2014-12-31 09:10

新しい年の為に歴史を振り返って考える

 2014年、平成26年も今日で終わり。
今年も色々ありましたが、私にとって思い出深いもの、それは年初からのポスコ・インドネシアの高炉事故についてのエントリーでした。
情報管制で全く分からない中、私のエントリーに沢山の方からコメントを頂いた事は良い経験でした。
お蔭でいろんな方と知り合いになれたのも有りがたい事でした。

そして
WEDGEと言う雑誌に名前だけですが紹介していただきました。どうも有り難うございました。

2014-4-22WEDGE5月号
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-950.html



さて年末にあたり来年の事を考える一助として、古い話だがマレーシアのマハティール元首相の話を取り上げたい。

これは伊勢雅臣さんの「国際派日本人養成講座」の平成13年(2001年)のもの。
今から13年前なので出てくる政治家の名前も村山元首相とかクリントン元大統領とかだが、それを今の民主党連中やアメリカのオバマに置き換えても十分通用する。
そして中でも「日本なかりせば」の話はSapio, H11.4.14に載っていたもの。
もう15年も前の記事であるが、今改めて読む価値があると思う次第。
http://melma.com/backnumber_115_1126490/

なおこの「日本なかりせば」は92年10月香港で開かれた欧州・ 東アジア経済フォーラムでの演説「日本なかりせば」からとったもの。
もう20年も前のモノだが、これがアジアの人(除く特亜3国人)の本音である。



<以下はメルマガより引用、本文以外にソースも引用した>

-----Japan On the Globe(198) 国際派日本人養成講座----------
_/_/
_/ 人物探訪:マハティール首相~アジアの言挙げ
_/_/
_/ _/_/_/  欧米マスコミのバッシングに屈せず、言挙げを
_/ _/_/ 続けるマハティール・マレーシア首相の頑固者ぶり
-----H13.07.15----34,684 Copies----282,989 Homepage View----

■1.村山首相・土井たか子議長への一喝■

 平成6(1994)年8月下旬、村山首相は訪問先のフィリピンと
シンガポールで戦争責任問題について謝罪した。その村山首相
をマレーシアに迎えて、マハティール首相は冒頭こう切り出し
た。

 日本が50年前に起きたことを謝り続けるのは理解でき
ない。過去のことは教訓とすべきだが、将来に向かって進
むべきだ。日本はこれからのアジアの平和と安定のために
国連安保理常任理事国入りして、すべての責任を果たして
欲しい。

 また村山首相の6日前にマレーシアに到着した社会党の土井
たか子衆議院議長が「二度と過ちは繰り返さない」「歴史への
反省」などと口にしたのに対し、「過去の反省のために日本が
軍隊(PKO)の派遣もできないのは残念だ」と切り返した。
「ダメなものはダメ」とおよそ非論理的な姿勢でPKOに反対
する土井議長に対する痛烈なパンチであった。

世界の富から利益を得ていながら、世界に対して責任を負
わないということはできません。経済大国・日本にとって
は、世界を安定させ、第3次世界大戦のような惨事が引き
起こされないようにすることが重要だからです。[1,p111]

 国際貿易で膨大な利益を上げながら、半世紀前の戦争への反
省を口実に、ODAをばらまくだけで、世界の安定に対して何
ら貢献もせずにいる日本は、「世界に対する責任」を果たして
いないとマハティール首相は一喝する。

■2.「ルック・イースト」政策■

 マハティールは、1925年、インド出身で上級会計検査官の父
とマレー人の母の9人兄弟の末っ子として生まれた。1941年、
16歳の時、日本軍が初めてマレーの支配者・英国軍を打ち破
ったのを目の当たりにし、またその規律の良さに強く感動した。
我々にもその意思さえあれば、日本人のようになれる、自分た
ちの手で自分たちの国を治め、ヨーロッパ人と対等に競争でき
る能力がある、と考えるようになった。[2,p30]

 けっして裕福とは言えない家庭のため、マハティールは働き
ながら、医科大学を卒業する。卒業後は、医師として地方の医
療活動に専念したが、患者の多くは貧しいマレー人の農民で、
その惨めな暮らしぶりになんとかしなければ、との思いに駆ら
れた。64年、下院議員に当選し、政治家としてのスタートを切
る。

 近代社会における後進性とは貧困を意味し、それが教育
の遅れをもたらし、さらに教育の遅れが貧困を永続させる。
どこかで、その悪循環を断たなくてはならない。[3,p88]

 73年に訪れた日本で、その悪循環を断ち切る解を得たようだ。
街にあふれる高品質の製品も、秒単位の正確さの新幹線も、質
の高い教育がもたらしたものである。1981年、首相に就任する
と、「ルック・イースト」政策を打ち出した。

 怠惰、無気力な植民地根性をたたき直し、日本を見習って、
マレー人に労働倫理と技術を身につけさせ、エレクトロニクス
産業や自動車産業を発展させて、経済成長を実現しようという
のである。

 ゴムや錫の原材料輸出国から脱皮して、日本などから積極的
な外資導入を図った。96年には一人あたり国民総生産が4370ド
ルに達し、中進国の仲間入りした。3~4LDKレベルの住宅
を大量・廉価に供給し、生活水準も急速に向上している。躍進
する東南アジアの旗手にふさわしい経済発展を実現してきた。

■3.「日本なかりせば」■

 マハティールの世界観は、92年10月香港で開かれた欧州・
東アジア経済フォーラムでの演説「日本なかりせば」から窺い
知る事ができる。

 日本の存在しない世界を想像してみたらよい。もし日本
なかりせば、ヨーロッパとアメリカが世界の工業国を支配
していただろう。欧米が基準と価格を決め、欧米だけにし
か作れない製品を買うために、世界中の国はその価格を押
しつけられていただろう。・・・

 貧しい南側諸国から輸出される原材料の価格は、買い手
が北側のヨーロッパ諸国しかないので最低水準に固定され
る。その結果、市場における南側諸国の立場は弱まる。
・・・

 南側のいくつかの国の経済開発も、東アジアの強力な工
業国家の誕生もありえなかっただろう。多国籍企業が安い
労働力を求めて南側の国々に投資したのは、日本と競争せ
ざるをえなかったからにほかならない。日本との競争がな
ければ、開発途上国への投資はなかった。・・・

 また日本と日本のサクセス・ストーリーがなければ、東
アジア諸国は模範にすべきものがなかっただろう。ヨーロ
ッパが開発・完成させた産業分野では、自分たちは太刀打
ちできないと信じ続けていただろう。・・・

 もし日本なかりせば、世界は全く違う様相を呈していた
だろう。富める北側はますます富み、貧しい南側はますま
す貧しくなっていたと言っても過言ではない。北側のヨー
ロッパは、永遠に世界を支配したことだろう。マレーシア
のような国は、ゴムを育て、スズを掘り、それを富める工
業国の顧客の言い値で売り続けていただろう。[4]

■4.自由貿易体制を守るために■

 この演説を聴いていた欧米の記者の中には怒って席を立つ人
もいたそうだが、マレーシアをゴムとスズの原材料輸出国から、
近代工業国家に脱皮させたマハティール首相の実績を背景とし
た発言には重みがある。

 この演説は単なる日本賛歌と受け取るよりも、南側諸国が
「発展する権利」を発揮するには、欧米支配の近代世界システ
ムのくびきを脱して、自由な国際競争を実現する必要がある、
という世界観を示したものととらえるべきだろう。

 欧米の世界経済支配を排し、自由貿易体制を守るためには、
アジア諸国が結束して、強い発言権を持たなければならない。
そのための第一歩としてマハティールは「東アジア経済圏(E
AEG)構想」を90年12月に発表した。日本をリーダー格
にして、ASEAN6カ国(マレーシア、シンガポール、タイ、
インドネシア、フィリピン、ブルネイ)、インドネシア3国
(ベトナム、ラオス、カンボジア)、さらに中国、韓国、香港
が団結しようという壮大な構想である。

 私は閉鎖的な地域主義を信奉しているのではありません。
開放的な地域主義の重要性を信じています。しかし、マレ
ーシアのような小国が国際貿易における意思決定にほとん
ど影響を及ぼさないことにも気づいたのです。国際的な影
響力を持つためには、もっと大きなグループをつくる必要
がある。・・・

 アジア諸国の大半は貿易国なので、世界貿易が自由に行
われるときに最大の利益を得られます。だから、我々も結
集し、ヨーロッパ諸国や南北アメリカが域内市場を保護し
ようとしている現在の傾向に対抗して自由貿易体制を守ら
なければならないと考えているのです。[1,p41]

■5.欧米との戦い■

 マハティールの突出した提案は、ASEANの長老格スハル
ト・インドネシア大統領の反発を招いたが、その顔を立てて、
スハルトがイニシアティブをとる形で、EAEGをEAEC
(東アジア経済協議体)という話し合いの場にする事とした。
他のASEAN諸国もおおむね肯定的で、91年には域内で合
意が得られ、次に日本を取り込もうという段階になった。

 しかし、これに強硬に反対したのがアメリカである。べーカ
ー国務長官は、東京で宮沢首相相手に気色ばんで「どんな形で
あれ、太平洋に線を引くことは認められない。マハティール氏
の提唱する構想は太平洋を二つに分け、日米を分断させるもの
だ」とまくし立ててた。日本が参加しなければ、EAEC構想
をつぶせると考え、強硬に圧力をかけたのである。

 マハティールも負けてはいない。アメリカのお膝元、ニュー
ヨークの国連本部で演説した際には、「欧米が自分たちだけ経
済のブロック化を推進しながらEAECを阻止しようとするの
は、アジア人に対する人種差別である」とぶち上げた。

 しかし、日本政府はアメリカの圧力に屈して、EAEC参加
を見送ってしまう。その一方で、タイなどのASEAN諸国は、
EAECをより積極的に支持するようになっていった。欧米が、
人権、環境問題、労働条件を改善しろとASEAN各国に要求
し、反発を招いていたからである。マハティールは、こう反駁
した。

 ヨーロッパはすでに保護主義的貿易ブロックを選択して
いる。彼らは自分たちの高い生活レベルと生産コストを守
り通すために、東アジア諸国との競争を拒絶しようとして
いる。(欧米は)あらゆる問題であら捜しををして私たち
に対する差別政策を正当化しようとするだろう。彼らはそ
の口実として民主主義、人権、労働条件、環境破壊、知的
所有権などといった問題を持ち出している。NAFTAや
ECの登場でこのような差別による排除はますますひどく
なるだろう。[3,p31]

■6.クリントンへの「NO」■

 93年1月にスタートしたクリントン政権は、その4年前に創
設されたが、ほとんど機能していなかったAPEC(アジア太
平洋経済協議体)を土台にして、アジア太平洋諸国をすべてカ
バーする巨大な経済ブロックを作ろうとする構想を発表した。
ASEAN諸国との対立を避けるためにEAECを容認するが、
同時に、それをAPECの中の一機構として、あくまで盟主ア
メリカの影響下に置こうという戦術である。

 クリントンは、同年11月にAPEC全加盟国の首脳をシア
トルに召集して、拡大首脳会議を開くと発表した。アメリカは
それまでAPECを軽視して、前年のAPEC閣僚会議には一
人も閣僚を送らず、また首脳会議をやるなら94年インドネシア
でという了解があったのを一切無視して、いきなり全首脳を召
集するという盟主ぶったやり方に、マハティールは筋が通らな
いと反駁した。そしてアメリカは緩やかな協議体であったAP
ECを、自らを盟主とする経済ブロックに移行することによっ
て、EUに対抗しようとしている、と批判した。

 クリントンは、面子にかけてマハティールをシアトルでの拡
大首脳会議に参加させようと、貿易上のアメ玉まで持ち出して
説得したが、マハティールは一蹴した。欠席の理由は、「身内
の結婚式に参加するため」である。わざと刺激的な表現を使っ
て、アメリカのエゴに対して、「NO」と言える政治家である
ことを、国際社会にアピールしたのである。

 全太平洋・東アジアを包括する巨大な経済ブロックなど具体
化できるわけがない、というマハティールの読み通り、APE
Cはその後勢いを失っている。またEAEC構想はアメリカの
画策によりつぶされたが、97年のASEAN結成30周年を期
に、10カ国に拡大したASEAN+3(日中韓)の毎年の首
脳会議が定着してきている[5]。東アジアが結束して世界への
発言権を持つべきだ、というマハティールのビジョンは、姿を
変えてしぶとく命脈を保っている。

■7.「マハティールなかりせば」■

 97年7月のタイ・バーツ暴落から始まった通貨危機が、マレ
ーシアにも波及した。そのわずか2週間前に、IMFのカムド
シュ専務理事は、マレーシア経済を「健全な財政システムを維
持しており、他国が手本とすべき国です」と賞賛していた。
[2,p98]

 それが経済危機に襲われた途端に、欧米マスコミは一変して
「縁故主義」「不透明」「政治腐敗」などと、マレーシア経済
の長年の「構造的欠陥」を書き立てるようになった。

 マハティールが通貨危機をもたらした国際的投機集団を批判
し、適切な規制を訴えると、欧米マスコミはさらに「マハティ
ール首相を、自国の金融・財政政策の失敗を人のせいにする」
「自由市場を冒涜する無知な指導者」などと、バッシングを繰
り返した。マハティールは屈せず、IMFからの支援申し出を
拒絶し、非居住者の通貨取引を規制した。

 その後、ロシアの経済危機でアメリカの投機家集団が大損を
し、米国政府が巨額の資金を使って救済する事態が起こると、
ようやく欧米諸国でも通貨取引安定化のための監督強化が合意
された。

 2001年7月、マハティールの首相としての在任期間は20年
を超えた。この間、アメリカからはEAEC構想で目の敵とさ
れ、また民主選挙によって選ばれているのに、欧米のマスコミ
からはあたかも独裁者であるかのように批判されてきた。それ
にも屈せず独自の発言を続ける姿勢は、英首相だったサッチャ
ー女史も印象に残るアジアの政治家の筆頭にあげている。

 「マハティールなかりせば」、国際社会におけるアジアの発
言力は、今よりもはるかに弱いものになっていたろう。マレー
シアのような小国の首相にすら、これだけの言挙げができる。
そのマレーシアの6倍の人口と、50倍の経済規模を持つ日本
は、なぜアジアのリーダーとして言挙げをしてくれないのか?
アジアの大国として「世界に対して責任を負ってほしい」とい
うマハティールの日本への期待は裏切られ続けている。

(文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(077) アジア日記
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_1/jog077.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
1. 大前研一、「アジア人と日本人 マハティール・マレーシア首相
  との対話」★★、小学館、H6
2. マハティール、「日本再生・アジア新生」★★、たちばな出版、
H11
3. 根津清、「マハティール アジアの世紀を創る男」★★、ザ・
マサダ、H6
4.「マハティール首相、『日本なかりせば』演説、Sapio, H11.4.14
5.「APAP会議報告『21世紀のビジョン』 東アジア共同体の予
感」、産経新聞、H13.02.20、東京朝刊、5頁

<引用終り>

歴史を振り返って、新しい年の事を考えていきたいと思っている。

  1. 社会一般
  2. TB(0)
  3. CM(2)

コメント

私は自分を右翼だと思ったことは有りません。また誇りある日本をを目標にしているわけでもありません。
では何を目指しているかというと、普通の国です。

右を標榜しながら、安倍さんをたたきに叩く人がたくさんいます。何を考えているのでしょうか。安倍さんに任せておけば経済も歴史認識も徐々に良くなっていくと思います。
彼以外でそれができる人は思い浮かびません。
来年は少しずつではありますが、良くなるのではないでしょうか。

それでは良いお年を
  1. 2014-12-31 16:37
  2. URL
  3. 八目山人 #4lXsiBFM
  4. 編集

To:八目山人さん

> 私は自分を右翼だと思ったことは有りません。また誇りある日本をを目標にしているわけでもありません。
> では何を目指しているかというと、普通の国です。
>
> 右を標榜しながら、安倍さんをたたきに叩く人がたくさんいます。何を考えているのでしょうか。安倍さんに任せておけば経済も歴史認識も徐々に良くなっていくと思います。
> 彼以外でそれができる人は思い浮かびません。
> 来年は少しずつではありますが、良くなるのではないでしょうか。
>
> それでは良いお年を


この一年、色々貴重なご意見、コメントを頂き有難うございました。
私も大いに勉強させていただきました。
来年も宜しくお願い致します。

所で八目山人さんの言われる普通の国、私の大賛成なのですが、実はこれが厄介なんだと思っています。
日本人がごくごく普通と思っている事が外国では全く普通ではない、そんな事情があります。
とは言うモノの我々は自然体で普通にやっていくしかないんでしょうね。

では良いお年を。
  1. 2014-12-31 18:38
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

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