2014-12-31 18:22

歌麿の浮世絵「唐歌」

 今年もあと6時間、最後の土壇場で介護で振り回されましたがどうやら無事に年が越せそうです。
所で今年はマララさんのノーベル平和賞が話題になりました。
全ての子どもに教育を、これは素晴らしい事なのだが日本人にはどうもピンと来ない。
何故か?
日本では教育は江戸時代から当たり前だったのだ。

例えばこんな浮世絵。

2014-12-31歌麿の浮世絵「唐歌」メガネふき

妙な浮世絵に見えるがこれは浮世絵のメガネふき。私の愛用しているメガネふきです。

こんな今から200年以上も前の女性が本を読んでいる、日本とはこう言う国なのだ
そしてこれ。
そんな一般庶民でも教育を受けることの出来る国、それがこんな絵で分かる。

2014-12-31寺子屋の筆子と女性教師 一寸子花里「文学ばんだいの宝」

よく見ると後ろで座っている先生は女性。
日本ではこんな頃から女性が教師になって、男女が一緒に学んでいる。
こんな日本のいい所を貶めようとする輩が今暗躍しているが、新しい年はそんな連中を大掃除する年になりそう。
今から期待しています。


最後になりましたが、今年一年拙いブログにお付き合いいただき有難うございました。
皆様にとって良い年になりますよう祈念いたしております。
来年もどうぞよろしくお願いします。
  1. 社会一般
  2. TB(0)
  3. CM(3)

2014-12-31 09:10

新しい年の為に歴史を振り返って考える

 2014年、平成26年も今日で終わり。
今年も色々ありましたが、私にとって思い出深いもの、それは年初からのポスコ・インドネシアの高炉事故についてのエントリーでした。
情報管制で全く分からない中、私のエントリーに沢山の方からコメントを頂いた事は良い経験でした。
お蔭でいろんな方と知り合いになれたのも有りがたい事でした。

そして
WEDGEと言う雑誌に名前だけですが紹介していただきました。どうも有り難うございました。

2014-4-22WEDGE5月号
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-950.html



さて年末にあたり来年の事を考える一助として、古い話だがマレーシアのマハティール元首相の話を取り上げたい。

これは伊勢雅臣さんの「国際派日本人養成講座」の平成13年(2001年)のもの。
今から13年前なので出てくる政治家の名前も村山元首相とかクリントン元大統領とかだが、それを今の民主党連中やアメリカのオバマに置き換えても十分通用する。
そして中でも「日本なかりせば」の話はSapio, H11.4.14に載っていたもの。
もう15年も前の記事であるが、今改めて読む価値があると思う次第。
http://melma.com/backnumber_115_1126490/

なおこの「日本なかりせば」は92年10月香港で開かれた欧州・ 東アジア経済フォーラムでの演説「日本なかりせば」からとったもの。
もう20年も前のモノだが、これがアジアの人(除く特亜3国人)の本音である。



<以下はメルマガより引用、本文以外にソースも引用した>

-----Japan On the Globe(198) 国際派日本人養成講座----------
_/_/
_/ 人物探訪:マハティール首相~アジアの言挙げ
_/_/
_/ _/_/_/  欧米マスコミのバッシングに屈せず、言挙げを
_/ _/_/ 続けるマハティール・マレーシア首相の頑固者ぶり
-----H13.07.15----34,684 Copies----282,989 Homepage View----

■1.村山首相・土井たか子議長への一喝■

 平成6(1994)年8月下旬、村山首相は訪問先のフィリピンと
シンガポールで戦争責任問題について謝罪した。その村山首相
をマレーシアに迎えて、マハティール首相は冒頭こう切り出し
た。

 日本が50年前に起きたことを謝り続けるのは理解でき
ない。過去のことは教訓とすべきだが、将来に向かって進
むべきだ。日本はこれからのアジアの平和と安定のために
国連安保理常任理事国入りして、すべての責任を果たして
欲しい。

 また村山首相の6日前にマレーシアに到着した社会党の土井
たか子衆議院議長が「二度と過ちは繰り返さない」「歴史への
反省」などと口にしたのに対し、「過去の反省のために日本が
軍隊(PKO)の派遣もできないのは残念だ」と切り返した。
「ダメなものはダメ」とおよそ非論理的な姿勢でPKOに反対
する土井議長に対する痛烈なパンチであった。

世界の富から利益を得ていながら、世界に対して責任を負
わないということはできません。経済大国・日本にとって
は、世界を安定させ、第3次世界大戦のような惨事が引き
起こされないようにすることが重要だからです。[1,p111]

 国際貿易で膨大な利益を上げながら、半世紀前の戦争への反
省を口実に、ODAをばらまくだけで、世界の安定に対して何
ら貢献もせずにいる日本は、「世界に対する責任」を果たして
いないとマハティール首相は一喝する。

■2.「ルック・イースト」政策■

 マハティールは、1925年、インド出身で上級会計検査官の父
とマレー人の母の9人兄弟の末っ子として生まれた。1941年、
16歳の時、日本軍が初めてマレーの支配者・英国軍を打ち破
ったのを目の当たりにし、またその規律の良さに強く感動した。
我々にもその意思さえあれば、日本人のようになれる、自分た
ちの手で自分たちの国を治め、ヨーロッパ人と対等に競争でき
る能力がある、と考えるようになった。[2,p30]

 けっして裕福とは言えない家庭のため、マハティールは働き
ながら、医科大学を卒業する。卒業後は、医師として地方の医
療活動に専念したが、患者の多くは貧しいマレー人の農民で、
その惨めな暮らしぶりになんとかしなければ、との思いに駆ら
れた。64年、下院議員に当選し、政治家としてのスタートを切
る。

 近代社会における後進性とは貧困を意味し、それが教育
の遅れをもたらし、さらに教育の遅れが貧困を永続させる。
どこかで、その悪循環を断たなくてはならない。[3,p88]

 73年に訪れた日本で、その悪循環を断ち切る解を得たようだ。
街にあふれる高品質の製品も、秒単位の正確さの新幹線も、質
の高い教育がもたらしたものである。1981年、首相に就任する
と、「ルック・イースト」政策を打ち出した。

 怠惰、無気力な植民地根性をたたき直し、日本を見習って、
マレー人に労働倫理と技術を身につけさせ、エレクトロニクス
産業や自動車産業を発展させて、経済成長を実現しようという
のである。

 ゴムや錫の原材料輸出国から脱皮して、日本などから積極的
な外資導入を図った。96年には一人あたり国民総生産が4370ド
ルに達し、中進国の仲間入りした。3~4LDKレベルの住宅
を大量・廉価に供給し、生活水準も急速に向上している。躍進
する東南アジアの旗手にふさわしい経済発展を実現してきた。

■3.「日本なかりせば」■

 マハティールの世界観は、92年10月香港で開かれた欧州・
東アジア経済フォーラムでの演説「日本なかりせば」から窺い
知る事ができる。

 日本の存在しない世界を想像してみたらよい。もし日本
なかりせば、ヨーロッパとアメリカが世界の工業国を支配
していただろう。欧米が基準と価格を決め、欧米だけにし
か作れない製品を買うために、世界中の国はその価格を押
しつけられていただろう。・・・

 貧しい南側諸国から輸出される原材料の価格は、買い手
が北側のヨーロッパ諸国しかないので最低水準に固定され
る。その結果、市場における南側諸国の立場は弱まる。
・・・

 南側のいくつかの国の経済開発も、東アジアの強力な工
業国家の誕生もありえなかっただろう。多国籍企業が安い
労働力を求めて南側の国々に投資したのは、日本と競争せ
ざるをえなかったからにほかならない。日本との競争がな
ければ、開発途上国への投資はなかった。・・・

 また日本と日本のサクセス・ストーリーがなければ、東
アジア諸国は模範にすべきものがなかっただろう。ヨーロ
ッパが開発・完成させた産業分野では、自分たちは太刀打
ちできないと信じ続けていただろう。・・・

 もし日本なかりせば、世界は全く違う様相を呈していた
だろう。富める北側はますます富み、貧しい南側はますま
す貧しくなっていたと言っても過言ではない。北側のヨー
ロッパは、永遠に世界を支配したことだろう。マレーシア
のような国は、ゴムを育て、スズを掘り、それを富める工
業国の顧客の言い値で売り続けていただろう。[4]

■4.自由貿易体制を守るために■

 この演説を聴いていた欧米の記者の中には怒って席を立つ人
もいたそうだが、マレーシアをゴムとスズの原材料輸出国から、
近代工業国家に脱皮させたマハティール首相の実績を背景とし
た発言には重みがある。

 この演説は単なる日本賛歌と受け取るよりも、南側諸国が
「発展する権利」を発揮するには、欧米支配の近代世界システ
ムのくびきを脱して、自由な国際競争を実現する必要がある、
という世界観を示したものととらえるべきだろう。

 欧米の世界経済支配を排し、自由貿易体制を守るためには、
アジア諸国が結束して、強い発言権を持たなければならない。
そのための第一歩としてマハティールは「東アジア経済圏(E
AEG)構想」を90年12月に発表した。日本をリーダー格
にして、ASEAN6カ国(マレーシア、シンガポール、タイ、
インドネシア、フィリピン、ブルネイ)、インドネシア3国
(ベトナム、ラオス、カンボジア)、さらに中国、韓国、香港
が団結しようという壮大な構想である。

 私は閉鎖的な地域主義を信奉しているのではありません。
開放的な地域主義の重要性を信じています。しかし、マレ
ーシアのような小国が国際貿易における意思決定にほとん
ど影響を及ぼさないことにも気づいたのです。国際的な影
響力を持つためには、もっと大きなグループをつくる必要
がある。・・・

 アジア諸国の大半は貿易国なので、世界貿易が自由に行
われるときに最大の利益を得られます。だから、我々も結
集し、ヨーロッパ諸国や南北アメリカが域内市場を保護し
ようとしている現在の傾向に対抗して自由貿易体制を守ら
なければならないと考えているのです。[1,p41]

■5.欧米との戦い■

 マハティールの突出した提案は、ASEANの長老格スハル
ト・インドネシア大統領の反発を招いたが、その顔を立てて、
スハルトがイニシアティブをとる形で、EAEGをEAEC
(東アジア経済協議体)という話し合いの場にする事とした。
他のASEAN諸国もおおむね肯定的で、91年には域内で合
意が得られ、次に日本を取り込もうという段階になった。

 しかし、これに強硬に反対したのがアメリカである。べーカ
ー国務長官は、東京で宮沢首相相手に気色ばんで「どんな形で
あれ、太平洋に線を引くことは認められない。マハティール氏
の提唱する構想は太平洋を二つに分け、日米を分断させるもの
だ」とまくし立ててた。日本が参加しなければ、EAEC構想
をつぶせると考え、強硬に圧力をかけたのである。

 マハティールも負けてはいない。アメリカのお膝元、ニュー
ヨークの国連本部で演説した際には、「欧米が自分たちだけ経
済のブロック化を推進しながらEAECを阻止しようとするの
は、アジア人に対する人種差別である」とぶち上げた。

 しかし、日本政府はアメリカの圧力に屈して、EAEC参加
を見送ってしまう。その一方で、タイなどのASEAN諸国は、
EAECをより積極的に支持するようになっていった。欧米が、
人権、環境問題、労働条件を改善しろとASEAN各国に要求
し、反発を招いていたからである。マハティールは、こう反駁
した。

 ヨーロッパはすでに保護主義的貿易ブロックを選択して
いる。彼らは自分たちの高い生活レベルと生産コストを守
り通すために、東アジア諸国との競争を拒絶しようとして
いる。(欧米は)あらゆる問題であら捜しををして私たち
に対する差別政策を正当化しようとするだろう。彼らはそ
の口実として民主主義、人権、労働条件、環境破壊、知的
所有権などといった問題を持ち出している。NAFTAや
ECの登場でこのような差別による排除はますますひどく
なるだろう。[3,p31]

■6.クリントンへの「NO」■

 93年1月にスタートしたクリントン政権は、その4年前に創
設されたが、ほとんど機能していなかったAPEC(アジア太
平洋経済協議体)を土台にして、アジア太平洋諸国をすべてカ
バーする巨大な経済ブロックを作ろうとする構想を発表した。
ASEAN諸国との対立を避けるためにEAECを容認するが、
同時に、それをAPECの中の一機構として、あくまで盟主ア
メリカの影響下に置こうという戦術である。

 クリントンは、同年11月にAPEC全加盟国の首脳をシア
トルに召集して、拡大首脳会議を開くと発表した。アメリカは
それまでAPECを軽視して、前年のAPEC閣僚会議には一
人も閣僚を送らず、また首脳会議をやるなら94年インドネシア
でという了解があったのを一切無視して、いきなり全首脳を召
集するという盟主ぶったやり方に、マハティールは筋が通らな
いと反駁した。そしてアメリカは緩やかな協議体であったAP
ECを、自らを盟主とする経済ブロックに移行することによっ
て、EUに対抗しようとしている、と批判した。

 クリントンは、面子にかけてマハティールをシアトルでの拡
大首脳会議に参加させようと、貿易上のアメ玉まで持ち出して
説得したが、マハティールは一蹴した。欠席の理由は、「身内
の結婚式に参加するため」である。わざと刺激的な表現を使っ
て、アメリカのエゴに対して、「NO」と言える政治家である
ことを、国際社会にアピールしたのである。

 全太平洋・東アジアを包括する巨大な経済ブロックなど具体
化できるわけがない、というマハティールの読み通り、APE
Cはその後勢いを失っている。またEAEC構想はアメリカの
画策によりつぶされたが、97年のASEAN結成30周年を期
に、10カ国に拡大したASEAN+3(日中韓)の毎年の首
脳会議が定着してきている[5]。東アジアが結束して世界への
発言権を持つべきだ、というマハティールのビジョンは、姿を
変えてしぶとく命脈を保っている。

■7.「マハティールなかりせば」■

 97年7月のタイ・バーツ暴落から始まった通貨危機が、マレ
ーシアにも波及した。そのわずか2週間前に、IMFのカムド
シュ専務理事は、マレーシア経済を「健全な財政システムを維
持しており、他国が手本とすべき国です」と賞賛していた。
[2,p98]

 それが経済危機に襲われた途端に、欧米マスコミは一変して
「縁故主義」「不透明」「政治腐敗」などと、マレーシア経済
の長年の「構造的欠陥」を書き立てるようになった。

 マハティールが通貨危機をもたらした国際的投機集団を批判
し、適切な規制を訴えると、欧米マスコミはさらに「マハティ
ール首相を、自国の金融・財政政策の失敗を人のせいにする」
「自由市場を冒涜する無知な指導者」などと、バッシングを繰
り返した。マハティールは屈せず、IMFからの支援申し出を
拒絶し、非居住者の通貨取引を規制した。

 その後、ロシアの経済危機でアメリカの投機家集団が大損を
し、米国政府が巨額の資金を使って救済する事態が起こると、
ようやく欧米諸国でも通貨取引安定化のための監督強化が合意
された。

 2001年7月、マハティールの首相としての在任期間は20年
を超えた。この間、アメリカからはEAEC構想で目の敵とさ
れ、また民主選挙によって選ばれているのに、欧米のマスコミ
からはあたかも独裁者であるかのように批判されてきた。それ
にも屈せず独自の発言を続ける姿勢は、英首相だったサッチャ
ー女史も印象に残るアジアの政治家の筆頭にあげている。

 「マハティールなかりせば」、国際社会におけるアジアの発
言力は、今よりもはるかに弱いものになっていたろう。マレー
シアのような小国の首相にすら、これだけの言挙げができる。
そのマレーシアの6倍の人口と、50倍の経済規模を持つ日本
は、なぜアジアのリーダーとして言挙げをしてくれないのか?
アジアの大国として「世界に対して責任を負ってほしい」とい
うマハティールの日本への期待は裏切られ続けている。

(文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(077) アジア日記
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_1/jog077.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
1. 大前研一、「アジア人と日本人 マハティール・マレーシア首相
  との対話」★★、小学館、H6
2. マハティール、「日本再生・アジア新生」★★、たちばな出版、
H11
3. 根津清、「マハティール アジアの世紀を創る男」★★、ザ・
マサダ、H6
4.「マハティール首相、『日本なかりせば』演説、Sapio, H11.4.14
5.「APAP会議報告『21世紀のビジョン』 東アジア共同体の予
感」、産経新聞、H13.02.20、東京朝刊、5頁

<引用終り>

歴史を振り返って、新しい年の事を考えていきたいと思っている。

>>新しい年の為に歴史を振り返って考えるの続きを読む

  1. 社会一般
  2. TB(0)
  3. CM(2)

2014-12-30 10:52

米政府の慰安婦問題調査で「奴隷化」の証拠発見されず

 やや旧聞に属するのだが先月産経にこんな記事が有った。
「米政府の慰安婦問題調査で「奴隷化」の証拠発見されず…日本側の主張の強力な後押しに」
http://www.sankei.com/world/news/141127/wor1411270003-n1.html

この記事を見た時最初に感じたこと。それは良いモノが見つかった、元々デタラメな慰安婦騒動、韓国に対する良い反論の資料だ、こんな風に考えていた。
しかしどうにも私的には納得しがたい、そこで少し調べてみた。
何が気になったのか。
最初に、実に8年もの時間をかけて膨大な調査をしている、どうしてここまでしなければならないのか。
二番目に、膨大な調査の結果は2007年に公表されたのになぜ今まで話題にもならなかったのか。
三番目に、そもそも調査開始は2000年、クリントン政権時代の事。どうしてこんな時期に調査し始めたのか。
こんな疑問だった。


まず最初に産経の報道を見てみたい。

<以下引用>

2014.11.27 05:10

米政府の慰安婦問題調査で「奴隷化」の証拠発見されず…日本側の主張の強力な後押しに

【どうなる日韓関係】
 米政府がクリントン、ブッシュ両政権下で8年かけて実施したドイツと日本の戦争犯罪の大規模な再調査で、日本の慰安婦にかかわる戦争犯罪や「女性の組織的な奴隷化」の主張を裏づける米側の政府・軍の文書は一点も発見されなかったことが明らかとなった。戦時の米軍は慰安婦制度を日本国内の売春制度の単なる延長とみていたという。調査結果は、日本側の慰安婦問題での主張の強力な補強になることも期待される。

 米政府の調査結果は「ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班(IWG)米国議会あて最終報告」として、2007年4月にまとめられた。米側で提起されることはほとんどなかったが、慰安婦問題の分析を進める米国人ジャーナリスト、マイケル・ヨン氏とその調査班と産経新聞の取材により、慰安婦問題に関する調査結果部分の全容が確認された。

 調査対象となった未公開や秘密の公式文書は計850万ページ。そのうち14万2千ページが日本の戦争犯罪にかかわる文書だった。

 日本に関する文書の点検基準の一つとして「いわゆる慰安婦プログラム=日本軍統治地域女性の性的目的のための組織的奴隷化」にかかわる文書の発見と報告が指示されていた。だが、報告では日本の官憲による捕虜虐待や民間人殺傷の代表例が数十件列記されたが、慰安婦関連は皆無だった。

 報告の序文でIWG委員長代行のスティーブン・ガーフィンケル氏は、慰安婦問題で戦争犯罪の裏づけがなかったことを「失望」と表明。調査を促した在米中国系組織「世界抗日戦争史実維護連合会」の名をあげ「こうした結果になったことは残念だ」と記した。

 IWGは米専門家6人による日本部分の追加論文も発表した。論文は慰安婦問題について(1)戦争中、米軍は日本の慰安婦制度を国内で合法だった売春制の延長だとみていた(2)その結果、米軍は慰安婦制度の実態への理解や注意に欠け、特に調査もせず、関連文書が存在しないこととなった-と指摘した。

 ヨン氏は「これだけの規模の調査で何も出てこないことは『20万人の女性を強制連行して性的奴隷にした』という主張が虚構であることを証明した。日本側は調査を材料に、米議会の対日非難決議や国連のクマラスワミ報告などの撤回を求めるべきだ」と語った。(ワシントン駐在客員特派員・古森義久)



 【ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班(IWG)】 
クリントン政権時代に成立した「1998年ナチス戦争犯罪開示法」と「2000年日本帝国政府開示法」に基づき、第2次大戦での日独両国の戦争犯罪の情報開示を徹底させる目的で00年に始まった調査。国防総省、国務省、中央情報局(CIA)、連邦捜査局(FBI)などに未公開の公式文書を点検し戦争犯罪に関する資料の公開を指示した。

<引用終り>


この問題は1991年のソ連崩壊でアメリカの敵がソ連で無くなった、そこで以前から底流として流れていた「アメリカの反日」が浮上してきたものと見ていいだろう。
しかしそこに何故朝鮮人の慰安婦問題が出てくるのか、調べてきて最後に行きついたのがこんな事だった。

これは1945年8月14日、日本の降伏を伝えるNYT報道
(時差の関係で8月14日になっている)
2014-12-308月14日のNYT紙面

全文は下記リンク先参照ください
http://www.nytimes.com/learning/general/onthisday/990814onthisday_big.html#top

そこの冒頭はこんな記事
Special to The New York Times

Washington, Aug. 14 -- Japan today unconditionally surrendered the hemispheric empire taken by force and held almost intact for more than two years against the rising power of the United States and its Allies in the Pacific war.

The bloody dream of the Japanese military caste vanished in the text of a note to the Four Powers accepting the terms of the Potsdam Declaration of July 26, 1945, which amplified the Cairo Declaration of 1943.


此処で言うthe Potsdam Declaration of July 26, 1945, これはポツダム宣言の事。日本人もポツダム宣言を受け入れて降伏したことは知っている。
しかし the Cairo Declaration of 1943 これはカイロ宣言だがこれについては私も殆んど知識が無かった。

しかしカイロ宣言を見るとこんな事が書いてある。
カイロ宣言wikiによると

カイロ宣言の対日方針は、その後連合国の基本方針となり、ポツダム宣言に継承された。
以下はカイロ宣言の日本語訳[1]。
「ローズヴェルト」大統領、蒋介石大元帥及「チャーチル」総理大臣ハ、各自ノ軍事及外交顧問ト共ニ北「アフリカ」ニ於テ会議ヲ終了シ左ノ一般的声明ヲ発セラレタリ 各軍事使節ハ日本国ニ対スル将来ノ軍事行動ヲ協定セリ。
三大同盟国ハ海路陸路及空路ニ依リ其ノ野蛮ナル敵国ニ対シ仮借ナキ弾圧ヲ加フルノ決意ヲ表明セリ右弾圧ハ既ニ増大シツツアリ。
三大同盟国ハ日本国ノ侵略ヲ制止シ且之ヲ罰スル為今次ノ戦争ヲ為シツツアルモノナリ右同盟国ハ自国ノ為ニ何等ノ利得ヲモ欲求スルモノニ非ス又領土拡張ノ何等ノ念ヲモ有スルモノニ非ス
右同盟国ノ目的ハ日本国ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト並ニ満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ
日本国ハ又暴力及貧慾ニ依リ日本国ノ略取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ駆逐セラルヘシ
前記三大国ハ朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ軈テ朝鮮ヲ自由且独立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス
右ノ目的ヲ以テ右三同盟国ハ同盟諸国中日本国ト交戦中ナル諸国ト協調シ日本国ノ無条件降伏ヲ齎スニ必要ナル重大且長期ノ行動ヲ続行スヘシ」

<引用此処まで>

このカイロ宣言はアメリカのフランクリン・ルーズベルト、イギリスのチャーチル首相、そして中国の蒋介石の三者で話し合われたもの。
そしてこの短い宣言文がその後のポツダム宣言、その後のGHQによる占領政策へと引き継がれている。

この中に「朝鮮ノ人民ノ奴隷状態」として特別に一文が入っている。
日本はチョウセンを奴隷支配した、これがアメリカの基本政策、フランクリン・ルーズベルト大統領の基本政策なのだ。

そして重要なのはアメリカの歴代大統領で最も尊敬されている3人の大統領として、ワシントン、リンカーンと並び最も尊敬されているの一人がフランクリン・ルーズベルトなのだ。

朝鮮人民の奴隷状態からの解放、なにを馬鹿な事をいっとるか、日本人はよその国の人民を奴隷にしたことなど歴史上皆無だ。日本人ならだれでもそう思う。

しかしアメリカにとって自国の人種差別問題、奴隷問題は実に頭の痛い問題。
そして日本には奴隷問題など全くないのがフランクリン・ルーズベルトには全く気に入らない事だったのだ。

しかしフランクリン・ルーズベルトはその後急死してしまう。
正にこの所が「ルーズベルトの遺訓」になってしまっているのだ。

今回のアメリカの総力を挙げて日本が朝鮮人を奴隷支配した証拠探しをした。実に8年がかりでやった結果はそんな証拠は皆無。
アメリカとしては「あの偉大なルーズベルト大統領の遺訓」、それの証拠探しをしたのに見つからない。
こんな結果だと思う。
だからこんな事がマスコミにも握りつぶされ、最近になってやっと日の目を見ることになった。

2015年は日本・日本人にとっての重大事。
アメリカにとって、アメリカ人にとって、最も偉大と思い敬愛する大統領。
あの偉大なフランクリン・ルーズベルトの遺訓を訂正する、こんな大仕事が必要なのだ。

間もなく2015年、戦後70年。
この節目に日本人が本当の日本を取り戻す、そんな歳にしたいと思います。

尚この朝鮮奴隷支配からの解放、こんなわけのわからない話が独り歩きし、韓国が戦勝国だと言ってみたりする。
或いはクネたんが告げ口外交に邁進する。
或いは在日韓国・朝鮮人が戦後大暴れした、こんな事の原因になっているんだと思っています。

この韓国人大暴れについては友遊さんが実際見聞きした生の話をアップされているので、それも参考にしていただきたいと思います。
http://yuyuu2013.blog.fc2.com/blog-entry-4148.html
  1. 戦後史
  2. TB(0)
  3. CM(3)

2014-12-26 22:31

12月26日の思い出

 12月26日、今日はインド洋大津波(スマトラ島沖地震)から丁度10年。
私には色々思い出深い日なので一寸思い出話などを・・・

今から10年前、2004年12月26日、私はタイで仕事をしていた。
正確には何とかして年内には帰国し、その頃体調を崩していた母の介護をしようとしていた。
帰国するため仕事のキリをつけるため、12月30日まで仕事、その日の深夜便に乗って31日帰国。
そんな段取りだった。

とは言うモノの12月26日は休日、せめて最後のゴルフでもとその日友人とゴルフ。
そして当時住んでいたコンドミニアム近くのマッサージ店で足のマッサージをやってもらっていた。
丁度目の前にテレビが有ったので見るともなく見ていると・・・
突然画面が変わり、プーケットでビッグウェーブで被害が出ている、そんな事を言いだした。
「Big wave」、「Big wave」、と騒いでいる。「高さ10メートルのBig wave」なのだと言っている。
「高さ10メートルのBig wave」? そりゃあ津波だぞ、そう思っていると電話がかかってきた。
電話は長女からのモノで、「タイで凄い津波被害が出ている、地震はインドネシア沖らしい。そちらは大丈夫?」
私は丁度今テレビで見たところだけどプーケットからは1000キロ近く離れている、それにプーケットはインド洋に面している。こちらはタイ湾、南シナ海に面しているので全く関係ない、そう返事をしたのだった。

時間がたつにつれ被害の深刻さが分かってくる。
勿論タイ人の間でも話題沸騰であったが、私は兎に角仕事を終りにせねばならない、四苦八苦だった。

そんなこんなで2004年12月31日、この日がタイでの仕事が終わって帰国した私の記念日。
そして正月は母は何とか元気だったものの5日に入院。16日に黄泉の国へと旅立ってしまった。
皆さんから「アンタが帰ってきたから安心して死んだんだよ」と言われるのだが・・・

しかし私には更に義父の介護・葬儀、それが終わったら義母の介護・葬儀、そんな日の始まりの記念日でもあるのがインド洋大津波の日なのだ。
私にしてみると年明け早々、義母の3回忌なのでこれでこの介護生活とも終りと思っていたのだが・・・・・・

今日ある介護関係の人から電話が有った。曰く「私の叔父の人が自宅で転んでけがをしている、すぐ来てくれないか。」そんな話だった。その叔父には3人の息子はいるのだが遠方に住んでいたりで頼りになるのは長男だけ。その長男が二日ほど前、別の病気で緊急入院中。

そんな事情で今日一日、叔父を病院に連れて行ったりで大変だった。
結局走り回っていたので昼飯も食えず・・・、ブツブツ。
明日もその延長戦で叔父の家に出かけることになっている。マタマタ老人介護生活に入りそうな予感・・・
どうも私には12月26日は厄日になってしまったようだ。

思い出話はこんな所にして、又また寒波が来そうですね。
先週の寒波では当地方の雪はこんなモノでした。
(18日の積雪)

2014-12-26雪景色(18日)その2

2014-12-26雪景色(18日)その1

このワンコは置物です。
でも何となく雰囲気は良いかもしれません。
  1. 未分類
  2. TB(0)
  3. CM(2)

2014-12-20 23:46

ポスコ・インドネシア工場の事故続報

 前回ポスコのインドネシア工場の事故についてエントリーした。
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1045.html

今回は大体事故の状況が分かったのでその続報です。

「インドネシア人の本音」と言うブログに現地情報を翻訳し、掲載している。
http://honnesia.doorblog.jp/archives/41857446.html

この中にこんな記述がある。(現地紙に載っていたもの)

<以下引用>
2014-12-20クラカタウポスコ事故
Radarbanten.com - クラカタウ・ポスコ社コーポレート・セクレタリーのクリスティアワティ・フェラニア・カスグルは、今日13時10分頃の爆発は製鋼プラント、すなわち溶銑から溶鋼への加工を行う工場で発生したと話した。この爆発は、製鋼プラントエリアで溶銑を注入するという通常の稼働中に起こったものだという。

「今回の出来事は取鍋(ladle)から転炉(converter)へ溶銑を注入する際に起こりました。転炉へ注入する溶銑を貯め置く場所です。普通は何の問題もないのですが」とクリスティナワティは2014年12月15日月曜日、「radarbanten.com」に話した。

激しい爆発に合わせて濃い煙が立ち上った今回の事故では、7人の従業員が重傷を負ったという。「犠牲者は出ていませんが、2名が深刻な火傷を負っています。重傷者はすぐにクラカタウ・メディカ病院へ搬送しました。軽傷者、たとえば火花に当たったり、息苦しさやショックを受けている従業員は弊社のクリニックで治療を受けています」とクリスティは付け加えた。

また、負傷者のうち2人は外部委託労働者で、その他はクラカタウ・ポスコ社の従業員だという。「現在(爆発の)原因を究明中です。調査結果は発表され次第お伝えします」とクリスティは語った。

ソース:http://www.radarbanten.com/read/berita/10/25167/Korban-Ledakan-PT-Krakatau-Posco-Tujuh-Orang.html(インドネシア語)

<引用終り>

この記事に出ているクリスティアワティと言う人はポスコインドネシアの総務部長と言った地位の人。
前回の事故でもマスコミに対応して喋っていた人です。

今回の事故は高炉ではなく転炉での工程で起きた事故でした。
よくもまあアチコチで事故を起こしてくれるものですが、これぞ「あの国のあの法則」なのでしょう。

所で前回エントリーで高炉は稼働している形跡がないと言いましたが、では何故事故を起こすような溶けた鉄が有るのか。
この疑問はポスコインドネシアの隣に合弁相手もクラカタウスチール社の工場がある。ここに電気炉が有るので、この炉で銑鉄を溶かして持ってきているのではないかと推測している。

参考:ネットに有ったポスコインドネシア完成予想図、高炉が2基ある
2014-12-20クラカタウポスコ完成予想図(高炉2基)chiisai
これは横浜在住さんに紹介いただきました



所で取鍋(とりべ)とか転炉(てんろ)とか、製鉄用語が並ぶので今回は製鉄所の工程の概要を説明します。
末端まで行くと複雑なので、ポスコインドネシアの工程に絞って説明します。

最初に大まかな製鉄の工程

1) 材料・・・鉄鉱石、石炭、石灰石

2) 高炉・・・材料をこの炉の中で高温で焼いて還元し銑鉄を作る。
   銑鉄が融けて高炉下部から取り出される。温度は1530℃、高炉中心部は2000℃を超える高温。
   高さが100メートルを超える巨大なもので、一度火を入れたら365日24時間連続運転を続け、10年以上止めない。
   製鉄所のシンボルである。

これがポスコインドネシアの工場全景、中央にひときわ高いのが高炉
2014-1-22ポスコインドネシア

高炉は大体こんなモノ(ポスコのモノではない)
2014-12-20高炉概要図



3) 転炉・・・高炉から出てきた熔けた銑鉄(溶銑という)をこれに入れて酸素を吹き込んで燃焼させ鋼鉄にする。
   銑鉄から鋼鉄に転換するため転炉、英語ではconverterという。

転炉の例(ポスコのモノではない)
2014-12-20転炉写真


4) 連続鋳造・・・転炉で出来た熔けた鋼鉄を鋳型に入れて固め、それを連続して圧延してゆく工程。
   出来る製品はスラブと言ってデッカイかまぼこ板状の鉄

以上がポスコインドネシアで出来る工程

以下は参考までに自動車用の鋼板にするための工程
5) 熱間圧延・・・真っ赤に焼いたスラブを圧延
   出来る製品は熱延鋼板
6) 酸洗・・・表面の錆を落とす
7) 冷間圧延・・・冷間でさらに圧延
8) 焼鈍・・・圧延で加工硬化しているモノを焼きなまし
9) 調質・・・更に軽く圧延
   出来る製品は冷延鋼板
   これ以降必要なものはメッキ等の表面処理する

其れでは各工程でどんな風か説明します。

高炉
2014-12-20高炉

高炉から転炉のある製鋼工場へ、運搬はこんなトーピードカーを使う
2014-12-20トーピードカー

製鋼工場でトーピードカーから
2014-12-20トーピードカーから取鍋1



トーピードカーから取鍋(とりべ)にいれる
2014-12-20トーピードカーから取鍋2

取鍋(とりべ)からスラグをかきだす
2014-12-20取鍋

取鍋から
2014-12-20取鍋2

転炉へ
2014-12-20転炉1

酸素を吹き込む
2014-12-20転炉2

一度スラグを捨てる
2014-12-20転炉3

再び酸素を吹き込む
2014-12-20転炉4

転炉から
2014-12-20転炉5

転炉から二次精錬
2014-12-20二次精錬

二次精錬から連鋳
2014-12-20二次精錬の後鋳型に入れる

連続鋳造
2014-12-20二次精錬の後鋳型に入れ連鋳


大体こんな感じで鉄が作られてゆく。

製鉄所では高温の熔けた鉄をあちこちに移動させ、加工してゆくことが理解いただけよう。
此れが製鉄と言うもので、だから昔は鉄は国家なりなどと言っていた訳だ。

本日は製鉄所の解説になりました。では本日はこれにて・・・

  1. 朝鮮韓国
  2. TB(0)
  3. CM(14)

2014-12-18 18:46

ポスコのインドネシア工場は一体どうなってしまったんだろう

 ポスコのインドネシア工場で又事故が有ったようだ。
こんな写真が公表されている。

2014-12-18ポスコインドネシア12月15日事故

ソース:http://www.ytn.co.kr/_ln/0104_201412161834229124 (韓国語です)

凄い爆発のようだが例によって情報管制されているようで、詳細がさっぱり分からない。

上掲記事の訳はこんな風だ。

「ポスコ、インドネシアの製鉄工場で爆発事故...5人負傷
引用:ネイバーニュース/YTN

ポスコとインドネシアの製鉄会社が合弁して設立した現地製鉄工場で爆発事故が起きました。

現地時間で昨日午後、インドネシアのチレゴンにある・クラカタウ・ポスコ製鉄工場で爆発事故が起きました。 この事故で現場で作業をしていたインドネシア人5人がけがをして病院で治療を受けています。

ポスコ側は冷却水が流れ出て、鉄塊と水と接触し爆発につながったと説明しました。

現在、工程を中断して設備を復旧させており、復旧に時間がたくさんかかる主要設備はないので、被害は大きくないだろうと述べました。」

こんな事の様なのだ。高温の鉄と水なら爆発もするだろうが、写真を見る限り製鉄所の中心設備である高炉ではないようだ。
インドネシア現地の報道もあるが、現地の病院の情報だが良く分からない。


今迄にこのポスコ・インドネシアの高炉事故では今年の1月からこんな記事をエントリーした

1) ポスコ・インドネシアの事故に思う事 1月22日

2) ポスコ・インドネシアの高炉事故<続編 3月1日

3) ポスコ・インドネシアの高炉事故<今考えられること 3月5日

4) ポスコ・インドネシアの高炉事故<こんな見方もあるかも 3月6日

5) ポスコインドネシアの高炉事故<現在言える事 3月16日

6) ポスコのインドネシア製鉄所で何が・・・ <朝鮮日報記事 4月2日


此処で今までの経緯を振り返ってみると、
・ この製鉄所は高炉⇒転炉(製鋼)⇒連続鋳造(スラブを作る)、こんな工程で粗鋼を作る製鉄所だ。
 後工程はインドネシアの国営会社クラカタウ・スチールが既存の設備でおこなう予定だった。
 年産300万㌧、ポスコ~70%、国営製鉄メーカーのクラカタウスチール~30%の合弁

・ 2013年12月23日、インドネシアのユドヨノ大統領出席のもとに高炉の火入れ式を行い、稼働開始した。
 尚ユドヨノ前大統領は父親がインドネシアの初代駐韓国大使、だからユドヨノ氏も親韓派だった。

・ 火入れ後約1週間で出銑開始、しかし出銑開始後2日の2014年1月1日事故発生。
 この事故は業界用語で窯抜けと呼ばれる高炉下部から溶銑が漏れ出す事故。
 溶銑は温度が1530℃以上あり、窯抜けは製鉄所では最も危険で重大な事故と言われている。
 耐火煉瓦の張替えなど致命的な事故である。
 この件を1月22日のエントリーで書いた。

・ 窯抜け事故後の1月16日にガス供給バルブ操作ミスで爆発事故発生。
 この件は良く分からなかったのでエントリーしていない。

・ 韓国から修理チームが来て修理作業中の2月22日、今度は爆発事故発生。
 この件を3月1日にエントリーした。
 これは窯抜け事故の修理の為、高炉内に残って固まった銑鉄を取り出そうと再加熱したのが原因の爆発らしい。

・ 更に2月26日、今度はコークス炉で火災事故発生。
 この件を3月5日のエントリーで書きました。

 この後、情報輻輳している為3月6日、3月16日にも考察のエントリーを書いています。

・ 3月31日、朝鮮日報が「ポスコインドネシア製鉄所で何が」と題する記事配信。
 この記事で初めて事故の概要が報道された。
 この件を4月2日にエントリーしました。

 この朝鮮日報記事は生産に60万㌧の遅れが出たと書いてあるし、その他のソースでも記載されている。
 (60万㌧は2か月半分の生産量にあたる)
 しかし・・・
 この報道を最後にポスコインドネシアの高炉事故問題は一切の報道がされていない。
 生産が再開されたのかどうかも全く分からない。

・ 3月27日、ポスコインドネシアが銀行の融資団から2億ドルの融資を受けたことが公表された。

こんな事でポスコインドネシアはその後まったく動静が分からなくなった。

しかしハッキリ言えることが有る。
日本鉄鋼連盟が世界の銑鉄・粗鋼の生産量データを公表しているが、今年の10月までのデータではインドネシアに巨大製鉄所が稼働した形跡は見当たらない。

世界の銑鉄・粗鋼生産量データ

つまりポスコインドネシアは今年の1月1日の事故以来全く稼働していないという事である。

そしてインドネシアは7月の大統領選挙でユドヨノ前大統領系の候補が敗れ、反ユドヨノ派のジョコ・ウィドド氏が大統領になった。

8月11日、政治的な話は良く分からないが、国営会社クラカタウスチールと日本の新日鉄住金がインドネシアに自動車用鋼板製造に関する合弁事業を発表。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ1101Q_R10C14A8000000/

ただしこの新日鉄住金との合弁事業は冷延鋼板の連続焼鈍、連続合金化メッキを行う装置で、その材料は新日鉄から供給される。
ポスコインドネシアの高炉からできたスラブは使用しないようになっている。

以上の様な経緯なので、ポスコ・インドネシアについては
・ 現時点までは生産再開はしていない
・ 何時修理が終わるかは不明
・ 2億ドルと言う追加融資を受けているが、高炉の大修理のための費用ではないか。
・ インドネシア側は自動車用鋼板についてはインドネシア産の鉄ではなく、新日鉄住金から材料供給を受けることに決定し、後工程のインドネシア国産化を進めることとした。


こんな事が言えると思います。
  1. 朝鮮韓国
  2. TB(1)
  3. CM(20)

2014-12-13 16:28

昔の寒波はこんなでした

 また寒波がやってきました。
地球温暖化じゃなかったのかと言うボヤキが聞こえる日々ですが、そもその地球温暖化は20世紀末で終了。
此れから寒冷化になっていくので、寒波などこれからは当たり前になる。そんな時代ですね。


では温暖化が始まる前はと言うと、これは江戸時代末期の風景。

東海道五十三次、蒲原宿

2014-12-13広重の浮世絵蒲原new

雪の夜更け、いかにも寒そうな景色です。
右の二人は一日の労働を終えた駕籠かき、左の傘をつぼめて杖を頼りに歩いているのは按摩。
真夜中に働いている人の姿が良く表現されています。
安藤広重の傑作のひとつ、1832年頃のモノ。
今から180年位前はこんな雪が当たり前だった。


もう一つ別の雪景色を。
日本を空から見れば・・・ どんな風に見えるか。
此れも安藤広重の傑作、名所江戸百景「深川洲崎十万坪」、
深川洲崎とは現在の東京都現代美術館辺り(東京都江東区)である。

空高く舞う鷲が大きく翼を広げている。遠くに見えるのは筑波山。
現在のように飛行機も気球もヘリコプターも無い時代。絵描きのイメージだけで描いたものである。
この浮世絵は安政4年閏五月(1857年)出版されたもの。

blog_import_52b3e8dc1cdc6.jpg


では現在の目で見ると江戸と東京の違いはどうなっているか。
これは東京スカイツリーから見た同じ方向の写真。
遠くに見える筑波山を比べてみてください。

blog_import_52b3e8de79f41.jpg

スカイツリーは墨田区押上、深川洲崎=東京都現代美術館辺りは江東区三好。
だから距離にして3キロ位しか離れていないと思う。

この東京が広重の絵のような雪景色になるかもしれませんね。
まあ雪見酒は楽しいでしょうが、雪に不慣れな人が多い昨今。
準備だけは抜かりなくやりましょう。

そして明日は衆議院議員の選挙。ぜひ投票して新しい未来を開きましょう。


  1. 社会一般
  2. TB(0)
  3. CM(6)

2014-12-11 22:05

「物語」がないと物事を「理解」できない

 朝日新聞が面白い事を報道している。
自民党の谷垣幹事長の選挙演説を報道したもの。
この件はfcq821さんに教えて頂いたのだが、とにかく谷垣さん良い事を言っている。
おかしいなあ、アカヒが自民党の良い事を報道??、こんな疑問は置いといて・・・

<以下引用>
http://www.asahi.com/articles/ASGD946PTGD9UTFK00G.html

「日本に成長のきっかけはある」 自民・谷垣幹事長
2014年12月9日17時26分

■谷垣禎一・自民党幹事長
特集:2014衆院選

 野党時代に、民主党政権の、どこが問題か、私なりに一生懸命考えた。「民主党政権は、日本を成長させることに関心が乏しい」というのが私の結論だった。偉い学者の中でも「日本はこれ以上、成長できない」という人もいる。今は家の中に物が増え、「まず、捨てるのが先だ」という時代だから、そういう議論もあるが、そうは思わない。日本人は、何も欲しいものが無くなったわけじゃない。例えば私は69歳。来年70。家も狭いから「あれ買いたい、これ買いたい」というのはあんまりないが、「老後を健康で暮らしたい」と思う。娘たちに「お父さん、このごろ、体が弱って、世話が大変だ」なんて、あんまり言わせたくない。そういう需要に対して、どう供給していくのか、と考えたら、成長のきっかけはあると思う。(滋賀県彦根市の街頭演説で)

<引用終り>


私がこの件で興味深いと思った事、ちょうど2年前の衆議院選挙(民主党から政権を奪還した選挙)に関して藤井聡氏がこんな事を言っていた。
その話につながると思ったからだ。

何はともあれ、2年前の話である。どんな話かと言うと

<以下引用>
http://trans.kuciv.kyoto-u.ac.jp/tba/archives/257

11月 30, (引用者注:日付は2012年11月30日)
日本の復活は「共有物語」が転換できるか否かの一点にかかっている

~「真冬の向日葵」特別ページインタビュー~
京都大学大学院教授 藤井聡

人間というものは、「物語」がないと物事を「理解」することも、ましてや何かを「判断」したり「決定」したりすることもできなくなる、ということが昨今の認知心理学で知られるようになりました。いわば、人間は「物語」がないと、文字通り「人間」として生きていくことが出来なくなるのです。
だから言うまでもなく、「今回の総選挙というものが一体どういうものなのか、という物語」がどの様なものであるのかによって、総選挙にどう臨むのかという判断や態度は全く違ったものになるのです。
橋下大阪市長が口にする「ふわっとした民意」なるものが、「国政選挙」に関して共有している「物語」は次のようなものです。「昔の自民党に象徴される日本の古くさい体質のせいで日本は閉塞した。だからこれを打ち破るには改革や維新が必要だ。それを信じて民主党に政権を取らせてやったのだが、彼等は結局、抵抗勢力に敗れて何も出来なかった。あぁ、もっと維新や改革を過激に進められる救世主が現れればいいのに…..」
この物語が世論で共有されている限り、世論が選択するのは維新や改革を過激に言い募る政党となるでしょう。

しかしこの物語は、現実と完全に乖離しています。そもそも日本が閉塞しているのは、「古い自民党」が断行しようとしていた適切なデフレ脱却策の展開が「阻止」されたからです。そして、それを阻止したのが何を隠そう、過去10年以上にわたって繰り広げられた「改革や維新」だったのです。
臨床心理学で明らかにされているように事実と完全に乖離した物語を信じ込んだ人々は確実に不幸になります。だから維新・改革物語が共有される限り、日本が幸せな国になる事はあり得ないのです───。
だからこそ、明るい日本の未来を手に入れるためには、国民の物語を「転換」しなければならないのです
三橋さん、さかきさんの『真冬の向日葵』は、こうした「選挙を巡る物語」を大きく転換させる大きな力を秘めたお話です。明るい日本の未来を構想するためにも、この度の総選挙に向けて、一人でも多くの国民にこの物語にお触れいただくことを、心から強く祈念いたしたいと思います。
どうぞ、よろしく御願いいたします。

<引用終り>

2年前の文章である。しかし今日見ても全く違和感が無い。

そして私が言いたい事。
この藤井さんが言っている「人間というものは、「物語」がないと物事を「理解」することも、ましてや何かを「判断」したり「決定」したりすることもできなくなる」という事。
此れこそこれからの日本復活に必要な事なのだと思うのです。

例えば「民の竈は賑わいにけり」と言えば、税をとるのを止めた話ね、仁徳天皇でしょうと誰でも分かる。
こんな事が今の世の中に必要なのだ。

日本の明日を創る話には矢張りこんな物語が必要。
そんな思いを強くした次第。
  1. 政治
  2. TB(0)
  3. CM(10)

2014-12-10 14:48

国が衰退するとどうなるか

 もうすぐ選挙です。
こんな時期になると是非考えて欲しい事、それは国が衰退するとどうなるか、そんな事を書いてみたいと思います。

先日菅原文太が死去したと言うニュースが有ったんですが、その折こんなエントリーをしました。
「日本は誇り高きB級国家になればいいと言った人」
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1039.html

このエントリーで没落していくと言うのがいかなるものか、カンボジアの例で説明しました。

しかし世界には面白い事を言う人がいるものです。
1971年にノーベル経済学賞を受賞したアメリカの経済学者サイモン・グズネッツがこんな事を言っています。

曰く
「世界には四つの国しかない。
先進国と途上国、そして、日本とアルゼンチンである。」
そして先進国は固定、日本は途上国から先進国になった稀有な例。アルゼンチンは先進国から途上国になった例だと。


そのアルゼンチンと言ってもタンゴを思い浮かべるか、それとも肉がおいしい国を思い浮かべるか・・・
そう言えば以前タイ人マネジャーを品質関係の仕事でアルゼンチンに派遣したんだが、その時のエピソード。
帰国して感想を聞いたらにっこり笑って開口一番・・・「ノム・ヤーイ」、タイ語でノム=牛乳・乳房、ヤーイ=大きい、つまり「オッパイ、デッカイ」
お前何を見てきたんだ! まあ大笑いしたのだが、アルゼンチンは左様に美人の国らしい。



所で如何して日本とアルゼンチンか?

1900年初頭、アルゼンチンは黄金期を迎えていた。
世界を制するのはアメリカかアルゼンチンか、そう言われるほどの国力を誇っていた。
実際、その当時の国民1人あたりのGDPは、およそ2750ドル
同じ時期の日本は1130ドルでしたから、
日本の2倍以上の経済力があったことになります。

この関係が逆転したのは、1967年のこと。
だから新幹線が走りだした1964年(昭和39年)頃はまだアルゼンチンの方が上だったんです。
それから高度経済成長に沸く日本、そして停滞・後退を始めたアルゼンチン。

戦後の混乱から、奇跡的な発展を遂げた日本は、資源がほとんどない小国でありながら先進国の仲間入りを果たした。
一方アルゼンチンは、豊かな資源がありながら、工業化に失敗し、衰退。

まあアルゼンチンはこれまでデフォルトを7回経験している(1827、1890、1951、1956、1982、1989、2001の各年)
こんな国なのだが、その100年の衰退は我々も大いに学ぶべきものがある。

そんな所をエコノミスト誌に良いコラムが有った。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39952
<以下引用>

「100年の衰退」の教訓:アルゼンチンの寓話

2014.02.17(月) The Economist
(英エコノミスト誌 2014年2月15日号)

1つの国の100年にわたる衰退は、各国政府に多くの教訓を示している。

1世紀前、国外初の出店を決めた英国の百貨店ハロッズは、その場所にアルゼンチンのブエノスアイレスを選んだ。1914年には、アルゼンチンは未来のある国として頭角を現していた。アルゼンチン経済はそれまで40年にわたり、米国を上回るペースで成長していた。国民1人当たりの国内総生産(GDP)は、ドイツやフランス、イタリアを上回っていた。

 アルゼンチンには、素晴らしく肥沃な農地、太陽の降り注ぐ気候、新たな民主主義(1912年に男性の普通選挙権が導入された)、教育を受けた国民、世界で最もエロチックなダンスがあった。移民が世界中からタンゴを踊るように流れ込んできた。野心を抱く若者にとって、アルゼンチンかカリフォルニアかを選ぶのは難しい決断だった

アルゼンチンにはまだ世界に誇れるものが多々あるが、国はぼろぼろ〔AFPBB News〕

 アルゼンチンには今もまだ、パタゴニアの壮大な自然から世界最高のサッカー選手、リオネル・メッシまで、愛すべき宝がたくさんある。恐らくアルゼンチン人は、今でも世界で最も見栄えのよい国民だろう。

 だが、その国はぼろぼろだ。ブエノスアイレスのハロッズは1998年に閉店した。アルゼンチンはまたしても、新興国危機の中心にいる。

 今回の危機の責任はクリスティナ・フェルナンデス大統領の無能さにあるかもしれないが、フェルナンデス大統領は単に、フアン・ペロンと妻のエバ(エビータ)・ペロン、さらにはそれ以前にまでさかのぼる経済音痴のポピュリスト政治家の系譜の最後尾に連なる1人に過ぎない。ドイツとの競争はもはや過去のことだ。

 アルゼンチン人がかつて見下していたチリ人とウルグアイ人の方が、いまや豊かになっている。その2国――そしてブラジルとメキシコも――の子供たちは、国際学力テストでアルゼンチンの子供たちよりも良い成績を収める。

 なぜ、たった1国の悲劇にこだわるのか? 自国に起こり得る最悪の事態は何かと考えた時、まず人々の頭に浮かぶのは全体主義だ。だが、共産主義の凋落を考えれば、その可能性はもはやなさそうだ。インドネシアで不満が爆発したとしても、インドネシア国民が北朝鮮を手本にするとは考えがたい。スペインやギリシャの政府が、ユーロを巡る苦難の解決策としてレーニンを引用することはない。

 真の危険は、気づかぬうちに21世紀のアルゼンチンになってしまうことだ。無頓着に着実な衰退の道へと陥ってしまうのは、難しいことではない。過激主義は、そのために絶対不可欠な要素ではない。少なくとも大きな要素ではない。カギを握るのは、制度的な弱さ、国内の保護を優先する政治家、少ない資産への漫然とした依存、そして現実と向き合うのを頑なに拒む姿勢だ。

嵐のような日々でも、逆境のなかでも

 どんな国でもそうだが、アルゼンチンの物語はアルゼンチン特有のものだ。アルゼンチンは運が悪かった。輸出を燃料とする経済は、両大戦間の時期の保護貿易主義に叩きのめされた。貿易相手として英国を頼り過ぎていた。ペロン夫妻は、まれに見る魅惑的なポピュリストだった。

 1990年代には、ほとんどの南米諸国と同じく、アルゼンチンも市場開放と民営化を支持するワシントン・コンセンサスを受け入れ、通貨ペソのドルペッグ制を採用した。だが、2001年に訪れた経済危機は、極めて厳しいものだった。そのせいでアルゼンチン国民は、リベラルな改革に対して恒久的な疑いを抱くようになった。

・・・以下略 詳細は上掲リンク先参照ください・・・

<引用終り>


この百年の衰退の話、これはIZA時代に健筆をふるっていたsonoraoneさんから聞いてずっと気になっていた事。
この件は以下ブログ参照ください
モリゾウさんの話
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-316.html

そして衰退した国家の大統領がどんな事を言っているか。
これはAFPより

<以下引用>
http://www.afpbb.com/articles/-/3027764

アルゼンチン大統領、米国に「政権倒され、殺されかねない」
2014年10月01日 21:00 発信地:ブエノスアイレス/アルゼンチン

2014-12-10アルゼンチン大統領


【10月1日 AFP】アルゼンチンのクリスティナ・フェルナンデス・デ・キルチネル(Cristina Fernandez de Kirchner)大統領は9月30日に行った演説の中で、自国と米国の実業界に政権を倒され、自分も殺されかねないと発言した。

 キルチネル大統領は、アルゼンチンの実業界が「国際的な(米国の)助けを借りて、わが政権を倒そうとしている」と述べた。

 キルチネル大統領は最近、同国出身のローマ・カトリック教会のフランシスコ(Francis)法王の元を訪れた際に警察から、イスラム教スンニ派(Sunni)の過激派組織「イスラム国(Islamic State、IS)」の標的になっていると思われる計画があると警告を受けたと説明した上で「もしも私の身に何かがあれば、目を向けるべきは中東ではなく(米国のある)北の方角だ」と述べた。

 米政府は同日、在アルゼンチン大使館を通じて自国民に、アルゼンチンに滞在する際の特別な安全対策を警告していた。その数時間後の演説でキルチネル氏は「在外公館の発表を見れば、彼らはアルゼンチンに来て、私を殺すためにイスラム国が追っているなどといった出まかせを言うべきではなかった」といら立った様子で語った。

 さらにアルゼンチン国債がSD(選択的デフォルト、一部債務不履行)に格下げされたことで、アルゼンチン・ペソが下落すると利益を得るアルゼンチン国内の大豆生産者や輸出業界、自動車企業幹部なども一味だと言い放った。

 アルゼンチンは2001年の1000億ドル近いデフォルト(債務不履行)以来、国際金融市場から閉め出されており依然、デフォルトの余波と苦闘する中で米系ヘッジファンドと米国で裁判状態にある。

 デフォルト以降、アルゼンチンは債務返済を再び軌道に乗せるために、9割以上の債権者から債務減額の同意を得たが、デフォルト時にアルゼンチン国債を安値で買い上げた米系ヘッジファンド、NMLキャピタル(NML Capital)とアウレリウス・キャピタル・マネジメント(Aurelius Capital Management)の2社は減額に応じず、米連邦地裁に訴訟を起こした。最大1600%の利益をもたらすこうした戦略を指して、アルゼンチン政府は米系ヘッジファンドを「ハゲタカ」と呼んでいる。

 7月30日には、5億3900万ドル(約590億円)の再編債務の利払い猶予期限を過ぎたために、米格付け会社スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)がアルゼンチン国債の格付けを「選択的デフォルト」に引き下げ、同国債は13年間で2度目のデフォルト認定を受けた。(c)AFP/Daniel MEROLLA

<引用終り>


大統領がこんな事を言わねばならないほどの窮地、これが衰退国家である。

そしてそんな所で生きて行くためにはどうするか。残念ながら女性なら売春である。
そんな所にいやな話が聞こえてきた。K国からだ。

【悲報】 安く買えるアルゼンチンの美少女達が韓国人の次の標的に‥ 
詳細は書きたくありませんので、以下参照ください。
http://blog.livedoor.jp/sekaiminzoku/archives/40798918.html

そのK国人の現在の標的はカンボジア・ベトナムである。
どんな事が起こっているか、丁度良い例をNINJA300さんがコメントで紹介してくれた。

以下NINJA300さん
「2004年位だったと思いますが、プノンペンへ行きました。市場から大きな道を歩いていると、少女がゴム飛びをしています。ゴム飛びしているなあ、自分の子供の頃と一緒だなとおもってみていると・・男がでてきて、少女たちを整列させます。いったい何事がおこったのかと歩きを止めずにみていると、男が私にいいます。「選べ!」と。
売春斡旋ですね。もちろん「ノーノー」といってそのまま足を止めずに歩き去りました。
文太は「それでもいい」というのか?いや、悲惨でかわいそうな国ですよ。」


NINJA300さんが見た女の子とはもちろん違うだろうが、これは2000年にカンボジア・タイ国境の市場で見かけたカンボジア人の女の子。

写真を貼り忘れました。これがカンボジアの最頻値隊の子どもの姿。(2000年にアランヤプラテートで撮ったもの)
2014-12-10アランヤプラテートの女の子


この時は通りかかる人に”5バーツ(約15円)ちょうだい”と言っていた。5バーツあればメシが食える、そう言う事だった。
でもこんな子があと4年も経つと春を鬻ぐ稼業をせねばならないかもしれない。


日本も衰退すればこんな目に遭うかもしれないのだ。

もうすぐ衆議院議員選挙です。
日本を衰退させない様、しっかりした政党・人に投票しましょう。


  1. 政治
  2. TB(0)
  3. CM(10)

2014-12-06 18:09

アメリカの反日プロパガンダ<続編

 昨日「アメリカの反日」についてエントリーした。
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1040.html

しかしどう考えてもこの反日プロパガンダ、あの悲惨な戦争に追い込まれた大東亜戦争直前のアメリカの空気そっくりなのだ。
今回の反日プロパガンダは米国政府挙げてのモノであること、その後ろに在米中国系の反日組織「世界抗日戦争史実維護連合会」(抗日連合会)が、異様なほど大きな役割を果たしていた、こんな構図がそっくりなのだ。


以前こんな本を紹介した。
2014-12-6コミンテルンとルーズベルトの時限爆弾

http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-633.html

http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-716.html

この本はコミンテルンの陰謀が暴露されたヴェノナ文書の情報などから現在までの問題を書いている。

その中にこんな記述がある。
全文は本を買っていただくしかないのだが、以下の所にさわりが載っていた。
http://touron.l-mate.net/archive/seminar130804.php

<以下引用>

「ヴェノナ文書」が暴いたコミンテルンの戦争責任

■コミンテルンのスパイを暴いた「ヴェノナ文書」の衝撃
 第二次世界大戦前後の時期に、アメリカ政府内部に多数のソ連のスパイが潜入していることを暴いた「ヴェノナ文書」の公開以降、同国内では、「ルーズヴェルト政権はソ連や中国共産党と通じていたのではないか」という古くからの疑念が、確信へと変わりつつある。当然、当時をめぐる歴史観の見直しも進んでいる。しかも、そのピッチは近年、急加速していると言ってよい。
 ヴェノナ文書とは、第二次世界大戦前後の時期にアメリカ国内のソ連のスパイたちがモスクワの諜報本部とやり取りした秘密通信を、アメリカ陸軍情報部が秘密裡に傍受し解読した記録である。1995年、アメリカ国家安全保障局(NSA)が公開した。
 これら機密文書が次々と公開され、その研究が進んできた結果、ルーズヴェルト大統領の側近であったアルジャー・ヒス(傍線は共産党員又は協力者と思われる人物。以下同じ)を始めとする二百人以上のスパイ(あるいは協力者)が政府官僚として働いていたことが立証されつつあるのだ。【略】

●第1段階「アメリカ共産党の創設」
・・・略

●第2段階「人民統一戦線を構築せよ」
・・・略

●第3段階「シンクタンクIPRの乗っ取り工作」
・・・略

●第4段階「中国共産党を支持する雑誌『アメラシア』を創刊」
・・・略

●第5段階「ルーズヴェルト大統領一族を取り込め」
支那事変の発端となった北京郊外の廬溝橋

 1937年7月、盧溝橋事件が起こると、アメリカの反ファシズム団体は一斉に、反日親中運動を開始した。その当時、全米24州に109の支部を持ち、会員数400万人を誇る「反戦・反ファシズム・アメリカ連盟」は11月に全米大会を開催し、その名称を「アメリカ平和民主主義連盟」と改め、「平和」と「民主主義」を守るという誰でもよく分かる名目を掲げることで、より広範なアメリカ民衆を結集しようとしたのだ。更にこの「アメリカ平和民主主義連盟」のもとに、全米22都市に支部をもつ「中国支援評議会」を設置し、日本の中国「侵略」反対のデモや対日武器禁輸を国会に請願する活動も開始した。

・・・略

●第6段階「スティムソン元国務長官を利用したロビー活動」

 キリスト教関係者を前面に出しながら、その実態は中国国民党の工作員とアメリカ共産党関係者によって構成されていたアメリカ委員会は、『日本の戦争犯罪に加担するアメリカ』と題したブックレットを60,000部、『戦争犯罪』と題したパンフレットを22,000部作製し、連邦議会上下両院のあらゆる議員やキリスト教団体、婦人団体、労働組合などに配布し、大々的なロビー活動を開始した。
 このロビー活動を受けてルーズヴェルト政権は、中国支援へと舵を切っていく。ホーンベック国務省極東部長の進言を受けてルーズヴェルト大統領は1938年12月、「対日牽制の意を込めて」、中国国民党政府に2500万ドルの借款供与を決定したのである。【略】
 一方、日本外務省はと言えば、アメリカでの反日活動の背後にアメリカ共産党・コミンテルンの暗躍があることを正確に分析していた。
 若杉要ニューヨーク総領事は1938年7月20日、宇垣一成外務大臣に対して、『当地方ニ於ケル支那側宣伝ニ関スル件』と題する機密報告書を提出、アメリカの反日宣伝の実態について次のように分析している。

 一、シナ事変以来、アメリカの新聞社は「日本の侵略からデモクラシーを擁護すべく苦闘している中国」という構図で、中国の被害状況をセンセーショナルに報道している。
 二~五 略
 六、共産党は表向き「デモクラシー擁護」を叫んで反ファシズム諸勢力の結集に努めており、その反日工作は侮りがたいほどの成功を収めている。
 七、アメリカ共産党の真の狙いは、デモクラシー擁護などではなく、日米関係を悪化させて支那事変を長期化させ、結果的に日本がソ連に対して軍事的圧力を加えることができないようにすることだ。

 若杉総領事はこう述べて、近衛内閣に対して、「ルーズヴェルト政権の反日政策の背後にはアメリカ共産党がいる」ことを強調し、共産党による日米分断作戦に乗らないよう訴えたのだ。
 ルーズヴェルト政権はその後、反日世論の盛り上がりを受けて1939年7月26日、日米通商条約の廃棄を通告。日本はクズ鉄、鋼鉄、石油など重要物資の供給をアメリカに依存しており、日本経済は致命的な打撃を受ける可能性が生まれてきた。一方、中国国民党の蒋介石政権に対しては1940年3月、2000万ドルの軍事援助を表明、反日親中政策を鮮明にしつつあった。【略】
 つまり、ルーズヴェルト政権の反日政策に反発して近衛内閣が反米政策をとることは、結果的にスターリンによるアジア共産化に加担することになるから注意すべきだと若杉総領事は訴えたわけだが、その声に、近衛内閣は耳を傾けなかった。
 若杉総領事の報告書が届いた翌日、近衛内閣は、ゾルゲ・グループの尾崎秀美ら昭和研究家の影響を受けて、アジアから英米勢力排除を目指す「大東亜新秩序建設」を国是とする「基本国策要項」を閣議決定し、翌1941年4月13日には日ソ中立条約を締結するなど、ソ連と連携しながら反米政策を推進していった。

●第7段階「アメリカ政権内部のスパイたちが対日圧迫政策を強行」

 対抗してアメリカのルーズヴェルト政権も、コミンテルン・アメリカ共産党が築いた反日世論を背景に、対日圧迫外交を強化していく。
 ルーズヴェルト大統領は1941年3月、ラフリン・カリー大統領補佐官を蒋介石政権に派遣し、本格的な対中軍事援助について協議をしている。翌4月、カリー大統領補佐官は、蒋介石政権と連携して日本本土を約500の戦闘機や爆撃機で空爆する計画を立案。JB355と呼ばれる、この日本空爆計画に対してルーズヴェルト大統領は7月23日に承認のサインをしている。日本が真珠湾攻撃をする4ヶ月以上も前に、ルーズヴェルト大統領は日本爆撃を指示していたわけだ。
 エドワード・ミラー著『日本経済を殲滅せよ』によれば、7月26日、財務省通貨調査局長のハリー・デクスター・ホワイトの提案で在米日本資産は凍結され、日本の金融資産は無価値となり、日本は実質的に「破産」に追い込まれた。それだけではない。ホワイトは財務省官僚でありながら11月、日米交渉に際して事実上の対日最後通告となった『ハル・ノート』原案を作成し、東條内閣を対米戦争へと追い込んだ。
 ヴェノナ文書によれば、これら反日政策を推進したカリー大統領補佐官もホワイト財務省通貨調査局長も、ソ連のスパイであった。
 かくして1941年12月、日米戦争が勃発した。真珠湾攻撃の翌々日の12月9日、中国共産党は日米戦争の勃発によって「太平洋反日統一戦戦線が完成した」との声明を出している。アメリカを使って日本を叩き潰すというソ連・コミンテルンの戦略は、21年後に現実のものとなったわけだ
 以上のように、ヴェノナ文書やコミンテルン文書、日本外務省の機密文書などが公開されるようになって、コミンテルンと中国共産党、そして「ソ連のスパイ」たちを重用したルーズヴェルト政権が戦前・戦中、そして戦後、何をしたのかが徐々に明らかになりつつある
(『コミンテルンとルーズヴェルトの時限爆弾』)

<引用終り>

ここで記述されている大東亜戦争直前の状況は、当時の登場人物はアメリカ・民主党ルーズベルト、ソ連のスターリン、中国の蒋介石(その裏に共産党毛沢東)である。
現在の登場人物はソ連が消えたので、アメリカ・民主党オバマ、中国共産党習近平である。
全く同じメンバーがそろって反日をやっているのだ。


この裏にはソ連の崩壊と冷戦の終結でアメリカの政策がハッキリ変わった事を考えないといけない。
冷戦崩壊でアメリカの敵は日本になった、そう言う事なのである。

そしてアメリカではこの手の反日プロパガンダが繰り返し繰り返し報道されている。
今年6月にも「アメリカメディアの反日」としてエントリーした
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-974.html

だがこんなモノを見てアメリカが反日一色だと思ってはいけない。
アメリカとは巨大な国なのだ。
そしてアメリカで一番の親日組織はアメリカ軍、個人として親日なのは一般国民だという事を忘れてはならないと思う。

最後にNYタイムズは今月1日のロイターによれば100人の人員削減をするのだとか。
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPKCN0HQ4N220141001

矢張り金が無くなると何でもする。捏造・デタラメ報道などカネの為だ、仕方ないと言う所だろう。

そして前回エントリーに八目山人さんから良いコメントを頂いたので紹介したい。
八目山人さん
ニューヨークタイムズと言えば、10月29日付けの 東京支局長ファクラーによる北海道猿払村に関する記事が出鱈目なのを、旭川在住の的場医師が英文で丁寧な意見をだして 返答を求めています。(確か2度出されたと思います)
でもこれになしのつぶてで、その後も反日記事を出し続けています。
確信犯と断定します。
そよ風さんのところにその原文が有りますので。

http://blog.livedoor.jp/soyokaze2009/archives/2014-11-05.html
  1. 海外
  2. TB(0)
  3. CM(12)