2015-01-23 11:28

海外で生きるという事

 イスラム国を名乗るテロ集団に拉致された日本人二人、湯川さんと後藤さんについての途方もない身代金問題は今日がその期限。
この問題では国内の基地外連中が「日本が難民支援を止めればこんな問題は解決する」、こんな出鱈目放言を行っている。
この件は以下参照ください。裏の桜さんもあきれ返っております・・・・・私も同感。
http://sakuraura.blog.fc2.com/blog-entry-3278.html

所で日本の様に世界でも稀な安全な国に暮らしていると分からないが、海外ではいろいろとんでもない事が起こる。
ここで私が海外でどんな事をしていたのか、そんな所を書いてみたい。
日本では想像もつかない海外暮らしの一端が分かると思います。


 私が海外で仕事をあ始めたのは1998年2月から、丁度前年アジア通貨危機がタイから始まった所だった。
バブル崩壊後の超円高不況の中で、「これからは海外に打って出るしか生きる道は無い」、こんな考え方で海外に工場を作り、稼働開始した途端の通貨危機。その為私はタイに行くことになったのだった。

当時のタイは通貨危機直前までの好景気が突如破綻、だから建築中のビルなどは殆ど建築放棄されて無残な姿をさらし、町には失業者があふれていた。
そして当然ながらそんな時には犯罪も多発する。

そんな中でインドネシアにいる仲間の事である。
実は日本では全く報道されていないので分からないが、1998年5月、インドネシアで主に華僑を狙った暴動があり、死者は1200人にも及ぶ大暴動が発生した。
勿論引き金はアジア通貨危機だった。

どんな危険な状況か、例えばこんな事例がある。
日本人が郊外の工場からジャカルタ市内の自宅コンドミニアム(マンション)に来るまで帰る時のこと。
一番危なそうな地域では例え道路信号が赤にになってもクルマを停車させてはいけない、バーバーとクラクションを鳴らして無理矢理交差点を通過しなければいけない。
何故か?
若し赤信号で停車すると・・・、暴徒がやってきて棍棒でクルマのガラスをたたき割り、金品を強奪する。
こんな事が頻々と起こっているのだと言う。

その日本人に万一の事が有ったら如何するか、これは大問題だった。
日本からジャカルタまでは遠い。私は愛知県在住なのだが当時名古屋からジャカルタまでの直行便は無い。
普通ならだれか出張する時、現地の日本人が空港まで迎えに行ってホテルまで案内する。だから心配ない。
しかし誰も迎えに行けない時、そして言葉も通じない所に助けに行ける人は日本には居なかった。


そんな事で万一の時は救援に行けるように私が当時準備していた事。
1) いつでも出発できるように準備
  ・荷物は何時もカバンに詰めておいていた。
  ・インドネシアで使えるように米ドルを持っていた(タイでは米ドルは使えなかったが、インドネシアは米ドルの国)
  ・またクレジットカードは個人でゴールドカードなども含め4枚、それにコーポレートカードも持っていた。
  ・休日・深夜でも航空便が手配できるように空港の航空会社オフィスの連絡先を調べていた。
  (普通は航空便の予約やチケット手配は旅行社に依頼する。しかし深夜・休日ではこの手はダメ。)
  
2) 現地人とのコミュニケーションの為、現地語の勉強を再開
  ・インドネシアはイスラム教国である。
  ・イスラムなど一神教の教えは「目的が正しければ、その為には騙したり、犠牲が有っても仕方ない」、こう教えている。
  ・その為現地人と接触して一番気を付けねばいけないのは・・・
  ・それは「コイツ気に入らんから張り倒してやれ」とか「騙して金をかっぱらってやれ」、こう言っている事に気づくことだ。
  ・だから現地語の勉強と言っても重点は読み書きではない、聞き取りである。危険な言葉を聞き取る、この一点。
  (ジャーナリストの後藤さんも「ガイドに騙された」と言う前にこれを注意すべきだった・・・ 残念である)


こんな準備をしていたのだが、幸い救援に行く必要が無かったので有り難かった。
しかしこんなっ準備をしていたので役に立ったこともある。そんな事例。

ある人が長期出張で来ていた時の事。その方のお父上が急死された。
急死されたのは日本時間の夜7時。
それから家族の方が会社に急を知らせ、そこから私の所に連絡が入った時、その方は一日の仕事を終えホテルに向かっていた。
その方をホテルに訪ね、航空券確認から空港の航空会社のオフィスに連絡をとって座席の確保。
そしてすぐホテルから空港に走った。(ホテルから空港まで200キロ以上あった)
辛うじて深夜便に間に合い、現地係員と逐一連絡をとって特別ルートでチェックイン・パスポートコントロールを通過。
飛行機の搭乗口ではすでに搭乗が始まっていたが何とか間に合った。
この時は途中のクルマの中から「今どこを走っている、何時ころ空港に着く見込み」と逐一電話。
空港では係員の可愛い女性が待っていてくれて、手を引いてこっちこっちと案内してくれた。
有り難かった・・・ 親切とはこんなこのかと痛感。
名古屋からその方の自宅までは更に50キロほど、これはタクシーを飛ばして行ってもらった。

結局お父上が亡くなったのが夜7時、それが御当主が帰ってきたのが翌朝9時過ぎ。
無事葬儀も済んで良かった良かっただったのだが・・・
これから先は笑い話

後で聞いたら、ご家族の方の言うには・・・ 
「九州の親戚でさえまだ来ていないのに、遥々タイからこんな時間に帰ってくる・・・本当にタイに行っていたの?」
こんな事で大いに盛り上がったのだとか。


海外で生きるという事は日本とは全く違う世界を生きる事、そんな事の一端として私のささやかな経験です。
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コメント

タイでの出来事、懐かしく読ませていただきました。私も、タイ在中に父が亡くなりましたが、やっと告別式に間に合ったという状態でした。タイでは楽しい思い出がいっぱいです。でもやはり、常にスリなどには注意してましたね。日本人は海外で出会ったら、喜んで情報交換などすると思うのですが、中国人の知り合いは、この人、私をだまさないかなと疑うと言ってました。これが中国人などの基本的スタンスなのでしょう。

 インドネシアで暴動が起きた時は、大使館から一般の人には何も注意がなくて、日本人学校の子供たちは家に帰れなくなり、学校にお泊まりしたと言ってましたよ。一部の父親たちは、今日は危ないから、登校しないほうが良いかもと言ってた人はいたらしいですが。外務省はもっと改革が必要です。
  1. 2015-01-23 13:23
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  3. Cerry Blossoms #-
  4. 編集

To:Cerry Blossoms さん

> タイでの出来事、懐かしく読ませていただきました。私も、タイ在中に父が亡くなりましたが、やっと告別式に間に合ったという状態でした。タイでは楽しい思い出がいっぱいです。でもやはり、常にスリなどには注意してましたね。日本人は海外で出会ったら、喜んで情報交換などすると思うのですが、中国人の知り合いは、この人、私をだまさないかなと疑うと言ってました。これが中国人などの基本的スタンスなのでしょう。
>
>  インドネシアで暴動が起きた時は、大使館から一般の人には何も注意がなくて、日本人学校の子供たちは家に帰れなくなり、学校にお泊まりしたと言ってましたよ。一部の父親たちは、今日は危ないから、登校しないほうが良いかもと言ってた人はいたらしいですが。外務省はもっと改革が必要です。


その頃タイに住んでおられたのですか、今と違って大変な時代でしたね。
でも海外の日本人で一番気をつけねばならないのが、特に旅行者についてですが、日本人に騙されることです。
悲しい話ですが事実です。
これから海外に行かれる方は特に気を付けてほしいですね。

インドネシアの日本人学校の件は私もチラッと聞いた事が有ります。
でも多分現地の人の協力も有ったんでしょう。
そう言う意味では親日国と言うのはありがたい。
先人の努力の賜物と思っています。
  1. 2015-01-23 22:10
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  3. 短足おじさん二世 #-
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