2013-10-31 21:26

正倉院宝物の借金の証文

  昨日奈良の正倉院展に行ってきた。

今回の正倉院展、目玉はこれ。

 

 

正に宝物である。

 

 

しかし私には今回最も興味深かったのは古文書。

正倉院の古文書には昔の戸籍だとか写経だとか色々ある。

写経などは実に美しい字。

 

だが一番興味深かったのはその写経などを行っている役人が書いた借金の証文。

何と写経している役人が役所から金を借りている。その証文が正倉院御物の中に含まれているのだ。

そこには利息まで書いてある。

一ヶ月に13%、これがその当時の借金の利息なのだという。

 

ヘーッ、そんな感じで次に行くとまた同じ名前の人がカネを借りている。

あれまっ、又カネを借りている、そう思ってよく見ると利息が値上がりしている。一ヶ月に15%だ。

 

一ヶ月に15%?、おい、それじゃあ高利貸の代名詞「トイチ=十日で一割」の半分じゃないか。トンデモナイ高利で金を貸していたんだなあ。

 

正倉院展で昔の高利貸の姿を見てきました(笑)。

意義ある一日でした。

 

最後に正倉院展が終わって食べたヒルメシ。

 

博物館内のレストランの薬膳弁当

 

何か健康に良い色んな野菜の入った弁当だそうですが、私的には右にチラッと写っているビールが美味しかった・・・。

 

 

FC2の方はこれです

http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-811.html

 

  1. 社会一般
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  3. CM(4)

2013-10-31 21:15

正倉院宝物の借金の証文

 昨日奈良の正倉院展に行ってきた。
今回の正倉院展、目玉はこれ。

2013-10-30正倉院展の宝物


正に宝物である。


しかし私には今回最も興味深かったのは古文書。
正倉院の古文書には昔の戸籍だとか写経だとか色々ある。
写経などは実に美しい字。

だが一番興味深かったのはその写経などを行っている役人が書いた借金の証文。
何と写経している役人が役所から金を借りている。その証文が正倉院御物の中に含まれているのだ。
そこには利息まで書いてある。
一ヶ月に13%、これがその当時の借金の利息なのだという。

ヘーッ、そんな感じで次に行くとまた同じ名前の人がカネを借りている。
あれまっ、又カネを借りている、そう思ってよく見ると利息が値上がりしている。一ヶ月に15%だ。

一ヶ月に15%?、おい、それじゃあ高利貸の代名詞「トイチ=十日で一割」の半分じゃないか。トンデモナイ高利で金を貸していたんだなあ。

正倉院展で昔の高利貸の姿を見てきました(笑)。
意義ある一日でした。

最後に正倉院展が終わって食べたヒルメシ。

博物館内のレストランの薬膳弁当

2013-10-31正倉院展の薬膳弁当


何か健康に良い色んな野菜の入った弁当だそうですが、私的には右にチラッと写っているビールが美味しかった・・・。
  1. 社会一般
  2. TB(0)
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2013-10-29 23:01

クルマ文化の未来<自工会会長の話

  10月28日の読売新聞にクルマ好きなら興味深い記事が有った。

自動車工業会会長の豊田章男氏の話である。
偶然だが日曜日にクルマ好きの長女から電話が有り、今日新城ラリーに行ってきた。モリゾウが出ていたので会ってきた、そんな事を言ってた。
そんな顛末も含め、自工会会長の話を紹介。
尚リンク先は下記だが読売プレミアムなので会員以外読めないので以下全文引用。
http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20131027-118-OYTPT00806/list_ECONOMY1_1
 
<以下引用>
 
東京モーターショー来月22日開幕…自工会豊田章男会長に聞く
2013年10月28日3時2分 読売新聞
 
 11月22日から12月1日まで、東京ビッグサイト(東京都江東区)で開かれる第43回東京モーターショーを前に、日本自動車工業会(自工会)の豊田章男会長(トヨタ自動車社長)が読売新聞のインタビューに応じた。豊田会長は「自動車産業やものづくりに若者が興味をもってくれるとありがたい」と述べて、自動車文化を次世代に伝える重要性を強調した。(聞き手 東京本社経済部長・斎藤孝光)
 
車文化若者へ未来
 
 ◆楽しさ体感
 
 ――会長は「モリゾウ」という名のドライバーとして、ラリーや24時間耐久レースにも出ている。
 
 「もっといい自動車を作るために自分のセンサー(感覚)を研ぎ澄ましたいという思いで始めたが、運転の仕方が分かれば分かるほど、楽しみ方も分かってきた。包み隠さず、車を楽しんでいる姿を若者たちにしっかり見せて、結果として車ファンが増えてくれればいい。トヨタの社長や自工会会長と同様に、ひとりの車好き『モリゾウ』としての役割もあると思っている
 
 ――今年の東京モーターショーでは試乗が目玉になる。
 
 「車は電子化やIT(情報技術)化が進むなど、変化の時代を迎えている。モーターショーでは、『運転支援システム』など最先端の安全技術を搭載した車や、超小型モビリティー(車)も展示される。新しい技術は、説明するよりも体感してもらう方が説得力がある」
 
 「車は他の移動手段と違って、アクセルやブレーキを踏んだり、別の道を選んだり、ドライバーに自由が与えられている。車の持つ『わくわくドキドキ感』を伝えたい」
 
 ――自工会は、10月に開かれた電機業界の先端技術展「シーテックジャパン」や、「ITS(高度道路交通システム)世界会議」とも連携した。
 
 「業界や企業を超えて、日本ブランドを発信したい。シーテックでは、自動車メーカーが超小型モビリティーなどを体験できるコーナーを会場に設けた。電機メーカーは、住宅や家電と自動車をネットワークでつなぐ技術を展示した。自動車と電機が垣根を越えて結ばれれば、日本の産業の強みを相乗的に発揮するチャンスになる」
 
「超小型」共存目指す
 
 ◆ものづくり精神
 
 ――国内生産を続ける意義は。
 
 「日本の自動車メーカーは、国内で約1000万台の生産能力がある。トヨタは国内生産300万台を続けると言っている。多くの部品は、中小・零細企業も含めた部品メーカーから仕入れている。取引先を含めて国内自動車産業を成り立たせるには、ある程度の生産量が必要だ」
 
 「海外生産が増えているのも、国内生産が基盤になっているからだ。石にかじりついてでも、日本の製造拠点を守りたい。そのためにも、ものづくりの生産性を上げて、競争力は失わずに維持、発展させていきたい
 
 ――安倍政権の経済政策「アベノミクス」で、環境は改善したか。
 
 「一番大きく変わったのは為替レートだ。昨年まではあまりに円高基調だった。今は適正な水準に戻ってきたと思う。製造業が日本の基幹産業であるためには、国際的に見ても日本が最も競争力があると言えるように(政策面で)後押ししてもらいたい」
 
 ――未来の自動車社会をどう作る。
 
 「日本は、多くの人にエコカーを買ってもらえる市場なので、2020年の東京五輪はチャンスだと思う。街中を走る車のほとんどがハイブリッド車(HV)や電気自動車(EV)、超小型モビリティーになっていたら、海外から日本を訪れた人たちは驚くだろう」
 
 「日本のドライバーの譲り合い精神は世界に誇れるものだ。ドライバーと、道路などの社会基盤を整備する行政、自動車メーカーの3者が一体で取り組めば、快適で楽しい社会ができる。国内の道路のうちの85%は、幅が3・8メートル以下の狭い道だ。普通車と軽自動車、超小型モビリティーが共存するモデルを日本が作るべきだ」
 
 ◆出張授業
 
 ――若者が自動車を買わない、乗らないと言われている。
 
 「『若者の車離れ』と言われるが、実際には自動車メーカーが若者から離れたのではないか。自工会では9月末から10月にかけて、学生と直接対話するため、大手各社のトップが大学で出張授業を開いた。私は明治大学に行き、自分自身が『こんなに車が大好きだ』と体で表現してきた。授業が終わり、学生から『運転免許を取ります』『車に興味を持った』と言われた。自動車産業やものづくりに若者が興味をもってくれるとありがたい」
 
 「(隔年開催の)東京モーターショーが行われなかった昨年は、東京・台場で、車に触れてもらうイベント『お台場学園祭』を自工会で開いた。日本には国際基準のサーキットもたくさんあり、モータースポーツを楽しむ環境もある」
 
 ――欲しくても高価で手が届かないという声もある。
 
 「車体課税が高すぎる。例えば同じ100万円のものを買うのでも、ダイヤモンドなら5万円の消費税を払うだけだが、自動車は消費税に自動車取得税などが加わり、3年保有で20万円以上かかる。あまりに不公平だ。ユーザーを守るためにも、車体課税の引き下げは声を大にして言いたい」
 
<引用終り>
 
 所でその「トヨタの社長や自工会会長と同様に、ひとりの車好き『モリゾウ』としての役割もあると思っている」と言う部分。
27日(日)に愛知県の新城市で行われた新城ラリーにモリゾウこと豊田章男氏が出場している。
 
そして誰とでも一緒に写真に納まっている。
 
 
こんな所が自ら広告塔になって車が好きな人を増やそうとしている現れであろう。
 
 
所で今回から最初にFC2でエントリーし、それをコピーしてイザに貼り付けるようにしました。間もなくイザは無くなるのでこちらに慣れないとね。
でもFC2は使いにくいですね。ブツブツ。
FC2のエントリーはこちらです。
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-810.html
 
尚明日は朝5時半出発で奈良の正倉院展に行ってきます。
どんな様子かは帰ってからという事に。

  1. 自動車
  2. TB(0)
  3. CM(2)

2013-10-29 18:08

クルマ文化の未来<自工会会長の話

 10月28日の読売新聞にクルマ好きなら興味深い記事が有った。
自動車工業会会長の豊田章男氏の話である。
偶然だが日曜日にクルマ好きの長女から電話が有り、今日新城ラリーに行ってきた。モリゾウが出ていたので会ってきた、そんな事を言ってた。
そんな顛末も含め、自工会会長の話を紹介。
尚リンク先は下記だが読売プレミアムなので会員以外読めないので以下全文引用。

http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20131027-118-OYTPT00806/list_ECONOMY1_1

<以下引用>

東京モーターショー来月22日開幕…自工会豊田章男会長に聞く
2013年10月28日3時2分 読売新聞

 11月22日から12月1日まで、東京ビッグサイト(東京都江東区)で開かれる第43回東京モーターショーを前に、日本自動車工業会(自工会)の豊田章男会長(トヨタ自動車社長)が読売新聞のインタビューに応じた。豊田会長は「自動車産業やものづくりに若者が興味をもってくれるとありがたい」と述べて、自動車文化を次世代に伝える重要性を強調した。(聞き手 東京本社経済部長・斎藤孝光)

車文化若者へ未来へ

 ◆楽しさ体感

 ――会長は「モリゾウ」という名のドライバーとして、ラリーや24時間耐久レースにも出ている。

 「もっといい自動車を作るために自分のセンサー(感覚)を研ぎ澄ましたいという思いで始めたが、運転の仕方が分かれば分かるほど、楽しみ方も分かってきた。包み隠さず、車を楽しんでいる姿を若者たちにしっかり見せて、結果として車ファンが増えてくれればいい。トヨタの社長や自工会会長と同様に、ひとりの車好き『モリゾウ』としての役割もあると思っている」

 ――今年の東京モーターショーでは試乗が目玉になる。

 「車は電子化やIT(情報技術)化が進むなど、変化の時代を迎えている。モーターショーでは、『運転支援システム』など最先端の安全技術を搭載した車や、超小型モビリティー(車)も展示される。新しい技術は、説明するよりも体感してもらう方が説得力がある」

 「車は他の移動手段と違って、アクセルやブレーキを踏んだり、別の道を選んだり、ドライバーに自由が与えられている。車の持つ『わくわくドキドキ感』を伝えたい」

 ――自工会は、10月に開かれた電機業界の先端技術展「シーテックジャパン」や、「ITS(高度道路交通システム)世界会議」とも連携した。

 「業界や企業を超えて、日本ブランドを発信したい。シーテックでは、自動車メーカーが超小型モビリティーなどを体験できるコーナーを会場に設けた。電機メーカーは、住宅や家電と自動車をネットワークでつなぐ技術を展示した。自動車と電機が垣根を越えて結ばれれば、日本の産業の強みを相乗的に発揮するチャンスになる」

「超小型」共存目指す

 ◆ものづくり精神

 ――国内生産を続ける意義は。

 「日本の自動車メーカーは、国内で約1000万台の生産能力がある。トヨタは国内生産300万台を続けると言っている。多くの部品は、中小・零細企業も含めた部品メーカーから仕入れている。取引先を含めて国内自動車産業を成り立たせるには、ある程度の生産量が必要だ」

 「海外生産が増えているのも、国内生産が基盤になっているからだ。石にかじりついてでも、日本の製造拠点を守りたい。そのためにも、ものづくりの生産性を上げて、競争力は失わずに維持、発展させていきたい」

 ――安倍政権の経済政策「アベノミクス」で、環境は改善したか。

 「一番大きく変わったのは為替レートだ。昨年まではあまりに円高基調だった。今は適正な水準に戻ってきたと思う。製造業が日本の基幹産業であるためには、国際的に見ても日本が最も競争力があると言えるように(政策面で)後押ししてもらいたい」

 ――未来の自動車社会をどう作る。

 「日本は、多くの人にエコカーを買ってもらえる市場なので、2020年の東京五輪はチャンスだと思う。街中を走る車のほとんどがハイブリッド車(HV)や電気自動車(EV)、超小型モビリティーになっていたら、海外から日本を訪れた人たちは驚くだろう」

 「日本のドライバーの譲り合い精神は世界に誇れるものだ。ドライバーと、道路などの社会基盤を整備する行政、自動車メーカーの3者が一体で取り組めば、快適で楽しい社会ができる。国内の道路のうちの85%は、幅が3・8メートル以下の狭い道だ。普通車と軽自動車、超小型モビリティーが共存するモデルを日本が作るべきだ」

 ◆出張授業

 ――若者が自動車を買わない、乗らないと言われている。

 「『若者の車離れ』と言われるが、実際には自動車メーカーが若者から離れたのではないか。自工会では9月末から10月にかけて、学生と直接対話するため、大手各社のトップが大学で出張授業を開いた。私は明治大学に行き、自分自身が『こんなに車が大好きだ』と体で表現してきた。授業が終わり、学生から『運転免許を取ります』『車に興味を持った』と言われた。自動車産業やものづくりに若者が興味をもってくれるとありがたい」

 「(隔年開催の)東京モーターショーが行われなかった昨年は、東京・台場で、車に触れてもらうイベント『お台場学園祭』を自工会で開いた。日本には国際基準のサーキットもたくさんあり、モータースポーツを楽しむ環境もある」

 ――欲しくても高価で手が届かないという声もある。

 「車体課税が高すぎる。例えば同じ100万円のものを買うのでも、ダイヤモンドなら5万円の消費税を払うだけだが、自動車は消費税に自動車取得税などが加わり、3年保有で20万円以上かかる。あまりに不公平だ。ユーザーを守るためにも、車体課税の引き下げは声を大にして言いたい」

<引用終り>

所でその「トヨタの社長や自工会会長と同様に、ひとりの車好き『モリゾウ』としての役割もあると思っている」と言う部分。
27日(日)に愛知県の新城市で行われた新城ラリーにモリゾウこと豊田章男氏が出場している。

2013-10-29モリゾウ1

そして誰とでも一緒に写真に納まっている。
2013-10-29モリゾウ2モザイク

こんな所が自ら広告塔になって車が好きな人を増やそうとしている現れであろう。
  1. 自動車
  2. TB(0)
  3. CM(0)

2013-10-26 16:45

自衛隊の24時間

  27号、28号とたて続けにやってきた台風。どうやら伊豆大島も直撃は免れたようで良かったです。しかしまだ行方不明者の捜索が続いており、お亡くなりになった方のご冥福をお祈りします。

 

FC2の方は以下です

http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-809.html

 

 

所で伊豆大島の川島理史(まさふみ)町長、バリバリの共産党員の様ですね。

その間の事情をよもぎねこさんがエントリーしています。

 

日本共産党の大島大虐殺

「防災立島」めざす 大島町長が初の所信表明

http://yomouni.blog.fc2.com/blog-entry-2071.html

 

 詳細はよもぎねこさんのエントリーを見てください。確かにこれでは大虐殺ですが、ちょっとその前に最初から引っかかるモノが有る。

よもぎねこさんは赤旗の記事を引用しているのだが、最初に「大島町長が初の所信表明演説」とある。

ん? 最近選挙が有ったの?、良く読んでいくと4月以来初の・・・と書いてある。

ん? 4月に選挙が有ったの? 違う、2011年4月に当選し今1期目、つまり2年半たって前の初めての所信表明演説だったようだ。

 

 

前置きはこれくらいにして、よもぎねこさんのエントリーを読んでどうにも引っかかるモノが有り、朝早くコンビニに行って「週刊新潮」を買ってきた(私もミ~ハ~です)。

 

何が引っ掛かったのか? 川島理史(まさふみ)町長は前日出発したのにいやに早く帰ってきたことが不審だったから。

週刊新潮を読んでみたら「自衛隊機で帰ってきた。プロペラ機で五月蠅かった」と書いてある。

なるほどそれで分かった。東京都の猪瀬知事が自衛隊に出動を要請したのだと。

 

しかしそんな事は何処も報道していないし、川島町長も自衛隊機で運んでもらった、有難うなどとは言っていないようだ。

 

そこで今日の本論、自衛隊のHPに何をしたのかが公表されている。

彼らがどんな事をしたのか、自衛隊の最初の24時間をたどってみたい。

 

これは10月17日 11時30分現在の公表内容

(つまり大災害発生の16日からの約24時間分)

 

<以下引用>

 

台風26号に伴う行方不明者の捜索活動に係る災害派遣について(11時30分現在)

http://www.mod.go.jp/j/press/news/2013/10/17c.html

 

主な対応状況

【16日(水)】

*引用者注:派遣要請

10時20分東京都知事から第1師団長に対し、災害派遣要請

(じ後、隷下航空部隊は天候回復の状況を注視し待機。)

11時28分東部方面航空隊のUH-1(2機)が情報収集のため立川駐屯地を離陸。

11時34分東部方面航空隊のUH-1(1機)が情報収集のため立川駐屯地を離陸。

(上記3機は、13時11分館山基地に着陸、給油後、再び偵察を実施し立川に着陸。)

*引用者注:第1陣出発

11時57分第1普通科連隊のFAST-Force(人員約10名)がUH-60JA(1機)にて練馬駐屯地を離陸12時40分現地到着以降、行方不明者捜索活動を開始。(夜間については、投光器を用いて引き続き捜索活動を継続、以下同様)

*引用者注:第2陣出発

12時28分第1普通科連隊の捜索部隊(人員約40名)がUH-1(4機)にて練馬駐屯地を離陸、13時04分現地到着以降、行方不明者捜索活動を開始。

*引用者注:第3陣出発

12時48分第1普通科連隊の一次増援部隊(人員約30名、車両1両)がCH-47JA(2機)にて朝霞駐屯地を離陸、13時18分到着以降、行方不明者捜索活動を開始。

*引用者注;患者空輸

13時52分第21航空群のUH-60J(1機)が患者空輸のため館山基地を離陸、15時04分現地到着後、3名の患者を収容。

*引用者注:患者空輸

15時07分第21航空群のUH-60J(1機)が患者空輸のため館山基地を離陸、15時21分現地到着後、2名の患者を収容。

 

*引用者注:大島町長を空輸・・・この美保基地は米子空港内にある

15時12分第3輸送航空隊のC-1(1機)が大島町長(他2名)の輸送のため、美保基地を離陸、隠岐の島を経由し、16時53分大島空港到着。

 

17時04分第2輸送航空隊のC-1(1機)が警視庁の機動部隊(人員22名)及び国交省のTEC-FORCE(人員2名)の人員空輸のため、入間基地を離陸、17時27分大島空港到着。

18時00分防衛大臣、防衛副大臣、防衛大臣政務官より、今後の自衛隊の対応要領について指示。(特に、増援部隊及び適切な資機材の早期投入。関係省庁との連携について留意すること。)

19時30分第2輸送航空隊のC-1(1機)が警視庁の増援部隊(人員47名)の人員空輸のため、入間基地を離陸、19時52分大島空港到着。

21時19分第2輸送航空隊のC-1(1機)が国土交通省のTEC-FORCE(人員5名)及び消防応援部隊(第1派:人員19名)の人員空輸のため、入間基地を離陸、21時47分大島空港到着。

 

*引用者注:大型輸送艦出発【現地は接岸ができないため、エアクッショ

21時30分第1輸送隊の輸送艦(おおすみ)が広島湾から横須賀に向けて出発。(18日の午前中に到着予定、じ後の災害派遣活動を想定して進出するもの。) 

*引用者注:【現地は接岸ができないため、エアクッション型揚陸艇(LCAC)2隻で輸送に当たる】その為に、わざわざ、おおすみを派遣した様です。

 

22時34分第2輸送航空隊のC-1(1機)が消防応援部隊(第2派:人員1名、車両1両)の人員等空輸のため、入間基地を離陸、23時02分大島空港到着。

22時51分第2輸送航空隊のC-1(1機)が消防応援部隊(第3派:人員1名、車両1両)の人員等空輸のため、入間基地を離陸、23時24分大島空港到着。

23時53分第34普通科連隊の二次増援部隊(第1派)(人員約10名、車両1両)が第2輸送航空隊のC-1(1機)にて静浜基地を離陸、17日00時17分到着以降、行方不明者捜索活動を開始。

【17日(木)】

00時23分第34普通科連隊の二次増援部隊(第2派)(人員約30名)が第2輸送航空隊のC-1(1機)にて静浜基地を離陸、00時38分到着以降、行方不明者捜索活動を開始。

00時56分第34普通科連隊の二次増援部隊(第3派)(人員約30名)が第2輸送航空隊のC-1(1機)にて静浜基地を離陸、01時14分到着以降、行方不明者捜索活動を開始。

03時26分第34普通科連隊の三次増援部隊(第1派)(人員約40名)が第2輸送航空隊のC-1(1機)にて入間基地を離陸、03時49分到着以降、行方不明者捜索活動を開始

03時42分第34普通科連隊の三次増援部隊(第2派)(人員約40名)が第2輸送航空隊のC-1(1機)にて入間基地を離陸、04時15分到着以降、行方不明者捜索活動を開始

04時16分第1普通科連隊の四次増援部隊(人員約40名)が第2輸送航空隊のC-1(1機)にて入間基地を離陸、04時42分到着以降、行方不明者捜索活動を開始

04時44分第2輸送航空隊のC-1(1機)が緊急消防援助隊(横浜)(第1派:人員7名)の人員等空輸のため、入間基地を離陸、05時09分大島空港到着。

05時21分第2輸送航空隊のC-1(1機)が緊急消防援助隊(横浜)(第2派:人員2名、車両2両)の人員等空輸のため、入間基地を離陸、05時49分大島空港到着。

07時48分東部方面航空隊のUH-1(2機)が情報収集のため立川駐屯地を離陸、10時00分立川駐屯地着陸。

10時31分第2輸送航空隊のC-1(1機)が警視庁の特科車両隊等(第1派:人員33名)

 

<引用終り>

 

以上が猪瀬知事が自衛隊に災害派遣を要請してからの24時間の出動状況です。

その中には出張中の町長を隠岐島から伊豆大島まで運んだものも含まれます。

 

 

時間を追って見ると夜を徹して、準備できた部隊から次々に出動していくことが分かります。

また大型輸送艦(おおすみ)がエアークッション型揚陸艇と重機を運んでいますが、これも出動要請のその日に出動、遥々広島県の呉から伊豆大島に向かっています。

 

この24時間の出動状況を見ると自衛隊の存在がいかに大きな力になっているかが良く分かります。

そして彼らが常日頃の鍛錬や設備のメンテ、燃料や食料の管理などにどれだけ努力し、いざと言うときに備えているか、そんな事を再認識させられます。

 

こんな事を是非とも多くの人に知って貰いたいものです。

 

 

所で話は変わりますが、笑韓流家元ご隠居さんの昨日のブログにこんなモノが有ります。

「不良品だらけの韓国軍装備、有事の際どうなるか」

http://tosi.iza.ne.jp/blog/entry/3210956/

 

内容はどうぞ読んでみてください(笑)。

若し日本の自衛隊が今回のケースで韓国軍並の状況だったら・・・

 

まあどんな事になるか、考えただけでもぞっとします。

未だに韓国アゲに狂奔している犬HK、アカヒ、侮日さん方にはこの現実、多分見えないんでしょうねえ。

 

 

  1. 社会一般
  2. TB(0)
  3. CM(13)

2013-10-26 16:39

自衛隊の24時間

 27号、28号とたて続けにやってきた台風。どうやら伊豆大島も直撃は免れたようで良かったです。しかしまだ行方不明者の捜索が続いており、お亡くなりになった方のご冥福をお祈りします。

所で伊豆大島の川島理史(まさふみ)町長、バリバリの共産党員の様ですね。
その間の事情をよもぎねこさんがエントリーしています。

日本共産党の大島大虐殺
「防災立島」めざす 大島町長が初の所信表明
http://yomouni.blog.fc2.com/blog-entry-2071.html

 詳細はよもぎねこさんのエントリーを見てください。確かにこれでは大虐殺ですが、ちょっとその前に最初から引っかかるモノが有る。
よもぎねこさんは赤旗の記事を引用しているのだが、最初に「大島町長が初の所信表明演説」とある。
ん? 最近選挙が有ったの?、良く読んでいくと4月以来初の・・・と書いてある。
ん? 4月に選挙が有ったの? 違う、2011年4月に当選し今1期目、つまり2年半たって初めての所信表明演説だったようだ。


前置きはこれくらいにして、よもぎねこさんのエントリーを読んでどうにも引っかかるモノが有り、朝早くコンビニに行って「週刊新潮」を買ってきた(私もミ~ハ~です)。

何が引っ掛かったのか? 川島理史(まさふみ)町長は前日出発したのにいやに早く帰ってきたことが不審だったから。
週刊新潮を読んでみたら「自衛隊機で帰ってきた。プロペラ機で五月蠅かった」と書いてある。
なるほどそれで分かった。東京都の猪瀬知事が自衛隊に出動を要請したのだと。

しかしそんな事は何処も報道していないし、川島町長も自衛隊機で運んでもらった、有難うなどとは言っていないようだ。

そこで今日の本論、自衛隊のHPに何をしたのかが公表されている。
彼らがどんな事をしたのか、自衛隊の最初の24時間をたどってみたい。

これは10月17日 11時30分現在の公表内容
(つまり大災害発生の16日からの約24時間分)

<以下引用>

台風26号に伴う行方不明者の捜索活動に係る災害派遣について(11時30分現在)
http://www.mod.go.jp/j/press/news/2013/10/17c.html

主な対応状況
【16日(水)】
*引用者注:派遣要請
10時20分 東京都知事から第1師団長に対し、災害派遣要請。
(じ後、隷下航空部隊は天候回復の状況を注視し待機。)
11時28分 東部方面航空隊のUH-1(2機)が情報収集のため立川駐屯地を離陸。
11時34分 東部方面航空隊のUH-1(1機)が情報収集のため立川駐屯地を離陸。
(上記3機は、13時11分館山基地に着陸、給油後、再び偵察を実施し立川に着陸。)
*引用者注:第1陣出発
11時57分 第1普通科連隊のFAST-Force(人員約10名)がUH-60JA(1機)にて練馬駐屯地を離陸、12時40分現地到着以降、行方不明者捜索活動を開始。(夜間については、投光器を用いて引き続き捜索活動を継続、以下同様)
*引用者注:第2陣出発
12時28分 第1普通科連隊の捜索部隊(人員約40名)がUH-1(4機)にて練馬駐屯地を離陸、13時04分現地到着以降、行方不明者捜索活動を開始。
*引用者注:第3陣出発
12時48分 第1普通科連隊の一次増援部隊(人員約30名、車両1両)がCH-47JA(2機)にて朝霞駐屯地を離陸、13時18分到着以降、行方不明者捜索活動を開始。
*引用者注;患者空輸
13時52分 第21航空群のUH-60J(1機)が患者空輸のため館山基地を離陸、15時04分現地到着後、3名の患者を収容。
*引用者注:患者空輸
15時07分 第21航空群のUH-60J(1機)が患者空輸のため館山基地を離陸、15時21分現地到着後、2名の患者を収容。

*引用者注:大島町長を空輸・・・この美保基地は米子空港内にある
15時12分 第3輸送航空隊のC-1(1機)が大島町長(他2名)の輸送のため、美保基地を離陸、隠岐の島を経由し、16時53分大島空港到着。

17時04分 第2輸送航空隊のC-1(1機)が警視庁の機動部隊(人員22名)及び国交省のTEC-FORCE(人員2名)の人員空輸のため、入間基地を離陸、17時27分大島空港到着。
18時00分 防衛大臣、防衛副大臣、防衛大臣政務官より、今後の自衛隊の対応要領について指示。(特に、増援部隊及び適切な資機材の早期投入。関係省庁との連携について留意すること。)
19時30分 第2輸送航空隊のC-1(1機)が警視庁の増援部隊(人員47名)の人員空輸のため、入間基地を離陸、19時52分大島空港到着。
21時19分 第2輸送航空隊のC-1(1機)が国土交通省のTEC-FORCE(人員5名)及び消防応援部隊(第1派:人員19名)の人員空輸のため、入間基地を離陸、21時47分大島空港到着。

*引用者注:大型輸送艦出発
21時30分 第1輸送隊の輸送艦(おおすみ)が広島湾から横須賀に向けて出発。(18日の午前中に到着予定、じ後の災害派遣活動を想定して進出するもの。) 
*引用者注:【現地は接岸ができないため、エアクッション型揚陸艇(LCAC)2隻で輸送に当たる】その為に、わざわざ、おおすみを派遣した様です。

22時34分 第2輸送航空隊のC-1(1機)が消防応援部隊(第2派:人員1名、車両1両)の人員等空輸のため、入間基地を離陸、23時02分大島空港到着。
22時51分 第2輸送航空隊のC-1(1機)が消防応援部隊(第3派:人員1名、車両1両)の人員等空輸のため、入間基地を離陸、23時24分大島空港到着。
23時53分 第34普通科連隊の二次増援部隊(第1派)(人員約10名、車両1両)が第2輸送航空隊のC-1(1機)にて静浜基地を離陸、17日00時17分到着以降、行方不明者捜索活動を開始。
【17日(木)】
00時23分 第34普通科連隊の二次増援部隊(第2派)(人員約30名)が第2輸送航空隊のC-1(1機)にて静浜基地を離陸、00時38分到着以降、行方不明者捜索活動を開始。
00時56分 第34普通科連隊の二次増援部隊(第3派)(人員約30名)が第2輸送航空隊のC-1(1機)にて静浜基地を離陸、01時14分到着以降、行方不明者捜索活動を開始。
03時26分 第34普通科連隊の三次増援部隊(第1派)(人員約40名)が第2輸送航空隊のC-1(1機)にて入間基地を離陸、03時49分到着以降、行方不明者捜索活動を開始
03時42分 第34普通科連隊の三次増援部隊(第2派)(人員約40名)が第2輸送航空隊のC-1(1機)にて入間基地を離陸、04時15分到着以降、行方不明者捜索活動を開始
04時16分 第1普通科連隊の四次増援部隊(人員約40名)が第2輸送航空隊のC-1(1機)にて入間基地を離陸、04時42分到着以降、行方不明者捜索活動を開始
04時44分 第2輸送航空隊のC-1(1機)が緊急消防援助隊(横浜)(第1派:人員7名)の人員等空輸のため、入間基地を離陸、05時09分大島空港到着。
05時21分 第2輸送航空隊のC-1(1機)が緊急消防援助隊(横浜)(第2派:人員2名、車両2両)の人員等空輸のため、入間基地を離陸、05時49分大島空港到着。
07時48分 東部方面航空隊のUH-1(2機)が情報収集のため立川駐屯地を離陸、10時00分立川駐屯地着陸。
10時31分 第2輸送航空隊のC-1(1機)が警視庁の特科車両隊等(第1派:人員33名)

<引用終り>

以上が猪瀬知事が自衛隊に災害派遣を要請してからの24時間の出動状況です。
その中には出張中の町長を隠岐島から伊豆大島まで運んだものも含まれます。


時間を追って見ると夜を徹して、準備できた部隊から次々に出動していくことが分かります。
また大型輸送艦(おおすみ)がエアークッション型揚陸艇と重機を運んでいますが、これも出動要請のその日に出動、遥々広島県の呉から伊豆大島に向かっています。

この24時間の出動状況を見ると自衛隊の存在がいかに大きな力になっているかが良く分かります。
そして彼らが常日頃の鍛錬や設備のメンテ、燃料や食料の管理などにどれだけ努力し、いざと言うときに備えているか、そんな事を再認識させられます。

こんな事を是非とも多くの人に知って貰いたいものです。


所で話は変わりますが、笑韓流家元ご隠居さんの昨日のブログにこんなモノが有ります。
「不良品だらけの韓国軍装備、有事の際どうなるか」
http://tosi.iza.ne.jp/blog/entry/3210956/

内容はどうぞ読んでみてください(笑)。
若し日本の自衛隊が今回のケースで韓国軍並の状況だったら・・・

まあどんな事になるか、考えただけでもぞっとします。
未だに韓国アゲに狂奔している犬HK、アカヒ、侮日さん方にはこの現実、多分見えないんでしょうねえ。

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2013-10-25 15:17

五平餅の由来と伝播<広重と五平餅の続編です

  広重と五平餅の話の続編として五平餅の由来と伝播についてまとめました。

最近東海地方ならどこでも手に入る五平餅ですが、その由来などは諸説入り乱れています。

 

参考までにウィキペディアで五平餅と言う項目が有ります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%B9%B3%E9%A4%85

 

 

しかし此処で五平餅の由来はと言うと

江戸時代中期頃に木曽・伊那地方の山に暮らす人々によって作られていたものが起源というのが濃厚である。米が貴重であった時代、ハレの食べ物として祭りや祝いの場で捧げられ、食べられていた。」 こうなっている。

 

 私が昭和40年代に五平餅を探して奥三河や東濃・南信を走り回った頃に聞いた話で肝心な部分、それは「ハレの食べ物として祭りや祝いの場で捧げられ、食べられた」、こんな事。

そして伝統的な五平餅は「わらじ型」といってこんな形。

 

昔ながらの五平餅は本当にわらじ並みの大きさ、現在は食べやすさの為小さめになっている。

 

 

そこで3年前こんなエントリーをした。

五平餅の話

http://tansoku159.iza.ne.jp/blog/entry/1752072/

 

ここで長野県木曽谷の中山道妻籠(つまご)の宿から伊那谷の飯田に抜ける街道の宿場、大平の宿でこんなモノを見つけた。

五平餅は大平の宿が発祥の地なのだと言う。

 

 

此処に書いてある文章はこんな風

 

五平餅の由来

 今を去ること二百数十余年前の大昔、

この大平部落の開祖「山田信七」が開発した

同じ頃、大蔵五平という杣師(そまし:キコリ)が

住んで居たとの事。

 その五平が山仕事に毎日弁当(昼飯)には

必ずにぎり飯を平にし味噌をつけ、それを

火で焼いて食するのが常食だったとの事。

 (当時はわらじの型で五平五合と言って

 1人でこの位い食したとの言い伝え)

 これを見た連れの者達が、五平餅と名付け

春と秋の山の神の祭りのごちそうとして、

又来客の接待など今に伝わっている。

 (五平餅の発祥の地がこの大平部落であり

      今では全国に伝わっている)

                加藤

 

所でその大平の宿は現在廃村になっているのだが、その村の由来がどうなっているかwikiに依れば

「江戸時代中期(宝暦4年、1754年)、伊那谷と中山道の妻籠宿を結ぶため、飯田藩によって大平街道が建設された。

そして木地師の大蔵五平治と穀商人の山田屋新七が、信濃飯田藩から許可を得て開墾したことに始まる。」

 

この話は上掲の看板の内容と符合する。つまり大蔵五平とは大蔵五平治の事。

そして街道開通の翌年には藩主が此処を通って上京し、その折五平治の家で休息したことが記録されている。

恐らく五平治はこの村の庄屋だったのだろう。

 

 

そして杣(そま、きこり)がどんな風に仕事をしていたか、それが良く分かる資料が有る。

岐阜県の坂下町、現在の岐阜県中津川市坂下の鎌田宮雄氏が昭和59年に出版した「ふるさと坂下」と言う本が有る。現在これはネットで見られるのだがここに戦前の杣の様子が古老などの聞き取りを中心にまとめられている。

ふるさと坂下

杣と日用

http://www.takenet.or.jp/~ryuuji/saka/furusato/110.html

 

此処を見ると杣の仕事は山に入るのが4月1日(江戸時代は八十八夜の前の晩)、そこで先ず山の神に山の安全を願って祈りをささげてから山に入る。

山に入ったら月一度の休み以外は働きっぱなし。そして休みには山の神を祀って五平餅を食べたり酒を飲んだり、そんな生活が晩秋まで続いたとの事。

山中の杣の小屋での休日。

 

 

 こんな仕事をしていた男衆が冬になると山里の家に帰ってくる。

そんな所で山の神を祀る山の講で五平餅を食べた、この経験が山里の習慣になったようである。

 

つまり五平餅の由来は、最初は大平宿の大蔵五平さん(五平治さん)、

それが山仕事の共同生活で山の男たち(杣、きこり)の習慣になり、それぞれの故郷の山里の習慣になった。

 

そんな事が言えるようである。

 

最後に山里の山の講まつりがどんなものか、それが分かる事例を紹介しよう。

 

これは中津川市加子母の方のブログ。

http://blog.goo.ne.jp/kashimo-michi/e/27850d39d590d282e4e4a8e089d2dde0

 

山の講まつり

 

2007年02月07日 | 加子母情報

 

 

毎年この時期、加子母では地区ごとに「山の講まつり」があります。

道の駅のベテランスタッフも五平餅づくりにかりだされて、写真のような大きな五平餅を持ち帰ってきました。木の部分は「サワラ」です。

米の部分も美味しかったですが、手作りの五平の味噌ダレが絶品でした。

 

次回の山の講では、道の駅独自で五平餅イベントをやりたいものです。

山の神(女)に捧げる、この時期限定の五平餅の形に、お客様もきっと驚く(喜ばれる?)ことでしょう。

 

●●山の講とは●●

山の講は毎年2月7日と12月7日の2回で、木で作った山仕事の道具や男根、小豆飯、いわしの丸干し、それに御神酒を供えます。

神事がすむと火を焚き暖をとりながら飲食。

山の講には山で働く者全員が参加し、もしこの日山で働くとケガをするといういい伝えがあったから。山の神は女神で、女性は参加できない。

男根が供えられるのもそんなところに理由があるようです。

 

 

最後に蛇足中の蛇足、山の講は、山は女性は入ってはいけない、この事について。

上掲の山中の小屋に若し女性が入ってきたら・・・

何か月も女っ気なしで暮らしていた山の男衆、何が起こるか分からない。

(早く言えば従軍慰安婦状態・・・)

そんな事で間違いを防ぐため山の神は「女」、だから人間の女は入ってはいけないという事になっているとの説もある。

山の神が何故女かは諸説あるが、その一つという事で。

 

 

FC2のエントリーはこちらです

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2013-10-25 15:14

五平餅の由来と伝播<広重と五平餅の続編です

 広重と五平餅の話の続編として五平餅の由来と伝播についてまとめました。
最近東海地方ならどこでも手に入る五平餅ですが、その由来などは諸説入り乱れています。

参考までにウィキペディアで五平餅と言う項目が有ります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%B9%B3%E9%A4%85


しかし此処で五平餅の由来はと言うと
「江戸時代中期頃に木曽・伊那地方の山に暮らす人々によって作られていたものが起源というのが濃厚である。米が貴重であった時代、ハレの食べ物として祭りや祝いの場で捧げられ、食べられていた。」 こうなっている。

 私が昭和40年代に五平餅を探して奥三河や東濃・南信を走り回った頃に聞いた話で肝心な部分、それは「ハレの食べ物として祭りや祝いの場で捧げられ、食べられた」、こんな事。
そして伝統的な五平餅は「わらじ型」といってこんな形。
2013-10-25わらじ型五平餅


昔ながらの五平餅は本当にわらじ並みの大きさ、現在は食べやすさの為小さめになっている。


そこで3年前こんなエントリーをした。
五平餅の話
http://tansoku159.iza.ne.jp/blog/entry/1752072/

ここで長野県木曽谷の中山道妻籠(つまご)の宿から伊那谷の飯田に抜ける街道の宿場、大平の宿でこんなモノを見つけた。
五平餅は大平の宿が発祥の地なのだと言う。
2013-10-25大平宿の看板



此処に書いてある文章はこんな風

五平餅の由来
 今を去ること二百数十余年前の大昔、
この大平部落の開祖「山田信七」が開発した
同じ頃、大蔵五平という杣師(そまし:キコリ)が
住んで居たとの事。
 その五平が山仕事に毎日弁当(昼飯)には
必ずにぎり飯を平にし味噌をつけ、それを
火で焼いて食するのが常食だったとの事。
 (当時はわらじの型で五平五合と言って
 1人でこの位い食したとの言い伝え)
 これを見た連れの者達が、五平餅と名付け
春と秋の山の神の祭りのごちそうとして、
又来客の接待など今に伝わっている。
 (五平餅の発祥の地がこの大平部落であり
      今では全国に伝わっている)
                加藤

所でその大平の宿は現在廃村になっているのだが、その村の由来がどうなっているかwikiに依れば
「江戸時代中期(宝暦4年、1754年)、伊那谷と中山道の妻籠宿を結ぶため、飯田藩によって大平街道が建設された。
そして木地師の大蔵五平治と穀商人の山田屋新七が、信濃飯田藩から許可を得て開墾したことに始まる。」

この話は上掲の看板の内容と符合する。つまり大蔵五平とは大蔵五平治の事。
そして街道開通の翌年には藩主が此処を通って上京し、その折五平治の家で休息したことが記録されている。
恐らく五平治はこの村の庄屋だったのだろう。


そして杣(そま、きこり)がどんな風に仕事をしていたか、それが良く分かる資料が有る。
岐阜県の坂下町、現在の岐阜県中津川市坂下の鎌田宮雄氏が昭和59年に出版した「ふるさと坂下」と言う本が有る。現在これはネットで見られるのだがここに戦前の杣の様子が古老などの聞き取りを中心にまとめられている。
ふるさと坂下
杣と日用
http://www.takenet.or.jp/~ryuuji/saka/furusato/110.html

此処を見ると杣の仕事は山に入るのが4月1日(江戸時代は八十八夜の前の晩)、そこで先ず山の神に山の安全を願って祈りをささげてから山に入る。
山に入ったら月一度の休み以外は働きっぱなし。そして休みには山の神を祀って五平餅を食べたり酒を飲んだり、そんな生活が晩秋まで続いたとの事。

山中の杣の小屋での休日。
2013-10-25杣の休日


 こんな仕事をしていた男衆が冬になると山里の家に帰ってくる。
そんな所で山の神を祀る山の講で五平餅を食べた、この経験が山里の習慣になったようである。

つまり五平餅の由来は、最初は大平宿の大蔵五平さん(五平治さん)、
それが山仕事の共同生活で山の男たち(杣、きこり)の習慣になり、それぞれの故郷の山里の習慣になった。

そんな事が言えるようである。

最後に山里の山の講まつりがどんなものか、それが分かる事例を紹介しよう。

これは中津川市加子母の方のブログ。
http://blog.goo.ne.jp/kashimo-michi/e/27850d39d590d282e4e4a8e089d2dde0

山の講まつり

2007年02月07日 | 加子母情報
2013-10-25加子母の五平餅



毎年この時期、加子母では地区ごとに「山の講まつり」があります。
道の駅のベテランスタッフも五平餅づくりにかりだされて、写真のような大きな五平餅を持ち帰ってきました。木の部分は「サワラ」です。
米の部分も美味しかったですが、手作りの五平の味噌ダレが絶品でした。

次回の山の講では、道の駅独自で五平餅イベントをやりたいものです。
山の神(女)に捧げる、この時期限定の五平餅の形に、お客様もきっと驚く(喜ばれる?)ことでしょう。

●●山の講とは●●
山の講は毎年2月7日と12月7日の2回で、木で作った山仕事の道具や男根、小豆飯、いわしの丸干し、それに御神酒を供えます。
神事がすむと火を焚き暖をとりながら飲食。
山の講には山で働く者全員が参加し、もしこの日山で働くとケガをするといういい伝えがあったから。山の神は女神で、女性は参加できない。
男根が供えられるのもそんなところに理由があるようです。


最後に蛇足中の蛇足、山の講は、山は女性は入ってはいけない、この事について。
上掲の山中の小屋に若し女性が入ってきたら・・・
何か月も女っ気なしで暮らしていた山の男衆、何が起こるか分からない。
(早く言えば従軍慰安婦状態・・・)
そんな事で間違いを防ぐため山の神は「女」、だから人間の女は入ってはいけないという事になっているとの説もある。
山の神が何故女かは諸説あるが、その一つという事で。

  1. 社会一般
  2. TB(0)
  3. CM(0)

2013-10-24 22:06

広重と五平餅の話

 読売新聞の中部版に「広重をたどって 中山道編」という特集記事が有る。
毎週土曜日の名古屋圏欄に掲載されているのだが、私は昔から浮世絵好き。
何せ今から40年も前に北斎・歌麿・広重の浮世絵画集を買ったくらい 、安月給でよくぞあんな高価なモノを買ったなあ・・

その広重と私の好きな五平餅とくれば、これは話題にするしかあるまい。
という事で最初に挨拶代わりに広重の中山道の浮世絵の代表作の一つを。

これは中山道大井の宿、今の岐阜県恵那市である。
(恵那市中心部に大井という地名は残っている)
2013-10-24広重中山道69次大井宿縮小版


降りしきる雪の中をゆく旅人を正面からとらえたもの。
現在の恵那市では多分こんな雪は滅多に降らないだろう。江戸時代は寒かった、そんな空気が伝わってくる。
尚この画像、浮世絵が大きすぎて私の小さなスキャナーでは上下左右が入りきらないので少しずつ切れている。ご容赦を。

これから地球は寒冷化に向かうが、多分何年か先にはこんな景色が当たり前になるかも・・ ちょっとこの話は別の機会に。


さて本題に入ります。

以下読売新聞の記事、尚この記事はリンク先を見ると会員以外は読めないようになっているので全文引用します。

<以下引用>

[広重をたどって 中山道編]庶民の宿 庶民の味=中部発
2013年10月12日15時25分 読売新聞
五平餅


 歌川広重が御嶽(御嵩)宿(岐阜県御嵩町)で描いた浮世絵に「きちん宿」が登場する。薪炭の代金(木賃)だけを支払い、自炊した木賃宿のことだ。庶民の宿の原型で、後に食事も出す旅籠(はたご)となったが、裕福でない旅人にとっては、むしろ敷きで雑魚寝の木賃宿でもありがたかった。浮世絵ではちょうど釜の湯が沸いている。持参した乾飯(ほしいい)にかければ夕食となった。
2013-10-24木賃宿写真


(注:この画像は私の持っている画集から写真にしたもの)

 地元の会社員奥村正広さん(57)に宿場を案内してもらった。子どもの夏休みの宿題で、一緒に町内の句碑を研究したのがきっかけで郷土史に目覚め、今では教員向けの雑誌に寄稿するほどになった。2年後に開創1200年を迎える古刹(こさつ)、願興寺を訪ねると、顔なじみという住職の小川文甫(ぶんぽ)さん(68)が草むしりをしていた。本堂とともに伝教大師作と伝わる本尊など24体の仏像が重要文化財となっている。しかし、なぜか荘厳さより親近感を覚えた。

 戦国末期、甲斐の武田勢に伽藍(がらん)を焼かれた。再建したのは地元の農民たちで、「都から宮大工を呼ぶ余力はなく、柱も板も村人の寄進でそろえ、ようやく造営したのです」と小川さん。本堂を一巡りする回廊は幅が4メートルもある。異例の形は「宿場が整備される以前、旅人たちに夜露をしのぐ場所を提供するため」でもあったという。同寺の醸す親近感とは、広重の浮世絵に通じる庶民性だったのだ。
2013-10-24馬篭宿のだんご型五平餅


 ところで、木曽路から旧宿場を訪ね歩いてきた取材で、いつも空腹を癒してくれたのは、それぞれの宿場で売られている五平餅だった。郷土の味とうたわれることも多い。馬籠宿(同県中津川市)では島崎藤村の小説「夜明け前」にも登場すると聞かされたが、「聞き書 岐阜の食事」(「日本の食生活全集」第21巻)などによると、御嵩町が五平餅の西限だった。

 「我が家では作る風習はありませんが」と西限説に首をかしげる奥村さんと、願興寺の隣接地に同町観光協会が出店する「みたけ茶屋」をのぞいた。五平餅があった。責任者の土本直子さん(60)によると、家に伝わるみそだれの味をそのまま再現しているのだという。ただ「本当はわらじ型で、食べやすさを考えて」だんごを押しつぶした丸平だんご型としていた。

 庶民の味だったせいか、五平餅の研究は少なく、恵那市の郷土史家で昨年、85歳で亡くなった安藤利道さんのまとめた「五平餅味栗毛」がほぼ唯一の例。岐阜県東濃地方、長野県木曽・伊那地方、愛知県奥三河などに分布し、そのカタチは10種類に分かれる。たれのみそ、しょうゆの違いも加味すれば分類はさらに複雑になるそうだ。

 安藤さん以降、県内で研究の後継者は出ていない。一方、愛知県豊田市では3年前に「とよた五平餅学会」が誕生した。同市職員で、今のところ唯一の学会学芸員、天野博之さん(44)は分布の理由、そして御嵩町が西限の理由も説明できるという。そのことは次回に。(千田龍彦)

http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20131012-120-OYT8T00673/list_CHUBU%255fRENSAI%2509%25E5%25BA%2583%25E9%2587%258D%25E3%2582%2592%25E3%2581%259F%25E3%2581%25A9%25E3%2581%25A3%25E3%2581%25A6%25E3%2580%2580%25E4%25B8%25AD%25E5%25B1%25B1%25E9%2581%2593%25E7%25B7%25A8_0/list_CHUBU

[広重をたどって 中山道編]存亡かけた街道間競争=中部発
2013年10月19日15時25分 読売新聞
庶民の道

 前回を受けて五平餅の話から始める。「五平餅味栗毛」をまとめた故・安藤利道さん、愛知県豊田市職員で「とよた五平餅学会」学芸員天野博之さん(44)はともに「五平餅の発祥は山の神をまつる山の講の御供え」としている。さらに天野さんは、五平餅の分布が、三河湾で作られた塩を奥三河や信州、美濃へと運んだ塩の道や、目的地まで同じ馬で荷を運ぶ「中馬」の通った街道網と重なることに注目。「馬を引く馬子たちによって広められ、やがて地域ごとに特色が加わったのでは」と推測する。

 岐阜県御嵩町が五平餅分布の西限となった理由も「同町の伏見宿より先は水運が可能で、馬による搬送との境界の一つだったからです」(天野さん)という。


広重は伏見宿近くの大杉の下で休息する巡礼たちを描いた(中山道広重美術館所蔵「木曽海道六拾九次之内」より) (注:画像省略)

 水運の拠点となったのは、伏見宿から北へ約600メートル、木曽川左岸の崖下にある新村湊(しんむらみなと)で、下流の同県笠松や三重県桑名の間に定期船が出た。年貢米や茶、陶器、薪、炭などを積み込み、油、塩、昆布、みそ、畳、タンスなどが陸揚げされた。今では雑木や竹やぶに覆われ、湊跡に近づくことはできないが、崖の上で代々問屋を営んできた日比野弘文さん(53)方には、往時の湊を想像して描かれた水彩画が飾られている。「私が子供の頃は、絵の通りの階段も残っていて、木曽川まで下りて泳いだものです」という。

新村湊を描いた水彩画。「絵の通りの険しい階段が崖上まで続いていました」と日比野さん(注:画像省略)
 ところで、歌川広重が伏見宿で描いた大杉は、中山道沿いにはなく、同宿の西で別れ、小牧宿(愛知県小牧市)経由で名古屋城下へ向かう上(うわ)街道(木曽街道)沿いにそびえていた大杉を借用したものだとされている。江戸との往還で、尾張藩はこの街道を名古屋と中山道を結ぶ公式の道として藩営で整備した。現在の名鉄小牧・広見線と並行する。

 しかし、旅人や商人は大井宿(岐阜県恵那市)と名古屋を勝川(愛知県春日井市)経由で結ぶ下(した)街道、今日の国道19号の方を好んだ。「尾張の街道と村」の著者で春日井市の郷土史家桜井芳昭さん(75)は「大井―名古屋間で比べると、下街道の方が約4里(16キロ)も短く、高低差も少なくて歩きやすかった。中山道や上街道では宿場ごとに荷物を積み替えるため、手間も経費もかかり、中馬を利用できる下街道の方がずっと便利だったのです」という。

 利用者の減少は宿場の存亡にかかわる。このため1624年(寛永元年)、影響を受ける伏見宿など中山道と上街道の宿場が尾張藩に対し、下街道の利用禁止を訴え、同藩はその利用に規制を加えた。しかし、規制には抜け道があり、やがて形だけになって、下街道が盛り返し、規制強化や保護策の訴えは幕末まで繰り返された。「政策より経済原則が勝り、上街道利用の定着は困難でした」と桜井さん。

 ちなみに、新村湊からの水運についても、太田宿(岐阜県美濃加茂市)以西の宿場から、取り扱い荷物量が減ったとの苦情が出ている。(千田龍彦)

http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20131019-120-OYT8T00613/list_CHUBU%255fRENSAI%2509%25E5%25BA%2583%25E9%2587%258D%25E3%2582%2592%25E3%2581%259F%25E3%2581%25A9%25E3%2581%25A3%25E3%2581%25A6%25E3%2580%2580%25E4%25B8%25AD%25E5%25B1%25B1%25E9%2581%2593%25E7%25B7%25A8_0/list_CHUBU

<引用終り>

こんな記事です。

しかし私にはどうも釈然としないものがある。実は私が幼い頃、一番古い記憶が五平餅を食べた事。そんな経緯を3年前のエントリーで書いてみた。
五平餅の話
http://tansoku159.iza.ne.jp/blog/entry/1752072/

だから昔の五平餅については結構知っているのだが、そもそも五平餅と言うのはこんなモノ。
これが昔ながらの五平餅の形、現在でもあちこちで見かける「草鞋(わらじ)型五平餅」
2013-10-23五平餅(八雲団子製)


この写真のモノは現代風に食べやすいように少し小さくしてある。昔のモノは本当のわらじ並みの大きさ、しかし食べる時口の周りに味噌がついて食べにくい。
この為食べやすいようにだんご型などが出来た。

そして私が昭和40年代に五平餅を探して奥三河から東濃・南信の山里を走り回った時知った事。
それは
五平餅は山里で冬に食べるモノ。
それもお祭りとか、お客さんが来たときとかのハレの日に食べるモノ。
こんなモノだった。

という事で五平餅のルーツもその伝播の経緯も良く分かっていないようだ。
ではその五平餅のルーツと伝播の経緯について、その話は次回にエントリーします。
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2013-10-22 20:33

石油危機の痛みを忘れてはならない <日経の社説です

 やっとまともな報道が出てきた。現在日本は原発停止に伴う天然ガス等の燃料輸入増で貿易収支が大赤字。

以前なら「このままでは日本沈没」との大合唱の筈。しかしそんな事は全く聞こえてこない。

遅まきながら日経がエネルギーの安定供給の重要性を言い始めた訳だ。

 

 

<以下日経の社説から>

 

 石油危機の痛みを忘れてはならない 

2013/10/14 3:30

 

 街のネオンが消え、店頭から様々な物資が姿を消した。世界経済に混乱をもたらした第1次石油危機から今月で40年。あの時の痛みを忘れてはいないだろうか。

 

 エネルギーの安定供給は国の発展の基礎である。多様なエネルギーを利用し、無駄な消費を抑える社会を築く歩みを止めてはならない。コストや安全、地球環境問題とバランスがとれた資源確保戦略を改めて考える時である。

 

 日本は石油危機を機に、「脱石油」と「脱中東」を掲げた。だが東日本大震災後に原子力発電所の運転が止まった結果、化石燃料の輸入が急増。原油の中東依存度は危機前の水準に戻ってしまった。

 

 米国ではシェールガスと呼ぶ新型天然ガスの生産が増えている。ロシアやアフリカでも油田やガス田の開発が進む。調達先を広げる努力を怠ってはならない。

 

 調達先の分散は供給国との交渉力を高め、調達価格の引き下げにつながる。太陽光や風力など輸入とは無縁の再生可能エネルギーを育てることや、天然ガスの成分が地中で水と結びついたメタンハイドレートといった日本周辺の海域に眠る国産資源の開発も大切だ。

 

 忘れてはならないのが省エネルギーだ。日本は危機をばねに省エネ技術を磨き、効率の良い製品は日本企業が海外に飛躍する原動力になった。エネルギー消費の増大に直面する新興国に、日本の技術を広げる余地はまだ大きい。

 

 40年前に産油国が石油メジャーから奪い取った原油の価格主導権は、1980年代に市場へと移った。電子取引システムが絶え間なく動く現在の原油市場にはヘッジファンドや年金基金などの資金も入り込む。

 

 「アラブの春」で中東・北アフリカ情勢が混迷した2011年2月には、欧米合わせた1日の原油先物売買高が20億バレルとサウジアラビアの200日分の生産量に匹敵する水準に膨らんだ。米国の金融政策や投資資金の影響を強く受け、1日で相場が急変することも珍しくなくなった。

 

 政府は各国と連携し、原油相場を動かす様々な動きに目配りしていく必要がある。石油危機の73年に変動相場制に移行した為替は、為替予約などによるヘッジが企業に浸透している。多くの原燃料を輸入に頼る日本企業は、エネルギー価格の変動リスクに備えて先物市場などを利用し、経営安定に向けて対応することが求められる。

 

http://www.nikkei.com/article/DGXDZO61061790U3A011C1PE8000/

 

<引用終り>

 

 

日本は大震災以来貿易赤字が続いている。凄まじい金額の赤字である。

しかし貿易収支、貿易外収支を合わせた経常収支(国際収支)は大幅減とは言え黒字だ。

だから日本沈没だなどとは誰も言わないがそれで良いのだろうか?

このグラフを見てほしい。

これは8月8日発表の今年上半期までの経常収支(国際収支)推移

 

大震災以降貿易収支は大赤字である。比較可能な1985年以来の最低水準と言う。

原因は原発停止による天然ガス等の大量輸入だ。

しかしこんな事を言う詐欺師もいる。

 

前回「脱原発詐欺の裏側」をエントリーしたが、こんな詐欺師を日本では総理大臣に頂いていたのだ。

http://tansoku159.iza.ne.jp/blog/entry/3207547/

 

 

数日前近所に住む知人とこんな話をした。

原発が止まっても皆さん日常生活は支障出てないよねえ、でもその為に日本の貿易収支は大変な赤字、昔なら大変だ! 大変だ!の大騒ぎなのだが何も報道されないよねえ、可笑しいでしょ。

実は海外での儲けを国内に送金する所得収支と言うのが黒字が大きく、それで貿易収支の赤字を埋めてトータルは少ないながらも黒字、これが実態です。

この所得収支の黒字は毎月1兆円以上ある、だから皆さんの生活が成り立っているんですよ。こんな話をした。

その知人はそんな事は聞いた事もなかったが、私の話で今までの疑問が解けたと言っていた。

 

上掲グラフで言うと直近の2013年上期(1月~6月)、

貿易収支は6か月間で4兆2382億円の赤字

しかし所得収支は6か月間で8兆6783億円の黒字

トータルで経常収支は3兆2114億円の黒字だった。

日本国内が長いデフレで苦しみながらも海外で利益を上げてきた。

その成果である。

とは言うもののこの黒字額、比較可能な1985年以降で言えば過去最低から2番目のブービー賞、過去最低はひとつ前の2012年下期。

実は危ない綱渡りなのだという事を国民は全く知らされていない。

 

 

長い話になった。冒頭上げた日経の社説、やっと日経がそのカラクリに気が付いてまともな事を言い始めたという事だろう。遅ればせながら良い事だと言える。

 

 

今日のFC2のエントリーはこちらです。

http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-806.html

 

しかしこの所どうも天候が不順ですね。

人間より草木や虫たちが気が付いてきたようです。変な時の新芽が出てきたり・・・

もっと注意深く観察しないといけないですね。

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