2016-12-07 19:09

ホワイト・ギルトの話<続編

 前回ホワイト・ギルトについてエントリーしたのだが、もともとこの話は大変分かりにくい。
おまけに中南米がスペイン・ポルトガルによって植民地化されているのにどうして北米の植民地化が遅れたのか。こんな疑問に私の知るところを書いてみたい。
知るところと言ってもこんな書物の受け売りである。
「国家はなぜ衰退するのか 権力・繁栄・貧困の起源」(上)
ジャレド・ダイヤモンド著 鬼澤忍訳 2013年6月早川書房刊

この本大変面白いのだが大著で読むのに苦労します。
何はともあれその中でイギリスがアメリカで植民地経営に乗り出した経緯について、こんな記述があります。

<以下引用>
 (コロンブスのアメリカ発見から)一〇〇年近く後の一五八八年、スペインのフェリペニ世がイングランドを侵略しようと送った無敵艦隊が幸運にも敗走すると、ヨーロッパ中に政治的な衝撃が走った。イングランドの勝利は運も味方してのことだったとはいえ、海上での影響力が増大する兆候でもあった。おかげて、イングランドはようやく植民地帝国を追い求められるようになったのだ。

 したがって、それとまったく同時にイングランド人が北米の植民地化を始めたのは偶然ではなかった。だが、彼らはすでに出遅れていた。イングランド人が北米を選んだのは、そこが魅力的だったからではなく、そこしか手に入らなかったからだアメリカ大陸の「好ましい」部分、つまり搾取すべき先住民がたくさんいて金山や銀山がある場所は、すでに占領されていた。イングランド人は残り物を取ったのだ。十八世紀の作家にして農学者たったアーサー・ヤングは、利益になる「主要産物」--彼はその言葉によって輸出できる農産品を意味していたーーがどこで生産されるかを論じた。ヤングはこう述べている。

 概して、われわれの植民地の主要産物の価値は、太陽からの距離に比例して減じるようだ。どこよりも暑い西インド諸島では、一人あたり八ポンド十二シリンダーペニーが生産される。大陸植民地の南部では、五ポンドー○シリング。中央部では、九シリング六と二分の一ペニー。北部の開拓地ではニシリング六ペニー。こうした等級がきわめて重要な教訓を示しているのは間違いないーー北緯度地方に植民するのは避けるように、と
<引用終り>

下手に私が解説するよりちゃんとまとまっています。

尚同書にはこんな地図が掲載されています。
コロンブス到着頃の南北アメリカ大陸の人口密度(推定値)を平方キロ当たりの人口で表したもの

2016-12-7アメリカ大陸の1500年頃の人口 

これを見ると人口密度の高いメキシコ中部辺りやペルーのアンデス地方では1平方キロ当たり400人に達しており、それに対しアメリカ合衆国の地域は1平方キロ当たり四分の三人だった。
このようにごくまばらに人が住んでいるところ、それが現在のアメリカ合衆国辺りの事情。
これを日本で見ると山手線の内側で63平方キロくらいなので、山手線の内側に40~50人程度の人が住んでいるくらい。これに対しメキシコ中央部は約500倍の人口なので、山手線の内側だとすれば人口2万5千人程度。これでは侵略者に狙われる訳だ。

さてイギリスによるアメリカ合衆国地域の植民地経営は初期は悲惨な歴史しかない。
一寸書き上げてみると
1) イギリスによる最初の植民地は1585年~1587年ノースカロライナ州ロアノーク(この数年前にも失敗した植民地があったが省略)
ロアノーク植民地
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%82%AF%E6%A4%8D%E6%B0%91%E5%9C%B0
ここは115人の開拓者集団は3年間補給がないままだったのでどこかに消えてしまった(現在も謎)

2) 次に最初の永続的植民地はバージニア州ジェームズタウンで1607年に始まった。
しかしここでは厳しい冬を乗りきるが大変で、500人いた開拓民が一冬で60人になったとか、食人せざるを得なかったとか、ある者は自分の腕で眠っている妻を殺して塩漬けにし、頭を残して全部食べてしまったとか、酷い話が沢山ある。
さらに先住民との軋轢も酷く、白人が自分らが決めた約束を何度も破るため、とうとう先住民が白人開拓者を襲撃し300人以上を殺戮した(1622年)。その争いの和解をして仲直りパーティー(と銘打った謀殺パーティー)で今度は白人が酒に毒を盛って先住民200人以上を殺した。こんなものすごい歴史がある・・・ジェームズタウンの虐殺。

ジェームズタウン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BA%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3_(%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%8B%E3%82%A2%E5%B7%9E)

ジェームズタウンの虐殺
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BA%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%81%AE%E8%99%90%E6%AE%BA


こんな歴史ではアメリカ合衆国の建国の歴史など誇りを持って語れるわけがない。酷いものだ。
ピルグリムファーザーズが到着した1620年、そして先住民の食糧を盗んだりしながらでも何とか冬を乗り切って収穫の秋を迎え、先住民とともに収穫を祝ったのが1621年、その丁度同じ頃最初の植民地では悲惨な虐殺が起こっていた。だからこのジェームズタウンは遺跡ではあるものの人は住んでいない。とても後世に語り伝えられない歴史だ。

こんな事情があるので、噓でもいいからピルグリムファーザーズの話を美談にしないといけない。そう見てくると感謝祭にはホワイトハウスで大統領が食べられる筈だった七面鳥に恩赦を与える儀式が有るのも納得できる。
こんな事でもしない事には、あまりにも建国の歴史がむごい、その一言という事だ。

今犬HKで真田丸をやっていますが、大坂夏の陣が終わったのが1615年、それから日本は平和な時代になったのだが、アメリカではそんな頃こんな悲惨なことが起こっていたわけです。
(続きます)
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