2017-05-01 16:19

アメリカの朝鮮戦争についての見方

 4月28日のエントリー「韓国北朝鮮に対するアメリカの見方」で朝鮮戦争に関してのアメリカの世論を紹介した。
韓国北朝鮮に対するアメリカの見方
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1386.html

ここで引用した記事は現地を指揮した司令官が見た韓国軍の様子、

「韓国守る必要なし」トランプ氏に喝采送る米有権者、かつて「敵前逃亡」した韓国軍に“根深い”不信

多くの米国民が、「本当の朝鮮戦争」を知っているのだ。そして、上官と部下が揃って逃げる韓国軍の実態も-。


ここに以前裏の桜さんからいただいたコメントを紹介した。

無かった事にしたい戦争だった

朝鮮戦争に関して、米国には「非常に冷淡」な社会風潮があるらしいです。ハッキリ言ってしまえば「無かったこ事にしたい戦争」らしいのです。 

この無かった事にしたい戦争だった、これについて裏の桜さんは以前のエントリーを再掲されたので、その中身を引用紹介したい。
参照ブログは
アメリカは、朝鮮戦争をなかったことにしたい・・・再掲載

この該当部分を引用します。詳細は上掲ブログ参照ください

<以下引用>
「朝鮮戦争」といえば、日本人も何か思う人もおられるだろう。
 
だが、事実上朝鮮戦争で最前線で戦ったアメリカにとっては、「忘れたい戦争」「無かったことにしたい戦争」のようだ。
 
私の手元に上・下巻、一千ページを超える本がある。本の題名は「ザ・コールデスト・ウィンター 朝鮮戦争」著者「ディヴィッド・ハルバースタム」発行元「株式会社文芸春秋」
 
この本は、朝鮮戦争で戦い帰還した元アメリカ軍兵士からの膨大なインタビューをもとに、アメリカにとっての「朝鮮戦争とは何か?」ということを書いた本だ。
 
少し長めの引用になるが、一部を引用してみよう。

 
【兵士たちの多くは朝鮮に送られたことに、怒りをもち続けた。ある者は第二次世界大戦に出征し、その後予備役入りして民間の職業についていたころに招集がかかりしぶしぶ応じた。告げられたのは十年の間に二度目となる国外戦争への従軍だった。同世代の大勢の者がそのどちらにも招集がかからなかったのにである。第二次世界大戦で兵役に就いてそのまま陸軍に残った者たちは、北朝鮮軍が攻めてきた当時の米軍の哀れな状態に憤った。定員も訓練も足りない部隊、欠陥だらけの旧式装備、驚くばかりの低水準の指揮官層。かれらが知っている第二次世界大戦最盛期の陸軍の強さ、職業軍人魂とたくましさ。それらと朝鮮戦争緒戦のころの米軍の貧弱さとの落差はショック以外の何ものでもなかった。経験が深ければ深いほど、戦いに強いられる諸条件への失望と驚きはいよいよ大きかった
 朝鮮戦争の最悪の側面は「朝鮮戦争そのもの」と第二歩兵師団第二三連隊所属の大隊長だったジョージ・ラッセル中佐は書く。工業生産とその所産である兵器、とりわけ戦車への依存度の高い軍隊には朝鮮半島は最悪の地勢だった。スペインやスイスのような国々にも急峻な山岳地帯はあるが、じきに平坦な平野が開け、そこでは工業諸大国の戦車の投入が可能である。ところが、朝鮮は、ラッセルによれば、アメリカ人の目には「重畳折りなす山また山」だった。もし朝鮮を色でたとえるとすれば「茶褐色のグラデーション」になる。朝鮮で戦った功労に対して贈られる従軍勲章があったとするなら、従軍したGI全員が勲章の色として茶褐色を選んだだろう。
 朝鮮戦争は、テレビニュースが本来の力を発揮する以前に起こった。アメリカの情報化社会に入る前の時代で、そこがベトナム戦争とは異なる。朝鮮戦争のころのテレビのニュース番組の放送時間帯は一晩に十五分間しかなかった。内容もそっけないもので、影響も限られていた。当時の技術では、朝鮮からの素材がニューヨークの本社もニュースルームに届くのは通常、深夜で、全国民を震撼させることはめったになかった。朝鮮戦争は、まだプリントメディアの時代の戦争だった。白黒印刷の新聞で報道され、国民の意識もその域を出なかった。
 この本の執筆中の二〇〇四年、わたしはたまたまフロリダ州キーウエストの図書館を訪ねたことがあった。書架にはベトナム戦争関係の書籍は八十八点あったのに朝鮮戦争のものはわずか四点しかなかった。これはアメリカ人の意識をそのまま反映したものだ。
 若いころ第二歩兵師団の工兵で中国の捕虜収容所に二年半いたことがあるアーデン・ローリーは苦々しげにこう語っている。
 朝鮮戦争で行われた主要戦闘の五十周年記念が催された二〇〇一年から二年かけてアメリカでは三本の大型戦争映画が作られた。『パール・ハーバー』『ウィンドトーカーズ』『ワンス・アンド・フォーエバー』がその三本で、前の二本は第二次世界大戦物、三番目はベトナム戦争に関するものだった。これに、一九九八年制作の『プライベート・ライアン』を加えると、トータルで四本になるが、朝鮮戦争物は皆無だった。もっともよく知られた朝鮮戦争がらみの映画は一九六二年の『影なき狙撃者』。中国の捕虜収容所で洗脳されてアメリカ大統領候補をつけねらう共産主義者の暗殺ロボットに仕立てられたアメリカ人捕虜の話だ。
 戦時中の陸軍移動外科病院をあつかったロバート・アルトマン監督の反戦映画『マッシュ』。その後テレビシリーズとなったこの映画は朝鮮戦争に見せかけているが、実はベトナム戦争が主題である。封切られた一九七〇年は反戦運動が最高潮に達したころで、ハリウッドの役員たちは反ベトナム戦争映画の制作には神経質になっていた。映画をつくる最初から朝鮮戦争は、ベトナム戦争の隠れミノだった。アルトマン監督と脚本家リンダ・ラードナー・ジュニアはベトナムに焦点を当てながら、ベトナム戦争の当時の段階では、まだコメディにするには繊細すぎる問題だと考えたのだった。映画に登場する兵士も士官もベトナム戦争時代のもじゃもじゃ髪で朝鮮戦争期のクルー・カットではない。
 この戦争が持つ残虐性の実相はアメリカ人の文化意識にまったく浸透しなかったのだ。この戦いでアメリカ人の死者は推計で三万三千人、ほかに十万五千人が負傷した。韓国側の損害は死者四十一万五千人、負傷者四十二万九千人だった。中国と北朝鮮はその死傷者数を固く秘匿しているが、米軍当局者は死者およそ百五十万人だったと見積もっている。
 朝鮮戦争は冷戦を一時熱くし、アメリカと共産陣営との間ですでに顕著になっていた(しかも、ますます高まっていた)緊張を高め、アジアで存在感を見せつつあった共産勢力とアメリカとの亀裂を深めた。二極間紛争の当事者間の緊張と分裂は、アメリカの誤算が中国の参戦を招いた後、一段と深刻化する。戦いが終わり軍事休戦が実現すると、双方が勝利を主張した。もっとも、朝鮮半島の最終的な分割線は開戦前とあまり変わらなかった。だが、アメリカは同じアメリカではなかった。対アジア戦略像は変化し、国内の政治状況は大幅に塗り換えられた。
 
 朝鮮戦争で戦った兵士たちは母国の同胞から疎んじられたと感じることが多かった。その犠牲は感謝されなかった。同世代の人びとの目には重要度の低い遠隔の地の戦争であるにすぎない。朝鮮戦争には、第二次世界大戦にあったあの栄光と正統性はかけらもなかった。第二次世界大戦では、国民が国を挙げて一つの偉大な目的を共有し、兵士一人ひとりがアメリカの民主精神と至善のアメリカ的価値観を広宣流布する使徒と目され、高く賞賛された。
 いっぽうの、朝鮮戦争は退屈な限定戦争であった。そこからはこの先、あまりいいことは何も生まれてこない、と国民はさっさと決めてしまった。兵士が帰還して気がついたのは、かれらの体験に隣人たちが総じてさしたる興味を示さないことだった。会話のなかで戦争話はすぐに無用の話題にされた。家庭内のできごとや職場での昇進、新しい家屋や新車の購入のほうがもっとも興味を引くテーマだった。その原因の一部は、朝鮮からのニュースがほとんどいつもたいへん暗いからだった。戦況がよいときでも、必ずしも非常によいとはいかなかった。戦局の飛躍的進展の公算が近いと見えたことはほとんどなく、ましてや勝利に近づく気配は何もなかった。とりわけ、一九五〇年十一月下旬、中国が大兵力をもって参戦すると皆無になった。膠着状態を表す自嘲的なフレーズが兵士たちの間で人気になった。「Die for a tie(ダイ・フォー・ア・タイ)」。勝利のためではない、引き分けるために死ぬのだ。
 朝鮮戦争で戦った兵士たちと祖国の人びとの間には大きな心理的隔たりがあった。兵士らがどんなに勇猛果敢に大義のもとに戦おうと、第二次世界大戦の兵士にくらべれば、しょせん「二流」だったのである。兵士たちは、戦後も、そのことでやりきれない思いをした。しかし、彼らは静かに耐え忍ぶしかなかった。】
 

このような本で、残念なことがある。ある意味仕方がないことなのだが、どうしてもアメリカ人というか、第二次世界大戦の先勝国側から朝鮮戦争のことを書くとなると、日本の戦前戦中のことを書くこととなる。書かなければ、なぜ朝鮮半島が分断されたのか?かつドイツは東西統一を果たせたのに朝鮮は未だ果たせないのか?ということが見えてこなくなるからだ。その時にどうしても「日本は悪い」という観点がこのような著書に書かれることとなる。
 

著者は、この本を書き上げた後、不慮の事故で亡くなっている。本の著者紹介で著者を次のように紹介している

《デイヴィット・ハルバースタム。
 作家。アメリカが生んだ最も偉大なジャーナリスト。
 1955年にハーバード大学を卒業後、『ニューヨーク・タイムズ』入社、ベトナム特派員としての経験と広範な取材をもとに、ケネディ政権がベトナムの悲劇に突き進む様を描いた『ベスト&プライテスト』(1972年)で大きな賞賛をあびる。以降、徹底したインタビューと、エピソードを積み重ねるニュージャーナリズムと呼ばれる手法で、アメリカのメディア産業の勃興を描いた『メディアの権力』(1979年)、日米自動車戦争を描いた『覇者の驕り』(1986年)など、骨太な現代史のテーマを次々にものにした。
 本書は、10年越しの仕事。ゲラに最後の筆をいれた翌週の2007年4月23日、交通事故で死亡。次の本のインテビューへ向かう途上の悲劇だった。日本語版版権は、直後から遺族と交渉し独占入手したものである》
 
1955年に大学を卒業となっているから、もろに戦後史、第二次世界大戦史とその戦後史はリベラルだと思う。日本でデカイ顔をしてる今現在七十歳代の自称ジャーナリストたちと同じ第二次世界大戦史観を持っていたと考えられる。
 
ともかく、驚かずにはおられまい。引用した文にも書いてあるように、第二次世界大戦後間もなく始まった戦争で、あれだけの損害をアメリカは出しながら、朝鮮戦争を重要な戦争とは受け止めていないのだ。

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このエントリを記したのは、平成22年(2010年)1月である。

<引用終り>

正しく奇々怪々な戦争、私も調べてみて本当に不思議です。 
兎に角将軍が戦争に勝とうとするのを政治家(大統領)がストップをかけた。 
将軍が報告すると敵に筒抜け、信じられません。 
中共軍が国境の河を渡って来るので橋を爆撃しようとすると大統領がノー。 
ミグ戦闘機が都合が悪くなると満州に逃げ込む、その飛行場を爆撃しようとすると矢張り大統領がノー。 
挙句の果ては将軍の首を切ってしまった。 
朝鮮戦争であれだけ多数のアメリカ兵が死んだのに、その死はなんだったんでしょうね。 
そんな所がアメリカ人があの戦争を忘れたい理由なんでしょう。 

所で冒頭揚げた4月28日のエントリーはどちらかというと朝鮮戦争を戦った現地司令官の見た朝鮮戦争の実態。
裏の桜さんの記事は最前線で戦った兵士の見たものが中心だと思う。

そこでもう一つの見方、この戦争を戦った「将軍」の見た見方である。
良い証言がある。
マッカーサーの腹心「ウィロビー」の回顧録に詳細が見える。
チャールズ・ウィロビー(Charles Andrew Willoughby, 1892-1972):アメリカ陸軍の軍人。最終階級は少将。マッカーサー将軍の情報参謀で、GHQ参謀第2部 (G2) 部長)

このウィロビー回顧録に関して、「しばやん」さんが大変うまくまとめている。

朝鮮戦争で、国連軍を勝たせないようにしたのは誰なのか


仁川上陸作戦で北朝鮮軍の補給路を断ち攻勢に出た国連軍を指揮するマッカーサーに対し、米統合参謀本部は北進攻撃の許可と詳細な指令を1950年9月28日に出し、いよいよ38度線を超える北進攻撃が開始された。
しばらくウィロビーの回顧録を引用する。

「連合国軍による38度線を突破しての北進攻撃は、まず韓国軍の二個師団によって開始された。1950年9月30日、これらの部隊は東海岸沿いの道路を一挙に北上、10月3日には38度線を突破して100マイル近くも前進していた。そして10日後には、これらの師団は軽い抵抗を受けただけで元山を攻略していた。
一方、西海岸沿いでは米第8軍が国連決議を待つかのように、10月8日に38度線を突破し、平壌の南部近郊へと一直線に攻め込んだ。第187空輸部隊は平壌の北25マイルにパラシュート部隊を降下させ、マッカーサー元帥と第8軍司令官ウォーカー中将も、この落下傘部隊を追うように平壌の飛行場にその姿を現わした。」(知られざる日本占領 ウィロビー回顧録』p.278) 

国連軍は北朝鮮の首都平壌を占領し、破竹の勢いで鴨緑江近辺まで進軍したが、ここで868千人の中国軍の大軍に遭遇することになる。
再びウィロビーの回顧録を引用する。

「この危機的局面に直面しているマッカーサーの部隊はといえば、残余の北朝鮮軍を壊滅させ、北朝鮮全域に秩序を回復するだけの能力は十分持っていた。…だが、中共軍が本格介入した場合、その兵力比は5対1の割で敵の方が圧倒的に多く、おそらく今年の終わりには10対1にまで開く可能性さえある。しかしワシントンは、すでにマッカーサーにはこれ以上兵力を増やすことはないと知らせてきたのだ。
1950年11月26日、中国軍司令官・林彪は全兵力を挙げて鴨緑江を渡り、攻撃を開始した。かくして中国は、米国その他の連合諸国とおおっぴらな戦争状態に突入したのであった。」(同上書 p.292-293) 

国連軍は中国軍の兵力に圧倒されて12月4日に平壌を放棄して後退し、1951年1月4日には再びソウルを共産軍に奪われてしまう。

ウィロビーの回顧録を読み進んでいくと、大量の中国軍が国境付近に集結し北朝鮮支援のために参戦する可能性が高いことを、ウィロビー率いるGHQ参謀第2部(G2)が何度もワシントンに詳細に報告していたことや、台湾の国民党筋も1950年8月27日に中共の介入をアメリカに警告していたことなどが縷々述べられている。そのような重要情報を入手していながら米統合参謀本部は、「中共が本格的攻勢をかけようとしているか確認できない」として、マッカーサーに対し北進を指令したのだが、それは何故なのか。
また中共軍が参戦して国連軍が敗走し再びソウルを失うと、自らの状況判断ミスを棚に上げて、結果責任をもっぱらマッカーサーに擦り付け、「わが部隊は中国の農民兵を前にして敗走したが、これは米国戦闘史上にあってもっとも恥ずべき敗北である」とマッカーサーを非難したという。

前回の記事でもいくつか紹介したが、米統合参謀本部はマッカーサーにとってプラスになるような有用な情報を伝えるどころか秘匿し、マイナスになるような命令を何度も出した。またマッカーサーが敵軍の補給路を断って緒戦の戦況を一変させた「仁川上陸作戦」には、何故か根強く反対したのである。
米統合参謀本部の中枢には、少なくともマッカーサーが活躍することを喜ばず、できれば失敗をさせることによってマッカーサーを失脚させたいと考える人物が中枢にいて指示を出していた可能性を感じる人は私だけではないだろう。その問題については後で書くことにしよう。

話を中国軍と国連軍との戦いに戻す。
兵力では圧倒的に中国軍の方が優勢であったのだが1951年の2月ごろから不思議なことに中国軍の戦闘力が低下していった。

ウィロビーはこう解説している。
「1951年2月10日には奪われていた仁川港を再び攻略したわが軍は、態勢を立て直して反撃を開始し、共産軍にカウンターを食らわせつつあった。
 とはいえ、共産軍の猛攻が失敗に帰して、2月以降、その戦闘力が低下したことは、わが軍がすばらしい戦闘能力を示したというだけでは説明がつかない。なぜなら、わが兵力は数の上で圧倒的劣勢に立たされていたからである。これには別の要因も働いていた。つまり流行病という天罰が敵に下っていたのである。天然痘、腸チフス、発疹チフス、回帰熱等の流行病が北朝鮮全域に蔓延したのである。…」

かくして国連軍は態勢を建て直し、3月14日には再びソウルを奪還している。そして戦いは膠着状態に入ったと言われているのだが、武力においてはすでに国連軍のほうが優勢であったと言われている。
ところがトルーマン米大統領は4月11日にマッカーサーを突然解任し、彼のすべての指揮権を剥奪してしまったのだ。

ウィロビーの回顧録にはこう記述されている。
「トルーマン大統領は、新たな勝利が朝鮮戦争でもたらされようとしていたその矢先、彼の最高の野戦司令官を解任するという暴挙に出た。その結果、トルーマンは敵が恐れていた一人の男を取り除くことになった。
 当時、マッカーサーは中国内の聖域を攻撃する決定を下すように、強硬に主張していた。彼はワシントンに、わが軍に対して活発に展開していた鴨緑江以北の軍事施設を空爆し、敵の補給をたつために中国の海岸を封鎖することの許可を求め、さらに台湾の国府軍を使わせてほしいとの要求を再三再四行った。だが国防長官のマーシャル、国務長官のアチソン、それにトルーマンはこれを握りつぶしてしまった。おかげでわれわれは陣地戦で行き詰まり、消耗多くして実りの少ない戦争を継続する羽目に陥った。
 トルーマンは、中国内の聖域どころか鴨緑江にかかる橋を空爆することさえ許可しようとしなかった。中国軍が鴨緑江を渡ってきたとき、マッカーサーは河にかかる6つの橋を空軍で破壊するよう命じたが、彼の命令はたちどころに飛んできたワシントンからの電報で撤回されてしまった。鴨緑江の橋はいまも相変わらず架かっている。その橋桁には、共産軍を増強して国連軍を撃破しようと、何十万という兵士たちの足音がとどろきわたり、何百万トンという補給物資と弾薬が車輪の音を響かせたのである。」(同上書p.320-321) 

普通に考えれば仁川上陸作戦で敵軍の補給路を断つのに成功したならば、鴨緑江に渡る橋を破壊すれば、北朝鮮軍の全面的敗北は確実であったと思われる。ところが、それをさせじとする勢力がワシントンの中枢部にいたことは極めて重要である。

<引用終り>


裏の桜さんのブログにある最前線で戦った兵士の言葉、「定員も訓練も足りない部隊、欠陥だらけの旧式装備、驚くばかりの低水準の指揮官層」、これをマッカーサーの目で見るとこうなる。
マッカーサーの作戦は国防長官のマーシャル、国務長官のアチソン、それに大統領トルーマンによって拒否された。おかげで国連軍は陣地戦で行き詰まり、消耗多くして実りの少ない戦争を継続する羽目に陥った。

これが朝鮮戦争に実態である。
そしてアメリカ政府中枢部に多数の共産主義者やソ連のスパイがいることは、マッカーシーの赤狩りで知られているが、その後1990年になってソ連とアメリカ内のスパイとの通信文書=ヴェノナ文書が公開され、マッカーシーが指摘したよりスパイの数は多く、アメリカ政府内でも300名ほどのスパイがいたことが明らかになっている。
ヴェノナ文書については以下エントリー参照ください。
ヴェノナ文書についての本


こんな事で朝鮮戦争という不可解な戦争、こんな裏が有ることを考えると、現在進行中の北朝鮮問題も一筋縄ではいかないことが分かる。
アメリカのマティス国防長官、ティラーソン国務長官、ペリー副大統領、このトランプ政権の首脳は日本と韓国で米軍関係者からこの厄介な話を縷々聞いたのではないか。

戦後72年の共産主義との闘いがいよいよ最終章に向かっていると思う、そんな中で日本、日本人がどうするか、日本人の覚悟が問われていると思います。


最後に1951年5月3日、アメリカ議会上院の軍事委員会でのマッカーサー証言で彼はこんな事を言っています。
2015-12-26マッカーサーの上院での証言風景 

マッカーサーは、朝鮮戦争を通じて北朝鮮の背後にいるソ連、中国(中華人民共和国)という共産主義国の脅威を痛感した。
 「過去100年に米国が太平洋地域で犯した最大の政治的過ちは共産勢力を中国で増大させたことだ。次の100年で代償を払わなければならないだろう」
以下ブログ参照ください
老兵・マッカーサーはなぜ「日本は自衛の戦争だった」と証言したのか…

まさにこの予言通りのことが、今起ころうとしています。


  1. 朝鮮韓国
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コメント

Die for a tie

こんにちは。

拙ブログの紹介ありがとうございます。

私のエントリにて引用した著書の中で、政治的なことは別として、次の部分が「朝鮮戦争」を物語っていると私は思います。


【「Die for a tie(ダイ・フォー・ア・タイ)」。勝利のためではない、引き分けるために死ぬのだ。】
  1. 2017-05-01 17:32
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  3. 裏の桜 #-
  4. 編集

日本滞在

デイヴィット・ハルバースタムは『覇者の驕り』を読んで知りましたが、その圧倒的に緻密な取材に驚きました。たしかこの本を書くために家族と日本に長期間滞在したとあとがきにあったように記憶しています。この本ではフォードをアメリカ自働車産業の代表、覇者として取り上げ、それに対抗する日本の方は日産を取り上げていますが、自国を礼賛することなくその驕りを取り上げています。

自国礼賛が好きなアメリカ人にしては珍しい人だなと驚きました。日本滞在時に第二次世界大戦と朝鮮戦争の実態について彼が認識を改めたのではないかと期待しています。
  1. 2017-05-01 22:27
  2. URL
  3. wannabers #-
  4. 編集

Re: Die for a tie

> こんにちは。
>
> 拙ブログの紹介ありがとうございます。
>
> 私のエントリにて引用した著書の中で、政治的なことは別として、次の部分が「朝鮮戦争」を物語っていると私は思います。
>
>
> 【「Die for a tie(ダイ・フォー・ア・タイ)」。勝利のためではない、引き分けるために死ぬのだ。】



「Die for a tieですか、確かにこの不可解な戦争の問題点をズバリ証言していますね。
こんな事のために命を懸けねばいけない、前線で戦った人はすべての暗澹たる思いが伝わりますね。

アメリカは戦争ばかりしている国ですが、その綻びがこれほどはっきりしたことは無い。そして六十有余年たった今、そのツケを払わねばいけないことになってきたわけです。
多分これから朝鮮戦争とイラク戦争の類似点が言われることになるかも知れません。
  1. 2017-05-02 06:37
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  3. 短足おじさん二世 #-
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Re: 日本滞在

> デイヴィット・ハルバースタムは『覇者の驕り』を読んで知りましたが、その圧倒的に緻密な取材に驚きました。たしかこの本を書くために家族と日本に長期間滞在したとあとがきにあったように記憶しています。この本ではフォードをアメリカ自働車産業の代表、覇者として取り上げ、それに対抗する日本の方は日産を取り上げていますが、自国を礼賛することなくその驕りを取り上げています。
>
> 自国礼賛が好きなアメリカ人にしては珍しい人だなと驚きました。日本滞在時に第二次世界大戦と朝鮮戦争の実態について彼が認識を改めたのではないかと期待しています。



お久しぶりです。私はこの著者の本は読んだ事が無いのですが、『覇者の驕り』が1986年の出版なので、その当時の日本の自動車関係との話は良く分かります。確かにこの頃のアメリカは傲慢そのものでした。

この著者には『覇者の驕り』の続編を書いてほしかったですね。『覇者の驕り』(1986年)ではフォードと日産の比較ですが、その日産もその十数年後にはゴーンに乗っ取られてしまった。日本にだって驕りはありますので、常に謙虚に自分を見つめないといけないです。
  1. 2017-05-02 06:55
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
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「米英最大の過ちは、防共の砦ある日本を破壊し、満州を共産主義の根拠地にしたこと」
「朝鮮半島を南北に分断した事は、東アジアの災いの元になる。米英は対処しなければならなくなる」

これは、東京裁判でA級戦犯として処刑された東条英機の遺言です。この言葉をいい残して、彼は死刑台にのぼりました。
日本が共産主義の拡大を防ぐために孤軍奮闘していたことを、アメリカは全く理解しておらず、日本がやってきたことをアメリカが代行したのが朝鮮戦争といえます。
いわば、共産主義という火事に対する防火壁が日本だったわけで、その防火壁を破壊したために火事が飛び火し、アメリカは消火器を担いで走り回る羽目になったということでしょう。
共産主義は死滅しておらず、一時的に冬眠に入った、あるいは別の姿に擬態して生きており、戦前から続いてた共産主義から日本の国体を防衛する戦いは姿かたちを変えて続行中だということです。
その意味において、東条英機の遺言はいまだに有効であり、改めて戦前の日本と東京裁判の真の意味ついて再評価がなされるべきではないでしょうか?
  1. 2017-05-02 14:40
  2. URL
  3. 名無しの権兵衛 #uArgppyM
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義を見てせざるは習近平 朝鮮有事に勇気なし

ニューズウィーク日本版に興味深い記事が有りました。

義を見てせざるは習近平 朝鮮有事に勇気なし
楊海英(内モンゴルの出身の人でモンゴル名はオーノス・チョクト)

旧満州国軍のモンゴル人騎馬軍や国共内戦後も中国に残留した旧国民党軍は人民解放軍に編入され、朝鮮戦争勃発の時、彼らはいち早く前線に派遣され、世界最強の米軍が中心の国連軍と戦った。
米軍の銃口を借りて、旧国民党軍とモンゴル軍を消耗させるのが中国共産党の狙いだった。
どちらも毛沢東直系の軍隊ではなかったからだ。消耗される側は共産党の真意は分かっていたので、進んで国連軍に投降した。
休戦協定が結ばれ、捕虜交換問題が交渉のテーブルに載ると投降兵は皆、北京ではなく台湾行きを切望した。国民党の蒋介石総統は部下たちとの再会を喜び、彼らを台湾に受け入れた。
こうした事実を棚に上げ、中国と北朝鮮は朝鮮戦争を「鮮血で固められた友情」で両国を結びつけた出来事と美化するようになった。
  1. 2017-05-02 20:28
  2. URL
  3. taigen #-
  4. 編集

To:名無しの権兵衛 さん

> 「米英最大の過ちは、防共の砦ある日本を破壊し、満州を共産主義の根拠地にしたこと」
> 「朝鮮半島を南北に分断した事は、東アジアの災いの元になる。米英は対処しなければならなくなる」
>
> これは、東京裁判でA級戦犯として処刑された東条英機の遺言です。この言葉をいい残して、彼は死刑台にのぼりました。
> 日本が共産主義の拡大を防ぐために孤軍奮闘していたことを、アメリカは全く理解しておらず、日本がやってきたことをアメリカが代行したのが朝鮮戦争といえます。
> いわば、共産主義という火事に対する防火壁が日本だったわけで、その防火壁を破壊したために火事が飛び火し、アメリカは消火器を担いで走り回る羽目になったということでしょう。
> 共産主義は死滅しておらず、一時的に冬眠に入った、あるいは別の姿に擬態して生きており、戦前から続いてた共産主義から日本の国体を防衛する戦いは姿かたちを変えて続行中だということです。
> その意味において、東条英機の遺言はいまだに有効であり、改めて戦前の日本と東京裁判の真の意味ついて再評価がなされるべきではないでしょうか?



今改めて見直してみました。東条英機の言っていることは今現在にもぴったり当てはまります。
それだけ共産主義(今は擬態してグローバリズム)は恐ろしいという事でしょう。
近いうちに愛知県の三河湾を見下ろす三ヶ根山に行って、東条英機の墓にお参りしなければいけないでしょう。

今回の北朝鮮危機は改めてこんな歴史を思い起こさせます。
日本が第一次大戦からの百年戦争にどうやら終止符を打てる日が近づいているようです。
  1. 2017-05-02 21:49
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

Re: 義を見てせざるは習近平 朝鮮有事に勇気なし

> ニューズウィーク日本版に興味深い記事が有りました。
>
> 義を見てせざるは習近平 朝鮮有事に勇気なし
> 楊海英(内モンゴルの出身の人でモンゴル名はオーノス・チョクト)
>
> 旧満州国軍のモンゴル人騎馬軍や国共内戦後も中国に残留した旧国民党軍は人民解放軍に編入され、朝鮮戦争勃発の時、彼らはいち早く前線に派遣され、世界最強の米軍が中心の国連軍と戦った。
> 米軍の銃口を借りて、旧国民党軍とモンゴル軍を消耗させるのが中国共産党の狙いだった。
> どちらも毛沢東直系の軍隊ではなかったからだ。消耗される側は共産党の真意は分かっていたので、進んで国連軍に投降した。
> 休戦協定が結ばれ、捕虜交換問題が交渉のテーブルに載ると投降兵は皆、北京ではなく台湾行きを切望した。国民党の蒋介石総統は部下たちとの再会を喜び、彼らを台湾に受け入れた。
> こうした事実を棚に上げ、中国と北朝鮮は朝鮮戦争を「鮮血で固められた友情」で両国を結びつけた出来事と美化するようになった。



面白い情報ありがとうございます。
この件はまったく知られていない話ですね。
私ももう少し調べて書いてみたいような話ではあります。
しかし見れば見るほど奇奇怪怪な戦争ではありますね。
  1. 2017-05-02 21:57
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

はじめまして

短足おじさん二世さん、はじめまして。

拙ブログで4年ほど前に書いた記事ですが、紹介いただきとてもうれしいです。

朝鮮半島が随分キナ臭くなってきましたが、この記事を書いた頃はこんな展開になるとは思いもよりませんでした。

貴ブログはリンクして頂いて初めて知りましたが、独自の視点で書かれていて勉強になります。読者の方とのコメントのやりとりもレベルが高いですね。

これからも時々覗かせていただきますので、よろしくお願い致します。
  1. 2017-05-03 08:57
  2. URL
  3. しばやん #-
  4. 編集

Re: はじめまして

> 短足おじさん二世さん、はじめまして。
>
> 拙ブログで4年ほど前に書いた記事ですが、紹介いただきとてもうれしいです。
>
> 朝鮮半島が随分キナ臭くなってきましたが、この記事を書いた頃はこんな展開になるとは思いもよりませんでした。
>
> 貴ブログはリンクして頂いて初めて知りましたが、独自の視点で書かれていて勉強になります。読者の方とのコメントのやりとりもレベルが高いですね。
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> これからも時々覗かせていただきますので、よろしくお願い致します。


初めまして、コメント有難う御座います。
最初にブログを勝手に引用させていただきましたこと、大変恐縮です。

今の朝鮮関係の動きは、多分しばやんさんが長年考えてきた問題点が一気に動き出したもの。そう感じています。
今日の新聞各紙には安倍首相の憲法改正への決意が報道されていますが、やっとこれで戦後が終わりそうです。
丁度ハワイでホノルル空港を「ダニエル・イノウエ空港」に改称する件が決まったそうですが、ハワイでも戦後が終わったという事なんでしょう。日本もやっと戦後が終わりそうです。
  1. 2017-05-03 17:48
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  3. 短足おじさん二世 #-
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 「ヴェノナ文書」や「China2049」や「日本人が知らない二つのアメリカ」等を読むと、ルーズベルト大統領の時に労働組合や教職員組合などが強化されて、共産主義・リベラリズムが仕組みとして浸透しやすい状態に変化してしまったことが米国の国体を歪め始めたのだと分りました。

 日本は米国と戦って勝てないとは、当時の政治家も軍人も分っていたようですし、戦争を回避する為に必死に動いていました。ただ戦線を拡大した軍の一部を政府が制御できなかったことと、マスコミによって開戦止む無しという空気が形成されたのは事実です。

 このマスコミの扇動は、各国の工作の成果で大正期から我が国のエリート層に共産主義が流行していたのと関係はあるようですね。

 結果が出ている現在の視点で、過去を断罪したり、逆に全てを都合よく解釈するのは違うと思います。でもこういう難しい過去の100年を、いま清算しようとしているということですよね。一体どういう結果になると思われますか?
  1. 2017-05-04 20:06
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  3. 都民です。 #-
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To:都民です さん

>  「ヴェノナ文書」や「China2049」や「日本人が知らない二つのアメリカ」等を読むと、ルーズベルト大統領の時に労働組合や教職員組合などが強化されて、共産主義・リベラリズムが仕組みとして浸透しやすい状態に変化してしまったことが米国の国体を歪め始めたのだと分りました。
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>  日本は米国と戦って勝てないとは、当時の政治家も軍人も分っていたようですし、戦争を回避する為に必死に動いていました。ただ戦線を拡大した軍の一部を政府が制御できなかったことと、マスコミによって開戦止む無しという空気が形成されたのは事実です。
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>  このマスコミの扇動は、各国の工作の成果で大正期から我が国のエリート層に共産主義が流行していたのと関係はあるようですね。
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>  結果が出ている現在の視点で、過去を断罪したり、逆に全てを都合よく解釈するのは違うと思います。でもこういう難しい過去の100年を、いま清算しようとしているということですよね。一体どういう結果になると思われますか?



後年の世代は多分「20世紀は共産主義と戦争と殺戮の世紀だった」、こういうと思います。
そしていま世界ではヒットラー・スターリン・毛沢東が3大悪人と見られていますが、これももう一人追加されるでしょう。
フランクリン・ルーズベルト、ヒットラー、スターリン、毛沢東、これで4大悪党でしょうね。

いずれにしても共産主義に対する「総括」がまだ済んでいません。これからこの20世紀の負の遺産をどうやって纏めるかでしょうね。
そんな意味で、今の北朝鮮危機の原点はヤルタ会談にある。こういう認識からスタートすべきだと思っています。

【難しい過去100年の清算がどういう結果になるか】、これが21世紀を生きる日本人に問われていることだと思っています。
そして結果がどうなるかではなく、どういう方向を目指して行動するか。結果は与えられるものではなく、いかに高い目標を掲げて行動するかにかかっている。私一人の力は僅かなものですが、それをみんなの力に結集することが大事ではないか。愚公移山とも言いますから、それを信じていきたいと思っています。


  1. 2017-05-05 11:59
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  3. 短足おじさん二世 #-
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