2016-03-16 19:25

銅鐸の作り方の一考察

 13日に「ベトナムが日本語を「第1外国語」に」をエントリーし、そこでベトナムと日本との縁についてベトナムのドンソン銅鼓(青銅鼓)と日本の銅鐸について私の思い出話を書いてみた。
ベトナムと日本、古代史の話だがベトナムの銅鼓と日本の銅鐸には製造方法に共通点がある、そんな事を書いたのだが皆さんから色んなご意見などを頂いた。
そこで銅鐸について私の知る所を書いてみたい。

尚、別にこの件とは関係ないのだが、丁度私は今週末に出雲へ行くことになっているので、出雲の博物館なども見て来るつもりです。


最初に銅鐸最大の謎、それは見つかるのが偶然山中から発見されるだけ、普通の墓とか古墳、住居跡などからは見つかっていない、また文献には記載がない事である。
(銅鐸の発見は、最古の記録は668年から有るが、この時すでに何なのか分からなくなっている)

こんな謎だが最近島根県の荒神谷遺跡から大量の銅剣とともに銅鐸も発見され、更に直ぐ近くの加茂岩倉遺跡からは一度に39口の銅鐸が発見された。幸運な事にどちらの遺跡もキチンとした考古学的発掘調査が行われ、その埋納状況が分かってきた。
さらに昨年、淡路島でも銅鐸が発見され、内部に舌(ぜつ)が有る事が確認され、鳴らして使うと言うその使用方法がハッキリわかってきた。

銅鐸は祭祀に使用され、祭祀が終わったら土の中に埋めて保管、次に使うときは又掘り出して使う。こんな使い方をしたと言う説が有力になってきた。また淡路島での発見は銅鐸が鳴らして使うものと言う事の有力な証拠でもある。

そしてベトナムなどの田舎では、現在でも銅鼓が使われている所があるが、その銅鼓の保管方法が土の中に埋めて保管、使うときは掘り出して使う。こんな事も有るようだ。


加茂岩倉遺跡出土銅鐸
2016-3-16加茂岩倉遺跡出土銅鐸
39口全部が国宝になっている

そしてこれは昨年淡路島で発見された銅鐸、CTスキャンで内部に舌があることを確認した時のモノ。


ソースは
http://www.kobe-np.co.jp/news/bunka/201506/0008155962.shtml



さてこれからは銅鐸の製造方法について

これは復元銅鐸を造っている様子


但しこの動画に有る造り方は現代の技術、弥生時代の技術は似ているがかなり違う。

例えば、動画では、鋳型に砂を詰める時水ガラスを混ぜる、そして砂をつめたら炭酸ガスを注入して固めると言っているが、これが現代の鋳造法
昔は水ガラスも炭酸ガスも無い、それで如何して作ったか。

以下は大変古い文献だが、そこに銅鐸の作り方が記載されている。
最近の研究で銅鐸は小型のモノは石型大きいものは土型で製造されたことが分かってきたが、この造り方はその大型銅鐸の作り方。

尚古い文献だが、銅鐸の作り方をこれだけ詳しく書いたものは見たことがないので、参考用として全文引用する。
銅鐸に興味のある方には役に立つと思う。
それからこの造り方はベトナムのドンソン銅鼓(青銅鼓)と共通するものがある。どなたか研究してくれませんかねえ。

それから以下引用文は古い文献をスキャンしたので大変読みにくい、そこで適当に改行して多少読みやすくした。

引用文献
日本考古学講座 第6巻 歴史時代(古代) 昭和31年4月 河出書房刊 より (・・・古いなあ・・・)

この項目の著者は香取正彦氏

<以下引用>

銅鐸鋳造法
 
 銅鐸・銅鉾・銅剣・鏡などは前に述べたように惣型鋳物であるが、その型作りの方法の如何なるものかを知っていた方が研究上役立つこともあり、また便宜でもあるかと考え、銅鐸についての型作りを一応述べてみよう(第3図)。

2016-3-16doutaku3.jpg


 まず木の板に鐸身の平面図縦半分を描いて鐸の外線の形をのこし、幅規(はばき:作られる品物にはならぬところで型と型の合せるのに必要な部分)を付けたもの(図印1)を作る。
これを規型という。
規型の上下の中心となるべき垂直の丸の軸を取付ける。木枠甲乙二箇を用意し、木枠の甲乙の上下に軸受木を取付け、規型Iをその軸受木の中央に置いて上部は軸受木の穴鳥目(型を作る時規型の軸木をあてる中心になるところ)にさしこみ手前は軸受に落込むように切込鳥目をして置く。
1は木枠の鳥目を軸として旋回するようにして置く。
枠内は型土を詰めるのであるが、型土は粘土を濃く水に溶 した埴汁(はしる)と砂とをこねまぜたもので、真土(まね)という。
真土にわらを切った「つた」を入れた荒真土(あらまね)をつけ、次に「つた」を入れない、やや細末のもの,次に粉末またぱ水こしした微細なものとの順に枠内に詰め、規型を左から
右に下方に回し、また右から左と旋転させ凹の型を作り、木枠の縁を定規に枠内の土を箆でならし、上下の軸受と共に規型を取除けば、木枠乙3ができあがる。
こうして2、3の木枠内型のできたのが鐸身の前後面になるのである。これを横挽法という。

 銅鐸は上部の肩の方が底の方よりいつも深めな扁円であるのは、正面に近い上部の軸を手前の底の方より深めに装置するからであろう。
凹んで作ら札た雌型が、半截の正しい半円形でないのは枠の縁より高く軸を装置するからであり、また型の縁の鰭(ひれ)の付根が破損するのを防ぐことと、なおできた鐸を取出すのに便利なためである。それが惣型の特長である。
 雌型ができたらば、鈕(つまみ)も鰭も箆をもって彫込み、細末土で塗りならし、文様を描き凹める。
これは作家独自に格子文なり、斜交交・流水文なり、好みの文様を線彫に描きこむ。その時細心の注意を要することは、両面の鈕が軸を中心に上下四方を正しく合致させねばならぬことはもちろんであるが、鈕も左右の鰭も各平均に出入なく、また雌型の
深さも両面とも同一でなくてはならない。要するに甲乙両型を合せて厘毛の差もないようにすることが肝要である。

 次に中空にするためには中型(なかご)の装置が必要である。鐸身側面の双孔は中型を雌型に持たせかけ、型持として必要であり、下方縁の双凹入は肩の上鈕の中間の双孔と共に中型の移動を防ぐため必要である。型持は中型と雌型の間隔の
役にも立たせる。
幅規(はばき)は中型を鐸身の中型と共に作り、全体の中型をもたせ、また横転するのを予防する役目もある。
小形のものには孔のないものもあるが、これは幅規だけで型持ちがなくても持つからである。
溶銅を注入する鋳口(いぐち)は、幅規の一部をけずり取って付ける。この場合雌型でも中型でもよい。
中型を作るにはまず「中型砂」を用意する。それは砂を篩(ふるい)にかけて、濃い埴汁を交ぜ合せ揉合せ、手に握りしめて固まる程度の、ぼろぼろの砂をつくる。
これが中型砂である。
雌型は炭火を型内に盛りあげて煉瓦色になるまで焼く。
焼けたら炭火を去りきれいにして、甲の雌型の凹んだ所に中型砂を詰め込み手でたたき、締めつけて固める。
乙の雌型にも同様な作業をする。
甲と乙との中型砂を詰めたらば、その上に埴汗を砂に交ぜた泥を置いて、甲型の上に乙型の枠の把手(とって)を持って覆い合せる。
甲乙両型を合わせて少しの食違いもないように型を合わせ枠外に合口の印を付けておく。泥砂のためこのようにすれば甲乙の中型が粘着する。
そこで乙型を取除けば、乙型の中型は甲型の上に置去られて残る。
それを炭火で乾して甲型から抜き取れば、中型砂で鐸身ができる。砂の鐸身をよく乾燥して銅の厚さとなるだけ削り落す。できあがったのが図の中型である。

 さて中型を削り終ったらば、中型の外面と雌型の内面とに木炭の細末を薄い埴汁水に溶したものを塗り、あるいは松のひで(松の木の油の多い部分)を燃し真黒く燻べる。
これは溶銅の流れをよくするためといい、銅と型と分離し易いためで、また型のこわれを防ぐためでもある。
そして一方の雌型に中型を納め、前に印を付けた合口を目標に他の一面の雌型で覆い、両面の型の開かぬよう繩で二ヵ所か三ヵ所をかたく縛る。
そして中型を納めた型は多少動かしても、いざることや開くことのないようにして、鐸の上部を下に鋳口を付けた方を上にして土中に穴を掘り、入れて周囲をよく埋める。

そして溶銅を注ぎ込む。このように型を動かす作業があるので、肩や側面に型持が必要なので、中型を削り残して型特にする場合もあり、粘土と砂を練り合わせた一片を置くこともある。だから不整形な孔となるので、
これで鐸などに約束的に孔のあることが了解されたと思う。
鋳損じて銅の回りの不十分なものが往々あるが、それは色々の原因で最も普通には雌型の焼方が不十分か、焼けていても湿気をふくんだこと、乾燥がたりないこと、溶銅がとけきれなかったことなどが原因で、文様が不鮮明などのことができる。以上が銅鐸の鋳造法の大体である。

<引用終り>

大変長く読みにくい文章で恐縮です。
しかしこんな製造方法ですが、現代の製造方法とは似ていますがかなり違います。

まあこんな製造方法だったと言う事で理解していただければいいかと思います。
  1. 歴史
  2. TB(0)
  3. CM(4)

コメント

大変申し訳ありません。完全にスレチなのですが
ものすごく興味深い小説を見つけたのでご紹介させてください。

世界最優秀民族が異世界にやってきました
ttp://ncode.syosetu.com/n6471dd/

GATEという異世界ファンタジー作品をご存知でしょうか?
簡単に言うと異世界の扉が日本で開き、異世界の軍隊(中世程度の文明)と
日本国自衛隊との戦いや交渉、文化交流を描いた作品です。
これを韓国軍で描いたらどうなるのか?
それが今回紹介したい作品の趣旨です。

小説ですので文字で、ですがグロ描写ありでして
そういうのが苦手な方はキツイと思いますが
韓国(在日朝鮮人含む)のやらかした『事実』を元に描かれていて
非常に興味深い作品になっていました。

この作品で韓国軍及び韓国・朝鮮人は徹底的に『悪』として
描かれていますが、同時に登場している日本人の青年も完全な善人ではなく
法的にはいくつかの罪を犯していると描写されてもいます。
その辺りも非常にリアルに描かれているので注目して欲しい所ですね。
全体的には短い作品でまだ完結していないのですが
おヒマな時にでも目を通していただけたら、と思います。
以上、大変失礼しました。
  1. 2016-03-16 23:02
  2. URL
  3. ハロン棒 #-
  4. 編集

To:ハロン棒 さん

> 大変申し訳ありません。完全にスレチなのですが
> ものすごく興味深い小説を見つけたのでご紹介させてください。
>
> 世界最優秀民族が異世界にやってきました
> ttp://ncode.syosetu.com/n6471dd/
>
> GATEという異世界ファンタジー作品をご存知でしょうか?
> 簡単に言うと異世界の扉が日本で開き、異世界の軍隊(中世程度の文明)と
> 日本国自衛隊との戦いや交渉、文化交流を描いた作品です。
> これを韓国軍で描いたらどうなるのか?
> それが今回紹介したい作品の趣旨です。
>
> 小説ですので文字で、ですがグロ描写ありでして
> そういうのが苦手な方はキツイと思いますが
> 韓国(在日朝鮮人含む)のやらかした『事実』を元に描かれていて
> 非常に興味深い作品になっていました。
>
> この作品で韓国軍及び韓国・朝鮮人は徹底的に『悪』として
> 描かれていますが、同時に登場している日本人の青年も完全な善人ではなく
> 法的にはいくつかの罪を犯していると描写されてもいます。
> その辺りも非常にリアルに描かれているので注目して欲しい所ですね。
> 全体的には短い作品でまだ完結していないのですが
> おヒマな時にでも目を通していただけたら、と思います。
> 以上、大変失礼しました。


なるほど、面白そうですねえ。
情報ありがとうございます。
最初の1ページを読んでみましたが、興味が持てます。ヒマな時にでも読んでみます。
某国の日本侵攻は今まで何度も計画されてきました。
最初は1950年、この時はチャンスとばかりに北が攻め込んできました。
最近では2010年から11年、この時は北が国境の小島を砲撃したため侵略にブレーキがかかりました。
しかしその後も軍の体制は侵略体制のまま、そこでコメの国が空母を派遣しました。空母が日本近海に着いたとき未曾有の大災害が発生、トモダチ作戦が始まってしまったので侵攻できませんでした。

しかしこのシナリオは今危険性が極度に高まっています。中国の動き次第では現実になるかもしれません。
特にK国では現役世代は全員反日教育で凝り固まっている。今年は本当に油断ならない年だと思います。
  1. 2016-03-17 06:15
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

埋納現地の印象

お邪魔いたします。
原始的な水田は水管理の容易な、小河谷に沿ったゆるい傾斜地にいとなまれたのであり、山から流れ落ちて稲をそだてるその流れこそ、ひとびとには神。そこでその水源の地に、穀霊か、田の神様か、を祀ったのであろう、という仮設的先入見をもって、何年か前に、加茂岩倉と荒神谷の現地をみてきたことがありました。
現地の形勢はほぼ卑見をうらぎらず。だれもほめてくれないので、「それは卓見かもな」と、自分をほめております。失礼いたしました。
  1. 2016-03-18 08:45
  2. URL
  3. いぼぢ日記 #-
  4. 編集

Re: 埋納現地の印象

> お邪魔いたします。
> 原始的な水田は水管理の容易な、小河谷に沿ったゆるい傾斜地にいとなまれたのであり、山から流れ落ちて稲をそだてるその流れこそ、ひとびとには神。そこでその水源の地に、穀霊か、田の神様か、を祀ったのであろう、という仮設的先入見をもって、何年か前に、加茂岩倉と荒神谷の現地をみてきたことがありました。
> 現地の形勢はほぼ卑見をうらぎらず。だれもほめてくれないので、「それは卓見かもな」と、自分をほめております。失礼いたしました。


なるほど、それは卓見と思います。
日本では平野での水田が一般的なのですが、谷筋の小さな水田こそ稲作のルーツでしょう。
私はタイで色々歴史を調べましたので、谷筋の小さな水田がそのルーツと確信しています。
タイは中国雲南省あたりに居たタイ族が13世紀頃タイ国の地にやってきましたが、最初に入植したのは矢張りそんな所でした。

これはラオスの例ですが、このエントリーにラオスの山間部の谷筋の水田と住居の様子、そして焼畑での陸稲植え付け、こんな事の分かる写真を載せています。
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1099.html

それから中国雲南省の少数民族の事を調べた人の論文によれば、雲南省の山間では民族ごとに住んでいる標高が異なっていて、水田稲作を行うタイ族は一番下の方に居住している事が分かっています。標高の上の方に行くと焼畑と小さな水田の併用だったりするそうです。

そんな知見から見てもいぼぢ日記さんの見解は正鵠を射ていると思います。
偶然ですが明日の午後のフライトで出雲に行くつもり、荒神谷遺跡も行くつもりです。
  1. 2016-03-18 14:55
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

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