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2016-11-04 21:47

飛燕から現代へ

 神戸のポートターミナルへ「飛燕(ひえん)」を見に行ってきたことを書いたのだが、そこに興味深いコメントをいただいた。
三式戦闘機飛燕は悲運な戦闘機である。
問題はドイツから技術導入した液冷(水冷)エンジンに有った。製造しにくく、修理もしにくく、故障も多い、そんなものだった。
戦闘機は稼働率が大問題である。1回出撃して基地に戻ったら燃料と弾薬を補給したらすぐ次の作戦に飛べる戦闘機と1回出撃したら整備に3日もかかるような戦闘機では実際稼働できる機数は大違い。この稼働率最悪が飛燕だった。
優秀な整備兵の手で完璧に整備できれば素晴らしい性能、しかし整備がうまくいかなければ全く性能が発揮できない・・・。
しかし戦争末期にエンジンを空冷に換装した五式戦闘機は大変出来の良いものだったが、あまりにも遅すぎたエース登場だった。



これが今回レストアされた飛燕を別角度から

2016-11-4飛燕レストアを真横から


これが世界で現存する唯一の五式戦闘機、英国王立空軍博物館にある。
(終戦直前に完成した機体を前線に空輸する途中、カンボジアまで到着したところで終戦、英軍が持ち帰った)

2016-11-4五式戦闘機

確かに見るからに五式戦のほうがよくできた機体。これをもっと早く出せなかった設計者の無念、分かりますね。


そこで先日のエントリーにいただいたkazkさん、縄文人さんのコメントを紹介します。
皆さん大変よくご存じで、私の出る幕が無い・・・(涙)・・・、とは言うものの飛燕の悲劇はここで終わったわけではない。
時と所、そして人を変えて今日に続いている。そんなところを書いてみたいのだが、まずはkazkさん、縄文人さんのコメントを見てください。


最初にkazkさんからのコメント

三式戦ほど日本の技術とマネージメントの問題点を浮き彫りにしてくれるものはなかったと思います。

あまり知られていませんが三式戦のエンジン換装機である五式戦と同じエンジンを積んだ零式艦戦64型は基本設計が零式戦のほうが2年ほど早いだけで機体の大きさや重量も非常に似通っていますが性能は段違い、五式戦が圧倒しています。これは本来1942年中に登場できた機体で、この3年間の遅れが最大の問題でした。

機体設計をやった土居武夫はその限界を知り早期にハ40からハ112に積み替えろと言ってたのですが陸軍が頑として言うことを聞かなかったという経緯があります。機体に問題があったとすればそれはモーゼルの20ミリ機関銃を採用してしまったことですがこれは13ミリにでも換装できましたから問題ではなし、本来は陸軍が大東亜決戦機と呼んだ四式戦にかけるべきエネルギーを全て投入しても良かった機体です。

海軍だって大戦後半には相対的に零式戦の性能低下が甚だしかったのですからこれにかけるくらいの決断が必要だったんです。そうすれば戦局の様相はかなり変わったと思ってます。

ブログ主様は中島の半田製作所の近くにお住まいとのことですが、小生は過去30年以上この手の経緯を研究してきましたが中島飛行機の技術は徹頭徹尾二流だったというのが結論です。中島飛行機の採った施策とそれに乗っかった、もしくはそれを指導した陸海軍のマネージメントが劣悪であった、そうとしか言えないと思ってます。

極論ですが中島の作った飛行機の中で褒められるのは陸軍のキ27、キ46と海軍の97艦攻だけだと思ってます。

三式戦の悲運は日本の悲運の象徴であったような気がしてなりません。

後年、飛燕の設計者、土居武夫はYS11の図面を引きました。記録ではそうではないはずですがその戦闘機のような操縦性は戦闘機乗りの出身者が多い小国のパイロットたちが絶賛しました。それがすべてを物語ってます。

堀越も本庄も小山も皆戦後飛行機を断念しましたが土居武夫と菊原静雄は戦後飛行機を作りました。YS11とPS-1は彼らの執念を感じます。(引用者注:堀越二郎:零戦、本庄季郎:一式陸攻、小山悌:一式戦隼・四式戦疾風の設計者)
2016-11-02 23:05 URL kazk


引用者注
YS11:http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1022.html


PS1の後継機US2:http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-668.html


次は縄文人さんからのコメント

戦闘機開発競争は製品開発競争です
日米戦争について日本は色々と反省が必要であることは周知と思われますが、戦闘機開発競争に敗れたことに言及している書物は少ないように思います。
これについて最初に書かれたのは日下公人先生ではないかと思います。日下先生の詳細な分析がありますが、私が申し上げることはその受け売りです。
戦闘機の命は、何と言ってもエンジンにあるのですが、日本は米軍のように小型軽量で馬力の大きいエンジンを開発することができませんでした。
またB29のエンジン部分の写真を見て、アメリカが過給器の開発に成功したことを知りましたが、日本は作ることができませんでした。
新型エンジンの開発競争に敗れたことは仕方のない面もあるかもしれませんが、日本の場合、戦闘機の機種が多すぎると言う欠点がありました。限られた資源を極め付けのところに集中してこそ競争に勝てるのですが、日本の場合、軍官僚の担当者ごとに一機の戦闘機となってしまい資源の集中に失敗しました。
製作会社ごとに規格が違っており、一つの会社で余っている部品を他社の戦闘機に転用することができませんでした。
周辺の技術にも差がありました。アメリカ軍の戦闘機は機体が滑らかに作ってありましたが、日本の戦闘機はどうしても凹凸が出ました。
戦艦武蔵は、艦内電話がすぐに不通になりました。全く役に立たなかったようです。何でもない技術のように見えますが、日本にはなかったようです。中国の航空母艦はどうなのでしょうか。きっと信じられないところに信じられない技術の不足があるはずです。
それでも川崎のキ45改によってB29の損耗率は、P51が護衛につくまでは、50%を超えていたと日本の記録にあると聞きました。場合によってはほぼ全滅に近い時もあったと言う話ですが。
いずれにしろ戦闘機の機種が多かったと言うのは、意外に深い問題であると言うことです。
アメリカのように軍需産業を数社程度に絞り込むことは決して良いこととは思いませんが、そうではなく、軍の方で戦闘機開発について方針が統一されていなかったと言うことが致命的であると言うことです。
翻って現在の自衛隊はどうなのであろうかと心配です。
2016-11-03 15:51 URL 縄文人


とこんな所で次は次回に。
(続く)
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2016-11-01 13:32

飛燕を見に行ってきた

 一昨日の日曜日、神戸まで旧日本軍の戦闘機「飛燕(ひえん)」を見に行ってきました。
飛燕は日本に現存するのは一機のみ、終戦後奇跡的に破壊を免れた機体が残っていて、昨年まで鹿児島県の知覧特攻平和会館に展示されていた。
それを飛燕のメーカー川崎重工が創業120周年記念事業としてレストアすることにし、それが完了したので展示されたもの。

川崎重工創立120周年記念展 (10月15日~11月3日 神戸ポートターミナルにて)
http://www.khi.co.jp/120th-Hien/

2016-10-31飛燕@ポートターミナル

展示会場は神戸ポートターミナルの一角、決して広い所ではない。だから展示してあるのは飛燕と川崎の新型バイクNinja H2R 750Turboというレースコース用バイクだけ。
しかしこの人出である。
それだけ皆さん飛燕に興味があるようだ。


 三式戦闘機飛燕は悲劇の戦闘機である。日本ではほかの飛行機は殆ど空冷エンジンだが、これは液冷(水冷)エンジン。
ドイツのメッサーシュミットに搭載されているDB601というエンジンを国産化したものである。
しかしこのエンジンは日本の当時の工業力に合わず、故障が極めて多く、整備にも多大な時間がかかる代物で、結果として稼働率が低下し、戦場では苦労の連続だった。
さらにエンジンの生産がうまくいかないため、飛行機の生産工場ではピークで200機とも言われるエンジン無しの機体が出来てしまった。その為昭和19年の終わりころに急遽空冷エンジンを搭載することにし、五式戦闘機ができた。
この五式戦闘機は非常に出来が良いものだったが、まもなく終戦となった。


今回、レストアしようとしても、図面もすでに無く、レストア作業は大変だったらしい。
元々製造時にも当時の技術では大変苦労が多かったと言われている。

私が若いころスキーにいつも行っていたが、定宿にしていた民宿のご主人は「戦時中、各務原の工場(川崎重工岐阜工場、各務原にある)に徴用で働いていた。そこでは飛燕を毎日1機ずつ生産していた」、こんなことを話していたのを思い出します。

でもそんな未熟練工で、まったく新しい飛行機を作るのは苦労の連続だったのでしょう。
今回のレストアした飛燕の展示ではそんな苦労の分かる話がパネルに書いてあった。

例えば、操縦席の風防の修理、ガラス アクリルパネルの交換という所では
「割れやすいアクリルパネルと薄い板の風防フレームをリベットで止める作業は、達人級の職人が必要でした。
特に後部風防は手が入らないので、リベットを切る作業も、打つ作業も難航しました」

2016-11-1飛燕レストア


 さてここからは私のもう一つの思い出話。
私の若いころの話・・・(・・・遠い思い出です・・・)
日本はなぜアメリカに負けたのか、それを物作りの面から考えよう、そんなことでいろいろ勉強もしたし、いろんな面の改善活動をしてきた。合言葉は「追いつき、追い越せ」。
何せ生産管理も品質管理も生産技術も、言葉はあっても中身のない時代。
そんな時、日本の何が至らなかったのかを考えるのに、この飛燕をはじめとする沢山の事例は立派な反面教師。

そんな経験が実はその後海外で仕事をするようになった時、本当に役に立ちました。
特に現地スタッフに言葉の概念を教える、これが大変でしたが、技術者を養成するのに役に立ったです。


最後にオマケ
飛燕の展示と一緒に展示されていた川崎の新型バイク  Ninja H2R 750Turbo

2016-10-31NINJAH2R750turbo

これはレース専用モデルで、これで一般公道を走れるモデルではない。
でもバイク好きな若い人の真剣に見ている様子がうれしいですね。
バイクにしろ車にしろ、こんなカーガイ(クルマ好きの人)がもっと増えてほしいと思います。
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