2014-10-24 15:10

新幹線の生い立ち

 今年は新幹線開業50年の節目なので、最近本屋などでも新幹線関係の新刊書が目立つ。
今月初めにはこんな報道が新聞、テレビを賑わしている。

<以下読売新聞より引用>

新幹線50歳 56億人運ぶ
2014年10月1日15時0分 読売新聞

http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20141001-118-OYTPT50301/search_list_%25E6%2596%25B0%25E5%25B9%25B9%25E7%25B7%259A%25EF%25BC%2595%25EF%25BC%2590%25E5%25B9%25B4__

2014-10-24新幹線11
東海道新幹線開業50周年出発式で、出発合図とともに発車する「のぞみ1号」(1日午前6時、JR東京駅で)

2014-10-24新幹線21
東京駅で1964年10月1日に行われた東海道新幹線の出発式

 東海道新幹線(東京―新大阪)は1日、開業から50年の節目を迎えた。2大都市を結ぶ「夢の超特急」の利用客は延べ56億人。乗客の死亡事故ゼロの記録を更新し続けている。この日は、半世紀前と同じように、東京駅19番線ホームで記念の「出発式」が開かれ、多くの関係者に見守られながら次の50年に向けスタートを切った。

 出発式は午前6時ちょうどの始発電車に合わせて開催。JR東海の柘植康英つげこうえい社長のあいさつの後、50年前の新大阪行き「ひかり1号」の出発式と同じように、用意したくす玉が割られた。「ファーン」と高らかに汽笛を鳴らし、「のぞみ1号」は博多に向け、滑り出すように出発した。
・・・以下略・・・

<引用終り>


さてその新幹線がどのようにしてできたか。そんな事の分かる古い本が有る。
(影の声:また古い本を埃を払って引っ張り出したな・・・)

昭和33年9月20日発行の「特急物語 東海道線の今昔」交通新聞編集局編と言う。

昭和33年と言えば終戦から僅か13年。
これは終戦直後の東京駅周辺の航空写真
2014-10-24終戦直後の東京駅周辺2文字入り
撮影は米軍、撮影日:1948年(昭和23年)3月29日
東京駅、丸ビルが分かる。新丸ビルの所はプールの様になっている。


未だ戦争の傷が残っている時なのだが、敗戦から13年の本、こんな内容である。

此れが表紙
2014-10-24特急物語-01

目次はこんなモノ
2014-10-24特急物語-02

2ページ目がコレ。最初から広軌新幹線と書いてある。
2014-10-24特急物語-03
そして注目点。
東京ー大阪間を3時間で走破する「超特急電車」となっている。新幹線は最初から電車として計画されたのだ。

参考までに新幹線の成功に刺激され、新幹線に遅れる事17年、フランスはTGVを作ったがTGVは機関車方式。
しかし新幹線を徹底的にベンチマークして作ったTGVだが、次期TGVでは電車方式を採用するらしい。


巻末には運輸省への答申全文が掲載されている。
2014-10-24特急物語-04

最後がコレ。このイラストの電車、0系よりカッコいいんじゃないかな。
2014-10-24特急物語-05
下のマンガの中に書いてある文字は読みにくいですが「一路平安」と書いてあります。


昭和33年と言えば敗戦から僅か13年。
其れなのにこんなモノを考えて日本は立ち上がろうとしていた。
戦争でも打ちのめされなかった先人の心意気、大いに見習わねばいけないと思う。
  1. 鉄道
  2. TB(0)
  3. CM(18)

コメント

親父は陸軍に勤めていたので、昭和20年に倒産して無職となり、13年ぐらい百姓をしてました。
昭和33年かあるいは34年に道路公団が出来、試験を受けて入社して 愛知県と岐阜県の 名神の用地買収に当たりました。
そのころ アメリカにはハイウエイというものが有り、それがどのようなものだという事を説明している小冊子を 家に持って帰ってきたことを覚えています。
やはり上記のような解説書で、なんかすごいものだという風に感じたことを覚えています。
誰が企画したのか知りませんが、戦後10年ぐらいで日本人はすごいことをやっていましたね。今は何か内向きなことばかりやっている感じがします。

岐阜羽島は大野バンボクが、田圃の中に無理やり作ったた駅と言われていますが、上記の2ページの最初に載っているではありませんか。ちょっと小さい字ではありますが。
  1. 2014-10-24 17:50
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  3. 八目山人 #4lXsiBFM
  4. 編集

新幹線の光と影

小生はある意味捻くれ者ですから新幹線の影についてあえて語ろうと思ってます。

新幹線自体は島安次郎を筆頭とする広軌論者の執念から完成したものです。それのもたらした経済効果や利便性については論を待ちませんし批判するつもりもありません。しかしこれには結構負の側面もあるのです。

まず第一に新幹線ネットワークというものは従来のものとは全く別であるためそれ自体をワンセットで作らなくてはいけませんでした。これは典型的な二重投資の問題となってしまいます。これにより国鉄の近代化=新幹線となり在来線の放置が問題となるのです。

次にこれは国鉄自体の問題ではありませんが総合交通体系というものんを国がほとんど考えてこなかったという問題です。今になって考えれば新幹線は経済的なものでありそれを疑う人はいませんが全国高速道路網との二重投資という問題は今もあるのです。

さらに新幹線の成功は国鉄に対して決定的な貨物軽視という路線を引きました。当初は新幹線に貨物を走らせるなどという計画もあったようですがこれはほとんどダミー、結局は在来線は赤字の垂れ流しになってしまいました。

新幹線が延びれば全国ネットワークがおかしくなるという問題があるのです。JRは可変ゲージ車両の投入によってこの弊害を越えようとしていますがそれはいつまでたっても出てきません。

だからこのような弊害を考えれならば本来は早い時期に何らかのネットワーク構築の方法を考えねばいけませんでした。たとえば地方幹線の広軌化(4線化)や貨物設備の抜本的な強化などです。
このあたりの弊害が今は顕在化しています。

TGVは新幹線の成功とお問題点を洗い出して作りだしたものですが全国ネットワークだけではない、ヨーロッパネットワークにまで発展してますよね。

小生は日本人のどこかにある問題を一気に御破算にして解決しようとする安易な思考が問題だったと思うのです。
物事を在来の物の改良と発展と結び付け何とか統合化するというような努力はなかったのか。と本当に思うのです。
  1. 2014-10-24 22:19
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  3. kazk #-
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To:八目山人さん

> 親父は陸軍に勤めていたので、昭和20年に倒産して無職となり、13年ぐらい百姓をしてました。
> 昭和33年かあるいは34年に道路公団が出来、試験を受けて入社して 愛知県と岐阜県の 名神の用地買収に当たりました。
> そのころ アメリカにはハイウエイというものが有り、それがどのようなものだという事を説明している小冊子を 家に持って帰ってきたことを覚えています。
> やはり上記のような解説書で、なんかすごいものだという風に感じたことを覚えています。
> 誰が企画したのか知りませんが、戦後10年ぐらいで日本人はすごいことをやっていましたね。今は何か内向きなことばかりやっている感じがします。
>
> 岐阜羽島は大野バンボクが、田圃の中に無理やり作ったた駅と言われていますが、上記の2ページの最初に載っているではありませんか。ちょっと小さい字ではありますが。


そうですか、お父上様が名神高速を建設する仕事に携わってみえたんですか。
その頃の日本人は実は壮大なことを考えていたんです。
当時の話をご存知でしたら当時名神は「高速自動車国道1号線」の名古屋神戸間と言われていたのもご存知ではないでしょうか。
その東京名古屋間は今の東名ではなく、今の中央自動車道です。
だから本当の高速自動車国道1号線は中央道ー名神のルート。
その理由は地政学上の理由。
今の新幹線も東名も静岡県は海岸沿いを通りますが此処は海に近すぎて外からの脅威に弱い。
地震・津波・台風などの自然災害、それから外国が攻めてきたとき直接攻撃にさらされる、こんな理由です。
今第二東名を作っていますが、真っ先に開通させたのが静岡県内の区間。そしてリニア新幹線を今の新幹線とは全く違うルートにしたのも同じ理由です。

そして新幹線に何故岐阜と書いてあるか。
実は1000年以上前から都(京都)から東国へのルートは二つありました。
(注:東国とは不破の関の東、だから関東です。同じ理由でだから天下分け目の関ヶ原)
その二つのルートは東山道(のちの中山道)、東海道です。
その二つのメインルートが一緒になる所、それが岐阜の西濃地方。
こんな事で当初から新幹線には岐阜駅が必要となっていたと言う訳です。

確かに今の人は内向きで将来を見る目が無い。困った傾向ですね。
  1. 2014-10-25 12:12
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  3. 短足おじさん二世 #-
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Re: 新幹線の光と影

> 小生はある意味捻くれ者ですから新幹線の影についてあえて語ろうと思ってます。
>
> 新幹線自体は島安次郎を筆頭とする広軌論者の執念から完成したものです。それのもたらした経済効果や利便性については論を待ちませんし批判するつもりもありません。しかしこれには結構負の側面もあるのです。
>
> まず第一に新幹線ネットワークというものは従来のものとは全く別であるためそれ自体をワンセットで作らなくてはいけませんでした。これは典型的な二重投資の問題となってしまいます。これにより国鉄の近代化=新幹線となり在来線の放置が問題となるのです。
>
> 次にこれは国鉄自体の問題ではありませんが総合交通体系というものんを国がほとんど考えてこなかったという問題です。今になって考えれば新幹線は経済的なものでありそれを疑う人はいませんが全国高速道路網との二重投資という問題は今もあるのです。
>
> さらに新幹線の成功は国鉄に対して決定的な貨物軽視という路線を引きました。当初は新幹線に貨物を走らせるなどという計画もあったようですがこれはほとんどダミー、結局は在来線は赤字の垂れ流しになってしまいました。
>
> 新幹線が延びれば全国ネットワークがおかしくなるという問題があるのです。JRは可変ゲージ車両の投入によってこの弊害を越えようとしていますがそれはいつまでたっても出てきません。
>
> だからこのような弊害を考えれならば本来は早い時期に何らかのネットワーク構築の方法を考えねばいけませんでした。たとえば地方幹線の広軌化(4線化)や貨物設備の抜本的な強化などです。
> このあたりの弊害が今は顕在化しています。
>
> TGVは新幹線の成功とお問題点を洗い出して作りだしたものですが全国ネットワークだけではない、ヨーロッパネットワークにまで発展してますよね。
>
> 小生は日本人のどこかにある問題を一気に御破算にして解決しようとする安易な思考が問題だったと思うのです。
> 物事を在来の物の改良と発展と結び付け何とか統合化するというような努力はなかったのか。と本当に思うのです。


ご指摘の話は一つ一つ納得できます。
特に広軌化は鉄道技術者の150年来の怨念話、一昨日もJRに乗ったのでそんな話をしたんです。
一昨日飲み会をしまして、ほんの少しだけ(二駅だけ)ですがJRの電車に乗りました。
その時JRの電車は車体がフロアの上の所が外側に膨らんでいるんですが、これがJRの技術者の苦心の証し。
狭軌なのに標準軌(いわゆる広軌・1435ミリ)以上の車体を作り出した。

そんな事ですからフランスが新幹線のメリット・ディメリットを洗い出して作ったのがTGV。
TGVの安さにはどうしても新幹線では勝てないですね。
その代りTGVに乗った人は余りの貧相な列車に驚くとか。

この新幹線物語を紐解いてゆくと、技術者と経営者が進めた部分は上手くいっている。
しかし政治家が絡んだ部分はダメですね。
日本の政治家には百年の計は無理なのかなあ、多分kazkさんの疑問はそこでしょう。

現在のJR北の諸問題も矢張りすべてがそこに収斂しそうです。
  1. 2014-10-25 17:03
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  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

新幹線が東海道山陽スペシャルであるだけなら良かったのです。

しかしこれが全国ネットとなるとどうか。
おそらく当初はこんな事誰も考えなかったはずです。

しかし、政治の力などによりそれが進められる、ということになると、おそらく国鉄内部で心ある連中ははたと頭を抱えたはずです。おそらく新幹線を在来線と二重投資をして黒が取れるところはそう多くは考えにくかったはずです。

ここでまじめに考えるならば在来線強化により直通列車を通すくらいの発想はきっとあったはずです。それの変形が秋田山形新幹線でしょう(煩いこと言えば新幹線じゃないのですがここでは置いておきます)ところが長野新幹線では在来線の採算がとれなくなるとかで信越線の直通をやめてしまいました。最初の政治路線は上越新幹線ですがこれも在来線問題をすっ飛ばしたままでした。

本来ならばこれくらいの時に在来線を4線化(在来線との共用です)と部分強化を図り在来線資産を活用することが必要になったはずです。北陸新幹線で北越急行はどうなるのでしょうか。こういう問題はこの時に見えていたはずです。この問題が見えていたなら青函トンネルをもう少し大きな規模にしておくとかいろいろな問題に対応できたはずです。

日本の貨物輸送体系があまりにトラックに頼りすぎていることの根本原因は鉄道貨物の設備的貧困にあります。。米国並みのマイルトレインとは言いませんが国際規格コンテナを当たり前に運用する、更にはピギーバック輸送を当たり前に行える程度の規格にして置かなければいけなかったのです。

現実に今でも北海道からの貨物では量とスピードで鉄道貨物がトップシェアです。これが新幹線の函館延伸でどうなるか、ここでも難題を抱えています。

これは全て企画が圧倒的に違うものを二重投資した結果なのです。全国展開を考えるならばその時に本来は解決して置かなければならない問題でした。貨物輸送などはもう採算が取れないのだから止めればいい、という意見には東日本大震災が答えましたよね。いくつかの輸送方法を取れるようにしてネットワーク化しておくこと、これ非常時対策なのですよね。

ブログ主様はこれを政治の貧困とおっしゃります。大いに同意するところですが、さらに小生はこれは行政の貧困なのではないかと思うのです。かつて何全総とかの計画が何度もぶち挙げられましたがまとも言った試しなんかありませんでした。そもそも省庁以上の発想をする行政官がいないことが問題なのでしょう。

現実に日本に自動車会社が21世紀に10社も存在するなんてことは彼ら予想もしてなかったでしょう。そもそも高炉製鉄を最盛時には5社がやってるなんてことも想像しなかったでしょう。
こういうことをまじめに考えていたならそれにふさわしい輸送能力体系というものを考えらねばならなかったのです。

この辺り全体をシステムで見ることが出来ない日本人の欠陥を本当に見ている気がします。
新幹線は御破算主義の結果だと言いましたがこれからは嫌でもそんなことは出来ない、インフラはスクラップアンドビルドで行くしかないんです。その時にどうするんでしょうか。
この辺りで少し性根を入れ替えねばならないと考えなければいけません。でもそれが出来るでしょうか。
疑問を禁じえません。
  1. 2014-10-25 20:35
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  3. kazk #-
  4. 編集

満鉄と新幹線

私の亡父は戦前満鉄に勤務しておりました。文系でしたから理系の技術者とは接点はなかったと思いますが、理事に島安次郎がおりました。その息子がで新幹線の技師長・島秀雄。
満鉄ではご承知の「あじあ号」が弾丸列車として運行しており、これは広軌、日本国内での施設は、広軌は理解が得られなかったと聞きます。

新幹線の構想は満鉄の中で胚胎し、戦後、鉄道斜陽論にありながら十河国鉄総裁・島秀雄の時代に実を結んだと聞きました。

言いたかったことは、日本人はコセコセした性分と言われるものの、大陸を見、そこで技術の種を播くと、内地の日本人の蒙を一気に開く事業を成し遂げることです。日本の教育界では「国際化」と騒がれますが、英語の達人の養成よりも大局を見る人物の養成を願いたいと思います。(亡父はそれを子供らに願った様ですが、攘夷派の私は期待に沿えませんでした。若い時分は固定観念はなるべく排すべきでした。)

話変わって、前回のYS-11に関する考察では、私の愚問に丁寧なお返事を頂戴し、有難うございました。航空産業の一端が分って勉強になりました。米国の影が日本の産業に影を落とす有様は切歯扼腕。
  1. 2014-10-26 12:01
  2. URL
  3. 相模 #-
  4. 編集

Re: 新幹線が東海道山陽スペシャルであるだけなら良かったのです。

> しかしこれが全国ネットとなるとどうか。
> おそらく当初はこんな事誰も考えなかったはずです。
>
> しかし、政治の力などによりそれが進められる、ということになると、おそらく国鉄内部で心ある連中ははたと頭を抱えたはずです。おそらく新幹線を在来線と二重投資をして黒が取れるところはそう多くは考えにくかったはずです。
>
> ここでまじめに考えるならば在来線強化により直通列車を通すくらいの発想はきっとあったはずです。それの変形が秋田山形新幹線でしょう(煩いこと言えば新幹線じゃないのですがここでは置いておきます)ところが長野新幹線では在来線の採算がとれなくなるとかで信越線の直通をやめてしまいました。最初の政治路線は上越新幹線ですがこれも在来線問題をすっ飛ばしたままでした。
>
> 本来ならばこれくらいの時に在来線を4線化(在来線との共用です)と部分強化を図り在来線資産を活用することが必要になったはずです。北陸新幹線で北越急行はどうなるのでしょうか。こういう問題はこの時に見えていたはずです。この問題が見えていたなら青函トンネルをもう少し大きな規模にしておくとかいろいろな問題に対応できたはずです。
>
> 日本の貨物輸送体系があまりにトラックに頼りすぎていることの根本原因は鉄道貨物の設備的貧困にあります。。米国並みのマイルトレインとは言いませんが国際規格コンテナを当たり前に運用する、更にはピギーバック輸送を当たり前に行える程度の規格にして置かなければいけなかったのです。
>
> 現実に今でも北海道からの貨物では量とスピードで鉄道貨物がトップシェアです。これが新幹線の函館延伸でどうなるか、ここでも難題を抱えています。
>
> これは全て企画が圧倒的に違うものを二重投資した結果なのです。全国展開を考えるならばその時に本来は解決して置かなければならない問題でした。貨物輸送などはもう採算が取れないのだから止めればいい、という意見には東日本大震災が答えましたよね。いくつかの輸送方法を取れるようにしてネットワーク化しておくこと、これ非常時対策なのですよね。
>
> ブログ主様はこれを政治の貧困とおっしゃります。大いに同意するところですが、さらに小生はこれは行政の貧困なのではないかと思うのです。かつて何全総とかの計画が何度もぶち挙げられましたがまとも言った試しなんかありませんでした。そもそも省庁以上の発想をする行政官がいないことが問題なのでしょう。
>
> 現実に日本に自動車会社が21世紀に10社も存在するなんてことは彼ら予想もしてなかったでしょう。そもそも高炉製鉄を最盛時には5社がやってるなんてことも想像しなかったでしょう。
> こういうことをまじめに考えていたならそれにふさわしい輸送能力体系というものを考えらねばならなかったのです。
>
> この辺り全体をシステムで見ることが出来ない日本人の欠陥を本当に見ている気がします。
> 新幹線は御破算主義の結果だと言いましたがこれからは嫌でもそんなことは出来ない、インフラはスクラップアンドビルドで行くしかないんです。その時にどうするんでしょうか。
> この辺りで少し性根を入れ替えねばならないと考えなければいけません。でもそれが出来るでしょうか。
> 疑問を禁じえません。


鉄道に関して言えば、日本は何とバカな事ばかりしてきたのか、そんな思いです。
狭軌を標準軌に改軌する、これは日本の鉄道開通直後からの悲願でした。
一番残念だったのは明治43年頃、後藤新平が改軌計画を打ち出し、もう実行するばかりでした。
しかし原敬が強硬に反対しオジャン。その後も何度かやろうとしましたが失敗しました。
現在でも鉄道技術者はあの時やっておればなあ、そう言って悔やんでいるそうです。
その後満鉄ではその失敗を繰り返すな、そんなコンセプトで仕事をしました。
当時としては素晴らしい鉄道、町が出来たと思います。

その後新幹線を作りますが、若しその頃在来線が標準軌だったら新幹線は全く違ったものになっていたでしょう。
秋田新幹線のようなものが簡単にできるのは当然ですのでね。

そんな失敗例がつい最近も有ります。滋賀県の新幹線の南びわ湖新駅の建設中断です。
左巻きのオバサン知事が止めてしまいました。
そして最近になってやっぱり新幹線の駅が欲しいと言いだしました。
同じオバサンが言うのです。バカ話としか言いようがない。
政治の「将来を見る目の無さ」が招いた喜劇ですね。もう笑うほかないです。
JRでは何が何でももう作れない、ダメなものはダメと突っぱねています。当然ですね。
それでもオバサン知事の息のかかった左巻きがまたまた知事になっている。
滋賀県の民度の低さが良く分かります。

こんな事が有ってJR東海の決断。リニア新幹線はJR東海の全額自己負担で作ることにした。
流石葛西さんならでは、よくぞ思い切ったものです。

しかしリニアは名古屋以西は名古屋まで開通してから工事となっていますが大阪が騒いでいます。
同時開通させたいのですが、そんな時京都はこちらに駅を作れとごねています。
大阪・京都・奈良で力を合わせて早期完成に動くべき所をこの体たらく。

kazkさんご指摘の問題点は過去の問題点であるとともに現在進行中の問題点。
大阪がハシゲでは多分何ともなりませんね。

貨物輸送の件はコンテナ対応の港の問題も含め、もう涙しか出ません。
情けないです。
しかもこんな問題をどのマスゴミも報道しない、情けない話です。
  1. 2014-10-26 15:22
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  3. 短足おじさん二世 #-
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Re: 満鉄と新幹線

> 私の亡父は戦前満鉄に勤務しておりました。文系でしたから理系の技術者とは接点はなかったと思いますが、理事に島安次郎がおりました。その息子がで新幹線の技師長・島秀雄。
> 満鉄ではご承知の「あじあ号」が弾丸列車として運行しており、これは広軌、日本国内での施設は、広軌は理解が得られなかったと聞きます。
>
> 新幹線の構想は満鉄の中で胚胎し、戦後、鉄道斜陽論にありながら十河国鉄総裁・島秀雄の時代に実を結んだと聞きました。
>
> 言いたかったことは、日本人はコセコセした性分と言われるものの、大陸を見、そこで技術の種を播くと、内地の日本人の蒙を一気に開く事業を成し遂げることです。日本の教育界では「国際化」と騒がれますが、英語の達人の養成よりも大局を見る人物の養成を願いたいと思います。(亡父はそれを子供らに願った様ですが、攘夷派の私は期待に沿えませんでした。若い時分は固定観念はなるべく排すべきでした。)
>
> 話変わって、前回のYS-11に関する考察では、私の愚問に丁寧なお返事を頂戴し、有難うございました。航空産業の一端が分って勉強になりました。米国の影が日本の産業に影を落とす有様は切歯扼腕。


お父上は満鉄で仕事をされていたんですか。貴重なご経験をされましたね。
満鉄は日本の若い人たちが理想を求めて頑張っていた会社、だからやった事は「有るべき姿は何か?」、こんな姿勢で仕事をしていました。
満鉄の人たちはその後シベリアで強制労働させられ、辛酸をなめました。
しかしやった仕事は手抜きをしませんでした。
そのいい例が「ウズベキスタンの首都タシケント市にある国立ナポイ劇場」です。
強制労働でありながら手抜きせず、良いモノを作ろうとした。
だからその後の大地震が有ってもビクともせず、今では日本の素晴らしさのシンボルになっています。

そんな意味で今から始まる「大変動の時代」。
これは若い人だけでなく誰でも頑張ればそれなりのモノが有る、そんな時代になるような気がします。
  1. 2014-10-26 17:52
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  3. 短足おじさん二世 #-
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新幹線についてあと一つだけ

日本人の悪弊の1つは一度、高評価をしたものについてはなかなか再評価をしないということがあります。例えば今の若者について戦前の日本の技術水準はどうだと思うか尋ねるといいでしょう。戦前からに技術立国だったと思い込んでる連中が多いんじゃないでしょうか。

昨日も十河信二と島秀雄の物語をドラマに仕立てていましたが、島秀雄の蒸気機関車についての技術的挑戦はお粗末としか言えないと思っています。彼が評価できるのは動力分散方式を全面的に採用する方向を示したことくらいです。これは加減速に優れるので高密度ダイヤの設定のためにはほとんど必須のはずです。TGVもその方向が見えてきたということでしょう。

戦前の日本の蒸気機関車は昭和初期以後ほとんど技術的発展はなかったと言い切っていいと思います。当時世界最大の技術国は標準機ならアメリカ、狭軌ならば南アフリカだったと言われています。

南ア国鉄では日本では想像もつかないようなモンスターロコが走っていました。小生がこれを知ったのは今から40年以上前のこと、しかし、まともな資料が全くなく南ア国鉄は謎の存在でした。子供の図鑑程度の内容しか日本には伝わってきませんでした。

今から10年ほど前、「蒸気機関車の挑戦」「蒸気機関車の興亡」という本が出ました。齋藤晃という方の著書ですがこの本で、ようやく日本の戦前の技術力というものを知ることが出来ました。はっきり言って全然だめじゃないか、というものです。小生はこの事実は国鉄の技術者たちが故意に伝えなかったものだと今は思ってます。

当時の満鉄あたりの技術にしたって最高水準のアメリカから見れば全て既存のものでした。弾丸列車にしたところでそのひな形になりそうなものはすでにアメリカに存在しました。日本がD50からD51、C54からC57までさして代わり映えしない機関車を作っていた時に南ア国鉄では狭軌のと言うよりは世界の技術水準を超えるようなマレーやガーラット、既存のものでも広軌のものに迫るようなモンスターたちが走ってました。戦後も連中は石油を容易に入手できないという事情もあり蒸気機関車の極限を追求していました。

こういう事実は殆ど知られていません。こういう点に目を瞑るというのは国民的な欠陥だと思ってます。
一面的な礼賛はこのような反省をさせないことにつながるのです。
小生は戦前の歴史を見るときに常にこの視点を持つようにしているつもりです。
  1. 2014-10-26 18:44
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  3. kazk #-
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  1. 2014-10-27 00:56
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Re: 新幹線についてあと一つだけ

> 日本人の悪弊の1つは一度、高評価をしたものについてはなかなか再評価をしないということがあります。例えば今の若者について戦前の日本の技術水準はどうだと思うか尋ねるといいでしょう。戦前からに技術立国だったと思い込んでる連中が多いんじゃないでしょうか。
>
> 昨日も十河信二と島秀雄の物語をドラマに仕立てていましたが、島秀雄の蒸気機関車についての技術的挑戦はお粗末としか言えないと思っています。彼が評価できるのは動力分散方式を全面的に採用する方向を示したことくらいです。これは加減速に優れるので高密度ダイヤの設定のためにはほとんど必須のはずです。TGVもその方向が見えてきたということでしょう。
>
> 戦前の日本の蒸気機関車は昭和初期以後ほとんど技術的発展はなかったと言い切っていいと思います。当時世界最大の技術国は標準機ならアメリカ、狭軌ならば南アフリカだったと言われています。
>
> 南ア国鉄では日本では想像もつかないようなモンスターロコが走っていました。小生がこれを知ったのは今から40年以上前のこと、しかし、まともな資料が全くなく南ア国鉄は謎の存在でした。子供の図鑑程度の内容しか日本には伝わってきませんでした。
>
> 今から10年ほど前、「蒸気機関車の挑戦」「蒸気機関車の興亡」という本が出ました。齋藤晃という方の著書ですがこの本で、ようやく日本の戦前の技術力というものを知ることが出来ました。はっきり言って全然だめじゃないか、というものです。小生はこの事実は国鉄の技術者たちが故意に伝えなかったものだと今は思ってます。
>
> 当時の満鉄あたりの技術にしたって最高水準のアメリカから見れば全て既存のものでした。弾丸列車にしたところでそのひな形になりそうなものはすでにアメリカに存在しました。日本がD50からD51、C54からC57までさして代わり映えしない機関車を作っていた時に南ア国鉄では狭軌のと言うよりは世界の技術水準を超えるようなマレーやガーラット、既存のものでも広軌のものに迫るようなモンスターたちが走ってました。戦後も連中は石油を容易に入手できないという事情もあり蒸気機関車の極限を追求していました。
>
> こういう事実は殆ど知られていません。こういう点に目を瞑るというのは国民的な欠陥だと思ってます。
> 一面的な礼賛はこのような反省をさせないことにつながるのです。
> 小生は戦前の歴史を見るときに常にこの視点を持つようにしているつもりです。


確かにご指摘の通りだと思います。
戦前の日本の鉄道関係者は日本ではいろんなしがらみが有り、これだと言う有るべき姿が実現できない。
だからその夢を満州に求めたのでしょう。
満鉄がその尖兵だったという事ですね。
先のコメントにも書きましたが、そんな厄介な問題がつい最近の新幹線の滋賀県内新駅中止事件。
恐らく何十年もたってから滋賀県民はその誤りの大きさに驚愕すると思います。
何せ多額のカネをかけて用地買収も済ませ、工事が始まっていた所でのドタキャン。
私はコレでリニアは滋賀京都に来る日は永遠に無くなったとみています。

それから、ご指摘の「国民的欠陥」の話。
私はこの問題こそ日本人の真剣に取り組むべき問題と思っています。
原因の大きな部分がマスゴミにあるのは論を待ちませんが、そんな事を言っていても埒があかない。
日本人一人一人が自分の持ち場立場で声を上げ、行動に移すべきなんだと思います。

世界の物流がコンテナ化に大きく舵を切った時、日本は見事に乗り遅れました。
鉄道と同じで、これから百年苦しむのでしょう。
蟷螂の斧であろうとも立ち上がらねばと思っています。
  1. 2014-10-27 10:23
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  3. 短足おじさん二世 #-
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日本は2000年を過ぎて、いよいよ本物になって来つつあるの件

全く同感です。
それにしても今年になってからの変化のスピード、本当にすごいですね。
日本に巣食う親中韓勢力の炙り出しがいよいよ佳境に入り、自民党の中の反日勢力まで炙り出されてきました。

今年もあと2ヶ月ですが、まだまだ一波乱二波乱有りそうです。
  1. 2014-10-27 10:30
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  3. 短足おじさん二世 #-
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エントリーの一覧表示

イザブログのときからのファンです。

貴ブログと同じテンプレートを使うブログの中では、字がはっきりして読みやすいです。
これも管理人様のテンプレート改造のおかげです。

ただ、残念なことは、イザで出来たエントリーの一覧表示が無いことです。
過去エントリーを探したいのですが、ブログ内検索は約に立ちません。

秀作揃いのエントリーにたどり着くために一覧表示が有って、管理人様お得意の改造が出来るテンプレートは無いものでしょうか。(ヤフーやアメーバなど、一覧表示は当たり前に出来るだけに不思議です)

失礼ではありますがご検討いただければ幸いです。
  1. 2014-10-27 21:25
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  3. 胴長人 #-
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Re: エントリーの一覧表示

> イザブログのときからのファンです。
>
> 貴ブログと同じテンプレートを使うブログの中では、字がはっきりして読みやすいです。
> これも管理人様のテンプレート改造のおかげです。
>
> ただ、残念なことは、イザで出来たエントリーの一覧表示が無いことです。
> 過去エントリーを探したいのですが、ブログ内検索は約に立ちません。
>
> 秀作揃いのエントリーにたどり着くために一覧表示が有って、管理人様お得意の改造が出来るテンプレートは無いものでしょうか。(ヤフーやアメーバなど、一覧表示は当たり前に出来るだけに不思議です)
>
> 失礼ではありますがご検討いただければ幸いです。


お久しぶりです。コメント有難うございます。
ご指摘の件、確かに仰る通り不便です。
実はテンプレートの改造をしていた時から次の課題とは思っていたのですが、結構難しい改造が必要なので手を付けずにいました。
でもブログ内検索はどうも機能が弱いようで不便。
今改めて見直してみて、矢張り改造するしか方法が無いと思い当たった次第。

何とか一覧表が出来るように改造に取り組んでみますが、何せアナログ人間のやること、時間がかかります。
今しばらくご猶予を。
  1. 2014-10-28 09:57
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  3. 短足おじさん二世 #-
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Re: Re:エントリーの一覧表示

管理人様
ご回答ありがとうございます。

>今改めて見直してみて、矢張り改造するしか方法が無いと思い当たった次第。

面倒な作業を押し付けたようで、大変恐縮しております。
一覧表の後付まで改造できるとは知りませんでした。
管理人様のご負担にならぬよう念じながら、期待しております。

話は変わりますが、管理人様の鉄道シリーズはいつも楽しみにしています。
これからもよろしくお願いします。
  1. 2014-10-28 18:11
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  3. 胴長人 #-
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シンプルだからこそ。

こんばんわ。

半世紀ですか、もう歴史に刻むような年月が経ったのですね。
新幹線を構成する技術要素は多々あり、輸送機関である以上、速度に着目する人が多いのですが、私としては仕事柄か信号システム(CTC)こそ新幹線を守ってきた要だと思うのです。
コンピューターなど一般的ではなかった当時、継電器(リレー)とスイッチ類といった単純な部品の組み合せだけで、運転指令所に全ての信号を集め、複雑な論理判断をこなしています。
制御システムの鑑というか、ローテクも捨てたものではないというか、ハイテクって一体何だろうと考えさせられます。
また当時の開発者が現在の超過密ダイヤを見たら、仰天するだろうなぁ等とも。

計画の当初には、東海道本線が増え続ける需要を捌ききれなくなることが予想され、全線を複々線にするか高速新線を作るかが検討され、後者が選択され戦前の弾丸列車計画が再浮上して、結果的に東海道山陽新幹線になったような次第で、最初から高速鉄道を目的にした計画ではなかったようです。
そのような事情ですから、都市部で在来線を使うことは、最初からダイヤの制約になり、当初の目的を満たしませんし、運転密度が低ければ採算も取れません。

また運転密度が高い都市部では、車両価格が安い直流電化が採用されますが、新幹線は消費電力の大きさから交流電化になっています。そして0系の低圧タップ制御、100系,200系,400系のサイリスタ位相制御と、交流電化に特化した制御方式が採用されています。

在来線の技術から一線を画したことで、シンプルで信頼性の高いシステムになったと思います。
言葉で書くのは簡単ですが、全てを新製しなければ実験も行えないのですから、短期間に大変な努力をされたことと思います。

上で触れている岐阜羽島駅について一言。
関ヶ原の雪対策のために、名古屋-米原間にどうしても待避用の駅が一箇所必要になります。そして揖斐川,長良川の橋梁の関係で西には行けず、南に行くほど地盤が軟弱で難工事が予想されました。そうした技術的に問題から、一見遠回りのようですが、現在の位置に決まりました。
後に総工費で政治問題になった時に、説明が難しいことから大野伴睦先生が全ての責任を被ったのが真相です。
待避用の駅ですから、本線に加え待避線(乗降ホーム)が2本と、新幹線の他の駅では見られない線路配置になっています。

北陸新幹線(長野行き新幹線)の裏目的。
0系,100系を使っていた東海道新幹線の速度アップの為に新技術、インバーター制御を使った新車両を開発したい、しかし分割民営化直後でJR東海にそれだけの開発費は無い。
そこでオリンピック招致に合わせて長野行き新幹線を計画し、碓氷峠の急勾配に対応する新車両の開発費を捻出し、それ転用して一足先に実用化したのが 300系「のぞみ」です。

この政治決断があったからこそ、現在の新幹線車両の礎が出来ました。
インバーター制御を物にしたため、軽量化,省エネルギー,整備性向上などと共に各種運転目的に対してプログラムを変えるだけ柔軟に対応できるようになりました。N700系に合わせて 700系の加速特性を向上したのは最近の話ですね。
整備の簡素化を図った 700系は台湾へ輸出され、曲線通過性を向上した 800系はご本家イギリスへの上陸を果たしたのですから、投資としては無駄ではなかったと思いますよ。
  1. 2014-10-29 00:18
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  3. fcq821 #/lkjinTE
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Re: Re: Re:エントリーの一覧表示

> 管理人様
> ご回答ありがとうございます。
>
> >今改めて見直してみて、矢張り改造するしか方法が無いと思い当たった次第。
>
> 面倒な作業を押し付けたようで、大変恐縮しております。
> 一覧表の後付まで改造できるとは知りませんでした。
> 管理人様のご負担にならぬよう念じながら、期待しております。
>
> 話は変わりますが、管理人様の鉄道シリーズはいつも楽しみにしています。
> これからもよろしくお願いします。


まあ私自身が気になっている事ですからね。
ただ何せアナログ人間には分からない事ばかり、ボチボチやっていきます。
今しばらくお待ちください。
  1. 2014-10-29 15:38
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  3. 短足おじさん二世 #-
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Re: シンプルだからこそ。

> こんばんわ。
>
> 半世紀ですか、もう歴史に刻むような年月が経ったのですね。
> 新幹線を構成する技術要素は多々あり、輸送機関である以上、速度に着目する人が多いのですが、私としては仕事柄か信号システム(CTC)こそ新幹線を守ってきた要だと思うのです。
> コンピューターなど一般的ではなかった当時、継電器(リレー)とスイッチ類といった単純な部品の組み合せだけで、運転指令所に全ての信号を集め、複雑な論理判断をこなしています。
> 制御システムの鑑というか、ローテクも捨てたものではないというか、ハイテクって一体何だろうと考えさせられます。
> また当時の開発者が現在の超過密ダイヤを見たら、仰天するだろうなぁ等とも。
>
> 計画の当初には、東海道本線が増え続ける需要を捌ききれなくなることが予想され、全線を複々線にするか高速新線を作るかが検討され、後者が選択され戦前の弾丸列車計画が再浮上して、結果的に東海道山陽新幹線になったような次第で、最初から高速鉄道を目的にした計画ではなかったようです。
> そのような事情ですから、都市部で在来線を使うことは、最初からダイヤの制約になり、当初の目的を満たしませんし、運転密度が低ければ採算も取れません。
>
> また運転密度が高い都市部では、車両価格が安い直流電化が採用されますが、新幹線は消費電力の大きさから交流電化になっています。そして0系の低圧タップ制御、100系,200系,400系のサイリスタ位相制御と、交流電化に特化した制御方式が採用されています。
>
> 在来線の技術から一線を画したことで、シンプルで信頼性の高いシステムになったと思います。
> 言葉で書くのは簡単ですが、全てを新製しなければ実験も行えないのですから、短期間に大変な努力をされたことと思います。
>
> 上で触れている岐阜羽島駅について一言。
> 関ヶ原の雪対策のために、名古屋-米原間にどうしても待避用の駅が一箇所必要になります。そして揖斐川,長良川の橋梁の関係で西には行けず、南に行くほど地盤が軟弱で難工事が予想されました。そうした技術的に問題から、一見遠回りのようですが、現在の位置に決まりました。
> 後に総工費で政治問題になった時に、説明が難しいことから大野伴睦先生が全ての責任を被ったのが真相です。
> 待避用の駅ですから、本線に加え待避線(乗降ホーム)が2本と、新幹線の他の駅では見られない線路配置になっています。
>
> 北陸新幹線(長野行き新幹線)の裏目的。
> 0系,100系を使っていた東海道新幹線の速度アップの為に新技術、インバーター制御を使った新車両を開発したい、しかし分割民営化直後でJR東海にそれだけの開発費は無い。
> そこでオリンピック招致に合わせて長野行き新幹線を計画し、碓氷峠の急勾配に対応する新車両の開発費を捻出し、それ転用して一足先に実用化したのが 300系「のぞみ」です。
>
> この政治決断があったからこそ、現在の新幹線車両の礎が出来ました。
> インバーター制御を物にしたため、軽量化,省エネルギー,整備性向上などと共に各種運転目的に対してプログラムを変えるだけ柔軟に対応できるようになりました。N700系に合わせて 700系の加速特性を向上したのは最近の話ですね。
> 整備の簡素化を図った 700系は台湾へ輸出され、曲線通過性を向上した 800系はご本家イギリスへの上陸を果たしたのですから、投資としては無駄ではなかったと思いますよ。


随分お詳しいですね。良く分かりました。有難うございます。
岐阜羽島方式はその後の南びわ湖駅(オバサン知事に殺された駅)等でも採用しようとした方式ですね。

そしてこんな事を学ばない中国の高速鉄道はダイヤの自由度が極端に小さい。
各駅停車の列車などはチドリ停車方式しか成り立たないですから、利便性は無茶苦茶らしいと聞きました。

矢張り新幹線は全体のシステムで売るのが一番でしょうね。
  1. 2014-10-29 16:01
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  3. 短足おじさん二世 #-
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