2015-01-31 17:12

「tsunami_lucky」だと? これは聞き捨てならん

 29日にサザンと桑田ケイスケの歌はもう二度と歌わないと書いたのだが、その中で引用文にちょっと引っかかるものが有ったので調べてみた。
何が気になるか?
「フジテレビが「tsunami_lucky」と書いた名刺を使用した震災ドラマ、桑田佳祐が主題歌を担当、タイトルが「Yin Yang」(陰陽 = 韓国国旗の中心にある赤青)だった」

「tsunami_lucky」だと? 此奴は聞き捨てならん。
調べてみるとこんなモノだった。
フジテレビが東日本大震災を題材にしたドラマ『最高の離婚』で放送した名刺(小道具)の
メールアドレスは「tsunami_lucky」(津波ラッキー)だった!

『最高の離婚』(さいこうのりこん)は、2013年1月10日から3月21日まで毎週木曜日22:00 - 22:54に、フジテレビ系列の「木曜劇場」枠で放送。
問題の場面は3月14日の第10回の中に有った。

3月14日!! 東日本大震災の3回忌が3月11日。その3日後ではないか!!

2015-1-31都並竜也の名刺

この回だけ登場する人物の名前がである。
幾らなんでも大震災から丸二年、まだその記憶も消えやらぬその時にこんな非常識な名前を付ける。
しかも「tsunami_lucky」(ツナミ ラッキー)である。


桑田ケイスケよ、長年君の歌が好きで歌ってきたものとして此れだけは言っておく。
「トットとおめえの好きな国に帰れ、二度と日本なんかに来るんじゃねえ」


だがこの件ではもう一つ思い当たる筝。
此れも日本では決して報道されないのだが、韓国には一般に「ツナミ」と言われる醜悪な建物が最近完成した。
2012年8月に完成したソウル市新庁舎である。

2015-1-31ソウル市役所新庁舎

奇妙な建物だ。左側にある古い建物は旧ソウル市庁舎、日本統治時代の1926年10月完成。
当時は旧京城市庁舎、韓国になってからソウル市庁舎として使われてきた。
現在は登録文化財(第52号)に指定されている。

これが旧ソウル市庁舎、中々風格のある建物だ。

2015-1-31ソウル市役所旧庁舎



最初の新庁舎の写真では分かり難いが、これが多分新庁舎開所時の写真

2015-1-31ソウル市役所新庁舎1

そしてこれが多分開所時の風景写真。普通の人にはこんな風に見える。

2015-1-31ソウル市役所新庁舎2


日本時代の古い建物を巨大な津波が襲いかかっているように見える。
だから韓国の人はこの建物をツナミと言っている。そりゃあそうだ。これを見てツナミを連想しない人はいない。
そして誰でも思う。
小さな日本を巨大な韓国が襲いかかっている・・・と。

minaQさんによれば、専門家は“日帝さえ特別な念を入れたソウルの心臓部に私たち自ら大きい間違いを犯した”という酷評をしているのだとか。

この建物が出来たのは李明博大統領時代。
そしてこの新庁舎完成(2012年8月31日)直前の8月10日、李明博大統領の竹島上陸。
更に8月14日、天皇陛下に「ひざまずいて 謝らねばならない」との謝罪要求。
こんな時期だった。

この李明博はその前年に「日本征服完了宣言」をしている。

曰く
我々はすでに日本を征服している」:日の丸が韓国旗に変わる日は近い?
北朝鮮の復興は心配ない。
日本にやらせるのだ。
私が全てのカネを出させる。
我々はすでに日本を征服しているからだ。
やつらの金は我々が自由にできる。
日本の連中は何も知らない!フジテレビが証拠。
日本人はよだれをたらして見ている。
私にまかせろ。
日本に居るのは私の命令に忠実な高度に訓練された私の兵隊だ。
––イミョンバク韓国大統領

(注:「よだれをたらして」というのは、もちろん「犬のように」という意味だ。「犬」とは韓国人の食材。そして日本人の蔑称である。)」

ここで李明博が明言しているフジテレビが今回の「tsunami_lucky」でも顔を出している訳だ。


ウジテレビはとも角、桑田ケイスケは永年好きな歌手だっただけに残念だ。

桑田君、さようなら。
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2015-01-29 12:17

さようなら、サザン、桑田、もう二度と君の歌は歌いません

 私はサザンオールスターズと桑田佳祐の歌は結構好きでした。
カラオケで歌う持ち歌にもサザンの初期の歌、「いとしのエリー」とか「チャコの海岸物語」とか、よく歌っていたものです。
私の年代でこんな歌が歌えるのは殆どいない、稀有な存在でした。

がしかし・・・
サザンよ、桑田佳祐よ、・・・ さようなら。
今日からは君の歌は歌いません。君の歌のCDも処分します。

理由はこれです

2015-1-29さようなら、サザンと桑田、桑田ライブ
https://www.youtube.com/watch?v=JSnjHrkXvjc

暮の紅白騒動の時から気が付いたのだが、こんな日本嫌いだったのか・・・

桑田君、もう君には日本に住む場所は無い、とっとと祖国に帰りなさい。


それにしても知らなかった。
サザンとは、南とは・・・  南朝鮮の事だったのか。


尚 以下で詳細が分かります。
http://kt-yh6494.blog.so-net.ne.jp/2015-01-29

その中のサザンに関する部分は
アジカンや沢田君も頑張って反日してますが何といっても話題はこの方!
....サザン桑田がネットの“反日”批判に反論 「私は日本を愛する者だ」
....サザン桑田「はっきり申し上げて、ヒトラーのつもりはまったくございません。日本政府を批判してはいない。はっきり言ってそれこそが都合のいい解釈」
....桑田佳祐、ラジオ番組で改めて謝罪「段取りを間違えポケットから出すことになった」「紫綬褒章オークションのパロディーはジョークにしたつもり」
....サザンのライブで日の丸にバツ印、中國領土釣魚島の衝撃動画映像が流れるピースとハイライト サザンオールスターズofficial youtube channel
....音声動画によるサザンの桑田佳祐が天皇陛下のモノマネ
....サザンの桑田佳祐「アベーロード」「民主党の時代いつ来る?安倍、安倍、永遠次年度トラブって美しい国」
....サザンオールスターズ、今度は日の丸の赤丸が砕け散るCM動画を公開WOWOW×サザン 2015年 ニッポンを笑顔にします
....サザンの桑田佳祐の著書『ケースケランド』の表紙にハングル
....サザンの桑田佳祐、天皇陛下から授与された紫綬褒章をズボンのケツポケットから取り出す
....サザンの桑田佳祐が朝鮮語で母親を「オモニ」と呼ぶ動画
....サザン桑田佳祐「チゲ、キムチ、オモニ、チョゴリ、アボジ、LOVE KOREA」
....フジテレビが「tsunami_lucky」と書いた名刺を使用した震災ドラマ、桑田佳祐が主題歌を担当、タイトルが「Yin Yang」(陰陽 = 韓国国旗の中心にある赤青)だった

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2015-01-27 19:09

安倍外交が「イスラム国」のテロを誘発した <孫崎享もテロ支援要員だった


 こんな事を言うヤツが日本の外交官で、しかも「特命全権大使閣下」だったんだと・・・
なるほど、外務省が病んでいる事は良く分かった。

<以下引用>

安倍外交が「イスラム国」のテロを誘発した
孫崎享・元駐イラン大使に聞く
内田 通夫 :フリージャーナリスト 2015年01月27日

1月20日、「イスラム国」が拘束した日本人二人の殺害を予告、身代金を要求する事件が起き、日本国民に衝撃を与えた。また、1月24日から25日にかけて、人質のうちの一人、湯川遥菜さんが殺害されたとの情報が伝えられる事態に至った。日本政府は直接の交渉のパイプがなく、厳しい状況に置かれている。

「イスラム国」に標的にされたことの意味や、今後、日本にとって懸念されるリスクについて、孫崎享・元駐イラン大使に話を聞いた。

安倍首相の中東での発言や行動が事件を誘発

――「イスラム国」が日本に矛先を向けてきた背景をどう見ますか。

安倍晋三首相は中東歴訪の中、1月17日、エジプトで「イスラム国」対策のため、としてイラクやレバノンに2億ドルを支援することを表明した。2億ドルには難民支援、人道支援という名目が付けられている。しかし、安倍首相は「「イスラム国」の脅威を食い止めるため」、「イスラム国と闘う周辺各国に」としており、利敵行為とみなされる。人道支援や、後方支援といった名目に日本人は惑わされやすい。

戦闘行為、敵対行為の主な部分は、後方支援なのだ。たとえば、アフガニスタンでイスラム原理主義組織タリバンに対する戦闘を担ったのがNATO(北大西洋条約機構)だが、当初はアフガニスタンの経済復興を支援する、との目的を掲げて軍を派遣した。だが、タリバンからみれば、NATOの行動は敵対行為、戦闘行為そのものである。当然、NATO軍の進出に武力で攻撃し、NATO軍も反撃する。こうした戦闘の連鎖により、当初の経済復興支援という看板とは異なり、2014年に終了するまで長期にわたる大規模なアフガニスタン派兵となった。

また、安倍首相は今回、イスラエルを訪問して、イスラエルと日本の両方の国旗の前で、ネタニヤフ・イスラエル首相と両国が連携を強化することを表明した。これまでもイスラエルとの対話はあったが、このような形式をとることはなかった。イスラエルとはサイバーテロや無人機など安全保障関連分野での提携を深めようとしている。イスラム社会の反発は当然、予想されることであり、安倍首相は配慮が足りない。

「イスラム国」の立場からみれば、イスラエルを含む中東諸国を訪問して、公然と「イスラム国」に敵対する示威行動をしたに等しい。「イスラム国」は今回の安倍首相のカイロでの発言を、宣戦布告と見なし、湯川遥菜さん殺害につながってしまった。安倍首相の中東歴訪と2億ドルの人道支援声明が、残念な結果をもたらしたことになる。

・・・以下略・・・

詳細は下記リンク先参照ください
http://toyokeizai.net/articles/-/59008
http://toyokeizai.net/articles/-/59008?page=2
http://toyokeizai.net/articles/-/59008?page=3
http://toyokeizai.net/articles/-/59008?page=4

<引用終り>


今回のイスラム国と言う名のテロ集団事件、日本国内の「蛆虫炙り出し」には大変良かったと思う。

池内さおり、山本太郎、小沢一郎、吉良よしこ、有田芳生、徳永エリなどがテロ支援議員と分かった。
そして外務省OBでもコイツ、孫崎享もテロ支援要員だった。

どいつがウジ虫か良く分かった。悲しい話ではあるが、日本再生には避けて通れない道だったようだ。
  1. テロ攻撃
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2015-01-25 22:14

高齢者の介護

 去年の暮は私の叔父の介護でひと騒動だった。
どうやら一段落状態になったのでそんな顛末を書いてみます。

最初に私は私の母、義父、義母と3人の親を介護してきました。
3人とも自宅では家族が介護できず、最後は介護施設に入居してもらいました。
自宅での介護で何が一番問題か? トイレです。
叔父の件の前に私の母(丁度10年前の2005年1月死去)のケースで説明します。
その当時は私はタイで仕事をしていました。家人も仕事をしていましたので、母の介護が必要になった時、介護施設に入って貰っていました。
と言っても正月くらいは何とか一緒に正月を迎えようと、私がタイから帰ってきて母も自宅に連れ帰っていました。
母は介護施設では車いす生活でした。

分かっていましたがそんな高齢者を連れてくると大変です。夜は1時間おきに「オシッコ」と言います。
その都度ベッドからおろして、用足しをしてもらわねばならない。
私と家人だけでは手に余るので兵庫県にいる私の姉にも来てもらい介護することにしました。
特に深夜は私が寝ずの番、明け方になったら姉とか長男に交代してもらって私が寝る。そんな風でした。
暮れから正月の4,5日ですが、へとへとになりますね。
(こんな時は長男も「オイラがやるよ」と言ってくれますし、長女も法事などかなり無理をしてでも来てくれます。親のやっている事を見ているのでしょうか)

自宅はトイレは洋式で手すりもつけてあるし、母の部屋にはポータブルトイレも設置していたので、トイレとしては設備は問題ない。
それでも介護には人手がかかる、これが一番大変でした。


さてトイレの話はこの程度にして、叔父の話です。
叔父は大正10年生まれで93歳、叔母は大正12年生まれで91歳。
私の母方の叔母とその御主人と言う関係です。

子どもは長男が同居ではないが、隣町に住んでい居る。次男は東京で生活しています。
その長男(つまり私の従兄弟:数年前に奥さんを癌で亡くし一人暮らし)が高齢の父母の面倒を見ていました。
叔父、叔母は週に2,3回、日帰りの介護施設(デイサービス)に行っていました。
叔母はそろそろ認知症が出てきていました。

そのイトコ(叔母の長男)から年末(12月24日)に連絡が入った。
曰く「私が突然目が見えなくなってしまった、病院に行ったら緊急入院せよとの事。困ったのは父母(つまり叔父・叔母の事)なのだが、介護担当のケアマネージャに事情を話して、若し何かあったら短足さんに連絡してくれと言っておくので了解してほしい」、こんな話だった。
まあ私は叔父の家とは車で15分位、しかし他には近くには親戚などいない。

そして案の定12月26日にケアマネージャーさんから連絡が入った。
「今○○さん(叔父の事)の家に来ているのだが、転んで腰を打って痛い痛いと言っている。すぐ来てほしい」
叔父の家に行ってみると何人かの人がいる。しかし介護の仕事は皆分業制、皆さん担当外の仕事には手が出せないのだとか。
私はケアマネージャなので手配はします。
私はヘルパーなので自宅での介護のお世話だけはします。
私は福祉タクシーなので行けと言われた所に行くだけです。とまあこんな話。
病気や怪我をしたら、基本的には家族が面倒を見る事になっている。(当たり前ではあるが・・・・・)

タクシーの乗せて病院に行ってもらい、私も自分のクルマで追いかけて病院へ。
病院で受け付けしようにも保険証は無い、名前はとも角、生年月日と言われても・・・ 叔父さんは確か大正10年位の生まれだった筈だが・・・ 住所は番地は知らないが此処だった筈・・・
病院の人からは「じゃあ、あなたはいったい誰ですか」と聞かれる始末・・・(笑)
そうだよなあ、普通は甥が叔父を連れてくるなんてないもんなあ・・・

そんな事で受け付けを済ませ、今度は医師からいろいろ聞かれても答えられない。
又どうして甥のあなたがそこにいるんですか? そんな問答の繰り返しだった。

緊急外来で診察し、X線検査も行い、とりあえず異常が見つからなかった。
病院は保険証も無いので全額現金払い、やれやれ・・・。
まあとにかく大したことは無いので帰宅することにした。帰りも福祉タクシー。
でも便利ですね。車いすのまま乗れる車のタクシー。
多分市町村から何がしかの補助が有るんでしょうね、それほど高くないですから。
(但しベッドのまま乗れるタクシーは高いが)
此れでは何ともならないので、ケアマネージャーと話をし、何とか翌日介護施設の空きベッドを探して取りあえず数日だけでも入所することに・・・

兎に角年末年始の休日になるので何が何でも決めておかなければ・・・
私は家族ではないが、とにかく勝手に良かれと思った事をやるよと皆さんに言ったのだった。
何せ、病院は今日で終わり、明日からは年末年始の休日。
介護施設も明日で通常の業務終了し年末年始の体制、そんな時期だった。


翌朝叔父の家に行って介護施設に入る準備をしていたのだが、如何も叔父が元気がない。
其れでも車に乗せて介護施設に向かったのだが・・・
しばらくすると介護施設から電話が有った。
曰く「熱を計ったら38度8分もある。こんな高熱ではこちらとしては受け入れられない。。病院に連れて行ってくれ」
取りあえず福祉タクシーを呼んで病院に行ってもらい、私も病院に走った。
病院では再び本人確認できないので如何のこうのとの議論が始まったが、まあ昨日の続きみたいなもの。
又聞かれてしまった、あなたは誰ですか、どうしてこの人を連れてきたのですか・・・ (苦笑)
まあそれから色々病院の手続きやら検査やらが延々と・・・

幸いなことに東京にいた次男が帰省してくれたので、夕方彼と交代し、夜になって私はとりあえずお役目御免。
夜私が帰るころは叔父も大分元気になってきた。やれやれ。
結局叔父は尿路感染でそれから2週間以上入院したのだが、この後の話は省略します。


これからが私の言いたい事。
高齢者でも元気なうちは動けなくなると言うようなことは全く考えていない。
しかし有る年代になったら、そして自分では元気だと思っても他人の世話にならないといけない時期が来る。
でも現実の問題として、普通の人はそんな事など考えていないのが今の日本だ。

夫婦二人で暮らしていてもこんな事が起こる。
ましてや独り暮らしだったら、ちょっとしたことで命を落とす。
こんな事をもっと考えるべきなのだと思う。


そう言えば私などは昔、私の父方の叔父さんも一人暮らしで死んだので、私が葬式を出したよなあ。
何かアチコチのホトケを一手引き受けみたいだなあ・・・
今月初めには私の義母の三回忌の法要をしたけれど、仏壇を義父母の家のモノと自宅のモノと仏壇を二つ並べて法事をしたんだったなあ。
まっ、いいか。もし片方がキリスト教でもう一つがイスラム教だったら・・・
血で血を洗う喧嘩になるかもしれん、穏やかな仏教で良かったと思わねば・・・
  1. 日常の話題
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2015-01-23 11:28

海外で生きるという事

 イスラム国を名乗るテロ集団に拉致された日本人二人、湯川さんと後藤さんについての途方もない身代金問題は今日がその期限。
この問題では国内の基地外連中が「日本が難民支援を止めればこんな問題は解決する」、こんな出鱈目放言を行っている。
この件は以下参照ください。裏の桜さんもあきれ返っております・・・・・私も同感。
http://sakuraura.blog.fc2.com/blog-entry-3278.html

所で日本の様に世界でも稀な安全な国に暮らしていると分からないが、海外ではいろいろとんでもない事が起こる。
ここで私が海外でどんな事をしていたのか、そんな所を書いてみたい。
日本では想像もつかない海外暮らしの一端が分かると思います。


 私が海外で仕事をあ始めたのは1998年2月から、丁度前年アジア通貨危機がタイから始まった所だった。
バブル崩壊後の超円高不況の中で、「これからは海外に打って出るしか生きる道は無い」、こんな考え方で海外に工場を作り、稼働開始した途端の通貨危機。その為私はタイに行くことになったのだった。

当時のタイは通貨危機直前までの好景気が突如破綻、だから建築中のビルなどは殆ど建築放棄されて無残な姿をさらし、町には失業者があふれていた。
そして当然ながらそんな時には犯罪も多発する。

そんな中でインドネシアにいる仲間の事である。
実は日本では全く報道されていないので分からないが、1998年5月、インドネシアで主に華僑を狙った暴動があり、死者は1200人にも及ぶ大暴動が発生した。
勿論引き金はアジア通貨危機だった。

どんな危険な状況か、例えばこんな事例がある。
日本人が郊外の工場からジャカルタ市内の自宅コンドミニアム(マンション)に来るまで帰る時のこと。
一番危なそうな地域では例え道路信号が赤にになってもクルマを停車させてはいけない、バーバーとクラクションを鳴らして無理矢理交差点を通過しなければいけない。
何故か?
若し赤信号で停車すると・・・、暴徒がやってきて棍棒でクルマのガラスをたたき割り、金品を強奪する。
こんな事が頻々と起こっているのだと言う。

その日本人に万一の事が有ったら如何するか、これは大問題だった。
日本からジャカルタまでは遠い。私は愛知県在住なのだが当時名古屋からジャカルタまでの直行便は無い。
普通ならだれか出張する時、現地の日本人が空港まで迎えに行ってホテルまで案内する。だから心配ない。
しかし誰も迎えに行けない時、そして言葉も通じない所に助けに行ける人は日本には居なかった。


そんな事で万一の時は救援に行けるように私が当時準備していた事。
1) いつでも出発できるように準備
  ・荷物は何時もカバンに詰めておいていた。
  ・インドネシアで使えるように米ドルを持っていた(タイでは米ドルは使えなかったが、インドネシアは米ドルの国)
  ・またクレジットカードは個人でゴールドカードなども含め4枚、それにコーポレートカードも持っていた。
  ・休日・深夜でも航空便が手配できるように空港の航空会社オフィスの連絡先を調べていた。
  (普通は航空便の予約やチケット手配は旅行社に依頼する。しかし深夜・休日ではこの手はダメ。)
  
2) 現地人とのコミュニケーションの為、現地語の勉強を再開
  ・インドネシアはイスラム教国である。
  ・イスラムなど一神教の教えは「目的が正しければ、その為には騙したり、犠牲が有っても仕方ない」、こう教えている。
  ・その為現地人と接触して一番気を付けねばいけないのは・・・
  ・それは「コイツ気に入らんから張り倒してやれ」とか「騙して金をかっぱらってやれ」、こう言っている事に気づくことだ。
  ・だから現地語の勉強と言っても重点は読み書きではない、聞き取りである。危険な言葉を聞き取る、この一点。
  (ジャーナリストの後藤さんも「ガイドに騙された」と言う前にこれを注意すべきだった・・・ 残念である)


こんな準備をしていたのだが、幸い救援に行く必要が無かったので有り難かった。
しかしこんなっ準備をしていたので役に立ったこともある。そんな事例。

ある人が長期出張で来ていた時の事。その方のお父上が急死された。
急死されたのは日本時間の夜7時。
それから家族の方が会社に急を知らせ、そこから私の所に連絡が入った時、その方は一日の仕事を終えホテルに向かっていた。
その方をホテルに訪ね、航空券確認から空港の航空会社のオフィスに連絡をとって座席の確保。
そしてすぐホテルから空港に走った。(ホテルから空港まで200キロ以上あった)
辛うじて深夜便に間に合い、現地係員と逐一連絡をとって特別ルートでチェックイン・パスポートコントロールを通過。
飛行機の搭乗口ではすでに搭乗が始まっていたが何とか間に合った。
この時は途中のクルマの中から「今どこを走っている、何時ころ空港に着く見込み」と逐一電話。
空港では係員の可愛い女性が待っていてくれて、手を引いてこっちこっちと案内してくれた。
有り難かった・・・ 親切とはこんなこのかと痛感。
名古屋からその方の自宅までは更に50キロほど、これはタクシーを飛ばして行ってもらった。

結局お父上が亡くなったのが夜7時、それが御当主が帰ってきたのが翌朝9時過ぎ。
無事葬儀も済んで良かった良かっただったのだが・・・
これから先は笑い話

後で聞いたら、ご家族の方の言うには・・・ 
「九州の親戚でさえまだ来ていないのに、遥々タイからこんな時間に帰ってくる・・・本当にタイに行っていたの?」
こんな事で大いに盛り上がったのだとか。


海外で生きるという事は日本とは全く違う世界を生きる事、そんな事の一端として私のささやかな経験です。
  1. 海外
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2015-01-21 10:53

アメリカの反日とはこんな考え方

 アメリカの反日に関して調べていて興味深い話を見つけた。
自衛隊の元空将、織田邦男(おりた くにお)氏の書いた記事で、13年7月の記事だが今見ても大変面白い。

この記事はスノーデンの暴露したアメリカの諜報活動に関しての件が主なのだが、織田氏の経験が織り込まれている。
これを読んで私も「なるほど、ヤッパリそうだったのか」と思い当たるのだが、先ずはその記事から。

お断り:この記事はスノーデンの暴露した諜報関係が主、しかしその中の日本叩きについてが面白い。
従って引用文はスノーデン関係を大幅に省略しました。しかし大変面白いので本文末に記事全文を引用しました。

<以下引用>
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38177

米国の諜報活動では、日本は最大敵国の1つ
スノーデン事件から日本が学び、すべきこと

2013.07.09(火) 織田 邦男

米国中央情報局(CIA)元職員、エドワード・ジョセフ・スノーデン氏による暴露が話題になっている。

 2013年6月、スノーデン氏は香港でメディア(ガーディアン、ワシントン・ポストおよびサウスチャイナ・モーニング・ポスト)の取材を受けた際、米国家安全保障局(NSA)による個人情報収集の手口を告発した。

各国代表団のスマホまで念入りにチェック

・・・中略・・・

 米国による一連の情報収集問題で日本公館への盗聴工作が明らかになったのは初めてという。菅義偉官房長官は記者会見で、外交ルートを通じて米政府に事実関係の確認を求めていることを明らかにした。

 1995年、ジュネーブで行われた日米自動車交渉で、CIAが日本担当官の国際電話を盗聴したことが表面化したことがある。日本の外交関係筋は「盗聴を前提に在外公館では日常業務を行っている」と述べているが、国際社会では盗聴やハッキングは日常行われている行為だと思わなければならない。

 今回の報道振りを見て、筆者は正直なところ「何を今さら」との思いを深くした。

 筆者が1992年から93年にかけて、米国の大学に留学していた頃のことである。学内の関心はもっぱら冷戦の総括と冷戦後の米国戦略についてであり、連日活発な議論がなされていた。
(引用者注:織田氏は83年~米国空軍大学留学、92年~米スタンフォード大学客員研究員)
(だから大学での研究・意見と言うのはこのスタンフォード大学での事。
 当時の議論には大きく3つのポイントがあった。1つは冷戦で巨大化した軍隊をどのようにダウンサイズするか。2つ目は3万人にも膨れ上がった核兵器の技術者を今後どう処遇していけばいいのか。3つ目は冷戦時に対ソ監視に重点を置いてきた情報機関、諜報網をどうするのかの3点である。


冷戦後、米国のターゲットは日本とドイツに

 いずれの議論も大変新鮮であり、興味を引くものであった。1番目と2番目は本稿の主題ではないので省略するが、3番目の論点、つまり情報機関、諜報網については今回のスノーデン事件と直接関連がある。

 学内では、米国に亡命した元KGB(ソ連国家保安委員会)の将軍を招聘して講演させたり、元諜報関係者の生の声を聞いたり、冷戦終焉直後ならではの企画が数多くあった。

 これまで闇に埋もれていた諜報機関の実態を正確に把握したうえで、将来のあるべき姿を模索しようという超大国ならではの矜持と懐の深さを感じ、日本人留学生として非常に感銘を受けた記憶がある。

 ただ、この時、学内での大勢の意見が、「冷戦が終わった現在、今後は情報機関や諜報網を経済戦争に使うべきである」といった驚くべき方向性であったことが印象的だった。

 当時、米国の経済戦争の対象は、日本とドイツであることは明らかであった。セミナーには日本人、ドイツ人留学生が参加していることは、十分承知のうえで、遠慮なく堂々と、このような議論がなされることに対し、ある意味、米国の恐ろしさを感じたものである。

 1993年のビル・クリントン政権発足に当たっては、この議論に参加した多くの研究者がワシントンにノミネートされ、政権の枢要なポストに就いた。その影響もあるのだろう、当時の議論の方向性は、その後の米国政策の方向性と概ね一致している。

 1992年1月、当時のCIA長官ロバート・ゲイツ氏(のちの国防長官)は既に次のように語っていた。

 「これまでCIAの活動は対ソ監視に重点を置いてきたが、今後は全力を挙げてその情報収集と諜報活動の狙いを米国と経済および技術競争の国に向ける」

 クリントン氏は大統領選挙期間中「冷戦が終わった。そして日本とドイツが勝利した」と露骨に日本とドイツに対する非難キャンペーンを実施して勝利した。クリントン大統領は就任後、大胆な経済戦争に打って出る。その際、米国の情報機関による諜報活動を「経済および技術競争の国に向ける」という冷戦後の方向性が決定づけられた。


(引用者注:パパブッシュが大統領時代の91年1月17日~3月3日に湾岸戦争、アメリカはこれに勝利したがその後は疲弊したアメリカ経済の建て直しが叫ばれ、クリントンが93年から大統領になった。尚クリントンの大統領選挙でのスローガンがコレ、"It's the economy, stupid!"「経済こそが問題なのだ、愚か者!」(1992年大統領選挙の際のスローガン)、そして選挙演説では日本が敵国だと叫んでいた。)

日本とドイツから平和の配当を回収せよ

 政権発足後、クリントン大統領がまず手がけたのは「国家経済会議(NEC)」を設置したことである。

 目的は冷戦最大の受益者、日本とドイツから「平和の配当」を回収することであり、これを政権最大の経済戦略とした。CIA本部内には「貿易戦争担当室」まで設置し、手段を選ばず経済戦争に打って出た。このときのCIA長官はロバート・ゲーツ氏が留任していたのである。

(引用者注:1989年、ベルリンの壁が崩壊、そして91年12月25日、ソ連が崩壊する。
そんな中で1992年2月7日に欧州連合条約が署名、1993年11月1日、欧州連合条約が発効し、欧州連合が発足した。
つまりアメリカが日本とドイツ叩きをしようとした時、ドイツはEUと言う新しい枠組みに逃げ込んでしまった。)

 こういった米国の動きは、日本ではなぜかほとんど報道されなかった。冷戦時、漁夫の利を享受しつつ、ぬるま湯にどっぷりと浸かり、惰眠から覚めやらぬ日本は、国益を巡りアンダーテーブルで熾烈な諜報活動が行われる厳しい国際社会の実態が理解できなかった。

 そればかりか、同盟国である米国が日独にかざす刃にも気づかなかった。結局、これが同盟漂流、そして失われた20年の始まりだったわけである。
(引用者注:日独と言うがドイツはEUと言う新しい枠組みに入ってしまった。クリントン大統領が日本は敵国と名指しで言うのはこんな理由である)

 1993年だけでもCIAによって発覚させられた贈収賄事件は51件あり、これによって米企業にもたらされた契約金は約65億ドルと公表されている。公表されるのはもちろん、合法で差し支えないものだけである。

 日本企業が外国との商談を直前になって米企業に取られたり、取引を突然、米企業に奪われた事例も数多くあった。これらは既にゲーツ長官が暗示していたことだ。もちろん、非公然活動ゆえ、真相はすべて闇に葬られ、表に出ることはなかった。

 また、法と秩序を口実とした恐喝まがいの巨額訴訟で大損害を被った日本企業も多かった。

 3400万ドルを支払った三菱セクハラ訴訟、燃料パイプ検知器欠陥訴訟で巨額の民事制裁金を要求されたホンダとトヨタ自動車。パソコンのキーを22万回叩けば1回出るか出ないかのバグにより東芝は1000億円支払わされている。これらも諜報組織が絡んでいたと言われている。

 2000年2月には、電子盗聴網システム「ECHLON」の存在が暴露された。これはNSAが運営する暗号解読部隊を発展させた高度な技術を有する全世界通信傍受システムである。このときも欧州議会は産業スパイ疑惑解明のための暫定委員会を設置している。

・・・以下略、詳細は本文末尾に全文掲載しているので参照ください。・・・

<引用終り>


 さて、ここからは私の思い出話を少々。
バブル崩壊(1989年12月)後の円高不況の中で仕事では七転八倒状態が続いた。
何年も苦しんだのち得た結論、それは「日本ではもはやこれ以上の成長は望めない。だから海外に打って出て新天地で新たな成長を目指そう」、こんなモノだった。
その為海外に工場を作り、やっとそれが操業を始めた途端アジア通貨危機(97年7月、タイから始まった)。
設立直後の工場は1日動かせば1か月分以上の製品が出来てしまうと言う悲惨な状況いなってしまった。
結局私も98年初頭からタイで仕事をする事になり、それが延々と・・・

さてこんな状況だったのだが、この織田國男氏が報告しているアメリカの日本敵視政策。
そして「日本とドイツから平和の配当を回収せよ」、こんな考え方など当時は想像だにしなかった。
しかしタイでアメリカ系の企業などとも付き合ってみると、なるほどこの通りだと納得できる。

今思えば1993年はクリントン大統領が仕掛けた「日米経済戦争」の始まり、そして1998年10月、金融ビッグバンと呼ばれる日米経済戦争の敗戦へとつながり、それがずっと尾を引いて「失われた20年」となった。
物造りの現場で日夜悪戦苦闘している時、こんな大局的な見方などとてもできない。
しかし今思えばこんな背景だったんだなあ・・・ 正に忸怩たる思いである・・・

さて此れが失われた20年。

2015-1-21日本のGDP推移(失われた20年)

但しここで失われた20年間、日本は何もしていなかったかと言うとそうでは無い。
実はステルス成長していたのだ。
以下参照ください。
「誰も知らない1.8個分の日本<レコードチャイナの報道です」
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-366.html
海外で仕事をしている人は皆さんこの「ステルス成長」をしようと頑張っているのだが、この話は別の機会にします。
一つだけ、東日本大震災後とその後の原発停止で膨大な貿易赤字を出し続けながらもトータルの国際収支が赤字にならない原因が此処に有る事だけは留意ください。



所でCIAの話が出てきたが、その当時CIAの長官をしていたのが後の国防長官ゲーツ氏。
そのゲーツ氏の話が下記に載っている。(2010年3月15日のブログ記事)
http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2010-03-15

<以下引用>
上記短文はゲーツ長官の昨年10月(引用者注:2009年10月の事)の来日時の発言を巧みに引用しています。各種会談を終了した後、防衛省の講堂で日米共同国防相会見に望んだゲーツ長官の発言
私は93年に政権を離れ2006年に復帰しました。この13年間で本当に一つ気づいたのは、日米関係は大変改善された、米日同盟は13年前と比べて大変緊密になってきたと言うことです。
軍事的な観点からは、同盟の一番の目的は日本の安全保障を確保することだと思います。この防衛の傘は日本を50年間守ってきました。お陰で日本の防衛予算はGDPの約1%であることを可能にしています。

話は前後しますが、93年にCIA長官を退任して政権を離れた当時は、日米関係が「数値目標」「ジャパンバッシング」で殺伐としていたときで、当時のゲーツCIA長官も92年1月の会見で・・・
これまでCIAの活動は対ソ監視に重点を置いてたが、今後は全力を挙げてその情報収集と諜報活動の狙いを米国との経済及び技術競争の相手国に向ける。
と明言し、「日本やドイツを冷戦の勝利者」とするクリントン政権を支えた実績があります。


<引用終り>


長々と書きました。こんな事を書く理由は・・・
最近アチコチでアメリカの反日的な言動が目につきます。
特に手下のコリア・チャイナを使った言動が多いと思っています。
そしてこの裏にはアメリカの壮大な戦略が有る、そう見ていいでしょう。

しかしアメリカは一つではありません。二つの全く違う面を持った国、それがアメリカなのだと思います。
だからゲーツ元CIA長官としては経済戦争の仕掛け人としての考え方。
そしてゲーツ元国防長官としてはアメリカの同盟国としての親日的な考え方、それが出ているのではないでしょうか。
そんな中で日本がこれから生きていく道、これを一人一人が考えねばいけない、そう思っています。

丁度昨日イスラム国と名乗るテロ組織から日本人ひと実殺害予告が出てきました。
そんな現実を踏まえて明日を考えていきたいと思います。



最後になりましたが織田氏の記事全文を以下に引用掲載します。

<以下全文引用>

米国の諜報活動では、日本は最大敵国の1つ
スノーデン事件から日本が学び、すべきこと

2013.07.09(火) 織田 邦男

米国中央情報局(CIA)元職員、エドワード・ジョセフ・スノーデン氏による暴露が話題になっている。

 2013年6月、スノーデン氏は香港でメディア(ガーディアン、ワシントン・ポストおよびサウスチャイナ・モーニング・ポスト)の取材を受けた際、米国家安全保障局(NSA)による個人情報収集の手口を告発した。

各国代表団のスマホまで念入りにチェック

 英紙ガーディアンによると、米当局が日本やフランスなど同盟国を含む38の在米大使館や代表部を盗聴の対象にし、特殊な電子機器などを使って情報収集を行っていたという。

38の盗聴対象には、米国と対立関係にある国に加えて、ドイツ、フランス、イタリア、ギリシャといった欧州連合諸国のほか、日本、インド、韓国、トルコなども含まれていた。
 
スノーデン氏が持ち出した極秘文書によると、2009年4月のG20首脳会合と9月のG20財務相・中央銀行総裁会議において、英国政府も通信傍受機関を使って秘密情報を違法に収集していたことが判明した。
 
手口としては各国代表団のノートパソコンを通じ、電子メールを傍受する。代表団のスマートフォンに侵入して電子メールや通信履歴を入手する。通信傍受のために、インターネットカフェを設置するなどが挙げられている。
 
その他、NSAがG20でロシアのドミトリー・メドベージェフ大統領(当時)の衛星通話の盗聴を試みたことも暴露されている。

 米国による一連の情報収集問題で日本公館への盗聴工作が明らかになったのは初めてという。菅義偉官房長官は記者会見で、外交ルートを通じて米政府に事実関係の確認を求めていることを明らかにした。

 1995年、ジュネーブで行われた日米自動車交渉で、CIAが日本担当官の国際電話を盗聴したことが表面化したことがある。日本の外交関係筋は「盗聴を前提に在外公館では日常業務を行っている」と述べているが、国際社会では盗聴やハッキングは日常行われている行為だと思わなければならない。

 今回の報道振りを見て、筆者は正直なところ「何を今さら」との思いを深くした。


 筆者が1992年から93年にかけて、米国の大学に留学していた頃のことである。学内の関心はもっぱら冷戦の総括と冷戦後の米国戦略についてであり、連日活発な議論がなされていた。

 当時の議論には大きく3つのポイントがあった。1つは冷戦で巨大化した軍隊をどのようにダウンサイズするか。2つ目は3万人にも膨れ上がった核兵器の技術者を今後どう処遇していけばいいのか。3つ目は冷戦時に対ソ監視に重点を置いてきた情報機関、諜報網をどうするのかの3点である。

冷戦後、米国のターゲットは日本とドイツに

 いずれの議論も大変新鮮であり、興味を引くものであった。1番目と2番目は本稿の主題ではないので省略するが、3番目の論点、つまり情報機関、諜報網については今回のスノーデン事件と直接関連がある。

 学内では、米国に亡命した元KGB(ソ連国家保安委員会)の将軍を招聘して講演させたり、元諜報関係者の生の声を聞いたり、冷戦終焉直後ならではの企画が数多くあった。

 これまで闇に埋もれていた諜報機関の実態を正確に把握したうえで、将来のあるべき姿を模索しようという超大国ならではの矜持と懐の深さを感じ、日本人留学生として非常に感銘を受けた記憶がある。

 ただ、この時、学内での大勢の意見が、「冷戦が終わった現在、今後は情報機関や諜報網を経済戦争に使うべきである」といった驚くべき方向性であったことが印象的だった。

 当時、米国の経済戦争の対象は、日本とドイツであることは明らかであった。セミナーには日本人、ドイツ人留学生が参加していることは、十分承知のうえで、遠慮なく堂々と、このような議論がなされることに対し、ある意味、米国の恐ろしさを感じたものである。

 1993年のビル・クリントン政権発足に当たっては、この議論に参加した多くの研究者がワシントンにノミネートされ、政権の枢要なポストに就いた。その影響もあるのだろう、当時の議論の方向性は、その後の米国政策の方向性と概ね一致している。

 1992年1月、当時のCIA長官ロバート・ゲイツ氏(のちの国防長官)は既に次のように語っていた。

 「これまでCIAの活動は対ソ監視に重点を置いてきたが、今後は全力を挙げてその情報収集と諜報活動の狙いを米国と経済および技術競争の国に向ける」

 クリントン氏は大統領選挙期間中「冷戦が終わった。そして日本とドイツが勝利した」と露骨に日本とドイツに対する非難キャンペーンを実施して勝利した。クリントン大統領は就任後、大胆な経済戦争に打って出る。その際、米国の情報機関による諜報活動を「経済および技術競争の国に向ける」という冷戦後の方向性が決定づけられた。

日本とドイツから平和の配当を回収せよ

 政権発足後、クリントン大統領がまず手がけたのは「国家経済会議(NEC)」を設置したことである。

 目的は冷戦最大の受益者、日本とドイツから「平和の配当」を回収することであり、これを政権最大の経済戦略とした。CIA本部内には「貿易戦争担当室」まで設置し、手段を選ばず経済戦争に打って出た。このときのCIA長官はロバート・ゲーツ氏が留任していたのである。

 こういった米国の動きは、日本ではなぜかほとんど報道されなかった。冷戦時、漁夫の利を享受しつつ、ぬるま湯にどっぷりと浸かり、惰眠から覚めやらぬ日本は、国益を巡りアンダーテーブルで熾烈な諜報活動が行われる厳しい国際社会の実態が理解できなかった。

 そればかりか、同盟国である米国が日独にかざす刃にも気づかなかった。結局、これが同盟漂流、そして失われた20年の始まりだったわけである。

 1993年だけでもCIAによって発覚させられた贈収賄事件は51件あり、これによって米企業にもたらされた契約金は約65億ドルと公表されている。公表されるのはもちろん、合法で差し支えないものだけである。

 日本企業が外国との商談を直前になって米企業に取られたり、取引を突然、米企業に奪われた事例も数多くあった。これらは既にゲーツ長官が暗示していたことだ。もちろん、非公然活動ゆえ、真相はすべて闇に葬られ、表に出ることはなかった。

 また、法と秩序を口実とした恐喝まがいの巨額訴訟で大損害を被った日本企業も多かった。

 3400万ドルを支払った三菱セクハラ訴訟、燃料パイプ検知器欠陥訴訟で巨額の民事制裁金を要求されたホンダとトヨタ自動車。パソコンのキーを22万回叩けば1回出るか出ないかのバグにより東芝は1000億円支払わされている。これらも諜報組織が絡んでいたと言われている。

 2000年2月には、電子盗聴網システム「ECHLON」の存在が暴露された。これはNSAが運営する暗号解読部隊を発展させた高度な技術を有する全世界通信傍受システムである。このときも欧州議会は産業スパイ疑惑解明のための暫定委員会を設置している。

 今回のスノーデン事件と同様、ECHLONにも英国が一枚噛んでいた。この時も「大多数の先進国がやっていること」と英国が欧州議会沈静化に一役買っている。

 アングロサクソンにとっては、情報を巡っての暗闘、つまり「アヒルの水かき」は日常の所作に過ぎない。歴史をひもといても、事例は枚挙にいとまがない。世界規模の盗聴システムは、ECHLON以外にもフランスやロシアが保有している可能性も指摘されている。


最も利己的な存在が国家であり、米国はその最たるもの

 2000年3月、ジェームズ・ウルジー元CIA長官(ゲイツ長官の前任者)が記者会見で次のように述べている。開き直りとも言える発言はECHLON事案の信憑性を裏づける。

 「我々は過去にヨーロッパの贈収賄活動をスパイしていた。米国は今もその種の活動の監視を続けていることを期待する」「他国の民間企業や政府が行っている不正行為の情報を収集することはずっと以前から米国政府に容認されてきた」

 ウルジー元長官は不正行為の摘発といった合法の分野にのみ言及しているが、合法の分野を炙り出すには非合法の分野まで活動範囲を広げなければならないことは誰でも分かる。

 これら諜報活動は今回のスノーデン事件同様、全く驚くには値しない。また今さら驚くようではいけないのだ。

 国際社会において、国家は最も利己的な存在であり、国益追求のためには、手段は選ばないのが「普通の国」である。日本以外の先進諸国は、どこの国でもやっているいわば公然の秘密活動なのである。

 フランスのフランソワ・オランド大統領は「テロの脅威が存在するのは、我々の大使館やEUではない」と非難した。

 だが、この非難をニュースに真剣に取り上げる国は日本くらいである。自分たちもやっている活動は棚に上げ、実態を百も承知のうえで米国の活動を非難する。これは実は諜報活動での米国との暗闘なのである。米国の諜報活動を萎縮させ、自らの諜報活動にフリーハンドを与えるための手段に過ぎないのだ。

 今回スノーデン氏は、香港紙とのインタビューで、NSAによるハッキング工作は世界全体で 6万1000件以上に達していると述べた。これまでの電話や電信の盗聴から、活動範囲がインターネットに広がり、かつての「不正行為の摘発」という大義名分が「テロの未然防止」に変わっただけである。


 英紙ガーディアンは、英国政府の通信傍受機関「政府通信本部(GCHQ)」が過去1年半、光ファイバーケーブル経由の国際電話や電子メールの通信情報を傍受し、米国のNSAとも共有していたと報じた。

 同紙によると、通信傍受の対象は大西洋を横断する英米間の海底ケーブル、電話の会話、電子メールやソーシャルメディアの内容、インターネット利用者の接続記録などであり、一般市民の通信情報も傍受されていたという。


自国以外すべての国が仮想敵国=チャーチル

 英情報筋は同紙に対し、法律内で行われ、深刻な犯罪を防いだことがあったと説明している。デービット・キャメロン英首相もこれまで「英国の法律内で実行されている」と述べている。

 英国は今でこそ中流国家とはいえ、もともと7つの海を制した国であり、情報を最も大切にする「ジェームズ・ボンド」の国である。米国の情報活動の陰には、必ず英国がいる。

 ポーカーゲームは、手中のカードを対戦相手に知られたら、その時点でゲームセットである。国家間の交渉はポーカーゲームに似て、情報は死活的に重要である。

 かつてウィンストン・チャーチルは「英国にとって仮想敵は?」と聞かれ、「英国以外のすべての国」と答えたという。

 近々、日本はTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)交渉に参加する。国家を挙げての熾烈な国益争奪戦である。日本以外の国はすべて敵だとの認識がまず必要である。もちろん、同盟国の米国も例外ではない。

 日本は今回のスノーデン事件に驚いているような場合ではない。国家間の盗聴やハッキングを制約するものは現在何もない。国際条約もなければ、国家間の取り決めもない。あるのは当該国の国内法の縛りだけである。国際社会では無秩序、無法状態にあるのだ。

 各国は国益争奪のため、必死で諜報活動を実施していることを、改めてスノーデン事件は教えてくれた。

 日本版NSA創設の議論もなされているようだが、厳しい国際社会の現実を直視した組織の設立、そして活動範囲と任務付与が求められる。

 当面、TPP交渉にあたっては、我が国も急ぎ情報収集体制を構築するとともに、特に担当者の防諜意識、そして防諜体制を根本から見直すことが喫緊の課題となっている。

<引用終り>
  1. 政治
  2. TB(0)
  3. CM(8)

2015-01-15 18:30

反日プロパガンダ戦争

 昨日ローマ法王の話を「広島への原爆投下「最も恐ろしい惨事」ローマ法王、平和訴え」としてエントリーしたのだが、最近反日プロパガンダ報道が溢れてきている。
特に私はWSJの「戦後70年、日本が謝罪しても東アジア情勢は改善せず」と言う記事が気になる。

しかしその前によもぎねこさんがこんなエントリーをしている。
「トンデモ史観で戦後賠償を!! 中国新聞」
http://yomouni.blog.fc2.com/blog-entry-5018.html

WSJの記事と中国新聞の記事は言っている事はほぼ同じ、多分どこかに黒幕がいてシナリオを描いているのだろう。
各社の記事はそれを多少味付けを変えてみたと言った具合。
誰だよ! こんな事をたくらむ黒幕は???

大きな反日プロパガンダ網が張り巡らされたと言ったところだろう。
中国新聞の記事はよもぎねこさんが上手く問題指摘されているのでこちらを見ていただくとして、私はWSJの記事を問題にしたい。


最初にお断り
WSJの記事で猛烈に腹が立っています。少々荒っぽい書き方もあるかもしれませんがご容赦を。

ではWSJの記事

「戦後70年、日本が謝罪しても東アジア情勢は改善せず」

この話は長いので全文は本文末尾に掲載しました。
英文:http://www.wsj.com/articles/for-japan-a-difficult-art-of-saying-its-sorry-1421127266?mod=ST1
和訳:http://jp.wsj.com/news/articles/SB11902364152700394302604580398243323166342?mod=trending_now_2
しかしどうもよく読んでも分かり難い、そこで原文(英文)を読んでみました・・・ビックリ仰天
ビックリどころか怒髪天を衝く思いですが、先ずはこれを見てください。

2015-1-15WSJ記事ハードコピー

電子版のこの記事を開くと・・・ いきなり出てくるのがこの動画、広島の原爆の写真です。
このきのこ雲の下に十数万人の死が有る事が分かっているだろうか。
(広島市の推定では45年12月末までの死者数は約14万人)
「Atomic holocaust in Hiroshima」である。

きのこ雲の次の映像がコレ、どこの写真か良く分からない、被爆直後の写真に見えるが・・・
2015-1-15WSJ記事の動画2

その次の映像が安倍首相 ・・・ 印象操作である。原爆は安倍の責任だ・・・と。
2015-1-15WSJ記事の動画2-1

そして此奴がペラペラしゃべっている。WSJの記者「ANDREW BROWNE」だ。
2015-1-15WSJ記事の動画3

そして次に出てくるのが何と唐突にコレ
こんなババア相手に戦争などする訳が無い、嘘もいい加減にしろ!
日本は大東亜戦争を闘ったのはアメリカ・イギリス・オランダ・そして当時の蒋介石チャイナである。
現在の南北朝鮮は当時は日本帝国の一部。(植民地支配ではない、日本国として全く同じ扱いをしていた)
2015-1-15WSJ記事の動画4

そしてコレ
2015-1-15WSJ記事の動画5

次がコレ、分かり難いが南京大虐殺の中国側の嘘八百の数字
2015-1-15WSJ記事の動画6

少し飛んで又出てくるのがコレ、南京大虐殺が有ったとされる時期が書いてある
2015-1-15WSJ記事の動画7
日本は中国と戦っていたと誰でもいうが正しくない。
当時の中国はまともに統治されていない状態だった。
その中で日本は主に蒋介石の国民党軍と戦っていた。アメリカも国民党にテコ入れしていた。
毛沢東軍は日本を挑発しては逃げて行ってしまう。ほとんど戦っていないのだ。

尚南京大虐殺はこの当時の蒋介石が日本を貶めるためにアメリカに頼んででっち上げたもの。
そんな77年も前の嘘が未だにまかり通っているのだ。

動画は未だ続きますが以下省略。詳細は上掲リンク先参照ください。


そして更に腹が立つのが本文中にこんな写真を入れている事。

2015-1-15WSJ記事西ドイツブラント首相の謝罪写真

安倍首相にクネ婆や習チンペイの前でこんな事をせよとでも言いたいのだろうか。
悪いけどねえ、
クネ婆のオヤジの代にこの話は完全かつ最終的に解決してるんだけどねえ。
習チンペイの言う大虐殺などは何一つ証拠はないよ。証拠と言われるものは全部出鱈目だ。
証拠たるものなどアカヒちんぶんの本多何某の捏造話なんだがねえ。

オッとその前に1937年~38年が最初の捏造話、それは蒋介石の仕組んだ捏造だった。
それに悪乗りしたのが後にコミンテルンのスパイと分かるアグネス・スメドレー。
そのスメドレーが「わが夫」と言っていたのが尾崎秀実・・・
アグネス・スメドレー、尾崎秀実、ゾルゲとソ連・コミンテルンのスパイにつながる話である。
細川のバカ殿こと細川護煕さんよ、あんたの御祖父さんの近衛文麿が腹心として可愛がっていた尾崎秀実だよ。
それがソ連のスパイだったんだ。
その情報で日本がソ連を攻めないと知って極東に配備されたソ連軍が全部対ドイツ戦線に配備され、結果ドイツが敗北した。
こんな事を書いていると歴史とは何と非常なものか、忸怩たる思いである。


そして・・・ 日本が反省せねばいけないことは確かにある。
それは捏造アカヒ新聞を長年放置してきたことだ。


とまあ、こんな話です。
酷い話と思われる方が多いと思いますが、此れが今日現在進行中の反日プロパガンダの実態。
是非とも色んな所から反論してゆかねばいけないと思っています。


尚12月30日に「米政府の慰安婦問題調査で「奴隷化」の証拠発見されず」をエントリーしました。
この話は産経の古森さんの記事なのですが、その内容が分かりました。
古森さんとマイケル・ヨン氏の調査で、ベースになっているのはマイケル・ヨン氏のフェースブックの記事らしい。
此れがそのマイケル・ヨン氏の記事
https://www.facebook.com/MichaelYonFanPage/photos/a.235978145664.135781.207730000664/10152528275045665/?type=1

そしてこれをケント・ギルバート氏が日本語訳しています。
http://ameblo.jp/workingkent/entry-11958461771.html

そしてこれが2007年にアメリカ議会に報告された報告書
http://www.archives.gov/iwg/reports/final-report-2007.pdf



最後に本文冒頭で書きましたWSJの記事全文を記載します。
読み進むと猛烈に腹が立ちますが、まあ心静かな時にでも読んでみてください。

<以下引用>

戦後70年、日本が謝罪しても東アジア情勢は改善せず

By ANDREW BROWNE
原文(英語)
2015 年 1 月 14 日 11:12 JST 更新

 第2次世界大戦の終戦から70年を迎える今年、「懺悔(ざんげ)のモデル」のドイツのように振る舞うよう日本に求める声が一段と高まる公算が大きい。

 ドイツほど深い悔恨を鮮明にした国はかつてない。史上最も破壊的な戦争のあと、ドイツは苦しみながら自己反省して謝罪した。それが再び平和が脅かされるとの恐怖を沈静化させる一助となった。安心した欧州は、和解が可能になった。

 これとは対照的に、日本が戦争という過去を振り返るとき謝罪していると感じられないことが多い。これが、日本の軍国主義によって辛酸をなめた中国と韓国との関係が依然としてとげとげしい理由だとされている。また、尖閣諸島(中国名は釣魚島)をめぐる日中両国の緊張の高まりが武力衝突につながるのではないかとの現実的な懸念にもつながっている。

 日本はきっぱりと全面謝罪すべきだとの議論がある。東アジアの緊張緩和のためだというのだ。そして東アジア地域の政治家、学者、そして戦争犠牲者のグループの間では、安倍晋三首相が日本の降伏70周年の8月に何を言うかに既に期待が高まっている。

 そんな簡単な話ならどんなに良いことか。

 だが第一に、日本がこれまで公式の謝罪を出し惜しみしてきたというのは事実ではない。

 日本が戦時中の自らの苦しみにひたる傾向があると批判することはできる。同様に、学校の教科書で戦時中の旧日本軍の残虐行為を過小評価する一方、広く行われた奴隷労働、南京大虐殺、そして旧日本軍のために性奴隷とされた「慰安婦」の強制徴用といった諸事実を公的な立場にある人々が声高に否定していることも批判できる。

 しかし日本の指導者たちが謝罪しないと非難することはできない。この数十年間、彼らは繰り返し謝罪してきたからだ。

 例えば1991年、当時の宮沢喜一首相はアジア太平洋で日本が与えた「耐え難い苦しみと悲しみ」に許しを請うた。また降伏50年目の1995年に当時の村山富市首相は植民地支配と侵略について「痛切な反省の意」を表し、「心からのおわび」を表明した。

2015-1-15WSJ記事西ドイツブラント首相の謝罪写真

ポーランドのワルシャワ・ゲットー蜂起記念碑の前にひざまずく西独のブラント首相(1970年) Agence France-Presse/Getty Images
 だが、日本の指導者で、ドイツ(当時西独)のウィリー・ブラント首相が1970年にワルシャワ・ゲットー蜂起の記念碑前でひざまずいた象徴的な行動に匹敵することを行った人は皆無だ。2001年に当時の小泉純一郎首相が韓国で花輪をささげ、植民地支配を謝罪したぐらいだ。

 第二に、安倍首相が本格的に謝罪するとしても、それが大いに役立つかどうか全く明白ではない。それはかえって事態を悪化させるかもしれない。

 「謝罪する国々:国際政治における謝罪(Sorry States: Apologies in International Politics)」の著者ジェニファー・リンド氏は、謝罪は和解のために必要であるとの広く浸透した考えに異議を唱える。同氏は、ドイツとフランスは、ドイツが実際にナチの残虐行為を償い始める以前ですら仲直りしていたと指摘している。一世代(20-30年)という年月が必要ではあったが。

 加えて、謝罪は政治的にリスキーだ、とリンド氏は言う。それは謝罪する国において反発を引き起こしかねないからだ。

 それこそ日本で起こっていることだ。日本では、公式謝罪は右翼のナショナリストやその他の過激主義者から否定の声が一斉に出てくる引き金になっており、謝罪に込められた誠意を台無しにしている。

 安倍首相につきまとう問題は、同首相がこの種の人物を重要なポジションに任命してきたことだ。それが、安倍氏の真意がどこにあるのかという疑念が持ち上がるきっかけになっている。安倍首相は2013年、A級戦犯が他の戦没者とともに合祀(ごうし)されている靖国神社を参拝し、同首相を批判する陣営に攻撃材料を提供した。それが中国と韓国をして安倍氏は悔い改めない軍国主義者とのレッテルを貼らせることになったのだ。

 これは厄介な事態だ。もっと謝罪をしても、それは東アジアにおける真の問題を解決しないだろう。歴史をめぐる議論は、同地域の政治家たちによってそれぞれの国内目標のために利用されているのだ。

 歴史論議は、この地域では競合するナショナリスト的なアジェンダ(目標)をあおる。それらは領土紛争をかき立て、実際的な外交上の解決を排除してしまう。

 中国では、反日感情がレジーム(体制)を支える不可欠なつえと化した。日本を悔い改めない悪漢として描くことは、中国の軍事的増強を正当化する一助になっている。

 同じように、日本では多くの人々が中国の経済的な興隆を日本の存立を脅かす脅威としてみるようになった。有権者にとっての安倍氏の魅力は、少なくとも部分的には、同氏が日本の強力な隣国である中国に対峙(たいじ)してくれるだろうという期待があるためだ。安倍氏をひざまずかせれば、北京とソウルでは万事うまく行くだろうが、東京では恐ろしいことになるだろう。

 世界のどこでも真の和解にこぎつけるのは極めて難しい。このため、政治家は追い込まれなければ和解しようとしないのが常だ。そこでは共通の脅威の存在が役に立つ。欧州ではそうだった。つまり、冷戦への対応という至上命題が欧州(西欧)の和解を促したのだ。

 しかし、残念ながら、東アジアにおける政治的な力は、おおむね正反対の方向に作用している。一層の敵意という方向だ。

 そこで、安倍氏は8月15日の終戦70年にあたり何を言うべきだろうか。安倍氏は「先の大戦への反省、戦後の平和国家としての歩み、今後アジア太平洋地域や世界にどのような貢献を果たしていくのか」を新たな談話に書き込むことを約束した。同氏はまた、これまで(歴代政権)の公式謝罪から後退させるつもりはないことを強調した。

 これらはすべて、世界的なステーツマン(政治家)としての安倍氏の立ち位置を改善するのに不可欠だ。しかし、安倍氏が何を言おうと、日本の近隣2国(中国と韓国)をなだめられる公算は小さい。リンド氏は「魔法の言葉」というものはないと述べ、「それでも、中国は不満だろう」と語った。

 たとえ日本がドイツをモデルとし、アジアにおける第2次世界大戦の傷を癒やそうとした場合でも、問題は、中国と韓国がその後、「赦(ゆる)しのモデル」であるフランスのように行動するかどうかなのだ。

<引用終り>
  1. 歴史
  2. TB(0)
  3. CM(18)

2015-01-14 11:53

広島への原爆投下「最も恐ろしい惨事」ローマ法王、平和訴え

 今年は戦後70年の節目の年、これからも色々そんな関連の報道があるだろうが、最初はローマ法王(教皇)のこんな話から。

<以下引用>


広島への原爆投下「最も恐ろしい惨事」ローマ法王、平和訴え
2015.01.13

2015-1-14ローマ法王新年あいさつ

 12日、バチカンで、外交団に話をするローマ法王フランシスコ(中央)(ロイター=共同)

 「1945年8月6日、われわれは人類史上、最も恐ろしい惨事の一つを目撃した」。ローマ法王フランシスコは12日、バチカンで行った各国の駐バチカン大使ら外交団に対する新年のあいさつで広島への原爆投下に触れ、今年が第2次大戦終結から70年に当たることを念頭に平和な世界を構築するよう訴えた。

 法王は、原爆投下について「前代未聞の新しい手段で、世界は初めて人類の破壊力のすごさを経験した」と指摘。大戦という悲劇の灰から各国の間に対話の意思が生まれ、国連の創設につながったとして、世界の平和と発展のために国連が果たす役割に期待を示した。

 ウクライナや中東、アフリカなど世界各地で紛争が続く中、「各国政府や国際社会はあらゆる形の戦闘や憎悪、暴力を終わらせ、和解と平和、人間の尊厳を追求するように」とも求めた。(共同)

http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20150113/frn1501131619009-n1.htm

<引用終り>

 ローマ法王(教皇)が原爆の問題についてこんな言葉を発することは今までなかったと思う。
日本は敗戦国という事で無理矢理自虐史観を押し付けられ、言いたい事も言えない風潮を作り上げられてきた。
しかし戦後70年、未だに従軍慰安婦だの南京大虐殺だのと有りもしない事を世界中で言われている。
そんな事を転換するいいチャンスがやってきたのだと思う。

問題は中国や韓国が相手ではない、アメリカとの言論戦である。
従軍慰安婦にしても南京大虐殺にしても、中国・韓国の論理は「アメリカ様が言ってるだろ、だから正しいんだ」。
こんなモノを一つずつ打破していかないといけないと思う。

所で渡部昇一先生は原爆、そして東京大空襲について「ホロコースト」である。だからアメリカに対しハッキリそう言えばいい。そう言っている。
広島への原爆投下は「Atomic holocaust in Hiroshima」で良い。
それから東京大空襲は「Bombing holocaust in Tokyo」で良いんだ。こう馬淵睦夫氏との対談本で語っています。
(出典:「日本の敵 グローバリズムの正体」 渡部昇一、馬淵睦夫著 14年3月 飛鳥新社刊 P36)

所で産経の阿比留さんが原爆ではないが東京大空襲について良い記事を書いているので紹介しよう。
米国の傲慢な歴史修正 戦勝国は全てを正当化、敗戦国は我慢…もつわけがない
http://www.sankei.com/politics/news/150112/plt1501120017-n1.html
http://www.sankei.com/politics/news/150112/plt1501120017-n2.html
http://www.sankei.com/politics/news/150112/plt1501120017-n3.html

間もなく3月10日が来る。3.11では無い、3月10日は東京大空襲の日。
3.11は悲惨な日だったが、それよりはるかに多くの非戦闘員が殺された日なのだ。
この東京大空襲については別の機会にエントリーしたいと思います。
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2015-01-13 15:10

日本に必要なのは「数字」ではなく「成長の物語」

 産経の田村秀男さんが自身のブログで大変興味深い事を書いている。
私も全く同感なのだが、先ずは田村さんの記事から


<以下引用>

日本に必要なのは「数字」ではなく「成長の物語」

2015/1/10(土) 午後 4:42

【お金は知っている】新自由主義に決別を 必要なのは「数字」ではなく「成長の物語」

 今年はエネルギー価格の下落で円安に伴うコスト増を相殺できる。1ドル=120円の水準で輸出もかなり増えてゆくだろう。好環境のもとで企業側としてはいかに需要を引き出し、抱える人材に生きがいをもって働いてもらうか、前向き思考に転じる時機だ。

 企業に今必要なのは目先の収益率などの「数字」ではなく、「成長の物語」ではないだろうか。金利は実質マイナスなのに、民間がカネを使わないこと自体が不合理だ。デフレに慣れ切ってしまって、カネ、ヒト、モノを動かす物語がなさ過ぎる。

 東京・日比谷公園や箱根・彫刻の森美術館には直径1・5メートルほどの円形の石が横たわっている。石は、南太平洋ヤップ島(現ミクロネシア連邦)で戦前まで貨幣として使われていた。ヤップの石貨の値打ちはその所有者が口伝えで先祖から受け継いできた物語の内容で決まったという。大海原の彼方(かなた)の島からどうやって切り出して、カヌーで運び込んだか、彫刻したかという具合である。嵐に遭って海底に沈んでも口伝の物語さえあれば、実物の石貨と同じ価値が認められた。

 この実話を、かのマネタリストの元祖、ミルトン・フリードマン教授が自身の論文で紹介したのが面白い。教授はマネー量を重視する一方で、経済価値というのは人々が共有する物語から生まれるという真理を見抜いていた。

 企業の成功ケースには必ず物語がある。逆になくなると、凋落が始まる。かのアップルはスティーブ・ジョブズ氏亡きあと、新しい物語をどうつくるか苦闘中だ。ソニーは井深大氏、盛田昭夫氏の後、物語が消えた。トヨタはその点、創業者以来、経営首脳が交代しても、新たな物語を紡ぎ続けている。

 韓国では、李秉●(=吉を2つヨコに並べる)(イ・ビョンチョル)氏が創業したサムスン・グループを引き継いで、新たな物語を創造してきた李健煕(イ・ゴンヒ)サムスン電子会長が病床にある。三代目になっても物語はまだ続くだろうか。


2015-1-13田村秀男氏ブログの添付写真
 地方創生物語といえば、壮大でなくていい。東京・秋葉原の「日本百貨店しょくひんかん」(写真、坂本慎平撮影)は大手の問屋が扱わないまま埋もれていた全国各地の名産品を発掘し、「昔ながら」のデザインで販売する。生産者は老いも若きも売り場に立って、訥々(とつとつ)とお客さんに商品の由来や特徴を物語ってみる。


 超円高期に廃業が相次いだ愛媛県の「今治タオル」の場合、2007年の商標登録を契機に、「タオル・ソムリエ」資格制度を設け、ソムリエたちがタオルをつくる自然、歴史など文化的背景を語って全国の消費者を引き寄せている。中国に生産を移した業者は地元に回帰し始めた。

 投資ファンドという絶対的な株主の顔色をうかがい、目先の収益率にばかり眼を向ける米英型金融資本主義に、日本は過去20年も傾斜してきた。結果はゼロ成長と格差拡大である。

 新自由主義に決別し、民間が物語を創造する経済モデルでデフレを克服し、成長を取り戻そうではないか。 (産経新聞特別記者・田村秀男)

http://blogs.yahoo.co.jp/sktam_1124/40703245.html

<引用終り>

この物語が必要と言う話しは以前も聞いた事がある。
藤井聡氏は「「物語」がないと物事を「理解」できない」と言う表現でそれを述べていた。
この件は以下ブログ参照ください。
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1043.html

この企業のポリシーとしての物語もそうだが、個人としても働きながらそれなりの物語を持つことも重要だろう。
上掲写真の地方の名産品の様に、一つ一つは小さなモノ。その一つ一つに込められた作り手の物語が重要なのだと思う。

なお田村秀男さんはトヨタが未だに物語を紡ぎ続けていると言っている。
その物語は
「日本中に安くて良い自動車を提供しよう、これが創業以来のポリシーだ。そして今はそれが日本中から世界中に発展しただけ。創業の精神は同じだ」
こんな物語だと思う。
そして豊田章男現社長はそれを
「もっと いいクルマをつくろうよ」と言っている。精神は全く同じだと思う。


所で田村秀男さんだが、去年12月いっぱいはイザブログで健筆をふるっていたが、不思議な事に今年からは別のブログに移転してしまった。
現在の田村秀男さんブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/sktam_1124

私らもイザ追放組で目下難民生活を送っているが田村さんも追放組。
でもこんな正論、特にグローバル資本主義(強欲資本主義、新自由主義)には都合が悪いので難民生活も無理ないのかなあ??。
いやこれは下衆の勘繰りだったかも・・・

オッともう一つ追加。
これは丸山光三さんのブログで知ったのだが、
「ローマ法王がグローバル資本主義と戦えと言っていた」、こんな話がある。
詳細は以下エントリー参照ください。
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-940.html

http://marcooichan2.blog129.fc2.com/blog-entry-4570.html
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2015-01-11 11:54

寝正月

 いつの間にかもう11日、正月早々風邪をひきましてとうとう寝正月で過ぎてしまいました。
その間法事をやらねばならなかったので無理をしたせいなのか、やっと今日マトモになった次第。

大いに遅ればせながら・・・
明けました、おめでとうございま~す・・・


所で正月早々興味深い報道が有った。
シベリア抑留について新たな資料が約700冊見つかったのだと言う

http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20150104-118-OYTPT50045

http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20150104-118-OYTPT50022

シベリア抑留新資料 旧ソ連700冊 不明者情報多数 日本政府4月から調査
2015年1月4日3時0分 読売新聞



 【モスクワ=緒方賢一】第2次世界大戦後、数多くの日本兵や民間人らが旧ソ連全土で強制労働に従事させられた「シベリア抑留」を巡り、旧ソ連政府が作成していた抑留者についての資料が、モスクワのロシア連邦国立公文書館に保管されていることが分かった。日本政府は今年4月から調査に乗り出す。

 政府の事前調査の結果、新資料には抑留中に死亡した人や、いまだに消息が不明となっている人々の情報も多数見つかった。収容所での日常や抑留者の回想なども含まれており、戦後70年の節目の年に、シベリア抑留を巡る歴史の闇に、光が差し込みそうだ。
・・・以下略、詳細は上記リンク先参照ください。

<引用終り>

 シベリア抑留と言っても聞いた事も無い人も多いかもしれない。
日本の敗戦直前に突如参戦してきたソ連によって捕虜となった軍人・民間人(しかも女性まで)約57万5千人を強制労働させたものである。過酷な環境で食べるモノも満足に与えられず、死者は約5万5千人、未だに1万6千人の身元が判明していない。こんな問題である。

2015-1-4シベリア抑留をめぐる経緯

日本人のロシアに対する不信感の原点であり、未だにキチンとした処理のされていない問題で、これが解決に向かう事はとてもいい事だ。

そしてこの問題のロシア側資料が調査されていくうちもっと期待している事がある。
それは此れが分かってくることで「ヤルタの密約」が明るみに出てくることだ。
第二次大戦末期の1945年2月、クリミア半島の保養地ヤルタで行われたヤルタ会談。
アメリカのフランクリン・ルーズベルト、イギリスのチャーチル、ソ連のスターリンの三者会談でドイツと日本の戦後処理を決めた会談である。
ヤルタ会談は以下参照ください
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%AB%E3%82%BF%E4%BC%9A%E8%AB%87

このヤルタ会談が戦後の世界秩序を決めたものなのだが、その最初からこの会談での合意そのものが問題視されていた。おまけにルーズベルトが会談に連れて行った随員にはアルジャー・ヒスの様にその後ソ連のスパイであることがハッキリした人物のいたくらい。要するにスターリンの想いのままの内容と言って良いと思われるのだ。

しかも一番の当事者のルーズベルトは会談直後の4月に急死してしまった。

これが20世紀の不幸のはじまりであった。

なおこの件は上掲wikiではこんな事を書いている。
<「なお、1956年に共和党アイゼンハワー政権は「(ソ連による北方領土占有を含む)ヤルタ協定はルーズベルト個人の文書であり、米国政府の公式文書ではなく無効である」との米国務省公式声明を発出している。また、アメリカ合衆国上院は、1951年のサンフランシスコ講和条約批准を承認する際、決議において「この承認は合衆国としてヤルタ協定に含まれているソ連に有利な規定の承認を意味しない」との宣言を行っている[8]。」>

さてシベリア抑留は非常に悲惨な話だが、その中には美しい大輪の花を咲かせた話もある。
シルクロードの年で有名なウズベキスタンのタシュケント市、ここに国立ナヴォイ劇場という美しい建物が有る。

ナヴォイ劇場
2015-1-11ナヴォイ劇場タシュケント

これが日本人抑留者が完成させたものであり、しかも20年後の大地震に際しても市内の三分の二の建物が倒壊してもビクともせず、ウズベキスタンと日本のつながりの象徴になっている。

このナヴォイ劇場完成秘話は小名木善行さんの以下ブログに詳しい
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-797.html

またナヴォイ劇場については以下参照ください
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%82%A4%E5%8A%87%E5%A0%B4

上掲wikiにこんな記述がある。
「1966年4月26日のタシュケント地震では、78,000棟の建物が倒壊したにもかかわらず、ナヴォイ劇場は無傷であり、[5]市民達の避難場所としても機能した。」

こんな所を見ると、たとえ途中から引き継いだものであってもしっかり手を入れて完璧なものにしている事は確かだと思う。
こんな良い話もシベリア抑留の件が明らかになるうち、もっと一般に知られて良い事ではないだろうか。

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