2014-11-24 17:52

古代の海の道から現在を考える

 私は昔から歴史、考古学好きなのだが、そんな古いものが現在の日本を考える上で大変役立つことを痛感するようになった。
そんな事で歴史的に見た日本周辺の海の道の問題点を考えてみたい。
とは言うものの弥生時代から始まって今日まで、長い話だがお付き合いください。


最初に縄文弥生時代からの日本の人口推移を

2014-11-24日本の人口超長期推移
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1150.html

最初にここで何が言いたいか、ちょっと年代別に整理すると
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E4%BB%A5%E5%89%8D%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E7%B5%B1%E8%A8%88

  年代                 人口(万人)
・紀元前6100年(縄文早期)    2万人
・紀元前3200年(縄文前期)   11
・紀元前2300年(縄文中期)   26     縄文時代の人口ピーク
・紀元前1300年(縄文後期)   16
・紀元前 900年(縄文晩期)    8     この時期には人口激減
・    200年(弥生時代)   59   弥生時代に入って(千年強で)人口は約8倍に
・    725年(奈良時代)   451     弥生・古墳時代で約500年で人口8倍に

・    1100年(平安時代)   684    奈良・平安時代400年強で人口1.5倍
・    1600年(関ヶ原合戦) 1227    鎌倉~安土桃山時代450年で人口1.8倍
・    1868年(明治維新)  3330万人 江戸時代260年で人口2.7倍に

この様に見てみると日本と言う国は弥生・古墳時代に人口が激増、多分人口爆発と言って良い時代を経て今日に至っている事が分かる。
そんな人たちは何処かから海を渡ってきた。これは定説だが、どんな船で渡ってきたか。

各地の古墳から船型埴輪が発見されている。
例えばこんなモノ

2014-11-22船型埴輪

この船の形、現代の目から見ると奇妙な形だがこれは準構造船と言って丸木舟が進化する過程で丸木舟に波除板をつけたもの。
これはその埴輪を基にした復元船
2014-11-24復元古代船なみはや

こんな船単独でやってきたのかと思われていたのだが、最近その常識を覆る発見が有った。

兵庫県の日本海側にある豊岡市にある袴狭(はかざ)遺跡から発見された木の板にこんな線刻が残されていた。

2014-11-21ハカザ遺跡出土の木の板の古代船団図

この木の板、良く見ると何か線刻が見える。
此処にはこんな風に大小15隻の船が描かれている。

2014-11-21袴狭遺跡出土の木の板の古代船団図

実に堂々たる大船団である。
こんな船に乗ってやってきた集団が有った。だから弥生時代から古墳時代にかけて人口が極端に増えたのだ。

そんな事を裏付ける遺跡がある。高地性集落という。
弥生時代から古墳時代にかけて、どう見ても農業には適さない高い土地に出来た集落である。

例えばこれは香川県の瀬戸内海沿いにある紫雲出山遺跡
2014-11-24高地性集落の例紫雲出山遺跡

高地性集落はこんな風に使われたであろうと考えられている
2014-11-24高地性集落の模式図

そしてその高地性集落の分布図
これは弥生時代中期後半から後期初頭にかけての分布
2014-11-24高地性集落分布図1


そしてこれは弥生時代後期から古墳時代初頭にかけての分布
2014-11-24高地性集落分布図2

時代が下がるごとに高地性集落の分布がどんどん奥へと吐いてゆくのが分かると思う。
こんな集落が必要になったという事は、それだけ海の向こうから多数の船に乗った人が入ってきた。
そんな証拠だと思っている。

尚この高地性集落は今まであまり研究されてこなかった。今後の研究に期待するものである。

さてでは日本にやってきた人たちは何処から来たのか。
その人たちが稲作を持ってやってきたと言われているが、そのルーツは何処だろう。



この図は2001年にNHKスペシャル「日本人はるかな旅」で紹介された日本人の渡来ルート

2014-11-24稲の伝来地図
出典:http://bunarinn.lolipop.jp/bunarinn.lolipop/bunarintokodaisi/inenotami/inenotami/ine4/ine4.html


正直な所、このNHKスペシャルが放送されていた頃、私は海外で仕事をしていたので残念ながらこの番組は見ていない。
しかし改めて色々資料を調べるとどうも何やら強いバイアスがかかっている様に感じる。
とは言うモノの貴重な情報も有るのでここに取り上げた。

例えば上掲イネの渡来ルートだが、第一のルートが太い線で、第二がやや細い線で、第三のルートが細い線で表現されている。第一のルートが有力だと言わんばかりだ。しかし稲作が朝鮮半島由来と言う説は殆ど否定されている。

尚上掲イネの渡来ルート図で右下の赤枠内に興味深い事が書いてある。
以下のように書いてある

「現在でも上海付近の漁民が漁に出ていて天候のせい(多くは台風のようだが)で、長崎の西海岸に漂着することがある。
日本政府はこれらの漁民を国費で飛行機に乗せて中国の送り返しているが、彼らが日本に到着する日数はほとんでが1~3日である。平均すると毎年1,2名が飛行機に乗っている。
第二のルートで日本から大陸へ渡っていくのは非常に困難だと思われるが、その反対の方法ならいともたやすく日本へたどり着けるのである。」



ではイネは何処から来たのか、最近の稲のDNA研究がその答えを出してくれた。
これは日本、中国、朝鮮半島の稲のDNA調査の結果

2014-11-24DNAから見た稲の伝来地図

この図は日本の稲のDNAと中国・韓国の稲のDNA調査結果。
此処で調べたDNAは中国では8種類、その内「b」と言うタイプが一番多い。
日本では「a」、「b」、「c」の3種類だけだった。
そして韓国では「b」だけが見つかっていない。
つまり日本の稲は韓国には見つかっていないタイプのDNAを持った稲が沢山ある。これは朝鮮半島からイネが伝来したものではない証拠であると言える。

さてその中国の稲だが、イネが中国の長江中下流域で栽培されたのがその出発点であることが分かっている。
代表的な遺跡は河姆渡(かぼと)遺跡である。

河姆渡遺跡が何処にあるかと言うと
2014-11-24河姆渡遺跡地図


河姆渡遺跡は大都市上海から遠くない。しかし一番近いのは寧波(にんぽー)だ。
そしてこの寧波は古くからの港町で、日本からの遣唐使船が入港する窓口だった。
更にこの辺りを襲撃した倭寇の目標になった街でもある。


倭寇の侵略地とルート(中国の海商と海賊:山川出版社刊より)
2014-11-22倭寇の侵略地

その倭寇については良く分からないが、ほとんど唯一ともいえる倭寇を描いた図によれば
2014-11-21倭寇図巻(東京大学史料編纂室蔵)

2014-11-21倭寇図巻(東京大学史料編纂室蔵)その2(部分)

こんな小さな小舟でこの大海原を暴れまわっていたようだ。

この様に時代が違うとはいえ、遣唐使船のような大きな船でも手こずった東シナ海の航海、それがあんな小さな船でも可能、その理由は上に上げた「中国の海商と海賊」では以下のように書いている。

 万暦「温州府志」兵戎志、海防、「入寇海道」の条を引用する形で、
「日本から帆船で東北風が多く吹けば、その風を受けて薩摩、長崎県の五島からただちに浙江省中部沿海地区に到達する航路となった。その際の目標が寧波府の象山県東部の海上に位置する菲山列島であった。そこから沿海にそって南下すれば温州が襲撃地となり、北上すれば舟山列島が襲撃地となるとみられたのである。
倭寇の襲撃時期は旧暦の清明節(陽暦の4月上旬)から5月までの1~2ヶ月と、重陽節すなわち旧暦の9月9日から1ヶ月弱のあいだがその時期であった。」

つまり日本から中国に行き、そして帰ることに出来る時期は年2回あり、この時期であればあのような小さな船でも往来できたわけだ。
船乗りにとって風を読むことは命にかかわること、だから海の民は風のことを熟知していたのであろう。


中国江南地方と日本・朝鮮との航路が有る季節だけ往復可能であったことを裏付ける資料が同じ文献に出ている。

これは朝鮮半島の高麗の記録「高麗史」の中に記載された宋代の中国商人の記録の中に出身地の分かるものがあり、それを纏めたもの。

2014-11-24高麗史にみる宋代海商表

ここには西暦1017年~1059年までの間に詳細不明の1件を除く20回の来航記録がある。
その20回中15回は7月~8月に到着している。
また同じ名前の人物が2回来ているものも有る。
つまり中国江南地方と朝鮮(日本もたぶん事情は同じ)との航路は、安全な季節があり、彼らはそれを良く知っていたと思える。
(尚この様なことは資料豊富な日本の方がもっとハッキリするだろうが・・・)



さて延々と長いこの話、やっと結論です。
私が言いたかったこと。
中国と日本の間には東シナ海が有り、そう簡単には越えられないと思われていますが実は違う。

季節を選べば・・・ それは年2回あるのだが・・・
倭寇の伝馬船くらいでも中国から日本には来られるのだ。
一番可能性の高い長江下流域、上海や寧波辺りから日本の九州まで800キロ位の海路。
そんな所だが、いとも簡単に日本までたどり着ける、これは将来起こるであろう中国の崩壊を考えるうえで非常に重要な事だと思っている。

そして上掲NHKスペシャルに記事を載せたページには非常に興味深い事が書いてある。
取材したNHKディレクターの書いたもので、取材は恐らく2000年頃と思われる。その内容を以下引用すると

・・・前段略・・・
浙江省の沿岸は地形が複雑に入り組んでいて良質な漁港が無数にある。
やがて洪漁村(浙江省奉北市)という集落に辿り着いた。ここは中華民国総統であった蒋介石のゆかりの地だという。到着してまず驚いた。夕方で丁度漁民たちが海から戻り水揚げが始まったのだが、彼らの舟がどれも竹の筏(いかだ)まのである。長さ約10m、幅2m。どの筏も太い竹を20本ほど組み合わせただけの簡単な造りである。申し訳程度の小さな船外機が付いている。

ここは波は小さいが潮の干満の差が激しく、漁民は引き潮とともに漁に出て、満ち潮とともに港に引き揚げてくる。これはまさに太古さながらの漁である。主な獲物は浅瀬で海底をさらって獲るアサリなど貝類、そして仕掛け網で獲るアジやカニなどの近海魚である。舟を持つ費用は殆どかからないこの筏漁は、豊かな魚貝に恵まれた内海という環境に相まって、古くからずっと続いてきたそうで、もしかしたら河姆渡の昔から続いているのかもしれない。

さらに「日本まで流されることがよくある」という。潮の流れや風の関係で、漂流すると二日ほどで日本の九州沿岸あたりに流れ着くらしい。 確認するために海上保安庁に問い合わせると「現在はさすがに減ったが、1960年代頃までは中国の浙江省や福建省から漂流してきた漁船を、頻繁に沿岸や海上で救助していた」というのである。

河姆渡のあたりから流れ始めると、まず大河長江から吐き出された流れによって沖合いに運ばれ、やがて対馬海流にのって九州あたりに到着する。風向きが良い春から夏だと、この流れはさらに加速し、まる一日ほどで着くこともあるのだという。

・・・以下略・・・



さてそんな事の傍証をもう一つ紹介しよう。

これは参考なのだが、海の漂着物の研究をしている九州のある大学の先生が台湾沖から流したアルゴスブイを回収した話をブログにアップしている。
台湾から流したモノがどんな経路で流れてくるか、GPSのデータが興味深い。
http://marinelitter.seafrogs.info/?eid=1243411

流したアルゴスブイを回収している所
2014-11-22アルゴスブイ

此れがそのアルゴスブイの経路(GPSデータ)
2014-11-22アルゴスブイの経路

流したアルゴスブイは尖閣諸島辺りでウロウロしているように見えるが、そこを過ぎると九州めがけて一目散。
この辺りの潮の流れがとても良く分かるデータである。
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コメント

興味深い内容です

実に興味深い内容を、分かりやすく解説していただきました。
海での人の動きは、歴史に埋もれている傾向が強く、明らかになるにつれて新しい事実がわかってくるのでしょうネ。

塩野七生の「ローマ亡き後の地中海世界」で、地中海での人の動き(海賊が多いですが)が書かれていました。それを彷彿とさせるドラマがありそうです。

稲は韓国経由ではないとのこと。
好き嫌いを言ってはいけないのでしょうが、やれやれという感じです。

>いとも簡単に日本までたどり着ける、これは将来起こるであろう中国の崩壊を考えるうえで非常に重要な事だと思っている。

よくわかります。
ここをもう少し詳しく・・・と思いましたが、本題から外れるし、安易に政策論に入ってしまうのは実証的でないですネ。
別の隣国の難民の行状を考えると、本気で対策を考えることが必要かも。
  1. 2014-11-25 10:00
  2. URL
  3. 道草人 #-
  4. 編集

Re: 興味深い内容です

> 実に興味深い内容を、分かりやすく解説していただきました。
> 海での人の動きは、歴史に埋もれている傾向が強く、明らかになるにつれて新しい事実がわかってくるのでしょうネ。
>
> 塩野七生の「ローマ亡き後の地中海世界」で、地中海での人の動き(海賊が多いですが)が書かれていました。それを彷彿とさせるドラマがありそうです。
>
> 稲は韓国経由ではないとのこと。
> 好き嫌いを言ってはいけないのでしょうが、やれやれという感じです。
>
> >いとも簡単に日本までたどり着ける、これは将来起こるであろう中国の崩壊を考えるうえで非常に重要な事だと思っている。
>
> よくわかります。
> ここをもう少し詳しく・・・と思いましたが、本題から外れるし、安易に政策論に入ってしまうのは実証的でないですネ。
> 別の隣国の難民の行状を考えると、本気で対策を考えることが必要かも。


あんまり間口を広げすぎたエントリーでしたので、取り留めのないモノになってしまい恐縮です。
しかしイネの話は未だに朝鮮半島から伝来したなどと言う人が沢山いるのが情けないですね。
イネの伝来について、農業の専門家はどなたも朝鮮半島経由論は認めません。
理由は朝鮮半島北部は稲作に不向きな寒冷地、多分最近やっとコメが獲れるようになった程度。
更に日本が併合する前の朝鮮の稲作技術は日本とは比べ物にならないくらい遅れていた、日本が一生懸命教えたんです。
そんな事であの朝鮮から稲作が伝わった?、そんな事あり得ない。これが稲作専門家の見解でした。
ですから1970年代まで韓国ではご飯は麦飯が当たり前。法律で麦飯デーが指定されていた(確か週1日だった記憶)のでホテルなんかでもその日は麦飯でした。

イネの話もですが、中国からいとも簡単にボートピープルが日本に来ることが出来る、この件はこれからも時々エントリーするつもりです。
  1. 2014-11-25 18:16
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
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「日本人 はるかなる旅」 (NHK出版)

ご紹介になられた上掲の本は私も全5巻買いました。会社の帰り道に本屋で見つけそのうちに読もうか、と思っていたものです。あれから10年、いまだに読んでいません。きょう久しぶりで手に取ると、第1巻は日本人ルーツの1つははシベリア起源という話でした。

興味深い指摘は、縄文人のDNA分析(人骨)によると、シベリア平原に住むブリヤート人の系統が縄文人に多かったと言うものです。このシベリアの民は「細石刃」(カミソリのような石器)を使用し、細石刃が大量に発見されるのは世界でもシベリアと日本だけという話です。従ってシベリアの民の一部は日本への渡来人ではなかったかという指摘でした。
シベリアの細石刃が使われ始めたのは2万1千年くらい前、日本で発見されたのは2万年くらい前との事です(北海道・千歳)。

網走市に道立「北方民族博物館」があります。以前ここを訪ねて北海道や北極圏の北方民族の資料などを見ましたが、そこにブリヤート人の生活道具や100年くらい前の(?)動画が映されていました。
極寒の中、3人くらいの全裸に近い子供が動物の毛皮の布団に潜り込んでクスクス笑っている様子が映されていました。

子供と言えば、縄文時代の三内丸山遺跡から子供の棺が発掘され、その子はポシェットを持っていて、その中にクルミが入っていたと青森の友人が語っていました。縄文人の優しさも現代人の優しさも同じと思い、つい涙ぐんでしまいます。いや、若しかしたら子供の虐待報道が続く現代人の方が縄文人より人でなしかも知れません。そういう親は縄文人の血筋ではないのです(!)。
  1. 2014-11-25 21:51
  2. URL
  3. 相模 #-
  4. 編集

高地性集落の役割とは?

いつも楽しく拝見させて頂いております。
個人的には古代史への関心が高まっていましたので、興味深く読ませて頂きました。

私の読解が甘いのかもしれませんが、人口増 - 渡来人 - 高地性集落の下りが腑に落ちていません。
高地性集落の分布を見ますと、弥生時代中期後半から後期初頭は瀬戸内海沿岸に大量に設けられていることを示しており、これは渡来人とどのようにつながるのかが理解が及びませんでした。

渡来人に備えるために高地性集落を設けるのであれば、中国地方日本海側、九州の北部から南部にかけての東シナ海方面に点在していないとつながらないと感じました。
また、弥生時代後期から古墳時代初頭にかけての分布を見ますと、日本海側にも高地性集落が設けられたことを示しており、こちらも渡来人の侵入経路とは重ならないと思われます。

以上を重ねあわせて考えますと、高地性集落というのは渡来人(場合によっては敵性の集団)に警戒したものというより、どちらかといと海洋活動をする仲間の為の灯台の様な役割であったとの解釈の方がしっくり来るのではないかと考えた次第です。
  1. 2014-11-26 01:56
  2. URL
  3. esfahan #iuzSs3F6
  4. 編集

そう言えば以前TVで河童が「おれおれおーれんらいら」と訳の解らない言葉を発したという伝承があるが、中国語で解釈すると「私は呉の国から来た。」となり、呉の国から日本に渡ってきた泳ぎが得意な人を河童だと思ってしまったのではないか?と解説していました。
  1. 2014-11-26 02:40
  2. URL
  3. taigen #-
  4. 編集

Re: 「日本人 はるかなる旅」 (NHK出版)

> ご紹介になられた上掲の本は私も全5巻買いました。会社の帰り道に本屋で見つけそのうちに読もうか、と思っていたものです。あれから10年、いまだに読んでいません。きょう久しぶりで手に取ると、第1巻は日本人ルーツの1つははシベリア起源という話でした。
>
> 興味深い指摘は、縄文人のDNA分析(人骨)によると、シベリア平原に住むブリヤート人の系統が縄文人に多かったと言うものです。このシベリアの民は「細石刃」(カミソリのような石器)を使用し、細石刃が大量に発見されるのは世界でもシベリアと日本だけという話です。従ってシベリアの民の一部は日本への渡来人ではなかったかという指摘でした。
> シベリアの細石刃が使われ始めたのは2万1千年くらい前、日本で発見されたのは2万年くらい前との事です(北海道・千歳)。
>
> 網走市に道立「北方民族博物館」があります。以前ここを訪ねて北海道や北極圏の北方民族の資料などを見ましたが、そこにブリヤート人の生活道具や100年くらい前の(?)動画が映されていました。
> 極寒の中、3人くらいの全裸に近い子供が動物の毛皮の布団に潜り込んでクスクス笑っている様子が映されていました。
>
> 子供と言えば、縄文時代の三内丸山遺跡から子供の棺が発掘され、その子はポシェットを持っていて、その中にクルミが入っていたと青森の友人が語っていました。縄文人の優しさも現代人の優しさも同じと思い、つい涙ぐんでしまいます。いや、若しかしたら子供の虐待報道が続く現代人の方が縄文人より人でなしかも知れません。そういう親は縄文人の血筋ではないのです(!)。


日本人のルーツの一つがシベリアとの話はよく聞きますね。
ただ日本人はるかな旅が放映された頃にはいろんな研究が進んでいたので、もう少し別の視点で見るべきでは無かったかなあ、そう思っています。
大きな理由は海面高さの変動です。
今から8千年前辺りまでは現在とあまり変わらないのですが、それより前は海面高さが非常に低かった。
今から1万5千年前は現在より約100メーター低かった。2万年前だと約130メーター位低かったんです。
最近のDNA研究から日本の縄文人は南方から来て、北海道辺りが行き止まりだった(樺太・千島も有りますが)。今はそう考えられており、1万年以上昔は海面が低かったので南からの移住が容易だったと考えられています。
勿論シベリアからの移住も有ったと思います。今後の建久課題でしょう。

以下は笑い話。
日本の考古学者の長年の疑問、縄文時代草創期辺りの貝塚が見つからないので、縄文人は最初貝を食べることを知らなかったんじゃないかと思われていました。
今でも旧石器時代の話になるとそんな意見の人がいますね。
実際はその頃の貝塚は海の底に沈んで消えてしまっていた、だから見つからない・・・。
そんなお笑いが有ります。固定概念てのは怖いものですね。

縄文の子どもが来る実入りのポシェットを持っていた話、大変面白いですね。
縄文人は世界で恐らく他に例のない優しい民族でした。何せ戦争の痕跡の全くない人たちですから。
よその国のお寺の仏像を盗むドロボー団を組織する連中とは違うという事ですね。
  1. 2014-11-26 10:54
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

Re: 高地性集落の役割とは?

> いつも楽しく拝見させて頂いております。
> 個人的には古代史への関心が高まっていましたので、興味深く読ませて頂きました。
>
> 私の読解が甘いのかもしれませんが、人口増 - 渡来人 - 高地性集落の下りが腑に落ちていません。
> 高地性集落の分布を見ますと、弥生時代中期後半から後期初頭は瀬戸内海沿岸に大量に設けられていることを示しており、これは渡来人とどのようにつながるのかが理解が及びませんでした。
>
> 渡来人に備えるために高地性集落を設けるのであれば、中国地方日本海側、九州の北部から南部にかけての東シナ海方面に点在していないとつながらないと感じました。
> また、弥生時代後期から古墳時代初頭にかけての分布を見ますと、日本海側にも高地性集落が設けられたことを示しており、こちらも渡来人の侵入経路とは重ならないと思われます。
>
> 以上を重ねあわせて考えますと、高地性集落というのは渡来人(場合によっては敵性の集団)に警戒したものというより、どちらかといと海洋活動をする仲間の為の灯台の様な役割であったとの解釈の方がしっくり来るのではないかと考えた次第です。


余りにも間口を広げすぎたので、ご指摘の様な疑問が有ると思います。
最初に高地性集落と言うモノは実は研究があまり進んでいない、その上弥生時代の年代が従来考えていた年代より大きく変えなければいけない、そんな事が分かってきました。
従来の高地性集落に対する考え方は中国の歴史書に見える倭国大乱の為だろう。単純にそう考えていたんです。
しかし高地性集落が倭国大乱とは年代が違う事が分かり、考え方が変わりました。

現在でも研究途上ですが、考えられるのは中国からの移住者、それも江南地方からの移住者と考えられています。
最近やっと中国での研究との連携が出来るようになって、弥生時代の人骨と全く同じ人骨が中国江南地方で見つかったりしています。
更に中国で江南地方から山東半島に移住した人がいることが考古学的にも文献からも分かってきました。

海からの渡来人ですが腹ペコで上陸してきます。だから非常に凶暴、危険な存在だと思います。
そんな事で凶暴な外敵に対する備えとして集落は環濠集落になるし、高地性集落も出来た、そう考えています。
  1. 2014-11-26 11:19
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
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中国大陸の南の方の人が弥生人の最大集団ではないかとは思っていますが、それなら その人たちがたくさんたどり着いたであろう南九州あたりには その痕跡が何か残っていますか?

鹿児島は昔 隼人と言われています。弓がうまいなどと言われていますが、呉人にそのような伝統はあったのでしょうか。
  1. 2014-11-26 11:23
  2. URL
  3. 八目山人 #4lXsiBFM
  4. 編集

To:taigenさん

> そう言えば以前TVで河童が「おれおれおーれんらいら」と訳の解らない言葉を発したという伝承があるが、中国語で解釈すると「私は呉の国から来た。」となり、呉の国から日本に渡ってきた泳ぎが得意な人を河童だと思ってしまったのではないか?と解説していました。


面白い話、有難うございます。
実はその辺りは日本史の大きな謎ですね。
魏志倭人伝には書いてないのですが、魏志倭人伝が準拠した「魏略」というモノが有ります。
今は散逸してしまっているのですがその断片が日本の太宰府天満宮に有り国宝になっています。
此処に
「其俗男子皆黥而文 聞其旧語 自謂太伯之後 昔夏后小康之子 封於会稽 断髪文身 以避蛟龍之害 今倭人亦文身 以厭水害也」
此処に「太伯之後=呉の国の王太伯の後裔」とありますが、この部分を真剣に研究した人がいない。
如何してなんでしょうか。
  1. 2014-11-26 11:31
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
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To:八目山人さん

> 中国大陸の南の方の人が弥生人の最大集団ではないかとは思っていますが、それなら その人たちがたくさんたどり着いたであろう南九州あたりには その痕跡が何か残っていますか?
>
> 鹿児島は昔 隼人と言われています。弓がうまいなどと言われていますが、呉人にそのような伝統はあったのでしょうか。


イネの伝来の研究はプラントオパールの研究で相当分かってきましたが、九州有明海周辺と瀬戸内海岡山県辺りが最初の様です。
弥生文化としては九州北部に沢山遺跡が有りますが、此処で発見される人国の抜歯の習慣が中国長江下流域、江南地方からの人骨と共通だという事が分かってきました。
ただご指摘の隼人については私の私見ですが縄文人ではないかと思っています。
坂東武者と言われる人たちも縄文人の末裔、薩摩隼人も同じだったと思います。

私は弥生人が日本にやってきたとき、最初は色々軋轢も有ったんでしょうが最終的には仲良く共存したと見ています。
卑弥呼は狗奴国と対立したと言われていますが、この狗奴国が何処なのか諸説ありますが私は美濃・尾張地方だっただろう、そんな風に考えています。
そして狗奴国は縄文人系、そう思っていますが、これは空想の世界かも。


  1. 2014-11-26 18:05
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

遅レスになりましたが

こんな本があります。
日本人ルーツの謎を解く―縄文人は日本人と韓国人の祖先だった! 長浜浩明著
http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%84%E3%81%AE%E8%AC%8E%E3%82%92%E8%A7%A3%E3%81%8F%E2%80%95%E7%B8%84%E6%96%87%E4%BA%BA%E3%81%AF%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%A8%E9%9F%93%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E3%81%AE%E7%A5%96%E5%85%88%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F-%E9%95%B7%E6%B5%9C-%E6%B5%A9%E6%98%8E/dp/4886563430/ref=sr_1_4?s=books&ie=UTF8&qid=1416935039&sr=1-4&keywords=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%80%80%E8%B5%B7%E6%BA%90

著者は理科系の技術者でありその目から見た日本古代史、というべきものです。歴史なかんずく古代史はここ四半世紀ほど理科系学問の力を借りその姿を大きく変えてしまいました。しかるに古代史学者や歴史学者は訳のwからぬイデオロギーや柵でまともな研究がまとまらない状況です。

その中でこれはほんとうに面白いものです。内容は小生が伝えるよりもうまく書いてる方がいますのでそちらをどうぞ。

http://www.endo-shihou.jp/2014/08/12/%E9%95%B7%E6%B5%9C%E6%B5%A9%E6%98%8E-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%84%E3%81%AE%E8%AC%8E%E3%82%92%E8%A7%A3%E3%81%8F/

長浜氏は同様の方法で日本史と古代朝鮮史についても本を出されています。内容はアマゾンと上記のブログで書かれていますが、基本は理科系学問の支援を受け歴史書を虚心坦懐に読む、という一店につきます。

書かれてる内容にご不満はなかろうと思います。
  1. 2014-11-29 23:04
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  3. kazk #cPv2SIBE
  4. 編集

Re: 遅レスになりましたが

> こんな本があります。
> 日本人ルーツの謎を解く―縄文人は日本人と韓国人の祖先だった! 長浜浩明著
> http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%84%E3%81%AE%E8%AC%8E%E3%82%92%E8%A7%A3%E3%81%8F%E2%80%95%E7%B8%84%E6%96%87%E4%BA%BA%E3%81%AF%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%A8%E9%9F%93%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E3%81%AE%E7%A5%96%E5%85%88%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F-%E9%95%B7%E6%B5%9C-%E6%B5%A9%E6%98%8E/dp/4886563430/ref=sr_1_4?s=books&ie=UTF8&qid=1416935039&sr=1-4&keywords=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%80%80%E8%B5%B7%E6%BA%90
>
> 著者は理科系の技術者でありその目から見た日本古代史、というべきものです。歴史なかんずく古代史はここ四半世紀ほど理科系学問の力を借りその姿を大きく変えてしまいました。しかるに古代史学者や歴史学者は訳のwからぬイデオロギーや柵でまともな研究がまとまらない状況です。
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> その中でこれはほんとうに面白いものです。内容は小生が伝えるよりもうまく書いてる方がいますのでそちらをどうぞ。
>
> http://www.endo-shihou.jp/2014/08/12/%E9%95%B7%E6%B5%9C%E6%B5%A9%E6%98%8E-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%84%E3%81%AE%E8%AC%8E%E3%82%92%E8%A7%A3%E3%81%8F/
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> 長浜氏は同様の方法で日本史と古代朝鮮史についても本を出されています。内容はアマゾンと上記のブログで書かれていますが、基本は理科系学問の支援を受け歴史書を虚心坦懐に読む、という一店につきます。
>
> 書かれてる内容にご不満はなかろうと思います。


面白そうな本、紹介有難うございます。
早速手配しましたので今日の夜入手できると思います。早速読んでみたいと思います。

レビューを見る限りではどの話は誰の著作からと言うのは大体見当がつきますが、
どんな風に纏めたのか興味があります。

確かこの本は以前本屋でチラッと見かけたのですが、その時はあまり注目していなかった。
どんな話か楽しみにしています。
  1. 2014-11-30 09:06
  2. URL
  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

 長浜浩明さんの「国民の為の日本建国史」を読み返していますが、第一章の「古代史は多方面から検討を加える」には、神社のご由緒・記紀・シナ朝鮮の史書・考古学・言語学・地理学・生物学・形態人類学等々の多方面から検討することが重要だと書いておられます。短足様の古代史への取り組みも、海流や船や地理等々で複眼的にご覧になっていてとても勉強になります。

 サヨク史観に毒された学者さんたちは、この弥生時代の人口爆発を朝鮮半島から征服者がやって来たとしたいようです。その筋書きにそって無理やり文章を書いている人がいて、違和感を感じます。でも季節による海流に乗って上海から日本にくる航路をしると、中国から移住してきた可能性が高いですね。それと、稲作によって食料事情が改善して人口が劇的に増えたという複合的な理由があると思います。

 とにかく、古代史はとても面白いですね。それに近年は、国内外で様々な遺跡が発見されてきていて興味深いです。宮崎正弘さんがの「出身地を知らなければ、中国人は分らない」だったと思いますが、その中で長江文明以前の遺跡について「漢族のものでないので、研究がされていない。」と書いておられたと思います。政治的なものより、遺跡の研究は大事なのに残念です。
  1. 2017-01-28 08:24
  2. URL
  3. 都民です。 #-
  4. 編集

To:都民です さん

>  長浜浩明さんの「国民の為の日本建国史」を読み返していますが、第一章の「古代史は多方面から検討を加える」には、神社のご由緒・記紀・シナ朝鮮の史書・考古学・言語学・地理学・生物学・形態人類学等々の多方面から検討することが重要だと書いておられます。短足様の古代史への取り組みも、海流や船や地理等々で複眼的にご覧になっていてとても勉強になります。
>
>  サヨク史観に毒された学者さんたちは、この弥生時代の人口爆発を朝鮮半島から征服者がやって来たとしたいようです。その筋書きにそって無理やり文章を書いている人がいて、違和感を感じます。でも季節による海流に乗って上海から日本にくる航路をしると、中国から移住してきた可能性が高いですね。それと、稲作によって食料事情が改善して人口が劇的に増えたという複合的な理由があると思います。
>
>  とにかく、古代史はとても面白いですね。それに近年は、国内外で様々な遺跡が発見されてきていて興味深いです。宮崎正弘さんがの「出身地を知らなければ、中国人は分らない」だったと思いますが、その中で長江文明以前の遺跡について「漢族のものでないので、研究がされていない。」と書いておられたと思います。政治的なものより、遺跡の研究は大事なのに残念です。


日本の文化は全て韓国が起源、こんなバカらしい話が日本人から出てきているのが不思議ですね。
若しそうならその証拠の遺跡や文物を示しなさいと言いたいところ。少なくともそんな先進的な文化が有ったら、今日の体たらくをどう説明するか。
魏志倭人伝の昔から日本と朝鮮半島では文化の度合いが違いすぎます。その一言ですべてが分かります。

実はこれは私の推測ですが、日本の古墳時代から飛鳥時代頃、中国でいう易姓革命に近いものが有ったはず、こう見ています。
理由は記紀の記述が可笑しいからです。
記紀の記述でわずか500年前のことが可笑しい、ここに何らかの意図的な歴史の捏造を感じています。
こう確信するのは私の家に語り伝えられたものでさえ400年以上前のことを語り伝えているからです。
こんな事で日本の歴史には良く分からない部分がある。ここを半島国が利用して捏造している、そう思っています。

尚私がこう言うには証拠があります。
魏志倭人伝はよく知られておりますが、此れには底本があります。魏略といいます。
魏略は原本は散逸し、殆ど断簡しか残っていないのですが幸いなことに倭国関係は写本が残っています。
太宰府天満宮にある国宝「翰苑(かんえん)」、ここに魏略の倭国関係がありまして、魏王の所に来た倭国の使者は自分のことを「役職は大夫、出自は呉王太伯の後裔」と言っています。
この呉王太伯というのは前12世紀ころの春秋時代の呉の始祖で周の国から分かれたもの。役職の大夫は周の国の役職名です。
魏の国に来た倭国の使者がいきなり1000年以上昔の中国の国の名前や始祖の名前を言い、その当時の官職名を名乗る。凄いことだと思いませんか。
この翰苑(かんえん)、菅原道真が大切なものだからと太宰府天満宮に寄進したもので現在国宝です。しかし真面目に研究しようとする人がいない。残念なことです。
  1. 2017-01-28 22:43
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  3. 短足おじさん二世 #-
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