2015-05-15 11:01

ネパール地震に思う事<続編

 ネパール地震で緊急支援が上手くいかず、指示する人もいない事をエントリーした。
しかし復興は容易ではなさそうだ。

 ネパールでは5世紀ごろから、ヒンズー教と仏教が混じり合う独自の文化が形成された。標高約1300メートルのカトマンズ盆地には、主に15~18世紀に建てられた歴史的建造物が残り、多くの観光客を魅了してきた。
その寺院など多くの建造物が倒壊し、元通りの修復は不可能との見方が強まっている。
産経の報道より)

所でその復興が難しい理由の良く分かる写真が4月30日の読売に掲載されていた。
寺院倒壊の瞬間
http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20150430-118-OYTPT50161/search_list_%25E5%25AF%25BA%25E9%2599%25A2%25E5%2580%2592%25E5%25A3%258A%25E3%2581%25AE%25E7%259E%25AC%25E9%2596%2593_2015%252F04%252F30_

2015-5-1ネパールの寺院倒壊1
正に決定的写真と言って良いだろう。

2015-5-1ネパールの寺院倒壊3
物凄い土煙の中から浮かび上がってきた謎の影・・・
地震を悲しむブッダの姿かも・・・

元はこんな寺院だった
2015-5-1ネパールの寺院倒壊4倒壊前

もう一度この写真の白枠内を拡大してみたい
2015-5-1ネパールの寺院倒壊2

こんな風になっている。
2015-5-1ネパールの寺院倒壊拡大


こんな写真は私も初めて見た。
一見どっしりした寺院だが、躯体は粘土を固めたものが主だったらしい。地震の振動で壁がそのまま細かく破壊されている。
外側の漆喰で固めた部分だけがまるで皮がはがれたような状態、これを見るとこの建築方法のままで再建は不可能と分かる。これでは外観はそのまま再建したとしても内部構造は全く変えないとダメだろう。
再建には莫大なカネがかかることは容易に想像できる。



それにしてもネパールと言えばお釈迦様の生まれた土地がネパールだろ。2500年も前の話だ。
(釈迦生誕は諸説あるが、紀元前544年くらいが有力らしい)
2500年も前と言えば日本では弥生時代が始まったばかりの頃、そんな頃の人の教えが未だに生きている。

しかしそんな頃、立派な宗教者を輩出した国ネパール。そこがひとたび地震に見舞われれば立派な寺院が土くれの山になる・・・・。
一体どうしたんだろう・・・・・。問題のカギはネパールの民度を考えないといけないのかなあ。

参考までにこれが釈迦生誕の地、世界遺産ルンビニ、釈迦が産湯をつかったとされる池。
2015-5-15釈迦が産湯をつかったとされる池@ルンビニ

少し古いがルンビニを発掘したことがCNNで報道されている。
「紀元前6世紀の寺院跡発見、釈迦の生誕時期示す? ネパール」
http://www.cnn.co.jp/fringe/35040499-2.html
「信仰と伝説、考古学、科学が一致する希少な事例」だそうだ。



実は私もネパールについてはほとんど何も知らない。
20数年前、王様一族相手の殺人事件が有ったとか、イギリス軍は勇猛なグルカ兵を使っているが、このグルカ兵の出身地がネパールだとか・・・。最近は毛沢東を信奉するマオイストが跳梁跋扈しているだとか・・・。そんな程度で知っている事にならない。

ネパールの歴史も何やら良く分からないが、
1792年、中国・清朝に攻撃され敗北、清朝に5年ごとに朝貢する朝貢国になった。
1814年-1816年、ネパール・イギリス戦争に敗北。
これが切っ掛けになってイギリスはグルカ兵を傭兵として雇うようになり、今日に至っている。

とこんな事を見て行っても益々何が何だか分からない。そこでネパール大使館のHPから最近の歴史を見てみた。

<以下ネパール大使館HPより抜粋>

http://www.nepalembassyjapan.org/japanese/?p=219

ところが1950年代初頭になってにわかに民主化要求がわき起こり、この動きによってラナ家支配は終焉を迎えます。この民主化は思いもよらない人物により後押しされていましたが、それがシャハ家王トリブバン国王でした。ラナ家追放がなるとすぐに、トリブバン国王は国の最高実効権力者として返り咲きました。1959年には、トリブバン国王から王位を継承した息子、マヘンドラ国王が新憲法を発布し、国会議員選出のための最初の民主的選挙が実施されました。結果、ネパール国民会議派(Nepali Congress Party、ネパールコングレス党)が勝利し、そのリーダーであったビシュウェシュワル・プラサッド・コイララ(Bishweshwar Prasad Koirala、一般にB.P.コイララの呼称)内閣が発足し、氏が首相に就任しました。ところが1960年になって突然心変わりしたマヘンドラ国王は、議会を解散させ、最初の民主的内閣を罷免してしまったのです。
政党活動が禁止されたこの後、何年にもわたって闘争活動を継続した活動家達は、1990年になってついに義勇をもって奮い立ち、人民運動(People’s Movement)を開始するに至ります。
これに啓蒙された一般民衆を含む大衆が絶対王制に反対し、再度の民主化を要求するのを目の当たりにしたビレンドラ国王は、これを受入れて憲法の一部を修正し、自らが国家首長となり、首相が内閣を率いる複数政党による議会政治を打ち立てました。
1991年、ネパールで最初の議会選挙が実施されましたが、1996年になって共産党毛派(マオイスト)の一部が地下活動に走り、王制と新政府を相手に人民戦争を開始したのでした。そして2001年6月1日、あの恐ろしい悲劇が起こり、王族と近しい親類の大半が根絶やしになったのです。あの大虐殺事件はディペンドラ皇太子の行いであったとされており、一人で全員を射殺した後、彼自身の頭部を自分で打ち抜いたとされています。亡くなったビレンドラ国王の兄弟であるギャネンドラ氏とその家族だけが事件を免れたため、ギャネンドラ国王が即位することとなりました。
最初は既存政府を容認していたギャネンドラ新国王でしたが、すぐに議会を解散させ、統治権力を自分の手に握りました。しかしその結果、2006年4月には街頭での民衆による抗議行動と各地でのストライキが頻発し、最終的には19日間にも及ぶ外出禁止令にまで発展し、地下活動を継続していたマオイストと既成政党も、道に外れた王政に圧力をかけるために共闘の手を結び、もはや権力への執着は意味がないと悟ったギャネンドラ国王は態度を和らげるより他なく、とうとう議会制の復活を受入れたのでした。
しかしそれでも既成政党と一般大衆は納得せず、王政による統治と権力の濫用への嫌悪感から、2008年5月28日、ついに240年にわたって続いてきた王制を廃止し、民主連邦共和制を採用することを、先だって行われた選挙で選ばれた制憲議会により決議したのでした。
現在ではネパールは、大統領を国家元首とし、首相(総理大臣)が内閣を統括する国家形態となっています


<引用終り>

これを見てもさっぱり分からないと言うのが率直な所。wikiを見ると現在のネパールについて
「暫定憲法のもとで暫定政府が設けられている状況」であるとの事。詳細は下記参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AB

まあ「暫定憲法のもとで暫定政府が設けられている状況」と言われては混乱も仕方ないのかもしれない。
それにしても今時どうしてこんな事になるのだろう。


答えのヒントになりそうなのが国民の識字率。wikiによれば
・ 識字率
15歳以上で読み書きできる人の割合は48.6%。
うち男性 62.7%
うち女性 34.9%(2001年国勢調査)

こんな風であると言う。

ネパールは政治面を見ると不安定などと言うモノではない、ムチャクチャだ。
そして今時と言っては失礼だが本家中国でも最早見事に捨て去られた毛沢東思想。それが生きているのだ。
(注:中国は今は社会主義国でもなくなった。唯一毛沢東思想が生きているのは一党独裁、これだけ)


ネパールの復興には外国が幾ら援助しても今の体制では駄目だろう。先ず国民の民度を上げる事から始めないと未来は開けないのではないだろうか。
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コメント

2001年の王室虐殺事件は驚きました。その後、2006年の事件も覚えています。そして今回の地震。知らない間にすごーい時間が経過していたんですね。チャイナとインドの「緩衝国」でマオイストが蠢く国。
カトマンズには一度行ってみたかったんですが思い切って2000年代に行っておくべきでした。当分、行く機会もないだろうし、治安は悪そう、スパイや盗聴などもあるでしょうし、そもそも貴重な建物が崩壊したので、もはや訪問しないような気がします。
となりの鎖国中のブータンもチャイナに国土の半分を取られていると聞いていますし、開国すればチャイナが入ってくる・・・弱小国というのは辛いものですね。
  1. 2015-05-15 13:05
  2. URL
  3. NINJA300 #/xzFVZWc
  4. 編集

To:NINJA300 さん

> 2001年の王室虐殺事件は驚きました。その後、2006年の事件も覚えています。そして今回の地震。知らない間にすごーい時間が経過していたんですね。チャイナとインドの「緩衝国」でマオイストが蠢く国。
> カトマンズには一度行ってみたかったんですが思い切って2000年代に行っておくべきでした。当分、行く機会もないだろうし、治安は悪そう、スパイや盗聴などもあるでしょうし、そもそも貴重な建物が崩壊したので、もはや訪問しないような気がします。
> となりの鎖国中のブータンもチャイナに国土の半分を取られていると聞いていますし、開国すればチャイナが入ってくる・・・弱小国というのは辛いものですね。


ネパールは観光資源が壊滅していますので最早行く価値があまりなさそう、私もそう思います。
そして今回の地震でネパールを調べていて本当に不思議なのがマオイストの存在、一体今頃どうなっているのか、疑問は未だに解けません。
ご指摘の様に弱小国というのは哀れなものです。
そう考えると幕末のサムライたちは圧倒的な軍事力を持つ欧米と真剣勝負した、立派なものだったと思います。
  1. 2015-05-15 17:47
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

釈迦無二仏陀の生誕地ですが、おそらくヒンドウ教が主流でカースト制度が有りますから、カーストの高い人しか教育は受けられないのでしょう。
  1. 2015-05-15 20:41
  2. URL
  3. taigen #-
  4. 編集

To:taigenさん

> 釈迦無二仏陀の生誕地ですが、おそらくヒンドウ教が主流でカースト制度が有りますから、カーストの高い人しか教育は受けられないのでしょう。


そうだと思います。wikiによればヒンズー教が9割くらいですから無理もない。
それであんな識字率なんでしょう。
しかしインドもそうですが、あの民度では何ともならないですね。
  1. 2015-05-16 06:07
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

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