麿内閣は一九三八年にドイツにおいてユダヤ人迫害が募ると、主要閣僚による五相会議を開いて『ユダヤ人対策要綱』を決定し、「人種平等の理念に立って、ユダヤ人差別を行わない方針」を確認していた。
 関東軍司令部も、ソ満国境に難民が到着した前月の一九三八年一月に、東條参謀長のもとで『現下二於ケルユダヤ民族施策要綱』を定め、「民族協和、八紘一宇ノ精神」に基づいて、差別しないことを決めていた。
 『アンネの日記』で知られるアンネ・フランクは、日本でも有名だ。アムステルダムの運河のわきの隠れ家には、多くの日本人観光客が訪れる。
 アンネの一家はドイツのフランクフルトに住んでいたが、父親のオットーが家族を連れてアメリカへ逃れようとして、アメリカ大使館と領事館に足繁く通ったが、入国ビザを拒まれた。一家は一九三四年に安全なオランダへ移ったが、ここでもアメリカ大使館から門前払いされた。  
 もし、アメリカに入国を許されていたとすれば、今日、アンネはアメリカで八十八歳で健在だったかもしれない。             
 東條、樋口両将軍がユダヤ難民の生命を救ったことは、世界がひろく知るべきである。 
                  
 一九三八年の満洲里に戻ろう。ドイツから逃れた大量のユダヤ人難民が、ヨーロッパからシベリア鉄道に揺られて、二月に満洲国の北端の満洲里駅のすぐソ連側にあるオトポールに、つぎつぎと到着した。ほどなくその数は二万人に脹れあがり、多くの幼児もいた。
 難民は原野に急造のテントをはり、バラックをこしらえて凌いだ。三月のシベリアは気温が零下数十度にまで落ちる。ソ連はユダヤ人難民の受け入れを拒み、ヨーロッパへ送り返そうとした。難民たちは満洲国へ入国することを、強く望んだ。
 ハルビンにあったユダヤ人居留民組織であったユダヤ人極東協会の幹部が、関東軍のハルビン特務機関長の樋口少将と会って、ユダヤ難民を救うように懇請した。
 樋口は決断し、新京(現、長春)に司令部があった関東軍参謀長だった東條中将に、難民の入国を許可するように求めた。東條がすぐに同意し、満洲国外交部と折衝したうえで、ユダヤ人難民を入境させることができた。
 樋口少将(後に中将)の令息は東京の大学教授だが、「父は東條参謀長が許可しなかったら、ユダヤ人難民が救われることがなかったと語った」と、証言している。
 松岡洋右満鉄(満洲鉄道)総裁が命じて、何本もの救援列車を仕立てて、満洲里まで派遣して、国境を渡った難民を運んだ。
 ドイツ外務省が日本政府に対して、大量のユダヤ人難民を満洲国へ入れたことに対して、強硬な抗議を行った。関東軍司令部へすぐに伝えられたが、東條中将は「当然な人道上の配慮によって行った」として、一蹴した。
 このなかの多くの難民が海路、敦賀に上陸したが、敦賀でも神戸でもどこでも、日本の官民が親切に扱ってくれた。
 東條参謀長は一九四一年に首相、松岡総裁は一九四〇年に外相となったが、ユダヤ人の恩人である。二人は東京裁判で戦勝国の正義によって裁かれ、東條大将は死刑に処され、松岡は公判中に病死した。
 イスラエルが独立を果たした後に、樋口将軍と、その副長だった安江仙弘大佐が、イスラエル国家によって顕彰された。
 私は二〇〇四年にイスラエルのテルアビブを訪れた時に、一九三八年にハルビンのユダヤ人極東協会会長だったカウフマン博士の長男の、八十歳になるセオドア・カウフマンと会ったが、「もし、父がジェネラル東條がユダヤ人を救ってくれたと知っていたら、東京裁判に当たって世界のユダヤ人が、ジェネラル東條を救うために、嘆願書を提出したにちがいない」と、語った。
・・・中略・・・
 日本は明治に開国した時から、人種平等の理想を求めてきた。それにもかかわらず、多くの日本国民が戦勝国が一方的に正しかったと思い込んで、自国の歴史を恥じているとしたら、残念なことだ。日本は東條、樋口両将軍の快挙を、大いに誇るべきである。
 いま、私は大きな夢を描いている。私は昨年、アメリカのNHKに当たる公共放送のパブリック・ブロードキャスティング・サービス(PBS)と交渉して、ユダヤ民族と日本との交流史を一時間番組にまとめて、全米に放映することを提案し、承諾の文書をもらった。
 私はこのなかで、東條、樋口両将軍が二万人にのぽるユダヤ難民を救った史実を、大きく取り上げたいと思っている。
 私は優れたドキュメンタリー番組を製作してエミー賞を受賞したダン・ポーリンと、エレン・ロドマンの二人のプロデューサーから、製作を引き受けるという、約束を取りつけている。
 ドキュメンタリーは、かつての満洲、敦賀、神戸などのロケをはじめ、救出されたユダヤ人の記録や、その時に幼かったろう本人、その子や、孫や、日本の関係者の証言を中心にして構成したい。私も必要があれば、語り部として登場しよう。
 もっとも、PBSは資金が潤沢なNHKと違って、自主製作する資金がないために、私たちが製作だけでなく、資金を準備しなければならない。私は製作するためには、おそらく百五十万ドル(約一億七千万円)から、ニ百万ドル(約二億四千万円)を必要としようが、出資や、募金で集められないか、思案している。
 私は日本では加瀬英明氏に相談しているが、加瀬氏はユダヤ・キリスト・イスラム教の優れた研究者であって、私の著述にあたって、多年にわたって力を貸してもらった。私は授勲式の講話を加瀬氏に対する謝辞で、締めくくっている。

<引用終り>


トケイヤー氏は日本国民が戦勝国が一方的に正しかったと思い込んで、自国の歴史を恥じているとしたら、残念なことだ」とか「日本民族は、歴史を通じて人種差別を行ったことがない」、或いは日本は聖徳太子による十七条憲法が定めたように、つねに合議を重んじてきた。十七条憲法は世界最古の民主憲法である」、こんな風にいいことをたくさん言っている。

しかし単に日本の良い所が如何こうではなく、2万人ものユダヤ人の命を救ったこと。そして救われた人やその子孫の話をドキュメンタリーにして公開する。これは素晴らしいことだと思う。
GHQによる洗脳、自虐史観からの脱却のためにもこんな活動がぜひ必要で、ドキュメンタリーの完成と公開が待たれる話である。


* 追記あり
よもぎねこさんの以下記事に、ユダヤ人救出に関して纏めがありますので引用追記します。
該当記事
2014-02-25  アンネの日記破損事件について」
http://yomouni.blog.fc2.com/blog-entry-4651.html
<以下引用>
 実際日本には歴史的に反ユダヤ主義はありません。 ユダヤ人が日本に定着した歴史が無いのだから当然です。 

 日本がナチスドイツの同盟国だった時も、日本はナチスドイツの反ユダヤ主義には全く同調していません。 それどころか日本は当時の世界の中では、最もユダヤ人を公正に扱った国です。

 東条内閣は人種差別をしない事を明言しており、外国人は人種ではなく国籍に応じて応じて扱いました。

 だからドイツ国籍のユダヤ人(厳密に言えば当時はイスラエルと言う国はなかったので、ユダヤ教徒のドイツ人或は先祖がユダヤ教徒だったドイツ人)は普通にドイツ人として、つまり同盟国民として扱いました。

 だから当時ドイツを追われたユダヤ人が多数日本にやって来ました。 例えばその中には多くの音楽家が居て、これらの人々が音大教授や指揮者となった事で、日本のクラッシク音楽のレベルが一気に上がったのです。

 またヨーロッパからシベリア鉄道経由で満州国に逃れたユダヤ人も、日本政府が受け入れて保護しました。

 中国に逃げ込んだユダヤ人達を上海の日本租界で保護しました。 当時中国大陸には他のヨーロッパ諸国も租界を持ていましたが、何処もユダヤ人を受け入れたりしていません。

 杉浦千畝のエピソードは有名ですが、しかし彼がユダヤ人達の為に独断で発行したビザだって、日本政府が認めたからユダヤ人達が日本に入国できたのです。 しかもあのビザはオランダ領キュラソー島への通過ビザでした。

 キュラソー島と言うのはカリブ海の小島ですが、こんなところに行って暮らせるユダヤ人はいませんから、彼等がアメリカやその他安住できそうな移住先を見つけるまで、日本での滞在を許したのも日本政府です。
 更に移住先を見つけられなかったユダヤ人達には、日本滞在も認めています。

 ビザ発行を決断したのは杉浦千畝一人ですが、しかしそれでユダヤ人が助かったのはその不正規ビザを認めて、ユダヤ人達の便宜を図った当時の日本政府の決断なのです。

 勿論これらのユダヤ人保護政策にはドイツからの大変な反発がありました。 でも当時の日本政府はユダヤ人保護の姿勢を最後まで貫いたのです。

 現在NYのホロコースト記念館では東条英機の写真をヒトラーと並べているそうですが、しかしこのような歴史を見れば、これは実に不当な対応です。

 むしろユダヤ人代表が靖国神社に参拝して、東条英機や当時の日本政府首脳に感謝しても良いぐらいでしょう。

 だって当時の連合国だって実はドイツの反ユダヤ政策なんかには全然反対もしなければ、ましてユダヤ人保護などには極めて消極的だったのですから。
<引用終り>





<以下は雑誌WiLL-2017年8月号●p214ーp222の全文です。ご参考までに>

授勲式にて

日本人とユダヤ人の絆
両民族は世界史の中で孤立してきたが、これほど共通点が多いとは

マービン・トケイヤー ユダヤ教ラビ
訳/高山三平
WjLL-2017年8月号●214ー222


旭日双光章を授与されて

 今年の二月六日に、私はニューヨークにおいて、日本のニューヨーク総領事の高橋礼一郎大使から、旭日双光章を授与された。
 高橋大使は授勲式に当たって、私の功績について「日本とユダヤ民族との間の理解を深めた」と前置きして、私か一九六〇年代に日本に赴任するようになってから、日本を世界に紹介することに力を尽くしたと、述べた。
 私はこの日、式典に集まったユダヤ人会衆を前に、短い講話を行った。
 今年で八十歳になるが、天皇陛下と日本政府からこのような栄誉を授けられるとは、夢にも思わなかったので、深く感謝している」といって「ラビとして皆さんとともにアーメンを唱えたい」と述べると、会衆が「アーメン」と唱和した。
 「アーメン」(かくあれかし)は、ユダヤ教の分派であるキリスト教によっても、使われている。
 私か新妻とはじめて日本に渡ったのは、一九六七年のことだった。前の年に、突然、上級のラビから日本のユダヤ人社会のラビとして働くように求められ、「日本はユダヤ人の日本への貢献を認めており、またユダヤ人を助けてくれた国だから、君にとって大きな収穫があるだろう」といわれた。
 日本に到着すると、すぐに「ある重要な人物と会うことになる。天皇の弟宮のごI笠宮殿下だ」と告げられた。殿下はヘブライ史の研究者で、聖書の権威でもあった。
 三笠宮殿下にはじめてお会いした時に、私は「何をすればよいでしょうか」と、尋ねた。
 すると、殿下は「二つある。一つは日本人にユダヤ人についての知見・知識を広めること、もう一つは同じように、ユダヤ人の問にH本についての知見・知識を広めてほしい」と、いわれた。
 それ以後、私は殿ドと約五十年にわたって親しくさせていただいた。
 殿下は東京・麻布のシナゴーグ(ユダヤ人教会)で祈祷するのに当たって、何回か流暢なヘブライ語で先導をしてドさった。
 私は講話のなかで、日本とユダヤ民族の交流史に駆け足で触れた。

ポグロム

 そのなかの一人が、ルイス・アルメイダだった。
 「アルメイダは一五五七年に日本で初めて西洋医学病院を開いたが、ポルトガル系ユダヤ人だった。現在でも大分県にその名前を冠した病院が、存在している」
 西洋諸国がアジアへ進出するのとともに、多くのユダヤ人が日本を訪れた。
 もっとも、当時はキリスト教徒によって残酷なユダヤ人迫害が、全世界にわたって行われていたから、これらのユダヤ人は全員がキリスト教に改宗したことを装っていた。
 「東京大学で教鞭をとった日本で最初の歴史学者は、ドイツ系ユダヤ人のルイス・リーゼたった。イスラエル国歌を作詞したナフタリ・インバーは明治天皇を敬って、多くの詞と曲を捧げた」
 このような例ぱいくらもあるが、私はアルペルト・モッセをあげた。モッセはユダヤ系ドイツ人で、明治憲法の起草を助けたことで知られ、日本に招かれて内閣顧問となった。
 「モッセはモーゼを意味する。一九四〇年にモッセー族が、ベルリンの日本大使館によって保護され、ナチスの強制収容所へ送られるのを免れた」と、注釈を加えた。
 私はジェイコブ・シフ、ヨセフ・トランペンドールなど多くのユダヤ人の業績や、挿話に触れた。
 シフは日露戦争において、大きな役割を果たした。日露戦争前夜に日本の国家予算はロシアの十分の一、外貨保有額もほぽ同じことだった。誰も世界に対して開国してから、まだ三十年しかたっていない小国の日本が、ロシアに勝つとは思わなかった。
 シフは、ニューヨークのクーン・ローブ投資銀行を経営していたが、世界中のユダヤ人に呼びかけて、日本が日露戦争の戦費を賄うために発行した国債の半分以上を、ユダヤ人が引き受けた。シフは戦後日本に招かれ、明治天皇から陪食を賜り、最高勲章を贈られた。
 シフが日本を助けたのには、大きな理由があった。ロシア語で「ポグロム」というが、今日でもユダヤ人だったら、誰でも知っている恐ろしい言葉だ。ユダヤ人村を襲って焼き、虐殺する迫害が行われていた。世界のユダヤ人が、ロシアと戦う日本を援助したのだった。

 昭和天皇のお言葉

 私は一九六〇年代に、当時のモシエ・バルトゥール駐日大使から、東京に着任して昭和天皇に信任状を捧呈した時に、陛下から「日本民族はユダヤ民族に対して感謝の念を忘れていません。かつてわが国は、ジェイコブ・シフ氏に大変お世話になりました。われわれはこの恩を決して忘れることはないでしょう」という、お言葉をいただいたことを聞いた。
 私はこの話を、親しい評論家の加瀬英明氏にしたところ、入江相政侍従長から「昭和天皇は歴代のイスラエル大使が信任状を捧呈するたびに、『われわれはユダヤ民族から受けた恩を忘れない』とおっしゃった」と聞いたと、教えられた。
 トランベルドールはロシアのユダヤ人だったが、日露戦争の旅順攻防戦で左腕を失いながら戦功を立て、最高勲章の聖ジョージ勲章をもらった。旅順要塞が陥落すると、日本に連れてこられたロシア兵捕虜のなかに、ユダヤ人が五百人あまりいた。
 トランベルドールは大阪府浜寺の収容所でユダヤ人捕虜を組織して、日本人の愛国心と尚武の心を学び、新しくパレスチナに生まれるべきユダヤ人国家は、日本を手本にすべきだと説いた。
 ロシアに帰った後、パレスチナと呼ばれたイスラエルに行き、イスラエル建国運動のリーダーの一人になった。イスラエル独立戦争中に戦死したが、息を引き取る前に「国のために死ぬほど光栄なことはない」といったが、浜寺で日本兵から教えられたのだった。
 トランペルドールは、イスラエル建国の英雄として教科書に必ず載っているが、日本の魂をイスラエル建国の原動力とした。私はイスラエルでトランベルドール博物館を訪れたが、「新生ユダヤ国家は日本のような国とすべきだ」という、トランペルドールの筆跡が展示されている。
 私は講話のなかで、一九三八年にハルビン特務機関長の樋口季一郎少将が、上司の東條英機関東軍参謀長の裁可を得て、ソ満国境まで逃れてきた二万人のユダヤ人難民を、ナチスの魔手から救出した事実に触れた。杉原千畝領事代理がリトアニアで数千人のユダヤ人に、ビザを発給して救った、二年前のことだ。

東條と樋口の偉業

 戦後の日本人は杉原を知っていても、なぜなのか、軍人を嫌っているために、東條と樋口による偉業について、語られることがない。
 授勲式の日は、私の生涯の最良の日となった。私は日本の姿を世界に知らせ、ユダヤ人の歴史と文化を日本に伝えることが、両民族の利益となると信じている。この努力を続けてゆきたい。
 日本人とユダヤ人は、遠く隔てられてきたというのに、多くの共通点がある。
 両民族は世界史のなかで孤立してきた。部族的で、一つにまとまろうとする傾向が強い。それでいながら、外界に対して燃えるような好奇心をもって、常によいものを吸収していこうとする。キリスト教でない民族のなかで、近代世界でこれほど成功した民族はない。
 日本人もユダヤ人も、自分たちが神によって祝福された人たちだと思っている。また清潔なものを好む。物理的な清潔さに、これほど気を遺う民族はいない。日本人とユダヤ人は、世界一教育熱心だ。
 神道とユダヤ教は集団の宗教であり、キリスト教と違って、個人の宗教ではない。ユダヤ人と日本人にとって神聖なものに形がなく、神が創ったすべてのよきものが神聖である。キリスト教のように、人間の形をした偶像を拝むことがない。
 日本民族は、初代の神武天皇が即位に当たって、詔勅で「八紘一宇」---世界は一つの家族であると説いたように、歴史を通じて人種差別を行ったことがない。ユダヤ人は世界に四散してから、世界の血が混じった。黒い肌のユダヤ人も、外観がアジア人と変わらないユダヤ人もいる。日本人とユダヤ人は、西洋から差別を受けてきたために、人種平等の世界を創ることを、強く願ってきた。
 ユダヤ人はローマ帝国によって紀元七〇年に祖国を失って世界に散り、それぞれ小さな社会を営むうちに、合議政治を行ってきた。日本は聖徳太子による十七条憲法が定めたように、つねに合議を重んじてきた。
 十七条憲法は世界最古の民主憲法である。

 日本人とユダヤ人は偶然だが、共通点が多い。
 イスラエルは天然資源を欠く小国なのに、世界の先端をゆく(イテク国家となっている。日本も人だけが資源であるのに、先進国の先頭に立っている。イスラエルを”小さな日本”日本を”大きなイスラエル”と呼ぶことができよう。

わが一族も追われて

 だが、日本人はユダヤ民族がキリスト教徒によって、いかに悲惨な歴史を強いられてきたのか、よく知らない。キリスト教が絶対の正義であって、ユダヤ人が悪だと決めつけていた。
 日本人はしばしば大震災などの天災に見舞われて、生命や家を失ったものの、同じ土地に暮らすことができたが、ユダヤ人はキリスト教徒によって殺され、住む土地を追われた。
 トケイヤー一族もスペインから追放されて転々として、ハンガリーに移った。私は幼時にアメリカに移住したが、親族の大多数がナチスの収容所で殺された。
 キリスト教はユダヤ教から分派することによって生まれたが、ユダヤ人を悪として見立てることによって、ユダヤ教から独立しなければ、発展することができなかった。
 アメリカ、イギリスをはじめとする諸国はドイツから逃れるユダヤ人を反ユダヤ主義から拒んで、門扉を囚く閉じていた。この時に日本だけが、大量のユダヤ人を救ってくれた。
 近衛文麿内閣は一九三八年にドイツにおいてユダヤ人迫害が募ると、主要閣僚による五相会議を開いて『ユダヤ人対策要綱』を決定し、「人種平等の理念に立って、ユダヤ人差別を行わない方針」を確認していた。
 関東軍司令部も、ソ満国境に難民が到着した前月の一九三八年一月に、東條参謀長のもとで『現下二於ケルユダヤ民族施策要綱』を定め、「民族協和、八紘一宇ノ精神」に基づいて、差別しないことを決めていた。
 『アンネの日記』で知られるアンネ・フランクは、日本でも有名だ。アムステルダムの運河のわきの隠れ家には、多くの日本人観光客が訪れる。
 アンネの一家はドイツのフランクフルトに住んでいたが、父親のオットーが家族を連れてアメリカへ逃れようとして、アメリカ大使館と領事館に足繁く通ったが、入国ビザを拒まれた。一家は一九三四年に安全なオランダへ移ったが、ここでもアメリカ大使館から門前払いされた。  
 もし、アメリカに入国を許されていたとすれば、今日、アンネはアメリカで八十八歳で健在だったかもしれない。             
 東條、樋口両将軍がユダヤ難民の生命を救ったことは、世界がひろく知るべきである。          
                  
東條・松岡はユダヤ人の恩人 
                  
 一九三八年の満洲里に戻ろう。ドイツから逃れた大量のユダヤ人難民が、ヨーロッパからシベリア鉄道に揺られて、二月に満洲国の北端の満洲里駅のすぐソ連側にあるオトポールに、つぎつぎと到着した。ほどなくその数は二万人に脹れあがり、多くの幼児もいた。
 難民は原野に急造のテントをはり、バラックをこしらえて凌いだ。三月のシベリアは気温が零下数十度にまで落ちる。ソ連はユダヤ人難民の受け入れを拒み、ヨーロッパへ送り返そうとした。難民たちは満洲国へ入国することを、強く望んだ。
 ハルビンにあったユダヤ人居留民組織であったユダヤ人極東協会の幹部が、関東軍のハルビン特務機関長の樋口少将と会って、ユダヤ難民を救うように懇請した。
 樋口は決断し、新京(現、長春)に司令部があった関東軍参謀長だった東條中将に、難民の入国を許可するように求めた。東條がすぐに同意し、満洲国外交部と折衝したうえで、ユダヤ人難民を入境させることができた。
 樋口少将(後に中将)の令息は東京の大学教授だが、「父は東條参謀長が許可しなかったら、ユダヤ人難民が救われることがなかったと語った」と、証言している。
 松岡洋右満鉄(満洲鉄道)総裁が命じて、何本もの救援列車を仕立てて、満洲里まで派遣して、国境を渡った難民を運んだ。
 ドイツ外務省が日本政府に対して、大量のユダヤ人難民を満洲国へ入れたことに対して、強硬な抗議を行った。関東軍司令部へすぐに伝えられたが、東條中将は「当然な人道上の配慮によって行った」として、一蹴した。
 このなかの多くの難民が海路、敦賀に上陸したが、敦賀でも神戸でもどこでも、日本の官民が親切に扱ってくれた。
 東條参謀長は一九四一年に首相、松岡総裁は一九四〇年に外相となったが、ユダヤ人の恩人である。二人は東京裁判で戦勝国の正義によって裁かれ、東條大将は死刑に処され、松岡は公判中に病死した。
 イスラエルが独立を果たした後に、樋口将軍と、その副長だった安江仙弘大佐が、イスラエル国家によって顕彰された。
 私は二〇〇四年にイスラエルのテルアビブを訪れた時に、一九三八年にハルビンのユダヤ人極東協会会長だったカウフマン博士の長男の、八十歳になるセオドア・カウフマンと会ったが、「もし、父がジェネラル東條がユダヤ人を救ってくれたと知っていたら、東京裁判に当たって世界のユダヤ人が、ジェネラル東條を救うために、嘆願書を提出したにちがいない」と、語った。
 目本の高級軍人や官僚が、ユダヤ民族に親近感をもったのは、ユダヤ人が日露戦争に当たって助けたためだけではなかった。多くの軍人や官 僚がヨーロッパに在勤した時に、白人が人種差別から下宿人として受け入れなかったが、ユダヤ人家族には歓迎された。
 日米開戦時と終戦時の東郷茂徳外相は、朴茂徳を日本名に改めた朝鮮人だったが、大使館書記官としてベルリン勤務時代に、下宿先のユダヤ娘エディータを夫人としたし、海軍大臣となった米内光政大将も、青年将校としてドイツに在勤した時に、ユダヤ人家庭に下宿した。樋口少将はシベリア出兵中に、ユダヤ人の家に泊っていた。
 杉原千畝の。生命のビザ゛の物語は日本だけでなく、世界に知られているが、日本の左翼勢力によって、大きく歪められてしまっている。

杉原は有能な諜報部員

 日本では、杉原が日本政府の方針に背いて、ユダヤ人難民に。生命のビザ゛を発給したために外務省から譴責され、追われたとされているが、これは大きな嘘だ。
 杉原はいわゆる、生命のビザ゛を発給した後に、昭和天皇からリトアニア勤務までの功績によって、勲章を授けられ、領事代理より格が上の駐ルーマニア日本公使館三等書記官に昇進している。終戦直後に退官したのは、アメリカ占領下で日本が外交権を失ったために、外務省職員の三分の二が退職を強いられており、追われたのではない。
 杉原は有能な諜報部貝だった。外務省を退職した時には、外務次官から特に功績を労う直筆の手紙とともに、功労金まで贈られている。
 日本は明治に開国した時から、人種平等の理想を求めてきた。それにもかかわらず、多くの日本国民が戦勝国が一方的に正しかったと思い込んで、自国の歴史を恥じているとしたら、残念なことだ。日本は東條、樋口両将軍の快挙を、大いに誇るべきである。
 いま、私は大きな夢を描いている。私は昨年、アメリカのNHKに当たる公共放送のパブリック・ブロードキャスティング・サービス(PBS)と交渉して、ユダヤ民族と日本との交流史を一時間番組にまとめて、全米に放映することを提案し、承諾の文書をもらった。
 私はこのなかで、東條、樋口両将軍が二万人にのぽるユダヤ難民を救った史実を、大きく取り上げたいと思っている。
 私は優れたドキュメンタリー番組を製作してエミー賞を受賞したダン・ポーリンと、エレン・ロドマンの二人のプロデューサーから、製作を引き受けるという、約束を取りつけている。
 ドキュメンタリーは、かつての満洲、敦賀、神戸などのロケをはじめ、救出されたユダヤ人の記録や、その時に幼かったろう本人、その子や、孫や、日本の関係者の証言を中心にして構成したい。私も必要があれば、語り部として登場しよう。
 もっとも、PBSは資金が潤沢なNHKと違って、自主製作する資金がないために、私たちが製作だけでなく、資金を準備しなければならない。私は製作するためには、おそらく百五十万ドル(約一億七千万円)から、ニ百万ドル(約二億四千万円)を必要としようが、出資や、募金で集められないか、思案している。
 私は日本では加瀬英明氏に相談しているが、加瀬氏はユダヤ・キリスト・イスラム教の優れた研究者であって、私の著述にあたって、多年にわたって力を貸してもらった。私は授勲式の講話を加瀬氏に対する謝辞で、締めくくっている。

マーピン・トケイヤー
一九三六年ニューヨーク生まれ。一九五八年ラビを餐成するイェシバ大学を卒業。六二年ジューイッシュ・セオロジカル・セミナリー(ユダヤ神学校)にて、ラビの資格を取得、八七年同校より博士号を授けられる。六七年フランス・ロスチャイルド家の基金により、東京広尾にある日本ユダヤ教団の初代ラビとして派遣され、七六年までの十年間、東京で活動する。著書に「ユダヤ5000年の教え」(実業之日本社)、「聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史」(徳間書店)など多数。
●WiLL-2017年8月号

  1. 海外
  2. TB(0)
  3. CM(8)

コメント

2万人救出と言う数字

 オトポール事件での救出数については”盛り過ぎ”という記事(個人ブログですが)も見たことあるのでユダヤ人側から出たのであれば説得力増しますかね?樋口少将(当時の肩書)でなく支那人だったら200万人位になってそうですけどね(笑)
 北海道的には終戦時に第5方面軍(札幌)に司令官として樋口中将がいたのが凄く大きいです。占守島の戦いの時に即座に第91師団に「断乎、反撃に転じ、ソ連軍を撃滅すべし」と指令を出さなければ、北海道が分断されていた可能性が高かったと思っています。これは目論見外れてブチ切れたスターリンが「樋口を戦犯に加えろ」と連合国に強く要請したため、ユダヤ人がオトポール事件の返礼としてロビー活動で救ったという話に繋がるようですね。
 ビザ発給については杉原の6000と言う数字のほかに満州国出身の王替夫の1万2000というものもあるようです(2度目の引用ですが「あるウソつきのブログ」2015年12月5日のエントリー参照)

  1. 2017-07-17 06:23
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  3. ノッチmrng #-
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 東条英機と松岡洋介は、杉原千畝のビザで日本に来たユダヤ人の救援にも力を貸しています。
 
 元々あのビザは正式な物ではなく、あのビザでの入国は拒否できたのですが、当時外務大臣だった松岡洋介と総理だった東条が認めた事で、問題なく入国できました。

 またあのビザは通過ビザで日本に滞在できるのは1週間だけだったのですが、それではユダヤ人達は行き先を見つけられません。

 しかし松岡洋介が知恵を貸して、通過ビザの期限延長権限が滞在地の警察署長にある事を教えました。 それで毎週毎週ユダヤ人達の代表が、在留先の兵庫県警察署長に話しをつけて延長させ続けたのです。

 二人とも政治家としての能力はともかく、人間とては極めて全うな人道主義者ですね。

 けれども今、欧米のリベラリストはイスラム教徒へのシンパシーから非常に反ユダヤ的になっているそうです。
 
 だからこの企画もどうなるのか・・・・・。

 またこの番組が放映されてもどう反応するかはわかりません。
  1. 2017-07-17 09:45
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  3. よもぎねこ #-
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Re: 2万人救出と言う数字

>  オトポール事件での救出数については”盛り過ぎ”という記事(個人ブログですが)も見たことあるのでユダヤ人側から出たのであれば説得力増しますかね?樋口少将(当時の肩書)でなく支那人だったら200万人位になってそうですけどね(笑)
>  北海道的には終戦時に第5方面軍(札幌)に司令官として樋口中将がいたのが凄く大きいです。占守島の戦いの時に即座に第91師団に「断乎、反撃に転じ、ソ連軍を撃滅すべし」と指令を出さなければ、北海道が分断されていた可能性が高かったと思っています。これは目論見外れてブチ切れたスターリンが「樋口を戦犯に加えろ」と連合国に強く要請したため、ユダヤ人がオトポール事件の返礼としてロビー活動で救ったという話に繋がるようですね。
>  ビザ発給については杉原の6000と言う数字のほかに満州国出身の王替夫の1万2000というものもあるようです(2度目の引用ですが「あるウソつきのブログ」2015年12月5日のエントリー参照)



この2万人と言う数字ですが、彼らは最終的に殆どアメリカに入国している筈です。そして当然ですがある程度の名前のリストがある筈。このリストに基づいて本人やら子孫を割り出してインタビューするのがこのテレビドキュメンタリーですから、多少の数字の違いはあっても大きくは違わないでしょう。
この事は本文の中に
>かつての満洲、敦賀、神戸などのロケをはじめ、救出されたユダヤ人の記録や、その時に幼かったろう本人、その子や、孫や、日本の関係者の証言を中心にして構成・・・
このように記録が間違いなく紹介されるはずです。

問題は「スターリンが「樋口を戦犯に加えろ」と連合国に強く要請」、この話がいまだに尾を引いていることです。
特にこの時スターリンと組んだ連中はアメリカ民主党の中に大部分いたので、もしこの話がオバマ政権時代だったら間違いなく潰されたでしょう。トランプ大統領になってやっと政策可能になったと見ていますが、まだまだ予断を許しません。

それからあるうそつきのブログさん、紹介有難う御座います。この方のブログは前回紹介いただいたドイツの話で近いうちにドイツ問題をエントリーするので、その折紹介するつもりです。
  1. 2017-07-17 11:36
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  3. 短足おじさん二世 #-
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To:よもぎねこさん

>  東条英機と松岡洋介は、杉原千畝のビザで日本に来たユダヤ人の救援にも力を貸しています。
>  
>  元々あのビザは正式な物ではなく、あのビザでの入国は拒否できたのですが、当時外務大臣だった松岡洋介と総理だった東条が認めた事で、問題なく入国できました。
>
>  またあのビザは通過ビザで日本に滞在できるのは1週間だけだったのですが、それではユダヤ人達は行き先を見つけられません。
>
>  しかし松岡洋介が知恵を貸して、通過ビザの期限延長権限が滞在地の警察署長にある事を教えました。 それで毎週毎週ユダヤ人達の代表が、在留先の兵庫県警察署長に話しをつけて延長させ続けたのです。
>
>  二人とも政治家としての能力はともかく、人間とては極めて全うな人道主義者ですね。
>
>  けれども今、欧米のリベラリストはイスラム教徒へのシンパシーから非常に反ユダヤ的になっているそうです。
>  
>  だからこの企画もどうなるのか・・・・・。
>
>  またこの番組が放映されてもどう反応するかはわかりません。



なるほど、よもぎねこさんは神戸ご出身なので一部始終が分かるのですね。了解しました。
確かに東条も松岡も色々判断ミスもあったと思います。
しかし日本在住の英米人(軍人OBなど)の語るところでは、あの戦争を日本が回避する方法があったかとの質問に対し、回避する方法は無かったと異口同音に言っているそうです。

それからこのテレビドキュメンタリーの企画がどうなるか、放映されたとしてどうなるかは確かに心配ではあります。
しかし戦後72年、やっと時代がまともな方向に動き出した、その小さな小さな、しかし日本の未来にとって大きな一歩になると信じています。
  1. 2017-07-17 11:50
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  3. 短足おじさん二世 #-
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 以前、この経緯をアップした事があります。

 http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1415.html#comment
  1. 2017-07-19 09:02
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  3. よもぎねこ #-
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To:よもぎねこさん

>  以前、この経緯をアップした事があります。
>
>  http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1415.html#comment



情報有難う御座います。
2014-02-25のエントリー  「アンネの日記破損事件について」だと思います。
とてもいい情報なので本文に引用させていただきますので宜しくお願いします。
  1. 2017-07-19 18:30
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  3. 短足おじさん二世 #-
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 すみません。 

 間違って貼ってしまいました。

 戦後外務省の悪意 映画杉原千畝

 http://yomouni.blog.fc2.com/blog-entry-5357.html
  1. 2017-07-20 09:49
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  3. よもぎねこ #-
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To:よもぎねこさん

>  すみません。 
>
>  間違って貼ってしまいました。
>
>  戦後外務省の悪意 映画杉原千畝
>
>  http://yomouni.blog.fc2.com/blog-entry-5357.html



連絡有難う御座います。本文を見ていただくと分かりますが、よもぎねこさんの別のエントリーを参考にさせていただきました。
宜しくご了承くださるようお願いします。
  1. 2017-07-20 16:58
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  3. 短足おじさん二世 #-
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