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2018-05-30 15:58

プロイセン人(ドイツ人)の見た幕末の日本<追記あり


 5月28日のエントリー「元中国人から見た中国 BY 石平氏」でシンクタンク日本政策研究センターの情報誌「明日への選択」5月号の記事を紹介したのだが、同じ情報誌に他にも興味深い記事が有るので紹介したい。
日本が開国以来西欧諸国が通商条約を締結するため日本にやって来るが、その中の一員の軍艦の艦長に日本記である。

実は私もこのラインホルト・ヴェルナーについては全く知らなかった。しかしこの書評を読んでみると大変興味深い。

2018-5-30外国人が見た日本ラインホルト・ヴェルナー 
エルベ号艦長幕末記  1990/7

なお Reinhold von Werner のwikiは下記ですが、日本に関する記述は有りません。
https://en.wikipedia.org/wiki/Reinhold_von_Werner


<以下「明日への提言」より引用>
2018-5-30外国人が見た日本 
原典で読む
外国人が見た日本
  高橋知明 瀬田玉川神社禰宜

第二十一回 ラインホルト・ヴェルナー『エルベ号艦長幕末記』(上)

「至る所に書店がある。さらにすべての古書店に民衆
が好んで買い求め愛読する古書が山積されている」

 今回ご紹介する人物は、一八六〇年から一八六二年にかけて日本を訪れた、プロイセンのオイレンブルク伯使節団の一員で、使節団を運んできたエルベ号の艦長・海軍将校のラインホルト・ヴェルナー(一八二五-一九〇九)です。
 エルベ号が来日したのは、桜田門外の変が起った万延元年(一八六〇)のこと。その二年前に日米が通商条約を締結したのを皮切りに、英、仏など五力国が次々と通商条約を締結する中、当時まだ統一国家になっていなかったドイツにおいて、日本との通商を望む声が高まります。特に有力国のプロイセンは、プロイセン国王とドイツ関税同盟の代理者として、通商締結を目的とした使節団を日本に派遣します。オイレンブルク伯は、幕府との会談を重ね、ついに一八六一年、条約の締結に成功しましたが、その内容はドイツ関税同盟・ハンザ同盟加盟都市などを含めたドイツ全体との条約締結ではなく、プロイセン一国との通商条約の成立という、当初の意図とは違う成果でした。もっともこの数年後には明治維新となり、ドイツ帝国も成立し、日独関係は緊密になって行きます。
 さて、ヴェルナーは、約二年間というわずかな滞在期間に、当時の日本の政治、経済、文化、風俗などを総合的に観察し、多くのことを絶賛しています。ただし、一方では僧侶やお歯黒、女性の化粧などに対しては低評価を下すなど、率直な見方をしています。そして、その観察眼と表現力は、以前紹介したオリファントと同様に、まるでスパイかと思わせるほど、日本をよく見ています。
               
 いったい、日本をどう見たのでしょうか。先ず彼が驚嘆したことは、日本人の各層に至るまでの識字率の高さです。
 「日本では、召使い女がたがいに親しい友達に手紙を書くために、余暇を利用し、ぼろをまとった肉体労働者でも、読み書きができることでわれわれを驚かす。民衆教育についてわれわれが観察したところによれば、読み書きが全然できない文盲は全体のIパーセントにすぎない。世界の他のどこの国が、自国についてこのようなことを主張できようか」
 上流階級はもちろん、庶民に至るまで読み書きができることは、世界水準を大きく上回っていたことがわかります。
 どうしてこんなことが成し得たのでしょうか。一つには日本人が好奇心旺盛で、知識を得るためにはなりふりかまわず貪欲であると彼は捉えています。
 「日本の学問それ自体は、中国よりもずっと高い水準にある。日本人は発展途上の文化的民族であり、隣国の中国人よりもすぐれた偉大な精神的特質を備えている。日本人はおのれ自身を過大評価することなく、自分を地球上で唯一の教養ある民族であるとみなす笑うべき尊大さをもっていない。その逆に、日本人は喜んでヨーロッパ人の優越性を認識し、ひるむことなくヨーロッパ人を師とあおぎ、彼らの行動や書籍から、おのれ自身が知らないことを習得しようとつとめている。そのさい日本人の異常なほどの模倣能力がきわめて役立っている。しかもこの能力は、中国におけるように、機械的、形式的なものに制限されず、理念や精神の理解にまで及んでいる。
 日本人の好奇心は異常に強い。そして猪疑心の強い幕府の出先機関によってたち聞きされる心配のないときには、彼らは外国人に質問することによって、あらゆる方式でおのれの知識の蓄積をふやしていこうとつとめている」
 こうした日本人の性格は、町にこんなものを溢れさせます。
 「至る所に書店がある。さらにすべての古書店に民衆が好んで買い求め愛読する古書が山積されている」
 そして、陳列される本の内容も、観察能力の高さが窺えるものが多くありました。
 「技術的、自然科学的内容のものが多かった。たとえば遠征隊に加わった農業関係者は、一八冊に及ぶ四つ折り判の農業技術百科全書を入手したが、これにはすばらしく精巧につくられた数千枚の木版画が文中に印刷されていた。これらの木版画は、あまりにも微細忠実に描かれているので、日本語に通じない者にも実に内容が豊富で、きめのこまかい文章の意味をさとらせてくれる。わたし自身は、日本近海に出没する海魚の図版と記述を含む三巻本の自然誌を所有している。素描はきわめて正確であり、銅版画の彩色もあまりに自然なので、これがどの魚だということがすぐわかる」
               
 さらに彼は、日本人は海外から輸入されたものを、精巧に模倣するだけでなく、それに工夫を加え、さらに素晴らしい作品に仕上げる能力があると称賛しています。
 「磁器はすこぶるすばらしい。中国の磁器にくらべると優雅で透きとおるような美しさをもっており、同時に強度も大変優れている」「日本のデザインは、一から十まで独創的で魅力に富み、絶妙な美しさと繊細さの点では日本が誇る漆器と一脈相通ずるものがある。なかでも、特にわたしの心をとらえたのは、すぐれた熟練作業によってつくり出される豪奢な絵模様が独創的なアンバランスーこのような表現が許されるなら1を示していることである。たとえば、座卓、たんす、衣装箱などでは、絵柄はけっして左右対称でもないし、中央部に描かれてもいないが、このようなアンバランスはたとえようもない魅力をかもしだしている」
 「われわれヨーロッパ人がどうあがいても足もとにも及ばない螺釦木工細工も同様である。わたしは寄せ木細工のたんすを所有しているが、模様ひとつとっても、どれも似ているものはなく、変化に富んでいる」
 日本の磁器や螺釧細工は発祥地を逞かに凌ぐほど高度に洗練されている。このようにみたヴェルナーは、こう予見します。
 「数々のヨーロッパ製品に対し、日本国内からいずれ強敵が出現するのは目に見えている。日本民族の器用さと模倣の才能は、確実にこのことを予想させる。日本市場をあらん限りのヨーロッパ製品で埋めつくすことができるなどとは夢々考えてはならない」と。

<引用終り>


この本の著者ヴェルナーについては、日本ではほとんど知られていないが、名前(vonがつく)などから見ても当時の貴族階級だったと思われる。

そんな意味でこの引用文の最終の所、『数々のヨーロッパ製品に対し、日本国内からいずれ強敵が出現するのは目に見えている。日本民族の器用さと模倣の才能は、確実にこのことを予想させる。日本市場をあらん限りのヨーロッパ製品で埋めつくすことができるなどとは夢々考えてはならない』、このことは現在のドイツの日本に対する見方の原点と言えるかもしれない。


*追記します
よもぎねこさんから木版画のことについて指摘があり、色々回答したのだが、そんな中でこのプロイセンの使節は当時最先端のリトグラフのプレス機械を幕府への手土産に持ってきていた事が分かった。
リトグラフ(石版画)は多色刷りの当時最先端技術。多分プロイセン使節は最先端技術の多色刷り印刷を自慢したかったと思われるが、日本には浮世絵の技術が有った。大いに驚いたのであろう。尚この当時、浮世絵は漆器や陶磁器の包み紙としてヨーロッパにも伝わっていた時期だが、どちらが後か先かは分からない。(プロイセン使節は多分知らなかった・・・)

ではプロイセン使節のリトグラフの件について女子美術大学の版画の歴史ページから

http://www.joshibi.net/hanga/history/1800.html#lithograph
<以下抜粋引用>
19世紀末、リトグラフ芸術はそれまでほとんど利用されなかった色彩版画によって飛躍的な発展を遂げました。

日本におけるリトグラフの始まりは1860年のことで、プロシャ使節が幕府に石版機械一式を贈り、ドレスデン生まれの画家ハイネが随員として同行しました。石版石に将軍家の葵の紋章を描いて引き渡した為、公式文書に『御紋押型』(紋の印刷機)として書き残されています。しかし、そのプレス機を動かせる日本人がいなかった為に、新型機械が動き出すのは遅く明治に入ってからのことになります。
<引用終り>

尚日本の浮世絵が多色刷りですが、これを可能にしたのが毎回きちんと位置を合わせる「見当」という技法の確立、そして多数回摺りに耐える高品質な紙の存在があります。
まあいずれにしても最新印刷技術を自慢しに機械を持ってきたプロイセン使節。日本では木版画で多色刷りがごく当たり前にやられていることに驚いたと思います。


  1. 幕末
  2. TB(0)
  3. CM(8)

2018-05-28 15:02

元中国人から見た中国 BY 石平氏


 評論家の石平氏のインタビュー記事がシンクタンク日本政策研究センターの情報誌「明日への選択」5月号に載っている。
インタビューの趣旨は石平氏の著書「なぜ日本だけが中国の呪縛から逃れられたのか」が最近刊行されたので、それに関するもの。
私もこの著書は読んでいるが、日本の仏教に関して、空海・最澄・法然・親鸞などは良く調べて書いてあるが、なぜか道元がない。石平氏の他の対談記事では道元はむずかしい、そんな事が書いてあるので、この著作は面白いものの話題にしにくいと思っていた。
道元は曹洞宗を開いたが、曹洞宗を含む禅宗は武家社会に多く受け入れられ、武士道の根幹をなす思想なので、道元を抜いて思想史を語るのか片手落ち。そう思っている。

石平氏の最新著書
2018-5-27なぜ日本だけが中国の呪縛から逃れられたのか 

シンクタンク日本政策研究センターの情報誌
2018-5-27明日への選択5月号 


 しかし情報誌「あすへの選択」のインタビュー記事は『元中国人から見た中国』、こんな視点で見ると実に面白い。日本の思想史とは別に、元中国人から見た中国の考え方と日本の対応策、こんな事が実に良く分かる。
そこで思想史の部分を除外し、中国に関する部分を抜粋し考えてみたい。
尚このインタビュー記事は大変面白いので末尾に全文を引用しておきます。


<以下上掲情報誌より抜粋引用>
 
編集部ーー根つ子になる精神のところでは独立していたということですね。

 石 それは、今日的意味があるんです。
 習近平は「中華民族の偉大なる復興」というスローガンを掲げ、「中華秩序」を復興させようとしています。復興とは、いつの時代に復興するのかというと、アヘン戦争以前の清朝最盛期の時代です。中国は近代になって、中国を中心とする天下の秩序を西洋列強と日本に潰された、あるいは奪われたと考えていて、その失ったものを取り戻したい。その中には尖閣・沖縄も含まれます。だからこそ、どんどん出てくるわけです。もちろん、そんな勝手な主張を日本が認めることはあり得ない。
 また、天下を取り戻すというからには当然、「天子」が必要です。だから、習近平は天子すなわち「皇帝」にならざるを得ない。現に、中国国内では習近平を全知全能の偉大なる指導者として「神格化」する動きが広がっていて、まるで毛沢東が文化大革命をやった時のように、老人にも幼児にも礼賛させています。人民日報に至っては「習近平思想が世界を指導すべきだ」とまで主張しています。「そんなこと誰も頼んでないよ」と言いたい。
 ただ、中華秩序を取り戻すということは、アメリカが主導する世界秩序や価値観でさえ潰さなければならないということだから、習近平の中国は、軍事、経済、外交、文化、あらゆる面で「力」を持とうとしているのは事実です。それに対抗するためには、日本にも強固な国防体制や外交戦略が必要ですが、それと同時に、やっぱり精神の独立が必要だと思うんです。

 天命思想・中華思想

ーー その精神の独立のプロセスというものを、少し紹介して下さい。
・・・中略
その特色(注:中華思想の中核を占める儒教のこと)は二つあって、一つは天命思想、もう一つは中華思想です。
 天命思想とは、天が森羅万象の主ではあるけれども、人間世界を直接支配しないで、代理人に命じて統治させる。その代理人が天子すなわち皇帝です。しかも、皇帝の一族は代々その地位を受け継ぐことができる、という考え方です。
 なぜそういう考え方が必要だったかというと、王朝に権威をもたせるためです。漢王朝の皇帝は、日本の天皇とは違い、神話とは何の関係もない。だいたい漢を創ったのは劉邦というならず者ですからね(笑い)。

ーー もう一つの中華思想とは。

 石 これは対外侵略を正当化するための理論です。
 武帝は中国の国内を安定化させた後、全面的に侵略戦争を始めます。ベトナムを占領し、朝鮮半島の大半を占領し、アジアの多くの地域を占領して版図を広げた。中華とは地球上の限られた一地域ではなく、天下すなわち世界そのものです。また、天命を受けて天下を治める天子は、天下というものを無限に拡大できる天下には境界線は無い。だから、中華が行う侵略は侵略ではない
 さらに、天子は世界のすべての地域を支配すべき存在だから、天子としての皇帝は、自らの徳をもって周辺諸民族を教化して文明に導く大いなる使命を背負っている。だから侵略された方は、天子様が来たらむしろ喜んで受け入れないといけない

ーー なんとも迷惑な話ですが、中国では王朝が何度も交替していますよね。

 石 皇帝の失政によって天下が乱れた結果、誰かが反乱を起こして前の王朝を潰し、新しい王立てる。それが易姓革命で、これも天命思想の一種です。
 例えば、天が代理人として指名した劉一族が堕落して徳を失えば、天が別の代理人を指名する。現実には、天が指名するのではなく、実力で劉一族の天下を覆して天下を取った者が、「俺が天から指名された新しい天子だ」と名乗る。中国の歴史は延々とその繰り返しです。
・・・以下略・・・
<抜粋引用ここまで>


 最初に中国はアヘン戦争以来、西欧・日本に潰された、あるいは奪われたと考えていて、その失ったものを取り返したい。その中に尖閣・沖縄も入っている。こんなくだりです。
こう見てくると中国が尖閣に執拗に侵入を繰り返すのも、沖縄に傀儡知事を擁立し、何とか沖縄を独立させ、その次は併合を狙っているのも良く分かります。


沖縄問題に関しては、例えば以下のブログ
 「国内に植民地を持つ国  2018-02-08 16:40」

此処にこんな事を書きました。

今発売中の雑誌「WiLL3月号」(p252-259)に「沖縄・尖閣を守る実行委員会代表の恵隆之介さん」が興味深いことを書いている。題して『沖縄の天王山 名護市長選! 稲嶺市長「沖縄は中国にあげたらいい」!』。(注:稲嶺は本当にこう言ったそうです)
(良かったですね恵さん、選挙には勝ちました。シナの走狗稲嶺をやっつけましたね)

ここにこんな事が書いてある(p253-254)
>一方、中国人民解放軍の工作機関である国際友好連絡会(友連会)は、沖縄で公然と活動している。最近は、中国人観光客を送り出すことを目玉に沖縄財界への浸透を図っている
 昨年六月にも上海を訪問した識者に対し、友連会幹部のR中将が中国人観光客の派遣増を表明しながら、交換条件として沖縄米軍基地の撤去を目指すよう発言しているのだ。
 中国は、さらに沖縄への出国ビザは富裕層に限定している。このため県民の対中国観は現実以上に期待値が高い
・・・以下略・・・

更に沖縄問題に関しては青山繁晴さんがこんな話。
青山さんは5月初めに訪米し、テキサス州の田舎にある太平洋戦争博物館を訪問。そこでこんな事を言っています。

<以下ぼやきくっくりさんより引用>
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid2179.html
「Japan&China」の展示で、琉球処分について「日本は中国から沖縄を奪った(seize)」と書いてあった。
 僕は1年前に、沖縄が中国の一部だった歴史はありませんから、日本が奪うのは不可能だとカバノ館長に言った。
 そしたら「from China」を削除しただけで、どこからかは知らないが「奪った(seize)」という表現はそのまま。
 これは「併合」という意味ですと、こないだ(3月)館長が議員会館に来られた時に言った。
 そしたら書き換えますと言われて、僕がこのゴールデンウィークに現地に行くまでには間に合わないだろうと思ったら、展示を全部書き換えてくれていた。
<引用終り>


この太平洋戦争博物館での問題は単なる誤記では無く、中国から多額の寄付を受け、その意向で書いたもの。
中国の沖縄侵攻作戦はこんな所までじわじわ来ているという事です。


もう一つの中華思想の問題。
石平さんのこの発言に私も永年の疑問が解けた。
「中華とは地球上の限られた一地域ではなく、天下すなわち世界そのものです。また、天命を受けて天下を治める天子は、天下というものを無限に拡大できる天下には境界線は無い。だから、中華が行う侵略は侵略ではない
 さらに、天子は世界のすべての地域を支配すべき存在だから、天子としての皇帝は、自らの徳をもって周辺諸民族を教化して文明に導く大いなる使命を背負っている。だから侵略された方は、天子様が来たらむしろ喜んで受け入れないといけない」

この考え方は私もそこまではと思っていた。しかし中国のやっていることはまさにその通り。
今ではアフリカにまでチャイナタウンがどんどん出来ている。ある程度人口が増えたらそこも中国だと言い出すだろう。
実に中国とは恐ろしい国という事ですね。



最後に石平氏の文章全文を紹介します。

<以下全文引用>

 明日への選択 5月号(平成30年)
インタビュー
日本はなぜ「脱中華」に成功したのか
               石平
サブタイトル
 われわれは決して中華世界の一部ではない。われわれはもう千四百年も前から「脱中華」を意識し、それに成功してきた

2018-5-27石平0 
日本人の凄いところは、天命思想を受け入れなかったことです。天皇は天照大御神の子孫だから、天命を受ける必要がない。天皇を中心とする国体の確立によって、どんなに歴史の変化があっても、天皇に取って代わる不遜な輩が出て来ないことになったんです。

<以下本文です>

 いまや中国は軍事的にも経済的にも世界的な影響力を持つに至っているが、そうした中で日本が独立を維持して行くためには何か必要か。
 その問題を考える中で評論家の石平氏が最近上梓された『なぜ日本だけが中国の呪縛から逃れられたのか』(PHP新書)を読んだ。この本は日本思想史にフォーカスしたものだが、対中国ということを考える上で、意外に見落とされている精神や思想の在り方を考えさせられる。 そこで、執筆に至った経緯や独自の視点で見た日本思想の歴史を語っていただいた。


 誰も答えてくれない二つの疑問

 石(石平氏、以下同じ) 私はもともと日本思想史の専門家でもなんでもないんですけれども、中国から日本に来て、日本の思想にも関心があり、いろいろな本を読んできました。
 しかし、日本の歴史学者や思想家が書いているものを読むと、日本がいかに中国から影響を受けたかということばかり強調している。確かに、日本は昔から、儒教にしても、仏教にしても、あるいは漢字にしても、いろいろな形で中国の影響を受けてきたことは事実です。ならば思考パターンも少しは似ているはずだけれども、元中国人の私が、日本で生活してみますと、日本人の基本的な考え方や行動パターンは中国人とまるで違う。むしろ精神においては、日本人ほど中国と遠い民族はない。
 中国人は物事を利害・打算で考えます。目的のためにはどんな汚い手を使っても平気。倫理・道徳が大切だと声高に言い、腐敗はいけないと聖人君子みたいに言うけれども、中国共産党の幹部が腐敗摘発で捕まったらどうですか。汚職額は何百億元、愛人は十何人も囲っている。もう誰よりも汚い(笑い)。結局、倫理・道徳もなければ清廉潔白でもないからこそ、うるさいほど言うわけです。
 それに対して、日本人の心の根本にあるのは一種の美学と言いますか、「卑怯なことはしたくない」という潔さ。神社の境内に入った時に感じる、あのさっぱりとした感じと言ってもいい。しかも、道徳や倫理を中国人みたいにうるさく言わない。
 いったい、影響を受けているのに、こんなに違うのはどうしたことか。その理由を知りたいと思って様々な文献を読み漁りました。しかし、どこにもその答えは書いていない。日本の学者先生は、その問題意識すらないと思われます。
 だったら、もう自分で疑問を解くしかないということで、日本の思想史を読み直したわけです。

ーー(編集部、以下同じ) 読み直してどうでしたか。

 石 よく分かったのは、日本人は遠い昔から中華的なものを学んできたけれども、日本の精神や思想の形成史はむしろ一貫して、いかにして中国の影響から脱出して独自のものを作っていくかというプロセスなのです。
 私のもう一つの疑問は、江戸時代以前は、日本の代表的な思想家はほとんど仏教の世界の人間であるのに対して、江戸時代以降の代表的な思想家は儒学者ばかりなのはどうしてかというものでした。それも思想史を読み直す中で分かってきました。一言でいえば、「脱中華」です。

ーー 根つ子になる精神のところでは独立していたということですね。

 石 それは、今日的意味があるんです。
 習近平は「中華民族の偉大なる復興」というスローガンを掲げ、「中華秩序」を復興させようとしています。復興とは、いつの時代に復興するのかというと、アヘン戦争以前の清朝最盛期の時代です。中国は近代になって、中国を中心とする天下の秩序を西洋列強と日本に潰された、あるいは奪われたと考えていて、その失ったものを取り戻したい。その中には尖閣・沖縄も含まれます。だからこそ、どんどん出てくるわけです。もちろん、そんな勝手な主張を日本が認めることはあり得ない。
 また、天下を取り戻すというからには当然、「天子」が必要です。だから、習近平は天子すなわち「皇帝」にならざるを得ない。現に、中国国内では習近平を全知全能の偉大なる指導者として「神格化」する動きが広がっていて、まるで毛沢東が文化大革命をやった時のように、老人にも幼児にも礼賛させています。人民日報に至っては「習近平思想が世界を指導すべきだ」とまで主張しています。「そんなこと誰も頼んでないよ」と言いたい。
 ただ、中華秩序を取り戻すということは、アメリカが主導する世界秩序や価値観でさえ潰さなければならないということだから、習近平の中国は、軍事、経済、外交、文化、あらゆる面で「力」を持とうとしているのは事実です。それに対抗するためには、日本にも強固な国防体制や外交戦略が必要ですが、それと同時に、やっぱり精神の独立が必要だと思うんです。

 天命思想・中華思想

ーー その精神の独立のプロセスというものを、少し紹介して下さい。

 石 話の順序として、中華思想の中核を占める儒教について、まず説明しておきます。
 儒教といえば、日本人は『論語』をイメージするかもしれませんが、『論語』は孔子が人生の大事について語った貴重な談話の数々を弟子が書き留めたものです。思想体系というわけではないんですよ。思想体系としての儒教が成立したのは、前漢の七代皇帝・武帝の時代(紀元前一世紀前後)です。武帝は政治権力を正当化する「御用思想」として、儒教を国教的なイデオロギーに祭り上げます。その特色は二つあって、一つは天命思想、もう一つは中華思想です。
 天命思想とは、天が森羅万象の主ではあるけれども、人間世界を直接支配しないで、代理人に命じて統治させる。その代理人が天子すなわち皇帝です。しかも、皇帝の一族は代々その地位を受け継ぐことができる、という考え方です。
 なぜそういう考え方が必要だったかというと、王朝に権威をもたせるためです。漢王朝の皇帝は、日本の天皇とは違い、神話とは何の関係もない。だいたい漢を創ったのは劉邦というならず者ですからね(笑い)。

ーー もう一つの中華思想とは。

 石 これは対外侵略を正当化するための理論です。
 武帝は中国の国内を安定化させた後、全面的に侵略戦争を始めます。ベトナムを占領し、朝鮮半島の大半を占領し、アジアの多くの地域を占領して版図を広げた。中華とは地球上の限られた一地域ではなく、天下すなわち世界そのものです。また、天命を受けて天下を治める天子は、天下というものを無限に拡大できる。天下には境界線は無い。だから、中華が行う侵略は侵略ではない。
 さらに、天子は世界のすべての地域を支配すべき存在だから、天子としての皇帝は、自らの徳をもって周辺諸民族を教化して文明に導く大いなる使命を背負っている。だから侵略された方は、天子様が来たらむしろ喜んで受け入れないといけない。

ーー なんとも迷惑な話ですが、中国では王朝が何度も交替していますよね。

 石 皇帝の失政によって天下が乱れた結果、誰かが反乱を起こして前の王朝を潰し、新しい王立てる。それが易姓革命で、これも天命思想の一種です。
 例えば、天が代理人として指名した劉一族が堕落して徳を失えば、天が別の代理人を指名する。現実には、天が指名するのではなく、実力で劉一族の天下を覆して天下を取った者が、「俺が天から指名された新しい天子だ」と名乗る。中国の歴史は延々とその繰り返しです。

 日本は最初から「脱中華」だった

ーー そんな危うい思想が、古代の日本に、仏教とだいたい同時期に入ってきたわけですね。

 石 そうなんです。その時日本人はどう対処したか。儒教と仏教に対する態度の違いは、なかなか興味深いんですよ。
 日本人は儒教に対して、江戸時代までは冷淡でした。全面的に受け入れたわけでも、国家的なイデオロギーにしたわけでもない。だから例えば、科挙の制度は取り入れなかった。律令制度という中央集権システムは、隋・唐の軍事的脅威に対処するために取り入れたけれども、脅威がなくなった後はそれも形骸化して行く。要するに、距離を置いて適当に学んだんです。
 一方、仏教は全面的に受け入れました。飛鳥時代、聖徳太子は四天王寺、法隆寺を建立し、『三経義疏』など仏教経典の注釈書を自ら著すほどで、国家的プロジェクトとして仏教振興政策を強力に進めました。奈良時代には、聖武天皇が東大寺を建立し、世界一の大仏を造るほどのエネルギーを注ぎ込みました。それで日本は一気に仏教国家になった。

ーー それほど対応に差があったのはどうしてですか。

 石 結局、中華に対するスタンスからだと思います。儒教の世界観においては、あくまでも中国が中心です。もし儒教を全面的に受け入れていたら、中国の精神的な属国になって、日本は李氏朝鮮みたいになっていたでしょう。
 一方、仏教は一応中国を経由して伝わったけれども、インド発祥です。仏教は日本や朝鮮、東南アジアにも広がった普遍性をもつ世界宗教で、中国も仏教を学んだ一つの国に過ぎない。仏教の世界においては、中国も日本も対等の立場なんです。だから、仏教を全面的に受け入れることによって、中華を相対化できる。
 よく知られているように、推古朝の日本は、聖徳太子の主導で、隋の場帝に対して「日出づる処の天子」の国書を送り、独立国家であることを示しました。それと同時に、仏教の世界に身を置くことによって中華文明を相対化し、一定の距離を置いて自分たちの精神的独立を保った。これが「脱中華」のスタートだったと思うんです。

 仏教も日本的に

 石 それ以降、仏教が日本に広がると、たくさんの思想家が出てきました。平安時代には最澄と空海、さらには源信や空也。鎌倉時代には法然、親鸞、栄西、道元、日蓮、一遍、それから室町時代には蓮如が出てきました。最澄・空海から蓮如までの七百年間、日本人の心を導く役割を果たしたのは仏教です。
 面白いのは、そういう中で仏教の教えも日本的なものになって行った。
 例えば、人間は誰でも成仏することができる(「天台本覚思想」)。草木でも、石コロでも、皆成仏できる(「草木国土悉皆成仏」)という考え方が出てきます。これらはもともと仏教にはない考え方です。本来の仏教では、成仏できるのは菩薩など限られた存在だけですからね。
 いったい、どうして日本人はこのようなことを堂々と言えたのか。その世界観の根底にあるのは、結局、神道の考え方なんです。八百万(やおよろず)の神というように、日本の神は山にも川にも海にもどこにでもいるでしょう。日本の仏教はその神道の考え方の影響を受けて発展して行くんです。

ーー 一方、その神道はどうなったのですか。

 石 普通は神道のような土着の宗教は、高度な宗教が入ってくると、排斥され淘汰されて行くんですが、日本の神道は懐が深いんですよ。仏教と融合して行く。
 例えば、平安末期には、仏様が日本人を救うために日本にやって来て、日本の神々に変身したという考え方(「本地垂迹説」)が出てきます。さらに室町時代になると、今度は立場が逆転して、日本の神々が、仏様に変身したという考え方(「反本地垂迹説」)が出てきます。

 朱子学への懐疑 国学の発展

ーー 最初は儒教より仏教に重きを置いて脱中華を図り、その次は仏教も日本化して、独自のものになって行ったと。ところが、江戸時代になると、今度は儒教が表舞台に出てきますね。

 石 代表的な思想家も、林羅山、山崎闇斎、伊藤仁斎、荻生根株、中江藤樹など、みんな儒学者です。
 逆に、仏教の思想家が消えたのは、日本では平安時代から、仏教の大衆化と簡素化が進み、思想が無用の長物になったからです。とにかく一般大衆を救済するために、形式や修行の手続きが省かれ、念仏や題目までが簡素化された。それで、もう空海や最澄のような大思想家は出てこなくなってしまったんです。
 一方、儒教が表舞台に出てきたのは、江戸幕府ができて、林羅山が家康のブレーンとして政治の中枢に食い込んだのが大きかったんですが、羅山は儒教の一種である朱子学の専門家でした。
 朱子学は南宋の時代に、朱熹という儒学者が体系化した学問です。その主旨は、人間はそれぞれ心の中に宿る「天理」に目覚めて、その邪魔になる欲望をできるだけ切り捨てて行けば、誰もが完璧な聖人君子となれるというもので、これが壮大な思想体系になっている。 そう言うと何か立派な学問のようだけれども、朱熹がこれを造ったのは、南宋がとても哀れな王朝だったことと関係があるんです。南宋は女真族の金に押されて淮南に移り、さらに臣下の立場を取った。皇帝が周辺民族に頭を下げるなんて中華思想ではあってはならない。しかし現実があまりにも惨めだからこそ、壮大なる思想体系を造って、その惨めさを補おうとしたわけです。
 しかし、日本人はこれも相対化してしまうんですね。
 例えば、伊藤仁斎は最初、朱子学に感激して熱心に学ぶんですが、やがてノイローゼになり、「こんな堅苦しい思想は日本人になじまない」と、儒教の原典に戻ろうとします。原典の『論語』や『孟子』を読むと、孔子や孟子は朱子が言うようなことは何一つ語っていない。そこから仁斎の朱子学に対する離反が始まります。
 荻生徂徠はそこからさらに、孔子でさえも間違った解釈をしているんじやないかと考えて、尭・舜など古代の聖王・先王の時代にまで遡って学んで行きます。
 このように原典に戻って読み取ろうとする知的探究の方法論は、じつは賀茂真淵や本居宣長といった国学者の方法論とも似ています。
 真淵は、儒教が素晴らしいものであるならば、どうして中国の政治は何千年も乱れ続けているのかと。また、日本人はもともと素朴に生きていたのに、仁義礼智信など人為的に作られた儒教規範が入ってきて理屈っぽくなり、政治が乱れて行った。その思想的汚染を洗い流して、日本古来の精神を取り戻す必要がある。そのためには『万葉集』などの古典を読み直すべきだ、と考えました。
 そして宣長になると、もう「漢心(からごころ)」を完全に捨てましょうと。漢心に汚染される以前の日本人の精神を書いたのが『古事記』であり、『万葉集』 であり、『源氏物語』であり、「もののあはれを知る」ということに至る。「もののあはれを知る」とは、さっきの「草木国土悉皆成仏」にも繋がるんです。つまり、すべてのものには霊性、魂があるんですよと。だから、雲一つ見ても、草一つ見ても何かを感じ取ることができる。

ーー それが、日本人本来の心だと。

 石 ええ。私はこうした日本の思想史をずっと追って行く中で、飛鳥時代から日本は中華の影響を受けながらも、いかにして中華を脱出するかという知的格闘を続けてきたことが分かりました。そういうプロセスがあったからこそ、日本人は日本人たり得るのであり、中華とはまったく違う日本文明がある。もし日本人がそういう知的格闘をしていなかったら、もうとっくに小中華になっていたと思います。

 古事記の成立自体が「脱中華」たった

ーー 結局、日本は中国の影響を受けてきたというけれども、うまく取捨選択した。また受け入れたものも日本的なものに昇華させて行つたということですね。

 石 その通りです。なかでも日本人の凄いところは、天命思想を受け入れなかったことです。『古事記』の成立は七ニ一年ですから、時期的には中華の思想が入って来てから後のことですが、これは天命思想を受け容れないという日本人の意志表明だったのではないでしょうか。
 『古事記』を読めば、天皇の原点は「天命」ではなく「天孫降臨神話」にあることが分かります。天皇は天照大御神の子孫だから、天命を受ける必要がない。あるいは皇族以外の誰か別の人が天命を受けることもない。だから、易姓革命も生じない。いわば『古事記』の成立によって、天皇を中心とする日本の国体が確立した。国体が確立したことで、日本ではどんなに歴史の変化があっても、天皇に取って代わる不遜な輩が出て来ないことになったんです。
 中国人がどうしても理解できないのは、家康はどうして天皇家を潰さなかったのかと。京都の御所は家康が三百人の兵を派遣すれば占領できたはずだと。しかも、家康は天皇から将軍に任命された。日本の国のかたちが中国や朝鮮とまったく違ったことはそこに象徴されています。これは決定的に重要なことです。

ーー 天皇を中心とする日本の国体こそ、「脱中華」の象徴だと。

 石 その通りです。 
  最初の話に戻りますと、習近平の中国が「中華民族の偉大なる復興」へ向けて進む中で、日本は日本民族を存続させるために、対抗しなければなりません。そのためには強固な国防体制や外交戦略が必要です。しかし、同時に必要なのは、精神の独立です。
 つまり、われわれは決して中華世界の一部でもなければ、中華文明の一部でもない。われわれはもう千四百年も前から「脱中華」を意識し、それに成功してきたからこそ今日の日本がある。このことを今一度、確認してほしいと思いますね。
     (四月五日取材。文責・編集部)

  1. 中国
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2018-05-26 14:37

宇多田ヒカルの見た日本語


 今日は私が今まで殆ど話題にしてこなかったことがテーマです。
何がって?、実は歌手に関する話。私は芸能関係や電波芸者の出るテレビなどは大の苦手。ですからこんな話題はまったく知識がないのですが、ちょっとおもしろかったので。

歌手で、というよりシンガー・ソングライター、宇多田ヒカルの話です。
と言っても私は宇多田ヒカルの歌など全く知りません。確か母親が歌手の藤圭子だったかなあ、演歌歌手だったと思うけど娘はどんななのかなあ? まあそんな程度ですね。
でも以下の読売記事を見ると、宇多田ヒカルは両親とも日本人なのだが、完全なバイリンガルとして育てられたようで、その言っていることが私の取り上げてきたブログのテーマ、「読解力」「日本語力」にもつながる話。何はともかくその読売記事を見てみます。


5月19日の読売新聞エンタメ欄にこんな記事が有りました。

<以下引用>
http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180518-118-OYTPT50410/search_list_%25E5%25AE%2587%25E5%25A4%259A%25E7%2594%25B0%25E3%2583%2592%25E3%2582%25AB%25E3%2583%25AB__

[STORY]宇多田ヒカル<3>
母国語は多分、日本語
2018年5月19日

2018-5-25宇多田ヒカル2 
海外で暮らした子供時代、「親と一緒に日本語の本をたくさん読んだり、父が漢字のドリルを作ってくれたりしました」=守谷遼平撮影

 日本と米国で育ち、日本語、英語ともに堪能な宇多田ヒカルは、海外向けに英語で作品を作ることもあるが、多くの場合、創作に使うのは日本語だ。「結局、日本語で書くことを選んでいることになりますね」

 子供の頃、父の音楽プロデューサー・宇多田照實とは主に英語で、母の歌手・藤圭子とは日本語で会話した。ニューヨークに引っ越すと、半年もしないうちに英語の方が得意になった。「日本語を忘れないようにするため」、両親と異なる言語で会話したのだった。

 日本に戻ってもインターナショナルスクールなどに通ったので、日本語を家の外で使うのは日本語の授業や買い物の時くらい。「話す分には、英語の方が自然というか、楽でした」。16歳で出した初アルバム「First Love」(1999年)を録音した頃のデモ音源には、宇多田が英語で独り言を言う様子が残っている。

 母国語は「多分、日本語」と語りつつも、取材中、スタッフに「あの表現、日本語で何て言うんだっけ」と尋ねることもあった。「英語だったらこう言えるのにとか、日本語だったらこのことわざを言えば伝わるのにとか。両方出てきます」

 とはいえ、2010年からの活動休止を経ると、より日本語にこだわった歌詞を書くようになった。ロンドンに渡り、フランス語やイタリア語を勉強。比較する言語が増え、感じたのは「日本語って本当に特別な言語だな」ということ。

 作り手として、日本語は「道具箱が何重もある感じ」と映る。言葉の順番を入れ替えても意味が通じる。それでいて、「鳥が鳴く」を「鳴く鳥」とすると「全然ニュアンスが違う英語ではできないんですよね」

 私とあなたという関係ひとつとっても、性別、年齢、性格と様々なことをにおわせる表現がある。「『君』を『あなた』にするだけで、印象も関係性も変わってくる」

 「自由自在、変幻自在な感じがするんですよね、日本語は」。宇多田流の日本語論。この特性が歌詞を豊かなものにする。

 2歳になる息子は何語で育てるのか? 素朴な疑問をぶつけると、「完全に最初から日本語です」と即答した。「外国で生活しているので、自然と英語は身に付いて、いずれ英語がメインになってしまう。なので頑張って日本語で、と思っています」

 (シンガー・ソングライター)

<引用終り>


 私が宇多田ヒカルに興味が有るのは、バイリンガルとして育ち、日本語・英語以外にフランス語・イタリヤ語も勉強してみて、「日本語って本当に特別な言語だな」、そして日本語は「道具箱が何重もある感じ」「自由自在、変幻自在な感じがするんですよね、日本語は」、こんな感想を持っている事だった。

実はこの事を言葉を教える学校の先生や子供の親御さんにもぜひ知ってほしい、例えば親と一緒に日本語の本をたくさん読んだり、父が漢字のドリルを作ってくれたり」、こんな事が、外国語に比べて習得に時間のかかる日本語を的確に教えるためにどうしても必要だと思うからだ。

この日本語の難しさを中国文学者の高島俊男先生は著書{漢字と日本人」の中でこんな事を言っている。
日本人にとってことばの実態は文字、音声はそれが落とすかげに過ぎない。だから漢字語を話してもチラッとその後ろの漢字を頭の中で見ている。
例えばあるお母さんの話、「第一志望のコーコーに一発ではいってくれました」、チラッと高校、「ほんとに親コーコーな子です」、チラッと孝行。

これが高島先生の話す日本語の特徴で、だからこれを習得するためには沢山の本を読むこと。沢山辞書を引くこと。こんな事が言えると思う。
このことは外国で仕事や生活をしている人だけでなく、国内でも最近外国人が増えてきているので、そんな事を意識して生活していくことが必要になっていると思う。


最後に言葉の問題に関して、参考になるかどうか、最近のエントリーにはこんなものが有るので紹介します。


読解力を考える<続編


読売新聞の「読解力不足記事」

韓国はモノづくりには不適な国

又古いエントリーだが、多数に方に見ていただいたものとしてはこんなもの
春の小川をタイ語で言うと<再掲

最後の今は筆を置いてしまった方のエントリーで大変秀逸なものを紹介します。
紹介するのはkei-izaさんのエントリー。
「高等教育を母国語で出来る事の素晴らしさ」と「日本の英語教育の問題点」
それとsopnoraone-3さんのエントリー。
ボストンから留学事情雑感
以下エントリー参照ください。
春の小川をタイ語で言うと<再掲<続編



おまけ



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2018-05-21 15:30

デフレが再現という悪夢


 1月~3月の日本のGDPがマイナスになったと報道されている。
永年デフレで苦しんできて、やっとアベノミクスで景気が持ち直したのだが、デフレ脱却どころか又してもデフレになりつつあると言われてきた。そしてマスゴミ連中の安倍おろしが効いたのか、夜盗(野党ともいう)連中の国会サボタージュが効いたのか、遂にGDPがマイナスに転じたようだ。デフレである。

先ずはその報道から
<以下引用>
https://www.nikkei.com/article/DGXLASFL16H9O_W8A510C1000000/

1~3月実質GDP、年率0.6%減 9期ぶりマイナス 
2018/5/16 8:50

 内閣府が16日発表した1~3月期の国内総生産(GDP)速報値は、物価変動の影響を除く実質で前期比0.2%減、年率換算では0.6%減だった。マイナスは9四半期ぶり。消費や設備投資、住宅投資が振るわず、内需が勢いを欠いた。輸出の伸びも鈍化した。

・・・中略・・・

 総合的な物価の動きを示すGDPデフレーターは前年同期と比べてプラス0.5%だった。輸入品目の動きを除いた国内需要デフレーターは0.9%のプラスだった。

 同時に発表した2017年度のGDPは実質で前年比1.5%増、生活実感に近い名目で1.6%増だった。

<引用終り>


だがデフレの深刻さは国内を見ているだけでは分からない。

デフレとは国内の消費者にとっては物価が安定・もしくは下がっていくので収入が安定している人(スケベが売り物の官僚など、この代表)たちには大変暮らしやすい(ここ重要、元日銀総裁ぬらりひょん氏などは暮らしやすいと明言)。しかし商売をしている人・企業などは売り上げが下がる苦境。そして働く人には給料が下がる、職場が無くなる。一見暮らしやすく見えるが、経済が発展せず、衰退への道まっしぐらだ。

このデフレを脱却しない事には日本再生はおぼつかないが、その為には銀行の役割は大きい。しかも銀行屋にはそんな自覚は薬にしたくも無いのが実態だ。
参考ブログ
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1514.html

こんな現状を世界から見ると全く様相が違う。日本がデフレの間、世界は緩やかなインフレで成長が続いている。
そしていつの間にか日本は物価が安く、給料が安く、不動産なども安い、こんな国になった。
外国人が暮らすにはとてもいい国なのだ。

ではそのGDPで日本一人負けの実態を

日本のGDP国際比較
2018-5-20主要国の名目GDP推移 
http://www.garbagenews.net/archives/1335765.html

主要10カ国(G7+シナ・インド・ブラジル)の中に他と違う国が三つある。
先進国の中でも飛びぬけて数字の大きい、成長率の大きな国がアメリカ。そのアメリカに追いつこうかという勢いが中国。そして逆に全く成長しないのが日本だ。


次に
消費者物価の国際比較
2018-5-20主要国の消費者物価指数国際比較 
https://toukeidata.com/country/bukka_suii_hikaku.html

これは消費者物価指数推移。日本・アメリカ・ドイツ・中国に何故か盲腸国の韓国が紛れ込んでいる。
日本はデフレだからグラフは見事に横ばい。
アメリカは1980年からの27年で物価は約3倍、しかし名目GDPは6.8倍なので、若しこんな成長の分配が上手く行っていれば、物価は3倍だが収入は6倍。これなら豊かさが実感できると思う。しかしこの分配が上手く行っていないところがアメリカの問題なのだが、今回は指摘だけにとどめます。


さてこんな事で日本のデフレがもたらした結果として物価の指標、ビッグマック指数を見てみます。
参考ブログ:「難航する日本再生への道  2018-03-27」
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1514.html

ビッグマック指数でG7の国を見ると
順位  国名   金額(日本円換算)  USドル換算  現地通貨
5位  アメリカ   585円        5.28ドル
6位  カナダ    582円        5.26ドル
7位  イタリア   569円        5.14ドル   4.2ユーロ
7位  フランス   569円        5.14ドル   4.2ユーロ
16位 ドイツ    529円        4.77ドル   3.9ユーロ
20位 イギリス   489円        4.41ドル   3.19ポンド
35位 日本     380円        3.43ドル   
日本がずば抜けて安いのが良く分かると思います。

(参考:日本の前後の国)
24位 韓国     456円        4.12ドル
25位 ギリシャ   454円        4.10ドル   3.35ユーロ
34位 タイ     412円        3.72ドル   119タイバーツ
・・・此処までが日本より上位、韓国もギリシャもそしてタイまでも・・・
42位 中国     351円        3.17ドル   20.4人民元
(中国は地域で物価レベルに差が大きい、上海・北京では日本より物価が高い)

日本は韓国、ギリシャ、そしてなんとタイにも抜かれる体たらく・・・。



さてそこで一人当たりの名目GDP推移を日本と中国で比較してみたい。日本のデフレでほくそ笑んでいる国の代表格がシナだからである。

2018-5-20日本中国一人当たり名目GDP推移1 
http://ecodb.net/exec/trans_country.php?type=WEO&d=NGDPDPC&c1=CN&c2=JP

このグラフでわかること、20世紀の終り、2000年には日本の一人当たり名目GDPは中国の訳40倍だった。それが習近平自身が奇跡の成長という結果、2017年には日本の一人当たり名目GDPは4,4倍になっている。つまり中国はこの間9倍成長しているのだ。

しかし中国とは国内に農民戸籍という植民地人を国内に抱えている国家なので、このGDPは都市戸籍人4億が独り占めしている。だから一人当たりGDPはこの3~5倍と見るべきで、もう既に中国人の収入は日本人と変わらない、あるいは一部のエリート層は日本のエリート層より数段金持ちになっている。


もう一つ、中国の現実を知るためのデータを。
中国では都市部の住宅は殆どが日本でいうマンション(高層住宅)ですが、その価格はべらぼうです。なんとマンション価格が年収の30倍(上海・北京などでは)、日本で住宅購入の場合、年収の3~5倍程度に抑えるべきと言われますが、価格が一ケタ違いますね。
これは日経記事
「マンションが年収の30倍を超す中国 「処方箋」は?」   2016/12/16
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO10637910U6A211C1I00000/



長々と書きましたが結論です。
日本がデフレで苦しんでいる時、中国は猛烈な成長を遂げ、カネを持った中国人が日本の不動産を買い漁っています。
既に都心のマンションの上の方の階は殆ど中国人が買っているとか聞きました。
北海道で土地がシナ資本に買い占められているのも現実です。
日本がデフレで世界の物価の潮流から大きく外れてしまったため、日本が買い占められているのです。

国会はモリカケなどの不毛の議論を止め、日本の未来のためにどうするかを考えるべきなのです。まあしかし、国会をさぼって18日間も連休にし、「お母さんに叱られたから国会に戻る」などというような幼稚園児が国会議員センセでは何ともなりませんね。


最後に海外在住のNINJA300さんがご自身のブログでこんな事を言っていますがまったく同感。
http://ninjafighter.blog.fc2.com/blog-entry-2410.html

一寸要点を引用紹介します。
<以下引用>
日本政府にはやるべきことは山ほどある。それにもかかわらず、野党は一年以上、盛そば・掛けそばの話。大体議会で議論するにしてもレベルの低い話を国会で延々とやっている。日本の民主主義は今、機能していない。
日本のインフラは老朽化が進捗している。鉄道、トンネル、橋梁等々。日本の法制も老朽化が進んでいる。銀行はなぜ午前9時~午後3時まで一律営業なのか?土日に営業したり、夜遅くまで営業することは他国では通常である。なぜ、国内にスパイがうようよいるのか。スパイ防止法のない先進国は日本以外に存在しない。日本は後進国なのか?

「財務省は国賊!」と云って良い。PB(Primary Balance)で政府をがんじがらめにし、無策としている。セクハラする暇があるにもかかわらずだ。

鈴木傾城氏の風俗レポート(ちょっと前だが)を読むと、今や日本のデリヘル顧客の多くはシナ人だそう。
2005年頃、NINJA300はタイでデイトレをやっていたが、当時のタイは物価が安く、おまけに通貨も安かった。まさに、日本人男性にとっては天国だった。
そのころ、NINJA300は「将来、日本のサラリーマンの娘がシナやASEANの男に安く買われる時代が来る」と予見していた。「因果は巡る」だ。英語でいえば、"Everything is circle.""What comes down must go up."という哲学を保持しており、天安門事件の直後、1989年に香港へ行ったが、当時の物価は日本の約1/3、それがほとんど物価水準に差がなくなったことを経験していたからだ。
繰り返すが鈴木傾城氏の著作によると、日本のメディアでは全く報道されないが、いまやシナ人は日本の風俗の大切な顧客だそうだ。NINJA300はまったく驚かない。同著作によれば、シナ中産階級は年収約300万円(副業込み)。夫婦共稼ぎだから、約600万円となる。将来は知らないが、稼ぎ頭が一人だけの日本人よりもリッチである。傾城氏の著作によれば、日本のサラリーマンの妻の風俗勤務は増えているようで、30~40代以降の熟女風俗市場はボリュームゾーンだそう。安いからだ。*なお、NINJA300は風俗にほとんど興味はなく、氏の著作からの「受け売り」である。
また、感じるのは為替とはVERY「トリッキー(Tricky)」THINGということ。つまり、「VTT」である。

ここ20年、故橋本のバカ政策以降、日本の労働生産性は向上していない。「リニア・リニア!!」と何10年もいうだけでなぜ実行してこなかったんだ、といいたい。遅すぎる!
<引用終り>

国の経済や所得が外国との格差が広がるとき、それが顕著に表れるのが実は風俗の世界である。
人間の欲望は隠せるものでは無く、それを狙う人も当然出てくる。
私が今心配していることは給料の安い日本から女性が海外に買われてゆくことで、「からゆきさん」の話は昔話ではないと思っている。

最後にNINJA300さんは「故橋本のバカ政策」と言っているのは、橋本龍太郎政権の消費増税(97年4月)、それから金融関連の大改革政策の事と思います。
詳細は以下ブログ参照ください
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1514.html
このブログに記載した「国の税収・歳出総額・公債発行額のグラフ、通称ワニの口グラフ」を見るとその政策が全く間違いだったことが分かります。

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2018-05-11 11:19

中国のマルクス礼賛、だがマルクスは労働者をバカにした


 今年はカール・マルクスの生誕200年という事で、中国が盛大に祝ったと報道されている。
マルクスねえ~~、このエントリーを8割がた書いたところで、いつの間にやら(自分のミスを棚に上げて・・・)消えてしまって書き直しなのもマルクスの祟りやも知れぬ。ああ、マルクス主義の恐ろしさよ(関係ないか・・)。

しかしこのマルクス、その思想は結果として20世紀に1億人以上の人を殺した。間違いなく人類始まって以来最大の虐殺の原因。しかもその結果に対し誰も裁かれていないという恐ろしさが有る(この件は後ほど書きます)。

さてでは最初に中国のマルクス礼賛ぶりから。

<以下引用>
http://jp.wsj.com/articles/SB11448110591113194574604584210993147156998

中国でマルクス称える新プロパガンダ、理論は貧弱
象徴性を重視、指導部の正当化が狙い

習主席は4日、カール・マルクスの生誕200年を記念する式典(写真)を催した
2018-5-10中国のマルクス・プロパガンダ1
2018 年 5 月 8 日 12:14 JST

 【北京】中国はこの数十年の間に資本主義の力を借りて経済の奇跡を起こしてきた。その中国で習近平国家主席は今、共産主義思想を体系化したカール・マルクスを結束のシンボルとして「重用」しようとしている。

 このドイツの思想家が5月に生誕200年を迎えたことに合わせ、習氏は派手なキャンペーンを開始した。中国の共産党機関紙は資本主義を批判したマルクスの「資本論」を「聖書」とあがめ、国営テレビはプライムタイムに「近代の偉大な思想家」であるマルクスを称えるドキュメンタリー番組やトークショーを放映している。

 習氏にとってみれば、このキャンペーンは共産党員に対し党への忠誠を求め、中国国民に対しては共産党政権への信義を守らせる方策である。習氏は、マルクスの思想を採り入れたことで中国は繁栄を実現し、強国となったと唱える。

 マルクス主義は依然として中国の公式のイデオロギーだが、多くの中国人は今では自国を名ばかりの社会主義国家とみている。中国には何百人もの億万長者がおり、世界最大級の新興企業もあり、都市部のエリート層と農村部の貧困層との所得格差は拡大する一方である。

 マルクスに関する当局のプロパガンダは象徴性が重視され、理論的な側面は貧弱である。習氏や共産党幹部は、資本家の搾取や階級闘争に関する議論を奨励し、マルクス主義を西側の帝国主義的ないじめに立ち向かい、中国の偉大性をよみがえらせる手段として描いている。習氏は4日、北京の人民大会堂で演説し、マルクスは「正直かつ質素に暮らし、愛と仲間を大切にした」と訴えた。
・・・以下略、詳細は上掲リンク先参照ください・・・
<引用終り>


マルクスは「万国のプロレタリアートよ、団結せよ」と言った(共産党宣言の最終章)。
(注:普通は「万国の労働者よ、団結せよ」と訳されるが、原文(ドイツ語)はプロレタリアートであり、雇用するブルジュアジーに対して雇用される側の賃金労働者階級をさす。労働者というとブルーカラーを指すイメージが有るが、ブルーカラー、ホワイトカラーの別ではないので、あえて原文に従いプロレタリアートとした)

しかし、習近平はひょっとすると・・・、自分はプロレタリアートだと思っているのかも知れない。ではブルジュアジーは誰なんだとなると・・・、それはアヘン戦争以来シナを侵略し、略奪してきた英米資本主義(アヘンを売りつけた国)、こんな風に思っているかもしれない。

しかし、習近平以下、シナの強欲資本家がプロレタリアートねえ・・・。世の中不思議なことが有るもんです。


所で冒頭書いた「共産主義が1億人以上殺した」、これは1997年に刊行された「共産主義黒書」で明らかにされた数字です。
死者の概要は以下の通り。

 ソ連(ロシア):2000万人  責任はレーニンとスターリンだが多くはスターリン
 支那:6500万人       勿論毛沢東の責任が大部分
 ベトナム:100万人
 北朝鮮:200万人
 カンボジア:200万人
 東欧:100万人
 ラテンアメリカ:15万人
 アフリカ:170万人
 アフガニスタン:150万人
 国際共産主義運動(コミンテルン)と政権についていない共産党によって殺害された人:約1万人
 総計:約1億人

この他に日本人だってスターリンによって多くが殺されている。
例えばシベリア抑留、多数の日本人が大変な苦労をされた、その犠牲者はリンク先のwikiによれば、『確認済みの死者は25万4千人、行方不明・推定死亡者は9万3千名で、事実上、約34万人の日本人が死亡した』こうなっている。


この共産主義の流した殺戮は、昨年アメリカのトランプ大統領が公式に追悼の声明を出している。以下ブログ参照
「トランプ大統領 ロシア革命百周年で「反共」声明」

そのトランプ大統領のその声明文

 本日の共産主義犠牲者の国民的記念日は、ロシアで起きたボルシェビキ革命から100周年を記念するものです。ボルシェビキ革命は、ソビエト連邦と数十年に渡る圧政的な共産主義の暗黒の時代を生み出しました。共産主義は、自由、繁栄、人間の命の尊厳とは相容れない政治思想です。

前世紀から、世界の共産主義者による全体主義政権は1億人以上の人を殺害し、それ以上の数多くの人々を搾取、暴力、そして甚大な惨状に晒しました。このような活動は、偽の見せかけだけの自由の下で、罪のない人々から神が与えた自由な信仰の権利、結社の自由、そして極めて神聖な他の多くの権利を組織的に奪いました。自由を切望する市民は、抑圧、暴力、そして恐怖を用いて支配下に置かれたのです。

今日、私たちは亡くなった方々のことを偲び、今も共産主義の下で苦しむすべての人々に思いを寄せます。彼らのことを思い起こし、そして世界中で自由と機会を広めるために戦った人々の不屈の精神を称え、私たちの国は、より明るく自由な未来を切望するすべての人のために、自由の光を輝かせようという固い決意を再確認します。


トランプ大統領は反共産主義を明確にしている。一方習近平はマルクス主義を讃えている。
さてどちらが正しいか、それが日本の進むべき道を示していると思う。
特に「共産主義者による全体主義政権は1億人以上の人を殺害」、これは思想(共産主義)とその思想の信奉者(共産主義者)、そして政治体制(全体主義政権)をキチンと区別して考える点で大変いい考え方ではないか。


所でもう一つの話題。
習近平はマルクスをたたえ、こんな事を言っている。

マルクスは「正直かつ質素に暮らし、愛と仲間を大切にした」

所がとんでもないことが昨年暴露された。なんとマルクスは労働者を馬鹿にし、金銭には極めて汚い人間だったのだ。

ウィーン在住の長谷川良氏のコラム「ウィーン発 コンフィデンシャル」でその事を書いている。
<以下引用>
http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/52174785.html
2017年05月17日06:00
マルクスは「労働者」をバカにした!

 カール・マルクスの「資本論」第1部が出版されて今年で150年目を迎えた。来年はカール・マルクス生誕200年も控えている。カール・マルクス(1818-1883年)は一体如何なる人間かについて関心が高まってきている。

2018-5-11カール・マルクス 
▲カール・マルクス(1875年)

 オーストリア日刊紙クローネンは14日、出版者ハリー・ロボルト氏、ドイツの「左翼党」グレゴリ・ギシ―議員、そして女優のアンナ・タルバッハさんの3人による朗読本(2009年)、テーマ「カール・マルクスとエンゲルス間の書簡」の内容を紹介し、マルクスがフリードリヒ・エンゲルス(1820~1895年)宛ての書簡で労働者をバカにし、金銭問題では信じられないほど冷酷な人間であったことを暴露している

 マルクスとエンゲルスの書簡は公表を目的としたものではなかった。エンゲルス宛のマルクスの発言の一部(原文は独語)を紹介する。

①‘Komplettere Esel als diese Arbeiter gibt es wohl nicht‘

 (1852年、マルクスがエンゲルスに送った手紙の中で)
 「労働者ほど完全にバカな存在はない」と述べている。資本家による労働者の搾取を糾弾した「資本論」の著者マルクスは労働者をバカと呼び、軽蔑しているのだ。

②`Alles, was ich weiss , ist , dass ich kein Marxist bin`
 
 (マルクスとエンゲルスの作品の中で)
 マルクス「自分で知っていることは、自分がマルクス主義者ではないということだ」と述べている。

③‘Ich habe natuerlich meine Aufstellungen so gehalten, dass ich im umgekehrten Fall auch Recht habe‘
 
 (マルクスは1857年、自身の著書について)
 「著書の中では、自分の見解とまったく逆のような状況が発生しても自分の考えが正しいと受け取られるように配慮しているよ」

④‘Stirbt der Hund jetzt ,so bin ich aus der Patsche heraus‘

 (1852年、マルクスは遺産を残す可能性のある叔父の死を願っている) 
 遺産を持つ叔父を犬と呼び、叔父が死に自分のところに金が入って困窮から救われたい、と吐露している。
  
⑤`Ich habe einen sicheren Plan entworfen, deinem Alten Geld auszupressen.´
 
  1848年、お前の親父(工場経営者)から金を巻き上げる確実な計画を立てたよ。

 マルクスはエンゲルス宛の書簡の中で本音を吐いている。マルクスにとって「労働者」は重要な役割を果たしているが、彼は書簡の中で労働者をEsel(ロバ)と呼び、バカ扱いしている。金銭問題でも冷酷さが現れている。
 マルクス自身、労働者の生活をよく知らなかった。労働者の事態を知らないのに労働者の味方のように振舞っている自称・マルクス主義者はマルクス死後も多く出てきた

 興味ある点は、③だ。マルクスは自身の主張に反するような状況が出てきたとしても「自身の見解が正しい」と受け取られるように注意深く書いていると告白していることだ。マルクスの狡猾さを表現している。

<引用終り>


これを読んで永年の疑問が解けたと思う。つまりマルクス主義はなぜあのように不寛容で排他的なのか。
そこには基本的な労働観の違いが有る。マルクスにとって、またマルクス以後のすべての共産主義者にとって労働とは「奴隷労働」のこと。だからその労働の結果生み出されるものが資本家に搾取されることが我慢ならないのだと。

しかし日本人の労働観は違う。日本では神話の世界から神々もみな労働をしている。その労働の結果生み出されるものに対しても敬意を持っている。だから日々の労働に対しても創意工夫をしていくことが正しいことと信じている。

こんな労働観の違いが根本にあるのだと思う。

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2018-05-08 15:56

旧国鉄中央線・愛岐トンネル群に行ってきた


 名古屋から東京に向かう中央線の愛知県と岐阜県の県境に愛岐トンネルがある。現在のトンネルは複線電化の為、明治時代に建設された単線のトンネルの隣の超大トンネルだが、その廃止されたトンネル群が再発見され、国の登録文化財になっている。
公開は年2回で、今回は5月2日から6日まで。その最終日に行ってきた。

場所はJR中央線(中央西線、東京の方の中央線と繋がっているが直通列車はない)の定光寺駅周辺。

2018-5-8定光寺駅から愛岐トンネル

定光寺駅を出発した電車は岐阜県方面に向かっています。その先が愛岐トンネル。
この愛岐トンネルは複線電化の為昭和41年に完成。旧トンネル群は新トンネルの右側の山の中に有。
右に流れる川はこの辺りでは玉野川、上流岐阜県側は土岐川、下流名古屋方面は庄内川と名前を変える。
しかし、今見れば美しい風景だが、明治中頃の機械の何もない時代。よくまあこんな断崖に鐡道を通したものだ。西欧諸国に追いつこうとする情熱を感じる場所だと思う。

国・登録文化財になっているトンネル群はこうなっている
2018-5-7愛岐トンネル群配置図 
全部で14基のトンネルがあり、13基が現存している。

定光寺駅からはこんな所を歩いて
2018-5-8愛岐トンネル群1 

こんな急な崖を階段で登る
2018-5-8愛岐トンネル群2 

これが3号トンネル、入り口に実物大のSLを描いた幕(のれん?)
2018-5-7愛岐トンネル群3

トンネルの中は真っ暗、但し最初の3号トンネルは少し明かりも有った
2018-5-8愛岐トンネル群4 

トンネルの外ではボランティアの方がオカリナの演奏
2018-5-8愛岐トンネル群5 

鯉のぼりも
2018-5-8愛岐トンネル群6 

こちらでは青空演奏会、題してトンネル・コンサート
2018-5-8愛岐トンネル群7 

いいですねえ、緑の中のコンサート!
2018-5-8愛岐トンネル群8 

最後の6号トンネル
2018-5-8愛岐トンネル群9 

此処で行き止まり
2018-5-8愛岐トンネル群10 

この下の谷川が愛知県と岐阜県の県境。対岸は岐阜県だが名古屋市の廃棄物処分場への道路。だから右側の赤い橋も含め一般車通行禁止。
ケーブルはイベントの機材や弁当などの運搬用に設置されたもの。正面に見える駐車中のクルマはその関係者用のモノ。名古屋市から特別に許可をもらって駐車しているとの事。

しかしこんな美しい景色の所にゴミの処分場を、それも県外のゴミの処分場を作らねばいけない。こんな所でゴミ問題の深刻さを痛感した、そんな一日だった。


所で一寸話は変わりますが・・・

鉄道の廃線跡、特に廃トンネルは特定の所に集中している。
一寸この地図を見てください。

これは関東から関西方面への鉄道路線で廃トンネルが沢山あるところの図
2018-5-8中部地区地図2

東京大阪間には鉄道を通すうえで大変困難な場所が有った。まさに隘路と言って良い所。
中央西線では名古屋から僅か30キロほどの所にこんな難所が有った。現在では長大トンネルで 殆ど意識しない所。そこが実は先人の苦労の結晶だった。
東海道線だとこんな所は日本坂トンネル周辺にも色々ある。
北陸線だと敦賀の先、北陸トンネル周辺いこんな廃トンネルが残っている。

そしてこんな所が普段は何も問題はないが、天災とか外国の攻撃などには大変脆弱なので、その対策が必要である。
明治の先人はこんな事を考えていた。
若し「黒船が一隻やってきて東海道の隘路を砲撃すれば、東京大阪間の交通が途絶する。だからその代替として中央線が必要だ」、こんな事を考えていた。
先人の国防に対する思いを今一度考えてもいい時期になってきたようだ。

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2018-05-05 17:37

「世界は一つ」から靖国問題の真相へ

 5月3日のエントリー『「理想主義」が諸悪の根源』でジョン・レノンのイマジンを取り上げたのだが、この歌は最後が「And the world will live as one    そしてきっと世界はひとつになるんだ」で終わっている。

この「世界は一つ」という見果てぬ夢をとなえた高名な人が日本にもいる。日本人初のノーベル賞学者湯川秀樹博士である。
その湯川秀樹博士の言葉「世界は一つ」は愛知県の三ヶ根山にある「殉国七士廟」の記念碑にもなっている。

ちょっと話がアチコチするが、この件を調べていて私が誤解していることが分かった。
何を誤解していたのか。
昭和天皇はA級戦犯が靖国神社に合祀されたことで靖国神社に参拝しなくなった、こう報道されており、私も可笑しいと思いながらもそうなのかなあと思っていた。
しかし事実は全く違っていた。昭和天皇はひそかに「殉国七士の墓」に御親拝されていた。こんな事実が分かったので、そのことを書いてみたい。

これが世界は一つの碑
2018-5-3湯川秀樹「世界は一つ」の碑 

殉国七士廟の駐車場には「萬世太平の像」、「世界は一つ」の碑がある。
2018-5-3三ヶ根山殉国七士の碑 

これが殉国七士の墓
2018-5-3殉国七士の墓 

殉国七士は
軍人
・東條英機(首相・陸軍大将)
・土肥原賢二(陸軍大将)
・板垣征四郎(陸軍大将)
・木村兵太郎(陸軍大将)
・松井石根(陸軍大将)
・武藤章(陸軍中将)
文官
・広田弘毅(首相)

殉国七士廟については以下参照ください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AE%89%E5%9B%BD%E4%B8%83%E5%A3%AB%E5%BB%9F

何故殉国か、これは東京裁判そのものが国際法上不当なもので、戦勝国による言いがかり、復讐であったから。
A級戦犯・靖国神社参拝問題の基本的事実
http://www.seisaku-center.net/node/505

公共裁判の問題については、その後マッカーサー自身が間違っていたことを認めている。
参考エントリー
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1201.html
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-763.html

マッカーサーはトルーマン大統領のウェーク島での会談でこう言っている。
「戦争犯罪人などに手を出してはいけない。うまくいくものではない。ニュルンベルク裁判や東京裁判は、戦争の抑止力にはならなかった」
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1941-50/1950_makkasa_uekuto.html

また七士の遺骨はGHQが遺族には渡さず、海に捨てる計画だったが、それをひそかに盗み出して殉国七士として祀ることが出来た経緯は以下参照ください。
https://ameblo.jp/atomu-coco50/entry-11903633046.html


さてこれからが私が驚いたこと。
昭和54年に昭和天皇が全国植樹祭で愛知県に来られた際、わざわざ不便な三ヶ根山山頂にあるホテルに宿泊され、ひそかに殉国七士の墓を御親拝されていた事だった。



昭和天皇 愛知県幡豆郡三ヶ根山 東條英機が眠る墓へお参りされる 昭和54年
https://ameblo.jp/atomu-coco50/entry-11903633046.html


何が驚いたかというと、当日の植樹祭会場と宿舎となったグリーンホテル三ヶ根との位置関係を見て欲しいからである。
2018-5-5グリーンホテル三ヶ根案内図 

天皇陛下がご出席される全国植樹祭会場は名古屋市のほぼ真東約20キロの所。しかし宿舎からは直線距離で40キロ以上だが、多分実走行は60キロ以上。宿舎から東名岡崎インターへ出て、そこから名古屋インターで東名を下り、猿投グリーンロード経由で会場に入られたと思われます。誰が考えても名古屋で泊まれば良い筈だと思う所です。昭和天皇にはグリーンホテル三ヶ根にそれだけ強い思いが有ったのでしょう。

小さい字で・・・余談ですが、天皇皇后両陛下が地方に出たとき、特別な思いのある所へわざわざ立ち寄るというケースが当地方にもあります。・・ちょっと参考までに・・
2010年6月、天皇皇后両陛下が岐阜県に来られました。第30回全国豊かな海づくり大会ご出席のためです。その時当地方にある小さな小さな「新見南吉記念館」に両陛下が来られました。最初は美智子皇后陛下だけが来られるという話だったんですが、結局両陛下お揃いでおいでくださいました。新見南吉は小学校の教科書にある「ごんぎつね」の話の作者ですが、皇后陛下は子供の頃、新見南吉の「でんでんむしの悲しみ」という同和を聞いて感銘を受けたのだが、大人になってからでも苦しい時、悲しい時にいつもその話がふと頭に浮かんできて、自分だけじゃないんだと勇気づけられた。だからその記念館をぜひ見てみたい。こんな話でした。
新見南吉記念館
http://www.nankichi.gr.jp/


話がどんどん飛んでしまいました。
最後にもう一つ、昭和天皇が靖国神社に行かれないのはA級戦犯の合祀が原因だという話があります。わたしもそんな報道があり、へー、そうだったのかと思っていたのですが、これがトンデモナイ嘘、フェイクニュースでした。
若しそんな事をだったら、全国植樹祭で愛知県に行くからと言って、昭和天皇がわざわざあんな辺鄙なところ(失礼!)に宿泊する筈が有りません。

この件は以下参照ください
昭和天皇の靖国ご親拝中止は戦犯合祀が原因でない

時系列的には簡単である。
昭和天皇が最後に靖国神社に御親拝されたのが昭和50年。昭和51年からは御親拝されていません
靖国神社に問題の7名が合祀されたのが昭和53年
ですから靖国に御親拝されなくなったのは、所謂A級戦犯と言われる方の問題ではありません。
そのうえ、昭和54年には殉国七士の墓にひそかに御親拝されています。

靖国問題の原因は上掲記事に有ります。
その要因は、当時の三木武夫首相が昭和五十年に靖国神社を参拝した際、 取材記者に「私的立場で参拝をした」 と発言したことにあります
マスコミは、その発言を取り上げ、政治家の靖国神社参拝は「私的参拝」か「公的参拝」か、と問うようになりました。 
それまでは、 八月十五日に天皇陛下も、 総理大臣も、 靖国神社を参拝してもマスコミが特別に騒ぎ立てることはなかったのです。 

それが、 三木首相の発言で、 眠っている子を起こしてしまったわけです。 
「公的」 と言えば、 憲法の政教分離の原則に反する言い、 侵略戦争だった大東亜戦争を認めるのか、 という論法でマスコミが叩いていくわけです。 その流れは、 今日まで続いています。
こんな事ですね。

最後にどうして愛知県の三ヶ根山が舞台なのか、これについては以下参照ください。
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-820.html

この話は私が若いころ、当時の大先輩から聞いた話がもとになっています。南方で苦労し、多くの戦友を失った人にとっては、三ヶ根山からの景色はあのマニラ湾やレイテ湾の景色によく似ている。だから現在では80基とも言われる慰霊碑が三ヶ根山上にあり、慰霊の地になっているという事です。

三ヶ根山からの眺め
2018-5-5三ヶ根山頂からの景色 
長い話になりました。最後までお付き合いいただき有難うございます。

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2018-05-03 17:20

「理想主義」が諸悪の根源


 理想主義が諸悪の根源、こんな事を藤井聡先生が話している。
丁度いま南北朝鮮が和解に向かっている最中なので、そんな事を考えてみた。

最初の藤井聡先生の話から

<以下引用>
https://the-criterion.jp/radio/20180430-2/

https://www.facebook.com/Prof.Satoshi.FUJII/posts/1333471233420483

週刊ラジオ「表現者」

「理想主義」が諸悪の根源。ピースの影に戦争あり。
2018.05.01




複雑な勢力均衡で成り立っている国際社会で,理想主義的な「平和」ばかりを唱えていると,逆に「戦争」を招く結果になることもある.また歴史的に人間社会では,理想主義が暴力の原因となった例も少なくない.そのパラドキシカルな関係を解説します.

今週の一曲
Imagine by ジョンレノン

1980年に銃殺されたジョンレノンの、1971年にリリースされたビートルズ解散後の代表曲。「Imagin」(想像してみなさい)と語りはじめるこの曲は、国家や宗教や所有欲が「存在しない状態」を万人が想像できれば、平和になって、世界は一つになるに違いないさ、という見解を表明し、万人に「想像」することを呼びかける。1975年まで続いたベトナム戦争に反対するアメリカの若者達の反戦運動を象徴する一曲。「もしこれが可能なら」、どんなに素晴らしい事だろうと思わない人など、いるわけがない―――が、実際には、可能でないにも関わらず、『もし可能なら』と多くの人々が想像しはじめたら―――そこにはジョンレノンが全く想像すらしていなかった地獄の扉が開かれることになる
執筆者 : 藤井 聡

そしてこの投稿の追加
https://www.facebook.com/Prof.Satoshi.FUJII/posts/1333471233420483
Satoshi Fujii
May 1 at 5:05pm · 
実は、先に紹介した「諸悪の根源は理想主義」のラジオは、朝鮮有事でなくむしろ「シリア」をイメージしてお話しておりました。で、そのシンボルとして
 「ジョンレノン」
のイマジンを紹介していたのですが・・・・まさにジャストタイミングにも、その奥様のオノ・ヨーコさんが、今回の南北首脳会談に関して、こんなツイートをしておられるようです。

『夫が喜んで宇宙をはね回ってるのが目に浮かぶ・・・これが世界中の国々が握手するスタートになってほしい。1つの世界。1つの人類。私は、これが、私と夫が信じたことの始まりだと望む。もうすぐだと確信している。平和はパワーだ!』

・・・・いやぁ、まさに「理想主義」・・・・

我々日本人が朝鮮半島和平でただ単に浮かれているようでは、取り返しのつかない損害を被ることになるでしょう・・・・
兎に角、外交では(我が国の情けなさ、無能さも含めて)現実を直視することが必要です。


オノ・ヨーコ氏「ジョンは喜んで宇宙はね回ってる」
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/201804300000134.html

<引用ここまで>

これが「イマジン Imagine 」   いい曲です。ですが・・・



「イマジン Imagine 」の歌詞は簡単な英語なのですが、どうも意訳が多い(上掲動画も同じ)。それで色んな訳を見て、私なりに適当に訳してみた。

イマジン  Imagine    和訳

Imagine there's no Heaven   想像してごらん 天国は無いと
It's easy if you try        やってみれば 簡単
No Hell below us          下に地獄は無く
Above us only sky                      上には ただ空があるだけ
Imagine all the people               想像してごらん  みんな     
Living for today...                      ただ今を生きているって...

Imagine there's no countries      想像してごらん 国が無いことを
It isn't hard to do                      難しくないでしょう
Nothing to kill or die for             殺すことも死ぬことも無く
And no religion too          そして宗教も無い
Imagine all the people         さあ想像してごらん  みんな
Living life in peace         ただ平和に生きているって...

You may say I'm a dreamer    僕のことを夢想家だと言うかもしれない
But I'm not the only one      でも僕一人じゃない
I hope someday you'll join us    いつかあなたもみんな仲間になって
And the world will be as one     きっと世界はひとつになると願う

Imagine no possessions      想像してごらん 財産がないのを
I wonder if you can          あなたは想像できるだろうか

No need for greed or hunger   貪欲になることも飢えることも無い
A brotherhood of man      人はみんな兄弟なんだ   
Imagine all the people      想像してごらん みんな
Sharing all the world       世界を分かち合えるんだ...

You may say I'm a dreamer    僕のことを夢想家だと言うかもしれない
But I'm not the only one     でも僕一人じゃない
I hope someday you'll join us    いつかあなたもみんな仲間になって
And the world will live as one    そしてきっと世界はひとつになるんだ

引用者注:途中に「Imagine no possessions 」というフレーズがあります。このpossession は普通には「所有」という意味ですが、「possessions 」となると財産とか国の領土という意味になります。恐らくこの曲が問題を含んでいる一番のポイントではないでしょうか。私は財産としましたが、領土にすれば完全な無政府主義思想になります。

<歌の話は此処まで>

さて藤井聡先生は上掲ラジオ番組の中で、「理想主義が強ければ強いほど、理想から外れた国に対し不寛容になって、一瞬で暴力主義的になる。そういう恐ろしいものが潜んでいる・、こう言っています。

さてジョン・レノンがイマジンを作ったのはベトナム戦争最中の1971年、そして1975年に戦争は終わったのですが、その後どうなったでしょうか。
一番極端な例がベトナムの隣国カンボジアにあります。

こんなもの
(酷い写真なので小さくしました。詳しく見るにはクリックしてください)
2018-5-3カンボジアの大虐殺写真 
1975年から僅か4年の間に起こったポルポトの大虐殺、未だ正確な死者数は分からないが170万とも220万ともいわれる。当時のカンボジア人の4人に一人とか5人に一人である。しかも殺されたのは主に学校の先生とか村や町の役人・芸術家など知識人・インテリ層。知識人の大半が殺されたと言う。

参考ブログ
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-591.html



さて本題に戻ります。

ジョン・レノンがNYで平和に暮らしている時、世界ではとんでもないことが起こっていたのです。それを藤井聡先生はこう言っています。

「実際には、可能でないにも関わらず、『もし可能なら』と多くの人々が想像しはじめたら―――そこにはジョンレノンが全く想像すらしていなかった地獄の扉」が開かれることになる。」

そして更に

「我々日本人が朝鮮半島和平でただ単に浮かれているようでは、取り返しのつかない損害を被ることになるでしょう・・・・
兎に角外交では(我が国の情けなさ、無能さも含めて)現実を直視することが必要です。」


日本は国を挙げてモリカケの蕎麦屋騒動からセクハラ騒動に明け暮れ、とうとう国会は野党議員が長期勝手気まま連休を決め込む始末。
こんな事で国を守れるのだろうか。暗澹たる思いである。

  1. 社会一般
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