2014-05-29 22:06

焼き物談義から産業の衰退の歴史へ<続々編

 今日の焼きもの談義は最初にトルコはイスタンブール、トプカプ宮殿の陶磁器コレクションから始めます。
オスマントルコのスルタンは陶磁器を愛好し、中国産を中心に大変すばらしい陶磁器コレクションが有る。
(陶磁器のコレクションは約1万点あると言う、そのうち最も多いのが約1300点の青磁)

その中にこれ。
2014-5-29トプカプ宮殿の青磁マルタバン

素晴らしい青磁の皿である。こんな青磁の優品、主な産地は中国浙江省南部の竜泉窯である。
しかしイスタンブール等ではこの青磁、何と呼ばれていたのか。マルタバン、又はマルタバーニと呼ばれていたと言う。
マルタバンとはミャンマー最大の都市ヤンゴンの東約160キロの所にある港町(現地名はモールメイン)である。
陶磁器などは船積港の名前で呼ばれる例は日本にもある。有田焼を昔から伊万里焼と言うような例だ。

所で上掲青磁の大皿、これに似てないだろうか。

2014-5-24ターク山中3

ここはタイとミャンマーの国境の山の中。山岳民族が暮らす辺鄙な所。国境までは2,30キロだがそこを超えると港町マルタバンまで100キロ程度の所である。

実はこんな大皿、イスラム圏では現地の習慣で大勢で食卓を囲み、大皿に料理を盛って取り分けて食べるのに都合がいいのだとか。だからこんな大皿が珍重される。更に青磁の色は食べ物に毒が入っていれば色が変わると信じられていたようで、一層人気なのだそうだ。

所でイスタンブール、マルタバン、竜泉窯、色んな地名が出てくるのでその位置関係を説明したい。

2014-5-29海のシルクロードの図横長版new

まあイスタンブールは良いとしてどうしてこんな所にマルタバンが出てくるのか。
この地図、良く見ると東西の交通路をピッタリ遮断しているのがマレー半島、その先端、インドネシアとの間にあるのがマラッカ海峡である。
現在でも海の難所だが昔は難所中の難所。
マラッカ海峡約500キロを通過するのに帆船の時代は40日から50日かかったのだと言う。
理由は殆ど風が無いためで、仕方なく小舟を出してそれでエッサオッサ漕いで引っ張ったのだと言う。
大きな船が宝物をいっぱい積んでヨタヨタ行く、だから海賊の格好の餌食だったようだ。

参考までに何故マラッカ海峡は風が吹かないか? 赤道無風帯直下にあるためである。

2014-5-21赤道無風帯

赤道無風帯が出来る理由
2014-5-21赤道無風帯の出来る理由

とまあこんな理由でマラッカ海峡を通らない物流ルートが色々有ったわけ。

結局この当時こんなルートが出来ていた。

2014-5-21交易の時代の東南アジア交通路修正版

この地図の一番上、ベトナムのハノイから紅河を遡り、途中から陸路、山越えしてからはメコン川を下ってタイに入り、そこから更に陸路、そしてミャンマーのマルタバンに着く。
陸路だけでも500キロ位は有ったと思う大変なルートである。

中国からベトナムまでは中国のジャンク。
2014-5-29中国のジャンク1500年代
これは1500年代にベトナム沖で沈んだジャンク船から見つかった陶磁器に描かれた当時の船。

そしてハノイ辺りからはこんな川船
2014-5-21交易の時代の川船

これは少し時代は違うが19世紀後半にミャンマーのイラワジ川を走る川船を描いたもの。
時代・場所とも違うが多分当時の川船はこんなモノ。

そして陸路は多分こんなモノ
2014-5-29牛車

この写真は10年ほど前のカンボジア、アンコールワット近くで撮った写真だが、この牛車、アンコールワットの壁画に描かれたものと全く同じ。だから当時はこんなモノだったのだろう。
此れで旅をするのは実は大変。何せ牛は半日歩いたら半日草を食べないといけない。そんな事で15世紀頃の記録では約600キロ行くのに半年かかったのだとか。

しかし実はそれでも仕方ないと言うのはこんな訳。
これはインド洋中心の季節風(貿易風)の様子
2014-5-21インド洋の風

これは季節風の図で、これには南シナ海の風は書いてないが基本的には似たようなもの。
中国を出た船が北の風で航海し、例え難所のマラッカ海峡を通っても更にマルタバンまで北上するので冬の風には間に合わない。
翌年の風まで待たねばならないから陸路で行っても同じになるわけだ。

更に良い事はタイ領内には中国人の亡命集団が山中に住んでいる。こんな連中を護衛にすればいい、こんな事情が有ったと推定している。
そしてマルタバンに出ればこんなダウ船が待っている。
2014-5-29ダウ船

色んな船が出てきたところで今回は此処まで。次回は産業の衰退の話とします。










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2014-05-26 18:21

タイのクーデターでタクシン派の正体が見えてきた<追記あり

 5/27 追記します。一番最後の青色の部分

タイの政治の混乱でまたまた軍によるクーデター、しかし此れでタクシン派の本性が見えてきた。
ここ何年か、タイではタクシン派のデモと反タクシン派のデモが繰り返されてきた。
日本ではあまり大きく報道されていないがタクシン派のデモには爆弾騒ぎや銃撃事件が付いて回る。
反タクシン派のデモは平和そのもので牧歌的なのだが、最近反タクシン派のデモに対しタクシン派から爆弾が投げ込まれる事件が増えてきて、すでに何人かの死者も出ている。


今回のクーデターでこんな報道が有った。
これはバンコク週報が報道した記事なのだが、不思議な事にバンコク週報は今現在閲覧できない。
それでバンコクジジイさんのブログから引用させていただいた。
http://ameblo.jp/bangkokoyaji/entry-11861230586.html

<以下引用>

武器・爆発物の所持など厳しく処罰、武装闘争を警戒
25/05/2014
http://www.bangkokshuho.com/article_detail.php?id=3942
東北部コンケン県で5月23日に武闘派のタクシン支持者とされる21人が逮捕され、手榴弾3個や300発を超える実弾などが押収されたことなどを受けて、陸軍は24日、武器や爆発物の調達・所持などに関与した者を厳罰に処す方針を明らかにした。

国軍による全権掌握に伴い、ナコンナヨック県、バンコク都内のタクシン支持団体・反独裁民主戦線(UDD)の集会場近く、ロッブリ県、サムットサコン県で武器が見つかっているが、陸軍は、コンケン県の件も含め「すべてがつながっている」としており、「タクシン派が武装闘争という形で反撃に出る恐れがある」とみているようだ。

<引用終り>

タクシン派の本性については何度か取り上げたが、その素性は難しい。
タクシンとは
・ トンデモナイ大富豪である。巷間噂される所では一代で築き上げたその資産は日本円で約2兆円とか・・・
・ 華僑2世である。出身は客家と呼ばれる華僑。その為中国に多くの人脈を持っている。
・ タイ北部・東北部が地盤だが、此処は武装闘争をしていたタイ共産党の地盤でもある。タクシン派には共産党の残党が多数いる。そして武器も沢山隠し持っている。
・ アメリカに2度も留学しており、こちらにも人脈が有る。


タクシンは蓄財した金を使って貧しい農民を動かしている。今回のクーデターでも早速反クーデターデモを起こしているが、そのカネどのくらいかを前回2009年9月~2010年5月までのデモ騒ぎで見てみたい。
詳細は以下を
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-154.html
追記します。
上掲エントリーでタイの賄賂(コミッション)の相場が3割との噂と書きました。驚かれた方も多いと思います。
しかし噂にソースが付きました。3割から3割5分(!)でした。詳細は下記エントリー参照ください。

http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-528.html


前回2009年9月~2010年5月まで激しいデモが有った。日本人カメラマンも凶弾に倒れている(合掌)。
そのデモに出るとどれくらい儲かるのか?、これは2009年~2010年の頃の値段。
例えばタクシン派の反政府集会に1日出るだけで2,000バーツ(約5,700円)もらえた
この2,000バーツは田舎の貧しい農民の1か月分の収入に匹敵する、これでは貧しい農民が動員されるのは当たり前。
タクシン派がこの反政府デモで使った金が銀行口座の調査でかなり分かってきた。
昨年9月から今年5月までの9ヶ月間で報道されているだけで237億バーツ(日本円で約675億円である。
このカネがどの程度かと言うと
2009年度のタイ国の国家予算が約1兆8000億バー(約5兆1300億円)
同年度の国防費が1700億バーツ(約4845億円)。
237億バーツとは国家予算の1.3%
    〃      国防費の14%
こんなカネだった。
だからそれならオイラもと言ってオーストラリアなどから白人などまでやってきていた。

さてそれで今回の件である。

タクシン派が武器を隠し持っていた、此れが明るみに出てきてクーデター実行派の軍部は厳しく対処すると言っている。
良い事だと思う。
とにかくカネにまみれた連中を排除しない限りマトモナ社会は実現しないと思う。

しかしデモの写真を見ていると矢張り気になることが有る。
此れもバンコクジジイさんのブログから転載させていただくのだが・・

これが24日の反クーデターデモ、人数はあまり多くない。しかしデモはかなり過激だったようだ。
2014-5-26タイのデモ4
これは勘繰りだが、挑発して軍が発砲するのを待っているかのようだ。そんな事になれば世界中の世論を味方に出来る・・・

そしてこんなモノを持っている
2014-5-26タイのデモ1

2014-5-26タイのデモ2

タイ人でこの英語の分かる人は少ない。これは明らかに欧米マスコミ用である
欧米マスコミは民主主義と言う幻想に惑わされている。カネで買い取っても民意は民意、そう言う事であろう。

しかしこれはいくら何でもないだろう!
2014-5-26タイのデモ3

このF〇CK(この○はO(オー)ではなく○(マル)です)と言う言葉は日本語には訳せない、日本語にない罵り言葉である。
欧米人はこれを見れば、激しい嫌悪を覚える筈だ。
(タイ語でどういうのか寡聞にして私は知らない)

私はこの最後の写真を見た時確信した。
この反クーデターデモはタクシンが仕組んだ欧米向けのデモだと。
タイも難しい奴を抱えたものである。


5/27 2件追記します。
1) 今日(27日)早朝、イギリスBBCを見ていたらこんな報道が有りました。
 デモの参加者が「クーデター反対」と英語でプラカードに書いている所をBBCの記者がインタビュー。
 どうして英語で書いているのかと質問しました。
 デモ参加者の若い女の子の答え、「私たちは欧米のメディアに知って貰いたい、だから英語で書いている」、
 こんな答えでした。

2) バンコク週報の引用記事について、バンコク週報のHPにアクセスできないと書きました。
 今日(27日)調べたらアクセス可能でした。
 しかし該当記事は削除されていました。原因は不明です。
 バンコク週報の記事は他にもこんな記事が無くなっていました。此れもバンコクジジイさんのブログに引用文が有ったので転載します。

<以下バンコクジジイさんのブログより引用、オリジナルの記事は消えています>

タイ国軍、タクシン派高官3人を排除
25/05/2014
http://www.bangkokshuho.com/article_detail.php?id=3941
プラユット陸軍司令官を議長とする国家平和秩序評議会(NCPO)は5月24日、上院を解散させるとともに、タクシン派とみられていたアドゥン警察庁長官、ニパット国防事務次官、タリット法務省特別捜査局(DSI)局長などを解任した。

タリット氏は、民主党など反タクシン勢力の責任を追及する姿勢が明白で、反タクシン派から「タクシン派・インラック政権の肩を持っている」などと厳しい批判を浴びていた。

なお、クーデター直後に設置された、国政などを担当する機関は、国家平和秩序維持評議会(NPOMC)と呼ばれていたが、24日に名称が国家平和秩序評議会(NCPO)に改められた。
<バンコク週報の記事は以上です。詳細は以下参照ください。
http://ameblo.jp/bangkokoyaji/entry-11861226570.html

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2014-05-25 10:52

焼き物談義から産業の衰退の歴史へ<続編

 今迄まともな焼き物など造れなかったタイ、それが突如素晴らしい時代の最先端の焼き物が出来るようになった。
当然当時の先進国から技術が入ってきたわけだが、この長い話の続編は最初に年表を見ていただきたいと思う。
何せ日本ならこんな時代と大体理解できるが、中国だ、タイだでは時代がさっぱり分からないためだ。

1180年    (日本) 源頼朝挙兵
1185年    (日本) 壇ノ浦の戦い、平家滅亡
               これ以降が鎌倉時代
1234年    (中国) 中国の北半分、「金」が蒙古に滅ぼされ、蒙古の支配下に
               南宋への蒙古の圧力始まる
1271年    (〃) 蒙古が大都(北京)を首都にして「元」朝はじまる
               蒙古(元)の南宋への圧力一層強まる
1274年    (〃) 元軍・高麗軍、日本攻撃・・・文永の役
1279年    (〃) 南宋滅亡・崖山の戦い(がいざんのたたかい)
1281年    (〃) 元軍(高麗軍・南宋軍の残党含む)、日本攻撃・・・弘安の役

1238年    (タイ) スコータイ王朝成立
1279年    (タイ) ラムカムヘン大王即位(1279-1300)
              昔からこの大王が陶工を呼び寄せたと言われていたが、そんな証拠は見つかっていない。

タイで始まった焼き物産業、中国から技術が入ってきたのは間違いない。つまり技術を持った人が多数やってきたわけである。
中国の陶磁器生産はこの頃から分業制だった。だから少人数の人ではない。どれくらいか記録が無いが少なくとも数千人とか、そんな単位の人だと思う。
この頃中国を逃れた陶工グループはタイだけでなくベトナムなどにも入っている。
現在のベトナムハノイ近郊のバッチャンは陶器の街だが、その頃からの産業が続いている。

さて話を戻して、中国では蒙古が入ってきた1234年頃から南宋滅亡した1279年頃まで、長い期間蒙古の圧力を受けてきた。だから陶磁器産業に従事する人たちが逃げ出すのも無理からぬ話。
そしてそんな難民を受け入れてきたのがタイだった。

そんな話の一つの証拠

2014-5-21伝スコータイ出土のラクダの水差

この小さな水差し、伝スコータイ出土とかなのだが「ラクダ」の形で乗っている子どもは「中国風のスタイル」。
面白い事にこの動物が何なのかタイ人は誰ひとり説明できない。これを売ってくれた骨董屋のオヤジでも・・・ 馬かなあ、ちょっと違うなあ、何だろう、要するにラクダを知らないのであった。今でさえこれなんだ、昔なら当然知らないだろうなあ。
中国人陶工が来ていたひとつのサンプルである。

さてそんな中国人陶工なのだが最初にあげた年表を見ると分かるように、中国南部「南宋」地域は何十年もの間蒙古の圧力を受けていた。そんな中で村ごと逃げ出したりしたことが有ったと思われる。
そしてその逃げて行った先がこんな地図で分かる。

2014-5-21交易の時代の東南アジア交通路修正版

この図で分かるように広東辺りからはベトナム・ハノイ、ベトナム中部、厦門辺りからはフィリッピン、マレーシア・インドネシア方面にルートが伸びている。
タイへはその内、広州⇒ベトナムハノイ⇒紅河を遡る⇒途中少し陸路を通り⇒メコン川を下る⇒タイのチェンセーン辺りからタイ領内に、こんなルートでタイ国内に陶工たちが逃げ込んだ。
最初はタイ北部に窯場を築いたが後に当時の首都スコータイ近くに集まった。
こんなルートでタイ中部スコータイ近くに陶磁器産業の亡命工業団地のできた。こんな事だったようだ。


所がどっこい、最近になってトンデモナイものが発見された。
タイとミャンマーの国境に近い山岳地帯(タイ族ではなく山岳民族が住んでいる)の山の中から大量の陶磁器が発見されたのだ。

最初にどんな所かと言うと

2014-5-24tak-omkoi burial site
(注:Takはターク県の県庁所在地、Omkoiはチェンマイ県南部の郡、Burialとは埋葬・埋葬地のこと)

この地図はタイの中部から北部の地図。
バンコクとチェンマイのほぼ中間がタイの古都スコータイ。
タイの古い焼き物の産地は最初期はタイ北部チェンマイ周辺にあるが、その後中心地が南に下がって古都スコータイの近くになった。北部にあった窯に比べるとスコータイ周辺の窯は大きさが長さで約3倍(面積で9倍、容積では・・)と非常に大型である。生産量の違いが分かる。

そしてスコータイからほぼ真西に向かったところ、ミャンマー(ビルマ)との国境の町がメーソート(Mae sot)と言う町。
そしてその近くの山岳地帯に問題の遺跡が有った。

2014-5-24ターク山中1
これは発掘現場の写真だが、発掘現場ではなく盗掘現場と言った方がいいだろう。無茶苦茶な事をして掘っている。

2014-5-24ターク山中3

あった、あった。宝物を見つけて嬉しそうですね。
女の子の服装に注意。山岳民族である。
それにしても隣で見ているオジサン(先生?)、どう見ても「そのお皿欲しい」と言いそうな感じだが・・・(笑)

2014-5-24ターク山中2

こんなにたくさん出たらしい。
尚この大量の陶磁器類、地元民がどんどん掘り出してあちこちで売りさばいた。従って相当数が散逸してしまったがタイの篤志家が心配し、私財を投げ打って全部買い集めた。それをバンコクの大学に寄付したので、その大学が立派な博物館を作って展示している。(バンコク大学ランシットキャンパス内)


さてメーソートと言っても分からないので、最後に観光案内を兼ねて写真など。

これはミャンマーとの国境の検問所

2014-5-25メーソートからターク-01

これは国境の川にかかる橋、
2014-5-25メーソートからターク-02

国境の川の河原にはミャンマー人(少数民族が多い)がキャンプしている。ミャンマーには仕事が無い・・・
2014-5-25メーソートからターク2-0

金網越しに何を話しているのか。右はタイ側、左はミャンマー側(正確に言えばミャンマー側の検問所の手前なのでどちらの国でもない状態だが)
2014-5-25メーソートからターク-2-1


国境の町メソートを出て県庁所在地タークに向かう山道の国道、途中の峠付近に山岳民族が野菜などを売る市場があった。彼らには貴重な現金収入なのだろう。しかし値段は非常に安かった。
(注:メソート・ターク間約80キロほどだが町の周辺を除くと殆ど人家は無い)
2014-5-25メーソートからターク03

峠の市場で見かけた可愛い女の子。服装が山岳民族独特である。
2014-5-25メーソートからターク-04

その市場の裏手がこうなっている。見渡す限り山また山。そんな中に上掲地図の埋葬地が有ったわけだ。
2014-5-25メーソートからターク-05

さてこんなとんでもない山の中に埋葬された人たちはいったい誰なのだろうか。
タイ人やこんな山岳民族・少数民族にはそんな埋葬し、副葬品に高価な陶磁器をつける習慣は無い。
調査報告では他に刀(sword)も副葬されていたようで、刀を覆うように皿、鉢などが伏せた状態であったそうだ。
恐らくこれは武人のグループではないだろうか。
正確な発掘調査が必要であろう。

そしてこんな埋葬の仕方はボルネオ島のマレーシア側、サラワク州クチンのサラワク博物館でも展示されているそうだ。
(三上次男氏の陶磁の道による)

最初に挙げた中国から東南アジアへの交易のルート図でも中国広州・厦門辺りからボルネオ島へのルートが有る。
この辺りの陶磁器を副葬した埋葬地に葬られた人たちは中国が崩壊した時、多数の難民が海に逃れた。
その人たちが流れ着いて暮らしていた証拠なのだと思う。
日本では平家の落人と言う話しが有るが、中国の難民は有るグループは亡命工業団地を作り、有るグループは山の中に隠れ、恐らく貿易などをやっていたのだと思う。

次回やっと山の中から海に出て行きます。
此処まで長い話、おつきいただき有難うございました。









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2014-05-21 22:34

焼き物談義から産業の衰退の歴史へ

 13日のエントリー「皇帝の夢」などでよもぎねこさんと船の話を色々した。
大変面白い議論なのだが、どうしても私が船に興味が有るのか書いてみたくなった。
実は私がタイに居た頃からこれは多分私のライフワークだろうなあ、そんな思いで色々調べていたことが有る。
焼き物の歴史、そして産業の歴史の話である。
更に細かく言えば産業の繁栄、衰退のカギは物流と情報が握っているらしい。
焼き物と船??、産業の歴史?? 、物流と情報?? 何やら訳の分からない3題話みたいだが・・・

話はタイに居た頃、タイ国日本人会の機関誌にこんな話が載っていた。曰く「スンコロク焼きの古窯跡を訪ねる」。
タイの昔の焼き物で日本の安土桃山時代から江戸時代初期にかけて日本にも輸入され、茶人の間で珍重された焼き物が有る。
現地の人は産地・船積地の名前をとってサンカロークといった、日本ではそれを聞いてスンコロク、漢字で宋胡禄(すんころく)と記録した焼き物。そんなモノの窯跡だという。
私は中学生頃は考古学少年だった。アチコチ貝塚や古窯跡を訪ね歩いたり、各地の発掘調査に参加したりした。
そんな記憶がよみがえってきたので休日にそこを訪ねることにした。

現地はタイの古都スコータイからさらに奥に入ったシーサチャナライと言う所。当時住んでいたところからは片道約650キロほど。まあとにかく行ってみた。

何が何だか分からないので最初にサンカローク焼きと言うモノがどんなものかと言うと。

これは私のコレクション、サンカローク焼きの青磁の皿。
2014-5-19サンカローク焼きの皿
(伝シーサッチャナライのヨム川より出土)

実に美しいものである。日本で言えば鎌倉・室町時代頃のモノ。

そしてこれがシーサッチャナライでみた古い窯跡
2014-5-21コ・ノイキルンの窯跡new

この窯跡の奥にガラクタのように焼き物の破片が重なっているがこれがこの窯の製品。良く見ると実に美しい青い色をしている。
そう青磁の皿などを焼いていた窯跡なのである。
窯業に幾分か知識のある方ならこの窯跡、技術的に相当高度なものであることが分かると思いのだが、そこに深入りすると話が終わらないので割愛します。

何故そんな青い色に驚いているか、この青磁の青い色は窯の中で約1250℃で焼成する時、その炎の状態が還元炎の時に出る色。そして普通に焼成すると酸化炎になって別の色になってしまう。
日本でも安土桃山時代になってもこの色を出そうとしても出せなかった、技術的にきわめて難しい焼成方法なのだ。

これが桃山時代の黄瀬戸と言われる黄色い焼き物。本当は青磁の青い色を出したかったのだが、還元炎焼成が上手くいかず、こんな色になってしまった。
2014-5-21桃山時代の黄瀬戸
此れでも非常な努力をしたのであろう、しかし青い綺麗な色を出すのは実に難しい事の様だ。


そしてその少し前に時代はと言えば、日本の焼き物はこんなモノだった。これは山茶碗と言われるもの。
平安時代末期から鎌倉時代頃にかけて盛んに生産された。
2014-5-20山茶碗

この山茶碗の窯跡は私の住む町の近くには今でも色々ある。昔はこれを探して山の中を歩き回ったものだ。

さて本題に戻って、こと焼き物に関してだけだが、この当時の先進国が中国であることは間違いないが、日本はタイに比べても遥かに遅れている。
この事に気づいた事は私にとって大変大きな衝撃だった。
その後いろいろ調べてみるとこの当時のタイの主要輸出品であり、当時としては一級品扱いだったことが分かった。
さてではその技術は何処からやってきたのか、それをどのように輸出していたのか。謎は深まるばかりである。

と此処まで書いたのだが、この訳の分からない三題話、話が長すぎるのでこの後は続編という事にします。
さて船の話には何時になったらたどり着けるやら・・・


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2014-05-18 21:44

米国習慣「チップ廃止」の波紋

 日本の価値観・文化がアメリカに浸透し始めた、そんないい話が有る。

<以下産経より引用>

米国習慣「チップ廃止」の波紋…高級レストランは、なぜ踏み切ったのか
2014.5.18 12:00 (1/5ページ)[岡田敏一のエンタメよもやま話]

2014-5-18アメリカでのチップ不要

 さて、今週は久々となる「食」のお話です。

 米国に旅行に行かれた方ならご存じだとは思いますが、米国のレストランで食事をすると、食事代の他にチップを取られます。
大体食事代の10%~20%が相場ですが、計算するのがめんどくさいので「こんな制度やめて、最初から食事代に含めておけばいいのに」と思ったみなさんも少なくないと思います(記者もそうです)。

 そんなみなさんに朗報です。いま、米国ではこのチップという制度を廃止するレストランが増えつつあるというのです。

 5月6日付フランス通信(AFP)や5月8日付英紙デーリー・メール(電子版)などが報じていますが、ロサンゼルスやニューヨークでチップ制度を廃止した有名レストランが続々登場し、その試みを評価する声が高まっているのです。

時給200円! チップで生計を立てる業界

 そもそも、チップの制度が登場したのは18世紀の欧州で、何かのサービスのお礼として「これでお酒でも飲んでください」との意味合いを込めて渡した小銭が起源と言われています。当時は金額も特に決まっておらず、上流階級の間で習慣化していたようで、それが米国などにも広がっていったようです。

 しかし“チップ大国”で知られる現在の米国では、チップは重要な意味を持ちます。なぜなら、レストランのウエイターやウエートレス、ホテルのポーターなど、チップをもらう接客業に従事する人々は、チップも彼らの給与とみなされているため、賃金がもともと低く設定されているのです。

 米国が定める連邦最低賃金は時給7ドル25セント(約740円)ですが、レストランのウエイターやウエートレスなどでは、合法的に時給2ドル13セント(約217円)という低賃金労働を強いられている人々も。世界的に見ても物価が最も高い都市の1つ、ニューヨークでも彼らの時給は5ドル(約510円)からとなっています。

 平たくいえば、彼らはお店側から最低賃金すら保障してもらえず「足りない分はチップで稼げ」と言われているわけです。

SushiYasuda、Atera…「日本のビジネスモデルならい」超有名店が次々廃止

そんななか、まず話題となったのが、昨年9月3日付米紙ニューヨーク・タイムズや9月6日付米ABCニュース(電子版)が報じていますが、ニューヨーク・マンハッタンの寿司店「Sushi Yasuda(スシ ヤスダ)」やニューヨーク・ブルックリンの「Atera(アテラ)」や「Chef’s Table at Brooklyn Fare(シェフズ・テーブル・アット・ブルックリン・フェア)」、サンフランシスコの「Coi(コイ)」、カリフォルニア州バークレーの「Chez Panisse(シェ・パニッシュ)」、シカゴの「Next(ネクスト)」と「Alinea(アリニア)」といった名だたる有名店の数々がチップを廃止したのです。

 とりわけ「スシヤスダ」は、レシートの下に「日本の慣習にのっとり『Sushi Yasuda』の従業員には給与が十分支払われております。従ってチップは頂きません」としっかり明記しています。

 このレシートの一件がさまざまなメディアで報じられ、都心部のレストランでのチップ廃止の動きが加速したようです。

 そして前述のAFPなどによると、今度は同じニューヨークで人気の居酒屋「Riki(リキ)」が店頭に「リキ・レストランはチップが要らないお店です」、「チップは不要かつ、求められていません」との案内を掲示し、話題を集めています。

 こうした動きについて、米コーネル大学ホテル経営学部のマイケル・リン教授はAFPに、チップを廃止したのは高級なレストランが多いと説明し、食事代にチップを含めることで、チップを少なく渡す客からウエイターやウエートレスを守ることができるといった効用を主張しました。

 しかし、マイナス面もあります。チップを廃止した場合、メニューにチップ代が含まれることになり、メニュー自体の価格設定が必然的に高くなります。そうなると多くの米国人は、お店が単に値上げしただけだと勘違いするのです。

 前述のマイケル・リン教授も「米国人はチップを食事代と考えていないことが多い。その店の価格設定が高いかどうかを判断する際、チップは考慮に入れないのです」と話し「チップを取るレストランは、チップを取らないレストランより(メニューの価格を)15%安くできるでしょうが、それはチップを期待しているからです」と説明します。確かに、チップの分を含めれば顧客が支払う総額はほぼ同じになりますからね。

 また、前述のニューヨーク・タイムズ紙によると、チップにはもともと、ウエイターやウエートレスといった接客担当の人々と、キッチンなど裏方で働くスタッフの賃金を均等化するという雇用者側の狙いもあるのですが、キッチンなどで働く人々の中には不満を持つ人もいるほか、当の接客担当者同士でトラブルが発生する事例も少なくなく、訴訟に発展するケースも珍しくないといいます。

 チップを最初からメニュー代に含んでおけば、店側にとっては、こうした従業員の不満などを解消できます。

離職率を下げ、モラル向上に期待

 ロサンゼルス市郊外グレンデールにある有名レストラン「Brand(ブランド) 158」を経営するガブリエル・フレム氏も、チップを廃止することで客の気まぐれから従業員を守ることができると考えており、AFPに対し「われわれは面接などで、能力があり、期待に応えてくれると判断した人々をウエイターやウエートレスとして雇用している。期待に沿わない人材なら去ってもらうが、気まぐれな理由に基づいた客の思い付きの計算で従業員の賃金が左右されたいとは思わない」と明言します。

 また、レストランのマネジャーたちの中には、前述したチップ廃止の利点により、従業員の離職率の減少やモラルの向上が期待できると考える人も少なくありません。

和食に続いて脚光…米国に続いてカナダも「チップ廃止」

 顧客の中にも考えが変わったという人がいます。週に最低2回は外食するというニューヨーカーの若者、ノエル・ウォーレンさんはAFPに「当初は怠惰な接客態度をとる接客担当者には、チップを減らして対抗してやろうと思ったが、なぜ彼らが最初から好ましくない接客態度を取るか考えてみた。それは多分、客がチップを弾んでくれるという期待感が持てないからだろう。しかし、働きぶりに対し適切な対価を得ることができれば接客態度も改善すると思う」と述べ、チップ廃止の効用を評価しました。

 この動き、米国内ではニューヨークやロサンゼルス、シカゴといった大都会だけで、田舎には広がらないとの指摘もありますが、既に米国外にも広がり始めています。

 5月9日付のカナダの日刊紙タイムズ・コロニスト(電子版=ブリティッシュコロンビア州の州都ビクトリアの地元紙)によると、バンクーバー東岸に6月開業する新しい複合商業施設内のレストラン「スモーク・アンド・ウォーター」が、チップ不要のレストランになるというのです。

 チップ不要のレストランは恐らくカナダ初といい、このレストランの経営者は、チップを不要にする代わりに、同業他社のお店などに比べ、メニュー価格を18%高くし、その分、従業員の雇用を守り、福利厚生などを充実させたいと話しています。

 タイムズ・コロニスト紙はこの試みについて「日本やオーストラリア、ニュージーランド、そして欧州の一部で採用している、従業員に生活賃金を支払うというビジネスモデルを意図している」と報じました。

 カナダの観光学の専門家はタイムズ・コロニスト紙に「カナダのレストランのビジネスモデルが変わるときが来た。今後5年の間に、5割の確率で、カナダのレストランはチップ不要へと変わっていくだろう」と予測しました。

 日本食(和食)が世界で評価を高めるなど、食の国際化が進むなか、米国のレストランのビジネスモデルも本格的な“国際化”時代に突入し、変革を余儀なくされているようです…。
(岡田敏一)

http://sankei.jp.msn.com/west/west_economy/news/140518/wec14051812000004-n1.htm

<引用終り>

良い話である。
戦後日本人は「アメリカこそ良い国、世界のお手本」、そう言われ続けてきた。
そして世界の殆どの国が「目標・お手本とする国はアメリカ」、これは今でもそうだろう。
国際語は英語・・・これは間違いない
食べるのはマクドナルド・・・これも世界中に広まった。

そんな中に遂にアメリカのマナーの基本、チップを否定する動きが始まったのだ。
引用文にあるようにチップと言うのは煩わしい、しかしそれより問題なのはチップをもらえるのがウエイターなどに限られ、料理人はもらえないなど問題が一杯ある。
それを解決するために日本式のチップ不要の店が増えてきた。素晴らしい事である。

世界中のお手本になれる国は世界中でもそんなにたくさんは無い。
多分G5の5か国(米英仏独、そして唯一非白人国日本)だけだろう。
未来のためにこんな話を若い人にもっと知ってほしい、日本は素晴らしい国なんだと。
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2014-05-16 22:57

鄭和の宝船の大きさ

 13日のエントリー皇帝の夢」で中国明朝時代の鄭和の大航海の話を取り上げた。
その艦隊の旗艦を宝船(ほうせん)と名づけていたのだが、現代の常識で見ても信じられない大きさである。

その大きさと言うのはこんなモノ。

2014-5-13鄭和の宝船大きさ比較

実に巨大な船であるが本当だろうか、こんな疑問をよもぎねこさんから頂いた。
実は私も以前から本当なんだろうかと思っていたのだが、何年か前その造船所跡が見つかった、その写真も見た記憶が有るのでエントリーに書いたのだが・・・ 改めて探してみるとその証拠が見つからなかった。
しかし今日それを見つけたので取りあえず紹介したいと思います。

見つかった宝船造船所遺跡

2014-5-16鄭和の宝船の造船所跡

ソース
http://www.shipwreckasia.org/wp-content/uploads/Chapter3.pdf 英文です。

上掲ソースの元は
http://www.shipwreckasia.org/wp-content/uploads/FU-South-East-Asia-Archaeology-Brochure.pdf

私はこのキムラ ジュン氏については知識が無い。ただトヨタ財団の援助での研究なので信頼して良いと思っている。

そしてこの造船所遺跡なのだが・・・
まあこのバカデカい造船遺跡を見ればそれ以上説明扶養と思います。
この遺跡、長さは421m、幅41mなのだという。
伝えられる宝船の長さは137mなので、長さは十分。しかし幅は56mと伝えられているので幅が不足だが、造船上は問題ないらしい。


こんな話の傍証なのだが、各地に昔の沈没船が有る。
有名なのが韓国西南部の新安沖沈没船。1323年6月に中国寧波から博多に向けて公開していた船で全長30m、幅9m、約200トンの船で60人が乗り組んでいた。
他にも泉州沖で見つかった宋時代の沈没船は約400トンくらいらしい。

そしてこんなデータが有る。

2014-5-16交易船記録中国から朝鮮

これは高麗史から交易船の記録を抜き出してみたもの。
(中国の海商と海賊 松浦章著より引用)
こんなモノを見ても一度に100人以上来ているケースが有り、最も多いモノは147名が入国している。
恐らくこれは一隻の船ではないかと思われるので、相当大きな船ではないか。
(200トンで60人が乗り組みなら、147人は少なくとも400トン以上になるのだが・・・)

この時代、この程度の船はごく当たり前だったという事の様だ。
そんな所から鄭和の大艦隊の船が非常に大きかったと言われても納得できるところである。

よもぎねこさんへの回答になるかどうか分かりませんが、これが鄭和の宝船が本当にあんなに大きかったのか、それについての今の所の回答です。
  1. 歴史
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2014-05-13 18:02

皇帝の夢

 中国が北京からアメリカまで1万3千キロを高速鉄道で結ぶと言う凄い話を進めているようだ。
中国の国営中国日報は8日伝えたと言う。

<以下大紀元日本より引用>

中国と米国、高速鉄道で結ぶ=中国国営紙
【大紀元日本5月9日】国営中国日報は8日、中国アメリカ間を高速列車で繋ぐ計画を立てていると報じた。計画の詳細は明かされていない。

 提案された計画によると、米ロ間のベーリング海峡を海底トンネルでつなぎ、中国東北部と米国アラスカを結ぶ線路を建設するという。

 同海峡を横断するには200キロの海底トンネルを建設する技術が必要とされる。同様の技術が中国南部福建省から台湾を結ぶ高速鉄道に適用されるという。

 この米中間高速鉄道計画が実現し、仮に高速鉄道が時速350キロで走行すれば、2日足らずで米中間を行き来できることになる。

 中国高速鉄道の建設計画は、政府がけん引する野心的な計画のひとつ。アジアではラオス経由シンガポール間、インド間、また欧州では英国間などが予定されている。

(14/05/09 13:28)

http://www.epochtimes.jp/jp/2014/05/html/d77365.html

<引用終り>

しかしこの話、単なる駄法螺かと言うと・・・ 誰かが本気で考えているのかもしれない。
勿論こんな無茶苦茶な話、日本の新幹線やフランスのTGVでの実績で長距離は航空機が有利、それがハッキリしているのだ。その限界が4時間位までが鉄道で有利な限界、それを超えたら航空機、そんな事なのである。
幾ら高速でも2日間乗りっぱなしの高速鉄道では勿論実用化には程遠い。
増してやベーリング海峡200キロを海底トンネルとか、ロシア・カナダなど自国以外の土地を通る部分が長すぎる。そんな事でワシントンポストの記事を読んでみた。

ワシントンポストの記事はコレ
http://www.washingtonpost.com/blogs/worldviews/wp/2014/05/09/china-may-build-an-undersea-train-to-america/

そこにはこんな地図が
2014-5-13中国からアメリカまでの高速鉄道計画


そして更にこんな昔のシルクロードの地図が
2014-5-13海と陸のシルクロード地図


更に上掲ワシントンポストの記事には明の時代の「鄭和の大航海の宝船」についても記述が有る。
鄭和の大艦隊については以下参照ください
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%84%AD%E5%92%8C

また宝船については以下参照ください
http://j.people.com.cn/94638/203144/7869056.html

凄い大きさです。
この当時の大航海時代のヨーロッパの船と比較して見るとこんな風

2014-5-13鄭和の宝船大きさ比較


<追記します・・5/15>
よもぎねこさんからの指摘もあり、上掲の宝船の巨大さ、これの証拠を改めて探したのだが私の記憶にある宝船の造船所発掘の話、それのしっかりした証拠が見当たらない。
現在宝船造船所遺跡公園になっているのだが、真偽のほどが分かりません。
南京には大虐殺記念館などと言う嘘800記念館もあるので、この造船所遺跡、どんなものか説明不能です。
まあ、こんな話もあるという事で見てください。

尚航海法なども含め私の知る所を後日別エントリーでアップします。

<5/16 追記の追記です> 宝船の造船所跡の写真を見つけました。16日のエントリーをご覧ください。



此処で私が気になっている事。
この陸と海のシルクロード沿いは現在中国が抱える紛争の最先端。
例えば陸のシルクロードに「乌鲁木齐」と言う地名が有る。新疆ウィグル自治区の「ウルムチ」である。
海のシルクロードに「河内」と言う地名が有る。「ハノイ」の漢字表記だ・
海のシルクロードはそこからベトナム沖を通っている。
今現在ベトナムの船に中国の海警の船が体当たりした現場だ。

アフリカにマークがついている。ヴィクトリア湖の近く、ケニアの首都ナイロビではないだろうか。
何とそこには中国中央電視台(CCTV)が、北京本部以外では初めてとなる放送センターのハブを開設している。
http://blog.livedoor.jp/aryasarasvati/archives/36406461.html

他にも調べれば色々有るのだろう。

中国はシルクロードの通っている所は全部オイラのモノ、そう言いたいらしい。

習近平は皇帝気分らしい。世界が自分の想いのままになる、そう思っているようだ。
危険な夢を見ている。

夢のような高速鉄道計画の裏には中国トップのトンデモナイ思い上がりが有る。
日本もこんなとんでもない奴が隣にある事をよく認識せねばなるまい。
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2014-05-10 22:25

徹底的に教え込むという事

 5月3日に名古屋市の高校6校の吹奏楽部による「吹奏楽の夕べ」と言うコンサートが開かれた。
私はこれを聴いたわけではないのだが、これを聴いた人から大変興味深い話を聞いた。

この「吹奏楽の夕べ」には作曲家で吹奏楽指導者の櫛田てつ之扶氏がゲストとして招かれており、その人の話が有った。詳細はとも角としてこのようなクラブ活動をすることの意義を櫛田氏は京都の大学で教えている経験からこんな事を話したのだと言う。

「中学・高校で部活をやってきた子とやって無かった子ではこんな風に違う。例えばこんなコンサートで椅子を並べる必要が有ったとしたら・・・
部活をやって無かった子はチャンと並べるがそれでオシマイ。終わったとも報告せずに帰ってしまう。
中学・高校と部活をやってきた子は椅子を並べ、キチンと綺麗に整頓する。それから雑巾を持ってきて拭きだす。勿論終わったら終わったと報告に来る。
部活をするという事はこんなに人間の違いを作るモノ。そこに人間教育の意義が有る。」
こんな話であったと言う。

なるほどねえ、面白い話である。
それを聞いてこんな話を思い出した。

サウジアラビアのテレビで「改善」と題した日本紹介番組が数年前大評判になった。
その一部はこんなモノである。

言葉はアラビア語なのだが見ればなんとなく言っている事は分かると思います。


この番組は戦後急速な経済成長を遂げた日本の秘密を探る番組で、機械式駐車場などの科学技術、交通機関などに見られる時間の正確さ、信号を守る・ポイ捨てをしない・電車に乗る際降りる人を優先させる・
置き忘れられた財布を持ち主に届ける、など日本人のマナー/モラルの良さ、など等、
日本の様々な面をサウジアラビアと対比する形で報道されています。

中でも特に注目したい所がこの動画でも取り上げている学校で子供に掃除をさせている所。
サウジアラビアだけでなく他の国でも子供に掃除などさせない国が大部分。
そんな中で日本のこのやり方が日本のマナーの良さを作ってきた、そう捉えてそれをサウジアラビアでも採用しようと大臣に働きかけ、遂にアチコチの学校で掃除を指せるようになってきたらしい。
「日本がやっているんだ、おれたちも見習おう」、そう言う事の様である。


矢張り良い習慣、マナーは天から授かるモノではなく自分たちで掴みとること、それを徹底的に教え込むことが重要だという良い証拠である。


更に日本の歴史とは国を守ることとはどういう事か。
こんな動画が有る。
これはハロン棒さんから紹介していただいたのだが、まあ見てください。



日本のこれからを作っていくためには色んな所で「何をやるべきか、日本は何をやってきたのか」、そんな事をアカヒ新聞などの自虐史観で無く真実を教え込んでいかないといけない。
それは子供に掃除の仕方を教えたりするのと同じことなのではないでしょうか。

最後にこれは私の経験。
タイでタイ人に色んな仕事を教える、その第一歩は掃除の仕方、箒の持ち方、掃き方を教える事からでした。
これは何時になっても、日本でも同じだと思っています。
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2014-05-07 21:07

タイ首相と9閣僚、不正人事で失職 政権崩壊は回避

 タイのインラック首相が解任された。不正な人事が憲法違反なんだと。
でも、それでもタイは大して影響はないらしい。
最初に解任を伝えるnewsclipの報道から

<以下引用>

タイ首相と9閣僚、不正人事で失職 政権崩壊は回避
2014年5月7日(水) 15時56分

【タイ】2011年に当時のタウィン国家安全保障会議(NSC)事務局長を首相顧問に異動した閣議決定が権力乱用で違憲だとして、前上院議員が訴えていた裁判で、憲法裁判所は7日、この人事を承認した閣議に出席していたインラク首相と閣僚9人を失職とする判決を下した。

 憲法裁は原告が求めていた後任の首相任命は権限がないとして却下した。

 議会下院が解散中で、後任の首相が選出できないため、政府は失職を免れた閣僚26人の中から首相代行を選ぶと予想される。

 失職したのは問題の人事を承認した閣議に出席していたインラク首相、スラポン副首相兼外相、キティラット副首相兼財務相、プロードプラソプ副首相、プラチャー副首相、チャルーム労相、ユタサク副国防相、サンティ首相府相、アヌディット情報通信技術相、シリワット副農業協同組合相。

 今回の判決はタクシン元首相の妹のインラク首相を退陣に追い込んだものの、タクシン派与党プアタイ(タイのため)の選挙管理内閣の継続を認めた。

 タクシン派政権の打倒、非民選内閣の樹立などを掲げる野党民主党など反タクシン派の目的は達せられず、バンコクでの反政府デモや司法、上院を使った政権打倒の試みが続く見通し。

 政府・プアタイは今後、7月投票を目指している下院選を成功させ、政局を正常化させたい意向だ。ただ、投票を強行しても、2月の下院選同様、反タクシン派の選挙妨害、憲法裁による選挙無効判決が予想され、突破口は見いだせていない。

 インラク首相の失職の原因となったタウィン氏の異動は首相の元義兄にあたるプリアオパン副警察長官を警察長官に昇進させた人事の玉突きで、これにより当時のウィチアン警察長官がNSC事務局長に転任し、タウィン氏がポストを失うこととなった。タウィン氏は異動後、不当な人事だとしてNSC事務局長への復職を求める裁判を起こし、勝訴。今年3月25日にNSC事務局長への復職が閣議決定された。

http://www.newsclip.be/article/2014/05/07/21702.html

<引用終り>

それで首相がいなくなって大丈夫かと言うと・・・
残った閣僚の中から首相の臨時代行を選ぶのだと言う。

その臨時代行は直ぐ発表された。

首相代行にニワットタムロン副首相兼商業相だそうである。
ま、副首相と言っても大勢いるからその中の一人なんだろう。

結局タイの混迷はますますその混迷の度合いを深めていく・・・ しかし庶民は平気なもののようだ・・・

2014-5-7タイのトゥリアン売り


そしてタイは今こんな季節、果物の王様ドリアン(トゥリアンと書いた方が正しいかも)。
しかしこの果物、美味しいけれどこれを食べて酒・ビールを飲むと死ぬと恐れられている。
私のような酒飲みには正に禁断の果物。
残念ながら私は命がけで食べる勇気はない・・・ だから美味しさも説明不能・・・トホホ・・・
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2014-05-06 21:08

山笑う

 日曜日に岐阜県のせせらぎ街道と言うところに行ってきた。
せせらぎ街道は岐阜県の飛騨高山から郡上八幡(現在は郡上市)に抜ける山道。
別に何の変哲もない田舎の山道だが、この季節は新緑、秋は紅葉の名所、と言ってもまあマイナーな名所。
それが良くて新緑を楽しんできた。


最初に田舎の山寺の「しだれざくら」、

2014-5-6せせらぎ街道1

都会にこんな素晴らしい桜が有ったら私のようなノンベーが集まって早速酒盛りなのだが・・・
此処では見る人とてなく・・・


カタクリも咲いていました

2014-5-6せせらぎ街道2


そして何の変哲もない田舎、でも山は初夏の色

2014-5-6せせらぎ街道4


そしてこんな新緑が・・・
山笑うです。

2014-5-6せせらぎ街道3

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