2011-07-31 04:49

1週間ほど海の向こうに行ってきます

 明日(8月1日)朝から1週間ほどタイに行ってきます。

帰国は今の所8月8日くらいになる見込み。

その間多分更新は出来ないと思います。

若しその間コメントなど戴いても返事が遅れるかもしれません。

ご了承ください。

 

尚丁度台風の真上を飛んでいく事になりそうですが、台風の目見物が出来たらいいなあ等とアホな事を考えております。

(実際は旅客機は決してそんな危険な所は飛びませんが・・)

 

この季節のタイは日本より涼しい位のはずですが、今回はどうでしょうか。

気になるのはタイの米価がジリジリ値を上げている事ですが、分かりましたら帰国後報告します。

  1. どうでもいい事
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2011-07-28 09:37

生きている毛沢東主義

 中国の高速鉄道事故はあまりにも酷い人命軽視主義を全世界に公表する事になった。

この件で水彩画と歴史が趣味のお絵かき爺様という方が、「まるで毛沢東大躍進政策」とのエントリーをしている。

http://teda.iza.ne.jp/blog/entry/2372293/

 

私も全く同感である。

しかし私は以前からどうしても納得出来ない感じを持っている。

それは「毛沢東の死後直ぐに腹心の四人組が逮捕された。」

しかしその直属のトップたる毛沢東だけは批判されていない。

何故なのだろう。

しかも四人組の1人、江青は毛沢東夫人である。

1976年9月の毛沢東の死の1ヶ月後の10月逮捕され、裁判で死刑判決(後に無期懲役に減刑)、そんな人物の夫が毛沢東なのだ。

 

 

 

所で話はがらりと変わって、毛沢東の器というものを聞いた事があるだろうか。

毛沢東最晩年の1975年(死の1年半ほど前)、毛沢東専用として製作された食器類である。

極秘で製作されたものだが散逸寸前に収集され、2006年~2007年に日本でも公開されたもの。

 

再発見された事を伝える新聞記事

 

これが毛沢東の器

 

参考までにこの器、ただの梅の花の文様が描かれているだけに見えるが、実は釉下彩といって上薬の下に文様を書き1400度で焼成した物。

釉下彩でこんな色の物は今の技術でも殆ど無い

 

 

これは私が持っている毛沢東の器のレプリカ

(本物とは比べようも無いものだが、コレだけ見れば十分美しい)

 

 

 

前置きが長くなった、ここからが本題。

 

この日本での初公開にあたり実際にこの毛沢東の食器製造の関係者が来日、その話を聞く機会があった。

通訳つきで話を聞いたのだが、通訳は日本人、従ってかなり本音の言い易い環境での話。

 

関係者は6人来ていた、絵付けや焼成、現場責任者など主な人物は殆ど来ていた。

 

要点は

1) この仕事をやったのは1975年初めから夏まで、文革の最終段階の頃であった。

そして誰用の食器かは指示は無かったが、皆言われなくても分かっていた、毛沢東用だと。

 

2) 当代最高のものを作れ、この指示だったが、失敗したら殺されると思っていた。

今考えてみても成功してよかったと思う。

その為釉下彩で失敗したときの保険として釉上彩(普通の上絵)でも作った。釉下彩が成功して本当に良かった。

 

 

3) その後文化大革命は否定され、改革開放で世の中はガラリと変わった。

そして世の中豊かになった。しかしあの頃(1975年頃)は良かったと思う。

みんな貧しかった、しかしみんな同じものを着て、同じ生活をしていた。

今は当時とは比べ物にならないくらい豊かになったが、しかし格差が広がってしまった

 

この話を聞いたときの驚きを忘れる事が出来ない。

毛沢東大躍進政策、そしてその後の文化大革命で約4500万人を殺したといわれており、20世紀の世界三大大量殺戮者(毛沢東スターリン・ヒットラー)の筆頭に上げられている。

それでも中国人は「あの頃は貧しくてもみんな平等」、そんな感慨を持っているのである。

 

毛沢東主義はその後カンボジアでも200万人を殺すというポルポト派の蛮行を生んだ。

しかしポルポト派は決して消滅した訳ではない、未だにカンボジアの政権・軍部の中にシッカリ根を張って生き残っている。

現首相フン・センも元はといえばポルポト派の将校だったのである。

(この件は別途エントリーします)

 

そして日本でも毛沢東主義は特に団塊の世代にはシッカリ浸透している

現に奸直人などは毛沢東主義に凝り固まっていると考えて間違いないだろう。

その一例として

 

例えばコレは悪名高い毛沢東大躍進政策の柱、土法炉である。

 

こんなものでマトモな鉄など出来るはずもなく、いたずらに環境破壊しただけなのだ。

煉瓦も無いのにこんなものを作るために寺院を壊して煉瓦を取っていったり、薪が無いので山の木を全部切ってしまったりした。

この為中国は未だに雨が降れば洪水、風が吹けば黄砂、環境は無茶苦茶である。

(日本もおかげで黄砂で大迷惑だ)

 

しかし3.11以降の奸直人の政策は原発対策にせよ、他の政策にせよ、皆この土法炉となんら変わる所は無い。

理屈ぬき、技術軽視でのデタラメ政策は何と良く似ていることか。

最近も電力不足対策で埋蔵電力などと言うアホな事を騒いでいる。

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/254972

 

どう見ても毛沢東の土法炉となんら変わりが無い。

 

毛沢東主義は現代にまで脈々と流れている。

コレを如何するか、これが現代に生きる我々への課題なのだと思う。

  1. 政治iza
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2011-07-21 11:19

台風一過だが

 台風6号は各地に大雨を降らせて去って行った。

しかし異常続きのこの台風、行ってしまったでは済まないのではないだろうか。

 

7月21日6時の天気図

 

四国沖までやってきた台風6号、徳島に上陸と見せて最敬礼して去って行った

今はすごすごと引き下がっていく状態なのだが・・・

台風を追い払ったのがオホーツク海に中心を持つオホーツク海高気圧

 

実はこの時期にこの高気圧が強くなるのは私には気になる。

 

写真愛好家の裏の桜さんも大変気になるらしく、こんな情報をアップしている。

http://dale-alv.iza.ne.jp/blog/entry/2364828/#cmt

 

 

 

 

何故気になるかといえば東北地方の方には大変気になるヤマセの発生(=冷害の発生)する気象条件だからだ。

 

ヤマセの発生する気象条件

出所:水稲冷害早期警戒システム

http://www.tnaes.affrc.go.jp/cgi-bin/reigai.cgi

又は

http://www.reigai.affrc.go.jp/zusetu/kisyo/yamase.html

 

 

上記ヤマセの発生する気象の図は梅雨時のものだが、最初にあげた今日の天気図も引き上げてゆく台風を除けば非常に良く似ている。

 

東北地方は昔から冷害に苦しんできた。

ここにこんな資料がある。

『南部八戸藩飢饉一千年小史』

二本柳正一氏が昭和43年水喰中学校長の時に、ガリ版刷りで発行したものと言う。

(この関係のエントリーはコレを参照ください)

 

今は未だ冷害云々で騒ぐ必要など無い時期かもしれない。

しかし警戒が必要である。

 

 

そしてもう一つ厄介なのがコメの国際価格がタイの政変で値上がりしそうな状況なのだ。

(この件は別途エントリーします)

 

若し不測の事態が起こっても、空き缶政権には会議をするくらいしか能力が無い。

対策など夢のまた夢。

困った事である。

  1. 気候変動
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2011-07-20 07:25

台風6号<異常気象への注意が必要かも

 昨日から台風6号の接近・上陸で被害がでている。

然し今現在でいえばこれから紀伊半島に上陸しそうな構え。

今日昼頃には私の所も頭の上を通る様だ。

 

大変珍しい進路で、四国の直前で急に針路変更。

長時間の大雨などで被害にあわれた方、お見舞い申し上げます。

これから進路の当たられる方、十分なご注意を。

 

所で如何してこんな奇妙な動き方をするかというと、北海道の北に中心を持つオホーツク高気圧が勢力が強い為だ。

 

日本周辺がどうなっているかと言うと

 

梅雨時のようなオホーツク高気圧が頑張っている。

 

 

この図のほうが分かりやすいかも知れない

 

こんな風に北の高気圧が頑張っている。

19日深夜よりも20日夜の方が高気圧が北から張り出し、台風の進路をブロックしているのが分かる。

だから台風といえども直進できず、すごすごと引き下がるしかないようだ。

 

 

然しこの気象、よもぎねこさんが色々報告しているように北海道では大変寒いらしい。

http://yomo-uni.iza.ne.jp/blog/entry/2361689/

 

それもコレも北の寒気団が原因のようだ。

 

そしてヨーロッパでもアチコチで寒いとの話が聞こえてくる。

どうも上空のジェット気流が南に下がってきているとの話もある。

 

まだ不確定だが今回の台風6号のおかしな動きが異常気象の前兆なのかもしれない。

若しそうなれば

「寒さの夏はおろおろ歩き・・・」という事が心配される。

 

当分気象の動向に注意が必要だと思う。

  1. 社会一般iza
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2011-07-12 06:51

ニチレイのタイ合弁工場 カンボジア人従業員が暴動<現地任せ経営のツケです

ニチレイのタイ合弁工場 カンボジア人従業員が暴動

2011/7/11 (14:40)|

【タイ】ニチレイとタイの鶏肉大手GFPTの合弁会社GFPTニチレイ(タイランド)の鶏肉加工工場(タイ東部チョンブリ県)で10日夜、タイ人従業員とカンボジア人従業員のけんかをきっかけに、カンボジア人従業員数百人が暴徒化し、警察の車両数台をひっくり返して火を放ったり、タイ人従業員や警官に投石するなどした。警察は警官多数を動員し周辺の警戒にあたる一方、カンボジア人従業員との話し合いを進め、事態は11日未明に収束した。

 同工場は点検のため11日は休業し、12日に生産を再開する予定。

 GFPTニチレイのチョンブリ工場は生鶏処理場、加熱加工場を備えた日タイ合弁企業としては初の完全一貫生産の大型工場。処理羽数は1日10万―13万羽。従業員はタイ人1700人、カンボジア人1300人の計3000人。昨年10月にはアンモニアが流出する事故が起き、従業員約100人が吐き気や頭痛を訴え病院に運ばれた。
 

 

 

 
 
尚この工場は出来たばかり、(昨年11月から操業)
詳細は以下参照ください。
 
<引用終り>

 

日本人が日頃何気なく食べている鶏肉(チキン)がこんな所から出てくることがよく分かる事例。

昨年11月から操業開始したばかりの会社だが少々気になることが・・

 

従業員3000人のうちタイ人1700人、カンボジア人1300人だという。

この辺りからクルマで3時間も走ればカンボジアである。

然し其処は昔のポルポト派支配地域、貧しいカンボジアでも最も貧しい所。

多分そんな所から労働者を連れてきたのだろう。

当然タイ人とは給料が違うはずだ、問題の種は何時もあるわけだ。

 

そしてこんな所に日本~51%、タイ~49%の会社が出来た。

多分日系企業が最も失敗する「現地に経営をまかせっきり」の会社なのだろう。

 

今日は一報のみ、詳細が分かったら続編をエントリーします。

  1. タイiza
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2011-07-09 21:36

中国が本性を現してきた<タイの話です

 タイの総選挙が終り、新政権の目指すものが見えてきた。

先回もそのデタラメ振りを紹介したが、中国との関係の分かる報道が有ったので紹介。

 

<以下newsclipから引用>

タイ次期首相のインラク氏、中国大使と会談

2011/7/ 8 (18:13)|

【タイ】3日のタイ下院選で勝利したタクシン元首相派政党プアタイの比例代表名簿1位でタクシン氏の妹のインラク・チナワット氏は8日、バンコク都内の党本部で管木駐タイ中国大使と会談した。管木大使は下院選の勝利に祝意を述べ、「中国とタイは兄弟親戚のようなものだ。中国はタイを重視している」と伝えた。

 インラク氏は近く、次期首相に就任する見通し。

 

<引用終り>

 

 最初に次期首相の名前、インラクでは淫楽??で幾らなんでも可哀想ではないか、

正確な発音はカタカナでは表記できないがインラックで良いと思う。

もっと正確にはインラックとジンラックの中間の音である。

 

閑話休題

 

本題である。

中国大使が「中国とタイは兄弟親戚のようなもの」

これが彼らの本音である。

いよいよ本性を現したということだろう。

 

彼らに言わせれば、これでタイは貰った、(鯛は貰った)

そう言う事では無いだろうか。

  1. 自動車
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2011-07-08 22:26

こんなデタラメ政策は混乱の元<タイの事例です

 タイで元首相タクシンの実妹インラック氏率いるタクシン派が勝利した。

そしてその政策が少しずつ見えてきた。

 

<以下引用>

詳細は下記参照ください

http://www.newsclip.be/news/2011707_031366.html

最低賃金4―9割引き上げ タイ新政権の選挙公約に懸念

2011/7/ 7 (02:08)|

【タイ】3日のタイ下院選で過半数を制したタクシン元首相派のプアタイ党は選挙公約に掲げた最低賃金の1日300バーツへの引き上げを実行する構えだ。引き上げ幅は36―89%に上り、影響を懸念する声が上がっている。

 

・・・中略 詳細はリンク先参照ください・・・

 

 プアタイはこのほかに、

大卒者の最低月給1万5000バーツ

バンコクとスワンナプーム空港を結ぶ鉄道「エアポートリンク」の東部パタヤ市までの延長

バンコクと北部チェンマイ、東北部ナコンラチャシマ、東部ラヨンなどを結ぶ高速鉄道網整備

▽バンコク首都圏の電車10路線建設。運賃は全線一律20バーツ

公共の場所(教育機関、観光地、病院など)での無料の無線インターネット

全ての小学生へのタブレット型コンピュータの配布――などを選挙公約に掲げた。

 

・・・以下略・・・

 

<引用終り>

 

最低賃金は県別に決められ、毎年改定されている。

現在の最低賃金と10年前の最低賃金( )内で表示

(注:大手企業を別にすれば殆どがこの金額に近い賃金で働いている)

 

バンコクとその周辺   215バーツ/1日  (165バーツ、+30%)

日系企業の多いチョンブリ・ラヨン  196~189バーツ/1日 (143~133バーツ +37%~42%)

北部チェンマイ    180バーツ/1日   (140バーツ +29%)

最低は北部パヤオ  159バーツ/1日   (133バーツ  +20%)

 

大雑把に言って、タイの最低賃金は10年間で30%~42%アップしてきた。

それを一気に36%~89%アップさせる、こんな事が行なわれようとしている訳だ。

 

さてもう一つこれを見てください。

 

<以下バンコク週報より引用>

 

新政権の最優先課題を発表

 

 タイ貢献党のインラック氏は7月6日、国民和解、物価抑制、近隣国との関係修復、薬物対策などが同党率いる連立政権の最優先課題と発表した。

 国民和解は、タンシン支持不支持を巡る対立が長引いていることから、国民の多くがその実現を望んでいる。

 しかし、親タクシン派と反タクシン派では、互いに相手の和解案を批判しており、タイ貢献党が「和解」をごり押しすれば、逆に政治対立が再燃する可能性が強い。

 近隣国との関係修復についても、反タクシン派は以前から「私利私欲のためにカンボジアと結託した」とタクシン派を批判しており、新政権が領有権争いでカンボジアに譲歩する姿勢を示せば、強い反発にあうことは避けられない。

 なお、インラック氏は首相に就任ししだい、これらの課題に直ちに着手するとしている。

 

 

http://www.bangkokshuho.com/news.aspx?articleid=12465

 

<引用終り>

 

これから就任するインラック氏の発表した最重点政策

誰が見ても矛盾は明らかだ

 

最重点に物価抑制を掲げながら、最低賃金は10年分以上の大幅アップ、例えばバンコクでは215バーツから一気に300バーツと40%アップである。自動車関連の多いラヨン県などは59%アップになる。

 

最低賃金は来年1月からアップとなるが、大卒者の最低月給1万5千バーツは公務員や国営企業の従業員に11年10月から実施するとのことだ。

 

こんな矛盾した政策、実行できるわけが無い。

また財源の裏づけの無いばら撒き政策。破綻は目に見えている。

最初に引用した記事、小学生全部にタブレットPCを配布するなど、やろうとすれば莫大な財源がいる。そんな事無視だ。

 

ただしタクシンには前科がある。

タクシンが首相就任当時のこと、矢張りばら撒き政策をとろうとし、日系企業を対象に猛烈な非公式増税策をとろうとした。

どんな手か。

例えば機械などを持ち込む際の些細な伝票上のミスにつけこんで法外な追徴金を取るなどなど。

 

知人の会社(複数)など、些細な事で因縁をつけられ結局数億円の追徴金を支払う事となった。

多分こんな事が間もなく始まると思う。

困った事である。

 

タクシン派がどんな事をするか予断を許さない。

もう少し様子を見たい。

若し今言っていることをそのままやろうとすれば破綻は免れない。

 

社会主義を信奉し、バラマキをしようとする政権、日本と同じでは無いか。混乱必死である。

  1. タイiza
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2011-07-06 22:42

日本は誇り高きB級国家でいいじゃないの<そのまた続き、没落したらハイエナの餌食

 またまたB級国家の話です。くどいと思われるでしょうがご容赦を。

昔A級国家、今C級国家の例として先回カンボジアを紹介した。

今回は同じくカンボジアだが現代の話。

 

 

フランスの植民地だったカンボジアが独立したのが1953年の事。

その後も政治的に安定せず、共産主義勢力が台頭し、悪名高いクメール・ルージュ(ポルポト派)が首都プノンペンの陥落させたのが1975年4月17日の事。

プノンペン市民は大歓迎したのだが、それはその日の夕方まで。その日の夜クメール・ルージュ(ポルポト派)の兵士は全てのプノンペン市民を強制連行。大虐殺が始まったのである。

 

大虐殺についてはこれを参照ください。 

http://members.jcom.home.ne.jp/invader/works/works_8_d.html

人口800万のカンボジアで4年間に150万とも300万とも言われる人が殺されたのだ。

但しこれ、最初からドクロの山の写真で始まりますのでご注意を

 

 

そしてこの大虐殺の始まりをアジア的やさしさと報道したのが朝日新聞。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8442/research/cambodia/wada750419.html

 

 

そしてこの大虐殺をしたポルポトを最後まで支持した連中が日本にいる。

新左翼の連中だ。

http://mujun.wordpress.com/2008/09/06/%E5%AD%A6%E7%94%9F%E9%81%8B%E5%8B%95%E3%81%AE%E6%AE%8B%E3%82%8A%E6%BB%93/

 

 

1970年代末~80年代初め頃、既に大虐殺が完了していた頃ポルポトマンセーをしていた連中だ。

 

http://qazx.blog.eonet.jp/docdoc/2011/07/post-7809.html

 

そしてこの連中がポルポト・マンセーからまた姿を変えたのが、今問題となっている「韓直人6250万円事件」である。

(注:どうも韓直人は正しい字は北朝鮮直人だったらしい。だから奸直人が正しいようだ)

ポルポト思想は今の日本で生きているようだ・・・・

 

 

さて本題に戻る。

混乱を極めたカンボジアは1992年~93年、国連カンボジア暫定統治機構により内戦終結・武装解除が行なわれた。国連事務次長明石康氏の尽力である。

 

しかしその後も紆余曲折があり、現在のフン・セン首相が権力を完全掌握したのは1997年の事。・・・まだつい最近だ。

そして少しずつ復興への道を歩み始めた。

 

 

その頃のカンボジア・・・

タイとの国境の町ポイペトからタイのアランヤプラテートへ製品輸出風景、これは2000年頃の写真。

 

みんな一生懸命働いている。

私も正直言ってこんなデッカイ大八車など見た事がなかった。すごいもんです。

 

 

しかしカンボジアの復興はといえば、肝心な指導者・リーダーがいない状態だった。

指導者・リーダーになるべき人たちはポルポト派により徹底的に虐殺された。特に役人・先生・知識人はその60%が殺されたという。

このため復興は容易ではなかった。

 

 

 

そして早速この国に目をつけた連中がいる。

先ずはこの表を見てください。

 

カンボジアに進出した外国企業数(2009年10月現在)

 

1) 中国      3,366社

2) 韓国      1,601社

3)シンガポール  1,102社

4)マレーシア    1,047社

5) タイ         986社

6) ベトナム      520社

中国企業は主にアパレル関係が多いようだ)

・・・日系企業は何処に???・・・

  

カンボジアの隣国タイ・ベトナムが意外に少ない。

それにしても韓国のこの多さは何なんだ。

 

 

そして観光客は

 

ベトナムはカンボジアの隣国である。だからこの数字は分からないでもない。

(注:以前はベトナム人はパスポート無しで入国できた、最近制度が少し変ったのではないか、それがこんな数字の元ではないか。) 

 

 

しかし韓国人のこの多さ、つまり韓国人のビジネス、観光の最大のターゲットがカンボジアになった

 

そしてこんな物を作ろうとしている。

 

これはCamko Cityといって、プノンペン郊外に第二副都心として建設中のもの。

総面積132万㎡、凄い物だ。

 

 

Camkoとは、カンボジアのCamとコリアのkoをとってつけたもの。

但しこのプロジェクトを推進していた韓国の釜山貯蓄銀行が営業停止となったため、現在工事中断している。

 

そしてもう一つがこれ

 

これも釜山貯蓄銀行がらみの高層ビル。

完成すればカンボジア一の42階建てビルとなる予定だったが、20階位まで出来た所で工事中断。プノンペン中心部で無残な姿を曝している。

 

 

このビル、韓国国内では資金不足で工事中断とアナウンスされた。

しかし現地では基礎工事が手抜きで、建築基準を満たさないのが原因で工事中断とささやかれている

こんな事例を聞くと、さも有りなんだ。

http://japanese.joins.com/article/522/141522.html?servcode=400&sectcode=430

 

 

つまり没落した国を食い物にしようと大挙押し寄せた連中、それがこの韓国の異常な多さに現れているのではないか。

本当はカンボジアはこんな国なのだ。

 

 

 

 

上の二枚の写真は2000年8月カンボジア・タイ国境のタイ側の町アランヤプラテートで撮ったもの。

国境に隣接して巨大な市場がある。カンボジア人はノーチェックでこの市場に出入出来る。

・・・タイの隣国優遇政策、カンボジア人は無条件で自分らの産品を売ることが出来るし、タイの日用品が買える・・・

 

 

上の写真の女の子は勿論カンボジア人、タイ側の市場に来れば何らかの施しにありつける。そうすれば飯が食える。

 女の子は観光客には「5バーツ頂戴」とねだっていた。

5バーツ(約15円)あれば昼飯にありつける。

(実際ありついた)

だがこんな健気な子が10年後にはオシロイをつけて、夜の巷でオトコの袖を引いている・・・・

 

 

本当はこんな国の再生には先ず子どもにはきちんと教育を受けさせ、大人には毎日に仕事をさせ、仕事に必要な技術を身に付けさせる。

そうして一歩ずつ進めなければ駄目なのだが、ハイエナたちはここに利権の臭いをかぎつけたのだ。

 

 

そしてカンボジアの若い女性達はどうなったか・・・

カンボジア女性の国際結婚の相手、それは60%が韓国だという。

 

ここは笑韓流家元コリア・ウォッチャーのご隠居さんの言っている事を紹介したい。

http://tosi.iza.ne.jp/blog/entry/2216060/

 

いくらカンボジア国内で気をつけろといっても、この若い女性達、多くは文字も読めない人たちらしい。

警告文書が幾らあっても読めない・・・

 

結論を急ぎたい。

没落した国家には必ずハイエナが食いつく。

そして利権をしゃぶりつくす。

其処に生きる人は、女性なら春を鬻ぐ商売、

男なら危険な3K稼業。

そんな事になる。

 

これが転落してゆく国家の実像である。

だがこんな事オレには関係ない、そう言う人もいるだろう。

しかし海外ではそんな事例がゴロゴロしている。

日本人も例外ではないのだ。

(この話はまた別の機会に)

 

最後に「誇り高きB級国家」などと菅原文太に言わせた産経新聞さんよ。

B級国家に転落したらどうなるのか、それを真剣に考えた事があるか?

私はそれを聞きたい。

大変汚い物言いだが、「あなたの娘さんが春を鬻ぐ商売」をせねばならないかもしれないのだよ、お父さん、それでいいのかねと。 

 

これでこの「誇り高きB級国家」の話は終りとします。

まだ頭から湯気が出ている・・・・・(爆)

  1. マスコミ
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2011-07-04 17:23

タイは再びタクシン派政権に

 タイの総選挙が終わった。

結果は予想されたとおり、タクシン派の勝利である。

私はこのニュースを聞いて日本の2009年8月を思い出した。

タイもまたカネの亡者と左翼集団の国になったのだ。

 

然し1年前、タクシン派はこんな事をした。

 

タクシン派に放火され、炎上したセントラル・ワールド・ショッピングセンター

 

タイの人はこんな事ももう忘れてしまったのだろうか。

 

私はここにはマスコミを買収しての情報操作があり、其処にはカンボジアのフン・セン首相を介して中国のカゲがある。

 

そして裏づけとしてタクシンの財力(不法な蓄財だが)があると思う。

 

タイの問題は日本のに染まった空き缶政権と汚沢・土鳩コンビにそっくりで、後に見え隠れする連中も良く似ている。が今回はとにかくタイのことということで・・・

 

 

 

最初にタクシンとフン・センについて。

 

今年初めからタイとカンボジアで国境問題で小競り合いがある事は一部報道されているものの実態が良く分からない。

この点については以下エントリー参照ください

http://tansoku159.iza.ne.jp/blog/entry/2281171/

 

ここでこの国境紛争の地図を見てください。

 

ここには私は2度ほど国道221号線を走ったことがあるので、現地の事情は大体分かる。

問題は砲弾の着弾地点が国境から10キロ以上タイ側に入った所ということだ。

これだけの距離を砲撃するには155ミリ榴弾砲のような重火器が必要だ。

増してやここは山岳地帯、何処から撃って来たのかなどさっぱり分からないはず。

用意周到な準備がなければ到底戦闘にならない、そして攻撃されて反撃しようとしても簡単ではない所だ。

 

しかし驚いた事にタイのマスコミはこの件でタイ軍部を攻撃した。

曰く「危機を煽ってクーデターをやる為だ」とか「反タクシン派の陰謀だ」「総選挙に利用しようとしている」などなど。

これでマスコミは反軍部・反アピシット現政権一色になった

 

 

しかしカンボジアの現首相フン・センはクメール・ルージュ赤いクメール、ポルポト派)出身であり、陰謀・クーデター何でもありでここまで来た人である。

その例として

2003年のタイ大使館焼き討ち事件がある。

きっかけはタイの女優が「アンコールワットはタイのもの」といったという物だが、実はこの発言などは全く根も葉もないでっち上げ。

しかしカンボジア国民は激昂し、大使館焼き討ちなど大混乱。

そしてフン・センは隣国を非難し、それを自分の選挙活動に利用した。

これがフン・センの政治手法なのである。

 

 

次にタクシンの財力

詳細はここに有ります

http://tansoku159.iza.ne.jp/blog/entry/1689295/

 

 

昨年タクシン派が反政府デモで使った金額が分かってきた。

 

一昨年9月から昨年5月までの9ヶ月間で報道されているだけで237億バーツ(日本円で約675億円)である。

このカネがどの程度かと言うと

2009年度のタイ国の国家予算が約1兆8000億バー(約5兆1300億円)

同年度の国防費が1700億バーツ(約4845億円)。

237億バーツとは国家予算の1.3%

    〃      国防費の14%

 

こんな大金を使っているのである。

 

多分今回の総選挙でも想像を絶する多額の金をばら撒いた事は間違いない。

 

そしてこの時タクシン派幹部は1億バーツ(約2.8億円)を越える金を蓄えた連中が沢山いる。

今回の総選挙でも一番功績のあったマスコミには、多分同じような多額の金がばら撒かれたはずだ。

 

このタクシンの2兆円とも3兆円とも言われる巨額の資産、どうやって作ったのだろうか。

 

これは噂であるがタクシン時代は公共工事などでは総額の3割が裏金コミッションという)で入るようになっていたといわれる。

 

信じられない額だが、当たらずといえども遠からずだと思う。

 

そしてこれから日系企業にもタクシンの集金が始まる筈だ。厳しい取立てになるのは私も経験がある、覚悟が必要だ。

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2011-07-03 18:06

日本は誇り高きB級国家でいいじゃないの<続々編・転落の歴史

 「日本は誇り高きB級国家でいいじゃないの」

今回は続編として、昔はA級国家、今はC級国家の事例を紹介したい。

如何してそうなったのか、其処に今の日本を考える何かを見つけたいと思う。

少々長い話ですが、私が10年前始めてカンボジアに行って以来ずっと気になって調べていたこと。

そして分かったのが今の日本の現状とあまりにも共通点があること。

そんなことを書いてみました、少々お付き合いを。

 

 

 

昔A級国家だった国、東南アジアではそれはカンボジアである。

802年~1431年のアンコール朝は当時の東南アジアではずば抜けたA級国家だった

それは今残っているアンコール・ワットを見れば分かる。

数ある世界遺産のうちでも超一級品だ。

 

 

そしてこの頃のアンコール朝の版図と首都と地方を結ぶ王道。

現在のタイ中部、ラオス南部、ベトナム南部までがアンコール朝の版図だった。

 

この青い線が「王道」

1186年~1191年の記録ではこの王道沿いに121箇所の宿駅と102箇所の施療院(病院)が有った、平均的な施療院は1箇所に200人位の人が働いていた、こんな事である。

日本では平安時代末期、源平の戦いの頃の話だ。

日本でこんな凄い話、信じられるだろうか。

 

 

 

アンコール朝が一番栄えた時期、ジャヴァルマン七世(1181年~1220年)は現在のタイの地はアンコール朝の支配下だった。

  タイにタイ人の国家(スコータイ朝)が出来るのは1240年頃のこと、

スコータイの遺跡写真

 

素晴らしい物だ、しかしこれより先にアンコール・ワットが出来ている。そしてアンコール・ワットの方が桁外れに巨大である

この当時のタイとカンボジアの差が良く分かろうというもの。

 

 

 しかし繁栄を誇ったアンコール朝は、空前の繁栄から100年~130年ほど後、シャム(現在のタイ)に攻められ亡びてしまう。

1431年のことである。

 

 

 

そしてアンコールの地を捨て、弱小国家となって都をアチコチに移す事となる。(最後は現在の首都プノンペンに落ち着く)

 

アンコール・ワットはそれでも1600年代前半頃までは細々と存続したらしい。

評判を聞いた日本人も参拝しているし、その評判は日本の将軍徳川家光の耳に届き、家光の命で長崎から視察に来た人(島野兼了)もいる。

 

 

 

問題はここからである。

この当時(16世紀後半~17世紀前半)、この地に来たスペイン人・ポルトガル人はあまりの素晴らしさに驚き、現地人に一体誰が、何のために作ったものなのか聞きまわった、しかし現地クメール人は誰一人答えられなかった。

プノンペンには日本人町があったが、日本人はどうも祇園精舎と思っていたらしい。

 

その直後、アンコール・ワットは全く見捨てられ、ジャングルの奥に消えてゆく。

1860年1月22日フランスアンリ・ムオーに再発見されるまで、誰も知らない遺跡だった。

 

アンリ・ムオーに再発見された当時の面影を残すもの

 

これは世紀の大発見とフランスが本格的な調査を始めた。

しかし 伝承が全く無い、現地人は誰も書いてあるクメール文字が読めない。

こんな事でこの遺跡の概要が分かったのは1930年頃の事。

 

この頃の調査でこんな素晴らしい文明が滅びたのはシャム(タイ)の侵略による簒奪が原因と考えられた。

そして現在でもカンボジアではこれが定説になっている

(注:これがカンボジア人がタイが嫌いな原因)

 

更に話をややこしくしているのがその後のカンボジア内戦とクメール・ルージュ赤いクメール、ポルポト派)による大虐殺と文化破壊。

このため残っていたお寺や古文書は全部破壊されてしまった、悲惨そのものである。

そしてカンボジア史の研究は、僅かに残った資料などをつなぎ合わせるジグソーパズル、極めて困難らしい。

 

 

 

しかし最近になって謎だったアンコール朝の王朝変遷史が少しずつ分かってきた。

上智大学が永年継続しているアンコール・ワット関連の学術調査、

それでバンテアイ・クデイ寺院から大量の破壊された仏像が発見された。

其処からアンコール朝で廃仏毀釈が行なわれたことがハッキリしたのである。

 

バンテアイ・クデイ寺院

 

上智大学による発掘風景(参考)

発掘調査の結果、首を切られた仏像は単に穴を掘って放り込んだのではなく、丁重にキチンと埋葬されていた。

クメール人の心が分かるものだったのだ

(注:この写真はネットで見かけたもので、首を切られた仏像が出土した時かどうかは不明、ただし場所は同じ寺院)

 

首を切られた仏像

 

プラジュニャーパーラミターとは日本語では般若波羅密多菩薩である。

大乗仏教の菩薩だ。

(プラジュニャーパーラミターとはバーリー語(サンスクリット語もほぼ同じ)で真理の実現と言う意味、日本の般若波羅密多はそれを漢字で表記した物)

 

この大発見で謎だったアンコール・ワットの信仰や王権の継承の問題に光が当たることとなる。

 

アンコール朝には王位継承のルールがなかった。

だから王位は実力で、権力闘争の結果勝ち取るものだった。

9世紀から14世紀半ばまで26名の王の名が知られている、その内たった8名だけが先王の実子又は兄弟、残り18名の王は血縁関係が無い。

 

アンコール朝の最大版図を作った(アンコール・トムも作った)ジャヤヴァルマン七世は以前からのヒンズー教ではなく大乗仏教を信仰した。

上掲のバンテアイ・クデイ寺院はその大乗仏教の寺院である。

 

しかしその王の後を襲ったインドラヴァルマン二世はヒンズー教を信じたため、改宗させた。

その過程で激しい廃仏毀釈が行なわれたと思われる。

この廃仏運動は次のじゃヴァルマン八世(1243年~1295年)の時代に一層激しくなったようである。

更にシュリーンドラジャヤヴァルマン王(1307年~1327年)は上座部仏教を信じたようだ。

 

 

 

話が複雑になった。まとめると

 

・ アンコール王朝の王位は権力闘争の結果勝ち取るものだった。

 

・ そして勝ち取った権力を誇示する為に、旧政権のやってきたことを全否定していた。

廃仏毀釈はその証拠である。

 

・ しかし一般庶民にとっては、昨日まで尊い物として拝んでいた仏様をいきなり首を切れといわれる。

相当混乱したようで仏様を丁重に葬っている。

 

ここから先は私の推定です。

こんな見方もあると言うことで見てください。

 

廃仏毀釈は単に仏像を壊すだけではない。

当然ながら其処にいた僧侶は殺されるか追放されたと思われる。

寺院にはいろんな技術者(灌漑や建築など)、学者や教員などもいたと思われる。

またいろんな職人も多数いた筈、廃仏毀釈とはこの様な人たちまで追放することではなかったか。

 

何故そんなことを言うかと言うと、当時の中国の王朝だった元が使者「周達観}をアンコール朝に派遣している。

この周達観の書いた「真臘風土記」は当時のカンボジアを知るうえで超一級の資料、アンコール朝の繁栄振りが良く分かる。

真臘風土記によれば、カンボジア人は天文学に通じていて日食・月食を推算できた。

また寺院建立・道路建設・大池掘削などに村人を駆り出す制度があったなど、日常生活の詳細が記されている。

 

だがその真臘風土記が書かれてから300年にもならない時期、16世紀後半頃この地に来たポルトガル人やスペイン人がみた物は、真臘風土記にあった繁栄の欠片も無い貧しい国だった。

 

アンコール朝の崩壊にはもう一つの要因がある事も最近分かってきた。

気候変動である。

樹木の年輪調査などから1362~1392年と1415~1440年の2回、この地方は深刻な旱魃が起きていた。

これが傾きかけたアンコール王朝に止めを刺したのではないかと言われている。

特に2回目の旱魃の時期はシャムの侵略、アンコール王朝崩壊(1431年)と時期が合う。

 

 

大変長い話の結論です。

 

権力闘争に勝って政権に就いた新王、その権力誇示のため先王のやったことを全否定する。

その結果が廃仏毀釈。

そして多数の僧侶や技術者・学者や教員などまでそれとともに姿を消した。

 

カンボジアにとって不幸なのはこのことが1970年代のクメール・ルージュ赤いクメール、ポルポト派)によって再度行なわれたことだった

 

これがA級国家からC級国家への転落の歴史は無いかと思うのです。

 

とここまで書いて気がついたこと。

わが国の現状とあまりにも似ていませんか?

 

原発を推進してきたのは自民党だ、

だからこの原発事故の原因は自民党のせいだ、

みんな「ジミンガー」悪いんだ!!!

今こんな議論がまかり通っている。

そして居場所を失った企業は海外に活路を求め、海外に去ってゆく

元気のいい若者は活路を求め海外へ。

日本に残るのは頭の中まっかっかの空き缶一味と老人だけ

 

歴史はそう教えている。そうでは無いだろうか。

  1. マスコミ
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