2016-05-28 16:28

減点主義からの脱却

 5月22日に「「現場の限界認めないといけない」、モノ造りで心すべきこと」をエントリーした。
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1258.html

これは三菱自動車の燃費不正の件だったのだが、こんな事を問題点として取り上げた。
減点主義の弊害

そこへよもぎねこさんから大変興味深いコメントを頂いた。
問題提起として大変参考になるので、ここに全文引用し、ではどうしたらいいか考えてみたい。


ではよもぎねこさんのコメント

 学校のテストがこれですから。
 決まった範囲から出題して、できなければ×を付けて減点です。
 しかし子供が学校で習った事以外を、勉強しても評価対象にはなりません。 
 成績の良い子と言うのは、実はこの減点を減らす事に努力してきた子なのです。
 だからこうした高等教育が普及して、こうした学校式の人間評価に慣れた人間が増える程、こうした減点思想が社会を覆う事になります。
 減点思考の問題のもう一つは、学校のテストと同じで、決められた範囲以外での出題ができなくなることです。
 「数学のテスト範囲教科書の123ページから195ページまで」と決めるように、極めて狭くそして極めて常識的で凡庸なレベルで目標を定めてしまうのです。  
 企業で言えば同業他社が皆やっているような事を、自分達も目標にするのです。
 そうしないと減点法評価の対照になるような目標は作れません。 
 だって他の企業が全く思いつかなかった、誰もやっていないような事では、細かい点数評価の基礎になる目安もありませんから。
 だから減点法が普及すると、独創的な目標など設定不能になります。
 しかし学校のテストと同じで、細かい数値まで決めて目標を設定し、それを減点法で評価すると、形式的には大変公正公平であり合理的に見えます。
 だから減点法で高評価を得てきた人達にとっては、堪らない魅力でしょう。 と言うよりそれ以外の評価自体思いつかないでしょう。 
 ワタシはこれが日本の活力を奪っている大きな原因だと思います。
2016-05-22 12:52 URL よもぎねこ



よもぎねこさんの言っていることは私もよく分かる。確かにその通りだ。
しかし、実際に各論として、「では自分がどうすればいいのか」、こう考えると簡単ではない。
そんなことの回答になるかどうか、これは私なりの考えを纏めてみたものです。


最初に今の時代がどんな時代なのか、ちょっとそんなことを考えてみたい。
先日来ウィンドウズ10にアップグレードされてしまい、大いに困った話をエントリーしたのだが、こんな事をせねばいけないほどコンピュータの世界が激変しているということと思う。
その一例として、最近良く取り上げられる「第4次産業革命”といったフレーズで語られる『IoT(モノのインターネット化)』」、こんな事のためには今までと全く違う発想のものが必要な時代だと言うことだ。

キャッチアップからイノベーションと言い換えてもいいだろう。
キャッチアップとはお手本や目標が有って、それに向かっていく、日本が長年やってきたことでもある。
しかし今では日本は「お手本のない時代」に入っている


前置きが長くなったが、では減点主義に対してどう考えればいいか。
減点主義の逆なら加点主義。持ち点がないから何もしなければ0点。こんな考え方はどうだろう。
何か成果を上げればその分プラス。うん悪くない。
しかしこれをやろうとすると目標やお手本がなくなる
だからよさそうと思っても採用するのは難しい。


さてそんなことの分かる事例として、こんなものを見てください。

2016-5-28科学の芽賞

http://www.tsukuba.ac.jp/community/kagakunome/

これは日本で2番目にノーベル賞を受賞した朝永振一郎博士の言葉にちなんで筑波大学で毎年やってるもの。

そのもとになった言葉がこれ

2016-5-28科学の芽朝永振一郎

こんなものには減点法などで評価できるものではない。また目標やお手本も有るわけではない
しかしこれがイノベーションの原動力なのだと思う。

そしてこんな考え方の基礎にあるもの
それは
プラス思考とか前向き思考、ポジティブ・シンキングなどと言われる考え方ではないだろうか。

もうお手本は無い。見えない世界、認知できない世界に手探りでアプローチしていかねばならない。
武器は「実践と鍛錬」、これしかない。
そんな考え方を支えるもの。それはこのプラス思考とかポジティブ・シンキングと言われる考え方だと思う。

よもぎねこさんからの問題提起に私なりの答えとしていえること。

職場でも学校でも、あるいは家庭でも共通していえる考え方である。
プラス思考、ポジティブ・シンキング、これに尽きるのではないだろうか。
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コメント

存在問題

小室直樹さんの「数学を使わない数学の講義」に数学が提起した「存在問題」の重要性という項が有ります。
「存在問題」とは、ある問題が起きた時、その対象となっているものが本当に存在するのかどうかを、まず確認しなくてはいけないという事です。
小室直樹さんが例としてあげているのは次のようなものです。

1960年代米国のケネディー大統領は「宇宙開発においてソ連を必ず抜き返し、60年代の終わりまでには米国人を絶対に月へ送って見せる。」と公約しました。
当時の難問としては、宇宙開発と同時に、癌の治療法というのも有りましたが、その頃には遺伝子工学というものも無かったから、癌の第一線の研究者に「いつ頃になったら癌の治療法が発見できますか?」と尋ねても「まったくわかりません」という答えしか返ってこなかった。
何故、癌の治療法がいつ発見できるかはまるっきり五里霧中、闇の中なのに、人間をいつ頃までに月に送れるかということのついては明言ができたのかという事ですが、実はここに存在問題が関係してくるのです。
当時癌の治療法というのは果たして存在するのか存在しないのかわからなかったのに対して、宇宙開発のほうは月に行くための確かな条件が存在することは、すでにわかっていたのです。
(人工衛星も宇宙船もニュートン力学の範疇で説明可能)
現時点では、分子生物学が非常に発達したことから、癌の治療法の存在も確信されているようです。

アメリカ大陸が北極から南極までずーっとつながっている可能性もあるのに大西洋から太平洋へ船で抜けられる海峡を必死で探したマゼランも存在問題に苦しんだのです。
  1. 2016-05-29 14:53
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  3. taigen #-
  4. 編集

Re: 存在問題

> 小室直樹さんの「数学を使わない数学の講義」に数学が提起した「存在問題」の重要性という項が有ります。
> 「存在問題」とは、ある問題が起きた時、その対象となっているものが本当に存在するのかどうかを、まず確認しなくてはいけないという事です。
> 小室直樹さんが例としてあげているのは次のようなものです。
>
> 1960年代米国のケネディー大統領は「宇宙開発においてソ連を必ず抜き返し、60年代の終わりまでには米国人を絶対に月へ送って見せる。」と公約しました。
> 当時の難問としては、宇宙開発と同時に、癌の治療法というのも有りましたが、その頃には遺伝子工学というものも無かったから、癌の第一線の研究者に「いつ頃になったら癌の治療法が発見できますか?」と尋ねても「まったくわかりません」という答えしか返ってこなかった。
> 何故、癌の治療法がいつ発見できるかはまるっきり五里霧中、闇の中なのに、人間をいつ頃までに月に送れるかということのついては明言ができたのかという事ですが、実はここに存在問題が関係してくるのです。
> 当時癌の治療法というのは果たして存在するのか存在しないのかわからなかったのに対して、宇宙開発のほうは月に行くための確かな条件が存在することは、すでにわかっていたのです。
> (人工衛星も宇宙船もニュートン力学の範疇で説明可能)
> 現時点では、分子生物学が非常に発達したことから、癌の治療法の存在も確信されているようです。
>
> アメリカ大陸が北極から南極までずーっとつながっている可能性もあるのに大西洋から太平洋へ船で抜けられる海峡を必死で探したマゼランも存在問題に苦しんだのです。


難しい問題ですね。存在問題は有るということの証明も難しいが、無いということの証明はさらに難しい。
だからこそ『分からないことを調べる、考えることを楽しむ』、こんなことが必要になる。
こう言った面ではアングロサクソンはじめ海洋進出を果たした民族は強い。
日本人も見習いたいですね。

そういえばアメリカ人などは会議なら学校やらで、「ポジティブ・シンキング」を合言葉にしています。
そんな分かりやすい合言葉があると考えも変わりますね。

  1. 2016-05-30 06:29
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  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

 コメントを取り上げて下さってありがとうございます。

 ワタシはこういう学校のテストと言うのは、実は凡庸な子供達に必要な知識を身に着けさせるには、極めて有効だと思うのです。

 決められた範囲内での出題で減点主義で到達度を評価すると、一夜漬けでも何でもテスト前に頑張って勉強すると成果が出るので、「凡庸な子でも努力をすればできる」と言う努力主義になるのです。

 問題はこうした努力主義による競争が、それ自体自己目的化していることです。

 例えば私立中学の入試では、小学校の教育内容から出ないようにと、繰り返し全国校長会などが要請しているので、そのようになっているのです。

 しかし小学校の教育内容など極狭い範囲なので、そこから高学力の子供を選出しようとすると、超難問奇問になり、それこそ専門の学習塾にでも行かない限り、どうしようもない出題になるのです。

 でも学校的思考だと「学校で習わない事を出題するのはアンフェアだ。」と言う発想なのです。

 学校で習わない事を自分で学ぶ子こそが優秀な子なのに、公正な競争が自己目的化するからこんな奇妙な発想が主流になるのです。

 そして今は親や祖父母の代から受験世代ですから、こうした奇妙な「公正な競争」の発想が社会の中でドンドン強まっています。

 これだとホントに独創的な発想などできなくなります。

 これは例えば科挙による学力試験を使って官僚を選び続けた中国が、階級社会のイギリスに負けた理由だと思います。

 階級社会はアンフェアですが、しかし階級社会である事から、受験秀才以外の多様な人間が社会を動かす事になったのです。

 これを考えると、例えば高卒を一定数取るとか、中途採用を増やすとかして、人材を多様化して、学歴ルールを潰していくべきではないかと思います。

 
 
  1. 2016-05-30 12:19
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  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

To:よもぎねこさん

>  コメントを取り上げて下さってありがとうございます。
>
>  ワタシはこういう学校のテストと言うのは、実は凡庸な子供達に必要な知識を身に着けさせるには、極めて有効だと思うのです。
>
>  決められた範囲内での出題で減点主義で到達度を評価すると、一夜漬けでも何でもテスト前に頑張って勉強すると成果が出るので、「凡庸な子でも努力をすればできる」と言う努力主義になるのです。
>
>  問題はこうした努力主義による競争が、それ自体自己目的化していることです。
>
>  例えば私立中学の入試では、小学校の教育内容から出ないようにと、繰り返し全国校長会などが要請しているので、そのようになっているのです。
>
>  しかし小学校の教育内容など極狭い範囲なので、そこから高学力の子供を選出しようとすると、超難問奇問になり、それこそ専門の学習塾にでも行かない限り、どうしようもない出題になるのです。
>
>  でも学校的思考だと「学校で習わない事を出題するのはアンフェアだ。」と言う発想なのです。
>
>  学校で習わない事を自分で学ぶ子こそが優秀な子なのに、公正な競争が自己目的化するからこんな奇妙な発想が主流になるのです。
>
>  そして今は親や祖父母の代から受験世代ですから、こうした奇妙な「公正な競争」の発想が社会の中でドンドン強まっています。
>
>  これだとホントに独創的な発想などできなくなります。
>
>  これは例えば科挙による学力試験を使って官僚を選び続けた中国が、階級社会のイギリスに負けた理由だと思います。
>
>  階級社会はアンフェアですが、しかし階級社会である事から、受験秀才以外の多様な人間が社会を動かす事になったのです。
>
>  これを考えると、例えば高卒を一定数取るとか、中途採用を増やすとかして、人材を多様化して、学歴ルールを潰していくべきではないかと思います。



確かにご指摘の通りでしょう。
がしかし、この学歴問題は簡単ではありません。
一つにはそれが世界の風潮であることも関係しています。こんな議論の裏側に大学無償化論がついて回るわけです。

多分人の紹介をするときに学歴を言わない風潮ができない限りこの問題は解決しないでしょう。

もう一つ、高卒を一定数とる云々の話がありますが、その悪しき例があります。
在日です。
マスゴミなどには一定の在日枠があり、少々出来が悪くても在日だから採用されるということがまかり通っています。
それがマスゴミの劣化の元ですが、さらに悪いのはそんな連中がだんだん年齢を重ね、幹部になっていくのです。
恐ろしい話ですが、現在進行中の問題です。

この問題はいろんな切り口があり、もっと議論して国民全体での問題意識を高める必要がありますね。
  1. 2016-05-31 06:12
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

 よもぎねこさんの案を実行するには、今の不公正を正さないといけないということですね。本当に難しい問題です。

 確かに、「ポジティブ・シンキング」は大事だと思います。WGIPの自虐史観を、まだまだ歴史学者たちは植え付けようとしています。国立研究所の学者の本を読んでいたら、まず表紙が大きな朝鮮半島とやや小さめの日本の地図で、しかも皇室や日本の名家のほとんどは渡来人の子孫だそうです。どうも長浜 浩明さんの著書への反論をするつもりか、日本書記の記述を引用したり、Y遺伝子や稲のプラントオパール解析は否定して、とにかく人も稲作も全部朝鮮半島由来ニダ!!と書いてあり、不愉快極まれりです。

 事実に即した歴史を学ぶことから「ポジティブ・シンキング」は生まれると思います。
  1. 2016-05-31 07:54
  2. URL
  3. 都民です。 #-
  4. 編集

To:都民です さん

>  よもぎねこさんの案を実行するには、今の不公正を正さないといけないということですね。本当に難しい問題です。
>
>  確かに、「ポジティブ・シンキング」は大事だと思います。WGIPの自虐史観を、まだまだ歴史学者たちは植え付けようとしています。国立研究所の学者の本を読んでいたら、まず表紙が大きな朝鮮半島とやや小さめの日本の地図で、しかも皇室や日本の名家のほとんどは渡来人の子孫だそうです。どうも長浜 浩明さんの著書への反論をするつもりか、日本書記の記述を引用したり、Y遺伝子や稲のプラントオパール解析は否定して、とにかく人も稲作も全部朝鮮半島由来ニダ!!と書いてあり、不愉快極まれりです。
>
>  事実に即した歴史を学ぶことから「ポジティブ・シンキング」は生まれると思います。


まったくそう思います。
事実を知ること、歴史を知ること、こんな事から始めないとだめですね。
そして今はと言えば、とにかく中韓に阿る連中が多すぎる。
やはり信賞必罰でそんな連中を駆逐したいものです。
  1. 2016-05-31 16:27
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
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減点主義の悪弊だけが残ってる

減点主義はそんなに悪いものじゃあありません。
国家にとって必要なのは一人のスティーブジョブスではなく、数十万の二宮尊徳なのです。天才を生み出す方法なんてありません。出てくるのを待つだけです。出るか出ないかわからない天才に頼らない、というのは国家のあり方としては健全なんです。

問題はその裏に平等主義が隠れてることなんです。どんな馬鹿もここまでにはしてやる、ということとどんなに頭が良い奴もここまでしか面倒見ない、ということが同居してることが問題なんです。ここで減点主義が絡むから問題が厄介になります。

出来る奴は先に活かせるのが当然、そういう発想があれば出来る奴の遇し方を考えるようになります。問題はそこからです。米国あたりはこの辺りの差の激しさがよく分ってますから、できるヤツの伸ばし方もわかってるわけです。天才が出てくるには出てくる風土があるわけです。

こういう所で悪平等を貫くから馬鹿な問題がどんどん出てくるのです。言いたくないが三菱の経営陣になる程度の人物は何年かに一人の逸材なんてのはいないはずです。要は減点法にもとづいて生き残ってきた連中でしょう。彼らにしたって口では「学校と違って社会じゃあ答えのある問題なんかない」くらいのご高説を新入社員に向かって唱えていたはずです。こういう連中が減点主義の悪い部分だけを生むのです。

学校で実力主義を唱えるとどうなるか、出来る奴のビヘイビアが評価の基準になります。そして、分からない問題というのは案外近場にあるものです。そういう問題にチャレンジするという風土がここにできます。こういう空気ができれば物事を達成主義で評価できるようになるのではないかと思ってます。

学校の教師にとって減点主義は楽なのです。そのうえ平等主義が絡まればどうか。努力も工夫もいりません。出来る子はセカンドスクールに任せればいいんですから…

かつての日本では飛び級がありましたし、旧制高校の受験資格には中学卒も必要ありませんでした。先に行かせたのです。同時に落第もありました。ここで減点主義が効くから効果があったのです。

米国のような風土で、一人の天才が出てくる背景には何千もの死屍累々たる連中がいるはずです。それがいいかどうかは別として、一定のところまで行ければそこから先は本当に個人の力量でしょう。「まともに」教育が機能すればそれなり以上のノーベル賞学者は出ます。

弊害が問題になるのはこれからでしょうか。そしてゆとりなんたらのバカ政策が問題になるのはさらにその後でしょう。小生はどんな馬鹿をやっても1%の天才には何の影響もないと思ってます。

ただ問題はその1%を見つけ出し化学反応を起こさせるような触媒が必要だということなんです。これをまともな大人たちが理解できるかどうかが最大の問題です。
  1. 2016-06-01 21:11
  2. URL
  3. kazk #cPv2SIBE
  4. 編集

Re: 減点主義の悪弊だけが残ってる

> 減点主義はそんなに悪いものじゃあありません。
> 国家にとって必要なのは一人のスティーブジョブスではなく、数十万の二宮尊徳なのです。天才を生み出す方法なんてありません。出てくるのを待つだけです。出るか出ないかわからない天才に頼らない、というのは国家のあり方としては健全なんです。
>
> 問題はその裏に平等主義が隠れてることなんです。どんな馬鹿もここまでにはしてやる、ということとどんなに頭が良い奴もここまでしか面倒見ない、ということが同居してることが問題なんです。ここで減点主義が絡むから問題が厄介になります。
>
> 出来る奴は先に活かせるのが当然、そういう発想があれば出来る奴の遇し方を考えるようになります。問題はそこからです。米国あたりはこの辺りの差の激しさがよく分ってますから、できるヤツの伸ばし方もわかってるわけです。天才が出てくるには出てくる風土があるわけです。
>
> こういう所で悪平等を貫くから馬鹿な問題がどんどん出てくるのです。言いたくないが三菱の経営陣になる程度の人物は何年かに一人の逸材なんてのはいないはずです。要は減点法にもとづいて生き残ってきた連中でしょう。彼らにしたって口では「学校と違って社会じゃあ答えのある問題なんかない」くらいのご高説を新入社員に向かって唱えていたはずです。こういう連中が減点主義の悪い部分だけを生むのです。
>
> 学校で実力主義を唱えるとどうなるか、出来る奴のビヘイビアが評価の基準になります。そして、分からない問題というのは案外近場にあるものです。そういう問題にチャレンジするという風土がここにできます。こういう空気ができれば物事を達成主義で評価できるようになるのではないかと思ってます。
>
> 学校の教師にとって減点主義は楽なのです。そのうえ平等主義が絡まればどうか。努力も工夫もいりません。出来る子はセカンドスクールに任せればいいんですから…
>
> かつての日本では飛び級がありましたし、旧制高校の受験資格には中学卒も必要ありませんでした。先に行かせたのです。同時に落第もありました。ここで減点主義が効くから効果があったのです。
>
> 米国のような風土で、一人の天才が出てくる背景には何千もの死屍累々たる連中がいるはずです。それがいいかどうかは別として、一定のところまで行ければそこから先は本当に個人の力量でしょう。「まともに」教育が機能すればそれなり以上のノーベル賞学者は出ます。
>
> 弊害が問題になるのはこれからでしょうか。そしてゆとりなんたらのバカ政策が問題になるのはさらにその後でしょう。小生はどんな馬鹿をやっても1%の天才には何の影響もないと思ってます。
>
> ただ問題はその1%を見つけ出し化学反応を起こさせるような触媒が必要だということなんです。これをまともな大人たちが理解できるかどうかが最大の問題です。


確かに減点主義と悪平等主義がセットになって、その悪弊を残しています。
そしてさらに問題なのは学校もですが、一般社会の中にその悪弊がしっかり根を張っている。
そんな悪弊、一般の会社なら企業競争で負けて倒産、従業員も路頭に迷います。だからほどほどのところで考え直します。
しかしダメなのはそんな競争ン愛社会。
公務員などはその典型でしょう。
マスゴミなども一般企業ではありますが、諸規制に守られて事実上競争がない。これではだめですね。

こんな処から改革していかねばいけないと思っています。
  1. 2016-06-02 14:25
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

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