2016-08-29 09:57

タイの運河計画再燃

 タイでまたマレー半島を横切る運河計画が浮上しているとの報道がある。
しかも今回は従来の候補地「クラ地峡」ではなく。そこから350キロも南、マレーシアとの国境に近い所だという。

<以下引用>
http://www.sankeibiz.jp/macro/news/160823/mcb1608230500012-n1.htm

幻の「東洋のパナマ運河」再浮上 中国とタイ、水面下で巨大プロジェクト
2016.8.23 05:00

 「東洋のパナマ運河」建設ともいわれる巨大なプロジェクトが水面下で動き始めている。タイ南部のマレー半島に全長100キロを超える大運河を掘り、艦船がマラッカ海峡を通らずインド洋から南シナ海や太平洋に抜ける計画だ。第二次大戦前から何度も浮かんでは消えてきた“夢のアイデア”。今回はアジアで影響力を増す中国の姿が見え隠れしている。

2016-8-28マレー半島運河の図


 一帯一路に合致

 熱帯の強烈な日差しが照り付けるタイ南部ソンクラー県ラノート地区。この地を含め5県にまたがる地域が、現段階で最も有力視されている。

 計画は200年以上前から何度も浮上しては消えた。戦前には日本が立案したこともある。過去の候補地はマレー半島で最もくびれた「クラ地峡」と呼ばれる地域だったが、今回有力視されるのはクラ地峡から約350キロ南下した場所だ。

 タイの元将軍で、プラユット暫定政権の主要機関「国家改革評議会」の委員も務めるタワチャイ氏が代表を務めるグループが5月、「タイ運河計画」と題する計画書を公表。周辺整備も含め建設費500億ドル(約5兆350億円)をかけ、長さ135キロ、幅350~400メートル、水深30メートルの運河を掘削し、タンカーなど大型船も航行できる

 タワチャイ氏と連携する運河推進派はソンクラー県の庁舎内にオフィスを構える。既に地元住民へのヒアリングなどの活動を始めた。オフィス責任者のクライタヌ氏は「南部の人々は地域の繁栄につながる運河建設を切望している」と力説する。

 計画を発表したグループの名称は「タイ中国産業促進協会」。後援企業には中国企業も名を連ねる。中国政府や企業からなる少人数のグループが3月以降、3度も現地を訪れ、衛星利用測位システム(GPS)などを利用して調査しているが、中国政府はこれまで関与を一切明らかにしていない。

 東南アジアの中国動静に詳しい外交筋は「運河は(中国が掲げる新シルクロード構想)『一帯一路』の目的と完全に合致する。運河を建設し独占的に運営するメリットは、経済的にも安全保障政策的にも計り知れない」と指摘する。

 タイ首相は否定的

 タイ国内には運河建設に反対の声もある。最大の理由は、反政府イスラム勢力を抱える深南部と国土が分断されてしまうことだ。プラユット暫定首相はこれまで「深南部の問題は解決していない。今は考える時期ではない」と運河計画に否定的な姿勢を崩していない。

 ただ、欧米諸国の批判を受けるタイ軍事政権は中国との関係を深めており、中タイ関係に詳しい消息筋は「中国側は、タイで軍政が権力を握っている間に合意することに自信を持っているようだ」と話した。(ラノート 共同)

【用語解説】タイの運河計画

 マレー半島北部のくびれている地域(タイ南部)に運河を掘り、艦船がマラッカ海峡を通らずにインド洋と太平洋を行き来できるようにする計画。19世紀に周辺地域を植民地化していた英国やフランスが興味を示したが実現しなかった。日本も第二次大戦前に建設を検討したことがある。1970年代には核爆弾を使って工事する計画も持ち上がった。現在は中国が運河建設に最も乗り気とされるが、海運の拠点としての国際的な地位が脅かされるシンガポールは反対している。(ラノート 共同)

<引用終り>


 私はこの地域の交易・物流に関してはいろいろ興味があり、その関係でクラ地峡はタイ時代に2度ほど見に行った事がある。当時暮らしていたのはタイ湾の東部、シラチャという街だった。そこからバンコク回りでクラ地峡までは片道約800キロ、往復1600キロで大半は一般道。それを日帰りで行くのだから今思い出しても無理をしたものだった・・・。
そんな事情があるので、このあたりの様子はある程度理解できる。

引用文の末尾にあるようにこのマレー半島に運河を作る計画は昔から何度も何度も計画されてきた。しかし結局実現しないまま今日に至っている。
そこへ再燃した運河計画、しかし沢山疑問点がある。
最初に場所がどんなところかというと

2016-8-26マレー半島地図追加版

最初にマレー半島で最も狭いクラ地峡ではなく、ソンクラー県からというのが気になる。ソンクラー県のラノート地区には大きな湖があり、それが利用できるが、そのあたりはソンクラー県、パッタルン県、ナコーンシータマラート県、トラン県、クラビ県が県境を接する地域である。
さらに厄介なのがタイの深南部3県に近いことだ。

タイ南部が危険なテロの横行する地域ということは良く知られているが、観光地でもなく、私も事情はよく分からない。
しかし深南部3県、パタニー、ヤラー、ナラティワートは元々パタニー王国という独立国だった。言葉はマレー語、宗教はイスラム教で、しかもマレー半島で最初にイスラム教を受け入れた歴史を持っている。
この深南部(マレー語圏・イスラム教圏)3県については上掲地図で茶色で示しました。

そんなパタニー王国だがタイの現王朝(チャクリー王朝)当初からタイの属国だったのを1902年にタイに併合、今日に至っている
この併合当時のタイ国王は大王と言われるラマ5世=チュラロンコン王で、現国王のお祖父さんである。
旧パタニー王国エリアは併合当時から独立運動を続けてきたが、最近これが激化している。しかしタイとしては併合当時のいきさつから簡単に独立を認めることなど出来ない。こんな事情がある。

こんな所に引用文にある完成想像図のような巨大な運河ができる。タイの首相が国土が分断されるというもの無理はない。
運河の幅350~400メートルというのは、バンコクを流れるタイ最大の大河チャオプラヤ川を超える大河が出現するという事で、首相が心配する国土が分断というのは間違いない。

さらにもう一つ厄介なこと。
今はほとんど話題にもならないが、マレーシア建国以前から(戦前から)マラヤ共産党という組織があり、長年活動してきた。
それがマレーシア独立以後徐々に追い詰められ、活動拠点をタイ・マレーシア国境のタイ側に移して活動してきた。
最終的にタイの仲介で投降したのは1989年、だからまだ30年にもなっていない。

マラヤ共産党の活動拠点は今はこんな風

2016-8-29マラヤ共産党の碑

これは会議場

2016-8-29マラヤ共産党基地の会議室

こんな地下トンネルもある

2016-8-29マラヤ共産党基地の地下トンネル

マラヤ共産党は華僑が中心であった。だから碑文にしろ会議場にしろ中国語ばかり。
こんな連中は投降したとはいえ、今もこの周辺で普通に暮らしている。

こんなことを紹介するのは、今も再起を目指して活動しているタクシン、この人物は大富豪・華僑・共産主義者である。
そんなことを以前も紹介してきた。
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-124.html

タクシンが選挙に強いのはこのタイ共産党の残党の組織が大きな力になっているのだが、大正三島活動地域は主にタイ北部、タイ東北部が活動の中心だった。
しかし私にはタクシンが再起を図って、マラヤ共産党の残党にも手を伸ばしているのではないかと推測している。

そんなことでこの運河計画を見ると、もちろんこんな無茶苦茶な計画は簡単には実現はしない。
だがこんな計画がタイ南部の独立運動などに大きな影響を与えるのは間違いない、そんな混乱こそタクシンのねらい目ではないだろうか。

さらにプミポン国王陛下は健康不安説が絶えないが、そんな所にもタクシンがつけ込むチャンスがありそうである。
いずれにしても中国のこの地域への進出加速は間違いなく、すでにラオス・カンボジアは中国に取り込まれている。
次はタイになるのであろうか。
目が離せない事態になってきたと思う。
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2016-08-21 10:36

バイデン発言に思う事

 18日のエントリーで『「日本の憲法はアメリカが書いた」とバイデン副大統領が言った』をエントリーしたのだが、バイデンはだから日本に核武装させてはいけない、これを戦後70年以上たっても未だに主張している。


所でこの件に関して興味深い話がある。
アメリカのトルーマン大統領が原爆投下を決定した、その会議に出席していた人にもし日本が核兵器を持っていたら、それでも原爆を投下したかと聞いてみた、こんな話である。

加瀬英明さんの近著「今誇るべき日本人の精神」(2016年5月20日 KKベストセラーズ刊)にその記述がある。
(p116-p117)

<以下引用>

今誇るべき日本人の精神   加瀬英明
第四章  日本人の精神を取り戻す

被爆国家である日本こそ核武装すべき

・・・略・・・

 私は、トルーマン大統領が一九四五(昭和二十)年八月に、広島、長崎に原子爆弾を投下することを決定した、ホワイトハウスの会議に出席した、ジョン・マクロイ元陸軍次官と、夕食をとったことがある。
 私は広島、長崎に対する原爆投下を話題にして、「もし、あの時、日本が原子爆弾を一発でも持っていて、アメリカのどこかに落とすことができたとしたら、日本に核攻撃を加えたでしょうか」と、質問した。
 小人数の夕食会だった。『ニューヨークータイムズ』の大記者と呼ばれた、ジェームズ・レストンも招かれていた。
 すると、レストンが驚いて、私に「なぜ、そんな当たり前のことを質問するのか。きかなくても、答えが分かっているだろうに」と、口をはさんだ。
 私は「これまで原爆投下の決定に参画した人に会ったことがないので、確かめてみたかった」と、答えた。
 すると、マクロイが「もちろん、君も答えを知っているだろう。もし、日本があの時に原爆を一発でも持っていたとしたら、日本に対して使用することは、ありえなかった」といった
 それ以来、私は日本は世界で唯一つの被爆国として、あの惨劇を二度と繰り返さないために、核武装すべきであり、どの国よりも被爆国家として、そうする権利があると、信じてきた。
 私は広島の平和記念公園の慰霊碑を詣でるたびに、「過ちは二度と繰り返しません。安らかにお休み下さい」という碑文を、核兵器を持だないために、悲惨な核攻撃を招くような過ちを、繰り返しませんという、誓いの言葉として読むべきだと、思う。
 日本が平和国家であれば、核兵器を持ったとしても、核攻撃を防ぐ抑止力として用いられ、外国を攻撃することはない。

<引用終り>


まさにこれこそ日本人が心に刻むべきことだと思う。日本が核兵器を一発でも持っていれば、広島・長崎の悲劇を防ぐことができた。それを原爆投下を決定した人物の一人から直接聞きだした事は実に重い話だと思う。


私はこれを読んでこの二つの点に納得がいった。

一つ目は、原爆という非人道的な大虐殺がいまだにアメリカ人の心を苛んでいるという事実

二つ目は、日本にはあのような非人道的な残虐行為に復讐する権利がある。だからこそアメリカは日本には決して核武装させない、アメリカを攻撃できるような航空機や空母、ミサイルを作らせない、これを未だに実行しているのだと


しかし、こんなことは例え分かっていてもペラペラ喋るべきことでは無い。だがバイデンはこれをしゃべってしまった。
退任したゲーツ元国防長官がバイデン副大統領については「過去40年間、ほぼすべての主要な外交政策や国家安全保障問題で間違った判断を下している」という訳だ。
この件は以下参照ください
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-878.html


だがバイデンは日本にとっては実に良いしてくれたと思う。
日本が本当に戦後から脱却するために何をどうすべきか、そして中韓の、その裏のアメリカの走狗となっているマスゴミやパヨク・左巻き・共産主義者などから日本を取り戻すために何をすべきか
こんなことを明確にしてくれた。

特に今尖閣で問題が火を噴き始めている。こんな時には大変いい問題提起だった。

最後に尖閣問題で中国が何を考えているか大変よくわかるブログがあるので紹介。
余命三年時事日記の
中国軍事委員会対日開戦議論(遺稿記事)
http://yh649490005.xsrv.jp/public_html/2015/08/21/124%E3%80%80%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A%E5%AF%BE%E6%97%A5%E9%96%8B%E6%88%A6%E8%AD%B0%E8%AB%96%EF%BC%88%E9%81%BA%E7%A8%BF%E8%A8%98%E4%BA%8B%EF%BC%89/

今回は話が長くなるので、ブログ紹介までとします。
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2016-08-18 16:13

「日本の憲法はアメリカが書いた」とバイデン副大統領が言った

 アメリカのバイデン副大統領がとうとう本音を言い始めた。
日本の憲法はアメリカが書いたと

 これは実に重要な発言である。従来からこの憲法はアメリカが1週間で作り上げて押し付けたものという事は分かっていた。
しかし日本の九条狂徒(教徒)はじめ、こんなことは決して認めようとはせず、平和平和と平和念仏を唱えれば敵は攻めてこないと信じている。
現に今月も300隻もの中国の偽装漁船が尖閣分捕りに出てきているが、事実を前にしてもこの妄信は変わらない。

しかし、アメリカの現職の副大統領の発言である。これの重さは計り知れないものがある
さあ日本の皆さん、そろそろ太平の眠りから覚めるときですよ。バイデンさんはこう言っている訳だ。

記録のため、とりあえずアップします。


最初は毎日新聞の報道

<以下引用>
http://mainichi.jp/articles/20160816/k00/00e/030/200000c

米国
バイデン副大統領「日本国憲法、米が書いた」


毎日新聞2016年8月16日 11時03分(最終更新 8月16日 17時39分)

 【ワシントン会川晴之】バイデン米副大統領は15日、東部ペンシルベニア州スクラントンで民主党大統領候補のヒラリー・クリントン前国務長官(68)の応援演説をし、「私たちが(日本を)核武装させないための日本国憲法を書いた」と語った。共和党大統領候補の実業家、ドナルド・トランプ氏(70)を批判する中での発言だが、米政府高官が、日本国憲法を「(米国が)起草した」と明言するのは極めて異例だ

 バイデン氏はトランプ氏を「事実から学ぼうとしていない」と批判した上で、日本国憲法の話題に触れた。トランプ氏が今春、日本や韓国の核武装を容認する発言をしたことを念頭に置いたとみられ、「(トランプ氏は)学校で習わなかったのだろうか? 彼に(大統領として)核兵器発射コードを知る資格はない」とも非難し、会場は笑いに包まれた。

 バイデン氏は今年6月、米公共テレビ(PBS)のインタビューで、中国の習近平国家主席に対して北朝鮮の核開発阻止で協力を求める中で、「日本は事実上、一夜で核兵器を製造する能力がある」と伝えたことを明らかにしている

<引用終り>

次に同じ内容だが、これはハフィントンポストの記事
朝日新聞の英語版と言ってもいい存在のハフィントンポストの記事なので、重複するが紹介します)

<以下引用>

http://www.huffingtonpost.jp/2016/08/15/biden-japan_n_11538084.html

「日本国憲法はアメリカがつくった」 バイデン副大統領が明言
The Huffington Post | 執筆者:安藤健二
投稿日: 2016年08月16日 13時24分 JST 更新: 2016年08月16日 13時24分 JST

アメリカのバイデン副大統領は8月15日、「我々が(日本を)核武装させないための日本国憲法を書いた」と発言した。アメリカの政府高官が、日本国憲法を「アメリカが起草した」と明言するのは極めて異例だ。毎日新聞などが報じた

この発言は、ペンシルベニア州で民主党大統領候補のヒラリー・クリントン前国務長官(68)の応援演説をした際に、共和党の大統領候補、ドナルド・トランプ氏(70)を批判する中で飛び出した。

イギリスのオンライン新聞「インディペンデント」によると、トランプ氏が日本に対して核武装を容認する発言をしたことに対して、バイデン氏は以下のように言ったという。

核武装を禁止した日本国憲法を我々が書いたことを、彼は理解してないのではないか。彼は学校で習わなかったのか。トランプ氏は判断力が欠如しており、信用できない。核兵器を使用するための暗号を知る資格はない

(引用者注:以下の部分は、上記バイデン発言に関連してハフィントンポストが独自に付け加えたもの。)
■憲法9条、発案者をめぐって諸説

第二次大戦後の1946年に交付された日本国憲法は、第9条で「戦力の不保持」を定めている。朝日新聞2014年5月2日朝刊によると、日本国憲法は連合国軍総司令部(GHQ)の最高司令官マッカーサー元帥から指示を受けた日本政府が、GHQと折衝を重ねて草案を作成。議会が修正を加えた。

憲法9条に関しては、当時の幣原喜重郎首相とマッカーサー元帥のどちらが発案したかについて諸説ある。拓殖大学のワシーリー・モロジャコフ教授によると、マッカーサー元帥は「幣原首相の発案」と証言している一方で、マッカーサー元帥の全面的なイニシアチブによるものという説もあるという。

<引用終り>


もう一つ、毎日記事の最後に日本は一夜にして核兵器を作る能力がある云々の記事があるが、その元記事は以下の物

<以下引用>

http://www.sankei.com/world/news/160624/wor1606240026-n1.html

2016.6.24 13:43
「日本は一晩で核保有可能」 米バイデン副大統領が習近平国家主席に発言

 【ワシントン=加納宏幸】ジョー・バイデン米副大統領が中国の習近平国家主席に北朝鮮核・ミサイル問題での協力を求めた際、「日本が明日にでも核を保有したらどうするのか。彼らには一晩で実現する能力がある」と発言したことが23日、分かった。

 バイデン氏が米公共放送(PBS)のインタビューで語った。

 習氏との協議の時期は明らかにしなかったが、習氏が「中国軍は米国が中国を包囲しようとしていると考えている」と述べたのに対し、バイデン氏が日本に触れ、米中の連携がなければ日本の核保有があり得るとの認識を伝えたという。

<引用終り>


もう一つ、これはバイデン副大統領とは関係なく、中国人民解放軍の内部資料の話。

<以下引用>

http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20160817/frn1608171850005-n1.htm

中国人民解放軍内部文書「日本は2000発の核弾頭製造可能」
2016.08.17

 7月の参議院議員選挙で、非改選を合わせて自民党を含む改憲勢力が3分の2を占めたことで、中国は安倍政権の憲法改正の動きに警戒を強めている。

 そんななか、ジャーナリストの相馬勝氏は「日本では右翼勢力が台頭しており、近い将来、核武装に踏み切るのではないか」などと予測する中国人民解放軍の内部文書を入手した。

 * * *

 中国人民解放軍の内部文書は「日本の核武装に警戒せよ、世界平和に大きな影響」と題し、人民解放軍機関紙「解放軍報」を発行する解放軍報社傘下の軍の内部部門である「国防参考」が出版。

 「国防参考」は軍の幹部を対象に、軍事情勢を中心にした中国内外の重要なニュースや時事解説、解放軍中枢からの重要指示などを伝達するものだ。

 中国の傅聡軍縮大使が昨年10月の国連総会で、日本の「核武装論」を非難している。今回の参院選の結果を受けて、中国が日本の核武装論をテコに再び対日批判を強めることが予想されるが、その動きは、この「国防参考」の内容からある程度、予測できるだろう。内部文書の主要部分は、以下の通りだ。

 日本では原子力発電所の稼働によって、核兵器を製造するための原料であるウランやプルトニウムといった核物質を豊富に保有している。同時に、核兵器を持たない国のなかでは唯一、ウランの濃縮や使用済み燃料の再処理によるプルトニウムの製造技術といった、核兵器に転用可能な核物質を製造する一連の技術も保有する。それゆえ、日本は「2000発の核弾頭を製造できる」とし、それも「短期間で」と付け加えている。

 さらに、文書は日本の核兵器製造をめぐる歴史的経緯や政治・経済動向、科学的な裏付け、日本の核武装正当化のための国際関係や領土問題に加え、日本の核武装を阻止するための中国の対応についても詳しく解説している。

<引用終り>


極めて物騒な話であるが、これが世界というものだろう。
日本はいよいよ太平の眠りから目覚めるべき時が来たようだ。
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2016-08-17 17:55

羽釜の話

 コメの話をエントリーしているのだが、どうしても書いておきたいことがある。
日本のコメの調理方法、釜で炊くという炊飯方法がもともと日本独自のものだという事だ。


日本の伝統的なコメを炊く釜、羽釜という。

これが今日も市販されている羽釜と木の蓋

2016-8-16現代の羽釜とふた

これが羽釜と竈(かまど)による炊飯

2016-8-16象印に見る羽釜

竈という熱効率の良く、保温性の良い設備と羽釜と重い蓋で炊飯時の羽釜の中の圧力を高くし、高温にする。
また重い木の蓋は水を吸うので、炊きあがったとき水滴がご飯の上に落ちるのを防いでいる。

そして、この羽釜による炊飯には独特のノウハウがある。それを昔からこんな言葉で言い伝えてきた。
『はじめチョロチョロ 中パッパ 赤子泣いても蓋とるな』、
こんな事を聞いた事が無いだろうか。

この飯炊きのコツ、正確にはこういうのが正しい様だ。
『はじめチョロチョロ 中パッパ ジュウジュウ吹いたら火を引いて 赤子泣いても蓋とるな』


所でちょっと見方を変えて、こんな方法が何時頃から普及していたのかというと江戸時代の中頃らしい。
それ以前はコメの調理は
蒸籠(せいろ)で蒸す・・・蒸しあがったコメは「強飯(こわいい)」という。こわいい⇒こわい⇒おこわで現在も使われていますね。

2016-8-17伊勢神宮のせいろ

せいろの無い昔々は「甑(こしき)」で蒸す・・・甕を火にかけ、水を熱する。その上に甑を置いて中にコメをいれて蒸す

2016-8-17甕と甑


もう一つの調理方法が「コメを煮る」方法。
上掲のような甕でもツボ・鍋でもよいので煮る・・・煮あがったコメは「姫飯(ひめいい)」または「粥(かゆ)」という

鍋はその後、こんな風に発展する。内耳鍋という。室町時代頃まではこんなものだった

2016-8-17内耳鍋
火にかけたとき、ヒモが焼けないように鍋の内側にひもをかけるようになっていた。

江戸時代になって鉄鍋が普及すると内耳鍋は使われなくなった。

これは北斎の浮世絵、諸国滝巡りの「阿弥陀が滝」に見える調理風景

2016-8-17諸国滝巡り阿弥陀が滝部分赤丸付き

こんな簡単な方法で煮炊きができた。このころには鉄の生産量が増えたので土鍋の代わりに鉄鍋を使うようになった。
鉄鍋ならヒモが燃えて鍋が落ちる心配がない。

鍋で煮たコメをもう少しおいしくする方法がある。
煮あがったコメの余分な水を(湯を)捨てて蒸らしたものを「湯取りメシ(湯取り法)」という。羽釜が普及するまではこれがメシの主流だった。
今でもこれは簡単に調理できる。炊きあがった「湯取りメシ」は粘り気が少なく、カレーライス等には良いのではないか。


前置きが長くなったが、コメの調理方法で蒸す、煮るとは違う方法が「炊く」である。
羽釜の登場だ。

羽釜が確認される最も古いものは鎌倉時代頃のもので、愛知県の知多半島で発見された。
これがその最古の羽釜、昭和36年に愛知用水に伴う発掘調査で発見されたもので、運よくほぼ完器に近い状態で出土。

2016-8-17半田市博物館の羽釜
羽釜は胴の径は約40センチ、高さは約50センチ、輪積みでつくられ、轆轤(ろくろ)で成形されている。

この羽釜は丁度いま愛知県知多半島の中ほど、半田市にある半田市博物館で知多の古窯展という展覧会を開催しており、そこに出品されている。(普段は愛知県陶磁美術館蔵)
この知多の古窯展は会期が8月31日までなので、興味のある方はどうぞ。


最後にもう一度現代に戻ります。
日本の炊飯器は昭和30年代に爆発的に普及しました。主婦の飯炊きの苦労を減らす画期的な商品だったのです。
竈と羽釜で飯を炊くのは最初から最後まで人が付いていないといけない、家庭の主婦にはとても大変な作業でした。
それが炊飯器の登場で炊きあがれば自動的に止まる。素晴らしい発明だったんですが、味はかまどと羽釜で炊いたご飯のほうがおいしかった。
詳しくは以下の資料参照ください。NHKのプロジェクトXの内容紹介です。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~tougyuu/nikki3a01.htm

その後も日本のメーカーはこの竈炊きご飯のおいしさを追及してきました。
そして最近の炊飯器(電気炊飯器、ガス炊飯器共)は遂に竈と羽釜で炊いたご飯並のものができています。

これは東京ガスのガス炊飯器の資料から

2016-8-17羽釜での炊飯を現代に再現
http://home.tokyo-gas.co.jp/living/kitchen/suihanki/lineup/s01.html


『はじめチョロチョロ 中パッパ ジュウジュウ吹いたら火を引いて 赤子泣いても蓋とるな』
この口伝の方法を現代の技術でどのように実現したか、それが上掲の図でとてもよくわかると思います。
(写真がはみ出してますが、中の文字を読みやすくするためです。ご了承を)
技術には長い歴史が要る。そして技術にはハードウェアとソフトウェアがあり、どちらが欠けてもダメ。
そんな事がよく分かる事例ではないかと思います。

最後に羽釜での飯炊きには「煮る・蒸す・焼く」という全部の調理方法がつまっているという人がいます。
最後の「焼く」は上掲図のところで最終工程で「一つかみの藁を燃やす行程」がありますが、ここで釜底の温度を上げ、「おこげ(お焦げ)」を作る、つまり炊きあがったコメを焼くわけです。

技術は一日にして成らずですね。感謝してご飯を食べたいものです。
  1. コメ
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2016-08-14 22:10

美味しいタイ米<しかし不味いのもある

 前回エントリーで「タイ米は不味いは誤解」を書いた。
確かにおいしいタイ米だが、しかし不味いタイ米も無くはない。そこで私のタイでの経験を書いてみたい。


 タイでの工場操業がある程度落ち着いてきたころ、従業員からメシが不味いので何とかして、こんな要望が出てきた。
最初は工場は昼勤一直だけ、そして昼飯は工場の食堂で出すのだが、値段は同業各社の値段を調べてほぼ横並び。
多少のうまい不味いはあるだろうが、大差はないはずと思っていた。

しかし従業員からは、おかずの種類が少ないとか、不味いとか、ご飯が不味いとか、まあ色々言ってくる。
そして最後に出てくるのが業者を変えろ、そんな事だった。
では業者を変えるとどうなるか。
業者を新しくしても暫くはいいが、またまた同じ話が蒸し返されてくる。
私も食べてみてもおいしくない。
(実は他社の食堂の飯も食べてみた・・・)

何度かそんなことを繰り返して、最後にコメは会社が購入して業者に無償支給することにした。業者にしてみると実質値上げ。
これで一件落着かというと実はそうではない。
その頃、社内で不祥事があり、現地人責任者を退職させた。その騒動の中でさらに不祥事が明るみに出てきた。
現地人責任者はいろんな業者に裏金(タイではコミッションという)を要求しており、なんと食堂の業者に対しても裏金を要求していたとのこと。そしてこれはタイでは当たり前の事になっているのだと言う。
そしてこの当時のわいろの相場は5%~10%だった。

食堂の業者にしてみると、ぎりぎりの費用で食事を作っている。その中からさらに裏金を支払わねばいけない。
だからおかずも貧弱になるし、コメも特別安い、つまり不味いコメにせざるを得なかった。
では普通の町の食堂や屋台などはどうか。
ご飯が不味ければお客さんは来なくなる・・・当たり前だ。だからご飯はおいしい。

だがお客さんが不満であっても、それしか食えない環境、会社の社員食堂とか、学校の食堂のようなところは飯は不味い
不味い飯の裏には賄賂・不正が臭う・・・。こんな事だった。
タイの飯が不味いという人にはこんな事情を理解してほしいと思っている。

さらに最近のタイの裏金事情。これはタクシン時代に入って凄いことになっている。
タイで未だに隠然たる力を持つタクシンなどはこの裏金で私腹を肥やしてきた。だから一般人も賄賂は当たり前になっている。
タクシン時代の賄賂は30%~35%である・・・日本人には想像を絶する世界だと思う。
こんなエントリーを参照ください。
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-528.html

最後においしいコメを不味くするタイのコメ管理について。

こんな写真を見てください、

タイのコメ保管状況

2016-8-14タイのコメ保管状況
これはタイがタクシンの妹インラック政権でのコメ高値買い上げによる莫大なコメ在庫問題での写真。
タイのような高温多湿の国でこの管理状態なら、コメの劣化が激しいのは理解できよう。
おまけに鳥や昆虫・ネズミなどがいくらでも入ってくる。これも当たり前だ。


所で日本のコメの管理状況はどうか。
日本では今はコメは低温倉庫での保管が当たり前だ。

これはコメの低温倉庫の一例
2016-8-14コメの低温倉庫外観一例

低温倉庫内部の一例 (上掲外観写真の建物内部とは異なります)
2016-8-14コメの低温倉庫内部
米にとって最適な温度13~15℃、湿度70~75℃で玄米を保管

所で単に低温ならいいかというとそうでは無い。7月8月のような高温多湿のところに13度から15度の低温で保管されたコメを出すとたちまち結露してしまい、コメがダメになってしまう。
だから低温倉庫には温度調整用の前室を設けたり、コメの出し入れ教育などで的確な管理をしている。

美味しいタイ米・日本米の裏にはこんな事情が隠れている。私のタイでの経験でした。
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2016-08-10 16:34

「タイ米は不味い」は誤解<無関係コメントにつき追記有

 コメの話をエントリーしているのだが、ネットであちこちを調べるといまだに「タイ米は不味い」、こんな話が聞こえてくる。
もう20数年前の平成のコメ騒動の時の事、緊急輸入したタイ米が非常に不味かった。その話が未だに記憶に残ってタイのコメの印象を悪くしているようだ。

この話は私はコメの専門家ではないもののタイで仕事をしていたとき、この不味いコメの真相を知る機会があったのでこの件を紹介したい。タイ米はおいしい、そのことを理解していただければ幸いです。

なおこの話は以下のエントリーを編集再掲するものです。


細川の殿様の罪<平成のコメ騒動を忘れてはならない
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-884.html


平成のコメ騒動については皆さんご記憶の方が多いと思うが、もう20数年前の1993年(平成5年)のことである。

平成の大凶作=1993年コメ騒動
https://ja.wikipedia.org/wiki/1993%E5%B9%B4%E7%B1%B3%E9%A8%92%E5%8B%95

1993年(平成5年)、日本は記録的な冷夏となった。原因はフィリピンのピナツボ火山の噴火(1991年)によるチリ・ガスが成層圏を覆ったためである。
この冷夏で日本は全国的にコメは大凶作となった。
全国平均で作況指数74、つまりいつもの年の四分の三しかコメが獲れなかった。
当時の日本全国のコメの必要量は約1100万㌧、最終的に250万㌧のコメを主にタイから輸入した。

しかしそのタイ米たるや極めて不味い、とても食べられたものではなかった。

その大凶作と細川の殿様が何の関係が有るか。ちょっと私のタイでの経験から聞いてください。

大凶作でタイ米はまずい、これは日本人ならだれでも強い印象を持っている。
私はその後タイで仕事をするようになったが、まずいと思ったタイ米は実に美味しい。
田舎のタイ人だけしか行かない辺鄙なところで食べても実に美味しい。
あの不味いタイ米は何だったのだろうか、こんな疑問を持っていた。


タイに行って2年ほどたった99年の終わりころ、タイ国王肝いりの精米プロジェクトと言うものが始まった。
タイの田舎の貧しい農民救済の為、国王肝いりの精米所を作り、中間マージンなしで農民の造ったコメを販売。
農民に少しでも収入を増やせるようにとの事だった。
当然それに協力する事にし、会社の食堂のコメをそれに切り替えた。
その時タイ政府のコメの担当のお役人さんと話をする機会が有った訳です。

タイ国王直々のコメプロジェクト、そこへ日系企業が真っ先に手を挙げてくれた、こんなうれしい事は無いという事でタイ政府が食糧庁の責任者をお礼に回らせた。こんな経緯での訪問でした。
仕事の話のあとでこんな質問。

私「数年前日本が大凶作の時タイ米を輸入したが非常にまずかった。しかし今どこで食べてもタイ米は美味しい。どうしてか?」
お役人さん「あの時は突然大量のコメを緊急輸入したいとの話だった。その量は200万㌧(最終的には250万トン輸入した)。しかし当時の全世界でのコメの貿易量は1100万㌧位、幾らタイと言えどもそんな量のコメなど準備出来る訳が無い。しかし古古米でもクズ米でも何でもいいと言うので家畜用にしかならない古古米、古古古米を出荷した。まあ豚のエサなので不味いのは当たり前」
こんな話だった。


タイで聞いた話は此処までです。
しかし全世界の流通量の2割を緊急輸入する、実務に明るい人ならそれがどんなムチャクチャか、どんなトンデモナイ相場の上昇を招くのか分かると思います。


例えば日本に人口1億2千万人としてその四分の一に相当する食糧が足りない、つまり3千万人分の食糧が足りないという事は当時のマレーシアの全国民、タイの人口の半分に相当する人の食糧が無い事を意味します。
如何にトンデモナイ事態か分かると思います。

実はこのとき、7月頃から天候不順で大凶作になると言われていました。しかし丁度このとき総選挙(7月)で政権交代。非自民・非共産連立政権ができ、細川のバカ殿が首相になった。(8月9日)
こんな混乱の中なので、大凶作が予想されながらもほとんど手が打たれていなかった。
そして8月下旬、第一回のコメの作況指数が公表され、大凶作が現実のものになった。

そしてこれからが細川の殿様の罪。
細川の殿様が首相になったのが93年8月のはじめ、そして8月の終わりころ、この異常事態がハッキリしました。
不慣れな部分が有ったとは思います。
しかし殿様はこんな豚のエサ並のコメを普通のコメと言って知らん顔をして国民に食べさせようとしました
事実関係を見てみると猛烈に腹が立ちます。
タイからの緊急輸入の第一船は同年11月18日に横浜に入港しました。このときこのコメは加工用と報道されています
確かにタイも主食用には向かないコメだが良いかと確認して出したコメでした。
このときの報道は以下で見ることができます。
http://www.mekong.ne.jp/linkage/thairice.htm

だがしばらくするとタイ米が店頭に並ぶようになりました。その数日前、突如国産のコメを販売禁止にする行政指導(事実上の命令)が出され、国産米が市場から消え、数日後国産米とタイ米が抱き合わせで販売されるようになりました
酷い所では国産米と緊急輸入したコメを混ぜて販売されました。

タイから出した時は主食用には向かない豚のエサ並みのコメ。それがいつの間にか国産米と同レベルとして売られることになった。
福島原発事故の時と同じです。所轄の官僚は当然そんなことは分かっているが政府のトップがごり押しして、無茶苦茶を押し付けたのです。

またマスゴミもこんな異常事態、気が付く人がいたと思うのですが全くスルー。
結果としてタイ米は沢山捨てられてしまいました。

あの当時はコメがスーパーの売り場から消え、国民はパニックになりました。
売り惜しみや買占め、時には値段が3倍位になった所もあったようです。
家庭の奥さん・お母さんの心配は大変なものでした。
政府は、殿様は陣頭指揮で事実を国民に知らしめるべきだったのです。

そして折角協力してくれたタイなのですが、タイ米はまずい、そんな評判を残し、タイの人の好意を無にしました。
更にタイのクズ米で良いから安いコメが欲しいと言って買っていたアフリカなどの貧しい国、この国は日本が買い占めたので安いコメが買えず苦労しました。

おいしいタイ米が不味いというレッテルを貼られた悲しい経緯でした。

<おまけ>
タイのコメのおいしい食べ方の一例

2016-8-10カイ・ケーン

タイの御飯の最も一般的な食べ方・・おかず載せ御飯又は汁かけ御飯(カイ・ケーンカウ・ケーン)


<追記します>
匿名の方から、このエントリーに関係ない長文のコメントが投稿されており、コメント欄が大変見にくくなっています。
匿名の方ですので返事はしませんが、念のため削除せずの残しておきます。見にくいですがご了承をお願いいたします。
  1. タイ
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2016-08-09 11:29

外国産のコメの値段

 外国産のコメがどのようにして日本に入ってきているのか調べてみた。


最初に日本のコメの生産から消費者までの流れの変遷はこうなっている。

2016-8-8コメの流通制度の変遷
ソース
http://www.maff.go.jp/j/study/ryutu_system/01/pdf/data8.pdf

平成20年の資料だが、現在も同じ。

昭和17年から平成7年までが食糧管理法、ただし昔ヤミ米と言っていた時代が長かった、そしてその後は自主流通米と言い換え。建前はともかく本音はいろいろ変化したと思う。

問題は1993年(平成5年)の平成のコメ騒動、これは昔ながらの食糧管理法下での出来事だった。
このとき緊急輸入として200万トン(最終的に250万トン)ものコメをタイから輸入
緊急輸入しておいて、コメは原則輸入しない、こんな理屈は通るわけもなく、同年12月にコメのミニマムアクセスによる無関税輸入を決定。(輸入は1995年から)
それが今日まで続いている。

なお平成のコメ騒動の時、輸入したタイ米が非常に不味かった、そんなことを記憶されている方もいると思う。
この経緯についてタイの食糧庁の係官から直接聞いた話がある。これは次回エントリーします。


さてそのコメのミニマムアクセスにより輸入はこうなっている。

2016-8-8コメの輸入制度
ソース
http://www.maff.go.jp/j/seisan/kikaku/pdf/ref_data3.pdf


コメのミニマムアクセスによる輸入は最初42万トン/年から始まり、現在では77万トン/年である。

この資料で左側の部分、コメの関税が778%と書いてあるが、これは事実ではない
事実は、コメの関税は「%」ではなく、キログラム当たりいくらの従量税であり、現在は341円/㎏である。
極端なことを言って、たとえ1円/㎏の値段であっても(ダンピングしてきても)、国内に入れば342円/㎏になる。
コメは一粒たりとも輸入させない、こんな話があるのはこの制度のためである。

では778%と云う関税はどうして出てきたか、この数字を算出したとき、コメの海外相場が44円/㎏くらいだったので、それなら778%に相当する、こういう計算上の数字。今こんな税率が存在する訳ではない。お役人様の国民ダマクラカシ数字である。
なおその44円程度という価格も、多分おいしい主食用のコメも豚のエサ用のコメもゴチャマゼの数字ではないだろうか。

参考までに以下がコメの実行関税の表。
http://www.customs.go.jp/tariff/2016_6/data/j_10.htm

ここを見るとわかるが、コメの関税は原則402円/㎏、WTO協定で341円/㎏、そしてさらに特例で無税、この無税がミニマムアクセス分だ。

このミニマムアクセス輸入米はどのように消費されたのか、過去20年間のデータ

2016-8-8コメMA米の販売状況
ソース:上掲と同じ

ここで見るとわかるが、政府の国家貿易によるミニマムアクセス分のコメ(つまり関税ゼロのコメ)は大部分が飼料用や加工用。
その中で10万トン/年が主食用で、これがSBS方式となっている。
なお、ではその他の輸入米は無いのかと言えば、極めて高額の関税のためほとんど輸入はゼロの様である。


一寸余談
裏の桜さんから沖縄のコメの流通は他都道府県とは違うとのご指摘があった。
調べてみると現在の沖縄のコメ収穫量は3千トン/年程度、県内のコメ自給率は4%ほどである。
しかし沖縄では昭和30年代はコメは3万トン/年くらいは収穫できていた。またアメリカ占領時代は海外のコメが自由に買えたので、主にビルマ産米を食べていた。また沖縄の地酒泡盛はタイ米を使って醸造されている。
こんな事情があるので、沖縄のコメに関しては裏の事情がたくさんありそうだ。しかしこの件は調べても分からないので、疑問とだけ提起しておきます。


次にSBSの入札状況、これは27年度8回の入札の7回目

2016-8-8コメのSBS結果サンプル
ソース
http://www.maff.go.jp/j/seisan/boueki/nyusatu/n_sbsrice/pdf/27_sbs7.pdf

ここで外国からのコメ輸入はアメリカ・オーストラリア・インド・パキスタン・タイの5ヵ国から入っていることが分かる。
また政府の買いの値段と売りの値段両方同時に入札し、売買差額が政府に入る仕組み、この差額分が農家への補助金の源資なんだとか。
そして前回紹介したのだが、この入札が最近不調になっている。海外のコメ価格が上がり、国内のコメ価格が下がっているので、この売買差額がなくなり入札が不調なのだという。

今コメの値段は日本人が普通に食べる「コシヒカリ」のようなおいしいコメ、このようなものを比べると内外価格差は無い
しかし海外には味よりも安ければいい、こんなコメも沢山ある。そんなコメと日本のコシヒカリクラスを比べれば、当然日本のものは高いという話にもなる。これは比較すべきでない、グレード違いを比べたもの。そうみていいと思う。


最後に参考として、 田牧一郎 (田牧ファームズ代表)さんの論考が大変参考になります。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/5562?page=1

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/6540

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/5006



次回は
・タイ米の話
・コメの調理法の話 を取り上げます。
  1. 農業
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2016-08-05 17:33

コメ造りにもっと光を

 参院選が終わって間もなく1ヵ月、結果はまあ良かったという所だが、私にはどうしても納得できないことがある。
それは一人区でも全体としては自民党が野党連合に勝ったのだが、自民党が一人区を落とした所が気になる。
コメどころばかりなのだ。

これが一人区の自民党と夜盗連合の色分け図。

2016-7-12一人区結果

野党が勝ったのは、福島、宮城、岩手、青森、新潟、山形・・・、皆コメどころばかりじゃないか。

実は今「コメどころ」では政府・自民党・安倍政権に対する不満が渦巻いている。
理由は・・・

コメの価格が2014年産米から暴落しているのだ。

私は農業に明るいわけではない。最近食品スーパーなどでコメが安く売られているなあ、そんな程度の知識なのだが、それでもコメ農家の危機的状況は聞こえてくる。

コメの価格がどうなったのか。wikiにはこんなページがある。
米価の変遷
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E4%BE%A1%E3%81%AE%E5%A4%89%E9%81%B7

これでここ23年ほどの米価の推移を見てみたい、(単位:玄米60キロ(一俵)当たりの価格、詳細は上掲資料参照)

1993年(平成5年)  23、607円     平成コメ騒動の年、この年の全国の作況指数74
1994年(平成6年)  23,172円

2002年(平成14年) 17,129円
2003年(平成15年) 22,296円     この年の米価は異常に高かった、02年・04年が平常の価格
2004年(平成16年) 16,660円

2012年(平成24年) 14,973円     
2013年(平成25年) 13,778円
2014年(平成26年)  9,340円     14年産米(2014年9月頃から市場に)から32%の暴落
2015年(平成27年)  9,432円


平成のコメ騒動辺りからコメ価格は緩やかに下落、約20年かけて40%ほどの価格が下がってきた
今から20数年前、平成のコメ騒動の頃の話。日本は世界のコメ相場とはかけ離れたベラボーに高いコメを食べていると言われており、事実そうだった。そして食料安全保障という面でやむを得ない、そう信じてきた。
しかし2014年は同年産米が豊作で喜んだのも束の間、価格の暴落でまさに豊作貧乏状態

今改めてコメの値段を見てみると、平成のコメ騒動時代に比べて、コメの値段は半値以下、1994年の値段の約40%の値段である。

消費者は最近コメが安くなって有り難い、そう思っているだけだが、今コメ農家は大変である。
商売をやっている人ならわかりますよね。いきなり売り上げを3割カットされて成り立つような商売はありません。

参院選でコメどころの一人区での選挙結果は自民党が連敗状態。この背景にはこんなコメ農家の窮乏があることを理解しないといけないと思う。
しかし残念ながらこんなことはまったく報道されない。


所で目を海外に転ずると、コメの価格は日本とは全く違う動きをしている。
これはコメの国際価格推移グラフ

2016-8-5コメの国際価格推移
http://ecodb.net/pcp/imf_usd_pricenpq.html


コメの国際価格は変動が大きいが、最大の上昇は2008年のリーマンショック前の資源バブル時代。グラフにあるように大きく高騰したが、その後価格は以前の水準に比べれば高止まり状態。


さてこれからが問題。
このように日本では米価が大きく下落。しかし海外はコメの価格は上昇。
このため日本のコメは価格面で国際競争力を持ってきた。

残念ながらこの話は情報が少ないが、キャノングローバル戦略研究所 山下 一仁氏がこんなことを言っている。

2016-8-5コメの価格比較

http://www.canon-igs.org/column/macroeconomics/20150427_3072.html

ここでSBS方式というのは以下参照ください
http://gewerbe.exblog.jp/18845490

このグラフのように日米のコメ価格は遂に逆転しているのだ。

これはある意味日本にとって大きなチャンスかもしれない。日本が20年デフレに悩まされてきた。
その結果コメもついに値段でも国際競争力を持つようになってきた。今まで国際価格の10倍もの高いコメを食べているなどと言われてきたが、実はその裏でこんな事が起こっていたという事である。

ネットには例えばタイの高級米であるジャスミンライスは日本のコメよりったかく売られているなどという話もある。
http://matome.naver.jp/odai/2136512311115823401

農業を志す人にはすごいチャンスがやってきているようだ。
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2016-08-03 11:56

イギリスが変わり始めた

 参院選だ、都知事選だと選挙選挙の7月が終わった。
所でそんな騒動で話題にもなっていないがイギリスのEU離脱の国民投票の結果誕生した新政権。
その新政権が中国出資の原発計画に待ったをかけた。


<以下引用>

イギリス原発計画、メイ首相が最終決定先延ばし 中国の出資を懸念か
2016年8月1日(月)10時12分
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/08/post-5572.php

メイ英首相は、サマセット州ヒンクリーポイントの原発新設計画について、プロジェクトの最終決定を遅らせる方針を明らかにした。関係筋などによると、中国の出資に伴う安全保障上の懸念が背景にあるという。
・・・以下略、詳細は上掲リンク先参照ください・・・


遅ればせながら、やっと日本でも報道され始めた・・・

メイ英首相、前政権の“親中政策”見直しか 中国企業の原発建設参加に懸念
2016.08.02
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20160802/frn1608021700007-n1.htm

<引用終り>


世界が驚いたイギリスの原発への中国出資。
イギリスは忘れているかも知れないが中国は忘れていない。アヘン戦争の屈辱だ。
中国ではアヘン戦争の屈辱の敵討ち、そんな思いでいたのだと思い。
そんなことでこの原発見直し、良いことだ。


所でイギリス新政権、メイ首相はもっといいことをやっている
2008年に労働党政権時代に作った「気候変動省」に大ナタをふるったとの報道がある。

<以下引用>

英国メイ政権 エネルギー気候変動省(DECC)を廃止。新設の強力経済官庁に統合。EU離脱交渉にらみで気候変動政策を「人質」か(RIEF)
2016-07-16 22:35:07
http://rief-jp.org/ct4/62973

 英国のテリーザ・メイ新首相が世界の気候変動関係者にいきなりのパンチを食らわせた。欧州連合(EU)離脱後の英経済強化のため、ビジネスとエネルギー、産業戦略を統合した新たな役所を設ける一方で、これまで気候変動政策をリードしてきたエネルギー気候変動省(DECC:Department of Energy and Climate Change)を廃止すると発表したためだ。
・・・以下略 詳細は上掲リンク先参照ください・・・

<引用終り>

メイ首相、なかなかやりますねえ。さすがクライメイトゲート事件の発端を作った国だけあります。
イギリスは大きく変わろうとしている。その一つの表れがこんなところ。
残念ながら日本のマスゴミはこんな大きな動きは殆ど報道しないが、こんなニュース、これからも注目していきたい。
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2016-08-01 17:39

太陽はご機嫌斜め<最終回、処方箋は?

 太陽活動の異変を見てきたが、太陽は無黒点と小さな黒点が現れる状態を繰り返しているようで、昨日まで見えていた黒点が今日は無くなっています。
さて太陽活動の異変が寒冷化につながるのですが、では如何したらいいのか、そんなことを考えてみたい。


寒冷な時代と言えば日本一の豪雪地帯新潟県にそんな豪雪と闘ってきたところがある。

先ずはこんな写真を見てください。

2016-7-26山古志村の新旧中山隧道

現在は新潟県長岡市山古志、新潟県中越地震の時、全村孤立し話題となった旧山古志村の一番奥、小松倉地区にある中山トンネルである。
正面が現在のトンネルだが、これは平成10年に開通したもの。右手に見える小さな小さなトンネルが中山隧道でこれは村人が手掘りで掘ったトンネル。完成までに16年もの歳月を要して昭和24年に開通した。

この件は無才さんのブログ「無才の古今往来」で取り上げられていたもの。

http://musai00h.blog.fc2.com/blog-entry-1581.html

http://musai00h.blog.fc2.com/blog-entry-1578.html

詳細な写真などは無才さんのブログに詳しいので、そちらを参照ください。
感動的な話がたくさんあるようです。
冬には4メートルもの積雪のある豪雪地帯。そしてこの小松倉地区はこの隧道着工時で50戸程度の小さな集落。そこからどこへ行くにも峠越えという所で村人が難渋していた。そこで自分らで峠の下にトンネルを掘ろうとしたのだという。

詳しい話は以下資料参照ください。
中山隧道の土木史物語
http://dspace.lib.niigata-u.ac.jp/dspace/bitstream/10191/11484/1/10_22_0002.pdf


さてここからが本論。
こんな寒冷化にどう対処するか、それがこの中山隧道を手掘りで作り上げた先人の苦労話から読み取れます。
インフラ整備です
しかもお上が動かなければ自分らが行動する。そんな努力で豪雪を乗り切る。こうだと思うのです。
この中山隧道の場合、このトンネルの先には多分数十戸の小さな集落しかないでしょう。それでもこんな苦労をしてでもトンネルを作って生活している、その努力が多分県を動かして、立派なトンネルができたのではないでしょうか。

日本は道路などのインフラは一応整備されているように見えます。しかし実際は増える自動車に道路が全く追いついていません。
特に最近高架道路が増えていますが、この高架道路はほんのちょっとの積雪でも通行不可能になります。
原因は凍結しやすい、路肩が狭すぎて一台止まると後ろが全部止まってしまう等などなど、災害に弱いのです。

寒冷化の時代にはそれに見合ったインフラの整備が重要。
太陽活動の停滞ぶりを見ながら、そんなことを思っています。

太陽活動の話は今回で終了します。分かりにくい話でしたがお付き合いいただき有り難うございました。
  1. 気候変動
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  3. CM(0)