2016-11-06 14:47

飛燕から現代へ<続編

 神戸へ三式戦闘機飛燕を見に行ってきたのだが、その悲劇の戦闘機飛燕、それが現代に繋がっているという話を書いてみたいと思います。
最初に先回紹介した縄文人さんのコメントにこんな記述が
「アメリカの戦闘機は機体が滑らかに作ってありましたが、日本の戦闘機はどうしても凹凸が出ました」。
これは先日見た飛燕の別角度から
2016-11-6飛燕主翼 

確かにパネルに凹凸があります。特に主翼の先端などハッキリ見えますね。
これはこのパネルが「手叩き」で成形しているためです。
私が若いころ、金属のプレス加工の勉強をしましたが、その時のプレス加工の本に今でも覚えているこんな記述がありました。
「戦時中、空襲が激しさを増す中、工場ではトンカラトンカラとハンマーの音を響かせ、手叩きでパネルの成形をしていた。しかしその頃アメリカでは大型のプレス機と金型でパネルをプレス成型していた。だからパネル一つとっても日本製は精度もよくないし、ばらつきも多かった。これが日米の差だった。だからしっかりしたプレス加工で・・・」、こんな話でした。

縄文人さんの言われた日本とアメリカの飛行機の機体の滑らかさの差、これがこんな基礎技術の差が出たものだったのです。

またNINJA300さんのコメントの中にこんな話。
「渡部昇一先生の本で昔読んだ記憶があるのですが、戦前の日本はマザーマシン(機械を作る機械)の生産を海外に100%依存していた。だから、戦争がはじまって時がたつにつれ、機械が老朽化して不利になっていった」
この件も昔、国内大手工作機械メーカーの方に同じ話を聞きました。その方は
「だから我々はどうしても国内で開発・生産している。あの敗戦の悔しさを忘れてはならない」。

こんな事で日本が戦後の復興から発展過程では、多くの方が色んなところで敗戦の要因をかみしめて、そこから脱却を目指していた。
中でも日米の差の大きかったのが品質の違い。これは日科技連(日本科学技術連盟)が中心となって啓蒙活動を進めてきた。
この活動には経団連が積極的に関与し、品質改善は日本の産業界の大きなテーマだった。
この当時、日本では品質管理に関する関心が一気に高まり、QC、TQC、TQMと言われ、1970年代はまさに一世を風靡した。日本の品質が世界に認められ始めたのもこの頃から。
私もその頃品質管理を一生懸命勉強した一人、そして先生方も、あの敗戦の悔しさを決して忘れず、品質で世界一を目指そうと教えていた。

こんな経過から生まれたのが「デミング賞」である。
デミング賞は品質に関して功績のあった個人に与えられるもの(デミング賞本賞)だが、その実践を行った企業に与えられるのがデミング賞実施賞(現デミング賞)であり、大変な名誉とされた。
デミング賞委員会は委員長が経団連会長、事務局が日科技連となっており、現在も存続している。
デミング賞は1951年から毎年何社かが受賞しているのだが、有名になったのは1960年に日産自動車が受賞した時、コマーシャルなどにも使われ大評判となった。
所が1980年代に入ると、デミング賞を受賞した会社で不祥事が続出、また業績も不振になり、デミング賞を受賞すると会社が左前になると言われるようになった。品質の作り込みは毎日の企業活動の積み重ねであるが、デミング賞はそれを受賞するのがゴールになってしまって、以後の活動に結びつかない欠点があった。
この結果、デミング賞は1997年を最後に受賞会社無し、デミング賞の後に出来た日本品質管理賞(現デミング賞大賞)も2000年以降はインド・タイなど外国企業の受賞だけになってしまった。

私は1998年からタイで仕事をしてきたが、タイでISO9000(品質規格)/QS9000(アメリカのビッグスリー向けの品質規格、ISO9000に独自部分を追加したもの)品質規格を導入することにし、ISO9000/QS9000を徹底的に読み込んでみた。
その結果、ISO9000は日本のTQC、TQMを徹底的に研究し、その良いとこ取りしていることが分かった。このことはQS9000で一層顕著で、何を言っているかわからない部分を日本のTQCの直訳だと読むと理解できる部分まであった。(参考:ISO9000の制定~1987年、QS9000の制定~1994年、なおQS9000は現在はISO16949となっています)
特に1S0/QSで一番良いと思ったことは以下の3点
① 経営者の責任
② 品質システム
③ 内部品質監査  だった。

以上のようなことをやってきての経験からこんな事に気が付いた。
日本のTQC、TQMが育たなかった原因、デミング賞が立ち消えになってしまった原因、此れこそ日本がモノ作りでアメリカに負けた原因と同じではないかと。

前回の「飛燕から現代へ」エントリーで、kazkさんが『日本の技術とマネージメントの問題点』と指摘されてますが、まさしくTQC、TQMの問題点、デミング賞の問題点が、この「マネージメントの問題点」なのだと。

そしてせっかく日本が素晴らしい品質システムを考え出したのに、いつの間にか欧米にいいとこ取りされてしまった。これでは第二第三の敗戦と言えるのではないかと、こんな風に痛感してきました。

飛燕に関する話は以上です。なにやらまとまりのない話になりましたが、長い話にお付き合いいただきありがとうございました。


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コメント

欧米諸国は規格づくりは得意ですが生産現場では・・・

「アメリカ自動車産業 篠原健一著(中公新書)」を読むと日米の労働観の違いに驚かされます。能力主義といわれるアメリカが実はブルーカラーや中下層のホワイトカラーは職務給での平等主義、工場労働者には会社内での昇進の望みもない。逆に日本の工場では職能給と年功で徐々に差が付き会社内で昇進していく。

戦時中、徴用で川崎の工場で働いた父から聞いた話ですが、戦前の日本では社員(ホワイトカラー)は正門から、職工(ブルーカラー)は通用門からと完全に別れていたといい、賃金格差も含めまさにアメリカ型の資本主義だった。

上記著書では、かつてのアメリカの工場ではエンジニアに現場労働者が意見をいうなどありえない、あってはならないことだったようです。上層部がいくらKAIZENを唱えたところでどうしようもない。

アメリカの経営者にとって工場労働者というのはマニュアルに従って動くだけの交換可能な存在であり、工場はプランテーションのサトウキビ農園やバナナ農園が現代化しただけのようなものなのかもしれません。

日米の労働感の違いの根底には、労働が罰であるというキリスト教と、八百万の神々もみな働いている神道との違いがあるのでしょうか。

  1. 2016-11-06 19:08
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  3. gai-yaang #-
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Re: 欧米諸国は規格づくりは得意ですが生産現場では・・・

> 「アメリカ自動車産業 篠原健一著(中公新書)」を読むと日米の労働観の違いに驚かされます。能力主義といわれるアメリカが実はブルーカラーや中下層のホワイトカラーは職務給での平等主義、工場労働者には会社内での昇進の望みもない。逆に日本の工場では職能給と年功で徐々に差が付き会社内で昇進していく。
>
> 戦時中、徴用で川崎の工場で働いた父から聞いた話ですが、戦前の日本では社員(ホワイトカラー)は正門から、職工(ブルーカラー)は通用門からと完全に別れていたといい、賃金格差も含めまさにアメリカ型の資本主義だった。
>
> 上記著書では、かつてのアメリカの工場ではエンジニアに現場労働者が意見をいうなどありえない、あってはならないことだったようです。上層部がいくらKAIZENを唱えたところでどうしようもない。
>
> アメリカの経営者にとって工場労働者というのはマニュアルに従って動くだけの交換可能な存在であり、工場はプランテーションのサトウキビ農園やバナナ農園が現代化しただけのようなものなのかもしれません。
>
> 日米の労働感の違いの根底には、労働が罰であるというキリスト教と、八百万の神々もみな働いている神道との違いがあるのでしょうか。



このコメントへの回答を私の思っていることを書きだしたら・・・、多分本が一冊出来るでしょう(笑)。
そんな事ですが、gai-yaang さんの仰ること、一つ一つみんな同意します。
確かに戦前の日本はホワイトカラーとブルーカラーは差別がひどかったです。

それから欧米の規格化の話ですが、これは奴隷労働者を使う所では極めて重要で役に立つ。
何せ言葉も通じないし、奴隷ですから労働に対する意識は労働罰そのもの。
しかし日本でもISO並みのしっかりした規格化はとても大切だと思います。

日本は世界でもまれに見る労働罰理論の無い国なんですね。労働罰は旧約聖書から始まります。
禁断の木の実を食べたアダムとイブ、その罰として男には労働(lavor)が、女には陣痛(lavor)が与えられました。
労働と陣痛が同じ「lavor」であるところが労働罰の特徴を表していますね。
だからユダヤ教もキリスト教もイスラム教も労働罰です。
そんな中で日本人はまったく別の価値観を持っている。実はこれを見抜いたのがマッカーサーでした。
マッカーサーが1951年に雨r化上院で証言した中にこんな記述があります。

『Some place down the line they have discovered what you might call the dignity of labor, that men are happier when they are working and constructing than when they are idling.
いつの頃からか、彼らは、労働の尊厳と称すべきものを発見しました。つまり、人間は、何もしないでいるときよりも、働いて何かを作っているときの方が幸せだということを発見したのです。』
この違いは実に大きく、私はタイでこれを教えるのが一番大変でした。
  1. 2016-11-06 21:53
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  3. 短足おじさん二世 #-
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少し違います。

小生が言いたかったマネージメントとはもっと原初的な問題です。

一例を上げましょう。

小生は中島を2流会社と言い切りました。それは技術の本質を全く理解してなかったからです。ブログ主様は人よりも技術がおわかりでしょうからこのブログ読んで頂ければ明白と思います。昔の中島の技術者の方のものです。

http://fgkai.web.fc2.com/olddays/okamoto006.html

戦後はこういう反省が出来ますが、当時だっておかしいと思う人々はいました。例えば三菱の深尾淳二などはその典型でしたが全く別の道を歩んでいます。問題はこのような2流の連中がやろうとしたことの表向きの派手派手しさに目が眩みそれに乗っかってしまったことです。

ハ45はまともに考えれば技術的には達成不可能、極少数の試作品以外では実用性なしというのは当時の技術を知れば当たり前に出る結論です。それを無理くりに中島飛行機が実現しようとし(これが中島のマネージメント)それに目がくらんだ軍部が馬鹿をやり、重要な機体にことごとく採用させるという基地外じみた行政指導をやったこと(これが国マネージメント)、これこそがマネージメントの問題です。

ハ40の問題はもっと明白です。欧米の技術導入が必要なのは分かるしその実用化は急務だったのは確かです。しかしそのクランクシャフトをまともに生産できないエンジンをどうやって実用化するんでしょうか。ハ45と問題は全く一緒です。

この欠陥機である飛燕を3000機、疾風を5000機近く作ってしまった、というのが日本陸軍です。そして1942年以降の試作機に欠陥エンジンを当てるという強烈な行政指導をやり殆どの試作機を失敗させたというのが海軍です。

こんなこと素人だって分かることでしょう。技術は2流なんだからそれで勝つ方法を考えなければいけないんです。
そしてあまつさえ陸軍は製造ラインの熟練工を見境なく徴兵します。そして女子学生を動員する、一体何なんでしょう。素人の小生には理解の外です。

こういう急場こそ当たり前の発想が必要なんです。

英国はロールスロイス・マーリンという世界一流のエンジンを持ってましたがこれが中々に精巧で半ば手造り品で量産が困難でした。ここでの英国当局の判断が尊いのです。国中から使えそうな熟練工をロールスロイスのエンジン工場に集めます。そこで熟練工による手作りを始めます。そこまではいい。問題は次です。その上で素人にもきちんと扱える検査器具を作り熟練工の作った部品を検査し、素人の検査工はねさせたのです。熟練工1に対して検査工が1の割でいたと言います。この結果、部品の品質維持に成功しまともなエンジンの量産ができたのです。

当時の英国のGDPとかを見ると日本とそう遜色はありません。アメリカというバックがいたことが最大の問題ですがこういう当たり前のマネージメントを出来たこと、これは決して当たり前ではないのです。

英国の戦争行政なんぞははっきりいってメチャクチャです。でも外してはならないところにはちゃんと人があり、当たり前すぎるくらい当たり前のことを平然とやってます。日本はこの点で負けていたのです。

まあこの手のことを話しだしたらキリはありませんが当たり前のことを当たり前にやれなかったこと、これが戦争の最大の敗因です。日本の指導部に当たり前の思考ができるリアリストがいなかったこと、これこそが日本人の限界を見せつけられるようで本当に嫌なのです。
  1. 2016-11-08 01:06
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  3. kazk #cPv2SIBE
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リアリスト

短足おじさん 始めまして。今回のブログは興味深いものがあります。ぜひお考えになっていることを一冊の本にまとめあげてください。

さて、kazkさんのコメント「日本の指導部に当たり前の思考ができるリアリストがいなかったこと、これこそが日本人の限界を見せつけられるようで本当に嫌なのです。」には考えさせられます。しかし、私見ですが、今でも当たり前のことを当たり前にやろうとすると排斥される状況はあるのではないでしょうか。会社勤めをしていまして、そういう場面に遭遇したものです。これが日本人の限界なのか人間の限界なのか、私にはわかりません。

余談ですが、私が小学生の時の担任の先生が海軍の特攻隊の生き残りでした。モ-ターボートのような船に爆弾を積んで敵艦に体当りする部隊だったと聞きました。その先生は体当り船の指揮官(中尉くらい?)で、敵艦に見立てた船に体当りする訓練をしていたそうです。その折、上官から、訓練時、「当たる寸前に目標船の前方に回避せよ」と命令されたそうです。先生は「それでは目標船の進路を横切る事になるので危険です。船尾に向け回避することを進言します。」と上官に言ったそうです。そうしたら上官(佐官?)が「貴様は俺の命令が聞けないのか」と拳骨で先生をぶん殴ったそうです。それで先生は耳が聞きづらくなったとおっしゃっていました。随分昔、子供の時、一回だけ聞いた話です。「理不尽」という言葉をまだ知らない子供でしたが今でもよく覚えています。
  1. 2016-11-08 13:52
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  3. すぎ #-
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Re: 少し違います。

> 小生が言いたかったマネージメントとはもっと原初的な問題です。
>
> 一例を上げましょう。
>
> 小生は中島を2流会社と言い切りました。それは技術の本質を全く理解してなかったからです。ブログ主様は人よりも技術がおわかりでしょうからこのブログ読んで頂ければ明白と思います。昔の中島の技術者の方のものです。
>
> http://fgkai.web.fc2.com/olddays/okamoto006.html
>
> 戦後はこういう反省が出来ますが、当時だっておかしいと思う人々はいました。例えば三菱の深尾淳二などはその典型でしたが全く別の道を歩んでいます。問題はこのような2流の連中がやろうとしたことの表向きの派手派手しさに目が眩みそれに乗っかってしまったことです。
>
> ハ45はまともに考えれば技術的には達成不可能、極少数の試作品以外では実用性なしというのは当時の技術を知れば当たり前に出る結論です。それを無理くりに中島飛行機が実現しようとし(これが中島のマネージメント)それに目がくらんだ軍部が馬鹿をやり、重要な機体にことごとく採用させるという基地外じみた行政指導をやったこと(これが国マネージメント)、これこそがマネージメントの問題です。
>
> ハ40の問題はもっと明白です。欧米の技術導入が必要なのは分かるしその実用化は急務だったのは確かです。しかしそのクランクシャフトをまともに生産できないエンジンをどうやって実用化するんでしょうか。ハ45と問題は全く一緒です。
>
> この欠陥機である飛燕を3000機、疾風を5000機近く作ってしまった、というのが日本陸軍です。そして1942年以降の試作機に欠陥エンジンを当てるという強烈な行政指導をやり殆どの試作機を失敗させたというのが海軍です。
>
> こんなこと素人だって分かることでしょう。技術は2流なんだからそれで勝つ方法を考えなければいけないんです。
> そしてあまつさえ陸軍は製造ラインの熟練工を見境なく徴兵します。そして女子学生を動員する、一体何なんでしょう。素人の小生には理解の外です。
>
> こういう急場こそ当たり前の発想が必要なんです。
>
> 英国はロールスロイス・マーリンという世界一流のエンジンを持ってましたがこれが中々に精巧で半ば手造り品で量産が困難でした。ここでの英国当局の判断が尊いのです。国中から使えそうな熟練工をロールスロイスのエンジン工場に集めます。そこで熟練工による手作りを始めます。そこまではいい。問題は次です。その上で素人にもきちんと扱える検査器具を作り熟練工の作った部品を検査し、素人の検査工はねさせたのです。熟練工1に対して検査工が1の割でいたと言います。この結果、部品の品質維持に成功しまともなエンジンの量産ができたのです。
>
> 当時の英国のGDPとかを見ると日本とそう遜色はありません。アメリカというバックがいたことが最大の問題ですがこういう当たり前のマネージメントを出来たこと、これは決して当たり前ではないのです。
>
> 英国の戦争行政なんぞははっきりいってメチャクチャです。でも外してはならないところにはちゃんと人があり、当たり前すぎるくらい当たり前のことを平然とやってます。日本はこの点で負けていたのです。
>
> まあこの手のことを話しだしたらキリはありませんが当たり前のことを当たり前にやれなかったこと、これが戦争の最大の敗因です。日本の指導部に当たり前の思考ができるリアリストがいなかったこと、これこそが日本人の限界を見せつけられるようで本当に嫌なのです。



岡本和理の話、貴重な話、ありがとうございます。
実は中川良一の書いたものは読んだことがあるのですが、この岡本和理の技術史はまったく知りませんでした。
でもこれこそ私が長年苦労してきたことの問題点や回答が一杯含まれた宝の山。感謝します。

私が特に興味深く読んだのは中島時代もですが、日産時代のほうが面白かったです。現代につながる話がたくさん転がっていますからね。

これは今までブログにも書きませんでしたが、昭和50年代にこんな経験をしています。
あるカーメーカーのエンジン設計者と話をしていた時の事。その人が日産はデータが信用できないというのです。
例えば自動車雑誌などで、或る人気スポーツタイプのクルマのゼロ四が何秒と書いてあっても、その車を買ってきてテストするとそんなデータが出ない。自社のテストドライバーが運転してもゼロ四で2秒近く違う。調べるとそんな高性能の試乗車は決まっているので、それを調査してみたら・・・(蛇の道は蛇の話ですが・・・)
ガソリンは140オクタンの航空機用ガソリンが入っていた、ミッション・デフのオイルはシャビシャビでとても耐久性はないが抵抗は少ない。ベアリングもガタガタに緩めてあったがこれも抵抗は少ない。こんなものならそりゃあ凄いデータが出る筈だと。

この件は旧日本軍の問題にもつながるのです。
戦闘機の目的は最高速度が何キロかではありません。戦争に勝つことなのです。
その為には1回飛んだら3日かけて整備する100機の飛行機と、1回飛んで帰ってきたら燃料・オイルを補給してすぐまた飛べる30機の飛行機、どちらがいいかなど考えもしなかったのでしょう。
マネジメントする連中はカタログスペック至上主義でテストの時だけ良い成績を出せばいい、整備性だとか生残性だとかは眼中に無かった。現場を知らないというのは実に罪深いものだと思います。

こんな話はともかく、岡本和理の話はとても興味深く、これからの若い人にもいい教訓になる部分もあり、気が付いたことをもって書いてみます。

それと最後になりましたが、私の言いたいマネジメントの問題点、これは今現在の日本の問題点でもあるので、これをもう少し書いてみます。
  1. 2016-11-08 17:46
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  3. 短足おじさん二世 #-
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Re: リアリスト

> 短足おじさん 始めまして。今回のブログは興味深いものがあります。ぜひお考えになっていることを一冊の本にまとめあげてください。
>
> さて、kazkさんのコメント「日本の指導部に当たり前の思考ができるリアリストがいなかったこと、これこそが日本人の限界を見せつけられるようで本当に嫌なのです。」には考えさせられます。しかし、私見ですが、今でも当たり前のことを当たり前にやろうとすると排斥される状況はあるのではないでしょうか。会社勤めをしていまして、そういう場面に遭遇したものです。これが日本人の限界なのか人間の限界なのか、私にはわかりません。
>
> 余談ですが、私が小学生の時の担任の先生が海軍の特攻隊の生き残りでした。モ-ターボートのような船に爆弾を積んで敵艦に体当りする部隊だったと聞きました。その先生は体当り船の指揮官(中尉くらい?)で、敵艦に見立てた船に体当りする訓練をしていたそうです。その折、上官から、訓練時、「当たる寸前に目標船の前方に回避せよ」と命令されたそうです。先生は「それでは目標船の進路を横切る事になるので危険です。船尾に向け回避することを進言します。」と上官に言ったそうです。そうしたら上官(佐官?)が「貴様は俺の命令が聞けないのか」と拳骨で先生をぶん殴ったそうです。それで先生は耳が聞きづらくなったとおっしゃっていました。随分昔、子供の時、一回だけ聞いた話です。「理不尽」という言葉をまだ知らない子供でしたが今でもよく覚えています。


いらっしゃいませ、コメント有難う御座います。
最初にご指摘の話、確かに一冊の本になるくらいのボリュームです。ただ私には他にも色々ありまして時間がない。
まあぼちぼちブログに書いていきますので、宜しくお願いします。
それから今の仕事の中での疑問点ですが、確かにそんなこともあるでしょう。
つたない私の経験ですが、あれこれ書いていきますので、その中から多少でも参考になることがありましたら幸いです。

もう一つ先生がモーターボートで体当たり云々ですが、これは「震洋」と言います。
以下ブログに取り上げました。写真や基地跡の写真もありますので見てください。
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-174.html

それからこれは上掲ブログで言及した攻撃されたタンカーの話。
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-172.html

それから折角「震洋」の話が出ましたので、現在につながる話。
上掲ブログのような攻撃は今後もあり得ます。
その時の被害の甚大さを思うと、日本がもっとしっかりした防衛力を持たねばいけない。そんな事例ですね。
  1. 2016-11-08 18:44
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  3. 短足おじさん二世 #-
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kazkさんのコメントのリンク先記事を読みました。実用性が100%求められる軍用機のエンジン開発、基本も危ういのに好き勝手に試行錯誤を繰り返す。欧米一流エンジンのボア径が1種類なのに中島では10種類もあったというのには唖然としました。

貴ブログで以前に取り上げたポルシェ901、プロトタイプは職人技で高性能、量産車は公差を守れず所定の性能が出ない。そのため錘を入れたりキャブレターを交換したりといったことがwikipediaに載っていますが、中島飛行機はポルシェのような会社だったのでしょうか。

中島飛行機の流れを汲むプリンス自動車、ぼくが小学生のころですが、グロリアはかっこよかった。ドディオンアクスルやOHCエンジンなど他社との差別化はよかったのですが、デザイン優先の前方突起のあるフェンダーミラーが歩行者を引っ掛ける事故が多発、保安基準改正につながりました。

性能とは関係ない部分でも一枚絞りのバンパー(他社はリベット接合)とか趣味の領域。日産との合併後もプリンス時代に企画されたローレル、フロントグリルがアルミダイカストで高級が売りだったりしました。こんなところにも中島の血が色濃く残っていたようです。

  1. 2016-11-09 20:39
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  3. gai-yaang #-
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To:gai-yaang さん

> kazkさんのコメントのリンク先記事を読みました。実用性が100%求められる軍用機のエンジン開発、基本も危ういのに好き勝手に試行錯誤を繰り返す。欧米一流エンジンのボア径が1種類なのに中島では10種類もあったというのには唖然としました。
>
> 貴ブログで以前に取り上げたポルシェ901、プロトタイプは職人技で高性能、量産車は公差を守れず所定の性能が出ない。そのため錘を入れたりキャブレターを交換したりといったことがwikipediaに載っていますが、中島飛行機はポルシェのような会社だったのでしょうか。
>
> 中島飛行機の流れを汲むプリンス自動車、ぼくが小学生のころですが、グロリアはかっこよかった。ドディオンアクスルやOHCエンジンなど他社との差別化はよかったのですが、デザイン優先の前方突起のあるフェンダーミラーが歩行者を引っ掛ける事故が多発、保安基準改正につながりました。
>
> 性能とは関係ない部分でも一枚絞りのバンパー(他社はリベット接合)とか趣味の領域。日産との合併後もプリンス時代に企画されたローレル、フロントグリルがアルミダイカストで高級が売りだったりしました。こんなところにも中島の血が色濃く残っていたようです。



グロリアのドディオンアクスル!、懐かしいですねえ。良い車でした。

ポルシェ901/911の件ですが、wikiに書いてあるのはサスペンション調整の話ですが、初期の911は結構オーバーステア傾向があって、ちょっとうっかりハンドルを切ったとたんにくるっと後ろを向いたりした、そんな対策ですね。
サスペンションのアライメント調整はアジャストシムという馬蹄形の薄板で厚みの違うものを何枚か用意して調整するのですが、大変な作業で難しかったんでしょう。
それで仕方なくオーバーステア対策でフロントに重量をのっけた、昔のRRのクルマではよくやる手ですね。

中島飛行機がポルシェのような会社、これは私も良く分かりませんが、その流れをくむプリンス自動車、日産自動車のその後を見ているとそんな傾向を感じますね。私は旧中島の日産荻窪(もう今はない)にも行った事がありますし、その後日産とも少しだけですが取引もしていました。理論優先で無理やりやろうとするので、上手くいっている時はいいのですが、ひとつ歯車が狂うと問題。昨年からのVWの排ガス不正問題もVWのトップだったピエヒはポルシェ博士の孫ですから、そんなところが似ているのかもしれません。
  1. 2016-11-10 17:13
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  3. 短足おじさん二世 #-
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中島技術者の反省の無さ

岡本氏のブログ、小生も一番最初に見た時にようやくあるべきものがあったと思ったものです。

歴史は勝者のものです。中島飛行機のエンジン史は敗北の連続ですが技術を知らぬ人間は零式戦の栄光と誉エンジンの可能性で戦後大きく評価してきた、という部分があります。日本にだって可能性はあったんだ…というわけです。しかしこんなことを20年以上も見てると自ずと裏が見えてきます。中川良一あたりの脳天気な戦後の記述は正直、馬鹿かと思ったものです。僕達何にも悪くないもんね、環境が悪かったから、上手く行かなかっただけだもんね、というわけです。

ここまでまともな戦後の反省は彼以外にありませんでした。

面白いものですが日本とアメリカのエンジンのマネージメントはほぼ相似形です。戦争中盤からのエンジンの排気量を比較すると明白です。つまり三菱のハ112(金星)はR1830相当、ハ101(火星)はR2600相当,ハ104はR3350相当です。ほとんどライト社をなぞっています。これに対して中島はハ1は英国のジュピター相当、ハ8(光)はR1820相当、ハ103(護)がR2800相当です。ハ54がR4350相当と言ってもまあこれは戦後の話ですから省きます。こちらはほぼプラト・アンド・ホイットニーに当たります。ところがハ25(栄)は相当するものなし、ハ45(誉)には相当するものもありません。

両方とも本来は無理があるものだったのです。米国は戦争初期にはR1820、R1830で持って戦います。日本は2割方出力が落ちるハ25とハ102(瑞星)で戦います。前者が隼と零式線、後者がF4Fです。ところが戦争後半は排気量で全く少ないは45(36L)でR2800(45L)と戦います。前者が疾風と紫電改、後者がF6F、F4U、P47です。

液冷は日本がハ40、米国はR1710(P38,P39、P40)R1650(ロールスロイス・マーリンそのもの、P51)で戦います。

これを見たら負けるのは当たり前としか言えません。液冷は別にしても問題は全て中島の側のラインなのです。彼等が馬鹿みたいに世界最高の性能とか驚異の高出力なんて馬鹿な夢を追ったことが大問題だったわけです。

1945年の時点で日本で最もまともに動いたエンジンはハ112とハ104でした。ハ104は1900Hp、これに対してR3350は(B29のエンジンです)2200Hpです。15%位アンダーパワーでしたがR3350のような品質上の問題は起こしてません。

工学の世界には奇跡もへったくれもありません。とことんリアリティのみの世界です。もちろん最大の責任者は当事者である軍そのものですが、軍に出来もしない理想論を吹き込んだ技術者たちを免責する気は全くありません。

世の中にはこういう技術馬鹿が居るのです。しかし、評価する側はこのような馬鹿をやってはいけないのです。
  1. 2016-11-10 22:37
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  3. kazk #cPv2SIBE
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Re: 中島技術者の反省の無さ

> 岡本氏のブログ、小生も一番最初に見た時にようやくあるべきものがあったと思ったものです。
>
> 歴史は勝者のものです。中島飛行機のエンジン史は敗北の連続ですが技術を知らぬ人間は零式戦の栄光と誉エンジンの可能性で戦後大きく評価してきた、という部分があります。日本にだって可能性はあったんだ…というわけです。しかしこんなことを20年以上も見てると自ずと裏が見えてきます。中川良一あたりの脳天気な戦後の記述は正直、馬鹿かと思ったものです。僕達何にも悪くないもんね、環境が悪かったから、上手く行かなかっただけだもんね、というわけです。
>
> ここまでまともな戦後の反省は彼以外にありませんでした。
>
> 面白いものですが日本とアメリカのエンジンのマネージメントはほぼ相似形です。戦争中盤からのエンジンの排気量を比較すると明白です。つまり三菱のハ112(金星)はR1830相当、ハ101(火星)はR2600相当,ハ104はR3350相当です。ほとんどライト社をなぞっています。これに対して中島はハ1は英国のジュピター相当、ハ8(光)はR1820相当、ハ103(護)がR2800相当です。ハ54がR4350相当と言ってもまあこれは戦後の話ですから省きます。こちらはほぼプラト・アンド・ホイットニーに当たります。ところがハ25(栄)は相当するものなし、ハ45(誉)には相当するものもありません。
>
> 両方とも本来は無理があるものだったのです。米国は戦争初期にはR1820、R1830で持って戦います。日本は2割方出力が落ちるハ25とハ102(瑞星)で戦います。前者が隼と零式線、後者がF4Fです。ところが戦争後半は排気量で全く少ないは45(36L)でR2800(45L)と戦います。前者が疾風と紫電改、後者がF6F、F4U、P47です。
>
> 液冷は日本がハ40、米国はR1710(P38,P39、P40)R1650(ロールスロイス・マーリンそのもの、P51)で戦います。
>
> これを見たら負けるのは当たり前としか言えません。液冷は別にしても問題は全て中島の側のラインなのです。彼等が馬鹿みたいに世界最高の性能とか驚異の高出力なんて馬鹿な夢を追ったことが大問題だったわけです。
>
> 1945年の時点で日本で最もまともに動いたエンジンはハ112とハ104でした。ハ104は1900Hp、これに対してR3350は(B29のエンジンです)2200Hpです。15%位アンダーパワーでしたがR3350のような品質上の問題は起こしてません。
>
> 工学の世界には奇跡もへったくれもありません。とことんリアリティのみの世界です。もちろん最大の責任者は当事者である軍そのものですが、軍に出来もしない理想論を吹き込んだ技術者たちを免責する気は全くありません。
>
> 世の中にはこういう技術馬鹿が居るのです。しかし、評価する側はこのような馬鹿をやってはいけないのです。


確かにご指摘の通りですね。
私は中川良一の書いたものを読んで、こりゃあ死んでも治らない不治の病と感じました。

所でそんな反省の上に立って、「ではどうすればいいか」、これを自分の問題としてどう捉えていくか、私はこんな事を考えて仕事をしてきました。
前回日産のデータは信用できないという話を書きましたが、これが中島が軍部をたぶらかした方法の一つだったと思っています。
そしてこれに対するアンチテーゼ、実はこれが欧米がやっているISO9000に生きている。そう思っています。
とはいってもそのドイツでさえ、VWに端を発したディーゼルエンジンの排ガス問題では、全世界を騙そうとしたが失敗しました。

中島の問題は過去のものとせず、将来に続く問題として生かしていきたいと思います。
  1. 2016-11-11 18:10
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  3. 短足おじさん二世 #-
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