2015-09-17 12:07

防災には訓練が重要

 今回の東日本の大水害、被災された方が苦労されている事、お見舞い申し上げます。
しかし今回の水害で民主党の政権運営がいかに出鱈目だったのか、これがまた一つはっきりしてきました。
治水予算をバッサリ切ってばら撒いたり、太陽光発電の出鱈目政策を推進したり・・・

さて所で今回の水害で、何を学ぶべきか、そんな事が分かる記事があった。


<以下引用>

非常用電源浸水した常総市役所、備えの甘さ露呈
2015年9月17日7時30分
http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20150916-118-OYT1T50137/list_%2523IMPTNT

 茨城、栃木、宮城3県を中心とする豪雨災害から17日で1週間。

 鬼怒川の堤防が決壊し、浸水被害が広がった茨城県常総市では、市災害対策本部のある市役所本庁舎も浸水し、一時、孤立する事態となった。市は、市庁舎が1~2メートルの浸水域にあるとする洪水ハザードマップを作成していたのに、屋外の非常用電源設備が浸水で使用不能になるなど、災害に対する備えの甘さを露呈した。

 市庁舎は11日午前0時頃、1階が浸水。約2時間後、電源設備が機能しなくなり、1階の屋外に設置していた非常用電源に切り替えた。

 だが、これも浸水により午前4時半頃に使用不能となり、電気が途絶えた。コピー機やパソコン、固定電話が使えなくなり、市災害対策本部は、携帯電話だけで情報のやり取りをするなどの対応を強いられた。

 庁舎は昨年11月に新築したばかり。市財政課によると、非常用電源は市役所機能を約21時間維持できる。だが、軽油約950リットル分の燃料保管庫(高さ2・6メートル、幅2・5メートル、奥行き2・1メートル)が必要で、市の担当者は「庁舎内や屋上にスペースをとれず、仕方なく外に置いていた。浸水は残念だ」と話す。

 庁舎内には当時、市職員約400人と自衛隊員約200人のほか、周辺から約400人の市民が避難してきていた。

 2リットルの飲料水約700本、乾パン約8000個などの備蓄はあった。だが、庁舎から約600メートル離れた高台にある別の施設に保管していたため、11日夜、自衛隊がボートを出し、県や自衛隊が提供した発電機とともに食料を移送してくるまで、避難者にわずかな量しか配布できなかった。発電機は届いたが、庁舎内のほとんどの部署は暗いままだった。

 市庁舎の孤立が解消されたのは、自然に水が引いた12日午前5時頃。市の担当課長は「別の施設に備蓄していたのは、庁舎が浸水した時のためだったが、裏目に出た」と話す。

 自衛隊や消防のヘリが住民たちを次々と救助するなど、救助面での連携は円滑だったが、市は関係機関の機敏な動きに助けられたとも言える。

<引用終り>

これが浸水した常総市役所
2015-9-17浸水した常総市役所

常総市のハザードマップ(部分)
2015-9-17常総市役所付近のハザードマップ
http://www.city.joso.lg.jp/ikkrwebBrowse/material/files/group/6/00705.pdf


何故こんな事が起こるのか、それはハザードマップを作れと言われたから作った、こんな事で訓練がおざなりになっていたのではないだろうか。
どんな事でもそうだが「知っている」だけでは「実際にやれる」と言う事にはならない。だから訓練と鍛錬が必要、これは当たり前だ。
だから今回の水害でも自衛隊の機敏な、そして危険度を良く判断した上でも行動が称賛を浴びている。これは毎日毎日の厳しい訓練の賜物で、言ったからできたではない。毎日訓練していればこそできたと言う事だ。

翻って市役所を水没するような所に作らねばならない、こんな常総市のつらい立場なら、いつも訓練していればどうすればいいか分かりそうなものだ。現についこの間、9月1日は防災の日でそんな訓練をしたばかりではないか。
残念ながら市長さんはバリバリの革新系と聞く。
革新系の何が問題かと言って、「私言う人、あなたやる人」、これに徹しているのが一番問題だろう。
防災とあれほど言っただろ、如何してやらなかったんだ。これがこんな革新系の人の言い草。
言うだけで出来る、そう思って毛沢東は数千万の国民を殺した。こんな事実などとっくに忘れているのだ。
しかし今日もこんな連中が国会内でプロレスごっこをしている。困った事である。


ちょっと話が飛びました。
報道を見ていてどうにも気になる事、それは鬼怒川と言う暴れ川を日本人が如何してきたかという話しが全く欠けているのだ。

これは堤防決壊の少し上流石下大橋から下流を見た所
2015-9-17常総市石下大橋から鬼怒川決壊方面(下流)を見る

右に見えるのが鬼怒川本流、中央やや左に堤防が見え、その左側に常総市の市街地が見える。
川の水面より住宅街の方が低いのがお分かりいただけよう。

実はこの決壊ヶ所から下流、隣町の守谷市から上流(決壊した常総市方向)を見るとこうなっている。
2015-9-17守屋市板戸井の滝下橋から鬼怒川決壊方面(上流)を見る

これは15キロほど下流の滝下川付近からの写真だがここでは鬼怒川はまるで掘割の様に丘陵地を流れている。
こんな風に自然にできる訳ではない。これは江戸時代の初期、1629年(寛永6)年,大木開削と言われる開削工事を行い、鬼怒川と小貝川を切り離したためである。この工事で常総市役所のあるところ辺りが農地や宅地になった、こんな歴史がある。

この結果鬼怒川はこんな河川勾配の川になった。
2015-9-17鬼怒川河川勾配図
ソースはこれです。専門的で難しいですが興味のある方はどうぞ
http://www.kasen.or.jp/c_study/pdf_study02b/study02b_25.pdf


常総市辺りでは河川勾配は2500分の1程度、これで川の流速が確保できたので土地が有効に使えるようになった。
1629年(寛永6)年,江戸時代も初期の頃である。徳川家康の命で完成した治水工事と言う。
こんな400年も前のご先祖様の苦労のお蔭で今の日本人の暮らしが成り立っている。こんな事はレンホーなどには判らんだろうなあ。

しかしこんな凄い工事、川の勾配が2,5キロ先で1メーターの落差になるような工事。これをを機械も何もない時代、如何してやったんだろう。パワーショベルもダンプカーも無い、全部人力だけだ。そしてトランシットもないのにどうやって測量したんだろう。
水を流すのである。いい加減な工事で流れる筈が無いのだ。
(注:河川勾配と言っても分かりにくい、身のまわりの用水路などは最低千分の1以上の傾斜)

そんな時、多分こんな風に測量したのではないかと言われているものがある。提灯(ちょうちん)測量と言う。

2015-9-17提灯測量1
2015-9-17提灯測量2
(これは新潟県で昔の測量の再現を行ったときのモノ)


ご先祖様はこんな苦労をして土地を作ってきた。現在日本に住む日本人はこんな先人の苦労をこんな時こそ思い出してみるべきだと思う。
そんな事で今我々がやるべきことは先ずこんなインフラの保全であり、日常の訓練なのだと思う。

大変な被害に遭われた方、復興は大変ですが更にこれからも一層の防災訓練をする必要がある事を知っていただきたいと思います。そしてこんな地形は日本中どこにでもあります。是非身の周りを見て今後の防災訓練に役立ててほしいと思います。

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コメント

小生この地域は実は大雨の4日前に通りました。
こちらの国道294号は北関東に抜ける隠れたバイパスなのです。何度も通ってるのでこのあたりよく知っています。
まず普通の人が誤解してるだろうと言う点から。

http://hal7.net/datahensen01.html

これは縄文時代の予想図となってますが基本海抜5メートル以下の土地です。こちらの鳥羽淡海となってる部分の一部が今回の災害の現場です。つまり海抜5メートル以下で、非常に水害が発生しやすい土地なのです。そしてブログ主様も鬼怒川と小貝川の付替事業にも触れておられますがこの2本の川は関連して考えねばいけません。

http://sazaepc-tasuke.seesaa.net/article/160583734.html

これは江戸期までに地図ですが小貝川と鬼怒川にほとんど区別がありません。
しかしこの両者は全くその性質が異なります。即ち鬼怒川は山岳河川であり、高低差が大きくその水量が大きく変化します。それに対して小貝川は平野河川であり高低差が少なく水量も一定しています。徳川幕府はこの革の性質の違いを見て利根川(当時は常陸川と言いました)の水量を増加させる目的を持って鬼怒川を単独で合流させるようにしたのです。そして小貝側も合流地点を付け替えその低湿地帯の排水を図りました。これが当時の工事の目的です。

それにしてもこんな土地貰ったとして嬉しくなかったというのはよく分かりますね。

これはよく利根川東遷事業の一環と言われて徳川幕府が継続的に行ったとする記述がよく見られますがどうもそうではないようです。幕府は東京湾に流れ込む荒川(住田川)古利根川、太井川(渡瀬川の下流です)の流路を整理し洪水を防ぐことが目的だったようです。当時の土木技術では本格的に利根川を太平洋に流すのは不可能であったからでそれは後年になってから実現します。

だから基本は荒川と利根川を分離し利根川を渡瀬川の下流域に流すというのが事業の骨子でした。そして江戸の発達に伴う商品流通を図るために当時の常陸川と渡瀬川を結びつけたというのが実態のようです。


これは明治時代も受け継がれお雇い外国人のオランダ人が利根川を太平洋に流すのは無理だからやめろと言われても明治政府は強行します。これには渡良瀬川の鉱毒事件も一枚関わっておりその鉱毒が当時塩田であった今の市川の行徳地区に流れ込まないようにするという目的もあったと言われています(小生行徳在住です)。

そのため米川の大浚渫工事をします。その土砂量は殆どパナマ運河に匹敵するとまで言われる量です。それでも洪水はやまず荒川と江戸川には放水路が作られました。そして排水河川となった古利根川の中川の放水路を結びつけ今の姿となっています。小生の母は茨木の利根川河口の出身、父はジェーン台風で氾濫を起こした古利根川たる中川の沿いの出身ですから皆がこの川には関わっているわけです。その意味で一事徹底的に調べたのでこういう知識があるのです。

鬼怒川と小貝川に戻りますがこの性質の違いから昔は鬼怒川が氾濫の主体でした。ところがこちらは山岳河川ですからダムによる治水が可能です。だから上流にダムが整備されるとこちらは水害が減りました。ですからほんとうに氾濫すると怖いのですが、通常は治水の方法に限界が大きい小貝川の方が問題が大きいのです。今回の災害も鬼怒川の西岸に逃げろと言ったりしたことはその現れです。

今回の水害は9月の降水量の13倍が降った異常なものです。線状降水帯などという予想外のものが出現した事が大きいのです。それでもあの決壊地点以外で溢水したところは1ヶ所のみ、氾濫水位を2m超えてもその地点で決壊してません。あのソーラー発電業者は強弁してますが本来は国有地のはずの河川の河岸段丘で掘削をやったことが仇になったことは間違いないでしょう。この影の責任者は菅直人の基地外です。


それにしてkも今回の災害で誰も言いませんがこれだけの豪雨で持って死者が10人いません。もちろんなくなられた方は不幸ですし財産的損害は甚大ですがこれが50年前ならどうだったかを考えるべきでしょう。ジェーン台風や伊勢湾台風の時にはどれだけ死んだか。我々は簡単に忘れすぎです。

それにしても常総市はハザードマップを作っておきながら災害備蓄倉庫や視聴者の非常発電機を一階に置くなど愚かとしか言えない対応が目立ちます。常総市長という人はとかく言われていますがおそらくは自分たちは歴史に学んだのだと思ってたと思います。歴史的経緯はありますからね。

しかし愚か者は愚か者であるとしかいえません。マトモな当事者意識はないんでしょう。サヨクは基本批判しかできませんからマスゴミ人がせいぜいです。少なくとも政治早めてもらうのが正解です。
  1. 2015-09-17 19:57
  2. URL
  3. kazk #cPv2SIBE
  4. 編集

こんばんは。

自分は記事中の図での80kmあたりの鬼怒川を毎日通っています。橋から川面を見て、山で大雨が降り、水が濁って水量が増えた2日後あたりで、たいてい茨城県内で被害が出ます。今般もそうでした。
常総市役所も新築なのであれば、電気設備は屋上に置き、1階は市民ホールとして市役所機能を置かず(うちの県庁舎はそうなっています)、2階以上に市役所機能を置けば被害がかなり異なったと思います。折角ハザードマップがあったのに宝の持ち腐れにしてしまいました。
自分の実家の市は過去カスリーン台風で偉い目にあったので、市役所の1階に入るのに敷地内の結構な階段を上ります。水が入らないためです。ただ半地下の出入り口があるので、普段お年寄りはそこからエレベーターで1階に行きます。
過去の教訓や研究結果を生かすも殺すも、周りを見回す目を持った人がいるかいないかなのではないかと思います。
要所を守るための水防訓練も当然必要です。
  1. 2015-09-17 21:20
  2. URL
  3. koguma #-
  4. 編集

To:kazk さん

> 小生この地域は実は大雨の4日前に通りました。
> こちらの国道294号は北関東に抜ける隠れたバイパスなのです。何度も通ってるのでこのあたりよく知っています。
> まず普通の人が誤解してるだろうと言う点から。
>
> http://hal7.net/datahensen01.html
>
> これは縄文時代の予想図となってますが基本海抜5メートル以下の土地です。こちらの鳥羽淡海となってる部分の一部が今回の災害の現場です。つまり海抜5メートル以下で、非常に水害が発生しやすい土地なのです。そしてブログ主様も鬼怒川と小貝川の付替事業にも触れておられますがこの2本の川は関連して考えねばいけません。
>
> http://sazaepc-tasuke.seesaa.net/article/160583734.html
>
> これは江戸期までに地図ですが小貝川と鬼怒川にほとんど区別がありません。
> しかしこの両者は全くその性質が異なります。即ち鬼怒川は山岳河川であり、高低差が大きくその水量が大きく変化します。それに対して小貝川は平野河川であり高低差が少なく水量も一定しています。徳川幕府はこの革の性質の違いを見て利根川(当時は常陸川と言いました)の水量を増加させる目的を持って鬼怒川を単独で合流させるようにしたのです。そして小貝側も合流地点を付け替えその低湿地帯の排水を図りました。これが当時の工事の目的です。
>
> それにしてもこんな土地貰ったとして嬉しくなかったというのはよく分かりますね。
>
> これはよく利根川東遷事業の一環と言われて徳川幕府が継続的に行ったとする記述がよく見られますがどうもそうではないようです。幕府は東京湾に流れ込む荒川(住田川)古利根川、太井川(渡瀬川の下流です)の流路を整理し洪水を防ぐことが目的だったようです。当時の土木技術では本格的に利根川を太平洋に流すのは不可能であったからでそれは後年になってから実現します。
>
> だから基本は荒川と利根川を分離し利根川を渡瀬川の下流域に流すというのが事業の骨子でした。そして江戸の発達に伴う商品流通を図るために当時の常陸川と渡瀬川を結びつけたというのが実態のようです。
>
>
> これは明治時代も受け継がれお雇い外国人のオランダ人が利根川を太平洋に流すのは無理だからやめろと言われても明治政府は強行します。これには渡良瀬川の鉱毒事件も一枚関わっておりその鉱毒が当時塩田であった今の市川の行徳地区に流れ込まないようにするという目的もあったと言われています(小生行徳在住です)。
>
> そのため米川の大浚渫工事をします。その土砂量は殆どパナマ運河に匹敵するとまで言われる量です。それでも洪水はやまず荒川と江戸川には放水路が作られました。そして排水河川となった古利根川の中川の放水路を結びつけ今の姿となっています。小生の母は茨木の利根川河口の出身、父はジェーン台風で氾濫を起こした古利根川たる中川の沿いの出身ですから皆がこの川には関わっているわけです。その意味で一事徹底的に調べたのでこういう知識があるのです。
>
> 鬼怒川と小貝川に戻りますがこの性質の違いから昔は鬼怒川が氾濫の主体でした。ところがこちらは山岳河川ですからダムによる治水が可能です。だから上流にダムが整備されるとこちらは水害が減りました。ですからほんとうに氾濫すると怖いのですが、通常は治水の方法に限界が大きい小貝川の方が問題が大きいのです。今回の災害も鬼怒川の西岸に逃げろと言ったりしたことはその現れです。
>
> 今回の水害は9月の降水量の13倍が降った異常なものです。線状降水帯などという予想外のものが出現した事が大きいのです。それでもあの決壊地点以外で溢水したところは1ヶ所のみ、氾濫水位を2m超えてもその地点で決壊してません。あのソーラー発電業者は強弁してますが本来は国有地のはずの河川の河岸段丘で掘削をやったことが仇になったことは間違いないでしょう。この影の責任者は菅直人の基地外です。
>
>
> それにしてkも今回の災害で誰も言いませんがこれだけの豪雨で持って死者が10人いません。もちろんなくなられた方は不幸ですし財産的損害は甚大ですがこれが50年前ならどうだったかを考えるべきでしょう。ジェーン台風や伊勢湾台風の時にはどれだけ死んだか。我々は簡単に忘れすぎです。
>
> それにしても常総市はハザードマップを作っておきながら災害備蓄倉庫や視聴者の非常発電機を一階に置くなど愚かとしか言えない対応が目立ちます。常総市長という人はとかく言われていますがおそらくは自分たちは歴史に学んだのだと思ってたと思います。歴史的経緯はありますからね。
>
> しかし愚か者は愚か者であるとしかいえません。マトモな当事者意識はないんでしょう。サヨクは基本批判しかできませんからマスゴミ人がせいぜいです。少なくとも政治早めてもらうのが正解です。


詳細な情報ありがとうございます。
私がこの件を書こうと思った最大の理由は被災地周辺をストリートビューで見た時でした。一目見て洪水常襲地帯と分かりました。そしてこんな所に住む以上それなりの対策が住民も行政も必要なはずだがと言う事でした。
今回の洪水では物凄い雨量だけでなく、鬼怒川は大木開削の部分が掘割状なので個々が抵抗になり、その上流部は水位が上がりやすいのです。その為堤防のどちらかが越水しやすいように作ってある筈で、この辺りなら左岸堤防(東側)だと思います。
私見ですが、常総市が最初住民に西側に逃げろと言ったのは多分そんな事情が裏にある、そう見ています。

利根川水系全体の治水事業は基本的に江戸を守る為、これは事実だと思います。
こんな事情を知らないミンスに治水を任せたのは日本の歴史に残る失敗、そうでしょうね。だから私もこのエントリーで先人の苦労の一端を書いてみた訳です。

治水に関して最近思う事、今までにない乱開発です。上流側の人間には下流側に甚大な影響を与えていると言う意識は有りません。これからの課題です。
  1. 2015-09-18 07:46
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

子供たちは小金井小学校に通いました。学校で玉川兄弟のことを習います。
多摩川から水を取って江戸に供給する玉川上水の工事を行った人です。
それによって江戸100万都市ができました。江戸の井戸は掘り抜きではなく上水を落とし込んで利用していたのですね。

その中に提灯による勾配の測量のことが書いてありました。
  1. 2015-09-18 09:01
  2. URL
  3. 八目山人 #4lXsiBFM
  4. 編集

To:八目山人さん

> 子供たちは小金井小学校に通いました。学校で玉川兄弟のことを習います。
> 多摩川から水を取って江戸に供給する玉川上水の工事を行った人です。
> それによって江戸100万都市ができました。江戸の井戸は掘り抜きではなく上水を落とし込んで利用していたのですね。
>
> その中に提灯による勾配の測量のことが書いてありました。


玉川上水、凄い話を学ばれましたね。
江戸の水道事業は恐らく世界遺産にしても十分価値のある事業で、これに匹敵するのはローマの水道事業位でしょう。
私はもっと治水事業について皆さんが知っていてほしいと常々思っています。
そう言う意味では木曽三川公園などもとてもいいもの。あのようなものを見て育った子供は今回の大水害のようなものに遭遇しても対処できるのではないでしょうか。
  1. 2015-09-18 11:18
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

To:koguma さん

> こんばんは。
>
> 自分は記事中の図での80kmあたりの鬼怒川を毎日通っています。橋から川面を見て、山で大雨が降り、水が濁って水量が増えた2日後あたりで、たいてい茨城県内で被害が出ます。今般もそうでした。
> 常総市役所も新築なのであれば、電気設備は屋上に置き、1階は市民ホールとして市役所機能を置かず(うちの県庁舎はそうなっています)、2階以上に市役所機能を置けば被害がかなり異なったと思います。折角ハザードマップがあったのに宝の持ち腐れにしてしまいました。
> 自分の実家の市は過去カスリーン台風で偉い目にあったので、市役所の1階に入るのに敷地内の結構な階段を上ります。水が入らないためです。ただ半地下の出入り口があるので、普段お年寄りはそこからエレベーターで1階に行きます。
> 過去の教訓や研究結果を生かすも〇すも、周りを見回す目を持った人がいるかいないかなのではないかと思います。
> 要所を守るための水防訓練も当然必要です。


折角いただいたコメントが「迷惑コメントフォルダー」に入っていまして気が付くのが遅れました。失礼しました。
原因は多分「生かすも〇すも(こ・ろすも)」の〇の部分と思います。

所でご指摘の「周りを見渡す目を持った人がいるかいないか」、確かにこれが問題ですね。
でも残念ながら何処の街でもそんな人がいるとは限らない、中にはミンスのような連中もいる訳です。
それでもキチンと周りを見渡した市政をするにはどうするか、実は欧米は日本と違い「一部の物凄い能力のエリートとその他大勢の社会」です。そんなモノでまともな社会を作る為色んな仕事のシステム化をしています。
その代表例がISO9000などのシステムです。

例えば常総市役所を作る時、デザインレビューで防災担当者の目でキチンと見てあったか、こんなことを考えたい。
近日中にそんな事をエントリーしたいと思います。
  1. 2015-09-18 17:10
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

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