2017-03-24 14:37

護衛艦「くらま」退役に思う事

 海上自衛隊の護衛艦「くらま」が3月22日に退役した。

【防衛最前線(114)】ありがとう護衛艦「くらま」 日本の海を護り続けた36年
http://www.sankei.com/premium/photos/170323/prm1703230007-p1.html

2017-3-24有難う護衛艦くらま 

2017-3-19護衛艦くらま 


「くらま」の後継艦は海上自衛隊最大の護衛艦「かが」、いずも級護衛艦の2番艦である。

就役した護衛艦「かが」、隣は同型の1番艦「いずも」
2017-3-23護衛艦かが就役と同型艦いずも 


さてここからは私の護衛艦「くらま」についての思いで話。

私はタイで仕事をしていたころ、護衛艦「くらま」を訪問したことがある。2000年6月に「くらま」が海上自衛隊のタイ訪問の旗艦としてやってきた。そこでの艦上レセプションに出席したことがあり、ここで自衛官の方と親しく話をすることが出来、大変感銘を受けた。
その折の話のうち「空母が日本にも必要だ」という話は先回書いた
それ以外に特に印象に残っているのは、自衛官の方が言っていた「補給」に関する話。海上自衛隊の艦艇は燃料でも食料でもすべて満タンの7割になったら補給する、この為日本からタイに来るのも真っすぐには来られず、途中で補給せねばならないので大変だ。しかしこれは万一の時「即対応できる体制」のためには必須、だからこれを厳格に守っている。こんな話だった。

この話を聞いて納得した。大災害の時など自衛隊はただちに出動してくれる。(最近では東日本大震災の時もそうだったのは忘れてはならない)。しかしそんな事の陰には毎日毎日の活動の時、万一に備えて燃料や食料まできちんと管理している。その為面倒でもきちんと補給している。
こんな活動があるからこそ、万一に対処できるのだと。

この話を聞いて私もタイでの仕事の中身、特に在庫管理について色々見直してみた。所が自衛隊並みに管理するのは並大抵ではない。かなり発想の転換が必要なのだ。

例として車のガソリン補給を考えてみると分かる。
東京から西へ大阪方面に向かうとしよう、行程は約550キロ。車の燃料タンクは60リッターだが警告灯がつき始める残り10リッターの所までで50リッター使える、燃費はリッター10キロとすると・・・
普通なら東京から京都辺りまで(約500キロ)走れる。ほぼ目的地近くまで行けるわけだ。
それを満タンの7割で補給することにすると、満タンの3割は約18リッターなので、静岡辺りで給油。次に名古屋辺りで給油、最後に京都辺りでまた給油でやっと目的地に着く。
これじゃあ、やってられないですね。
がしかし、こういった面倒なことを黙々とこなしていればこそ、いざと言うとき即出動できるわけ。

護衛艦「くらま」は私にとってはタイでの仕事のレベルアップに非常に役に立ちました。
その「くらま」が引退する。
「くらま」、本当にありがとう。形は無くなっても、心は生きています。


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コメント

>海上自衛隊の艦艇は燃料でも食料でもすべて満タンの7割になったら補給する

 何故日露戦争で勝利し、太平洋戦争で負けたのかを考えて、ある時に兵站の違いだと気が付きました。日露戦争の時は、山形有朋を始めとして膨大な借金をしても兵站を途切れさせないように、出来る限りの手配をしていました。しかし太平洋戦争では各国の包囲網がつくられて借金する相手もなく、ここはまだ理解できませんが、戦線を拡大させてしまいました。

 防衛省のHPを見ると、数々の戦争の分析をされていますが、それが活かされているということを今日の記事で実感できました。
  1. 2017-03-25 09:50
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  3. 都民です。 #-
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To:都民です さん

> >海上自衛隊の艦艇は燃料でも食料でもすべて満タンの7割になったら補給する
>
>  何故日露戦争で勝利し、太平洋戦争で負けたのかを考えて、ある時に兵站の違いだと気が付きました。日露戦争の時は、山形有朋を始めとして膨大な借金をしても兵站を途切れさせないように、出来る限りの手配をしていました。しかし太平洋戦争では各国の包囲網がつくられて借金する相手もなく、ここはまだ理解できませんが、戦線を拡大させてしまいました。
>
>  防衛省のHPを見ると、数々の戦争の分析をされていますが、それが活かされているということを今日の記事で実感できました。



日本がなぜ負けたのかは複雑で、多数の要因があり、兵站もその大きな一つではあります。
昨年11月に戦闘機「飛燕」の話をアップしたとき、なぜ負けたのかを物作りから考える、そんな視点で書きました。
飛燕の話は専門的過ぎて分かりにくい面があると思いますが、この失敗の悔しさをバネに日本は世界に飛躍したのですから、今勉強する事にも意味があると思っています。

ご指摘の兵站の話ですが、兵站で負けた、だからもっと兵站を重要視すべきだ。こんな議論で終わらせてはいけません。
私は兵站で負けた戦いの代表例「インパール作戦」の現場である泰麺鉄道の現場を色々あるきました。湿度約100%、気温38度以上、こんな条件のジャングルの中も短時間ではありますが体験しました。5分でパンツの中まで汗でグチョグチョ(笑)。
そんな体験から「兵站を無視したマネジメントの問題」、そんなマネジメントを許す「人事管理の問題」など、奥のいろんな部分に気が付きました。
特に人事管理の問題は大切で、多分現代にも通じることが多いと思っています。

それから日米戦争は避けられなかったのか、こんな疑問に「アメリカから見て『日本が戦争を避ける』方法が無かったか」、こんな事も調べてみました。だから答えはアメリカ人が出しているのですが、結論は「日本には戦争を避ける方法はなかった」でした。
そしてこれが現代まで続いている問題ですね。

  1. 2017-03-25 16:19
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  3. 短足おじさん二世 #-
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