2016-11-20 09:41

焚書の事例から現代へ

 11月10日のエントリー「トランプが大統領になる」でGHQによる焚書の事例を取り上げた。またこの焚書は永らく戦後の闇に隠れていたが、西尾幹二先生が精力的に取り上げていることも前回紹介した。
今日はその焚書に事例とそれが現代につながる話を取り上げます。

最初に10日のエントリーで取り上げた焚書の例

2016-11-10GHQ焚書大衆明治史 
「大衆明治史 國民版」 菊池寛(著) 汎洋社 昭和十七年
41頁~61頁 (マリア・ルーズ号事件

2016-11-20マリア・ルーズ号事件 


さてこのマリア・ルス号事件、Wikiではこう書いている。この件の問題を理解するため、少々長いが我慢してみてください。
以下wikiの「マリア・ルス号事件」

マリア・ルス号事件(マリア・ルスごうじけん)とは、明治5年(1872年)に日本の横浜港に停泊中のマリア・ルス号(ペルー船籍)内の清国人苦力を奴隷であるとして日本政府が解放した事件。日本が国際裁判の当事者となった初めての事例である。

事件の概要
1872年7月9日、中国の澳門からペルーに向かっていたペルー船籍のマリア・ルス(Maria Luz マリア・ルーズ[1]、マリア・ルースと表記する書籍もあり[2])が横浜港に修理のために入港した[3]。同船には清国人(中国人)苦力231名が乗船していたが、数日後過酷な待遇から逃れる為に一人の清国人が海へ逃亡しイギリス軍艦(アイアンデューク号)が救助した。そのためイギリスはマリア・ルスを「奴隷運搬船」と判断しイギリス在日公使は日本政府に対し清国人救助を要請した。
そのため当時の外務卿(外務大臣)副島種臣は、神奈川県権令(県副知事)大江卓に清国人救助を命じた。日本とペルーの間では当時二国間条約が締結されていなかったため、政府内には国際紛争をペルーとの間で引き起こすと国際関係上不利であるとの意見もあったが、副島は人道主義と日本の主権独立を主張し、マリア・ルスに乗船している清国人救出のため法手続きを決定した。
マリア・ルスは横浜港からの出航停止を命じられ、7月19日(8月22日)に清国人全員を下船させた。マリア・ルスの船長は訴追され神奈川県庁に設置された大江卓を裁判長とする特設裁判所は7月27日(8月30日)の判決で清国人の解放を条件にマリア・ルスの出航許可を与えた。だが船長は判決を不服としたうえ清国人の「移民契約」履行請求の訴えを起こし清国人をマリア・ルスに戻すよう主張した。これに対し2度目の裁判では移民契約の内容は奴隷契約であり、人道に反するものであるから無効であるとして却下した。また、この裁判の審議で船長側弁護人(イギリス人のフレデリック・ヴィクター・ディキンズ[4])が「日本が奴隷契約が無効であるというなら、日本においてもっとも酷い奴隷契約が有効に認められて、悲惨な生活をなしつつあるではないか。それは遊女の約定である」として遊女の年季証文の写しと横浜病院医治報告書を提出した。日本国内でも娼妓という「人身売買」が公然と行われており、奴隷売買を非難する資格がないとの批判により日本は公娼制度を廃止せざるを得なくなり、同年10月に芸娼妓解放令が出される契機となった。裁判により、清国人は解放され清国へ9月13日(10月15日)に帰国した。清国政府は日本の友情的行動への謝意を表明した[5]。しかし問題はこれで終わらなかった。
翌年2月にペルー政府は海軍大臣を訪日させ、マリア・ルス問題に対して謝罪と損害賠償を日本政府に要求した。この両国間の紛争解決のために仲裁契約が結ばれ第三国のロシア帝国による国際仲裁裁判が開催されることになった。ロシア皇帝・アレクサンドル2世によりサンクトペテルブルクで開かれた国際裁判には日本側代表として全権公使の榎本武揚が出席。1875年(明治8年)6月に法廷は「日本側の措置は一般国際法にも条約にも違反せず妥当なものである」とする判決を出し、ペルー側の要求を退けた。
<引用終り。

所でこの当時、多数の中国人が苦力(クーリー)として海外に出ていった。中国には永年にわたる人口排出・奴隷輸出の歴史があるが、その一つである。
この件はピッグ・トレードという事で、ドイツ在住の丸山光三さんがブログに書いている。

ピッグ・トレードという名のシナ人奴隷貿易


このピッグトレードで輸出されたシナ人に関しては、私がタイで雇用したスタッフのうち、華僑系のスタッフから聞いても「おじいさんがゴザ1枚持って船に乗ってタイにやってきた」と言っていたりするので、そんな連中には別に古い話ではないと思う。

さて本題に戻ってマリア・ルス号事件だが、この件は高山正之さんが雑誌正論2016年8月号の「折節の記」にペルーに関してという事で一文を書いている。私がゴタゴタ書くより面白いので、それを引用したい。

<以下引用>
折節の記  雑誌正論 2016年8月号
高山正之

  日本とペルーの出会いは明治5年に始まる。その年、横浜港に入ったペルー船マリア・ルス号から積み荷の苦力1人が逃げ出し、英国艦に助けを求めた。
 英国は揉めごとが大好きだ。日本政府に彼を引き渡し、ついでに「奴隷廃止のいまどき、奴隷船が大手を振っている」とけしかけた。
 外務卿は曲がったことが嫌いな佐賀の藩士、副島種臣。法務卿は同じく江藤新平だった。ペルー船の船長を拘留し、苦力を解放すればお前を許すと言った。
 苦力は米国のラッセル商会の商品で、船は移送だけが仕事。船長はすぐOKして231人の苦力は船底の牢から解放された。
 大損したラッセル商会は怒った。ペルーを通して日本政府に賠償請求訴訟を起こした。
 国際法廷はロシア皇帝アレクサンドルニ世を裁判長にして開かれ、日本は榎本武揚を送って非道の苦力貿易を批判した。
 米陣営はパソナの竹中平蔵と同じに「苦力は奴隷でなく契約労働者だ」と主張した。
 しかしロシア皇帝はルーズベルトの義父、ウォーレン・デラノ(引用者注:義父ではなく、母方の祖父)が仕切るラッセル商会が阿片と奴隷貿易で儲ける悪徳商会と知っていたから、日本の勝ちを認めた。
 ペルーには多くの苦力がいた。彼らは日本の勇気に感謝したが、苦力を使う側のスペイン人は奴隷補給を絶たれて日本を恨んだ。
 報復のときは70年後に来た。(引用者注:フランクリン・デラノ・ルーズベルトが大統領の時)日本が真珠湾を攻撃すると米国は日系人をマンザナの収容所に放り込んだ。ペルーにも声をかけ、スペイン人は邦人1770人の財産を没収し、米国の収容所に送った。白人たちの報復はいつも陰湿だ。
 それから半世紀、ペルーの大統領選にアルペルト・フジモリが立ち、驚いたことに対抗の白人候補を破って当選してしまった。
 何で驚きかというと、ペルーを含む中南米諸国はどこも白人が支配階層にいて、彼らがインディオを犯して生ませたメスチソが中間階層を占め、その下に黒人奴隷と苦力の末裔、それと日本人移民が最下層を構成していた。
 フジモリは白人の血の入らない最下層に属していたが、彼を非白人層が支持し、それにメスチソたちが相乗りした結果だった。
 大統領になった彼はまずメスチソたち3万人を殺した共産ゲリラ、センデロルミノソを退治し、次にベラウンデ家とかプラド家とかこの国を支配してきた白人が独占する国会の改革に乗り出した。
 世に大統領のクーデターといわれる荒療治で、軍隊をして国会を制圧し、上下院計182人をクビにし、改めて120人定数のI院制に改めた。さらに国民所得が100ドルなのに毎月1千ドル出ていた議員年金を廃止した。
 白人の縁故で占められた役所にもメスを入れ、新たに公務員試験を導入する一方で、例えば3500人いた文部省は700人に人員を削減し、その分を学校建設に回した。フジモリ治世のころ、毎週、どこかで学校が開校されていたとエクスプレソ誌が伝えていた。
 おかげでインフレ率2千%の破綻財政は5年で立ち直った。
 これに白人が危機感を持った。フジモリ再選のとき彼らは国連事務総長で名門のデクエアルを担いだ。出馬宣言の日、彼はヘリでチチカカ湖に降り立った。インカの王がその湖から生まれたという神話をなぞったものだ。
 これにメスチソが反発した。そのインカ王も民も殺したのはお前らスペイン人ではないか。フジモリは記録的な圧勝で再選された。
 フジモリはその後、汚職と無事の市民虐殺の嫌疑で捕まった。汚職を追放した大統領が汚職をするわけもない。それは無実となったが、共産ゲリラを退治するとき、無事の民を巻き添えにしたという言いがかり訴因は白人判事によって認められた。報復はなった。
 今回の大統領選に白人側は東欧生まれのユダヤ系白人クチンスキを立て、フジモリの娘ケイコを何とか倒した。日本の新聞報道には一切人種が出ないから、読んでいてもさっぱり判らない。
<引用ここまで>

明治5年の話が延々と尾を曳き、日系人強制収容問題になった。
2016-11-20強制収容される日系アメリカ人 

ペルーと言えば、私には首都リマでの日本大使公邸人質事件を思い出すのだが、これを取材していた青山繁晴さんがその後勤務先の共同通信社を退職せざるを得なかったのには、このあたりの闇の世界が関係していると思っている(私の個人的感想です)。


焚書の話があちこちに飛んでしまいました。
焚書とはこんなアメリカにとって都合の悪いことを隠すために仕組んだものだった、そういう事が7700点もの膨大な書籍の一点ずつに色々ついている、そう思って間違いないでしょう。

日本を取り戻すためにはこんな歴史を一つずつ掘り起こしていく作業がどうしても必要ではないかと思うのです。

このマリア・ルス号事件でも、これだけで明治の日本が実に毅然とした態度で欧米の奴隷体制に対峙していたことが分かります。
多分焚書の中にはこんな話が沢山埋もれている、そう思います。

  1. 歴史
  2. TB(0)
  3. CM(8)

コメント

そういえばヒラリークリントンのメール問題も、彼女が軽率に公的情報を私的メールで送ったというレベルの問題ではなく、公的メールだと公文書として残る為、私的メールを使ってヤバい話の痕跡を残さないようにしたという噂も目にしますね。

闇に葬られた情報を掘り起こすというのは大変な作業です。

透っ波(すっぱ抜くの語源。忍者の古称)が現代日本にこそ必要ですね。
  1. 2016-11-20 12:21
  2. URL
  3. taigen #-
  4. 編集

 FDRが1872年のマリア・ルス号事件の恨みを、1941年の戦争や1942年のペルーの日系人を米国の収容所に強制収容したなんてどうしようもなく執念深い性格ですね。先日FDRの父はドイツを嫌い、母は中国を愛して日本を嫌っていて、それが彼に影響を与えたのではないかという本を読みました。米国の国益を考えての行動ではなく、私的な感情がに日独への開戦の動機の一つだと思わざるを得なくなります。

 こういう文書を、西尾幹二さんが開封して下さり有りがたいことで、お蔭で失われた歴史を取り戻すことが出来始めています。ただ個人の力に頼るのではなく、これは国会図書館が全ての焚書された書物を現代語訳を付けて出版するべきだと思います。

 それから高山正之さんの本やネットの番組はよく観ていますが、本当に歴史や現場で取材した事柄などは面白い語り口でしかも勉強になる事ばかりです。こういうお話は、知っておかないといけないと思います。

  1. 2016-11-20 18:39
  2. URL
  3. 都民です。 #-
  4. 編集

To:taigen さん

> そういえばヒラリークリントンのメール問題も、彼女が軽率に公的情報を私的メールで送ったというレベルの問題ではなく、公的メールだと公文書として残る為、私的メールを使ってヤバい話の痕跡を残さないようにしたという噂も目にしますね。
>
> 闇に葬られた情報を掘り起こすというのは大変な作業です。
>
> 透っ波(すっぱ抜くの語源。忍者の古称)が現代日本にこそ必要ですね。


この件は私もご指摘の通りだと思っています。
ただ、こんな話は市井の個人が調べられるものではない、FBIがヒラリーを取り調べてくれるのを待つしかないと思います。
でも今はまだその時期ではなさそう。
  1. 2016-11-20 21:33
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

To:都民です さん

>  FDRが1872年のマリア・ルス号事件の恨みを、1941年の戦争や1942年のペルーの日系人を米国の収容所に強制収容したなんてどうしようもなく執念深い性格ですね。先日FDRの父はドイツを嫌い、母は中国を愛して日本を嫌っていて、それが彼に影響を与えたのではないかという本を読みました。米国の国益を考えての行動ではなく、私的な感情がに日独への開戦の動機の一つだと思わざるを得なくなります。
>
>  こういう文書を、西尾幹二さんが開封して下さり有りがたいことで、お蔭で失われた歴史を取り戻すことが出来始めています。ただ個人の力に頼るのではなく、これは国会図書館が全ての焚書された書物を現代語訳を付けて出版するべきだと思います。
>
>  それから高山正之さんの本やネットの番組はよく観ていますが、本当に歴史や現場で取材した事柄などは面白い語り口でしかも勉強になる事ばかりです。こういうお話は、知っておかないといけないと思います。



FDRの件は煩雑になるので詳しく書きませんでしたが、こんな事情があります。
先ずFDRの母サラ・デラノは父親ウォーレン・デラノの関係で中国生まれで、中国に親近感を持っています。さらに多分この事件の関係で(大損したので)日本を恨んでいたのでしょう。
そしてFDRは当時の上流階級の常で幼少期は学校に行っていません。日本でいう小学校・中学校辺りまでは家庭教師に教えてもらっていました。ですからFDRは終生母サラ・デラノの強い影響を受けていたそうです。
また父親はFDRが生まれた時、すでに54歳くらいで、長男には子供が生まれていたと言います。
そんなことで母サラ・デラノの影響が極めて強かったとみていいでしょう。

こんな事情もさることながら、もう一つ忘れてはならないのが日本が日露戦争でロシアの当時世界最大最強の大艦隊を全滅させたこと。白人の前に立ちはだかる有色人という恐怖心。これがいろんな形で出ていることですね。

この恐怖心は原爆投下というアメリカ人の罪の意識と相まって複雑な心理をもたらしています。
そんな事情を理解する必要があります。
  1. 2016-11-20 21:56
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
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>>日本の新聞報道には一切人種が出ないから、読んでいてもさっぱり判らない。

その通りです。
世界は今も人種差別がはびこっています。そりゃ白人の支配するメディアにはなかなかでないでしょう。わたしは90年代初に会社業務でリベラルで有名なカリフォルニアのサンフランシスコの白亜の高級ホテル「クレアモントホテル」に派遣され一ヶ月過ごしました。わたしなんて、ホテルのフロントがJAPっていうのを聞きましたよ。「生意気な日本人め」という雰囲気でした。わたしは聞こえないふりしてやり過ごしましたが、やっぱりという感じです。トランプを支持する地帯はそれはひどいでしょう。
南アメリカには行ったことはないですが、人種差別の世界でしょうね。それは、メキシコ人、アルゼンチン人などと会話していて感じ取ることができました。「所詮、黄色人種で我々とは違う」という所作を感じました。
最近のニュースではコロンビアで大学生が殺されたとか。親が気の毒です。

ヒラリーのEメールですが、最近、CIAのヘッドが辞任しました。関係ありありだと思います。
果たして、ヒラリーの謀略はディスクローズされるでしょうか?個人的には、わざとわからないように、個人Eメールで、死んだアメリカ大使へ指示をだしていたのでしょう。内容は、シリアへの武器輸送。
  1. 2016-11-22 13:00
  2. URL
  3. NINJA300 #/xzFVZWc
  4. 編集

To:NINJA300 さん

> >>日本の新聞報道には一切人種が出ないから、読んでいてもさっぱり判らない。
>
> その通りです。
> 世界は今も人種差別がはびこっています。そりゃ白人の支配するメディアにはなかなかでないでしょう。わたしは90年代初に会社業務でリベラルで有名なカリフォルニアのサンフランシスコの白亜の高級ホテル「クレアモントホテル」に派遣され一ヶ月過ごしました。わたしなんて、ホテルのフロントがJAPっていうのを聞きましたよ。「生意気な日本人め」という雰囲気でした。わたしは聞こえないふりしてやり過ごしましたが、やっぱりという感じです。トランプを支持する地帯はそれはひどいでしょう。
> 南アメリカには行ったことはないですが、人種差別の世界でしょうね。それは、メキシコ人、アルゼンチン人などと会話していて感じ取ることができました。「所詮、黄色人種で我々とは違う」という所作を感じました。
> 最近のニュースではコロンビアで大学生が殺されたとか。親が気の毒です。
>
> ヒラリーのEメールですが、最近、CIAのヘッドが辞任しました。関係ありありだと思います。
> 果たして、ヒラリーの謀略はディスクローズされるでしょうか?個人的には、わざとわからないように、個人Eメールで、死んだアメリカ大使へ指示をだしていたのでしょう。内容は、シリアへの武器輸送。



アメリカの人種差別は無くなりませんね。難しい問題です。

それとヒラリーのメール問題。これは私もヒラリーが関与していたことを公文書にしたくなかった、それが理由だと思っています。クリントンが夫婦そろって亡命してくれれば面白いのですが、どうなんでしょうか。
  1. 2016-11-22 17:29
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

フジモリは独裁者

日本大使公邸事件の翌年、ペルーへ観光で行きました。リマ市内あちらこちら、FUJIMORIに☓印とハーケンクロイツを組合せたポスターが貼ってありました。
白人支配層が特権を奪われたことに対する恨みつらみがフジモリ=ハーケンクロイツ(ヒトラー)というポスターになったのでしょう。

リマ市内は高台が白人支配層の住む地域、低地が被支配層の非白人地域。郊外に出ると国有地に屋根もない家々が立ち並ぶ不法占拠地帯。屋根がないのは雨がほとんど降らないためですが、リマ市内の自動車もほぼワイパーなし。

当時のペルーで興味深かったのが通貨。観光地を廻るだけなら米ドルで十分。商店のレジも現地通貨と米ドルの切替え式。1990年代のベトナムでホテルや空港タクシー、ツアーバスの料金がすべて米ドルだったのと同じで弱小国の悲哀を感じました。

東南アジアではカンボジア、いまだに米ドルが主流でイオンモールの価格表示も米ドルというのは情けない。タイでは一貫してタイバーツ、ベトナムは2000年代になりベトナムドン優先、現在はほぼベトナムドンになりました。いまだに米ドルがそのまま流通するカンボジア、ASEANの一員であるのが不思議なほどです。
  1. 2016-11-23 06:00
  2. URL
  3. gai-yaang #-
  4. 編集

Re: フジモリは独裁者

> 日本大使公邸事件の翌年、ペルーへ観光で行きました。リマ市内あちらこちら、FUJIMORIに☓印とハーケンクロイツを組合せたポスターが貼ってありました。
> 白人支配層が特権を奪われたことに対する恨みつらみがフジモリ=ハーケンクロイツ(ヒトラー)というポスターになったのでしょう。
>
> リマ市内は高台が白人支配層の住む地域、低地が被支配層の非白人地域。郊外に出ると国有地に屋根もない家々が立ち並ぶ不法占拠地帯。屋根がないのは雨がほとんど降らないためですが、リマ市内の自動車もほぼワイパーなし。
>
> 当時のペルーで興味深かったのが通貨。観光地を廻るだけなら米ドルで十分。商店のレジも現地通貨と米ドルの切替え式。1990年代のベトナムでホテルや空港タクシー、ツアーバスの料金がすべて米ドルだったのと同じで弱小国の悲哀を感じました。
>
> 東南アジアではカンボジア、いまだに米ドルが主流でイオンモールの価格表示も米ドルというのは情けない。タイでは一貫してタイバーツ、ベトナムは2000年代になりベトナムドン優先、現在はほぼベトナムドンになりました。いまだに米ドルがそのまま流通するカンボジア、ASEANの一員であるのが不思議なほどです。



興味深い現地の話、有難うございます。生で見るのが一番ですね。
所でペルーの話ですが、いまだにフジモリ元大統領の評価はバラバラのようですね。
面白い話ですが、海外の反応を取り上げている「パンドラの憂鬱」というブログが有るのですが、安倍さんがAPECでペルーを訪問し大歓迎を受けたことを取り上げていますが、そこに出てくるペルーン人の反応を見ると、フジモリ元大統領に対しプラスの評価とマイナスの評価が分かれているのが分かります。

それからカンボジアがいまだに米ドルを使っている件、此れこそ国家主権がどこかに行ってしまったいい例です。
こんな事ではまともな国家運営など出来る筈もない。
やはりカンボジアの支配層は腐っていますね。
それからベトナムは私がハノイへ行ったのは2002年でしたが、その頃でも高額の買い物は米ドルでしたが、その後経済が発展するにつれて良くなってきたんですねえ。良いことです。

http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-2137.html
  1. 2016-11-23 22:15
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

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