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宿泊客を狙うウイルス「ダークホテル」に要注意<追記あり>>
実に興味深い内容を、分かりやすく解説していただきました。
海での人の動きは、歴史に埋もれている傾向が強く、明らかになるにつれて新しい事実がわかってくるのでしょうネ。
塩野七生の「ローマ亡き後の地中海世界」で、地中海での人の動き(海賊が多いですが)が書かれていました。それを彷彿とさせるドラマがありそうです。
稲は韓国経由ではないとのこと。
好き嫌いを言ってはいけないのでしょうが、やれやれという感じです。
>いとも簡単に日本までたどり着ける、これは将来起こるであろう中国の崩壊を考えるうえで非常に重要な事だと思っている。
よくわかります。
ここをもう少し詳しく・・・と思いましたが、本題から外れるし、安易に政策論に入ってしまうのは実証的でないですネ。
別の隣国の難民の行状を考えると、本気で対策を考えることが必要かも。
> 実に興味深い内容を、分かりやすく解説していただきました。
> 海での人の動きは、歴史に埋もれている傾向が強く、明らかになるにつれて新しい事実がわかってくるのでしょうネ。
>
> 塩野七生の「ローマ亡き後の地中海世界」で、地中海での人の動き(海賊が多いですが)が書かれていました。それを彷彿とさせるドラマがありそうです。
>
> 稲は韓国経由ではないとのこと。
> 好き嫌いを言ってはいけないのでしょうが、やれやれという感じです。
>
> >いとも簡単に日本までたどり着ける、これは将来起こるであろう中国の崩壊を考えるうえで非常に重要な事だと思っている。
>
> よくわかります。
> ここをもう少し詳しく・・・と思いましたが、本題から外れるし、安易に政策論に入ってしまうのは実証的でないですネ。
> 別の隣国の難民の行状を考えると、本気で対策を考えることが必要かも。
あんまり間口を広げすぎたエントリーでしたので、取り留めのないモノになってしまい恐縮です。
しかしイネの話は未だに朝鮮半島から伝来したなどと言う人が沢山いるのが情けないですね。
イネの伝来について、農業の専門家はどなたも朝鮮半島経由論は認めません。
理由は朝鮮半島北部は稲作に不向きな寒冷地、多分最近やっとコメが獲れるようになった程度。
更に日本が併合する前の朝鮮の稲作技術は日本とは比べ物にならないくらい遅れていた、日本が一生懸命教えたんです。
そんな事であの朝鮮から稲作が伝わった?、そんな事あり得ない。これが稲作専門家の見解でした。
ですから1970年代まで韓国ではご飯は麦飯が当たり前。法律で麦飯デーが指定されていた(確か週1日だった記憶)のでホテルなんかでもその日は麦飯でした。
イネの話もですが、中国からいとも簡単にボートピープルが日本に来ることが出来る、この件はこれからも時々エントリーするつもりです。
ご紹介になられた上掲の本は私も全5巻買いました。会社の帰り道に本屋で見つけそのうちに読もうか、と思っていたものです。あれから10年、いまだに読んでいません。きょう久しぶりで手に取ると、第1巻は日本人ルーツの1つははシベリア起源という話でした。
興味深い指摘は、縄文人のDNA分析(人骨)によると、シベリア平原に住むブリヤート人の系統が縄文人に多かったと言うものです。このシベリアの民は「細石刃」(カミソリのような石器)を使用し、細石刃が大量に発見されるのは世界でもシベリアと日本だけという話です。従ってシベリアの民の一部は日本への渡来人ではなかったかという指摘でした。
シベリアの細石刃が使われ始めたのは2万1千年くらい前、日本で発見されたのは2万年くらい前との事です(北海道・千歳)。
網走市に道立「北方民族博物館」があります。以前ここを訪ねて北海道や北極圏の北方民族の資料などを見ましたが、そこにブリヤート人の生活道具や100年くらい前の(?)動画が映されていました。
極寒の中、3人くらいの全裸に近い子供が動物の毛皮の布団に潜り込んでクスクス笑っている様子が映されていました。
子供と言えば、縄文時代の三内丸山遺跡から子供の棺が発掘され、その子はポシェットを持っていて、その中にクルミが入っていたと青森の友人が語っていました。縄文人の優しさも現代人の優しさも同じと思い、つい涙ぐんでしまいます。いや、若しかしたら子供の虐待報道が続く現代人の方が縄文人より人でなしかも知れません。そういう親は縄文人の血筋ではないのです(!)。
いつも楽しく拝見させて頂いております。
個人的には古代史への関心が高まっていましたので、興味深く読ませて頂きました。
私の読解が甘いのかもしれませんが、人口増 - 渡来人 - 高地性集落の下りが腑に落ちていません。
高地性集落の分布を見ますと、弥生時代中期後半から後期初頭は瀬戸内海沿岸に大量に設けられていることを示しており、これは渡来人とどのようにつながるのかが理解が及びませんでした。
渡来人に備えるために高地性集落を設けるのであれば、中国地方日本海側、九州の北部から南部にかけての東シナ海方面に点在していないとつながらないと感じました。
また、弥生時代後期から古墳時代初頭にかけての分布を見ますと、日本海側にも高地性集落が設けられたことを示しており、こちらも渡来人の侵入経路とは重ならないと思われます。
以上を重ねあわせて考えますと、高地性集落というのは渡来人(場合によっては敵性の集団)に警戒したものというより、どちらかといと海洋活動をする仲間の為の灯台の様な役割であったとの解釈の方がしっくり来るのではないかと考えた次第です。
そう言えば以前TVで河童が「おれおれおーれんらいら」と訳の解らない言葉を発したという伝承があるが、中国語で解釈すると「私は呉の国から来た。」となり、呉の国から日本に渡ってきた泳ぎが得意な人を河童だと思ってしまったのではないか?と解説していました。
> ご紹介になられた上掲の本は私も全5巻買いました。会社の帰り道に本屋で見つけそのうちに読もうか、と思っていたものです。あれから10年、いまだに読んでいません。きょう久しぶりで手に取ると、第1巻は日本人ルーツの1つははシベリア起源という話でした。
>
> 興味深い指摘は、縄文人のDNA分析(人骨)によると、シベリア平原に住むブリヤート人の系統が縄文人に多かったと言うものです。このシベリアの民は「細石刃」(カミソリのような石器)を使用し、細石刃が大量に発見されるのは世界でもシベリアと日本だけという話です。従ってシベリアの民の一部は日本への渡来人ではなかったかという指摘でした。
> シベリアの細石刃が使われ始めたのは2万1千年くらい前、日本で発見されたのは2万年くらい前との事です(北海道・千歳)。
>
> 網走市に道立「北方民族博物館」があります。以前ここを訪ねて北海道や北極圏の北方民族の資料などを見ましたが、そこにブリヤート人の生活道具や100年くらい前の(?)動画が映されていました。
> 極寒の中、3人くらいの全裸に近い子供が動物の毛皮の布団に潜り込んでクスクス笑っている様子が映されていました。
>
> 子供と言えば、縄文時代の三内丸山遺跡から子供の棺が発掘され、その子はポシェットを持っていて、その中にクルミが入っていたと青森の友人が語っていました。縄文人の優しさも現代人の優しさも同じと思い、つい涙ぐんでしまいます。いや、若しかしたら子供の虐待報道が続く現代人の方が縄文人より人でなしかも知れません。そういう親は縄文人の血筋ではないのです(!)。
日本人のルーツの一つがシベリアとの話はよく聞きますね。
ただ日本人はるかな旅が放映された頃にはいろんな研究が進んでいたので、もう少し別の視点で見るべきでは無かったかなあ、そう思っています。
大きな理由は海面高さの変動です。
今から8千年前辺りまでは現在とあまり変わらないのですが、それより前は海面高さが非常に低かった。
今から1万5千年前は現在より約100メーター低かった。2万年前だと約130メーター位低かったんです。
最近のDNA研究から日本の縄文人は南方から来て、北海道辺りが行き止まりだった(樺太・千島も有りますが)。今はそう考えられており、1万年以上昔は海面が低かったので南からの移住が容易だったと考えられています。
勿論シベリアからの移住も有ったと思います。今後の建久課題でしょう。
以下は笑い話。
日本の考古学者の長年の疑問、縄文時代草創期辺りの貝塚が見つからないので、縄文人は最初貝を食べることを知らなかったんじゃないかと思われていました。
今でも旧石器時代の話になるとそんな意見の人がいますね。
実際はその頃の貝塚は海の底に沈んで消えてしまっていた、だから見つからない・・・。
そんなお笑いが有ります。固定概念てのは怖いものですね。
縄文の子どもが来る実入りのポシェットを持っていた話、大変面白いですね。
縄文人は世界で恐らく他に例のない優しい民族でした。何せ戦争の痕跡の全くない人たちですから。
よその国のお寺の仏像を盗むドロボー団を組織する連中とは違うという事ですね。
> いつも楽しく拝見させて頂いております。
> 個人的には古代史への関心が高まっていましたので、興味深く読ませて頂きました。
>
> 私の読解が甘いのかもしれませんが、人口増 - 渡来人 - 高地性集落の下りが腑に落ちていません。
> 高地性集落の分布を見ますと、弥生時代中期後半から後期初頭は瀬戸内海沿岸に大量に設けられていることを示しており、これは渡来人とどのようにつながるのかが理解が及びませんでした。
>
> 渡来人に備えるために高地性集落を設けるのであれば、中国地方日本海側、九州の北部から南部にかけての東シナ海方面に点在していないとつながらないと感じました。
> また、弥生時代後期から古墳時代初頭にかけての分布を見ますと、日本海側にも高地性集落が設けられたことを示しており、こちらも渡来人の侵入経路とは重ならないと思われます。
>
> 以上を重ねあわせて考えますと、高地性集落というのは渡来人(場合によっては敵性の集団)に警戒したものというより、どちらかといと海洋活動をする仲間の為の灯台の様な役割であったとの解釈の方がしっくり来るのではないかと考えた次第です。
余りにも間口を広げすぎたので、ご指摘の様な疑問が有ると思います。
最初に高地性集落と言うモノは実は研究があまり進んでいない、その上弥生時代の年代が従来考えていた年代より大きく変えなければいけない、そんな事が分かってきました。
従来の高地性集落に対する考え方は中国の歴史書に見える倭国大乱の為だろう。単純にそう考えていたんです。
しかし高地性集落が倭国大乱とは年代が違う事が分かり、考え方が変わりました。
現在でも研究途上ですが、考えられるのは中国からの移住者、それも江南地方からの移住者と考えられています。
最近やっと中国での研究との連携が出来るようになって、弥生時代の人骨と全く同じ人骨が中国江南地方で見つかったりしています。
更に中国で江南地方から山東半島に移住した人がいることが考古学的にも文献からも分かってきました。
海からの渡来人ですが腹ペコで上陸してきます。だから非常に凶暴、危険な存在だと思います。
そんな事で凶暴な外敵に対する備えとして集落は環濠集落になるし、高地性集落も出来た、そう考えています。
中国大陸の南の方の人が弥生人の最大集団ではないかとは思っていますが、それなら その人たちがたくさんたどり着いたであろう南九州あたりには その痕跡が何か残っていますか?
鹿児島は昔 隼人と言われています。弓がうまいなどと言われていますが、呉人にそのような伝統はあったのでしょうか。
> そう言えば以前TVで河童が「おれおれおーれんらいら」と訳の解らない言葉を発したという伝承があるが、中国語で解釈すると「私は呉の国から来た。」となり、呉の国から日本に渡ってきた泳ぎが得意な人を河童だと思ってしまったのではないか?と解説していました。
面白い話、有難うございます。
実はその辺りは日本史の大きな謎ですね。
魏志倭人伝には書いてないのですが、魏志倭人伝が準拠した「魏略」というモノが有ります。
今は散逸してしまっているのですがその断片が日本の太宰府天満宮に有り国宝になっています。
此処に
「其俗男子皆黥而文 聞其旧語 自謂太伯之後 昔夏后小康之子 封於会稽 断髪文身 以避蛟龍之害 今倭人亦文身 以厭水害也」
此処に「太伯之後=呉の国の王太伯の後裔」とありますが、この部分を真剣に研究した人がいない。
如何してなんでしょうか。
> 中国大陸の南の方の人が弥生人の最大集団ではないかとは思っていますが、それなら その人たちがたくさんたどり着いたであろう南九州あたりには その痕跡が何か残っていますか?
>
> 鹿児島は昔 隼人と言われています。弓がうまいなどと言われていますが、呉人にそのような伝統はあったのでしょうか。
イネの伝来の研究はプラントオパールの研究で相当分かってきましたが、九州有明海周辺と瀬戸内海岡山県辺りが最初の様です。
弥生文化としては九州北部に沢山遺跡が有りますが、此処で発見される人国の抜歯の習慣が中国長江下流域、江南地方からの人骨と共通だという事が分かってきました。
ただご指摘の隼人については私の私見ですが縄文人ではないかと思っています。
坂東武者と言われる人たちも縄文人の末裔、薩摩隼人も同じだったと思います。
私は弥生人が日本にやってきたとき、最初は色々軋轢も有ったんでしょうが最終的には仲良く共存したと見ています。
卑弥呼は狗奴国と対立したと言われていますが、この狗奴国が何処なのか諸説ありますが私は美濃・尾張地方だっただろう、そんな風に考えています。
そして狗奴国は縄文人系、そう思っていますが、これは空想の世界かも。
こんな本があります。
日本人ルーツの謎を解く―縄文人は日本人と韓国人の祖先だった! 長浜浩明著
http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%84%E3%81%AE%E8%AC%8E%E3%82%92%E8%A7%A3%E3%81%8F%E2%80%95%E7%B8%84%E6%96%87%E4%BA%BA%E3%81%AF%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%A8%E9%9F%93%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E3%81%AE%E7%A5%96%E5%85%88%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F-%E9%95%B7%E6%B5%9C-%E6%B5%A9%E6%98%8E/dp/4886563430/ref=sr_1_4?s=books&ie=UTF8&qid=1416935039&sr=1-4&keywords=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%80%80%E8%B5%B7%E6%BA%90
著者は理科系の技術者でありその目から見た日本古代史、というべきものです。歴史なかんずく古代史はここ四半世紀ほど理科系学問の力を借りその姿を大きく変えてしまいました。しかるに古代史学者や歴史学者は訳のwからぬイデオロギーや柵でまともな研究がまとまらない状況です。
その中でこれはほんとうに面白いものです。内容は小生が伝えるよりもうまく書いてる方がいますのでそちらをどうぞ。
http://www.endo-shihou.jp/2014/08/12/%E9%95%B7%E6%B5%9C%E6%B5%A9%E6%98%8E-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%84%E3%81%AE%E8%AC%8E%E3%82%92%E8%A7%A3%E3%81%8F/
長浜氏は同様の方法で日本史と古代朝鮮史についても本を出されています。内容はアマゾンと上記のブログで書かれていますが、基本は理科系学問の支援を受け歴史書を虚心坦懐に読む、という一店につきます。
書かれてる内容にご不満はなかろうと思います。
> こんな本があります。
> 日本人ルーツの謎を解く―縄文人は日本人と韓国人の祖先だった! 長浜浩明著
> http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%84%E3%81%AE%E8%AC%8E%E3%82%92%E8%A7%A3%E3%81%8F%E2%80%95%E7%B8%84%E6%96%87%E4%BA%BA%E3%81%AF%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%A8%E9%9F%93%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E3%81%AE%E7%A5%96%E5%85%88%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F-%E9%95%B7%E6%B5%9C-%E6%B5%A9%E6%98%8E/dp/4886563430/ref=sr_1_4?s=books&ie=UTF8&qid=1416935039&sr=1-4&keywords=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%80%80%E8%B5%B7%E6%BA%90
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> 著者は理科系の技術者でありその目から見た日本古代史、というべきものです。歴史なかんずく古代史はここ四半世紀ほど理科系学問の力を借りその姿を大きく変えてしまいました。しかるに古代史学者や歴史学者は訳のwからぬイデオロギーや柵でまともな研究がまとまらない状況です。
>
> その中でこれはほんとうに面白いものです。内容は小生が伝えるよりもうまく書いてる方がいますのでそちらをどうぞ。
>
> http://www.endo-shihou.jp/2014/08/12/%E9%95%B7%E6%B5%9C%E6%B5%A9%E6%98%8E-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%84%E3%81%AE%E8%AC%8E%E3%82%92%E8%A7%A3%E3%81%8F/
>
> 長浜氏は同様の方法で日本史と古代朝鮮史についても本を出されています。内容はアマゾンと上記のブログで書かれていますが、基本は理科系学問の支援を受け歴史書を虚心坦懐に読む、という一店につきます。
>
> 書かれてる内容にご不満はなかろうと思います。
面白そうな本、紹介有難うございます。
早速手配しましたので今日の夜入手できると思います。早速読んでみたいと思います。
レビューを見る限りではどの話は誰の著作からと言うのは大体見当がつきますが、
どんな風に纏めたのか興味があります。
確かこの本は以前本屋でチラッと見かけたのですが、その時はあまり注目していなかった。
どんな話か楽しみにしています。
長浜浩明さんの「国民の為の日本建国史」を読み返していますが、第一章の「古代史は多方面から検討を加える」には、神社のご由緒・記紀・シナ朝鮮の史書・考古学・言語学・地理学・生物学・形態人類学等々の多方面から検討することが重要だと書いておられます。短足様の古代史への取り組みも、海流や船や地理等々で複眼的にご覧になっていてとても勉強になります。
サヨク史観に毒された学者さんたちは、この弥生時代の人口爆発を朝鮮半島から征服者がやって来たとしたいようです。その筋書きにそって無理やり文章を書いている人がいて、違和感を感じます。でも季節による海流に乗って上海から日本にくる航路をしると、中国から移住してきた可能性が高いですね。それと、稲作によって食料事情が改善して人口が劇的に増えたという複合的な理由があると思います。
とにかく、古代史はとても面白いですね。それに近年は、国内外で様々な遺跡が発見されてきていて興味深いです。宮崎正弘さんがの「出身地を知らなければ、中国人は分らない」だったと思いますが、その中で長江文明以前の遺跡について「漢族のものでないので、研究がされていない。」と書いておられたと思います。政治的なものより、遺跡の研究は大事なのに残念です。
> 長浜浩明さんの「国民の為の日本建国史」を読み返していますが、第一章の「古代史は多方面から検討を加える」には、神社のご由緒・記紀・シナ朝鮮の史書・考古学・言語学・地理学・生物学・形態人類学等々の多方面から検討することが重要だと書いておられます。短足様の古代史への取り組みも、海流や船や地理等々で複眼的にご覧になっていてとても勉強になります。
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> サヨク史観に毒された学者さんたちは、この弥生時代の人口爆発を朝鮮半島から征服者がやって来たとしたいようです。その筋書きにそって無理やり文章を書いている人がいて、違和感を感じます。でも季節による海流に乗って上海から日本にくる航路をしると、中国から移住してきた可能性が高いですね。それと、稲作によって食料事情が改善して人口が劇的に増えたという複合的な理由があると思います。
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> とにかく、古代史はとても面白いですね。それに近年は、国内外で様々な遺跡が発見されてきていて興味深いです。宮崎正弘さんがの「出身地を知らなければ、中国人は分らない」だったと思いますが、その中で長江文明以前の遺跡について「漢族のものでないので、研究がされていない。」と書いておられたと思います。政治的なものより、遺跡の研究は大事なのに残念です。
日本の文化は全て韓国が起源、こんなバカらしい話が日本人から出てきているのが不思議ですね。
若しそうならその証拠の遺跡や文物を示しなさいと言いたいところ。少なくともそんな先進的な文化が有ったら、今日の体たらくをどう説明するか。
魏志倭人伝の昔から日本と朝鮮半島では文化の度合いが違いすぎます。その一言ですべてが分かります。
実はこれは私の推測ですが、日本の古墳時代から飛鳥時代頃、中国でいう易姓革命に近いものが有ったはず、こう見ています。
理由は記紀の記述が可笑しいからです。
記紀の記述でわずか500年前のことが可笑しい、ここに何らかの意図的な歴史の捏造を感じています。
こう確信するのは私の家に語り伝えられたものでさえ400年以上前のことを語り伝えているからです。
こんな事で日本の歴史には良く分からない部分がある。ここを半島国が利用して捏造している、そう思っています。
尚私がこう言うには証拠があります。
魏志倭人伝はよく知られておりますが、此れには底本があります。魏略といいます。
魏略は原本は散逸し、殆ど断簡しか残っていないのですが幸いなことに倭国関係は写本が残っています。
太宰府天満宮にある国宝「翰苑(かんえん)」、ここに魏略の倭国関係がありまして、魏王の所に来た倭国の使者は自分のことを「役職は大夫、出自は呉王太伯の後裔」と言っています。
この呉王太伯というのは前12世紀ころの春秋時代の呉の始祖で周の国から分かれたもの。役職の大夫は周の国の役職名です。
魏の国に来た倭国の使者がいきなり1000年以上昔の中国の国の名前や始祖の名前を言い、その当時の官職名を名乗る。凄いことだと思いませんか。
この翰苑(かんえん)、菅原道真が大切なものだからと太宰府天満宮に寄進したもので現在国宝です。しかし真面目に研究しようとする人がいない。残念なことです。