2016-11-30 19:20

雪とタラの思い出

 今日で11月も終わり、今月はいろいろ話題がありました。まず驚いたのがこれ。

東京都心で初積雪を観測
2016-11-30東京の11月24日の雪 

11月に雪が降ったのが54年ぶり、積雪となると1875年(明治8年)の観測開始以来初めてだとのこと。
でもどうしてこんな雪がというと、地球温暖化のせいで雪が降るんだとか???。
世の中奇奇怪怪ですが、最近は太陽活動が停滞し、太陽黒点数が非常に少ない状態が続いていて、このままで推移すれば江戸時代初めのマウンダー極小期(1645年~1715年までの約70年間)並の寒冷な時代になると予想されている。しかし世の中の報道は温暖化だから雪が降るのだそうだ(苦笑)。

太陽活動の異変については以下エントリー参照ください。
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1278.html
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1280.html
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1281.html
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1282.html



さてそんな可笑しな話は置いといて、思い出話として暑い国タイにかかわる雪の話でも。

タイにはもちろん雪は降らない。しかし不思議なことに雪という言葉はある。「ヒマ」という。
では氷はというと・・・。タイの北部、チェンマイ辺りの山のほうでは冬に氷が張ることはある。しかしタイ語には一語で氷という意味の言葉はない。氷というときは「ナム・ケン」という。ナム(ナーム)=水、ケン=固い、だからナム・ケンは固い水で氷のことを言う訳で、もともとタイ語には氷という言葉が無かった。しかし氷が売られるようになり、冷蔵庫が出来、必要に迫られて作ったのが「ナム・ケン=氷」という言葉である。

どうして雪が無いのに雪という言葉があるか、これはタイの文明はインドから伝わってきたので、物はないが言葉だけ伝わったようだ。このことを説明するときは「ヒマラヤ」の「ヒマ」ですと説明している。(ヒマラヤは古代サンスクリット語で、雪の住居の意)


さてではここからは思いで話。
雪の魚という料理がタイにある。「プラー・ヒマ」という。
プラー=魚、ヒマ=雪なので魚+雪・・・魚雪・・・鱈、そうです、鱈(たら)です。

これがプラー・ヒマ、鱈の煮付と言った所。
2016-11-30プラー・ヒマ 

身が真っ白なので、確かに雪の魚というのもわかる。味は淡白なのでタイ料理の濃い味付けにもよく合います。

鱈は寒い海でとれる魚なので勿論タイでは獲れません。日本から空輸しているものです。
このプラー・ヒマという名前も鱈の漢字が魚+雪、それでプラー・ヒマと付けたのでしょう。
尚鱈という漢字は国字、つまり日本で作った漢字なので中国にはこの漢字は無い。誰か日本人が鱈をタイに持ち込み、魚+雪だからと名づけたのだと思います。
雪の話から鱈へ、食いしん坊の食い物の話でした・・・。


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2016-11-29 16:21

ルペンおばさんの話

 アメリカの外交問題評議会(CFR)が発行する国際政治経済ジャーナル「Foreign Affairs」に面白い記事があった。
来年春のフランス大統領選挙の有力候補マリーヌ・ルペンおばさんが投稿している。

2016-11-29ルペンおばさん 
マリーヌ・ルペンおばさん

このフォーリン・アフェアーズ・リポートは有料(それも高い)なのだが、無料で見られる最初の部分だけでも結構面白い。

<以下引用>
https://www.foreignaffairsj.co.jp/theme/201611_le_pen/
マリーヌ・ルペンとの対話
―― フランスの文化、独立と自由を取り戻す
マリーヌ・ルペン フランス国民戦線党首

「フランスは、欧州連合(EU)の一部であるときより、独立した国家だったときの方がパワフルだったと私は考えている。そのパワーを再発見することを望んでいる。EUは段階的に欧州ソビエト連邦のような枠組みへと姿を変えつつある。EUがすべてを決め、見解を押しつけ、民主的プロセスを閉ざしている。・・・メルケルは次第に自分がEUの指導者だという感覚をもつようになりその見方をわれわれに押しつけるようになった。・・・私は反メルケルの立場をとっている。テロについては、移民の流れを食い止める必要があるし、特に国籍取得の出生地主義を止める必要がある。出生地主義以外に何の基準もないために、この国で生まれた者には無条件で国籍を与えている。われわれはテロ組織と関係している二重国籍の人物から国籍を取り上げるべきだろう。・・・・」 (聞き手 スチュアート・レイド Deputy Managing Editor)
<引用終り>

ルペンおばさん、言っていることはまったく正論である。特にメルケルに関するこの部分
メルケルは次第に自分がEUの指導者だという感覚をもつようになり、その見方をわれわれに押しつけるようになった
これは昨年(2016年)3月に突然日本にやってきて、あろうことか来て早々アカヒ新聞で講演した、いくらなんでも安倍さんに会う前に「安倍の葬式は俺が出す」と公言してはばからない新聞社での講演、疑われても仕方ない。

さらに私がとても気になったのがこの写真、これは駐日ドイツ大使館のHPに載っている安倍メルケル会談の写真。よく見ると安倍首相の前には日本の国旗、メルケルの前にはドイツの国旗とEUの旗である。
2016-11-29メルケル訪日15年3月 
普通はお互いに自国の旗であるが、この会談ではメルケルはドイツの国旗とEUの旗を並べ、しかも自分の前の旗はEUの旗が手前、ドイツ国旗は向こう側である。(赤丸内参照)
私はこれを見てメルケルは自分がEUの親分と思っていると感じたのだが、ルペンおばさんもまったく同じことを言っている。メルケルは思い上がっているようだ。、
これからまだまだ波乱がある、そんなことを感じさせる話である。

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2016-11-25 14:23

神経内科フォーラムに行ってきた

 一昨日11月23日に名古屋駅前の逓信会館でのセミナーに行ってきた。
題して
「パーキンソン病と脳・神経の病気を知るセミナーin名古屋」
タイトルの通り、パーキンソン病に関してのセミナーだが、結構聞きごたえのある内容だった。

パーキンソン病は、脳の神経伝達に欠かせない「ドパミン」という物質が不足することで、ふるえ、筋肉のこわばり、動作の緩慢、姿勢反射障害などを引き起こす病気で、病気の原因が良く分からず、治療は症状を緩和することが中心になっている。
私の家族もこの病気と闘っているので、ちょうどいいセミナーなので参加してみた。
講師は名古屋大学の4人の先生方。病気そのものが難しい病気という事もあり、話は難しかったが大変面白い内容であった。

特に興味深く感じたこと。
パーキンソン病になると症状の一つとして「便秘」、「嗅覚の異常(鼻が利かない)」があり、これはパーキンソン病発症より随分前から出ていると言うことは知っていた。
今回のセミナーで「パーキンソン病で便秘とそれに関係する腸内細菌叢の関係」を調べているので協力してくれる人を募集中、こんな話を聞いた。
どうも腸内細菌叢でできたタンパク質の一種「α-シヌクレイン」が発症に関与している、そんな仮説が有るらしい。
そうすると、その仮説通りなら、「パーキンソン病だから便秘になるではなく、便秘が遠因の一つになって長年かかってパーキンソン病を発症する」、こんなことになるかもしれない。
病気と症状の因果関係が逆になる、そんな話である。

最近の病理学の進歩は素晴らしい、山中教授のIPS細胞の件がいい例だと思う。そんなことを痛感したセミナーだった。

たまたま全く別の話だがこんな報道があった。
「不安強める脳タンパク質 京大、引きこもり治療に光」
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016112201002110.html?ref=rank

人間の脳の中の蛋白質の状態など、昔は如何なっているかさっぱり分からなかった。それが今色んな方法で調べられるようになってきた。科学の進歩は本当に素晴らしいと思う。凄い時代に生きていることを実感する話だった。

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2016-11-20 09:41

焚書の事例から現代へ

 11月10日のエントリー「トランプが大統領になる」でGHQによる焚書の事例を取り上げた。またこの焚書は永らく戦後の闇に隠れていたが、西尾幹二先生が精力的に取り上げていることも前回紹介した。
今日はその焚書に事例とそれが現代につながる話を取り上げます。

最初に10日のエントリーで取り上げた焚書の例

2016-11-10GHQ焚書大衆明治史 
「大衆明治史 國民版」 菊池寛(著) 汎洋社 昭和十七年
41頁~61頁 (マリア・ルーズ号事件

2016-11-20マリア・ルーズ号事件 


さてこのマリア・ルス号事件、Wikiではこう書いている。この件の問題を理解するため、少々長いが我慢してみてください。
以下wikiの「マリア・ルス号事件」

マリア・ルス号事件(マリア・ルスごうじけん)とは、明治5年(1872年)に日本の横浜港に停泊中のマリア・ルス号(ペルー船籍)内の清国人苦力を奴隷であるとして日本政府が解放した事件。日本が国際裁判の当事者となった初めての事例である。

事件の概要
1872年7月9日、中国の澳門からペルーに向かっていたペルー船籍のマリア・ルス(Maria Luz マリア・ルーズ[1]、マリア・ルースと表記する書籍もあり[2])が横浜港に修理のために入港した[3]。同船には清国人(中国人)苦力231名が乗船していたが、数日後過酷な待遇から逃れる為に一人の清国人が海へ逃亡しイギリス軍艦(アイアンデューク号)が救助した。そのためイギリスはマリア・ルスを「奴隷運搬船」と判断しイギリス在日公使は日本政府に対し清国人救助を要請した。
そのため当時の外務卿(外務大臣)副島種臣は、神奈川県権令(県副知事)大江卓に清国人救助を命じた。日本とペルーの間では当時二国間条約が締結されていなかったため、政府内には国際紛争をペルーとの間で引き起こすと国際関係上不利であるとの意見もあったが、副島は人道主義と日本の主権独立を主張し、マリア・ルスに乗船している清国人救出のため法手続きを決定した。
マリア・ルスは横浜港からの出航停止を命じられ、7月19日(8月22日)に清国人全員を下船させた。マリア・ルスの船長は訴追され神奈川県庁に設置された大江卓を裁判長とする特設裁判所は7月27日(8月30日)の判決で清国人の解放を条件にマリア・ルスの出航許可を与えた。だが船長は判決を不服としたうえ清国人の「移民契約」履行請求の訴えを起こし清国人をマリア・ルスに戻すよう主張した。これに対し2度目の裁判では移民契約の内容は奴隷契約であり、人道に反するものであるから無効であるとして却下した。また、この裁判の審議で船長側弁護人(イギリス人のフレデリック・ヴィクター・ディキンズ[4])が「日本が奴隷契約が無効であるというなら、日本においてもっとも酷い奴隷契約が有効に認められて、悲惨な生活をなしつつあるではないか。それは遊女の約定である」として遊女の年季証文の写しと横浜病院医治報告書を提出した。日本国内でも娼妓という「人身売買」が公然と行われており、奴隷売買を非難する資格がないとの批判により日本は公娼制度を廃止せざるを得なくなり、同年10月に芸娼妓解放令が出される契機となった。裁判により、清国人は解放され清国へ9月13日(10月15日)に帰国した。清国政府は日本の友情的行動への謝意を表明した[5]。しかし問題はこれで終わらなかった。
翌年2月にペルー政府は海軍大臣を訪日させ、マリア・ルス問題に対して謝罪と損害賠償を日本政府に要求した。この両国間の紛争解決のために仲裁契約が結ばれ第三国のロシア帝国による国際仲裁裁判が開催されることになった。ロシア皇帝・アレクサンドル2世によりサンクトペテルブルクで開かれた国際裁判には日本側代表として全権公使の榎本武揚が出席。1875年(明治8年)6月に法廷は「日本側の措置は一般国際法にも条約にも違反せず妥当なものである」とする判決を出し、ペルー側の要求を退けた。
<引用終り。

所でこの当時、多数の中国人が苦力(クーリー)として海外に出ていった。中国には永年にわたる人口排出・奴隷輸出の歴史があるが、その一つである。
この件はピッグ・トレードという事で、ドイツ在住の丸山光三さんがブログに書いている。

ピッグ・トレードという名のシナ人奴隷貿易


このピッグトレードで輸出されたシナ人に関しては、私がタイで雇用したスタッフのうち、華僑系のスタッフから聞いても「おじいさんがゴザ1枚持って船に乗ってタイにやってきた」と言っていたりするので、そんな連中には別に古い話ではないと思う。

さて本題に戻ってマリア・ルス号事件だが、この件は高山正之さんが雑誌正論2016年8月号の「折節の記」にペルーに関してという事で一文を書いている。私がゴタゴタ書くより面白いので、それを引用したい。

<以下引用>
折節の記  雑誌正論 2016年8月号
高山正之

  日本とペルーの出会いは明治5年に始まる。その年、横浜港に入ったペルー船マリア・ルス号から積み荷の苦力1人が逃げ出し、英国艦に助けを求めた。
 英国は揉めごとが大好きだ。日本政府に彼を引き渡し、ついでに「奴隷廃止のいまどき、奴隷船が大手を振っている」とけしかけた。
 外務卿は曲がったことが嫌いな佐賀の藩士、副島種臣。法務卿は同じく江藤新平だった。ペルー船の船長を拘留し、苦力を解放すればお前を許すと言った。
 苦力は米国のラッセル商会の商品で、船は移送だけが仕事。船長はすぐOKして231人の苦力は船底の牢から解放された。
 大損したラッセル商会は怒った。ペルーを通して日本政府に賠償請求訴訟を起こした。
 国際法廷はロシア皇帝アレクサンドルニ世を裁判長にして開かれ、日本は榎本武揚を送って非道の苦力貿易を批判した。
 米陣営はパソナの竹中平蔵と同じに「苦力は奴隷でなく契約労働者だ」と主張した。
 しかしロシア皇帝はルーズベルトの義父、ウォーレン・デラノ(引用者注:義父ではなく、母方の祖父)が仕切るラッセル商会が阿片と奴隷貿易で儲ける悪徳商会と知っていたから、日本の勝ちを認めた。
 ペルーには多くの苦力がいた。彼らは日本の勇気に感謝したが、苦力を使う側のスペイン人は奴隷補給を絶たれて日本を恨んだ。
 報復のときは70年後に来た。(引用者注:フランクリン・デラノ・ルーズベルトが大統領の時)日本が真珠湾を攻撃すると米国は日系人をマンザナの収容所に放り込んだ。ペルーにも声をかけ、スペイン人は邦人1770人の財産を没収し、米国の収容所に送った。白人たちの報復はいつも陰湿だ。
 それから半世紀、ペルーの大統領選にアルペルト・フジモリが立ち、驚いたことに対抗の白人候補を破って当選してしまった。
 何で驚きかというと、ペルーを含む中南米諸国はどこも白人が支配階層にいて、彼らがインディオを犯して生ませたメスチソが中間階層を占め、その下に黒人奴隷と苦力の末裔、それと日本人移民が最下層を構成していた。
 フジモリは白人の血の入らない最下層に属していたが、彼を非白人層が支持し、それにメスチソたちが相乗りした結果だった。
 大統領になった彼はまずメスチソたち3万人を殺した共産ゲリラ、センデロルミノソを退治し、次にベラウンデ家とかプラド家とかこの国を支配してきた白人が独占する国会の改革に乗り出した。
 世に大統領のクーデターといわれる荒療治で、軍隊をして国会を制圧し、上下院計182人をクビにし、改めて120人定数のI院制に改めた。さらに国民所得が100ドルなのに毎月1千ドル出ていた議員年金を廃止した。
 白人の縁故で占められた役所にもメスを入れ、新たに公務員試験を導入する一方で、例えば3500人いた文部省は700人に人員を削減し、その分を学校建設に回した。フジモリ治世のころ、毎週、どこかで学校が開校されていたとエクスプレソ誌が伝えていた。
 おかげでインフレ率2千%の破綻財政は5年で立ち直った。
 これに白人が危機感を持った。フジモリ再選のとき彼らは国連事務総長で名門のデクエアルを担いだ。出馬宣言の日、彼はヘリでチチカカ湖に降り立った。インカの王がその湖から生まれたという神話をなぞったものだ。
 これにメスチソが反発した。そのインカ王も民も殺したのはお前らスペイン人ではないか。フジモリは記録的な圧勝で再選された。
 フジモリはその後、汚職と無事の市民虐殺の嫌疑で捕まった。汚職を追放した大統領が汚職をするわけもない。それは無実となったが、共産ゲリラを退治するとき、無事の民を巻き添えにしたという言いがかり訴因は白人判事によって認められた。報復はなった。
 今回の大統領選に白人側は東欧生まれのユダヤ系白人クチンスキを立て、フジモリの娘ケイコを何とか倒した。日本の新聞報道には一切人種が出ないから、読んでいてもさっぱり判らない。
<引用ここまで>

明治5年の話が延々と尾を曳き、日系人強制収容問題になった。
2016-11-20強制収容される日系アメリカ人 

ペルーと言えば、私には首都リマでの日本大使公邸人質事件を思い出すのだが、これを取材していた青山繁晴さんがその後勤務先の共同通信社を退職せざるを得なかったのには、このあたりの闇の世界が関係していると思っている(私の個人的感想です)。


焚書の話があちこちに飛んでしまいました。
焚書とはこんなアメリカにとって都合の悪いことを隠すために仕組んだものだった、そういう事が7700点もの膨大な書籍の一点ずつに色々ついている、そう思って間違いないでしょう。

日本を取り戻すためにはこんな歴史を一つずつ掘り起こしていく作業がどうしても必要ではないかと思うのです。

このマリア・ルス号事件でも、これだけで明治の日本が実に毅然とした態度で欧米の奴隷体制に対峙していたことが分かります。
多分焚書の中にはこんな話が沢山埋もれている、そう思います。

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2016-11-19 17:02

GHQが作った歴史の空白、焚書の話

  11月10日のエントリー「トランプが大統領になる」で戦後71年の頸木からの脱却としてGHQによる焚書を取り上げた。
しかしこの件は殆ど報道されることもないが、日本の真の独立のためにはどうしても避けて通れない事と思う。少なくとも他国の副大統領から、『日本の憲法は俺たちが書いた』などと言われるような情けない事。この根源にこの焚書がある。

幸い現在発売中の雑誌Will12月号(10月26日発売)に西尾幹二先生が「GHQ焚書図書開封シリーズ 現在にひびく占領軍の思想的犯罪」という論文を発表している。
大変貴重な論文なのだが、私が持っているのは西尾先生のこの著書

GHQ焚書図書開封  西尾幹二著 2008年6月30日 徳間書店刊
2016-11-19GHQ焚書図書開封 

内容はまさに驚異的な内容なのだが、その中で西尾先生がGHQ焚書とはどういうものか解説されている。以下は上掲Will12月号からの引用(P61~62)

『GHQ焚書図書開封』

 GHQによる「焚書」と言っても、ピンとこない方がまだまだ多いかもしれません。これは米占領軍が、自分たちに都合の悪い書物を日本国民の目から隠すため、戦前・戦中に日本で刊行された七千七百点(7769点)(数百万冊)もの本を廃棄させ、パルプにしてしまった、非文明的な行為のことです。米軍は「焚書」とは言わず、confiscationという言葉を使い、日本政府はそれを「没収」と訳していました。
 長らく日本国民に秘匿されていたその実態と、「没収・廃棄」された書物の内容を明らかにするため、私は二〇〇八年以来、『GHQ焚書図書開封』シリーズを八年かけて徳問書店より刊行し続け、第十二巻にあたる新刊『日本人の生と死』で、ひとまず区切りをつけました。
 その第一巻『GHQ焚書図書開封 米占領軍に消された戦前の日本』では、焚書とは何かを論じ、焚書のいきさつを語り、発掘した焚書をもとに新たな歴史の提示を行っています。以下、ご参考までに各巻の標題の一覧をここに掲げます。

『GHQ焚書図書開封』シリーズ
1 米占領軍に消された戦前の日本
2 バターン、蘭印・仏印、米本土空襲計画
3 戦場の生死と「銃後」の心
4 「国体」論と現代
5 ハワイ、満洲、支那の排日
6 日米開戦前夜
7 戦前の日本人が見抜いた中国の本質
8 日米百年戦争~ベリー来航からワシントン会議
9 アメリカからの「宣戦布告」
10 地球侵略の主役イギリス
11 維新の源流としての水戸学
12 日本人の生と死
  (徳間書店刊、6巻までは徳聞文庫もある)
 お読みいただければ、日本が何ゆえに戦争をしなければならなかったのか、そのときの日本人の心理はどのようなものだったか、アメリカは日本国民に何を隠したかったか、そして、いかにしてアメリカが日本の伝統と日本人の精神性を根こそぎ破壊しようとしたかがおわかりいただけるはずです。
<引用ここまで>

そして西尾先生も心底驚いているのが日本人協力者の名前。
日本人協力者は東京大学文学部が中心で、担当は2名の助教授(当時)尾高邦雄、金子武蔵と法科教授の牧野英一(多分この人がリーダー)、西尾先生は東大文学部出身で、著書によれば西尾先生の卒業当時、金子武蔵は文学部長だった、だから西尾先生の卒業証書はこの人の名前で発行されているはず、そんなことを書いている。これでは西尾先生も驚くはずだ。
また牧野英一は後に文化勲章を受章している(1950年、昭和25年)、オイオイ!、日本の思想・文化を破壊したやつが文化勲章か?。

そして西尾先生はこの当時の東大総長が南原繁であることを指摘し(当然承認しているだ)、南原は時の総理大臣吉田茂から「曲学阿世の徒(学を曲げ、世に阿るヤカラ)」と罵倒されるような悪いことを色々やっていたと指摘している。

曲学阿世の徒・・・、私も子供の頃この言葉を聞いた記憶がある。もっともその頃にはこんな言葉の意味など分からないが、この焚書に関しての話を読んでやっと納得した。
確かに南原は曲学阿世の徒、間違いない。
(参考までに、この言葉は吉田首相がサンフランシスコ講和会議を中ソ抜きで行おう(単独講和)とする政府を批判し、中ソを入れた全面講和を主張した南原東大総長を批判した言葉。この時中ソを入れていたら、日本はスターリンと毛沢東に無茶苦茶にされたはずだ)

さてそんな焚書なのだが、その具体例として前回紹介したマリア・ルス号事件、これを次回のテーマとしてもう少し書いてみます。百年以上前の事件ではなく、現在につながる話です。


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2016-11-17 15:45

反トランプデモに思う事

 アメリカの反トランプデモについてエントリーしたのだが、色々皆さんから情報をいただいたので、私なりに思うことを書いてみたい。


最初にこの反トランプデモ、不思議なことにアメリカのマスゴミはあまり報道しない。どちらかと言えば日本のほうが大騒ぎしている感があるのだが、そんな中WSJにこんな記事があった。

【オピニオン】トランプ氏抗議デモは「カタルシス」
統一テーマ不在で、怒れる人々の集合体に過ぎず
2016 年 11 月 14 日 15:28 JST

http://jp.wsj.com/news/articles/SB10043214266851864327604582435620739712012?mod=trending_now_2

2016-11-16反トランプデモ@NY 
全文は長いので文末に全文引用しましたが、その要点はこんなもの。

デモは持っているプラカードに書いてあること、デモ参加者の叫んでいること、これらはバラバラで統一された理念でデモが行われている訳ではない。持っている旗・国旗もバラバラである。
但しクリントン支持ではない
こんな事でこのデモは「カタルシス」と言える。
注:カタルシスとは、三省堂辞書によれば、「心の中に溜まっていた澱(おり)のような感情が解放され、気持ちが浄化されること」

そんなことでこのデモ騒ぎ、簡単には落ち着かないかもしれないがいずれ消滅するだろう、こんな見立てである。


しかし私にはこのデモ騒ぎ、もっと深いところに問題があるのではないかと見ている。前回の反トランプデモエントリーでも書いたのだが、黒幕は左翼投資家ソロスだという。

そして前回のエントリーに「けいさん」という方から情報をいただいた。
「NYでは、時給$35の10時間拘束で募集してました。トランプタワーの前まで行進したやつです」

また太玄さんからいただいた情報、これはデモ参加者を送迎するバスの写真
なんと韓国人が一枚噛んでいるとのこと。
2016-11-17反トランプデモのバス 

このバスを使うやり方で私はピンとくるものが有る。
不特定多数を金で呼び寄せてデモをする場合、カネの支払い方法が一番問題なのだが、バスが有れば最初にバスの中で何か番号札のようなものを渡し、デモが終わってバスに帰ってきたら、バスの中で番号札と引き換えに金を渡す。
こうすれば金の受け渡しが外部に見られることもない、大変いい仕組みなのだ。

こんなやり方はタイのタクシン派デモでやられていた方法と似ている。誰でも考えることは同じだ。
また私は詳しくないが、アラブの春で独裁政権を倒したり、ウクライナのオレンジ革命だったり、同じようなことでデモを煽ったりしたのではないだろうか。
但し発展途上国とアメリカは違う、発展途上国で通用した方法がアメリカでも通用するかというと、いくら何でもそれは無理だろう、そんな風に考えている。しかしソロスが簡単にあきらめるとは到底思えないのだが・・・。



WSJ記事は有料のため、全文を文末に添付するつもりで添付忘れしました。恐縮です。
以下が全文です、ご参考までに
<以下引用>
【オピニオン】トランプ氏抗議デモは「カタルシス」
統一テーマ不在で、怒れる人々の集合体に過ぎず

2016 年 11 月 14 日 15:28 JST

 次期米大統領にドナルド・トランプ氏が選出されたことに抗議するデモが収まらない。12日午後には、数千人のデモがニューヨークの5番街をユニオンスクエアからトランプタワーまで行進した。数日前から同様の抗議集会がロサンゼルス、ポートランド、シカゴなど全米各地で開かれていた。トランプ氏はデモ参加者の情熱が大好きだとツイートする一方、その多くはプロの活動家だと批判した。

 先週8日の投票後にまぎれもない選挙結果が判明したのに、そもそもなぜ抗議するのか。手がかりは参加者の掲げるプラカードにある。「F」ワード(訳注:汚いののしりの言葉)はもちろんのこと、「トランプ」、「ジュリアーニ」(トランプ氏を応援してきたルドルフ・ジュリアーニ元ニューヨーク市長)、「警察」、「家族重視」、「選挙制度」、「ニュート」(共和党のニュート・ギングリッチ元下院議長)、「アルパイオ」(アリゾナ州のジョー・アルパイオ保安官)、「トランプのAmerikkka」(KKKは白人至上主義団体の名称)など。ある女性はトランプ氏が税金を払わなければ自分も払わないと宣言。(アドルフ・ヒットラーをもじって)「アドルフ・トランプ」とあざけり、「痴漢の親玉」は「手を触れるな」と警告するものもあった。

 見識ある大学生は謝罪のメッセージを掲げた。「ご不便をおかけします。世界を変えようとしているので」あるいは「私の国が人種差別者でごめんなさい」といった具合。中でも最も人気だったのは「私の大統領ではない」だ。

 統一的なテーマを見つけるのは難しい。考えがみなそれぞれ違うからだ――戦争捕虜はヒーローだ、黒人の命は大切だ、オバマケア(医療保険制度改革)に家庭医を、スティーブ・バノン(トランプ陣営の最高責任者で保守系サイト「ブライトバート・ニュース」会長)は退場せよ――。

 群衆が叫ぶスローガンも一様ではない。多くはトランプ氏が公言した政策や個人的スタイルに強く反発していた。「大声で言おう、はっきり言おう、難民は歓迎されている」と叫ぶ声があった。男性は「君の体のことは、君が選ぶべき」と言い、女性は「私の体よ、私が選ぶ」と応じた。政策を批判するのにユーモアも忘れない。「彼の手はあまりに小さい。壁なんて作れない」

 ありとあらゆる旗――レインボー(性的少数者を示す)、プエルトリコ、無政府主義、社会主義オルタナティブ、メキシコ、米国(冒とくするものやそうでないもの)――が振られた。しかし、いかなる統一理念のもとにデモ参加者は行進していたのか?

 敗れたヒラリー・クリントン候補への支持ではない。確かに同氏の支持者は当初、「#ImStillWithHer」(それでも彼女とともにいる)というメッセージで存在感を示した。トランプ氏が第3回テレビ討論会で「なんて嫌な女だ」と侮辱したのを引き合いに「私たちは嫌な女、その通り」と叫び、「彼女とともにいる」と唱和した。しかしあっという間にそれは消滅した。

 クリントン氏の敗因を批判する声もない。史上まれにみる嫌われ者同士の対決で民主党が負けた理由を考えるより、群衆は声を合わせることに喜びを見いだした。

 私は徐々に理解し始めた。このデモは何かに怒る人々の集合体に過ぎないと。1960年代の左派運動を示すバッジを着けた白髪交じりの活動家は若い革命論者に語りかけていた。「全米家族計画連盟」のバッジを着けた男性は子どもを乗せたベビーカーを押し、「革命的共産党」を名乗るメンバーはビラを配っていた。中年女性グループは筆者にジャーナリストとして自由を享受できるうちはそうすべきだと警告した。

 異種混交のメッセージを掲げるデモは、主にプライマル・スクリーム(訳注:原初の叫びを表現することで抑圧してきた感情を解き放つ心理療法)として機能しているようだ。23歳の建築基準コンサルタント、クレア・ビーチさんは「カタルシス(精神浄化)のようなものだ」とし、「抗議することしかできない」と語った。

 ビーチさんが認めたように「大きな変化が起きるとは期待していない。ただ、こういう結果になったのに、何も声を上げないのは惨めだと思っただけだ」

 唯一、参加者の誰もが支持しそうな政策は、選挙人団の廃止だ。「一般投票の得票数ではこちらが勝ったのに」と訴える声は共通だった。 21歳のニューヨーク大の学生、エドゥアルド・エステバさんは「このせいでブッシュ(前大統領)が当選し、トランプ氏が当選した」と不満をあらわにした。ただ、どれだけこの抗議活動の規模が拡大しようと、制度はなくならないだろうとエステバさんは話した。

 数千万人の米国人が選挙の結果に納得しておらず、選挙期間中のトランプ氏の発言にもっともな懸念を抱いている。しかしカタルシスは大きな運動には発展しない。ただ旅行者の目を楽しませ、報道陣が集まってくるだけだ。

 この抗議デモはどこまで行くのか? 人々は心底怒っているため、当面は続くだろう。トランプ氏の来年1月の就任式にも支障があるかもしれない。それでもいずれは下火になるはずだ。民主党全国委員会の議長選は、トランプ氏に反発する勢力について、どんな抗議活動よりもはるかに多くを物語るだろう。

 しかし全く希望がなくなったわけではない。あるデモ参加者は友人に打ち明けた。「少なくともこれで私は最初の女性大統領になることができる」
<引用終り>


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2016-11-14 19:24

反トランプデモ

 アメリカの大統領選挙が終わっった。トランプに決まった。と思ったらいきなり反トランプデモなのか、反トランプ暴動なのか、可笑しな連中が騒ぎだした。
このデモ、暴動、おかしな話だが私には既視感がある。タイのタクシン派のデモとよく似ているのだ。

これが今回のデモの一例

2016-11-14反トランプ2 

かわいい女の子ですね。でもこれってどんな意味?。スペイン語ですが・・・?。
あんた、アメリカ人かね、それともメキシコ人なのかね???。

2016-11-14反トランプ1 
下品なものを持っていますね。この「F□CK」という言葉、日本語にはこんな下品な言葉はありません。

所でこれは2014年のタイ、軍事クーデターでタクシン派インラック政権を倒した直後のタクシン派のデモ。
詳細は以下ブログ参照ください
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-964.html

2016-11-14thai1.jpg 

タイ人たちは「欧米のメディアに見てもらいたい、だからこんな英語のプラカードを持っている」。こう言っていたのだが・・・

2016-11-14thai2.jpg 

こんな下品な言葉はタイ人は使わない。だからこれも欧米向けかな。


所でこの反トランプデモ(暴動)、黒幕は左翼投資家のソロスなのだという。
以下ブログ参照ください。
http://blog.goo.ne.jp/zaurus13/e/5f153aa0d1c6110d045823f43d69d098

このブログによれば、ソロスの仕組んだ反トランプデモは時給15ドルx4時間(=約6千円)位で雇われた連中が暴れているらしい。
まあ、ソロスならウクライナなどでも散々無茶をやっているので納得できる。おまけに彼の財力なら全米で騒動を起こすことなど朝飯前だろう。

所で1日6千円?、はてな?、タイの騒動でも1日6千円くらいで雇われた連中だったぞ。
オイオイ!、グローバリズムとはデモで暴れる日当までアメリカもタイもマル公の相場が有るんかいな(笑)。

こんな連中を暴れさせると、国内の分断が一層激しくなる。アメリカの病は相当重症だ。




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2016-11-10 15:38

トランプが大統領になる

 アメリカの大統領選は大方の予想を覆しトランプが大統領に当選しました。
私はこの開票状況を見ていて大いに考えさせられたこと、それは事前の調査だけでなく出口調査でもクリントン優勢だったのが逆転したことでした。

元々マスコミは民主党支持で凝り固まっていましたが、開票が始まって出口調査の結果が分かってきてもクリントン優勢。私は当初CNNを見ていたのですが、開票が始まってしばらくはコメンテーターも皆さん余裕たっぷり。皆さんクリントン支持だったので無理ないですね。
それが開票結果が入ってきてだんだんトーンが変わってきた。
私は出口調査でもトランプ支持と言わなかった隠れトランプ支持者が結構いたのではないかと見ています。

これが州別の色分け図、アカがトランプ、青がクリントンです。

2016-11-10アメリカ大統領選2016 

東海岸と西海岸が青、真ん中がアカですね。

この地図を見て昔きいたこんな話を思い出しました。
『アパラチアとロッキーの間に本当のアメリカがある』、こんな話です。
今地図を見ると見事に色分けされています。
トランプが本当のアメリカになるのかどうか、それはこれからですね。

この結果は戦後71年続いた現在の政治体制が大きく崩れた瞬間だったのでしょう。何せトランプは所属政党の共和党主流派からも支持されておらず、既存の政治家をほとんど全部敵に回し、また新聞テレビも全部が反トランプの大キャンペーン。その中での勝利ですから。

この件で戦後マッカーサーが大統領選に出馬するつもりだったのを断念した、その経緯を思い起こしています。マッカーサーは日本との戦争に勝利し、アメリカに帰国してきたときの国民の熱狂ぶりは凄いものでした。しかしマッカーサーは朝鮮戦争でアメリカの真の敵は日本ではなく共産主義、ソ連、中共だと思い知ります。それを1951年の上院公聴会で明言したため、アメリカの陰の支配者層から疎まれ、結局大統領選には出られませんでした。

トランプはそんなアメリカの影の支配者層を敵に回して尚選挙戦に勝利した、凄いことだと思います。

トランプ次期大統領の対日政策は分かりませんが、日本としては戦後71年の頸木からいよいよ解き放たれるチャンス到来でしょう。
最大の論点が憲法を日本人の手に取り戻すことでしょうが、それともう一つアメリカが占領政策としてGHQに命じた『焚書』、この焚書を開封することも大切だと思うのです。

今でも海外からは「歴史の書き換え云々」と日本に対し文句を言う輩がいます。
冗談じゃない、歴史の書き換えはアメリカが焚書というとんでもない手を使ってやっていたのです。
だから日本の明治以来の歴史にはあちこちにぽっかり大穴が開いている。

焚書は私も詳細は知識がないが、約7000冊もの図書が焚書に付された。しかもアメリカの要求に唯々諾々従った売国日本人が大勢いたようです。

そんな焚書の例を見つけましたので紹介します。

2016-11-10GHQ焚書大衆明治史 
「大衆明治史 國民版」 菊池寛(著) 汎洋社 昭和十七年
42頁~61頁 (マリア・ルーズ号事件、西南戦争)

この本の内容はここで見ることができます。
http://tncs.world.coocan.jp/tsmeijisi.html

このマリア・ルーズ号事件はwikiによれば

マリア・ルス号事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%82%B9%E5%8F%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6
「マリア・ルス号事件(マリア・ルスごうじけん)とは、明治5年(1872年)に日本横浜港に停泊中のマリア・ルス号(ペルー船籍)内の清国人苦力を奴隷であるとして日本政府が解放した事件。日本が国際裁判の当事者となった初めての事例である。」
こうなっています。

こんな明治時代の歴史の本が焚書?、こう思うのだがこのマリア・ルーズ号事件、この奴隷を運ばせた荷主はアメリカのラッセル商会。
このラッセル商会はアヘンと奴隷貿易で莫大な富を得た悪徳商人。そのラッセル商会の中国広東でアヘンと中国人奴隷の輸出入を担当していた取締役がウォーレン・デラノ。このアヘン貿易は当時のアメリカ政府の公認だった。
そしてウォーレン・デラノの孫(娘の子)が第二次世界大戦当時のアメリカの大統領フランクリン・デラノ・ルーズベルトだった。

そうか、それでアメリカは無茶苦茶な反日政策だったのか、そう思うのですが、この話にはさらに続編が。
フランクリン・デラノ・ルーズベルトは第二次大戦当時、日本人を「日系人強制収容所」に入れてしまいます。そこになぜかペルー在住の日系人も収容された。
そんな話が延々と続くのですが、これは別の機会にします。

こんな焚書を開封する、こんなことを地道にやっていくことが必要ですね。

安倍さんは早速トランプ氏と会談することを決めたようです。こんな厄介な話はすぐには出来る筈もありませんが、日本の真の独立のための長い道のりが今始まった、そう思います。
  1. アメリカ
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2016-11-07 17:41

こんなカレーを食べた

 今日の昼飯はカレー、こんなカレーを食べました。

2016-11-7海軍カレー2種 


今日買い物に入った地元の食品スーパーにこんなカレーが並んでいた。
私が食べたのは右側の「鹿屋海軍航空カレー」、
こんなものがごく普通に食品スーパーの店頭に並んでいる。時代は変わったものです。

尚鹿屋基地の資料館には平成4年に鹿児島県錦江湾などから引き揚げられた零戦52型が復元展示されています。
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2016-11-06 14:47

飛燕から現代へ<続編

 神戸へ三式戦闘機飛燕を見に行ってきたのだが、その悲劇の戦闘機飛燕、それが現代に繋がっているという話を書いてみたいと思います。
最初に先回紹介した縄文人さんのコメントにこんな記述が
「アメリカの戦闘機は機体が滑らかに作ってありましたが、日本の戦闘機はどうしても凹凸が出ました」。
これは先日見た飛燕の別角度から
2016-11-6飛燕主翼 

確かにパネルに凹凸があります。特に主翼の先端などハッキリ見えますね。
これはこのパネルが「手叩き」で成形しているためです。
私が若いころ、金属のプレス加工の勉強をしましたが、その時のプレス加工の本に今でも覚えているこんな記述がありました。
「戦時中、空襲が激しさを増す中、工場ではトンカラトンカラとハンマーの音を響かせ、手叩きでパネルの成形をしていた。しかしその頃アメリカでは大型のプレス機と金型でパネルをプレス成型していた。だからパネル一つとっても日本製は精度もよくないし、ばらつきも多かった。これが日米の差だった。だからしっかりしたプレス加工で・・・」、こんな話でした。

縄文人さんの言われた日本とアメリカの飛行機の機体の滑らかさの差、これがこんな基礎技術の差が出たものだったのです。

またNINJA300さんのコメントの中にこんな話。
「渡部昇一先生の本で昔読んだ記憶があるのですが、戦前の日本はマザーマシン(機械を作る機械)の生産を海外に100%依存していた。だから、戦争がはじまって時がたつにつれ、機械が老朽化して不利になっていった」
この件も昔、国内大手工作機械メーカーの方に同じ話を聞きました。その方は
「だから我々はどうしても国内で開発・生産している。あの敗戦の悔しさを忘れてはならない」。

こんな事で日本が戦後の復興から発展過程では、多くの方が色んなところで敗戦の要因をかみしめて、そこから脱却を目指していた。
中でも日米の差の大きかったのが品質の違い。これは日科技連(日本科学技術連盟)が中心となって啓蒙活動を進めてきた。
この活動には経団連が積極的に関与し、品質改善は日本の産業界の大きなテーマだった。
この当時、日本では品質管理に関する関心が一気に高まり、QC、TQC、TQMと言われ、1970年代はまさに一世を風靡した。日本の品質が世界に認められ始めたのもこの頃から。
私もその頃品質管理を一生懸命勉強した一人、そして先生方も、あの敗戦の悔しさを決して忘れず、品質で世界一を目指そうと教えていた。

こんな経過から生まれたのが「デミング賞」である。
デミング賞は品質に関して功績のあった個人に与えられるもの(デミング賞本賞)だが、その実践を行った企業に与えられるのがデミング賞実施賞(現デミング賞)であり、大変な名誉とされた。
デミング賞委員会は委員長が経団連会長、事務局が日科技連となっており、現在も存続している。
デミング賞は1951年から毎年何社かが受賞しているのだが、有名になったのは1960年に日産自動車が受賞した時、コマーシャルなどにも使われ大評判となった。
所が1980年代に入ると、デミング賞を受賞した会社で不祥事が続出、また業績も不振になり、デミング賞を受賞すると会社が左前になると言われるようになった。品質の作り込みは毎日の企業活動の積み重ねであるが、デミング賞はそれを受賞するのがゴールになってしまって、以後の活動に結びつかない欠点があった。
この結果、デミング賞は1997年を最後に受賞会社無し、デミング賞の後に出来た日本品質管理賞(現デミング賞大賞)も2000年以降はインド・タイなど外国企業の受賞だけになってしまった。

私は1998年からタイで仕事をしてきたが、タイでISO9000(品質規格)/QS9000(アメリカのビッグスリー向けの品質規格、ISO9000に独自部分を追加したもの)品質規格を導入することにし、ISO9000/QS9000を徹底的に読み込んでみた。
その結果、ISO9000は日本のTQC、TQMを徹底的に研究し、その良いとこ取りしていることが分かった。このことはQS9000で一層顕著で、何を言っているかわからない部分を日本のTQCの直訳だと読むと理解できる部分まであった。(参考:ISO9000の制定~1987年、QS9000の制定~1994年、なおQS9000は現在はISO16949となっています)
特に1S0/QSで一番良いと思ったことは以下の3点
① 経営者の責任
② 品質システム
③ 内部品質監査  だった。

以上のようなことをやってきての経験からこんな事に気が付いた。
日本のTQC、TQMが育たなかった原因、デミング賞が立ち消えになってしまった原因、此れこそ日本がモノ作りでアメリカに負けた原因と同じではないかと。

前回の「飛燕から現代へ」エントリーで、kazkさんが『日本の技術とマネージメントの問題点』と指摘されてますが、まさしくTQC、TQMの問題点、デミング賞の問題点が、この「マネージメントの問題点」なのだと。

そしてせっかく日本が素晴らしい品質システムを考え出したのに、いつの間にか欧米にいいとこ取りされてしまった。これでは第二第三の敗戦と言えるのではないかと、こんな風に痛感してきました。

飛燕に関する話は以上です。なにやらまとまりのない話になりましたが、長い話にお付き合いいただきありがとうございました。


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