2016-07-17 19:02

一般意志を強要する集団

 6月29日のエントリー「理念が正しければ民主性は問わない」で一般意思なる概念を紹介した。
鵺(ぬえ)みたいなものでよく分からない代物なのですが・・・。
このエントリーにkazkさんから興味深いコメントを頂いたので、これをテーマに現在の問題点について考えてみたい。


最初にこれがいただいたコメント

<以下引用>
この一般意志を強要する集団がいくつかあります。

 かかる意志については、その判定が出来ないことが最大の問題です。一番大きいところではマスゴミです。こいつらが厄介なのは、かつては情報を自分が専有し、さも一般意志はこうだというような形で誘導していたことです。皆さんざんこれにだまくらかされました。問題はこいつを是正させる手段が実質的にないということです。いやなら見ない、買わないはその手段ですが色付きの報道は止められないし、平気で捏造する連中です。是正しようとすれば報道の自由を振り回す基地害どもなんですから…

問題の集団の2つ目は裁判所といいます。連中はあくまでも法律と自己の良心にしたがって判決を書くわけですから、法律がまともならばそう酷いことには本来ならぬはずです。でも連中が唯々諾々と裁判員制度を認めたということは、自分達の非常識を認めたということでしょうか。訴訟の促進という以外に他の理由があったら教えてほしい所です。本当は民事の非常識が問題なんですがね。彼等に関してはどうやってその常識を判定するのでしょうか。基地外が15人揃うと国は滅びますよね。

集団の3つ目は官僚といいます。日本国では彼等をクビにする手段が殆どありません。その上で使ってくる手段は陰湿でめちゃくちゃ、まあこれは言わないでもいいでしょう。とにかく権力を持ってコントロールする手段がないか、時間がかかり即効性がないことばかりです。

そしてこいつらを裏で操ろうとする連中が集まるとどうしようもない。アカ馬鹿もグローバル馬鹿も、そして半島や支那のヒトモドキ共も、こいつらを操り自分の利益を図ろうとする連中です。

選挙で始末できる連中ばかりじゃないことが本当に問題です。
2016-06-30 13:16 URL kazk

<引用終り>


この一般意思なるものが「理念が正しければ民主制は問わない」、こうなってしまう集団が三つある。こんな指摘です。
この集団には一定の特徴があります。
それは一度その世界に入ったら一生安泰であること
次に、一般の人よりはるかに高禄を食んでいること
そしてやっている仕事が現場で「額に汗して働く」必要が無いこと


中でもkazkさんが二番目に指摘した裁判官、これはこんなエントリーをしました。
法匪が日本を壊す
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1235.html

法曹界の劣化は実に嘆かわしいのですが、このままでは日本にとって致命傷になりかねない、そんな危険を秘めています。

所でこんな風に劣化したのは昔からでしょうか。
昔はこんな事だった・・・
2016-3-12悪代官イラスト

「お前も悪よのぉぅ・・・」、です。「お前は悪だ」ではない、自分も悪と知っていたのです。

江戸時代260年間、日本は一部に悪代官もいたでしょう。しかしそれなりに統治されていた。
識字率などは当時から世界一で、イギリスやフランス、アメリカと比べれば、はるかに高いものでした。

このような江戸時代のしっかりした統治を作ったのは『サムライの統治』だったのですが、そのサムライのしっかりした考え方の根底にあるものは何だったのか。
例えば有名な宮本武蔵の五輪書を見てみたいと思います。

2016-5-28五輪書

2016-5-28五輪書空の巻

五輪書は写真にあるように、地の巻、水の巻、火の巻、風の巻、空の巻とありまして、空の巻がそのまとめと言ったところです。
そこで武蔵はこんな風に言っています。

【原文】  (上掲写真の後ろから4行目辺りから)
武士は兵法の道を慥(たしか)に覚へ、其外(そのほか)武芸を能(よく)つとめ、武士のおこなふ道、少もくらからず、心のまよふ所なく、朝々時々におこたらず.心意二つの心をみがき、観見ニッの眼(まなこ)をとぎ、少(すこし)もくもりなく、まよひの雲の晴たる所こそ実の空としるべき也.

【現代語訳】
武士というものは、まず兵法の道を確実に身につけ、その他の武芸をもよく鍛練し、武士としての任務を果たす上で少しも不完全なところがなくなり、心の迷いを去って、一日一刻といえども修行を怠らず精神と意志をみがき、判断力、観察力を養わねばならない。かくして一切の迷いを克服した状態こそが、真の空の境地なのである。


よく鍛錬し、修行を怠らず、つまり今風に言えば現場での実践を怠らないことが、精神と意思をみがき、判断力、観察力を養うことになる。こう言っているわけです。
机上の空論では勝負に勝てない、これは当然ですが、それをどのように実践するか、そこが一番の問題なのでしょう。
江戸時代を通じてサムライたちはこの事をいろんな修行の場で体得してきました。それが明治維新以降の急速な近代化の成功につながったのではないでしょうか。

裁判官を法匪と言ってレッテルを貼っても事態は解決しないでしょう。
新任裁判官には自衛隊での訓練を義務づけるとか、ごみ処理場での実習をやらせるとか、そんな実践活動を通じて地に足のついたものの考え方を身に付けさせる、そんな考え方が必要ではないかと思います。

kazkさんからのコメントを考えて、こんな風にすべきかなあ、これが私なりの答えの一つではないかと思います。


なお参考までに五輪書空の巻の全文と現代語訳を末尾につけておきました。
五輪書という名前は聞いたことがあると思いますが、実際の原文はどう書いてあるか、じっくり読むと大変面白く、現代にも通用すると思います。



五輪書空の巻、全文と現代語訳
武道秘伝書 吉田豊編 1968年4月 徳間書店刊 より

五 輪 書  空の巻 

【原文】
 二刀一流の兵法の道、空の巻として書顕(かきあらわ)す事。空と云心(いうこころ)は、物毎のなき所。しれざる事を空と見たつる也。
 勿論空はなきなり。ある所をしりてなき所をしる。是則(これすなわち)空也。
 世のなかにおゐて、あしく見れば、物をわきまへざる所を空と見る所、実の空にはあらず。皆まよふ心なり。
 此兵法の道におゐても、武士として道をおこなふに、士(さむらい)の法をしらざる所、空にはあらずして、色々まよひありて、せんかたなき所を空と云なれども、是実の空にはあらざる也。武士は兵法の道を慥(たしか)に覚へ、其外(そのほか)武芸を能(よく)つとめ、武士のおこなふ道、少もくらからず、心のまよふ所なく、朝々時々におこたらず.心意二つの心をみがき、観見ニッの眼(まなこ)をとぎ、少(すこし)もくもりなく、まよひの雲の晴たる所こそ実の空としるべき也.
 実の道をしらざる間は、仏法によらず、世法によらず、おのれおのれは慥(たしか)なる道とおもひ、よき事とおもへども、心の直道(じきどう)よりして、世の大(おお)かねにあわせて見る時は、其身々々の心のひいき、其日々々のひずみによって、実の道にはそむく物也、其心(そのこころ)をしって、直(すぐ)なるところを本(もと)とし、実の心を道として、兵法を広くおこなひ、ただしく明らかに、大きなる所をおもひとって、空を道とし、道を空と見る所也。
 空有善無悪(くうはぜんありてあくなし)智(ち)は有也(あるなり)、利は有也。道は有也。心は空也。

【現代語訳】 
 わが二刀一流の兵法の神髄を、空の巻としてここに書き顕わす。
 空とは、物事の存在しないこと、知り得ないことをいうものである。
 空とは無を意味する。すべての存在を知りつくすことによって、はじめて存在せぬもの、知り得ぬものはなにかがわかるようになる。これがすなわち空である。

 よく世間で、まちがった見方をする者は、物事の判断がつかないことを空と心得ているが、これは真の空ではない。すべて迷いの心である。

 兵法の道にあっても、武士としての道を実践するにあたって、その道を心得ず。いろいろと迷いぬいて、どうにもならなくなると、それが空だなどといっているが、これは決して真実の空などではない。
 武士というものは、まず兵法の道を確実に身につけ、その他の武芸をもよく鍛練し、武士としての任務を果たす上で少しも不完全なところがなくなり、心の迷いを去って、一日一刻といえども修行を怠らず、精神と意志をみがき、判断力、観察力を養わねばならない。かくして一切の迷いを克服した状態こそが、真の空の境地なのである。

 この真実の境地に達しないうちは、仏の道にせよ、実社会の事がらにせよ、白分自身では正しい道、よい事と思っていようとも、真理に照らし、社会の規準から判断するときは、その人その人の主観的な願望や、判断の狂いによって、真実の道からははずれているものである。
 この道理をよくわきまえて、まっすぐな精神にのっとり、真実の心にしたがって、広く兵法の道を行ない正しく、明らかに大局を判断することが大切である。
 空はすなわち道、道はすなわち空と見よ(真の空を悟ることが兵法の極致であり、兵法を極めればついには空の境地に達する)。
 空の境地には善のみがあって悪はない。兵法の知恵、兵法の道理。兵法の精神、これらの「有」をすべて極めつくしたとき、はじめて空の心に到達するのである。

  1. 政治
  2. TB(0)
  3. CM(2)

コメント

大変勉強になりました。武術をほんの少し学んでいたくせに、五輪書というものをこれまで読んだことが有りませんでした。

匹夫の勇
http://kotowaza-allguide.com/hi/hippunoyuu.html
「匹夫」とは、身分の低い男、道理をわきまえない教養のない男のこと。 孟子が斉の宣王に言ったことばで、『孟子・梁恵王下』に「夫れ剣を撫し疾視して曰く、彼悪くんぞ敢えて我に当たらんや(刀を撫でて睨みつけ、むやみにいきり立つのは匹夫の勇というもので、たった一人を相手にするだけのことだ)」とあるのに基づく。

※ここで言われている道理も同じ事だと思います。口先だけは勇ましく、耳ざわりの良い言葉を吐くが、実際にやらしてみれば碌な事をしない輩が多いのも現実です。
私は民主党の美辞麗句を信じてしまい、宮島大典という男に投票して民主党政権の誕生に手を貸す形となった大馬鹿者でした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/宮島大典

司法も議会(国会、地方議会のいずれも)も本来はそれを担う人はディベートのプロでなければならないはずです。人格攻撃や感情論が横行して論理がかみ合っていない現状は悲しいですね。
  1. 2016-07-18 09:41
  2. URL
  3. taigen #-
  4. 編集

To:taigen さん

> 大変勉強になりました。武術をほんの少し学んでいたくせに、五輪書というものをこれまで読んだことが有りませんでした。
>
> 匹夫の勇
> http://kotowaza-allguide.com/hi/hippunoyuu.html
> 「匹夫」とは、身分の低い男、道理をわきまえない教養のない男のこと。 孟子が斉の宣王に言ったことばで、『孟子・梁恵王下』に「夫れ剣を撫し疾視して曰く、彼悪くんぞ敢えて我に当たらんや(刀を撫でて睨みつけ、むやみにいきり立つのは匹夫の勇というもので、たった一人を相手にするだけのことだ)」とあるのに基づく。
>
> ※ここで言われている道理も同じ事だと思います。口先だけは勇ましく、耳ざわりの良い言葉を吐くが、実際にやらしてみれば碌な事をしない輩が多いのも現実です。
> 私は民主党の美辞麗句を信じてしまい、宮島大典という男に投票して民主党政権の誕生に手を貸す形となった大馬鹿者でした。
> https://ja.wikipedia.org/wiki/宮島大典
>
> 司法も議会(国会、地方議会のいずれも)も本来はそれを担う人はディベートのプロでなければならないはずです。人格攻撃や感情論が横行して論理がかみ合っていない現状は悲しいですね。


太玄さんは武術をやって見えたのですか、それではこんな話はよくわかると思います。
実はこの件は私は仕事を通じて実感しました。
トヨタでは在庫を減らす理由を「人を育てるため」と言っています。
在庫をぎりぎりまで減らせば、機械のメンテナンスとか人材の育成管理など一層のレベルアップが必要。
そんな意味で究極の目的は人を育てることだ。
こんなことを日夜取り組んでいると、それが武士道に通じるものがある。そんなことに気が付いたわけです。
こんな考え方を多くの方に知っていただいて、皆で一層のレベルアップを目指したい。
これからの日本の生きる道なんでしょうね。
  1. 2016-07-18 20:30
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する