2015-03-14 07:55

空は春

 今朝ヒョイと空を見たら太陽がこんな色。
空気中の水蒸気が多いとみられる色なのだが、久しぶりに見る赤い太陽だった。
タイではこの時期はこんな色の太陽は当たり前なのだが、日本ではそんなには見られない。

もう冬は終わりですよ、空はそう言っているようだ。

2015-3-14本日の朝日


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コメント

長年の謎が雪解けしたようです。

春ですね。
暖かいのはありがたいのですが、今年も雑草との格闘が始まるかと思うと頭が痛く、今年は先手を打って空き地に防草シートを敷き詰めてきました。

いつも楽しく拝読させて頂いています。
エントリーとは関係ありませんが、最近漸く気付いたことを一つ書かせて頂きます。

明治末から昭和始めの大正デモクラシーの時代、産業史・文化史・身近な郷土史は矛盾無く結び付くのですが、中央の政治史だけが真っ黒で乖離していたのが長年謎でした。
地方鉄道が開通し、各家庭にも電灯が灯り、常設の映画館ができ、多数の雑誌が出版され、ラジオ放送が始まりと、どう考えても華やかで活気溢れるイメージが正しいように思えます。

光には影が付きものとはいうものの、東北の困窮や、虐げられた小作農民のイメージは一体どこから発生したものなのか?

売買証文や土地登記の記録も残っていますが、身近では比較的頻繁に農地の売買が行なわれていたようで、資本家が農地を買うというより、小作農民が農地を買って自作農に転換するとか、逆に病気などの理由で営農を諦めた自作農民が小作地として貸すとか、自作地と小作地は流動的でした。
河川の改修で利用可能になった土地に資本を投下して大地主になった事例はありますが、資本主義として当然の行為であり、もし資本家が居なかったら開発されず石ゴロゴロの川原のままだったでしょう。明治中期の地図からは、祖父から聞いた通りに実に広い流域が不毛の河川敷として残されていたのが見て取れます。

今頃気付いたのかと笑わそうですが、講座派史観の中心人物の一人の山田盛太郎が農地改革に関わっていたことを最近知りました。
革命だけを目的として実態から掛け離れた32年テーゼが、GHQに追認されるかたちで東京裁判史観に組み込まれてしまったのですね。やっぱり諸悪の根源はコミュニストか。

そしてこれが亡霊のように近代史に付きまといます。例えば「朝鮮の開発をせずに東北の開発を優先するべきだった」とか「満州開発は重荷だからアメリカを参入させれば良かった」というような言説がありますね、これらは前提として講座派史観を追認した上での仮説に過ぎないのではないでしょうか。

朝鮮問題や大東亜戦争の遠因を考える前に、この講座派史観から脱却する必要があるのではないかと思う次第なのです。

-追記-
3月10日のエントリー「BBCが東京大空襲を大きく報道」で報道されたのは、骨壷の形状から「東京都慰霊堂」ではないでしょうか。
また3月10日は陸軍記念日、奉天入城の日でもありますね、戦前生まれの母からはそちらの方ばかり聞かされていました。
  1. 2015-03-16 22:38
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  3. fcq821 #/lkjinTE
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Re: 長年の謎が雪解けしたようです。

> 春ですね。
> 暖かいのはありがたいのですが、今年も雑草との格闘が始まるかと思うと頭が痛く、今年は先手を打って空き地に防草シートを敷き詰めてきました。
>
> いつも楽しく拝読させて頂いています。
> エントリーとは関係ありませんが、最近漸く気付いたことを一つ書かせて頂きます。
>
> 明治末から昭和始めの大正デモクラシーの時代、産業史・文化史・身近な郷土史は矛盾無く結び付くのですが、中央の政治史だけが真っ黒で乖離していたのが長年謎でした。
> 地方鉄道が開通し、各家庭にも電灯が灯り、常設の映画館ができ、多数の雑誌が出版され、ラジオ放送が始まりと、どう考えても華やかで活気溢れるイメージが正しいように思えます。
>
> 光には影が付きものとはいうものの、東北の困窮や、虐げられた小作農民のイメージは一体どこから発生したものなのか?
>
> 売買証文や土地登記の記録も残っていますが、身近では比較的頻繁に農地の売買が行なわれていたようで、資本家が農地を買うというより、小作農民が農地を買って自作農に転換するとか、逆に病気などの理由で営農を諦めた自作農民が小作地として貸すとか、自作地と小作地は流動的でした。
> 河川の改修で利用可能になった土地に資本を投下して大地主になった事例はありますが、資本主義として当然の行為であり、もし資本家が居なかったら開発されず石ゴロゴロの川原のままだったでしょう。明治中期の地図からは、祖父から聞いた通りに実に広い流域が不毛の河川敷として残されていたのが見て取れます。
>
> 今頃気付いたのかと笑わそうですが、講座派史観の中心人物の一人の山田盛太郎が農地改革に関わっていたことを最近知りました。
> 革命だけを目的として実態から掛け離れた32年テーゼが、GHQに追認されるかたちで東京裁判史観に組み込まれてしまったのですね。やっぱり諸悪の根源はコミュニストか。
>
> そしてこれが亡霊のように近代史に付きまといます。例えば「朝鮮の開発をせずに東北の開発を優先するべきだった」とか「満州開発は重荷だからアメリカを参入させれば良かった」というような言説がありますね、これらは前提として講座派史観を追認した上での仮説に過ぎないのではないでしょうか。
>
> 朝鮮問題や大東亜戦争の遠因を考える前に、この講座派史観から脱却する必要があるのではないかと思う次第なのです。
>
> -追記-
> 3月10日のエントリー「BBCが東京大空襲を大きく報道」で報道されたのは、骨壷の形状から「東京都慰霊堂」ではないでしょうか。
> また3月10日は陸軍記念日、奉天入城の日でもありますね、戦前生まれの母からはそちらの方ばかり聞かされていました。


これからの春は雑草との戦いでもありますね。私も風邪でおとなしくしている訳にもいかなくなりました。

さてご指摘の件ですが、江戸時代の特に東北などでの飢饉は天候の不順が原因でした。
しかし明治になって日本も産業革命で生産力が上がると不況がやってきました。
生産力過剰⇒価格暴落⇒倒産⇒失業、こんなサイクルです。
オッともう一つ、不況の原因が国内だけでなく海外が原因の不況も沢山ありました。
明治の基幹産業である生糸、製糸、織布などです。

輸出で儲けた時は凄いのですが、海外からの不況に翻弄される。
そこで働く人には何が何だか分からない不況、失業です。苦しかったんでしょうね。
一生懸命良いモノを作ろうと頑張った。親方も一生懸命やっていた筈なのに・・・
資本家が悪いと言い出す輩に引っかかるベースはこんな事情もあるかもしれません。
此れを突いたのがコミンテルン、マルクス思想でした。
何が何だか分からないうちに不況、失業に苦しむ人には希望の光に感じたのでしょう。

そこを左巻きにうまくやられたのでしょうね。

所で納骨堂の件、ご指摘ありがとうございます。
確かに東京都慰霊堂です。
墨田区の横綱公園にあり、此処は関東大震災で大被害を出した被服廠後だそうです。
ここで10日には慰霊祭が有り、安倍首相も出席しました。
しかしBBCが報道していたように、この納骨堂は普段鍵が掛かっていて人は入れない。
こんな所を見直す良い時期かもしれません。
  1. 2015-03-17 18:53
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  3. 短足おじさん二世 #-
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