2016-03-13 22:23

ベトナムが日本語を「第1外国語」に

 ベトナムが日本語を英語などと並ぶ「第一外国語」として学校で教える、こんな報道が有った。
大変うれしい話である。

この話はNINJA300さんの「雪隠詰めのベトナムを日本はほおっておくのか」エントリーで知った。

先ずは何はともあれ、その報道を見てみたい。

<以下引用>

日本語が「第1外国語」に ベトナムの小学校で東南アジアで初
http://www.sankei.com/life/news/160301/lif1603010038-n1.html

 在ベトナム日本大使館は1日、ベトナム全土の小学校で日本語を英語などと並ぶ「第1外国語」として教えることを目指す方針でベトナム教育・訓練省と一致したと発表した。

 対象は3年生以上。今年9月から試験的に、首都ハノイの三つの小学校に日本語学習クラスを2クラスずつ設置する。大使館によると、初等教育段階での日本語教育の導入は東南アジアで初めて。

 ベトナムでは既に一部の中学校で日本語教育を実施。日本との経済関係などの強化を受け、初等教育への拡大を目指す。ただ教える人材をどう確保するかなどの課題もあり、実際に多数のベトナムの小学校で日本語教育を実施できるかどうかは不透明だ。

 日本は対ベトナム投資額で韓国、マレーシアに次ぐ第3位。対日感情は概して良好で、日本への旅行客も増加している。大使館によると、ベトナムでは約4万6千人が日本語を学んでいるとされる。(共同)

<引用終り>


 ベトナムは永年中国の属国であり漢字文化圏だった。しかし中国から何とか独立しようとしてきた歴史を持つ。
だから数年前に見た中文のwikipediaでは越南(ベトナム)は中国の属国と書いてあった。
そしてその後フランスの植民地になった。フランスがベトナムに持ち込んだのはフランスパンとギロチンだった。
悲惨な歴史が此処にもある。
そのフランスをWW2で追い出したのが日本。そんな歴史も有り、ベトナムは昔から親日国である。

しかしベトナム人はもっと面白い事を言う。
ベトナム、漢字で書けば越南、だから中国南部の越の国がルーツだ。そして日本も同じく越の国をルーツにする国だ。だから同じ越の国の仲間だ。
こんな事でベトナム人の親日は筋金入りと言える。

ちょっと参考までに
越(えつ)の国:紀元前700年頃~前257年頃まで、現在の上海あたりにあった国。「呉越同舟」という諺の越の国。
尚その後越の民は更に今の中国南部に百越として小国に分かれて存在。百越の範囲は今のベトナム北部にまで及んでいた。


一寸ここからは私の思い出話。
私もベトナムと日本はお互いにルーツには接点がある。そんな風に思っているのだがその物証を紹介。

ベトナムの大事にしている宝物にドンソン文明の銅鼓(青銅鼓)が有る。
ドンソン文明と言うのは現在の首都ハノイ(漢字では河内)近郊のドンソン村で発見された2000年ほど前の遺跡を作った文明。
そこでは立派な銅鼓(青銅鼓)が作られていた。

ドンソン銅鼓(青銅鼓)

2016-3-13ドンソン銅鼓

私が2002年にハノイの歴史博物館で実物をしっかり見てきた。そしてこの製造法は日本の銅鐸と共通の技術であることに気が付いた。面白いものだと思う。
尚ベトナム以外に中国南部、百越関係の遺跡でも同じような銅鼓が発見されている。その文献では銅鼓は百越に固有の文化だとなっている。

これは日本で発見された最大の銅鐸のレプリカ

2016-3-13日本最大の銅鐸レプリカ

銅鐸は謎の多いものである。どこから伝わってきたのか(類似品は中国にも無い)、どのように使われたのか、どうして突然使われなくなったのか、どうして他のモノとは全く別に埋められたのか・・・
そんな謎を解くカギの一つがこのベトナムのドンソン銅鼓(青銅鼓)かも知れない。何せ製造方法に共通点が色々あるのだ。
どなたか研究してくれませんかねえ。上手くいけばすごい発見になるかもしれないですよ。

そう言えばタイに居るレヌカーさんとこの銅鼓の製造方法についていろいろ話をしたことがある。
そんな事も私のタイ時代の思い出の一コマ。

ベトナムが日本語を第一外国語にすると言う嬉しい話が大いに脱線して考古学の話になってしまった。
今日はこれ以上脱線すると何処まで行くか分からないので、これにておしまいとします。
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コメント

 銅鐸が何に使われていたのか分らないというのは、歴史の授業で聞いてからいまだに不明です。こういう視点での越を中心にベトナムと我が国を考えるのは、とても面白い試みだと思います。

 ベトナムが第一外国語を日本語にするのは、歓迎します。介護関係の仕事をしている友人によると、漢字を使えるから仕事の申し送りなどでどうしても中国人が多くなると言っています。ベトナムの方が日本語をが出来れば、中国に偏り過ぎな傾向も解消されて良いと思います。

 それにしても、ベトナムはあれだけ中国に支配されても未だに独立独歩の気概があり、今朝のニュースでは日本が協力してベトナム軍が初めてPKO活動をすることになるそうです。北京は、お怒りでしょうか?
  1. 2016-03-14 07:53
  2. URL
  3. 都民です。 #-
  4. 編集

銅鐸の意味

銅鐸については、長浜浩明さんの『古代日本「謎の時代を解き明かす』に書いてある説明が、今のところいちばんしっくりきます。

-----------------------------------
・カギとなるのは鉄。日本では弥生時代から製鉄が行われていたが、最初にその原料となったのは、葦の根にくっついた褐鉄鉱だった。

・この褐鉄鉱、条件が良いと葦の根に鈴のなりになる。葦が腐ると内部が空洞になり、褐鉄鉱の一部がはがれて空洞の中に残ることがある。これを振ると音がする。

・鐸は、古くは「さなき」と読み、意味は鈴と同じで葦の根についた褐鉄鉱のことを「スズ」とも言うらしい。
 ※とすると、さなきとは「細鳴き」のことでしょうか。昆虫の蛹も、
  この「さなき」が語源かもしれないと思ってしまいました。

・古代の人は、この鐸を最初は鉄で作った。諏訪大社の社伝には「鉄鐸は往古、神使の巡回に使われた宝鐸」とある。

・人々は、葦の根に「スズ」が鈴なりになるよう願い、鉄鐸をつけた矛を神事に使ったが、後に実用道具としては使いづらい銅で鐸を作るようになった。

・後に砂鉄が鉄原料の主流になると、「スズ」のことが忘れられていった。銅鐸も、意味を喪失し、次第に巨大化、装飾化が進むこととなる。
-----------------------------------

およそこんな内容でしたが、今までの説明の中で、いちばん納得できる説明でした。これならば、「豊葦原の瑞穂の国」の意味も、よくわかります。豊かな鉄で豊かな稲の恵み。これが期待できる国という意味だったんですね。
  1. 2016-03-14 13:38
  2. URL
  3. Kamosuke #-
  4. 編集

引用ありがとうございます。
今日のアクセスが多いのはこのためだったのですね。w
お金儲けの神様の「Qえいかん」氏も日本人はベトナムから黒潮に乗ってきたはず、と書かれていました。わたしもそう思います。
発音も同じものが多いです。ホイアンには日本橋もありますし。ベトナム沖というのは貿易の要衝ですが、ここをシナが支配しつつあります。日本人のお花畑頭がいつまで続くか?滅びない限り変わらないのか?それとも、最後の最後で大和魂をみせるのか?歴史を目撃したいですね。
  1. 2016-03-14 17:36
  2. URL
  3. NINJA300 #/xzFVZWc
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To:都民です さん

>  銅鐸が何に使われていたのか分らないというのは、歴史の授業で聞いてからいまだに不明です。こういう視点での越を中心にベトナムと我が国を考えるのは、とても面白い試みだと思います。
>
>  ベトナムが第一外国語を日本語にするのは、歓迎します。介護関係の仕事をしている友人によると、漢字を使えるから仕事の申し送りなどでどうしても中国人が多くなると言っています。ベトナムの方が日本語をが出来れば、中国に偏り過ぎな傾向も解消されて良いと思います。
>
>  それにしても、ベトナムはあれだけ中国に支配されても未だに独立独歩の気概があり、今朝のニュースでは日本が協力してベトナム軍が初めてPKO活動をすることになるそうです。北京は、お怒りでしょうか?


銅鐸の話はこのエントリーとしては一寸筋違い、なので詳しく書きませんでしたが最近色々な事が分かってきました。
特に大きかったのが島根県の出雲で発見された荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡で沢山の銅鐸が見つかった事。
加茂岩倉遺跡などは一度に39口の銅鐸が見つかり、しかも発見してすぐ考古学的調査ができた。これでどうして埋納されたのかなどがかなり見えてきました。この39口の銅鐸全部が国宝になっていますからその意義が分かろうと言うものです。

そんな事で今まで何故山の中で見つかるのか全く分からなかったのですが、どうも祭祀に使い、使い終わったら土中に埋めて保管する。こんな風習だったようです。
尚銅鐸が内部に舌を入れて音をだしていたことも分かっていましたが、昨年淡路島で発見された銅鐸はその舌が入った状態であることがCTスキャンで確認されています。

それからベトナムの銅鼓は現在でも田舎の少数民族辺りで使われているようで、そちらでも土中に埋めて保管しているようです。

こんな事で中国南部、ベトナム、そして日本を結ぶ壮大な民族の物語が出てきそうです。
銅鐸の話だけで一つエントリーしようかなあと思っています。
  1. 2016-03-14 17:40
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

Re: 銅鐸の意味

> 銅鐸については、長浜浩明さんの『古代日本「謎の時代を解き明かす』に書いてある説明が、今のところいちばんしっくりきます。
>
> -----------------------------------
> ・カギとなるのは鉄。日本では弥生時代から製鉄が行われていたが、最初にその原料となったのは、葦の根にくっついた褐鉄鉱だった。
>
> ・この褐鉄鉱、条件が良いと葦の根に鈴のなりになる。葦が腐ると内部が空洞になり、褐鉄鉱の一部がはがれて空洞の中に残ることがある。これを振ると音がする。
>
> ・鐸は、古くは「さなき」と読み、意味は鈴と同じで葦の根についた褐鉄鉱のことを「スズ」とも言うらしい。
>  ※とすると、さなきとは「細鳴き」のことでしょうか。昆虫の蛹も、
>   この「さなき」が語源かもしれないと思ってしまいました。
>
> ・古代の人は、この鐸を最初は鉄で作った。諏訪大社の社伝には「鉄鐸は往古、神使の巡回に使われた宝鐸」とある。
>
> ・人々は、葦の根に「スズ」が鈴なりになるよう願い、鉄鐸をつけた矛を神事に使ったが、後に実用道具としては使いづらい銅で鐸を作るようになった。
>
> ・後に砂鉄が鉄原料の主流になると、「スズ」のことが忘れられていった。銅鐸も、意味を喪失し、次第に巨大化、装飾化が進むこととなる。
> -----------------------------------
>
> およそこんな内容でしたが、今までの説明の中で、いちばん納得できる説明でした。これならば、「豊葦原の瑞穂の国」の意味も、よくわかります。豊かな鉄で豊かな稲の恵み。これが期待できる国という意味だったんですね。



 製鉄原料としての沼地の褐鉄鉱、これが古代製鉄に使われたのは確かだと思います。
先年亡くなったお絵かき爺様から聞いたのですが、確か千葉県でもこんな褐鉄鉱を使った製鉄遺跡が有ったと聞いた記憶があります。
しかしこの渇鉄鉱でで出来る鐡は自由に加工するのは難しい。
私は仕事柄鉄の加工は長年苦労してきましたからよく分かります。銅鐸に近い形を作るのは材料が鉄では至難の業。(勿論現代なら問題ありませんが)
そんな事で融点の低い青銅を使えば900度台で溶かすことができる。(純銅だと1083℃)
そんな事で鉄で銅鐸に似た形を作ったがそれをより造りやすい青銅に変えた、これはちょっと無理があると思います。

但し沼地で出来る渇鉄鉱は巾着状の形になり、中に小石状のものが入った鈴のようなものが出来る事があります。古代人はこれを珍重していまして遺跡でも出てきます。鳴石(なりいわ)とか鈴石といいます。
だから銅鐸の前にこんな鈴石を鳴らした時期があったと言うのは納得します。

この銅鐸の話は別エントリーでもう少し詳しく書こうかと思っていますが、最近研究が随分進んできました。
そんな所を書いてみたいと思います。
中でも銅鐸は祭祀に使い、使い終わったら土中に埋めて保管する、使うときは掘り出して使う。こんな事が見えてきまして、其れだとべtナムの銅鼓も未だに田舎の少数民族辺りが使っていますが、矢張り土中に埋めて保管している。
何だか共通点がいろいろ出てきました。
  1. 2016-03-14 19:04
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
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To:NINJA300 さん

> 引用ありがとうございます。
> 今日のアクセスが多いのはこのためだったのですね。w
> お金儲けの神様の「Qえいかん」氏も日本人はベトナムから黒潮に乗ってきたはず、と書かれていました。わたしもそう思います。
> 発音も同じものが多いです。ホイアンには日本橋もありますし。ベトナム沖というのは貿易の要衝ですが、ここをシナが支配しつつあります。日本人のお花畑頭がいつまで続くか?滅びない限り変わらないのか?それとも、最後の最後で大和魂をみせるのか?歴史を目撃したいですね。


勝手に引用させていただきました。ご了承有難うございます。
ベトナムは漢字文化圏で基本的にほとんどの言葉が漢字表記できる、ハノイなどは河内ですから、この方が分かりやすいかも。

それからNINJA300 さんは多分気が付いて見えると思いますが、最近の若い人の意識の変化は凄いです。
多分これはスマートフォンの普及で今まで新聞・テレビしか情報源が無かったのが様変わりした。
こんなブログもそうですが、FBなどの媒体の力も大きい。

だから最近本屋に行くと分かりますが、いわゆるネトウヨ好みの本が溢れています。
今日も名古屋で本屋に行くつもりですが、そんな目で見ると変化が見えて楽しい。
やっと戦後が終わる年になる、そんな気がしています。
  1. 2016-03-15 06:34
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
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>やっと戦後が終わる年になる、そんな気がしています。

北朝鮮はなぜ日本海に向けてミサイルを撃つのか
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2951.html#more

※朝鮮戦争が再開されるという噂をよく目にしますが・・・
  1. 2016-03-15 10:12
  2. URL
  3. taigen #-
  4. 編集

To:taigen さん

> >やっと戦後が終わる年になる、そんな気がしています。
>
> 北朝鮮はなぜ日本海に向けてミサイルを撃つのか
> http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2951.html#more
>
> ※朝鮮戦争が再開されるという噂をよく目にしますが・・・


同感です。やっと戦後が終わりそうな所まで来ました。
所で朝鮮半島ですが、南朝鮮から来たん攻めこむことは考えられません。
でも一番ありそうなのは韓国が日本に攻め込むことです。対馬にやってくる可能性は否定できません。
中でもありそうなのが中国が尖閣、或いは南西諸島に攻め込む。日本がその対応であたふた。その隙にやってくると思っています。
厄介ですね。
しかし最近の韓国の反日暴走ぶりを見るともう止められないですね。行き着くところまで行かなければ分からないと思います。
  1. 2016-03-15 22:41
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
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銅鐸についてはなんにも分かっていない

というのが実態だと思います。

まず銅鐸については記紀に全く記述がありません。小生は古代史については結構文献重視派なので記紀に記述がないということは基本的に大和朝廷とは無関係であると思ってます。となると、これは大和朝廷(もしくはその前身)の統一によりその支配権を失った部族のものであったろうとするのが最も妥当だろうくらいしかいえません。

何しろ続日本記で銅鐸が出てきた時には一体これはなんだろうかと問題になったと言うのですから尋常じゃありません。すでに飛鳥時代あたりには全く知られていなかったというのが実態でしょう。これが支配部族のものならば何かしらの記録や記憶があるものですがそれがありません。

最近は縄文ブームですので弥生というものを軽視する傾向がありますが銅鐸こそはThe弥生というべきものですので軽視できないと思ってます。長澤氏の諸説の多くは納得できるものですが銅鐸に関してはいただけません。

まず当たり前の話ですが銅鐸は青銅製です。古代の定説として青銅から鉄への変化があることは世界史の常識です。鉄のほうが加工が難しいからこちらから始まるものなのです。鉄から銅というのはこれに反するものです。

そして実はこの銅鐸ですが最も保存状態の良い物は青銅の厚さが2ミリだといいます。こんな加工はどうやったら出来るのでしょうか。今なら出来ないことはありませんがおそらく旋盤使わねば出来ないでしょう。それを古代人たちは鋳物のみでやってるのです。
詳しくはこちら
http://www.manabi.pref.aichi.jp/contents/10000285/0/index.html

これは鉄器を使わないとんでもない高度な文明があったと考えねばいけないのです。鉄使用の本格化は古墳時代だと言われてますが、銅鐸は紀元2世紀頃には消滅してるとするのが通説です。これは殆どオーパーツと言いかねないものなのです。

ブログ主様はこれを越国の技術と関連で述べられてますが、その形態はとんでもない差があるような気がします。農業の研究や人のDNA解析によれば支那の江南地域から直接に技術の伝播があったことはほぼ確実でしょう。おそらく彼らが日本にやってきて独自の発展を遂げたものとしかいえません。そしてその銅は完全に日本固有のものを使ってることは立証されてるのです。

1974年に在野の研究家、大羽弘道氏という方が「銅鐸の謎」という本を出版されました。内容は触れませんが、銅鐸の表面の絵が文字ではないかというのでそれを解析したというものでした。

その解析結果はおそらく筋違いだと思うのですが、そんな研究は40年以上殆ど行われていないです。この辺りの研究の貧困さは全く変わっていないというのが実態だと思ってます。
  1. 2016-03-16 09:50
  2. URL
  3. kazk #cPv2SIBE
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Re: 銅鐸についてはなんにも分かっていない

> というのが実態だと思います。
>
> まず銅鐸については記紀に全く記述がありません。小生は古代史については結構文献重視派なので記紀に記述がないということは基本的に大和朝廷とは無関係であると思ってます。となると、これは大和朝廷(もしくはその前身)の統一によりその支配権を失った部族のものであったろうとするのが最も妥当だろうくらいしかいえません。
>
> 何しろ続日本記で銅鐸が出てきた時には一体これはなんだろうかと問題になったと言うのですから尋常じゃありません。すでに飛鳥時代あたりには全く知られていなかったというのが実態でしょう。これが支配部族のものならば何かしらの記録や記憶があるものですがそれがありません。
>
> 最近は縄文ブームですので弥生というものを軽視する傾向がありますが銅鐸こそはThe弥生というべきものですので軽視できないと思ってます。長澤氏の諸説の多くは納得できるものですが銅鐸に関してはいただけません。
>
> まず当たり前の話ですが銅鐸は青銅製です。古代の定説として青銅から鉄への変化があることは世界史の常識です。鉄のほうが加工が難しいからこちらから始まるものなのです。鉄から銅というのはこれに反するものです。
>
> そして実はこの銅鐸ですが最も保存状態の良い物は青銅の厚さが2ミリだといいます。こんな加工はどうやったら出来るのでしょうか。今なら出来ないことはありませんがおそらく旋盤使わねば出来ないでしょう。それを古代人たちは鋳物のみでやってるのです。
> 詳しくはこちら
> http://www.manabi.pref.aichi.jp/contents/10000285/0/index.html
>
> これは鉄器を使わないとんでもない高度な文明があったと考えねばいけないのです。鉄使用の本格化は古墳時代だと言われてますが、銅鐸は紀元2世紀頃には消滅してるとするのが通説です。これは殆どオーパーツと言いかねないものなのです。
>
> ブログ主様はこれを越国の技術と関連で述べられてますが、その形態はとんでもない差があるような気がします。農業の研究や人のDNA解析によれば支那の江南地域から直接に技術の伝播があったことはほぼ確実でしょう。おそらく彼らが日本にやってきて独自の発展を遂げたものとしかいえません。そしてその銅は完全に日本固有のものを使ってることは立証されてるのです。
>
> 1974年に在野の研究家、大羽弘道氏という方が「銅鐸の謎」という本を出版されました。内容は触れませんが、銅鐸の表面の絵が文字ではないかというのでそれを解析したというものでした。
>
> その解析結果はおそらく筋違いだと思うのですが、そんな研究は40年以上殆ど行われていないです。この辺りの研究の貧困さは全く変わっていないというのが実態だと思ってます。



この件は全くご指摘の通り、丸っきりわかってないんだと思います。
最大の理由が銅鐸がまともな発掘調査の結果得られたものではなく、偶然山の中から出てきた、こんな事が原因と思います。だから周りの事がさっぱり見えてこない。
でも今日のエントリーに書きましたが、島根県の荒神谷遺跡、加茂岩倉遺跡の調査で随分色んなことが分かってきました。
特に大小二つの銅鐸を入れ子状態にしてある事。その中に詰める砂は埋納場所の砂では無く、別の所の砂であること。
こんなことが分かってきて、結局祭祀に使用してから山中に埋めて保管した、次の時には又掘り出して使った。こんな風だったんですね。

今日のエントリーで特に銅鐸の作り方について書きました。
ご指摘のように材料が何処から来たのかを含め謎だらけです。しかし昔の技術が凄いと言うのもまた事実。
次なる発見に期待したいです。
  1. 2016-03-16 22:28
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

フランス、米国、中国を向こうに回し、最終的に叩き出したベトナム軍の
創設には日本軍が大きく関係しているみたいですね。

戦後、東南アジア戦線にいた日本軍兵士の一部は帰国せずに、現地の独立戦争に
義勇兵として参加。ベトナムでも、700人から800人残留したそうです。
その中の一人、元陸軍少佐の石井卓雄はゲリラ戦のプロで、ベトナム軍士官学校
「クァンガイ陸軍中学」の教官を勤め、持てるテクニックのすべてを学生に伝授したそうな。(1950年、フランス軍と交戦中に戦死)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E4%BA%95%E5%8D%93%E9%9B%84

 現実にベトコンの先方と日本軍が硫黄島などで採った戦法はよく似ているそうですし。
 なんだか韓国人の「起源説」みたいでなんだか言っていて気恥ずかしい気も
しますが、実際に日本軍の影響が大きかった証明として、ベトナム政府はこうした残留日本兵に対し勲章を授けてます。

http://web.soshisha.com/archives/vietnam/2007_0906.php

第二次大戦の敗戦国である日本の兵士に、後年、他国が勲章を与えるというのは
非常に珍しいケースだそうですね。そりゃ親日でしょう。

>そのフランスをWW2で追い出したのが日本

「猿の惑星」というチャールトン・ヘストン主演のハリウッドの人気SF映画があるのですが・・。

https://www.youtube.com/watch?v=y1BTo6_Dkjc

この話の原作者はピエール・ブールというフランス人(早川雪洲が出演した
「戦場にかける橋」の原作者でもある)でベトナムで日本軍の捕虜となった経歴があり、猿(日本人?)と人間(欧米人?)が逆転する・・という発想の原点に
なっているのではないか?という説がありますね。

あまり根拠はない都市伝説に近い話ではありますが、彼の別の作品「カナシマ博士の月の庭園」なんか読むとさもありなん・・という気もします。
(米ロに先駆けて月に到達した日本人科学者のカナシマ博士がシステムの欠陥で
地球帰還が不可能となりハラキリをして果てる・・というお話)
  1. 2016-03-17 11:15
  2. URL
  3. prijon #-
  4. 編集

To:prijon さん

> フランス、米国、中国を向こうに回し、最終的に叩き出したベトナム軍の
> 創設には日本軍が大きく関係しているみたいですね。
>
> 戦後、東南アジア戦線にいた日本軍兵士の一部は帰国せずに、現地の独立戦争に
> 義勇兵として参加。ベトナムでも、700人から800人残留したそうです。
> その中の一人、元陸軍少佐の石井卓雄はゲリラ戦のプロで、ベトナム軍士官学校
> 「クァンガイ陸軍中学」の教官を勤め、持てるテクニックのすべてを学生に伝授したそうな。(1950年、フランス軍と交戦中に戦死)
>
> https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E4%BA%95%E5%8D%93%E9%9B%84
>
>  現実にベトコンの先方と日本軍が硫黄島などで採った戦法はよく似ているそうですし。
>  なんだか韓国人の「起源説」みたいでなんだか言っていて気恥ずかしい気も
> しますが、実際に日本軍の影響が大きかった証明として、ベトナム政府はこうした残留日本兵に対し勲章を授けてます。
>
> http://web.soshisha.com/archives/vietnam/2007_0906.php
>
> 第二次大戦の敗戦国である日本の兵士に、後年、他国が勲章を与えるというのは
> 非常に珍しいケースだそうですね。そりゃ親日でしょう。
>
> >そのフランスをWW2で追い出したのが日本
>
> 「猿の惑星」というチャールトン・ヘストン主演のハリウッドの人気SF映画があるのですが・・。
>
> https://www.youtube.com/watch?v=y1BTo6_Dkjc
>
> この話の原作者はピエール・ブールというフランス人(早川雪洲が出演した
> 「戦場にかける橋」の原作者でもある)でベトナムで日本軍の捕虜となった経歴があり、猿(日本人?)と人間(欧米人?)が逆転する・・という発想の原点に
> なっているのではないか?という説がありますね。
>
> あまり根拠はない都市伝説に近い話ではありますが、彼の別の作品「カナシマ博士の月の庭園」なんか読むとさもありなん・・という気もします。
> (米ロに先駆けて月に到達した日本人科学者のカナシマ博士がシステムの欠陥で
> 地球帰還が不可能となりハラキリをして果てる・・というお話)


なるほど、情報ありがとうございます。
ベトナムの残留日本軍人の話、そしてピエール・ブールの戦場にかける橋の話、どちらも本当です。
私はタイにいまして泰麺鉄道の件は色々調べました。
その結果、泰麺鉄道の話は一方的に日本軍が悪いことになっていますが、実は日本軍も必死に捕虜の健康を何とかしようとしていた、しかしあまりにも環境が劣悪すぎた。こう言う事です。
私は泰麺鉄道最大の難工事だったヘルファイヤーパスも何度も見に行きました。あの環境なら、しかもあの当時の状況なら死者が出るのも分かります。
欧米人の死者が多いと言われていますが、日本軍の鉄道建設タイだって1000人もの死者を出していたのです。
結局あの「映画戦場にかける橋」が出鱈目だったと言う事です。
理由はピエール・ブールがベトナムでバカにしていた黄色人種に捕虜にされた、その恨みから現地も見ずに書いた反日脚本が「戦場にかける橋」になったと言う事です。
元の脚本はもっと酷い反日だったそうですが、余りにも事実と違うと言う事で監督が修正した、それにピエール・ブールが反発した、こんな事があるようです。
本当に欧米白人の反日は始末が悪いです。
  1. 2016-03-17 13:50
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

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